はてなキーワード: 性的指向とは
ひょっとして九州男児の人口より多いのかもしれないということに
一人ひとりに一人ひとつのセクシャルソリューションがあるとしても
そういった個々人の事情について、とかく場合分けすることを求めても
それは互いにとって不幸なこと
美少女ゲームもBLも、一般人からすればオタクのコンテンツなだけで
違いを理解しろ、区別して報道しろと迫られても困惑するだけだし
バッシングの要因になり得る
ここで言うブス=私のことなのだが、少なくとも私は女ではない。
「生物学上は女だけど(ワラ」などと実際に言ったことはないが、これは実に的を射ていると思う。
ブスとして生きることの何がつらいって、「ブス」と言われることより「女の子扱い」されることだから。
ブスのくせに、電車ではもしかしたら痴漢にあうかもなんて考えなきゃいけなくて、夜道を歩くときにはもしかしたら襲われるかもしれないなんて考えなきゃいけないのがつらい。
私は女の子が大好きだ。
そんな「女の子」の枠に、一応身体的に女で性自認も女で、というだけでブスが入れられるのが、おこがましい。
「性的指向が女(男性が好き)」と言わないのは、ブスが人を好きになること自体がおこがましいからだ。
なぜか。もし私が「女」であるせいで何らかの被害者になったとすれば、それは私の好きな「女の子」がバッシングされることにつながるからだ。
「ブスだけど、襲われるかもしれない。一応女だから」って思いながら歩くのは、とにかくつらい。
泣きたくなる。
ブス批判は、喜んで受ける。
ただ、ブスのせいで、ブスな私が
一応女であるせいで、「女の子」まで批判されるかもしれないと思うと、怖くて泣きたい。
自分に「女の子」と同じ価値があると考えているような気分になって、つらい。
それでも、「女の子」を守るために、「女」が悪いって言われないために、ブスは気を引き締める。
男の人のことはわからないけど、「ガラの悪いのに、絡まれるかもしんない。女だったらレイプで済むかもしんないけど、男だから、最悪殺されるかもしんねーな。男で損した」って思いながら、歩いたこと、ある?
「もし俺が今襲われて殺されるとしたら、それは俺が男だからだよな。同じ男として、○○(誰か男性)の名前に泥を塗らないためにも、殺されないようにしなくっちゃなあ、イケメンじゃないけど」って思いながら、歩いたことある?
普段「女の子扱い」されないのに、「女」の罪を着せられるのが嫌なんじゃない。
ブスなのに、産休育休の話をされたくない。
ブスなのに、「女の子」の枠に入れられたくない。
「女の子扱い」されたいブスは、「女」に○をつければいいし、「女」に○をつけた人に対しては、最低限の女の子扱いをしてあげてほしい。
私は、「ブス」に○をつけたい。
西村「学習指導要領について伺いたい。(略)LGBTに関する記載について伺いたいと思っております。先週末、私の地元の新潟日報に高校生の日報が載っていた。性的少数者への理解必要、というタイトル。”学校の保健の時間に疑問に思った。思春期になると異性への関心が高まると書いてあった。で、私はこういった教科書の説明は適切ではないのではないかと考える。確かに大多数の人間は思春期を迎えれば、異性のことを好きになるだろう。しかし中にはそうではない人もいることを忘れてはいけない。学校で、異性への関心があるのが当然だというように教えれば、性的少数者の生徒たちはますます悩む~まず教育課程において、しっかりと性的少数者への理解を深めていくべきだ”という風に書かれている。今回の学習指導要領の改訂に当たっては、パブリックコメントで大変多くの方からこの点についての記載して欲しいという要望があったと聞いております。その割合は全体の約12%と、非常に大きいと思いますが、学習指導要領には反映されなかった。他方、文部科学省は、学校における性同一性障害への対応に関する状況調査を実施して、H27.4.30に性同一性障害にかかる児童生徒へのきめこまやかな対応への実施等について、という通知を、都道府県教委、学校関係者に通知している。また手引きも出している。それで、私はこの点についてはやっぱり学校で、いろいろなこと考えますと、やはり、LGBTについての記載があることが望ましいと思います、先般質問主意書を出したんですが、回答はけんもほろろでございました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/193199.htm
再度質問させていただきます。この回答では「体育科・保健体育科で、・・・いわゆる「性的マイノリティ」について指導内容として扱うことは、個々の児童生徒の発達の段階に応じた指導、保護者や国民の理解、教員の適切な指導の確保などを考慮すると難しいと考えています」とされているが、個々の児童生徒の発達の段階に応じた指導を行うのが、本来は教員の責務であって、これを学習指導要領から除外する理由にはなりえないと思うが、なぜこの理由をあげているのか。」
「まずこれは大前提ですが、LGBTをはじめ、さまざまな要因において、社会において、特に学校現場において、そのことによって差別をされたり、傷つけられたりすることはあってはならない。そのことについて、文部科学省も、それぞれの学校現場においても、配慮いただいているところであると考えいる。西村先生から、個々の発達段階に応じてというのは当然の責務ではないかとご指摘をいただきました。学習指導要領というのはすべての生徒・児童に対し、指導していただくことを大綱的に網羅しているものでございます。その事柄においてですね、すべての児童生徒に、授業の形式を持って指導、教えるということが、現状において適切であるかどうか、内容について、個別の保護者、生徒からの相談において進めることが適切なものがあるかどうか、そのことについて、西村先生からご指摘のあったLGBTに関してですね、まずはLGBTに対する科学的な知見が確立していないということがございます。それがなかなか授業において先生方が合理的な説明の元に進められない、問題があるかと思います。そしてパブリックコメントについても言及がございましたけども、LGBTを積極的に学校現場において教えるべきだというご意見と、あの個々の生徒児童の発達段階によるものであるから、授業の面で取り上げるのはいかがなものかと、そういったそれぞれのお立場の意見がございました。そうした中においてですね、今回学習指導要領の中においてですね、今回、LGBTについて取り上げなかったということでございます。」
「驚きました。私は学校現場で取り扱うべきだと思います。科学的な知見が確立していないからということを理由に、取り上げないということは、今実際にそれを理由にいじめを受けている子供たち、それからこのあの性的指向、性自認にかかる悩みを持っている子供たちは、そうではない子供たちに比べると、自殺のリスクが6倍高いとも言われています。そうした中で、本当に科学的知見が確立していないということが学校でこのことに言及しない理由になりえるのか。思春期が来たら異性に対する関心が芽生える、そうじゃない人もいる。そのくらいのことではないかと思うのです。それぐらいのことがなぜ入れられないのかと疑問に思います。ぜひ、今そういうことで悩んでいる子供たちを救ってください。実際に体育の授業を受けると、自分が世界の中で、本当に1人なんじゃないかとこんなことを思っている、私は、僕はおかしいんじゃないかと。なってしまう恐れが非常に強いんじゃないかと。ぜひ、考慮していただきたい。二番目の質問ですが、国民や保護者の理解が足りないとあるが、だからこそ学校で教えることで、理解を深めていかなくてはならないのではないのか(略」
(略)
「学校関係者の対応が、事態をかえって悪化させているという事例も私は実際に当事者から聞いている。しっかりと対応して欲しい。」
LGBTの科学的知見って何を意味してんだろうね。LGBTになった原因に関する科学的知見?LGBTにどういう対応をすればいいかという科学的知見?事実、LGBTが存在していて、彼らに配慮することに何の科学的知見がいるの?とおもいましたまる。できれば西村さんにはこういう聞き方をしてほしかったな。天下り問題でやめられた、前川喜平前事務次官はLGBTへの配慮に尽力されていたようですが、残っていたらどうだったかな、とは思いました。
「政治家としての答弁と事務方の作文」をどうやって外形から見分けるわけ?
いやーこれは官僚の作文ですねー、大臣の見解じゃないですぅっていえっての?だれが書いてようと国会答弁で大臣がしゃべったらそれは省の代表たる大臣の見解だよ。さすがにつっこむけどアンタアホじゃない?
追記:
とりあえず直接の疑問について。
そもそもそんなすぐバレる事確実な犯罪を何故犯すのか、って事になるんだけど。
ん。だから前文で「ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが」と書いている。合理的に判断すればリスクに見合わない行動であっても、時として人はそこまで完全に自分自身を理性下に置くことはできない。だからこそ間違いが起きる。
殺せばバレないと思ってた?でもそれにしては証拠残しすぎ
口封じや事件の隠匿を狙った殺人は効果的だ、という話はしていない。ただ、罪を犯してしまった人の心理として、明日捕まるのと1週間後に捕まるのでは、そこには越えられない壁があるという話に過ぎない。そのまま被害者(目撃者)を放っておけば、短時間で捕まってしまうだろうと考えた加害者が、事件発覚を遅らせるためさらに重大な犯罪に手を染める、という心の動きはそこまでおかしいものではなかろう。…それが頭の悪いものであっても。
証拠を残しすぎなところを見ても、計画性の薄いかなり衝動的な犯行であったが故の悪あがき(殺人、死体遺棄)であったように思う。
あと、なんというか、ロリコンを得体のしれない理解不能なものとして犯行の動機を探るよりは、鉄道車両で痴漢が発生するプロセスから紐解いた方が理解しやすいんじゃなかろうか。
痴漢というのは、狭い車内に沢山の人が乗り込む満員状態によって引き起こされる。これは多数の人間同士が密着することによって、誰の身体が誰の身体に触れているか判断がつかない状況が生じているせいだ。こういった状況下で気が大きくなる心理というのは、容易に理解できるかと思う。匿名のブログサービスだからついつい余計なことを書き込んじゃう心理は、自分が今味わってるそれだ。
幼児を狙った性犯罪で誘拐がセットになるのは、成人女性に比べて単独でいる時間が少ないせいというのが主な理由だろう。あと運びやすさ。性犯罪は殺人や強盗に比べて犯行にかかる時間が長い。故にターゲットを人目につかない場所まで誘導・誘拐する必要が出てくる。人気のない夜道を歩く女性や、一人暮らしの女性宅が狙われやすいのは、犯罪者からすれば自明の理だ。
だからこそ幼児を狙った性犯罪の多くが、身内や近しい人間の犯行となりやすい。妻の連れ子や、学校や塾の教え子などは長時間密室でふたりきりになる機会が生じやすく、また社会的な立場により口封じがし易い(自分が我慢すれば母親が悲しまない等)環境も整っており、多くの悲劇を生んでいる。
今回の件も、たまたま相手が誘導のしやすい子で、かつ目撃者のいない空間が整っていたからこそ魔が差してしまった、という単純な話ではなかろうか。
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なんというか、こんな的外れなロリコン分析を真に受けちゃうのかと驚かされる。
性犯罪にかかわらず、殺人が副次的なものである場合、加害者の心の動きというのは、だいたいが口封じのためだ。
今回の事件でいえば、ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが、徹頭徹尾パトスに駆られた人物という犯人像は、いくらなんでも現実的ではない。逮捕された容疑者の男性が実際に犯人であるなら、亡きロバートKレスラーも苦笑いしそうな心理分析は必要なく、「顔見知りに近い人物による犯行がための目撃者(被害者)の殺害」で説明は事足りる。というか地理的な要素をまず検討するってのは、殺人事件の捜査では基本じゃなかろうか。
無論、増田友人が想像するような犯罪者がいないわけでもないだろうし、上記の分析も仮定に仮定を重ねたものだが。
いずれにしても、ロリコンがすべて同じような理想を抱いているという増田友人の言は、暴論にすぎる。あまりにもモヤモヤするので、ロリ系エロマンガについての個人的な分類を語りたくなってきた。
それぞれの特徴を説明する前に、身体的にも精神的にも経済的にも未熟な幼児を性の対象とするということがどういったことか、改めてざっくりと説明しておきたい。
当然ではあるが、だからこそ幼い子供は法によって保護されている。
ロリエロというジャンルを捉えるなら、まずここが出発点といえるだろう。
・リアル系の特徴
これは現実的なシミュレーションを含んだもののことだ(リアルだとは言っていない)。上記の点により肉体的・精神的な苦痛を伴ったり、救いのない展開や、レイプ、児童売春や性的搾取といった犯罪的な要素がついてまわる。
また、リアル系の傾向はストーリーだけではなく、絵柄にもその傾向が見て取れる。
それらの特徴を内蔵的と仮称する。
内臓的絵柄とは、人体デッサンにおいて、皮下の骨格や内臓といったものをしっかりと踏まえた、解剖学的な正しさを感じさせる絵柄のことだ。かなりざっくりと説明するなら、ごつごつとしていたり、あばらを描いていたり、目の大きさが現実的なサイズの絵柄のことだ。
こういった身体的なデッサンの人体は、苦痛を表現するのに適しているのだろう。猟奇的な作風の作家にも多い傾向だ。
LOはたかみち氏の爽やかな表紙に反して、こっち系の作家が多い。というか、町田ひらく氏といったこっち系のドきつい人がいたりするので、リアル系が苦手な人には正直、キツイ。
キツイ。
・ファンタジー系の特徴
ファンタジーといってもRPGの世界といった意味ではない(お約束)。現実(リアル)の対義としての非現実(ファンタジー)だ。どうしても犯罪臭はあるものの苦痛や鬱展開はほとんどなく、概念としてのロリを具現化させた存在と戯れる傾向にある。
そのため絵柄の特徴もリアル系の内臓的なものとは対照的なスキン的絵柄となっている。具体的には、きめの細かい肌触りや柔らかさといった表層の部分を重視する人体デッサンのことである。つるぺたという表現は死語化してひさしいが、要はあんな感じだ。
LOでこっち系といって思い浮かべるのは阿骨打先生だ。個人的にトップに入る好きな作家だが、死亡説が囁かれるくらいには寡作な方である(そうなる事情も分かるので複雑だ)。
ロリエロマンガは出発点が出発点だけに、分類がはっきりしているジャンルだと感じる。
が、近年はスキン的絵柄のリアル系鬱ストーリーみたいなハイブリッド型の作品もじわじわと広がってきている。クジラックス氏の例の作品あたりが起点だろうか。
ともあれ、人の性的指向なんて十人十色だから惹かれ合ったりするわけで、一口にロリといっても、それのどこに着目するかは人それぞれなのだ。と書いたら急に口調がアライさんみたいになってしまったのだ。
フェネック、もう終わるのだ。
LGBTの話題がよくあがるけど、それに関してロリコンが大暴れしてる。
LGBTとロリコン(ペドフェリア)を同列にみろと声を上げている。
ロリコンとLGBは性的指向に関してマイノリティーという点において同じくくりにはあるが、性質が全く同じでは無い。
LGBTはそれぞれの性対象や性自認さえ除けば普通の人と同じなのに、まるで人間で無いかのように差別されている点が問題だ。
ピーコさんが言っていたが、昔はゲイは犬よりは上だが人間よりは下だという扱いだったという。
それらの嫌悪感情は文化的なものにより形成されているという蓋然性が高いので、偏見をなくそうというのが主な流れだ。
恋愛も双方の合意さえあれば問題無いし、社会的なシステムを大きく変えるものでもない。
小児は自我がしっかりしておらず、恋愛感情が存在するかも曖昧だ。
幼少期の性体験というのは個に大きなトラウマを残すこともあり、基本的には禁忌とされている。
その状態で公に恋愛を認めることは難しい。被害者を生んでしまう可能性があるからだ。
したがって、ロリコンが世間から公に認められるには、また違ったプローチが必要になるだろう。
もちろん、そういう嗜好を持つ人が存在するのは仕方が無いし、彼らが願望を実現させなければ無害であることも知っている。
だが、性質が違う以上、LGBTの活動と同列に語ることに無理があるので、彼らがロビー活動をするのであれば社会にある程度迎合するやり方が必要だろう。
LGBTがそうであるように、ペドフェリアも自身らの特性を内省的にも見る必要があるし、フリーライドや足の引っ張りを行うのは余計に世間から疎まれる原因になるので止めたほうがいいだろう。
淫夢あたりの人が「ホリエモンとホモセ云々」とか言ってたのはそれだったのかと思った。
最近、バルサの選手を萌え目線で見てる。恋愛もしたいがそれは乙女ゲーム的な恋愛だ。
でも、現実に選手と恋愛したりセックスするとなると尻込みする面もあるんだよね。
例えばネイマールと付き合うとするじゃん?
そしたらネイマールは仕事で家を空けることもしばしばってことじゃん。
無理だよ現実では。
これ、「バルサの選手」を「ジャニーズの男の子」や「K-POPの男性アイドル」に変えても通じると思う。
私の知ってる限りでは、韓流男子とヤリたいとかジャニーズの男の子とSEXしたいって感情はあまり抱かない人が多いと思う。
持ってる人も当然いるだろうけどね。
実際友人のジャニヲタもそういう性的感情とは違うって話は聞いたことある。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
その男と私の関係はその日の夜の30分だけだった。援助交際というジャンルで動いたその30分で、その関係は終わる。
LGBTが流行語になるように、世の中には様々な性的指向/嗜好を持った人々が存在する。いわゆる男女交際を指す「シスヘテ」の世界に援助交際があるように、例えばLGBTの世界にも援助交際は存在する。出会い系サイトに「割り切り」の分野があるのも、もちろんシスヘテの世界だけではない。LGBT同士で、またはトラニーチェイサーと呼ばれるトランスジェンダーが好きな人向けの出合い系サイトもあり、「割り切り」も当然ある。むしろ法制度や社会的偏見により多くが結婚ができないLGBTの世界において、多くの出会いは結婚を目的としたものではなく、身体だけを目的としたものだ。
大学図書館をくたびれ果てた身体で出て、吉祥寺を徘徊して夜0時15分。待ち合わせ場所にした市街地近郊にあるバス停のガードレールで目印のヘッドフォンを首から下げて、私はこれから何をしようとしているのか考えようとした。でもそれはできなかった。これから車で来る30代の男に、自分の、18歳の、女性ホルモン剤を注射した身体を売る。トランスジェンダー向けの出合い系サイトに「舐めることくらいならできます」と書き込んだら、10時間くらいのあいだに200件くらいメールが来た。そのなかに「お小遣いありでフェラお願いしたいなぁ。プロフとか写真交換したりできますか?」と書かれたメールを見つけ、今からお会いできますか? と返信した。それがその、これから車で来る30代の男だった。
「今は家にいるのー? どこら辺に住んでるのかな?」
「××××××」
「今中野。30分くらいで着くよ」
私には恋人もいるし、性に飢えているわけではなかった。
バス停に滑り込んでくる日産のワンボックスカー。ワンボックスカーの前後には、タイムズカーシェアの黄色いステッカーが貼られている。車はバス停で停まる。車内を伺うと、男が頭をヘコヘコと下げていた。私が助手席のドアの前に立ち、ドアノブを指で指すと、男はやはり頭を下げた。
車に乗り込むと、やはりレンタカーらしかった。男は「この近所で目立たないところないかなあ」と言う。黄色の看板のタイムズの駐車場を見つけては「ここは明るいなあ」などと言って通り過ぎる。男は目ざとく一本入った先に利用者の少ない駐車場を見つけると、そこの奥に車をおいた。
「じゃあ、はじめようか。荷物前置いて。後ろ行く?」
男は前席のシートを倒し、後部座席へと移動した。私も移動する。
「キスしていい?」私は頷く。
舌を早く出し入れするだけの雑なディープキス。私の口に、男の髭が刺さる。
「興奮してるの? じゃあはじめようか」
男は私のジーンズを脱がせて、自分のボトムズも脱がせにかかる。男のそれはすでに大きくなっていて、私はそれを咥えて、舐める。口に含んで転がす。今まで恋人にされて気持ちよかったように、男のそれを刺激する。カーセックス。
「はあ、すごいなあ。本当にこれがはじめて?」
男のそれを口に咥えた状態で「うん」と言う(やればわかるが、口に入れた状態で「はい」と言うのはとても難しい)。
男はそれを私の喉にあたるような場所まで押し込もうとして、思わず吐きそうになる。
「暗くて顔が見えないなあ。今度から髪を縛るためのゴム持ってきてよ」
正直、録画されていても気が付かないと思った。
「おちんちんおいしい?」
口に咥えたまま「うん」と言うと男は
「ほーら、返事は? これが舐めたくて仕方がないんでしょ?」
車をバス停につけて、男はバス停に車を停めて、2千円を「今日のご褒美」といい私に渡す。「また連絡するね」。私が車を降り、ドアを閉めると車はバス停から去っていった。
次の日、私はその2千円を国会図書館の科研費報告書のコピーであっという間に使い果たした。今まで好きな人、本当に好きな人にしか使ったことがなかった口を2千円で売った事実は私にとても重くのしかかってしょうがない。
タイトルのようなことを感じたきっかけとなった記事を3つ、順番に紹介していきます。書き手はロリコン、もっといえばペドフィリアです。
民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいこと - ちらしのうら。
オタク趣味者である私は、民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいことがあります。
もしも「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」などというデマを流されたら、貴方はどう思いますか?
そんなデマは、もちろん許せないと思いますよね。
「軽い冗談だろ」とか「ネタにきまってるじゃん」とか言われて、軽く流せますか?
もちろん、軽く流すことなんてできませんよね。
でも、まさしく貴方は、そのようなデマの流布と同じことをしているのです。
否、「同じ」というのは語弊があります。
というのも、たとえオタク趣味を否定されたとしても、貴方の民族的アイデンティティーは損なわれないでしょうから、貴方は民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」まで失うことはありません。
しかし、民族差別煽動デマは、民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」を奪うものであって、いわば「人格を殺害する行為」であり、さらには現実の殺人をも惹き起こす危険さえもあるものです。ですから、それは決して「軽い冗談」の一言で済まされるようなものではありません。
私はオタク趣味のことはわからないので、オタク趣味をお持ちの方が「オタク趣味の否定は(民族的アイデンティティーの否定とは違い)実存の拠り所の否定ではない」とおっしゃるのならそれはいいんですけど、ロリコンを巻き込まないでもらえますか?というのがいちロリコンとしての感想ですね。
ふつう、性的指向による差別というのは、民族差別と同程度に「実存の拠り所」に対する攻撃であるとされているはずです。もっとも、よく知られている通り、指向か嗜好か、マイノリティーか否か、権力勾配があるかどうか——色々な論点があって、「ロリコン」に対する差別というものが、たとえばLGBTに対する差別と同等に捉えられるべきかというのは、議論がありますし、別に私も同等に捉えられるべきであると主張するつもりはありません(べきでないとも主張しませんが)。それでも、ロリコンが「ただの趣味」(とid:yukito_ashibe氏が主張しているところのオタク趣味)と同等に扱われるのは、看過できません。同等どころか同等未満にも見えます。「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」って文を例示として示しておいて、その文の中で「ロリコン」(・「キモ」)が攻撃されていたことはすっかり忘れられているのですから。
(なお、私の主張は「もしオタクがただの趣味であるというのなら、オタク趣味とロリコンを同等に扱うな」というものであり、「オタクはただの趣味か」についてはここでは検討しません。悪しからず。)
【キモヲタ】と【BL愛好家】を英語ではどう表現するのか?NYで活躍中の日本人通訳者が語る - Togetterまとめ
変態は世界中どこにでもいるんで、童顔の女の子にメイド服を着せたがるキモヲタを根絶するのもまあ不可能だとは思う。だけどああいうのを見て何の抵抗もなく「可愛い」と言える20歳以上の人は、ちょっと真剣にアブナイよ。なんか多種多様な性倒錯が基本設定になってきてないか日本。— NYの会議通訳者が教える英語 (@YukoOhnaka) 2015年8月27日
続き。私が高校生の頃は既にそうだったんだけど、日本人の価値観として、若いというより幼いことが女としての魅力だという、すごく根強い意識があるのね。だから10代の女の子たちも、自分の幼さを自分の女としての価値だと思って自己愛の対象にしちゃってる。大人がそういう風に教えてるんだもん。— NYの会議通訳者が教える英語 (@YukoOhnaka) 2015年8月27日
また続き。ちなみに英語で表現するとこうなります。
キモヲタ: pedophile
BL愛好家: voyeur
最後のツイートは現在は削除されていますが、このツイートがとりわけ話題になりました。私がこの件でもっとも腹立たしく思ったのが、若林宣(@t_wak)氏の擁護です。
ペドフィリア云々に関して、Yuko Ohnaka さんの一連のツイートを読んでみた。これでなぜ叩かれるのか理解できない。「本物のペドフィリアではないんですよ、空想の世界で遊んでいるだけです」ですむ筈じゃないか。あれをオタクバッシングと捉えたら、ペドフィリアだって認めたも同然だよ。— 若林 宣 (@t_wak) 2015年8月29日
「本物のペドフィリアではないんですよ、空想の世界で遊んでいるだけです」ですむって、そんな訳がないでしょう。いいですか、Yuko Ohnaka氏のツイートは、あきらかにオタクを貶める目的で「キモヲタ: pedophile」と書いてるわけです。でも、そもそもpedophileという言葉が悪口になってしまうのがおかしいのに、それに対して「オタクは本物のペドフィリアではない」と返すべきだというのは、「ペドフィリアを悪口として使うのは全然オッケーだと思ってます」ってことですよね。それは最悪の切断処理です。(若林氏は左派だし、左派ならこういうことは当然に理解できるはずだと思うのですが。)なにが「ペドフィリアだって認めたも同然だよ。」ですか。認めると問題があるんですか?単純にペドフィリアという単語をチャイルドマレスターの意味と勘違いしてるならまだわかりますけど。
若林さんは、これよりも前に
これはかねてから感じていたことなのだけれども、何か言われるとヘイトだ差別だとブーたれるオタクって、もっと深刻な差別には無頓着だよね。— 若林 宣 (@t_wak) 2014年10月10日
こんな発言をしていますから、少なくとも「オタクに対する差別」というのをそこまで深刻なものとは捉えていないわけです。その上で、「オタク」と「ペドフィリア」を同一視するYuko Ohnaka氏のツイートを見て、その「オタク」に「ペドフィリアを切り離せ」と説こうと思う訳ですから、「ペドフィリア」はもっとどうでもいいと思ってるんですよね。ふーん。
1年前に、TVタックルにてアニメ規制に関する特集が行われたことをきっかけに、いろんな議論が沸き起こりました。そのときの記事がこちらです。
大炎上「TVタックル」アニメ規制特集、規制賛成派から見た「オタク」の姿
ここで説明するのは大変なので、ご存知ない方は記事を読んでください。ですが、青柳美帆子氏のこの記事にも私はひっかかったところがあります。
たとえば、ミッツがオタク3人に「あなたたちはロリータの趣味がある?」と聞くシーン。「あります!」と即答する20代男性に、阿川は目を見開いている。考えてみたら当たり前だ。
確かにインターネット上では、「ロリコン」という言葉が気軽に使われている。でも、実際は市民権を得ているものではなく、彼らはできるなら「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実の幼女に対する感情はまた違ったものである」と言うべきだった。
やはり、若林氏と同様、「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実の幼女に対する感情はまた違ったものである」という「オタクはロリコンは違うんですよ」論法を推奨している。ただ、この場合ミッツ氏が「ロリコン=悪」という前提で質問しているようには読み取れないので、「ロリコンではない」と答えたところでさっきのように即「ロリコンを悪口として使っていい」というようなことにはなりません。なので若林氏ほど酷い発言ではないと思いますが、それでも青柳氏の意見には賛成できません。
ロリコンである、ということを公言することは児童に恐怖を与えうるものであるから、場を選ぶ必要がある、という立場があります。この立場に立脚するならば、「あります!」という答えは批判されてしかるべきということになるかもしれません。(もっともその場合は「ロリータの趣味がある?」という質問自体の妥当性が先に問われるでしょうけどね。)ですが、そうだとして「幼い美少女二次元キャラクターは好き」ならセーフだと思う意味がわかりません。「どっちもアウト」や「どっちもセーフ」なら理解できるのですが、一方だけセーフとするところにやはり「切断処理」を感じてしまいます。
まあ、「オタクが世間に受け入れられること」を最優先にするならこうした切断処理はある程度有効なのかもしれませんけど、それはあくまで戦略上の話に過ぎません。彼らは別にオタクの立場を向上させる義務があってテレビに出た訳ではありませんから、「こう答えるべきだった」なんて青柳氏に指図される筋合いはありません。
以上、私が特に印象に残っている実例を挙げて批判しましたが、こういうケースはそこら中で見かけます。
「オタクは趣味であってオタクに対する差別というのは他の差別に比べて深刻なものではない」と主張しながら、ロリコンやペドフィリアという言葉をまるでオタクと同義のように扱う人とか。
「オタクは三次元に興味が無いことをアピールして二次元を守るべき」と、ペドフィリアを切捨てるような戦略をオタクに勧める人とか。
異性(ゲイ、レズ、バイなら同性)のプロフィールを見て「あなたとエッチしたいです」メッセージを送る。あとはお互い次第。お互いにエッチしたいと結論が出たら、実際にどこかで会ってエッチを楽しむ。
料金はクレジットカードで支払う。
クレジットカードを使うので本人確認も兼ねている。これのおかげで出会い系にありがちなサクラは介入しづらい(と思う)。
なんていうか、プロフィールにて(エッチしてもいいか判別しやすいような)自分の特徴を晒すのと、あとは SNS 自体が「相手をエッチに誘う」ことを前提としたつくりになっているイメージ。
単にエッチがしたいだけの人って結構多いと思うんだよね。でも出会いとか無いし、出会ったところでいきなりエッチしましょうなんて言えない。エッチしたいなら人間関係や恋愛といった面倒な長期戦が必要。そんなの邪魔で、いいからさっさとエッチしたい。
相手がある程度の容姿を持っているならそれでいい、とお互いが思えるなら、もうエッチできると思うんだよね。あとはお互いがエッチしませんかと言い合えばいいだけで。でも現実でそれを言うのは難しいから、SNS として用意しちゃえばいいんだと思った。
どうかなあ。俺だけかなあ。
なろう小説をいくつか読んでみたんですが、なんでハーレムものばっかりなんでしょうか。
しかもちゃんと結婚はする、っていうのも多くて、不思議だなあ、と。
と、これは若者の間にポリアモリー的な性的指向が普及しつつあることの表れなのではないかと考えています。
複数の異性と付き合うというと浮気っていうのは昔からありますが、あれは背徳感だったり托卵だったりとちょっとネガティブなイメージが付きまといますが、ポリアモリー、要するに多夫多妻制はお互いがオープンなのでどちらかというとポジティブなイメージです。
その中で、宗教観も薄い日本の若者は日本古来というか人類古来の性愛の形に帰りつつあるのではないでしょうか。
これが善いとか悪いとかではないのですが、今後流行る作品とかのテーマになったりとか、社会制度を見直さないといけないだろうなとか、いろいろ考えたりします。
「なんで?」
「いやだよ」
「どうしてですか!」
「俺はロリコンなんだよ!」
「」
「いままで俺への迫害を無視してきた癖に、俺がお前らの受けた迫害を無視することは許されないのかよ! なんで? 偉いから? 確かに偉いよな女性やLGBTはロリコンより。ロリコンは迫害されて当たり前で、女性やLGBTは少なくとも疑義を呈することができる。歴然だよ、差は。相手もいるし、好きな対象と合意のもとでなにやっても犯罪にはならない。運が良かったよな! たまたま持って生まれたのが性的嗜好じゃなくて性的指向でさ! お祝いするよ! こんな汚れた人間にお祝いされても迷惑なだけだろうけどな! 俺はきっと少々女性差別的な価値観を持ってたりそれを露わにする健常な男性よりもさらに下なんだろうな? そういう認識だろ? それで正解だよきっと! 俺は弱者じゃなくてただの加害者なんだろうなきっと! 少なくとも女性やLGBTは加害者じゃないよ、本当に偉いな、褒めてやるよ、加害者にならなくて運が良かったよな! お祝いするよ! されても迷惑だろうけどな! あははははは!」
男は去って行った。
女性は気を取り直して別の男に声をかけた。