はてなキーワード: 屋根とは
最近のAIブームで、色々と得心が行った。私の行動はAIと同じだったんだと気づいたのだ。
自分は今まで生きてきておそらく全く思考というものを行っていないのだ。ただ今まで学習してきた何かしらの文書から得られた学習の結果としての何らかのあやふやなデータから、ただ周囲から与えられている入力に対して反射的に出力を行っているだけなのだ。
仮に、思考というものが存在するというのなら、それはおそらくNSFWフィルタのようなフィルタリング機構であって、それ以外は私の身体には実装されていない。普通は、実装されているのかもしれないが、少なくとも私には実装していない。
お絵かきAIに絵を描かせている人がつぶやいていた「AIはてっきり論理ばかりがわかって感情がわからないのかと思ったが、むしろ逆で感情ばかりわかって論理がわかっていない」という言葉が芯を得ていると深く感じた。本当に得心が行ったのだ。物理的な構成も論理的なパースも完全に無視されていながら、反射的には極めて『美しい』とされているような描写を導き出しているということが、結局論理を理解できていなくとも、感情だけが出力された結果として生じうる、そんなふうに思ったのだ(もちろん、この感覚も極めて『感情的』で、欠片も『論理的』ではない)。
私は会話にしても行動にしても、何にしても反射的な行動を繰り返しては『どうして○○(Ex.人の気持ち)を考えられないのか』という返答(あるいはそれに類される言動)を返され、絶縁・嫌悪などの反応を受けてきた。
私は何も考えてなどいなかったのだ。文章を書くにあたっても、私はこの文章を書くときすら、何も論理的な思考など行っていない。ただ脳内に浮かび上がる単語を、文章らしく整っているらしく思われるこの文字を打ち込み続けているだけで、それが伝わるように構成されているのか、それとも構成されていないのかすら理解していないし、理解できない。読解する時にも、いつも表層しか読み取っていないし、下手をすれば表層すら読み取れていないのかもしれない。ただ、文面上にある単語に対して今までの学習データから想像される言動を引き出しているに過ぎず、それに対する何らの論理的整合性を有していないのかもしれない。私は論理的な整合性を考えることなど出来ていないから、私には他の人がこの文章を読み取ることができる文章となっているのかを理解できない。古いAIが行うマルコフ連鎖(この言葉の意味についても正確に使えているかなどわからない)と、結局のところ何が違うのかすら理解できない。単なる脳内に学習されてきたらしいデータ的な何かの違いだけではないか? 私には意味が通っているのか通っていないのかを単なる違和感でしか説明できておらず、それに対して反射的な言動を返すことはできるが、その反射的な言動が正しいかすら理解出来ていないし、理解することは(論理的に)できないように思う。
私はただ、キーボードの上で踊る指先を眺めて、ただ出力されている文字を眺めているだけだ。誤った言葉を打ち込んでしまったときにだけバックスペースキーを押し、それを消しているだけだ。私は何も考えることなく、ただ脳が命令したように指先を動かしているだけに過ぎない。これはどこまでも反射であり、論理的な思考などどこにも存在していない。
だから、私は他人のことなど考えて発言などしていないし行動などしていない。なぜなら私は今まで何も考えてなどこなかったからだ。ただ学習データの中から一定の方向付がなされたデータのなかから反射的に言動を引き出しているだけだから、初対面の相手までならそれなりの行動が返せても、そこから継続的な関係を結ぶためのあらゆる行動が学習されていないし、それに対して考えて思考することも当然できていない。AIが継続したデータの出力が出来ないこととあまりにもそっくりで笑えてしまう。
私は人生で何も考えてなど居なかったのだ!
強いて言うのであれば、AIのプロンプトに適切な表現を打ち込めば求めた答えが返ってくるのと同じように、うまいこと「どんな入力を行えばどんな反射が返ってくるのか」を自分自身をハッキングしていくことが大切なんだろう。
これを理解してからいわゆるマインドフルネス的な瞑想もすごくうまくいくようになった。私はただ反射でしか動いていないから、反射しているということだけを認識していれば、これは反射だとすぐにわかる。SNSで優れた人を見たことに対する反射であったり、不幸なニュースを目にしたことによる反射であったり、他人が近くにいたことによる反射であったりすると思うと、自分がどれだけ単純な出力を行っているのかが信じられないくらい整理できる。
こんな簡単なことに気づくのに30年もかかったのか。
今までの自分のような人間が、今の自分のように、誰にも殺されることなく傷つけられることもなく良いものを食べ屋根のある場所で暖かく眠ることが出来たとは到底思えないが、そんな贅沢を尽くした上で、なお、言うとするのなら、できれば生まれたくはなかったし、今も生きていたいとはあまり思わない。
当然テレビはみない。
そんな旦那がテレビ番組を気にし出した。朝の連続ドラマ小説「ちむどんどん」である。
古参の朝ドラウォッチャーの私としては、不出来なときもあるよね、お約束展開が多くてつまんない、いわゆる時々ある「ハズレ回」だねぇくらいで見ていたのだが、なぜかTwitter界隈ではひどすぎる朝ドラとして大炎上した。
「ちむどんどんする〜!」
「どうせうちなんて」
と登場人物がお決まりの台詞をはくたび、Twitterは批判でもりあがり、セリフがない登場人物まで「電柱の演技が板についてた」と揶揄される。
こうなると、心にめ組のはっぴを着た旦那もじっとしてられなくなる。ちむどんどんに誘われるまま、火事現場の屋根に登ってまといをふりまわしはじめた。目的はもちろん火消しじゃなく、祭りの盛り上げである。夕飯の後は、毎日録画をチェックし、それについてツイートし、いいねをもらう。ときにはメディアブックを何冊も買い込んで裏話を集める。
シーズンの終わりも終わり、こんな時期から見出す人いるのも驚きだし、これが新時代の楽しみ方なんだろうか。最近は、朝ドラより、朝ドラを見ながらはじまる旦那の奇行が楽しみになってきた。
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
こんなん出してる
架線!
架線と接触して
電気!
1500V!
これを一日に20回やらされる
なんか問題くれ
ローテ問題は下記みたいな
電車の中ではたくさん体を動かしておしゃべりするのがいいか、大人しく座っているのがいいでしょうか
地下鉄はパンタグラフがありません、どこから電気を取っていますか?
※息子はパンタグラフが好き
新幹線で新大阪から東京行きに乗りました。次に停まる駅はどこでしょう
VVVFは可変電圧可変周波数、英語で言えばVariable Voltage Variable Frequencyですが
これは和製英語で英語圏ではあまり通用せずインバーターやVFDと呼ばれるのが一般的ですが
さて、この制御方式が採用される前は主に抵抗制御が使われていましたが
みたいなのは無理な、
案
陸上競技に四足走を取り入れる。
他の獣のように、四つん這いで走るというやつ。
種目は短距離中距離長距離マラソンハードルとか幅跳びとか四足走行で対応可能なものは全て取り入れる。
1回転のうちに前足も地面についていないといけないぐらいは走行フォームの縛りが必要だろうけど、競歩ほどシビアに見なくても大丈夫だと思う。
なんなら、サッカーとか、陸上以外でも四足ルール採用できそうな競技は全て四足対応する。初めは二足とシェアを奪い合うだろう。うまく交流戦とか統一戦とかやって盛り上げ続ける。
四足競技のトップ選手は自分の子供にも四足競技させたくなるし、それなら交配相手も四足のトップアスリートであるべきだ。
と四足婚が流行る。
数~数十世代ぐらいで体に変化が出てくるはず。百~数千とかなったらもう二足では生活しにくい人が多くなる。
そうなると、そういう人向けの住宅とか設備とかアイテムが増える。
手は器用に使えるし、悪路走行にも強い、新しい人類が誕生する。
メリットは屋根が低くても暮らしやすいこと。デメリットは靴が倍必要になることと、手を使うときにいちいち靴脱ぐのが面倒(この辺は、総合のグローブみたいに指も使えつつ、靴にもなる新しい前足用の靴が開発されて大丈夫かもしれない)
プール入る前の消毒的なシャワーの勢いが異常に強い。シャワーというより滝みたいだった。
泳げる距離で帽子の色を変えるシステムがあった。自分はマジで泳げないのでずっと泳げない人の帽子の色だった。その帽子だと特に泳ぎ方をしっかり指導されるとかそういうことはなく、一番端のコース(壁にすぐ手をかけられる)を指定されるだけだった。
水深の浅いプールと深いプールに分かれていて、高学年になると深いプールを使うようになる。自分は背が低かったので高学年になっても顔の半分くらいまで水に浸かっていた。泳げないので普段指定されていた一番端のコース以外は怖かった。本当に怖いと思っていたので、授業でクラス全員でリレー?(25mを全員が泳ぎきった早さを競う)をすることになり、真ん中のコースを割り当てられた時は「どう考えても無理があるのでせめて一番端のコースに変えてほしい」と担任に相談したが却下された。結果的にはプールの途中で溺れかけてクラスメイトに助けられた。あの子が助けてくれなかったら今頃どうなってたんだろう。担任は助けてくれなかった。
公立なのになぜか50mの屋内プールだったせいで雨でも中止にならなかった。屋根や壁はあっても空調はなかったので蒸し暑く塩素くさいだけの気持ち悪い空間だった。
体育教師(女)は女子生徒が生理で授業に出られないとプールサイドで筋トレを課してくるので、内心では「なんで体調悪いのにそんなことさせるんだよクソババア」と思っていた。
このクソババア……ではなく体育教師、泳ぎ方の指導もろくにしないのにタイム測定だけはやたらやりたがる。タイムにこだわるのなんて水泳部だけでいいだろうと思っていたが、それが授業なので仕方なく付き合っていた。中3の時だけ着衣水泳をやる話があったが、それも最終的に平泳ぎのタイム測定になったのは流石に笑った。
プール自体が壊れてて水泳の授業がなかった。高校選んだ理由の一部はこの話があったからだった(もちろん他の理由もあるけど)。校舎は綺麗だったのにプールだけ廃墟みたいだった。
危うく死にかけた(場合によっては殺されかけた)のに誰からもまともな対応してもらえなかったので書きました。
通報時に声が通話音聞こえてるのでもうわかる人は部屋番号から名前までわかっている可能性高いので。
物干し竿が持ち去られたので加筆しました。
電話来ました。
前々からマンションの治安が悪く、これまで騒音で警察に通報したことが3回程度ありました。
また、通報したことを共用部の管理会社であるアパマンプロパティに伝えたり、
他にも無許可で留めてある自転車が駐輪場から撤去されない件についてクレームを入れています。
電話をしても
が逃げ口上で何もしてくれませんでしたが。
ちなみに今回の争点である駐輪場とベランダは共用部で、どちらも個別の物件のオーナーの所有物件に含まれない場所になります。
アパマンプロパティよりウチではなく、プレストサービスに電話しろと言われ、請負の下部組織であるプレストサービスにも同様の連絡をしたこともあります。
また、物件の修繕などで大家に連絡しても話が通じてないことが何度かあり
共用部の話は大家の責任範囲ではないとわかっていたので今回までの通報は報告していませんでした。
昨日(8/7)に騒音がするからという理由で壁をガンガン叩いてきていたのでお隣を通報しています。
その他にも、複数回、騒音・タバコなどで別の部屋でも通報などしており、危ないなと思ったので、警察に通報(8/8)。
そして今日、外出しようと1階外の駐輪場部分に出て歩いていたところ
ガン!という音がなってはっと真上を見上げると駐輪場トタン屋根に物干し竿が刺さっていました。
待っている間に管理者であるアパマンプロパティに電話しました。
警察の方に変わった際も
と発言。
ア「個人情報なので何も言えない。警察からの書類が必要。」と回答されたそうです。
と言うと
ア「18時で対応は終わっている。今は何もできない。後日対応。」
とのこと。
と返答。
その後、警察の方に変わった際も
と発言。
外出前に落ちてきたこと。
眼の前で落ちてきたこと。
入居以後、トラブルが続いていること。
住所、氏名、連絡先、職業などを伝えました。
警「刑事課を呼ぶことになった」
私「刺さっている物干し竿を証拠物件として保全する様にお願いしたい」
私「証拠隠滅があった場合(物干しがなくなった場合どうすべきか?}
刑「通報も何もしなくて良い」
私「誰が持ち去ったか分かるのか?」
刑「無くなったら証拠隠滅で」
私「通報しないのになくなったタイミングは完全に分かるのか?」
刑「我々は関知しない」
刑「危険があったことは認知しているしちゃんと捜査は行うので大丈夫だ」
刑「どうぞ」
その後
刑「大家に連絡しろ。危ない!死にかけた!など言ってみたらどうか」
と言われたので大家に連絡。
大家連絡後、警察が後にマンション掲示の電話番号にかけた際の話を聞かされる。
外出中で電話が通じにくい、もともと物件自体が電波が入りにくいのでかけ直したり
掛け直すので待ってほしいなどの対応を受けました。
私「共用部の管理会社であるプレストサービスに大家から電話してほしい」
私「本来、プレストなどの電話窓口は大家からのものであると言われている」
大「307のベランダに落ちてきたならともかく、うちには一切の責任がないし電話する気もない」
大「構いませんよ。好きにやってください」
と返答。
外を見てみるとトタン屋根から物干し竿とその破片が消えている。
急いで警察署に問い合わせをしたところ
刑「無くなったという話はこちらでは把握していない。プレストサービスからの連絡もない」
刑「一件だけ聞き込みができなかった箇所があったのでその住所宛に手紙は入れておいた」
刑「他の住所は物干し竿があったので問題なし」(正直、立ち入りしたとしてもこれで問題なしなのかどうかはわからないですよね…)
物干し竿をプレストサービスが回収、処分(もしくは保管)したのか犯人が持ち去った(証拠隠滅した)のかは現在のところ不明。
もちろんと言って良いのか、プレストサービスからの連絡はこちらにもありません…。
対応見てもガタガタでやはり悪評が立ってる会社だなとは感じてしまいます。
刑「捜査してますが対応してくれない家が一件だけあり、進捗がありません」
私「物干しはプレストサービスが片付けたんですか?私から問い合わせはしてないですけど」
刑「電話しましたがプレストサービスは片付けもしてないし、現場にも来てないそうです」
私「そうなんですね(証拠隠滅されとるやんけ・プレストサービス仕事しろ!!!)」
私(もう何でもいいわ)
対応は丁寧になってきたけど仕事のやり方には口出しされたくないし聞き入れないタイプなんだな…。
結局、危惧していた証拠隠滅は起こっているし、この後犯人が写っているかもしれない駐輪場の防犯カメラに当たるかどうかも不明。
やっぱり単純な事故で済ませようとしているとしか思えない。暴行罪で立件する気はゼロと見える。
携帯に着信。
刑「物干し竿、物件管理者(プレストサービス?)が片付けて保管してたみたいです。まだ出てきてないところあるので引き続き捜査します」
私「わかりました」
見つかったらしい。証拠隠滅じゃなくて良かった。
プレストサービスがアパマンに買収されました。 | 投資をして自由に働こう(個人ブログ)
APAMAN子会社がプレストサービスの株式を取得|M&Aキャピタルパートナーズ
分譲賃貸は住むな。
アパマンプロパティ・プレストサービスは物件の管理能力・対応能力がない。
誰からも無事でしたか…?良かった!などの言葉ももらえず愕然としました。
少し長い増田ですが、お許しください。
増:「はい」
詐:「トンカツ屋さんのお隣の家でアンテナの工事をしていたものですが、
そしたら教えてあげてきてと言われて、伺いました。」
増:「えっ、どこの事を言っているのか分かんない...?ちょっと今、出ていきますから。」
外に出ていくと、二十歳以下位の鳶の格好してる若いあんちゃんが、立っていた、
取りあえずどこが壊れているかを聞いてみた。
詐:「雨樋で見えずらいかもしれませんが、あの上に乗っかってる部分ですね。」
増:(ん!?さっき話してたところと違うんじゃない?)
詐:「浮いているだけなんで、釘で打ち付けられてるんですけど、踏んづけるだけで直りますよ。」
増:「あそうなんですか。うちは〇✖▽ハウスにお願いしてるんで、そちらに連絡してみます。
ありがとうございました。
ところで、古館さん(仮名)と言ってましたが、どこのお宅ですか?」
詐:「あのトンカツ屋の2軒隣の、...ほらあそこの古館さんで、アンテナの撤去作業してたんです。」
増:「えっ、あそこは大館さん(仮名)ですよ。(あそこのお宅も以前からケーブルテレビのはずだけど??)」
詐:「あ、そうでしたそうでした。大舘さんです。」
増:「ま、とりあえず、教えて頂いてありがとうございました。」、ペコペコとお礼のお辞儀を。
詐:「いーえ、もし何でしたら、言ってもらえれば直ぐに屋根に登りますので、言ってください。」
増:(良く知らないあんちゃんに家に入らせたり、屋根に上らせたりできないし、
ただでとも言いにくいし、〇✖▽ハウスの瓦谷さん(仮名)に電話しよう。
...
増:「瓦谷さんいらっしゃいますか?実はこんな...忠告を受けたもので、
瓦谷さんに直接電話したのですが出られませんでしたので、
そちらに電話した次第です。」
0120:「瓦谷は外に出ておりますので、増田様に電話するよう申し伝えます。」
増:「では、お願いします。」
...
10分後
瓦:「もしもし、瓦谷です、増田さんご無沙汰しておりまーす。」
増:「お世話になっております。」
瓦:「増田さん、屋根がひらひらしてるって、大舘さんのお宅の事ですか?
それとも増田さんのお宅の事ですか?」
増:「私の家のことです。」
瓦:「いや実はね、大舘さんからも屋根がどうのこうのって電話が入ってるんですが、
それとは違うということですね。」
増:「えっ!?大舘さんの所で作業されてた鳶の方が、私の家の屋根の事で、
伝えて来いって言われて、それで私の家に知らせに来たと言ってましたが。」
瓦:「うちの会社には、大舘さんの屋根が壊れていると忠告されたと、
...
...
んー、それね、新手の詐欺のようなんです。
良かったらすぐ直せるから登りましょうかって言って、
じゃあお願いしますというと屋根に上って30分位?、一服してきて、
2、3万位請求して帰るんですよ。
2、3万って払えない額じゃないじゃないですか。そこを突いてくるらしいんです。
増田さんの様にその人には頼まないで、うちの会社に電話してきた人の家に実際に行ってみると、
屋根は全く壊れていないんです。
そんな問合せが数十件、いや百件以上かもしれない、この市内で凄く多くなってきています。
ただ一回だけ、本当に少しだけ屋根が壊れていたことが有りましたが、
ものの1分で直るような軽微なものでした。そんなことも有る事は有りましたが。
...
とりあえず後で増田さんちに行って、屋根に上ってみますよ、気持ち悪いでしょうから。」
3、40分後、
瓦:「お待たせしました。」
増:「すいませんね、お忙しいところこんな用事作ってしまって。」
瓦:「いやいや、そんなことありませんよ。」
...
瓦:「いやいや、全く問題有りませんでしたよ。
良かったですよ、増田さんがその詐欺師にお願いする事が無くて。
それじゃこれで失礼します、大舘さんのお宅にも説明しときますので。
では...」
増田諸兄もご注意を。
ワイはうちの屋根で発電して余った分を売ってるやで
ツイッターで頭がQな人たちがどう見ても元ゴルフ場のメガソーラー写真を挙げて発狂してるけど、同じ認識のバカがはてなにもたくさんいるようなので誤解を解いておこう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220619071300
まず前提条件として、元増田は東京都の屋根に太陽光パネルを乗せる話をしてるのであって、メガソーラーの話はしてない。ただ、全く関係ない話を持ち出して発狂するくらい山が削られるのが我慢ならないようなので、ここで誤解を解いておく。簡単に要約すると、メガソーラーのためにわざわざ山は削ってない。なおこれから話すのは数十MWクラスの本当のメガソーラーの話で、田舎の裏山で地主がやってるようなせいぜい数KWのキロソーラーの話はしてないぞ。
ググったら一番目に出てきた2020年メガソーラーランキング、トップ10をそれぞれどういう土地か見ていこう。
https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00007/00023/?ST=msb
太陽光パネル税で有名になったところ、日本一だったのか。ホームページを見ればわかるように、リゾート施設の計画跡地やゴルフクラブのコース跡地で、メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.trinasolar.com/jp/resources/success-stories/pacificoenergy
塩田跡地。山ですらない。ホームページによると「東西約2.8km、南北約1.8kmにわたって広がる総面積約500ヘクタールの錦海塩田跡地」「この広大な土地と日照に恵まれた気候を活かし、日本最大級となる太陽光発電所が2018年10月1日より操業を開始しました」
http://www.setouchimegasolar.com/project/index.html
地図と写真を見ればわかるけど、ここも海沿いでそもそも山じゃない。いわゆる遊休地。
海沿い。いわゆる遊休地。
元ゴルフ場。「本事業用地は30年以上前にゴルフ場建設計画が中止された土地であり、地元において長らく有効活用が望まれていました。」メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.kyocera.co.jp/news/2020/0405_deks.html
元ゴルフ場。同じ名前のカントリークラブの破産報告があった。メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.mmjp.or.jp/tubaki-golf/newsfail/2016/0817-cherrylake-golf.html
元ゴルフ場。「もともとゴルフ場を建設する予定だった140万平方メートルの土地を転用した。」メガソーラーのために山は削ってない。
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1504/01/news029.html
北海道のメガソーラーはどこもそうだけど、いわゆる遊休地。メガソーラーのために山は削ってない。
臨海工業地帯。山じゃない。
以上、メガソーラーのために山を削った案件は一つもない。大体ちょっと考えればわかるだろう。山を削るのはただじゃないんだよ。一方で、ゴルフ人口の減少やそもそも人口減少で、ゴルフ場は潰れまくってる。元ゴルフ場はいい感じに整地されていて、ミスショットが飛び込みそうないい感じの調整池までついてる。ちょっと考えればわかるだろう?山の中に巨大なメガソーラーがあったとして、どういう土地がメガソーラーになってるかなんて。
実際に山を削った案件があるかもしれないから認識をアップデートしろとまでは言わんが、メガソーラーと全く関係ない話で発狂する前に少し考えろ。
詳しい増田さんが何人もいるようなので内情はよくわかっていると思うけど、
昨今のコロナや戦争の影響で、今ソーラー関連の事業者はなかなか厳しい状態なのである。
彼らは海外からパネルを仕入れるのももちろん、設置場所への設計から工事などなど、まぁつまりは稼働するまでの責任を負う。
ハウスメーカーがソーラーを乗せる場合にも、ハウスマーカーから各業者に発注する流れとなる。
もちろん価格はソーラー専門会社がハウスメーカーへ見積もりを出して、そこに上乗せして客へ提示される。
で、ハウスメーカーにとって今問題になっているのが仕入れ値の上昇である。
戸建てでは契約から引き渡しまでは1年ほど時間はかかるが、基本的には契約時の見積もりがベースになり、そこにオプションがどうのこうのなった金額が最終見積もりとなり請求される。
のだけど
コロナ禍と戦争があるこの一年で、仕入れ値が据え置きなんてことはもちろん無いわけである。
とある業者は、ソーラーパネルの仕入れ値が倍になってしまったので、某ハウスメーカーにも相談しているが、交渉は難航している。
ちなみにこの某ハウスメーカーには、個人的に戸建て建築で相談に行ったこともあるが、営業マンいわく「企業努力で価格の上昇は抑えている」とのこと。
FITと設置費用の相関については多くの人が知っての通り、パネルの仕入れ値は年々安くなり、それと同率でFIT買取価格も下がっている。
つまりは、設置してFIT期間の10年で設置費用が回収できるように、販売価格が調整されている。
しかし、これまでのパネル仕入れ値の下げ幅と歩調をあわせてきたFIT買取価格であるが、昨今のコロナ、戦争の影響による仕入れ値爆上がりには対応してくれていない。
そうなると、ソーラー設置費用を上げることはできない。(回収までに15年とか20年とかになってしまうので)
で、じゃあ誰が企業努力してがんばるのかといえば、俺の観測範囲ではソーラーの設置業者である。
ハウスメーカーは値上げを飲んでくれない、個人宅への後付でも、10年で回収できないのであれば見送るということになるので、
利益なんてほとんどない状態でやらざるを得ない状態が続いている。
もちろんパワコンも不足しているし、それらがすべて揃わなければ納品完了にもならないので請求もできない。
戦争前から大変だったけど、戦争始まってからはもうホントにお手上げ状態。
この状況がいつどのようにして落ち着くのかはわからない。
ソーラー事業者を守るためにはFITの価格を引き上げるか、FITの期間を10年から15年に伸ばすかなどしかないが、まぁ現在は守るべき対象の業種が多すぎる問題もある。
メガソーラーで評判を落としてしまっていることも足かせになっているのかもしれない(憶測)
いずれにせよ、ソーラー事業者にとって、これまでハウスメーカーは味方で大事な取引先だったわけだけど、
これからはどうなるのかわかりませんよ。
現状ではやればやるだけ赤字ですよ。
もしかしたら、新築住宅への設置義務が、歴史の浅いこの業界を潰す一手になるのかもしれませんよ。
うちはソーラー設置しないことに決めたのでどうでもいいです(土地の問題、北側斜線で結構削られちゃうので、それなら別にいいかということで。)