はてなキーワード: 法の下の平等とは
だから「裁判で問える形にしてください」だし「法の下の平等、約束したでしょ、ちゃんとやろ?」にしかならないし、きちんとスーパーヒューマンしてください、にしかならないでそ?
基本的人権や法の下の平等の原則をこの社会で維持し続けたいのであれば、同性婚を導入しないという結論に辿り着くことはありえない。
法の下の平等や公平性の観点をもつならばそれは通過点に過ぎず、最終的には市民全員がひとつの婚姻制度に参画できることが図られなければならない。
婚姻制度による直接の結果は、社会の基礎単位である「家庭」の新たなる創出である。婚姻制度にとって、「生殖」はその副産物でしかない。「家庭」が多様な形をとることを社会が許容する時点で、「家庭」において生殖によって子供を持つということは義務的に要請されることではもはや無くなった。
異性婚でかつ子供を持たない家庭の存在を認めるのであれば、婚姻制度と生殖支援を切り離してゆく以外の道をとることはできない。
婚姻制度から生殖支援の側面を丁寧に切り離していくことができた場合、当然そういった「婚姻」によって生まれる「家庭」という通念は、「生殖=血縁」から切り離したものとして捉え直す必要がある。
したがって、「血縁」「イエ」「民族」といった通念について、社会的な存在感の変質が伴わないと強弁するのは欺瞞である。
そのため、同性婚を受け入れる社会とは、単に同性愛を多様性として社会に包摂するという以上に、「家庭」の通念が「血縁の親子関係」により構成されるということを否定できるところまで進める必要がある。
近親婚に対する反論が同性婚反対派のそれと区別つかないのマジウケるな。
マジレスすると緊急度の違いと社会的承認の2点。民法では親族⊃配偶者。親族であれば遺産や病院のサインなどある程度対応可能。同性愛カップルは現状なんら法的な繋がりがない。世論調査で同性婚賛成が過半数。
たとえば「おばと甥」なんかも結婚は禁止されてるけど、遺産や病院のサインでどのくらい対応できるっけ? 「兄と妹」や「母と息子」ならどちらもある程度いけるだろうけど、「おじと姪」みたいなのは厳しいよね。
それに、たとえば「姉と弟」みたいなケースでも、配偶者と兄弟姉妹では遺産の取り分は違うよね。配偶者になる権利は当然あるのでは?
社会的承認については意味不明すぎる。たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。
当たり前だけど仮に同性愛者の9割が同性婚を不要と考えていたとしても同性婚は実現すべきだよ。そして近親婚も同じ。
選択的夫婦別姓と同じで「選択肢が増えるだけ」のことに何でそんな高いハードルが課されなくちゃいけないんですか???
近親婚の問題点としてDV的な要素の配慮も必要かと。特に閉鎖的な環境下で臨まない関係性の強要という事も想定されるわけで。当然近親婚がなくともありうるわけだが、一方で、近親婚を認めるとそれを追認しかねない。
よく言われるけどこれは詭弁。なぜなら実の兄弟はたとえ幼い頃に生き別れ年に1度会うか会わないか程度の間柄であっても法律婚はできないが、再婚した親の連れ子どうしは結婚できるので。仮に物心ついたときからずっと一緒に育ってきた相手だとしても。
本当に「閉鎖的な環境下での圧力」を懸念するなら、こんなザル規制に頼るべきではなく、同居年数などに依拠した婚姻制限を行うべき(私は反対だが)。結局もとからある差別的な規制に無理やり理屈をつけて擁護しているだけに過ぎない。言ってることがマジで同性婚反対派と瓜二つ。
シンプルには権力勾配を避けにくいからダメという理屈でよく(児童性愛がダメなのと同じ理由)、となると共同生活しておらず世代が近いことが要件で、となると従兄弟姉妹関係からということで現行通りだな
自分の親に兄弟が多いと「兄や姉くらいの年齢差のおじやおば」も想定できるけど、いとこがよくて年齢差の小さなおじおばが駄目な理由 is 何?
それ、「同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!」ってのとどう違うの?
議論する価値のある話だと思うんだけど、なんでこの話する人いつもブチギレてんの?なんかその時点で信頼性がないから増田を外して議論したい
同性婚支持者の人があれやこれやと理屈をつけて同性婚に反対する差別主義者に相対しているときの気持ちを想像してみてほしい。ワイが感じてるのはまさにその気持ちなので。
自分の「社会階層が固定化されるから(財産が同族間で相続される)」というのに反論してくれたら嬉しい。近新婚と同性婚の違いって外部者が入るか否かだと思う。固定化は望ましくないという社会的制度だと考えてる
そんなこと言うならまずは金持ち同士の結婚を制限するのが先でしょ。医者や弁護士や経営者同士で結婚して裕福な暮らしを送るのはなんら法規制されてないんだから、社会階層の固定化は他者に結婚を認めない理由にはならないよ。
それとも、金持ちの男は貧乏な女と、金持ちの女は貧乏な男と結婚するよう義務付ける法でも作る? 女は下方婚しろとか喚いてる女をあてがえおじさんと言ってること同じになって笑っちゃうな。
遺伝問題に全く触れてないのは、子なし前提なのかな。法で子なしに縛るのは無理だと思うから、近親婚は無しだよ。病院立ち合いは本人のOKがあれば問題無しじゃね。遺産は遺言書いとけ。
遺伝病患者には結婚を認めるべきではないって主義の人かな? 第三帝国にでも移住なさったら?
高齢出産では有意にダウン症の発症率が上がるけど、近親婚は遺伝の問題でダメというなら中年以上の人たちの結婚も禁止しないとね。そんなんできるわけないっしょ? つまり近親婚の禁止も無理ですよ。
“同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!”のは根拠ないが、性的虐待の加害者が近親者に多いのはデータで証明されており、根拠があるからでは。
おっ、統計的差別か? じゃけん中途退職率が高い属性の人は採用しなくても許されるようにしましょうね〜。楽な診療科を選びがちな属性の人は医大受験で排除してもOKってことにしましょうね〜。いやいや、そんなん許されるわけないでしょ?
虐待への対策は、虐待の早期発見や介入手段の充実などによってなされるべきであり、統計的差別に基づいて結婚の自由を奪うのは絶対に間違ってる。
ところで統計的には実子への虐待は母親によって行われることが多いんだけど、そんなに統計に基づいて虐待を防ぐべきだと主張するなら生まれてすぐに母親から子供を引き離す法律でも作った方がいいんじゃないの?
理屈や是非はおいといて、近親婚が当たり前の感覚になったら家庭内性犯罪増えそうだなぁ…幼い兄の下に妹産まれるだけで家族として色々なコストが跳ね上がる。女性も実家ですら安まらない環境は困りそう
まあ、「女性限定施設なら性的な目線にさらされないから安心だと思ってたのに、レズビアンがいるかもしれないと思ったら安心できなくなった」みたいなことを言う人も見かけたことありますけど、そういう人の意見は粛々と無視される流れになってきているわけですから、あなたのような意見も粛々と無視されるようになるんじゃないでしょうか。
何故同性婚賛成派だけ「じゃあ○○婚も認めろ!認めないなら偽善者だ!」みたいな踏み絵を踏まされるのか。「近親じゃない異性婚は認めてそれ以外は認めない」だって充分恣意的なのに、そっちは一貫してる扱いなの?
そりゃ「結婚の平等」って掲げた以上は踏み絵踏まされて当然じゃないの?
たとえばアメリカで「人種の平等」を求める黒人は、アジア人への差別はどう思う? って聞かれたら「そうですね、アジア人差別もなくすべきです」って言うべきじゃない? 別にアジア人のために身を粉にして働く義務はないけど、アジア人の権利主張に賛同する(最低でも反対しない)ことくらいは要求されて当然じゃない? もしそこで「いや、アジア人への差別は存置してもよい」なんていう黒人がいたらダブスタクソ差別主義者として糾弾されても仕方ないでしょ?
そもそも「なら近親婚はどうなんだ?」って関係ない話を持ち出すのが変。それは近親婚望む人が推進すればいい話で、同性婚推進したい人が近親婚の良い悪いやその理由を説明する必要なくない?
だったら「結婚の平等」なんて持ち出すなよ。結婚の平等を掲げた以上は同性婚以外の婚姻の平等に対する態度を問われるのは当然だろーが。「表現の自由」を掲げたらオタク絵叩きだけじゃなくあいちトリエンナーレに対する態度を問われるのは当たり前だし、「いや、宇崎ちゃんのポスターは表現の自由の問題だけどあいちトリエンナーレは関係ないです」とかいう主張が通じるわけないだろ? あいちトリエンナーレも表現の自由の問題だし近親婚も結婚の平等の問題だよ。
同性婚も近新婚も認められていいと思うけど、一つの問題に声を上げた人に全ての責任を押し付けたらそいつはつぶれるぞ。同性婚について活動してる人はそこに専念してもらっていいんじゃない?
別に「同性婚支持の活動家は同性婚と同じだけの労力を近親婚に注げ!」なんて言ってないよ。「同性婚に賛成するってことは、近親婚にも賛成ってことでいいんですよね?」って聞いてるだけ。「はい」って言葉が聞ければそれでいい。なのになぜか同性婚は認めるべきだけど近親婚は認めるべきじゃない派の人たちが屁理屈こねて認めようとしないからこんなに拗れてしまってるのよ。もうわけがわからん。
近親婚の認められ難さを考えると、同性婚賛成派が近親婚を切り捨てようとするのは戦略としては理解できるけど、思想としてグロテスクにも感じるよなぁ。
要するに名誉白人扱いですよね、それ、っていう。欧米で「や~いアジア人」って言われて差別されたときに「俺は日本人だ! 中国人と一緒にするな!」って言っちゃうみたいな感じ。
「オタク向け表現を守りたいだけで天皇アートまで守りたいわけじゃないんですよね……」っていう表現の自由戦士と仲良くなれそう。
「結婚の平等」の話なので、現時点で結婚が不当に禁じられているという点では同一でしょう、というのは上でさんざん書いたけど、そもそも何でノンケだけの問題になってるのかがわからん。同じ産道を通った姉を好きになる妹とかは同性婚がオッケーになっても好きな相手と結婚できないままなんですが? それは不当な結婚制度からの排除でしょ?
"たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。"日本て民主主義国家じゃなかったっけ?流石に国民の同意は得ようよ
「民意の支持があればマイノリティを差別してもよい!」という考え方をする人がいるから憲法に法の下の平等って書いてあるんですよね〜〜〜。
そもそもこの批判、賛成して良い理由も提示出来てなくね?賛成して当然みたいな前提が無邪気にあるけど、その担保を自分では何も出さずに雰囲気任せでは、はなから議論にならんだろ。
「結婚の平等を掲げて同性婚に賛同するのなら当然近親婚も支持すべきである」という話なので、そもそも同性婚に賛同してない人にとっては賛同できない話かもね。あなたが近親婚に反対している、ということは、同性婚にも反対ってことでいいですか?
詭弁のガイドラインの「一見関係ありそうで関係ない話を始める」に該当するな。「同性間の結婚」と「血縁間の結婚」って切り口が違うでしょう?その違いもわからんの??
そんなこと言ったら元々結婚は異性同士でやるものであり同性婚を認めろというのは制度の趣旨と違う的な話になっちゃうじゃん……それは差別なんでしょ? じゃあ同性婚と近親婚に差をつけるのも差別だよ。
同性婚近親婚多人数婚は連帯して結婚自由化を求めていけばいいのに分断したがる人はわからない。成人同士が新しくきょうだいになることも含めた家族形成の自由化も進めたらいい。
ほんと、なんで「それとこれとは別」「同性婚はいいけど近親婚はダメ」みたいに分断したがる人が多いんでしょうね〜。
同性婚をこきおろすために近親婚持ち出してきてるのバレバレなんすよ。ロリペドを認めさせたいがために、LGBTを持ってきては、ロリがゆるされないならLGBTだってだめなはずだ!言い出すのと同じでな。
えっ??? 小児性愛者なんてド直球の性的マイノリティでしょ???
小児には十全な自己決定権を認めるべきではないので、彼らが実在の小児と婚姻したり性交したりする権利は諦めてもらうしかないけど(小児の自己決定権と衝突するから)、差別されない権利とかは当然同性愛者やトランスジェンダーなどと同様に小児性愛者にも認められるべきでしょ???
こんな雑などっちもどっち論に釣られる方が頭悪い。こんなの「そうだね、同性婚ができたら次は近親婚にしよう。だから今は邪魔するな」だけでいい。両方同時にしなきゃいけないものじゃないし、適当にあしらっとけよ
どうして包括的に婚姻の平等を推し進めようとしないの??? 別に同性婚の邪魔はしてないよ、「真の結婚の平等を勝ち取ろう!」って言ってるだけだよ。「まずは黒人差別禁止法、次にアジア人差別禁止法」なんてのはおかしいでしょ? 「黒人もアジア人も守れる包括的差別禁止法を作ろう」であるべきでしょ?
そもそも「まず同性婚、次に近親婚や複婚」という順番になんの根拠があるの? じゃ、「まず近親婚や複婚、次に同性婚」と言っても賛同してくれるの? 大丈夫だよ、同性婚のときは協力するから、まずは近親婚や複婚に協力してよ、って言ったら素直に協力してくれるの???
当事者の要望が高まれば近親婚も議論すればいいので、増田やその支持者は変な相手に反論してないで堂々と近親婚推進を説いて頂きたい。当然近親婚推進の立場なんでしょう? なんで無関係な同性婚の話をしてるの?
既に同性婚賛成派が国民の多数派である以上「同性婚を認めるのなら近親婚も認めなければ筋が通らない」という主張をすることによって同性婚賛成派に近親婚禁止が理にかなっていないことを理解してもらうのが近親婚実現に至る一番の近道なので。
「同性婚に賛成する以上は近親婚や複婚にも賛成すべき」という共通理解を作って同性婚と近親婚と複婚を同時に実現するというのが当面の戦術的目標ですかね。もちろん最終目標は婚姻制度の廃絶ですが、自分が死ぬまでに実現する見込みはないので死ぬまでに実現可能な同性婚・近親婚・複婚の合法化を当面の目標にしています。
こうして考えていくと、行きつく先は婚姻という制度そのものの形骸化である。ということで自分の意見としては、同性婚や近親婚を認めるのではなく、そもそも婚姻制度そのものを廃止すべきである、ということになる(法的に保護された結婚をなくすだけで、民間の風習として結婚することを妨げるものではない)。
法律婚は書類を出せば成立するから、結納も結婚式も結婚の成立には必要ないんだけど、結納やら結婚式やらをしたがる人は大勢いるので、法律婚を廃止しても「結婚」にまつわる諸々の儀式は残りそう。儀式をするのは個人の自由なので、結婚式とかのカップル形成の儀式をしたい人だけが儀式をし、一方でカップルに(異性であれ同性であれ近親であれ)法的な特権は与えない、というのが一番筋の通った解決策だと思う。子育て関係の補助は子供の養育者に渡せばいい。
この理屈が受け入れられるとして、はてなでは「だから婚姻制度を廃止しよう」という結論になるとしても、世間一般としては「だから同性婚も認めない」という結論になるんじゃないかな
増田は、日本国民はなんだかんだで自由主義的で寛容なので「同性婚を認めることは近親婚や複婚を認めることである」という前提がきちんと共有されれば同性婚と同じように近親婚や複婚を支持してくれる、と思ってるけど、まあこればっかりは蓋を開けてみないとわからんね。とにかくこの前提条件がみんなに共有されるのが同性婚・近親婚・複婚合法化に向けた最初のステップだよねぇ。
アイシャの話はアイシャという天才少女の物語としてすごく良くできていたと思うので正史から消されちゃったのは残念で仕方ない……
言われると読みたくなってきたので魚拓で読み返してきたんだけど、3人の嫁がいるやつが自分の妹と息子が致してるのに対して「それは……ダメだろ?」とか言ってんの改めて読むとめっちゃ笑えるよね。もちろんルーデウスの個人的事情も加味すべきではあるけど、お蔵入りになっちゃったところまで含めて近親相姦のタブーがいかに重いものかを表していると思う。でも、やっぱりそれを認めようとしないのは差別だよ。
法律やルールは属性(男女など)で区別するのではなく状況(経済状態など)で支援するしないを決めた方がよいだろね。人間の本能には今となってはバグといえるような物もある
140年前にサムナーが「忘れられた男」で指摘したとおり、法の下の平等の前提は行政や司法から情緒を廃して機械的に運用することなんですよね。情緒がからむと泣き叫ぶ者が優先され、黙っている者が割を食います。
対象がよくつかめなかったのだが氷河期世代の見捨ては私も怒っているよ。男性のためを銘打った相談窓口ももっと手厚くあっていいと思う。女子供ばかり二重三重にそりゃ見えるよ
https://president.jp/articles/-/65205?page=1
上に引用したのは沼田牧師が書かれたかわいそうランキングに関する上記記事に付けられたブコメの一部だが、この3つのブコメはどれも司法、行政の平等について論じていて、概ね司法、行政にはかわいそうランキングに影響されない価値中立性が確保されるべきだという意見だと思われる
あくまで例として引用させてもらったが、他に付けられたブコメも概ねこの様に司法、行政の観点から論じたものが多い印象だ
だがしかし、沼田牧師が件の記事で論じているのはそういうことではないだろうと俺は思う
共生社会について考えるなら、一流のアスリートを見るのもいいけれど、まずは「この人、ほんとうに嫌な人だな」という感情を避けられない人とどうやって生きていけばいいのか、そこから考えてみませんか。
上に引用した部分には沼田牧師がこの記事を通して読者に訴えたい内容が端的に表現されていると思う
かわいそうに思えない弱者
そうしたかわいそうランキング下位者を我々個人が拒絶せずに関わり続けていくためにはどうすればよいのか、それを沼田牧師は問いかけているのだと思う
一方で記事に付いた多くのブコメはあくまで司法、行政の平等についての言及に留まり、かわいそうランキング下位者と我々個人との関わりについての言及は少ない
これは俺の偏見かもしれないが、かわいそうランキング下位者については公共セクターが対応すればよい、といった雰囲気さえ感じられた
もちろん、公共セクターはかわいそうランキング上位者と下位者を差別することなく運用されるべきだが、仮に女性相談窓口と男性相談窓口が、女性センターと男性センターが均等に配備されたとしても、それはあくまで公共セクターの平等性が高まっただけの話であり、かわいそうランキングを超克したことにはならない
我々一人一人が、かわいそうランキング下位者を拒絶することなく関わり続けていくこと、その実践を通して初めてかわいそうランキングを超克することができる
社会的な性規範の内在化されたものを心の性と呼ぶのは大きな誤りを孕んでいる気がしてならない。人間の心がまずあると仮定してもそこに性別があるなんてどう考えてもおかしな話である。これはLGBTの方々への権利の制限に賛成する話ではない。むしろあらゆる権利はあらゆる個人とあらゆる形式の集団に付与されるべきである。
婚姻制度なんてものはあらゆる人間のあらゆる組み合わせに対応すべきであり現在の状況がおかしい。そもそも法の下の平等概念からして法に男女という概念を持ち込んだやつの頭がどうかしている。同性婚を禁止している現民法はどう考えても憲法違反である。そして重婚を禁止するのも、複数人による婚姻を禁止するのも憲法違反である。というのが私の個人的な意見だ。また恋愛感情などという定義不可能なものを前提としない純粋な資本の接続制度に作り変えるべきだと信じている。これはただの意見だ。もちろん国家や宗教のいくつかのレゾンデートルの一つとして性規範の固定化があるのは言うまでもないことであるが、そもそも国家も性規範も大嫌いな私にそんなものを持ち出しても意味などないし届かない。
しかしそれはそれとして、心の性などというものは私には看過できない概念だ。そんなものは存在しない。血液型性格分類と変わらない無価値で有害な幻想だ。
近年、ある程度は心の性がない人という概念も広く知られはじめてはいるがそれはあくまで特別な人とされている。多くの人にはどちらかの心の性があると考えられている。これがおかしい。そんなものはある訳がない。常識的に物事を考えろ。心の性なんてものは元々人には備わっていない。これは事実であり現実だ。
心の性概念などというものはくだらぬ性規範が内在化されたものにすぎない。自由主義においては規範の内在化に反抗すべきであり、あらゆる性規範の破棄を求めるべきだ。社会的性などというものは当たり前だが許されない。そして性を前提とされない社会においては心の性なんてものはある意味がない。よって存在しない。そこにあるのはどういった生殖器が付いているかによる機械的分類だけだ。我々は人間である。まともな社会においてはそれより先にはなにも要らない。
女に生まれたが心の性が男である、というのは現在の性規範に縛られた糞のような観念だとあり得る。確かにあり得るがそれは性規範を内在化してしまっている、という意味では従前のゴミのような性別概念とほとんど差異はない。結局のところ自由度が2から4に増えるだけだ。そんなちっぽけな自由など自由ではない。無限のバリエーションのある心を二分法で分類する心の性と呼ばれるものなど許される訳がない。性規範を信じる人間と性差別者に本質的な差異などない。心の性なんてものはその実際として現在の性規範に照らし合わせて自身の価値観をどう縛り付けるかを考えより良いものを選択した結果にすぎない。二者択一のジェンダーのうちより自身にとって有利なものを意識的にもしくは無意識的に選択した結果に過ぎない。
心の性など存在しない。そもそも性別などは付いている生殖器の違いに過ぎない。付いている生殖器によって何かしらの束縛を受ける謂れなど我々にはない。自由主義において我々はこう言い切るべきではないのか。
そしてそもそも人は自らを知り得るのか。
恋愛は性欲の詩的表現を受けたものであると言う。恋愛感情という自己認識としてのその主観事実を否定するべきではないし、当人の自己認識は自由権のもとで尊重されるべきだ。しかし性欲について言及した今もう一度考えてみたい。人は独りでに心の性を持ち得るか?
持たない。上述のとおりである。
人はあくまでも社会的に心の性を与えられるだけである。もちろん心の性というものは確かに存在し得るがそれは生得的なものではなく獲得的なものである。身体機能としての性に一対一対応した心の性なんてものはない。ある訳がない。あるのは社会的性の役割であり、ジェンダーと呼ばれるものだ。
スカートを履き、可愛いものを好み、ピンク色が好きで、私立文系に進み、事務職をする、男に恋愛感情を抱く実存。のようなそういう唾棄すべきステレオタイプの集合を心の性と言っているにすぎない。
人が持つのは極めて純粋な身体機能としての性と、社会的な役割としての性の二つだけだ。そして後者は破壊すべき対象である。心の性などというものはそもそも存在すべきではない。
草津町の元女性市議がレイプ(強姦された)と公衆に訴えてたのが虚偽だったとして起訴されたという報道へのブコメが凄い
どうやってないって証明したんだろうね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2022103101232&g=soc
まず今回の起訴の前提として、元女性市議が「私は町長に町長室で強姦された」と広く公衆に訴えてたという事実がある。
それに対して「強姦が無かったとは証明されてない」と言うのは、逆説的に「強姦があった可能性がある」と言ってるのと同義であり、
それは容疑者ですらない町長が性犯罪者である可能性が残されてると言ってるのも同じだという認識が、このブコメ書いた方々にはあるのだろうか?
元女性市議は「誰か氏名不詳の通り魔から被害にあった」と言ってるのではなく、特定個人の名を挙げて強姦されたと一方的に訴えてた。まずその時点で「推定無罪」が適用されるべきで、その訴えに対して起訴されたのに対してのみ「まだ判決は出てない、推定無罪だ」というのは完全に片手落ちである。
そもそも元女性市議の起訴に推定無罪と言ってる人たち、女性市議が被害を主張した報道当初の反応を見ると推定無罪とは正反対の反応をしてた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASMD261GBMD2UHNB00M.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/dd949f8ef142ba996f362f990583c350a037de09
「まだ起訴された段階だからね」どころか、起訴すらされてない段階で強姦があったと決めつけ激烈に草津町を叩いてる。
「裁判で有罪が確定するまでは推定無罪」というのは、司直に捜査・起訴させることすらせず自称「被害者」の訴えのみで「加害者」を断罪してたMetooを全否定するものだが、ここで「推定無罪」を訴えてる人たちはそのMetooに積極的に参加してたのである。
「推定無罪」は女性にのみ適用され男性には適用されないという、法の下の平等を否定する性差別主義者なのだろうか?まさか…
それ最初に吹き上がって草津町叩いてた人たちに言っといて~なんで今更~遅すぎるよ~
というか「強姦されたと当人が誤認することがある」って、どういう状況なの…悪意の嘘でなく麻酔後のせん妄でもなく、本気で自分が強姦されたと事実無根の「誤認」をしてるなら、それもう日常生活がまともに送れない精神的疾患でしょうよ…当の元市議がそうだと言いたいの?
裁判もかけずはてブを上げて私刑じみたネットリンチを行った過去の問題も直視して~お願いだから~
ニュースで言ってたんだけどさ。
岸田さんが宗教法人の解散請求の要件は、過去に刑事事件で刑罰を受けたか、だけじゃなくて民法上の不法行為も含まれる、と明言したらしい。
それでキャスターが、「他の宗教も…」「法の下の平等が…」とか唸ってたんだけど。
まず残酷な邪悪を繰り返してきた統一教会を何とかしてから、法律上の線引きとかを考えればいい。
なんかの宗教が解散請求される事態になったら都度、そいつらが善か悪かを判断すればいい。
最終的な決着までに裁判所を含む多くの人間が関わってる。もし、おかしな判断をしたら、そいつらは国民に支持されなくなるでしょ。
だからキリスト教やイスラム教とかは、もちろんセーフになる。何の問題もない。
ただ前に進めばいいだけなのに、何を躊躇してるのか。
ごめんまだ230年くらいだったわ
フランス革命(フランスかくめい、仏: Révolution française, 英: French Revolution )とは、フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きたブルジョア革命[2]。フランス革命記念日(パリ祭)はフランス共和国の建国記念日でもあり、毎年7月14日に祝われている[3]。
フランス革命を代表とするブルジョア革命は、封建的な残留物(身分制や領主制)を一掃し、
資本主義の発展(法の下の平等・経済的自由・自由な私的所有など)
資本主義憲法の確立(人民主権・権力分立・自由権(経済的自由権)等の人権保障を中心とする原理、典型例としてフランス憲法)
を成し遂げた[2][4]。
フランス革命はアメリカ独立革命とともに、ブルジョア革命の典型的事例である[2]。フランスでは旧支配者(宗教家・君主・貴族)の抵抗がきわめて激しかったため、諸々の階級の対立・闘争がもっとも表面化した[2]。
ワンオペ育児で母親がわが子3人を手にかけた事件に対して、予想通り「母親の辛さ」がフィーチャーされている。
小児科医が人を殺したこの母親に同情し、すべての母親のためになんとかしようみたいな話をしているし、
育児垢が「私とこの母親は地続き。批判してる育児垢見たら実家住みだった、人生いろいろ育児もいろいろ」とか言ってる。
まるで母親の自己実現のために育児してるかのような言い草に失笑を禁じ得ない。人生いろいろだから生後数か月で親に殺されてもしょうがないってか。
法の下の平等に準じて我が子を手にかける所業には重きを置かないにしても、「そんなに辛けりゃ一人で勝手に死ね」と言われもおかしくないはずなのに。
そもそもワンオペになるのに3人も産むなとか、共助を拒否した結果だとかは白饅頭界隈にでも譲ります。
どんな事情があったにせよ、世の保護者に「私も我が子を殺すかも」なんて思ってほしくないので私はもうちょっと優しいアプローチをしたいと思い文章を書いてみます。
簡単に言えば、必要なのはリソースの適切な配分と多チャンネルの開設である。
親のリソースは有限である。よっぽど特殊な環境でない限り、一人の子どもに対してかけられる親の労働力は最大2人だろう。
一方で育児が要求する労働力は2人でも足りない、というのが私の過去の経験からの感覚である。
無論最低限の生存レベルではなく、「親としてしてあげたいこと」がこの要求を無限に引き上げていく。
清潔で快適な環境においてあげたい。たくさん眠らせてあげたい。写真を撮っておいてあげたい。たくさん食べさせてあげたい。
親として最初に考えないといけないことは、この全部を完全に達成することはほぼ不可能であるということだ。
何をしてあげないか決める。何を与えないか決める。何を切り捨てるか決める。これを明確にしておくだけで全然違う。
一度捨てたものには未練を残さない。再びそれに手を伸ばすことは禁忌とする。このルールを守るだけで育児の負担は確実に減る。
しかし往々にしてこれができない。特に母親は。これは善悪の問題ではなく、本能的なものだろう。
体力があろうとなかろうとリソースを延々と子供に注ぎ続け、判断力を失い、ときに鬱になり、最悪の場合子に手をかける。
自分がいかに寝不足でも泣いている子供を無視できない。これはもうそういうものとしか思えないから、無視せよと言っても無理なのだ。
かといってこれが美しいものかと言われれば全然そうは思えないのであって、これを美徳とすることは全く肯定できないのだが、
結局親と子供を引き離す他に親の労働力無限供給を解決する術はないのだ。
古い価値観ではこの役目を同居の祖父母等が担っていたのだが、現代人は他人の干渉を拒絶しているためそんなものは贅沢品扱いだ。
保育園だってパワーカップルのキャリア維持に使われて全員が入れるわけもなく、近所の人は顔も覚えていない。
カネも縁も知恵もない親だとあとはもう根性頼み、運頼みで闇雲に突っ込んでいくばかりなのだ。
だからもう自分で事前にやるしかない。自分は子育てを始めるとまともな思考はできなくなると予想して、安全装置を設置しておく。
それが多チャンネル化、平たく言えば外界と繋がりを複数持つということだ。
必要なのは自分の判断力が弱ってるときにそれを検出してくれる繋がりなので、理想的なのは昔からの友人や兄弟姉妹だ。
親とか義理親は母親自身より子のケアに寄る場合がほとんどだろうからあてにしてはいけない。
相手が独身だろうが不妊だろうが繋がっておく。子供の話はしない、自分の話をする。
ネタ画像を共有したり、腹が立った話をしたり、ふと思いついたときに声をかける相手がいればいいだけ。
そういう保険をかけられる相手との関係をメンテしておくことは普段からの心がけとしか言えないが。
ストレスを逃がし、自分と子を別の存在であることを認めてくれる相手が複数いれば最悪の事態に至るリスクはぐっとさがるだろう。