はてなキーワード: 治療費とは
詰みました
職人みたいな仕事だから、体調回復してもキャリアを活かした再就職先がなくて未経験応募になる
(ニッチすぎて国内に2社くらいしか経験を活かせる会社がなく数年に1度採用があるかないかな上、在籍企業は20代以上の中途採用はESの時点で弾いてた。多分もう1社もそう。)
30代で未経験採用(東京)、身体の事情を鑑み残業少なめ、深夜勤務なしなどの条件を当てはまると
年収が300万円くらいになりそうだ。
持ち家ではなく賃貸なので、多分色々ぎりぎり。
貯金なんてほぼほぼ無理だし、国の提言する老後2000万円問題とか目標が高すぎて眩暈がする。
年収分布図を見て、こんなにいるなら生きてはいけるんだろうって安心したけど、今を生きるために働く感じで将来の資金作りとか考えられない。
体調のことがあるから無理もできない。無理して体調が悪くなれば余計に治療費が嵩む。
東京でこれくらいの年収の人って将来の資金作りをどう考えてるんだろう。
働ける間はまだいいけど、毎月毎月生きるので精一杯の月給だと、働けなくなってからどうなるのか?未知。こわすぎ。
30代半ばまでバイトと同人誌で食ってたが病気になってペンを握れなくなったので今はバイトから正社員にしてもらっている。
仕事は無資格の事務職雑用。朝9時~18時、残業なし。役職ノルマ納期なし。祝日、長期休暇なしの完全週休二日制。仕事内容は楽々の楽。Excelポチポチ。暇な時はつべとオモコロ見てる。これで320万ならまあいいかって位の仕事内容ではあるが月の手取り20万一人暮らしではハムスター飼うしか余裕がない。未来は暗い。
会社も正直10年後も存在してるか分からない零細企業だ。漫画のスキルなんて社会では何の役にも立たないので転職は無理。この会社が無くなったら中年無職の完成だ。未来は暗い。
病院は死ぬ訳では無いが一生の投薬が必要なので治療費が嵩む。微妙な金額で高額医療費制度は受けれない。病院に行く交通費もかかる。メンタルもやられて更に治療費がかかるように。未来は暗い。
Aセクなので結婚も子供も望んではいない。1人は気楽だが世間での地位は最下位だ。どんなに望んでいなくても皆には通用しない。誰も理解ある風に今は1人でも生きていけるから大丈夫と言いながら可哀想な人生だと目が言っている。この国に居場所がない。未来は暗い。
貯金は同人誌でためた2000万しかない。貰える年金なんて僅かだろうしこの貯金だっていつ消えるか分からないから使えない。資産運用は怖くて手が出せない。増えも減りもしない通帳残高は虚無だ。未来は暗い。
趣味を作れと言われるが漫画を描き上げ入稿して読者に喜ばれた時のエクスタシー同等を求めてしまうので新しい趣味に出会えない。これでは老害にしかならない。未来は暗い。
横だけどなるほど
でもうちの夫もたぶんこんな感じ
子供は無理ならそれで、と言ってくれてる
仕事は2ヶ月前にシフトが組まれる業界で基本休めない、急な休みは無理
なので精子凍結しか無理、採卵の予定に合わせて休みを取ることもできないから
(21:03 追記)
ここまで詳しく人に話したことなかったので、今日まとめて書き出せてすっきりした上に読んでくれた人がいて優しい言葉までかけていただいて本当に嬉しいです。ありがとう。カラースター贈りたい。
そうだね。お金は人生全部で見たらトントンかそれ以上夫に出してもらうつもり。
(追記終わり)
なんか自分のことも書きたくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20221102183713
あってるっぽい
1年で自然妊娠しなかったので近所の総合病院の産婦人科に行く。私も夫も特に異常なしということでタイミング法を試みる。数回試したところで夫からの提案で治療をお休みすることに。レスに突入。
https://anond.hatelabo.jp/20200628172554
35歳を過ぎた時に、このまま子なしの人生になるんだなーと一人で納得した。
なので38歳も終わり頃になって夫が不妊治療を提案してきた時は、意外に思ったし何を今更とも思ったし、少し億劫でもあった。でももし上手く妊娠できたら会社辞められるしとか変なこと考えつつ2人で専門病院に行った。
初診の時に夫婦生活がないことを言ったら、滅菌した使い捨てのコンテナとシリンジを渡された。コンテナに出してもらったものを自分で注入するという按配。
夫婦生活がないことについて、もっと色々言われるかと思ったけど、まずバイアグラ的な薬を勧められて、夫が断ったら、あそうですか、ではこれ (シリンジ)はどうですか、てな具合だった。
当時今ほど性の多様性うんぬん言われない時代だったけど、踏み込んでこられなかったのは有り難かった。
もし、レスだけど仲良しで子供が欲しいと思ってる夫婦がいたら、思い切って病院行ってみよう。
コンテナ2回する間に諸々の検査をして、年も年だしということで体外受精に進む。
この後ずっと薬で生理をコントロールしていた。薬の名前とかは覚えてないけど、元増田の言う通り膣座薬は情けなかったね。。
1ヶ月リセット→ 採卵①(私の場合、質の良い卵子を育てるめに1回に1、2個しか卵子が採れないやり方だった) → リセット → 採卵② → ①と②の卵子を一度に戻す → 妊娠判定 → リセット → 採卵① と続く感じでお金も時間もかかった。なお①で受精卵が2個できれば採卵②はとばす。
体外受精でも良い結果が出なかったので顕微授精に切り替え。
それでもダメだったので、子宮内膜についている小さいポリープをとってみましょう、ということで手術。
その次の回でめでたく妊娠。
その後なぜか半年ほど生理が止まる。薬でも注射でも生理を起こせなかった。この時期がいちばん辛かった。
なんとか生理が復活して、そこから2回試して試合終了。理由とかこの時の気持ちとかは後で書けたら書く。
・先生が合ってた
生活態度とかについてうるさく言ってくる先生じゃなかった。飲酒(深酒)喫煙はだめだけど、それ以外はエビデンスもないので好きに過ごしてください、て感じでクールに突き放してくるタイプの先生だった。
・職場が合ってた
もともと、有給取る時に理由を聞かれない職場で、休んでも納期までに自分の仕事を仕上げていれば何も言われなかった。採卵日とかは大体1週間〜5日前くらいには分かったので、計画的に休めた。あとは土曜日とか平日の仕事の後に通院できた。週に3日ほど延長診療の日があって、ノー残業で駆けつければ診てもらえた。混んでたので帰宅は9時頃とかになったけど。
だから生理がきてガックリ、という気持ちを味わわずに済んでいた。あれはメンタルに悪すぎる。妊娠判定は、いつも病院の尿検査と内診。自分で市販の検査薬を使ったこともない。感情が揺さぶられ過ぎると思ったので。
不妊治療を始めるにあたって決めていたこと。感情的にならないなんて無理なんだけど、メンタルやられたら出産育児どころじゃないので、出来るだけ他人事みたいに捉えるように気をつけてた。自分を責めない。夫を責めない。感情は言葉にすると具体化しちゃうので、曖昧なまま気づかないふりをする。風呂で一人になった時に泣く。人に話さない。
病院に払うお金で一杯一杯だったので、高価なサプリとか気分転換の贅沢とかはしなかった。後で書くけど漢方には手を出しちまったが。治療してるとスケジュール的に3か月先のチケット取ったりとかしにくいというのもある。
ある同僚に話したら「私の友達も40歳で結婚したけど、すぐ子供生まれたよ? 病院に行くよりも普通にリラックスして過ごしたら?」って言われた。良かれと思って言ってくれてるのは分かるので「ありがとう」と返したけど、いやいやいや、結婚して10年、普通にリラックスして過ごしてるんですけど? レスだけどそれも含め普通に過ごしてた結果がこれなんですけど? って内心思ってた。不妊は性格悪いと言われるのはこういうとこだろうか。
以降、誰にも言うもんか、と思っていたけど、必要に迫られて別の友人にも話した。漢方薬局を勧められた。出費が増えるのは痛いけど、カウンセリング(という名の話し相手)もしてくれるとこだったので、しばらく通った。紹介してくれた友人にも、「この前教えてもらったとこ行ったよ!ありがとう」って言えた。
夫は夫で、職場の誰かに話したみたいで、寺みたいなとこを紹介されてきた。ドライブがてら2人で出掛けていって、祈祷を受けてきた。
どれも正直効果があったとは思えない。個人差もあるし。医者の言う通りエビデンスがない。(漢方はあるのかも。)顕微授精して育てた受精卵を体内に戻すっていう方法が最強やろ、って思って、時間も資金もそっちに集中したかった。
良かれと思って言ってくれるアドバイスに感謝して付き合って、というのが億劫で、私はなるべく人には話さなかった。
当時、正社員で働いてて、時間外手当含めて手取り25万〜30万くらい、なんなら夫より多いくらいだった。治療費はそこから出してた。定期預金とは別に百数十万くらいのお金を非常用によけとく癖があったので、顕微授精とか、1回に40万くらいかかる時はそこから持ち出していた。あと手続きしたら行政から戻ってくるお金と、ポリープと流産で手術した時の医療保険。医療費控除のために集計したら、その年は220万くらいかかってた。
元々、痛い思いするのが辛かったんだけど、あ、なんかもう我慢したくない、と思ったから。資金的にも、そろそろ定期を解約せねば、となっていたので。もし子供を授かっても、お金がなかったら育てられない。それで、やめ時だと思った。治療のゴールは2つあって、一つは妊娠出産だし、もう一つは私の気が済んだ時だ。やるだけのことはやったし、短い間だけど妊娠もできたのでもういいか、と思ったらすごい解放感だった。2年ちょいお世話になった先生にその旨お話しして、お礼を言って終わった。
40歳になって子供がいなかったら、何か新しいことを始めたいと、結構前から思ってた。楽器でも絵でもいいな。それがひょんなことからTOEICに挑戦することにした。ひょんなことというか、初期投資がいらないから英語にした。それで不妊治療やめて余った時間とやる気を全振りしたら850点取れた。
当時、TOEIC840点で通訳案内士試験の英語の一時試験が免除になったので、2年かけて通訳案内士の資格を取った。
それからコロナまでは訪日外国人のゲストに地元を案内したりガイド仲間もできたりで充実した日を過ごした。プロのガイドとしての稼働はそんなに多くないけど 夫も昇給したので会社も辞めた。最近また訪日客が増えてきて嬉しい。色んな国の色んな年代の人と会って話すのは楽しいし勇気づけられることもある。
数週間だけとはいえ、親になるという気持ちを味わえたこと。毎朝、目が覚めて、わずかながらの身体の変化を確かめて安心する時の甘やかな幸福感。常に不安でもあったけど。あの気持ちを知ることができただけでも、やってよかったと思う。産んであげられなかった我が子には、申し訳なさもあるけど感謝でいっぱいです。
完全に蛇足だけど、産めてたら産めてたで色々大変だったろうしな。
標準治療をしっかり受けてるなら、言い方はなんだけど、実害は無さそうだしいいんじゃないかな
いつも体調辛くて、でも仕事休めないし、いつ治るかわかんなくて、治療費もかさんで…それが長引いてくると気持ちが弱るよね
そういうときに、元気な時にはなんとも思わなかったものが心に響くこともあると思う。
(というか私はあった。スピじゃなくてオタ活。やっぱり恥ずかしくて周りには言えないけど。)
標準治療を否定するエセ科学とか、明日カノの江美のハマってたみたいな
お金を搾り取るやつだとヤバいけど、あなたはそのあたりはしっかり見きわめてるみたいだし。
・傷病手当をもらう
マックスで1年半もらえる。
2022年から改正されて、「通算で」1年半もらえるようになった。
例えば、今までだと鬱で1ヶ月休職して傷病手当もらってその2年後とかにまた休職、だと2回目の休職時には「1年半経過してるのでもう傷病手当渡せません」ってなってたのが、
改正後だと「前に1ヶ月分だけ傷病手当を渡したので、残りは1年5ヶ月分渡せます」となる。
詳しくは近所の協会けんぽに聞いてみて。
あと、収入によって月額の上限がある。自分の場合は月5000円だった。
1ヶ月の治療費がどんなにかさんでも5000円を超えることはない。(入院したら別にかかる)
精神科で診断書(3000円はすると思うけど、全然元とれる)を書いてもらおう。それを持って区役所で手続き。
・障害者手帳を作る
交通費の補助とか助かる。
「ミライロID」というアプリと連携すると、持ち歩く手間が省ける。
失業保険(雇用保険)もらう可能性があるなら絶対必要。理由は後で書く。
・リワークに通う
うつ病で寝込んでからいきなり復職するのは大変なので、生活リズムの安定のために通う施設。
利用料がかかることもあるが、先述の自立支援受給者証で1割負担、自分の場合は上限5000円。
不調で早めに病院にかかりたいのに、予約が取れなくて…とリワークのスタッフに相談したら、代わりに病院に電話して予約をねじ込んでくれたことがある。助かった。
休職中の会社にも連絡して、復職のための面談にスタッフが同席してくれることがある。
病院が合わないけどどこを選べばいいかわからないときも、スタッフが相談に乗ってくれたり利用者がおすすめしてくれたりする。
・健康保険の切り替え
国民健康保険でも、ハローワークでもらえる特定理由離職者証明書があると月額約16000円から2000円まで減額してもらえる。
・ハローワークに行く
うつ病なら特定理由離職者(正当な理由があっての自己都合退職)になるはずなので、待機期間なしですぐ貰える。
特定理由離職者になるよって診断書は、精神科で書いてもらう。あんまりにも不調だと書いてもらえないことがある(失業保険は働けるけど就職できてない人のためのものなので)
これを出すと、就職困難者とみなされて失業保険の受給期間がめちゃくちゃ伸びる。
手帳なしだと90日分くらいもらえるのが、300日分まで伸びる。伸びすぎ。
今後障害年金(障害厚生年金)を申請したくなったときに、今までの納付状況によって申請すらできなくなる可能性があるから。
精神科の診断書が必要で、とにかく出さなきゃならない書類が多いので社労士に依頼するのがおすすめ。
社労士とのやりとりや診断書書いてもらうのに1〜2ヶ月、審査に3ヶ月、受給決定から1ヶ月半くらいかかるから早めに申請した方がいい。
患者が治療費3割払って、払った分をバックしてもらい、医療機関が7割保険請求しても
ところがこのケースでは、コラボという支援機関を介することで、
事実上医療機関が、患者負担分を負担するかたちのボランティア活動
になっているので、すぐに行政が今すぐやめろと警告してくる可能性は低いけれど、
患者負担分を最終的に病院が負担するのは実質値引きなので保険診療でやっちゃダメ。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/cadetto/column/osahou/202105/569824.html
患者の自己負担分を最終的に病院が負担するのは実質値引きなので保険診療でやっちゃダメ。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/cadetto/column/osahou/202105/569824.html
ルールが厳密に決まってる保険診療で、ルールに反したことやってるのが問題なの。
なんで話題逸らしするの?
患者以外の第三者が払うのはいいけど、最終的に病院が負担するのは実質値引きなので保険診療でやっちゃダメ。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/cadetto/column/osahou/202105/569824.html
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
今まで心理の中心だった臨床心理士が「心理支援の知識や技術がない人間が資格を取って公認心理師を名乗っている」と文句を上げている。
公認心理師について、ご存知ない方に説明すると、要は新しい国家資格「公認心理師」(以下CPP)ができた。
「仕事で心理支援をした実績があるものには今だけ受験資格をあげますよ」と銘打って講義を受ければ受験できるようにしたのだ。
対象は主に教師、看護師、リハビリスタッフ、介護士、臨床心理士で、直近5年の実務経験がある者だ。
CPP本来の受験資格は文末に載せるので興味がある方は目を通してほしい。
教師や看護師はこれまで心理学を履修しているし、業務でも精神状態に留意して対応してきたからその資格はあるという建前である。
しかしこれまで心理職として活動してきた臨床心理士は面白くない。
心理を専門に学んでいない人間に心理の国家資格を持たせるのは面白くなかろう。
そもそも心理状態を正しく観察して分析できるのかという尤もな疑問がある。僕もそう思う。
しかし如何せん、この臨床心理士がしょぼすぎる。職能集団として無能と言っていい。
臨床心理士はそもそも民間資格である。病院や学校が働き場所になるが治療費をほとんど取れないので利益を上げられない。
非常勤が多い彼ら彼女らの平均年収は350万円で、福利厚生に至ってはペラッペラに薄い。多分ない。
1988年から試験を行っており、これまで国家資格にしようという動きがあった。
しかし派閥が多く、全く結束できないまま別の団体がCPPの資格を作ってジャンジャカ合格者を輩出してしまった。
ちなみにこの臨床心理士も受験資格が厳しく、資格取得したとしても活動を続けなければ失効するアホ仕様だ。
金もない、仕事もない、頭数がない、結束力もない、それが臨床心理士ってわけだ。
話を戻す。
CPPは資格制定の混乱をまとめて国家資格化し、この5年間で取得したものは5万人を超える。医療や教職、保育士など資格者が多い。
心理学の知識や評価、分析が一定ではないが、仕事を持ち家庭を築ける程度の年収はあるものが多いと思われる。
臨床心理士は制定から30年経つものの民間資格で、資格者は4万人を超える程度。
設立30年も経つのに統一学会はなく、資格者の仕事も不安定である。
まともに稼げる人間であれば資格を維持する必要がないので優秀な人材ほどいなくなる。
公認心理師はその政治力で頭数を増やし、しかも臨床心理士と協力するのでなく部分的に取り込む形である。えげつない。
心理職を向上するためには学会を統一し、データを蓄積して診療報酬を設定する必要がある。
そうすることで心理士の生活が安定し、組織力の向上に繋がりひいては資格者の職務向上につながる。
臨床心理士はgルート合格者を敵視するのでなく、協力者だと思ってほしい。
・在学中、臨床実習に行く。
・大学院のみ臨床実習に行く。
無料低額診療を使いんしゃい。
https://financial-field.com/living/entry-102550
https://financial-field.com/living/entry-140580
というかコロナの時にも書いたけどな
https://anond.hatelabo.jp/20200225112506#
精神科も無料または低額で通える。まずは相談したら良いと思うよ
無料低額診療事業制度の利用方法
(例)失業中、ホームレス、ネットカフェ難民、低所得、DV被害者、外国人
1.相談
制度の適用の有無にかかわらず、まず必要な治療を始めます。少しでも早く治療を始めることが大切です。
↓
2.申請
制度の適用については、担当者が事情をお聞きし、必要な書類の提出をお願いします。
制度の利用が必要とされた場合には適用となりますが、ならない場合でも治療費の支払いのほか、当面の生活などについて、一緒に打開の道をさがすように相談に応じています。他の公的な制度の利用が可能な場合は、その手続きをおすすめします。
↓
3.決定
無料・低額診療制度は、生活が改善するまでの一定期間の措置です。公的な制度や社会資源の活用、生活改善の方向を見つけて、一緒に生活を立て直していきましょう。
※無料や低額になるのはあくまで実施医療機関でのお支払い分です。健康診断・診断書など保険のきかない部分は対象となりません。また、薬局でのお支払いは対象外となります。
東京民医連|医療費でお困りの方へ
部外者がどうこう言えることじゃないけど、治療費とかそういった部分はまず親がどうにかすべきだし、これ以上増田が頑張る必要もないんじゃないかと思う。
仕事帰りに呼び出されてヘトヘトになって実家に帰ったら家族全員が深刻そうな顔している。
告げられたのはやはり兄がまた病気になった、という話だった。今度も癌だそうだ。
兄は特段体が弱いわけではない。
だが、何故か大病ばかりする体質だ。
身バレする可能性が高いので病名は詳しく書けないが、兄は高校の時に難病になった。そのせいで高校は退学せざるを得なかった。兄の必死に治療する姿と、両親から「兄に比べてお前は恵まれているんだから頑張りなさい」と何度も何度も言われたことが印象に残っている。
数年かかったが幸い兄の病気は寛解した。兄は向学心が旺盛なので大学に行きたいと言い、通信制の高校に通うことを決意した。兄が治療している間、俺は普通の高校に通い、親からのプレッシャーを受けつつも大学合格し、兄より先に大学生になった。
兄が通信制の高校を通い始めて暫くして、兄に癌が見つかった。腹を切る手術を受けないといけないと言われたため、兄はそれに従った。両親は何で兄ばかりが、と言って「お前は大丈夫だろうね?」と通帳を見ながら俺に尋ねた。多分金がカツカツということだったんだろう。
無事兄の手術は終わり、兄は高校を通い終えた。
だが今回の影響で大学受験には間に合わなかったため、来年大学受験に向けて頑張る、と言った。両親は病気にも関わらず懸命に頑張る兄に感動して、いくらでも金は出すから頑張りなさいと言った。俺には金の心配させたよな?と自分は言いたかった。
大学受験前に受けた兄の健康診断で、別の病気が見つかった。これも身バレするので書けないが、また手術と治療をしないといけないとのことだった。兄は流石に堪えた様で、鬱っぽくなり安定剤を飲むようになっていた。まぁ自分が兄の立場なら分かる。両親も安定剤を飲むようになった。両親は兄と連動するなよ。
俺は早々に大学を卒業して就職した。当たり前だが兄の治療費で家に金がないからだ。実のところ色々勉強したかった。研究したかった。教授にも勿体ないと言われたくらいだ。だが俺が少しでも家に金を入れないと危うかった。
兄は無事手術が終わり、治療フェーズに入った。今回の病気が治るにつれてうつ病も治っていった。両親は俺に「お前は恵まれているから頑張って働きなさい」と毎日言われ続けた。昇給が決まった時、当たり前に一人暮らしを選んだ。うつ病の兄を残すのは心苦しかったが、正直俺も限界だった。両親は決まった金額を毎月送金する事で渋々納得した。
治療が終わる間際、兄はまた大学に行きたいと言い出した。金ないんだから諦めてくれ、と俺は言いたかったが、本音を言えば俺も大学に残りたかったし、勉強したい気持ちは理解できた。両親はめげない兄に感動し、二つ返事で了承した。俺が送金する金額は増えた。兄の学費のためだそうだ。
兄は頭が良い。キチンと勉強をして、俺よりも良い大学に入ることができた。俺は素直に喜んだ。言い忘れていたが別に俺と兄は仲が悪くない。寧ろ兄は俺を幼い頃から可愛がってくれた。小学生の時に両親に秘密でゲーセンに連れて行ってくれたことを思い出す。少ない小遣いを貯めて俺にゲームを買ってくれたこともあった。うつ病の時は滅茶苦茶大変だったけど。
で、先日起きたことが冒頭の件だ。兄はまた癌になった。ようやく大学にも慣れて、歳は結構違うが大学でも友人ができて、頑張っていこうとした矢先だった。
何で兄ばっかりこうなるんだ?と言う憤りと、また俺の色々な負担が増えるのか、と言う嫌気と、純粋に病気ばかりする兄への憐憫と、俺に精神的な負担をかけまくる両親への怒りがごちゃ混ぜになって、突いて出た言葉が「もういい加減にしてくれ」だった。言ってはいけない言葉だったとすぐに理解したが、それより早く父親に殴られまくった。母親は泣いていた。兄はやばそうな目つきでどこかを見ていた。
俺は友人が少ないから分からないんだが、世の中の人ってこんな病気するもんなの?両親と俺はムカつくほど健康だけど?兄は常時デバフか呪いでもかけられてんの?間接的に俺が影響受けてんだけど?
どうすりゃいいんだろうな。本当。もう訳わからん。
因みに俺は職場の健康診断で一個引っかかって早急に病院に行けと言われたが、こんな状況で行ける訳がないので放置している。もう知らんよ本当に。