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はてなキーワード: 武田双雲とは

2020-09-12

同人女感情シリーズ小説評論文章同人蔑視

絵は大まかに言って線と塗りから成り立つ。

ではお前は絵を描く人間を「線描き」と呼ぶか?

  

物語複数文章から成り立つ。

文章複数単語から成り立つ。

単語群を構成する単語を一文字ずつに分解して、ようやく「字」だ。

  

「字書き」ってなんだ? オメーは単語すらミスタイプしてるクソ低脳と言いたいのか?

つの文章すら成立させられない無能ってことかあ?

ストーリー以前の意味不明文字印刷されたゴミクズを刷ってるバカどもと言ってんのかよ?

百歩譲って「字書き」と呼ばれるにふさわしい人間がいるとしたら武田双雲相田みつをだろ。ああいうのが神字書きだよ。

  

同人女感情シリーズが「字書き」と蔑称で呼ぶキャラクター達は、物語を描いているにも関わらず、作者は「字書き」と呼ぶ。

何故か? 作者が漫画を描く人間というオタク内上位カーストに属するからだ。

同人女シリーズの作者など絵描きと、絵描き以外はムダクズゴミと思っている消費専門のオタクどもは小説評論、詩など文章同人活動をする人間ヘラヘラと「字書き」と呼びやがる。

  

絶対相手を同じ人間とは認めてねえんだ。「貧乏人さん」って呼ぶのと同等だろ。

  

みんながそう呼んでるから? そうかそうかー。みんなが呼びゃあどんな悪口でもどんな酷いあだ名でも正しいよなー。わかるぅー。

無意識下にまで染みこんだ見下しと差別意識サイコーのお手本だわ。

や、意図的呼び方かもしれねえな。「デザイナー」を「お針子さん」と呼んで馬鹿にするのと同じ、対象矮小化からな。

そんなつもりない? 語呂が良いだけだと? ニガーも黒んぼもシナチョンも語呂が良いが、オメー面と向かって言えんのか?

  

今回の部数のリアリティのなさが示すように、作者は小説評論同人に興味はない。

上位カーストの素晴らしい人間である漫画描きの自分が、ストーリーどころか文章以前のゴミしか作れねえのに神だの嫉妬だの言ってる「字書き」というカスもの滑稽な姿を小馬鹿にしつつ、あなた方ふぜいにも救いはあるんですよ、漫画描きの私ならそんなことすら描けますよと薄笑いを浮かべているのが透けて見えるのだ。

  

最悪だ。上流階級様が貧民の暮らしを「まあ。貧乏人どもが、カビたパンをめぐって大騒ぎ。でも貧乏人の中にも心正しい者もいて、時には貧乏人だとしても、パン屑を分け合い、うるわしい友情を築けることもあるのよ」と、ブリオッシュ片手に憐れんでくださるわけだ。

漫画が描ける上級オタクの方々が、「字書き」という可哀想存在見世物にしてバズり食い物にする。

お前らみたいなゴミカス以下に言及してやった優しさに感謝しなきゃ上位カースト様の折角のお慈悲が無駄になるもんなあ這いつくばって喜ばなきゃなんねえよな。

  

んで、このウェブ漫画流行により、小説同人評論同人人間は「字書き」という僭称で呼ばれるのが当たり前である、という流れが作られる。

上位カースト様がそう決めてくださったんだからしょうがねえやな。

字書きみてえな無価値人種存在を認めてくださるありがてえ作品でごぜえますだって靴でも舐めなきゃな。

  

  

「あら、何が気に入らないの? 字書きみたいな卑しく価値のない生き物の生態を、わざわざ漫画にしてあげたのに。変な人ねえ」

  

2017-09-27

書道素人書道に対して思うこと

自分書道に対して思うことをだらだら書く。

自分小学生から中学生まで日本習字習字を習っていた。

日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。

お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品掲載されていた。

子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。

中学三年生くらいの時、たまたまネット原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。

内容は「書道世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。

私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。

ネットで調べていると、いろんな意見があることを知った。

武田双雲紫舟なんちゃって書道パフォーマーで下手くそ

もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」

そもそも2ch便所の落書きだし、匿名コメントでは判断仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。

そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。

今のところ彼を叩くコメントを見たことはない。

彼は、昭和三筆の一人である手島右卿師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間臨書に費やしていたという。

私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家指標になった。

人間は単純な生き物だ。そして人間社会は複雑なものだ。

人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。

なるほど。

例えば漫画を見てみよう。

ある売れている漫画2chなどで叩かれている光景を目にする。

絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。

人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。

それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである

だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2ch書き込みたいのだ。

私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家世界をのぞいてみたい。

現在日本書家で最も高名な人物は?

現在日本書家で最も巧い人物は?

現在日本書家で最も実力のある人物は?

こういったことは、簡単なことではない。

漫画家ランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。

ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。

書道は、たぶんそんな議論はされないだろう。

だが、私の好奇心がそれを欲している。

書道は優劣のつけられる芸術ではないのだろうか。

ならば下手という指摘はなぜできるのか。

これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。

たとえ武田双雲プロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。

素人というのはそういうものだ。理解がないのだから

柿沼さんはどう思うだろうか。素人理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。

このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。

でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽映画現代芸術、きっとどの業界にもある。

から柿沼さんもまた別の業界素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。

もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。

私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。

自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。

私が長々と何を言いたいというかというと、書道ブラックボックスであるということである

芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである

現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。

その作品アート歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要位置を占める。

私は書道のことに詳しくはないが、書道世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉説明できないようなものであるのではないかと思う。

まり現代芸術とはどちらかといえば正反対

もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。

私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。

もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。

書道の正しさでは王義之だろう。それか書道フォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。

まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。

話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。

美しいとされるフォント手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。

でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。

まり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。

からやさしく教えてあげればいいと思う。

書の達人は王義之の書の美しさを言葉説明できますか?

書道の、東洋的な美しさを言葉説明できますか?

書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?

昭和三筆はだれが選定したのか?

美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?

正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?

そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネット書道情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。

丁寧に解説してあるサイトあんまりない。

派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。

まりブラックボックス芸術なので、ネット書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。

下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。

から批判するときはどう下手なのか説明してほしい。

下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。

私は説明もなくただ、下手だといわれても素人から納得できない。

追記:

そうか…

他の日記よりトラックバックが少ないな。

悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。

冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。

ごめんね。

でも頭が悪いっていうのはひどいよ。

傷ついた。俺だってやるっちゃ!!!

言いたいことを要約して書くけど、

書道ってうまい・へたの違いが素人には全く分からない。

から、こいつは下手という匿名コメントを見ても反論のしようがなくて自分はただ悔しい思いをするだけ。

から書道にたいしてなんかもやもやした感情がある。というお話

anond:20161204172009

うまいと思うよ

だって書のこと何もわからん

世間一般でいううまい書道家武田双雲だよ

この手の話はどの業界でもあるけどね

だってほかの業界うまい下手とかそういうこと知らないでしょ

いちいち突っ込まれたら馬鹿かって思われるだけ

 
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