はてなキーワード: 月並みとは
とつくづく思う
圧倒的に会社勤めの方が楽
60円x5000=30万。たった30万円。
だけど、そんなのゴロゴロいるんだよな
悪いのが、小さい賞もらって2,3年経過してるのに
1回、2回はそこそこの描き手なら取れるんだよ、
少なくとも賞を取るだけなら才能は要らない、月並みの努力で取れる。これは断言できる。
なぜなら投稿される原稿100あったとしても、まず2割は基本的なレベルに達してないゴミだし、
その時の審査員の目から観て、新鮮に映れば引っかかりはするんだよ
それをアテにしてイタズラに、連載ネーム通そうと無職フリーターで年齢重ねてく人ら見ると悲劇だと思う
無理だよって、編集は言わないし、それどころか周りの誰も言ってくれないから、自分の才能のなさに気づく機会がないんだよね
仕事しながら可能性はあるかなと思った時期もあったけど今はキッパリ諦めてる
何故なら自分と同じ年で、上手くて面白くて大賞を取った人が漫画は趣味と割り切ってるのを見てるからです
上位互換的な作家が巷ではアニメだとか100万部突破でブレイクしてます
要するにそういう世界なんだよねぇ
「ネトウヨ」をいわゆる在日特権が存在するとの主張ないしかかる主張を行う者と定義するならば(第一の意味での「ネトウヨ」)、私が「ネトウヨ」文化に触れたのはかなり遅い。明確にその存在を意識していなかった期間が相当あるため正確には分からないが、成人はしていたと思うし、おそらくは大学も卒業していたのではないかと思う。私は、第一の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれたことはないし、また遅くとも13歳以降に、こうした文化を肯定的に受容することはなかっただろうと断言できる。
しかし、「ネトウヨ」をいわゆる反「サヨク」的な主張ないしかかる主張を行う者と定義するならば(第二の意味での「ネトウヨ」)、私(というよりも私と同世代の多くの者)が「ネトウヨ」文化に触れたのはきわめて早期ということになろう。第二の意味での「ネトウヨ」は、実のところ独り「サヨク」のみを嘲るのではなく、第一の意味での「ネトウヨ」をも含むきわめて広範な物事を冷笑し相対化する。いわばポストモダンの腐ったような人間ということだ。第二の意味での「ネトウヨ」文化は身の回りにあふれすぎており、物心つく前からこれに接していたといって差し支えないだろう。今ふり返るに、中でも最も私に影響を与えたのは漫画雑誌であった。私は、遅くとも13歳ごろには第二の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれていたと思う。
すでに述べたとおり、第二の意味での「ネトウヨ」文化は身の回りにあふれていたから、私と同世代の人間がこれにかぶれないことは難しかっただろう。実際、私の同級生はほとんど皆、程度の差こそあれ第二の意味での「ネトウヨ」文化にかぶれていたと思う。そのような中で、私が第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱することができたのは、学問、具体的には憲法学を中心とする法学の影響が大きい。月並みな表現だが、人権理論や多くの裁判例に接することでお題目としてではない基本的人権の重要性を実感することができた。また、これは私にとっていっそう根本的だったのだが、法制度という社会を営む装置の一端に触れることで、斜に構えて賢しらぶる子どもじみた態度を捨て、自らが責任をもって社会に参画する、社会を作るのだという心構えが、多少なりともできてきたようにも思う。私が第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱することができたのは法学のおかげであると言ってよい。そして私はもともと法学に興味があったわけではなく、これを学ぶようになったのはめぐりあわせ以外の何物でもない。今でもたまに「ネトウヨは頭が悪い」といった類の言説を見かけるが、第二の意味での「ネトウヨ」に関する限り、これは正しくない(私の中学・高校はかなりの進学校だった)。第二の意味での「ネトウヨ」文化から脱するための知識・学問(私の場合には法学であったがそれ以外の契機もありうるだろう)にめぐりあえなかったというだけだ。頭ではなく、運が悪いのである。
僕もあなたとこうやってやり取りするのがめちゃくちゃ面白いよ。
煽りとか、からかいじゃなく。偽悪的に口調悪く書いてるから本気だと思って貰えないかもしれないんで、一度だけ謝っておくね。口悪くてごめんね。
性的な目で見られたりするそれは一体どうして?
俺はあなたを見たことがないからわからないけど、究極を言えば、それはあなたが女だからでしょ。
月並みな言い方だし、誤解を招きそうだけど、女を完全に捨てなきゃ、女として見られるよ。
オスどもに対して「これはメスじゃない」と認識させないと。
だってこれって、「周囲から女として見られたくない」という話なわけで。
「女(メス)」として認識された時点で、常に周囲から性的な目で見られる可能性が存在してるわけで(どんなブスだろうと、どんなババアだろうと。人の趣味嗜好は多様である)、それが嫌なら、「女(メス)」として認識されないようにするしかない。
で、
https://anond.hatelabo.jp/20170706235308
マジレスすると、「女性はある程度女性らしい恰好しないと、一般論として社会では受け入れられ難く、多くの会社で採用されない」というのは「男性はある程度男性らしい恰好しないと、一般論として社会では受け入れられ難く、多くの会社で採用されない」というのと一緒。
ただ、多くの男性は、今の社会で「男(オス)」として見られることに不利益や不快感を感じていないから、表面化しないだけ。
俺は女性じゃないからわからないけど、男性が女性に対して抱く感情が、女性と比較して異常だというなら、そうかもしれないね。
だってこうやって増田でやりとりしてるだけで、あなたが女性だと知ってあなたの書き込みを読むだけで、あなたを好きになってるもん。
これこそまさに、あなたが「女性」という理由で性的に見られてる事例だね。でも、それが嫌なら、あなたは「女性」であるということを(ネット上でも実社会でも)、周囲に意識させないように生きていくしかないんだよ。
男は男の、女は女の、ゲイはゲイの、レズはレズとしての性的な見方をされる。
それが嫌なら、男でも女でもない、ジェンダーレスな人間として生きていくしかない。当然、今の社会は「男」「女」以外はほぼ認められていない(テレビに出るようになったとはいえ、セクシャルマイノリティに対する世間の目は冷たい)ので、それなりの覚悟が必要。
こうして書き起こされた歌詞だったが、弟たちの予想を悪い意味で裏切った。
やたらと詩的で難解というわけでも、かといって下品で低俗な歌詞でもなかった。
「フュ○メッ△ゲ語は覚えやすく、分かりやすく、使いやすいよう開発された共通言語だ。誰が翻訳しても、ほぼ同じになるよ。解釈が分かれるような文法や表現があったら、異星間での会話にトラブルが起きるかもしれないからね」
「凡百のJポップでも、もう少しマシな表現で取り繕っているぞ」
「あと、ボーカルは恐らく合成音声だね。それにイントネーションが、ボクの時代のフュ○メッ△ゲ語の教材映像のように忠実だ」
「一応フォローしておくと、コード自体はとてもキャッチーだよ。フュ○メッ△ゲ語は覚えやすいための一環として、非常に小気味よい単語が多いし」
いや、それは多分、みんな何となく分かってる。
ガイドの発言は、ここまで探し求めてきた弟たちにとっては無神経なものではあったが、俺は何も言う気にはなれなかった。
弟たちにとっては待望の知見であったが、その後で仲間たちと話し合った結果、この音楽の歌詞は秘密にしようということになったらしい。
この曲はそれでいい、と弟たちは思ったのだろうか。
とはいってもタイナイはスマホ片手に雑談を交えてという、ほとんど遊びにきたようなものであったが。
「このアイドルグループの歌詞って、正直つまらないからなあ。世界でウケるもんなのかなあ」
「へー、ほーん」
だが、同じ部屋にいた弟の癇にさわったようで、タイナイが続けて語ろうとするのをぶった切るようにして話に入ってくる。
「あんたの気にしている“世界”ってのは、一体どこの“世界”なんだよ」
そう吐き捨てるように言うと、弟は部屋から出て行ってしまった。
「え? え? どういうこと、マスダ?」
そして、なぜか俺に尋ねだす。
「“分かるからこそ見える世界”があるように、“分からないからこそ見える世界”ってのもあるんだろう。たぶん」
仕方なく、俺はそれっぽい答えを返した。
「うーん?……」
「まあ分からないなら、それはそれでいいんじゃないか。そういう話だ」
タイナイは要領を得ない様子だった。
まあ、俺も理解させるつもりで答えたわけじゃないので当然なのだが。
「じゃあ……君はどうなの、マスダ」
「どうもこうもねえよ。是非もなし、だ」
音楽に何を求めるかってのは様々だ。
だが、それらを深く考えないまま享受する人間だっているのである。
鬱で家を出られなくなって時間を持て余してたけど、プリパラ見て随分幸せになれたなぁと思う。
1年目は友情の芽生えとすれ違い、2年目は才能と努力、3年目は親の愛と仲間の絆が描かれて、子供向けなのにずいぶん骨格のしっかりしたアニメだったと思う。
らぁらママとグロちゃんの再会やユニコンのファルルやボーカルドールへの愛情、みれぃの努力の勝利にはかなり泣かされてしまったし、SoLaMiSMILE結成や純・アモーレ・愛、Mon Chou Chouには大人げないけど感激のあまり大声上げてしまったりした。
ただ童心に帰って楽しんでいたというわけじゃなくて、なんとなく自分の小さいころやらいまでも抱えてるコンプレックスに重なるところがあるように思えて、まぁそれこそ女児のように感情移入して見ていたわけだけども。
ハマって、劇場版もCDも集めて、最新映画も全コース見に行って、ゲームも筐体版まで遊んで、プリパラおじさんやってるときが、もう月並みだけどとても楽しくて仕方なかった。
これくらい、誰かが前向きになれる仕事をしたいなぁって、少し前向きになれた気がする。
アイドルタイム発表当時は結構不安はあったけど劇場版のエンディングとラストのシーンで「あ、これは大丈夫なやつだ」っていう謎の確信を得て、予想通り今でも楽しめている。
今回はまだテーマこそ「時間」っていうキーワードくらいしか明らかになっていないけど、OPテーマの「Just be yourself」の歌詞にすでに涙。
いまならまだ始まったばかりだから間に合うのでぜひアイドルタイムプリパラを見てください。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170405-00000131-mai-soci
ニュースで「大阪市で同性カップルが里親認定」という話をみた。
子供や同性愛者の受け入れという意味で、可能性が広がるという意味で、好ましい話である一方、これがニュースになる世の中であることに不思議さを感じる。
私はこの話を行為的に受け止められるニュースと受け取ったのだが、2ちゃんとかコメントとかを見てみると、変態が子供を育てるのってどうなの?とか、性行為を行っている姿を子供が見てしまったらどうするの?とか、いろいろ意見はあるようだった。
私は、里親としての責任を果たせるかと、同性愛者であることは特に関係ない気がしている。
今日は3月26日にあった、メキシコの女の子の屍体遺棄の犯人が見つかったというニュースがあっていた。
真っ当そうな人でも、殺人を犯す人がいる。
なんの職をしているのかとか、同性愛者か異性愛者かということは、その人自身の性質とは全く関わりないことだと思っている。上流階級が、人の尊厳を損なう行為はしないのかといわれればそうではないだろうし、同性愛者だから性的虐待を犯すに違いないという考えも、偏見だろう。
普通、子供は親を選べないものだ。だからせめて、里子に出されるような、経済的に不安定だったり、いろいろな問題を抱えていた子供には、子供を一人の人間として接してくれる親のところに行って欲しい。でもそれは、多分同性愛者であることとか、下手するとカップルであることとも関係なくて、月並みな話だけれど、ある程度人を人として接してくれる、気があい、経済的に安定な大人であることが重要なんじゃないかと感じる。
むしろ、周りの人たちが、子供やそのカップルに対してどう接するのかの方が問題なのではないだろうか。
子供は10代だそうだから、思春期になる頃だ。そうしたら、自分の里親が普通でないことももうわかる年齢だろう。そんな中でちょっと疑問に感じた子供が、周りから親である人の中傷を聞いたら、どう思うだろうか?
このニュースを見た人は、様々な考えを持つだろう。だが、このことを批判することで、傷つくのは子供なのだということは、わすれないようにしなければならない。そして、里親となる人物が変態か疑問を持つことも重要だが、それはすべての親に注がれる問題であり、同性愛者であることとは別問題であるはずだ。
同性愛者というマイノリティーが、マイノリティーではあっても決して差別の対象とならない社会のために、むしろこの記事を読んだ私たちが、子供のために偏見や差別をしないように意識しなければならないんじゃないのだろうか。そう思っている。
まずは入学おめでとう。
希望どおりの大学に進んだ人ばかりではないかもしれないが、それも何かの運命と思って頑張ることをおすすめする。
月並みだが、思っても見なかった発見があるのも大学の良いところだと思う。
それでは本題。
情報系の学部で学ぶことは、他の学部とは違って大学や大きな企業にしかないような専門の機材も要らなければ、高価な実験器具や薬品も使わないものが多い。(もちろん情報系の学部にも高価な器具を使う必要のある実験なども存在する。)
それ故か、入学した時点で大学1年や2年で習うような基礎的な部分は出来上がってる人というのが少なからずどこの大学にも存在する。下手したら、大学を卒業した先輩たちより力を持っている、なんて人もいたりする。ほかはどうか知らないが、この業界では珍しいことでもないように思う。
コレを書いてる私は、とある情報系の大学に通う学生だが、今年もそのような新入生を5人以上はもう見た気がする。きっと氷山の一角。
もちろん、様々な知識や技術を持っていることや、興味を持つことはこれから先学んでいく上で大きなアドバンテージになるだろう。
ところがコレを、謙遜して「プログラミングできません」とか「OS?わかりません…」とか言う輩がいる。もっとひどいと、講義や演習で知ったことを習うだけで「クソ講義」などと言いふらし、周りのやる気や学習意欲を徹底的に奪っていくのだ。
日本人である以上、多少の謙遜は遺伝子にでも組み込まれているのだろうから仕方ないだろうが、やりすぎてる新入生を見ると心の底からやめてほしいと思うのである。
大学は新しいことを学びに来る場所であって、いろいろなレベルの人間がいる。レベルが低い人にあわせて講義が行われるのは当然のことであるのに、知ってて常識という態度を取ることで周りの空気を悪くするのは、やっている本人からすれば気分の良い行為なんだろうが、新しいことを学ぼうと意気揚々と大学に通う新入生の芽を摘む行為になっているということを認識してほしいと思う。
知識や技術を持っているなら、それを共有して、高め合うのが正しい姿なのではなかろうか。
新入生を見ていて、少し気分が悪くなったものの、吐き出す場所がなかったのでここに書いてみた。
もちろん、どんな言動をしようとその人の自由だし、大学は勉強のできる人が優秀でそうでない人は優秀ではないという評価を受ける場所であって、他人がどうなろうが当人には関係ないのも事実ではある。
しかし、ちょっとでもこの日記を見た情報系大学生が気をつけるだけで、周りも気分良く大学生活を送ることができるならそれに越したことはないのではないかな、と思う。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
もし君が採用する側だとして、履歴書にズラーッと資格が列挙されていたらどう思う?
「頑張っているなあ」と思うと同時に、「努力の方向音痴」、「バカみたい」だと思うだろう?
実のところ資格ってのは就職をそこまで有利にできる代物ではない。
ラ・ラ・ランドだって、やたらめったら色んな賞をとっていてバカみたいだが、だからといって面白い映画であることは揺るがないだろう?
……でも主題歌賞はシング・ストリートとかに取って欲しかったなあ。
答えはNOだ。
運は責任を取れない。
学ぶべき教訓は、「要因と責任は必ずしもイコールではない」ということだ。
責任も運以外の誰かがとらないといけない。
そして、その可能性を減らす努力はすべきってのが社会の大意になるわけだな。
ああ、だからといって「エロい格好をしたからお前はレイプされた。だからお前が悪い」とか言うのはやめておきたまえ。
要因だとか責任は必ずしも比例しないし、イコールとも限らない。
エロい格好をしても、しなくても、レイプはされるかもしれない。
まあ、それはそれとして可能性を減らす努力を、あくまで側面的に語ることは無駄ではないと思うがな。
俺の経験を書くね。俺の友達の話だ。友達っつっても超仲良かったかと言われても微妙なんだけど。まぁ、何かあればそこそこ世間話ができるクラスメイトだったのは確かだ。高校卒業してからも同窓会という名の飲み会でも顔を合わせてはお互いの近況について話をした。明るくそつのない印象は高校時代と何も変わらなかった。まさか彼女があんなことになるなんて誰も想像すらしてなかった。
様子が変わったのは大学を卒業して社会人になってからだった。元々スリムだった彼女だったが、しばらくぶりに会った彼女は頬がこけ、まるで別人のように痩せてしまっていた。あまりの変貌ぶりにその場では何も言えず、後から彼女の友達に何があったのかを確認した。そいつも詳しくは知らないようだったが、どうも彼女は拒食症じゃないか、というのが通説だった。食べ物がほとんど食べられず、食べてもすぐに戻してしまう、とか。ストレスが原因でかかることが多いらしいが、彼女が抱えたストレスがなんだったのかは誰も知らなかった。一説には彼女が勤めていたIT関係の職場に問題があったとか、長らく続いていた恋人と別れたのが原因じゃないか、とか。結局のところ、俺にはわからなかった。
ある日、彼女の友達からLINEで「彼女が亡くなった」と連絡があった。風邪から肺炎になったのが直接の原因だったらしい。
俺は葬儀に出席した。高校の知人を中心に、こじんまりとした式だった。出棺の前、花を棺に投げ入れる時、彼女の顔を見た。綺麗だった彼女の顔は見る影もなかった。落ち窪んだ目は閉じられながらもそれを拒否するかのように少しだけ開いていた。彼女の光のない瞳を俺は見た。背筋を寒気が走った。
亡くなる前、彼女を含む数人で遠出をした時、消え入りそうな声で彼女は言った。その車内で起きていたのは運転手である俺と助手席に座っていた彼女だけだった。「しゃーないよね」と返すのがやっとだった。彼女は助けを求めていたんじゃないか。俺が手を差し伸べられていたら。もう二度と光を映さない彼女の瞳を見た時、その時のことを思い出さずにはいられなかった。
元増田に俺が言えることは何もないんだが、俺は彼女の最後の顔を見て、月並みだが、人生が変わったんじゃないかと思う。命について、真剣に考えることが増えたんだ。
彼女の顔は今でも鮮明に思い出せる。きっと一生、忘れることはないと思う。
22歳くらいの頃、夜眠れないようになり部屋で寝酒を始めた。
最初は缶チューハイ。200ml一本で気持ちよく入眠できた気がした。
家の階段で転んだり壁に頭をぶつけたり、記憶をなくすこともしばしば。
それでも何か楽しくて、幸せな気分で眠りにつけていた、当時は。
仕事に支障をきたすことはなかったし酒代で困窮するわけでもなかった。
そして30歳を過ぎた頃、貰い物のロイヤルサルートが美味しくて赤ワインからチェンジ。
一晩でボトル1/3から2/3も飲むようになってだんだん(これはマズイかも)と思うようになってきた。遅すぎるけど。
家族に隠れて飲んでた訳じゃないし(まあ自分の部屋だけど)昼間は飲まない。手も震えない。
自分はまだアル中じゃないと思っていた。会社の健康診断で問題もなかった。
でもこれからずっと今のペースで飲み続けたらきっと40歳くらいで死ぬんだろうなと思うようになった。
眠れないなら病院で睡眠導入剤を処方してもらえばよかったのだ。
でも当時はアルコールによる多幸感から離れられず、眠るためと言い訳をして酒を止める気は全くなかった。
月並みだが、恋の病にかかり飲食物が喉を通らなくなり、急に酒が欲しくなくなってそのまま飲まなくなったのである。
それ以前にも交際相手はいた。おぼこ娘でも高齢処女でもなかった。
片想いでもなく相手に振り回されていたわけでもないが、なぜかその恋に夢中、胸がいっぱいで何も食べられなくなっていたのだ。
ずっとその状態なら死ぬのだが幸い食欲は戻った。酒だけが欲しくなくなった。断酒するつもりはなかったのに。
なんだかんだ恋にうつつを抜かしているうちに、夜眠れないこともなくなった。
ぶっちゃけ激しい○ックスで疲れ果てあっという間に寝てしまうのだ。
数年後、その相手と結婚しそれから月日は流れたがアルコールはほぼ口にしていない。
アルコール依存ブロガーさんがはてなで話題になっていたのを見てふと自分のことを思い出して書いてみた。
[追記1/29]
上では触れなかったが、飲酒を始めたころからスポーツジムにも通い始めていた。酒以外で眠る方法を探す気はあった。
のめりこむたちなので、かなりムキになって取り組んでいたと思う。
ストレッチ、ランニング、マシントレーニング、エアロバイクなどのメニューをこなし平日は2時間、土日はさらにプールで2kmほど泳ぎ3、4時間もジムにいた。
もともと痩せて薄い体型だったがうっすら筋肉がつき、体脂肪率はずっと17から19%くらい。(女です)
だけどヘロヘロになるまで運動しても逆効果だった。運動のあとは余計酒がうまいのである。
トレーニングしながら、帰って飲む酒を楽しみにするようになっていった。
この頃はスコッチウィスキーのロイヤルサルートから始まって国産ウィスキーの余市、響、山崎など色々飲むのが楽しくなっていたので睡眠導入剤のことは忘れてしまった。
http://www.ask.or.jp/shinkoprocess.html ここの定義だと私は依存症との境界線にいたということになる。
12年もの間大量飲酒しながら境界線にとどまっていられたのだ。危なかった。
断酒から10年近くたったが、その間一滴も飲まなかったわけではない。ビールやワインで乾杯する機会は何度かあった。
やっぱりおいしいと思ったが、一杯で充分だった。元の大量飲酒に戻らなかったところをみると脳のアルコール回路はできていなかったのだろう。
今回件のブロガーさんのアル卒宣言の記事やそのブコメなどを見て、当時の自分がいかに危うい状態にあったかということを思い知らされた。
能天気だった。断酒したのも自分の意志じゃないしなんの努力もしていない。
そもそも断酒する気もなかった。減らしたいなあ、いつかそのうち、お金がなくなったらやめるだろうなあ、みたいなことは思っていたが。
たまたま振り返る機会を得てこうしてつらつら書いてみると、本当にバカだったな。今生きていられるのも運が良かったからだろうな。
私が彼をいわゆる「自担」としジャニオタの道を歩み始めたのはつい2年ほど前のことだ。
そんな「新規」の私が彼について語るなどおこがましいという意見があるのは重々承知している。
それでも私自身の気持ちの整理のためにもどうかここで私の思いを吐き出させてほしい。
私は幼い頃から今に至るまで、二次元を主としたオタクでありアイドルというものに嫌悪感すら抱いたこともある。
そんな私が初めて好きになったアイドル。
みるみるうちに私がのめり込んだことは想像に難くないだろう。
過去のCD、DVDをはじめテレビやラジオ、雑誌などありとあらゆるメディアで情報を集め、自担だけでなく他のメンバーの舞台やミュージカルにも赴いた。
一時期は冗談抜きにバイト代をほとんど全て彼らのために使ったほどだった。
私が初めにその情報を目にしたのはTwitter上でのことだった。
いつも通りの起床時間にいつも通り朝食を食べいつも通り家を出て電車に乗った。
そしてTwitterを開いた時にはもう皆が驚きと祝いの言葉を並べていた。
想像したことがなかった訳では無い。
相手がいるという噂を聞いたこともあったし、年齢的にもそろそろ落ち着いてもいいのではないかと友人と語ったことすらあった。
現実での私はただ唖然とし情報源を必死に探すことしか出来なかった。
確証のない情報に踊らされたくなかったという気持ちももちろんあったが、何より信じられなかった。
信じたくなかったのだ。
調べてみるとすぐに情報源がファンクラブ会員に郵送されて来た会報であることがわかった。
写真を載せることができない会報が情報源なら、この目で見るまで確証は得られない。
続々と周りのフォロワーが会報を受け取り情報が真実であると歓喜あるいは落胆を滲ませ呟く中、それでもまだ認めたくない自分がいた。
帰宅後、まるで死刑宣告を待つような気分で自宅のポストを覗いた。
そして死刑は告げられた。
大げさだと思われるかもしれない。
しかしあの時私に訪れたショックはあまりに大きく、私自身そのことに驚いた。
彼のことを恋愛感情として好きで、結婚することを夢見ていたのかという問にははっきりと否定を示しておく。
彼とその相手はお似合いだと思うし、そこに私が取って代われるとは到底思えない。
しかし私は確かに思ったのだ、「裏切られた」と。
きっと私は心のどこかでファンのことを考えたらアイドルは決して誰か一人のものになるべきではないし彼はそういうアイドルだと思っていたのだ。
もちろんこれは決して既婚者であるアイドルがファンを蔑ろにしているという意味ではなく、ただ私はきっと彼が他のアイドルとは違うと信じたかったのだろう。
もちろん彼が自分の幸せを見つけ新たな道を歩み出すことはとても喜ばしいことだしファンとして素直に応援したいと思える。
ただ、彼からの一番の報告が他でもないファンにだけ届けられる会報でされたこと、それも籍を入れるその日に日付指定でファンに伝えてくれたこと、どこの週刊誌にもすっぱ抜かれる前に真っ先に自分の言葉でファンに伝えてくれたことが嬉しかった。
そしてデビュー以来恋愛報道はたったの1度だけ、その相手との結婚であることに気付いてやっぱりあぁこの人が好きだなと素直に思った。
今回のことは私に様々なことを考えさせることとなり、まだ整理し切れていない部分もあるが結局私はまたこれからもずっと彼だけを「自担」として応援し続けるのだろう。
なので信仰者としての立場を極力排してなぜ胡散臭いのか、本当はどうなのかを考えてみます。
最初からいいますが、僕は新興宗教自体を胡散臭いとは考えていません。
身も蓋もない言い方ですが、キリスト教はユダヤ教の新興宗教ですし、仏教も日蓮宗や浄土宗、臨済宗は密教系とは重要な教義が異なっています。
私はカソリックですが、米大統領選でも注目されるモルモン教や福音派などのプロテスタントは明らかに新興だと言えます。
基本的なことですが、この点をまず明らかにしておきたいと思います。
ではなにが胡散臭いのかというと、相当分がみなさんと宗教の接点ですれ違いが起こっていることになります。
そして悲しいことですが、本気で胡散臭い活動も当然ながらあります。
宗教側からみなさんへの第一の接点は布教活動になると思います。
僕が通っていた大学でも注意書きが掲示されていましたが、家に押し掛けてくるのは胡散臭さレベルが高いので敬遠するのに越したことはないでしょう。
商売と一緒で「売ってくれ」とお客さんが来るのが最高の営業ですが、現代日本ではこれはほとんど期待できないでしょう。
ではどのように新しい信者を獲得するかというと、団体としての活動や宗教活動を通じてということになります。
代表的な新興宗教には宗教活動以外にも莫大なお金をつぎ込んでいるものがあります。
PL教団の花火大会や、米ソルトレークシティのモルモン教の大寺院などはその代表的なものです。
このような活動には伝統的な宗教も古くから関与してきました。宗教は伝統的に文化・芸能活動の庇護者であったのです。
長い歴史の中ではそれに対する反発もありましたが、現代日本でもその恩恵に多く与ることができます。
例えば東京観光や京都観光には寺社仏閣がつきものですが、その観光価値は一般の方には庭園や天井画や襖絵、建造物にあるのが現実だと思います。
そのような文化活動は信者と、一般の方の両方に働きかけるもので、難解な教義を介さない身近な存在として宗教を感じてもらうことができるのだと思います。
新興宗教には巨大、特徴的な寺院を建造するところが多くあると思いますがこの理由はちょっとわかりません。
ただこのような建造物を建てたからと言って、教主や教団幹部の懐に直接お金が入るわけではないということは留意しなければならないでしょう。
教義は信仰者にとっても難しいものです。カソリックでは洗礼を受けるにはちゃんと勉強をして認められなければなりません。
本来ならばどの宗教でも教父にあたる方に接するのが第一歩になるでしょう。
ただ、いきなり相手のホームグラウンドに行くのは恐いですから興味のあるお寺(教会)に電話してみるのはいかがでしょうか?
自分の考えていることを吐露してそれで答えが受け入れられないものであれば、それは相手方の落ち度でしょう。
元増田のアプローチは、まず文字に当たるということですが、どの宗教でもその本質は活動です。
「wikipediaは参考文献に含まれない」とはよく言ったもので少なくとも宗教で学ぶというのは不適当ではあると思います。
完全に新興の宗教は別として、多くの新興宗教は既存の宗教の派生です。なのでそれぞれの教義には数百年単位の積み重ねがあり、
一人でそれを理解しようというのはだれにとっても不可能でしょう。ただしその本質というものはシンプルで良いものであると私は信じています。
長い人類の歴史の中では宗教と歴史が分離されていたことの方が少ないでしょう。
それはさておき、宗教が政治を無視できないのは宗教が人の本質にアプローチするものだからです。
人の生活に直結する政治とはどうしても重なる部分があるということが宗教が政治に関わっていく要因でしょう。
「波動」や「飛行」というのを聞いたときの胡散臭さは相当リアルに感じます。
それはそれとして一歩引いてみれば仏教用語の因果や因縁、「宇」や「宙」というのは非科学的な概念ではないでしょうか。
これらを科学的に検証することはできませんが、明らかに科学と矛盾するものとしてキリスト教の進化論や地動説を否定があります。
私自身は技術者として生計をたてていて、人は猿から進化して、地球は太陽の周りを回っていると思います。
非科学的ということが宗教を損なうのはその真実性を損なうからだと思います
これはどこの宗教でもつきものだと思います。検証不可能なことは証明できませんし聖典は多面的な読み方ができるため科学的な検証には向いていません。
「聖典が正しければ寺院(教会)・教義は正しい」そして「寺院(教会)・教義は正しければ聖典は正しい」というような循環論法に陥りがちです。
これに対しては僕が言えるのは「あなた自身の考えて」という月並みなものです。あなたが一歩を踏み出してよい教えに導いてもらえることをお祈りしています