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はてなキーワード: 合唱とは

2021-04-19

理由があって外国人の子供4人と同居するようになったのだが。

理由があって、外国人の子供(欧米系)4人と同居するようになった。

から、中2、小6、小1、2歳だ。

で、うるさい。

すごくうるさい。

眠れないほどにうるさい。

奇声を中学生以外の3人が常に上げている。

「くけええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

と必ず奇声を上げる。

声変わりしていないクソうるさい声で。

「やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「ひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「くえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

と3重合唱である

超うるさい。

しか夜遅くまで起きて、朝早く起きる。

朝の六時には、

「くけええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

叫びだす。

鶏かよ。

会話をするときに必ず、

「ぎょああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

叫び、身振り手振りで暴れだす。

おかげで、朝眠れねえ。

めちゃ眠れねえ。

寝不足である

2021-04-09

なんで弱者男性議論は女に矛先が向かうんだ?!

なんで?

給料を上げろ!派遣廃止しろ税金下げろ!休日を増やせ!家賃補助しろ累進課税強化しろおおおおおおおお!柳井死ね!の大合唱になってないとおかしいやろ。経営者政治家がニッコリしてますやん

不景気になったら韓国叩かせる(韓国はは日本を叩く)の男女版じゃん。目をそらしてる場合じゃないし、そらされてることに気づけよおおお

anond:20210409102501

性的に満たされたいってのは何割くらいがそれを弱者男性の苦しみのコアとしてるんだろうな

あてがえなんて言ってないって大合唱見るに性的なところって実はそんなポイントじゃないんじゃないの

2021-04-07

anond:20210407170118

いっぱいはいないだろ

何ページめくっても「唱えてねーよ」の大合唱で、その中に紛れている(かもしれない)ほんのわずかな書き込みを見つけ出さないといけないレベル

で、それほどまでに一部にすぎないのなら「そんなやつ非難して無視する以上にわざわざ論じる必要ある?」ってことになるんだけど

2021-04-06

彼女が欲しいとき方策

前提としてセックスのみとか逆に結婚までってのをまず切り離して考えて「付き合う」って話のとき

彼氏に求めるものは優しさ、というアンケート結果に対して嘘だなんだイケメンに限ると言う向きを観測したので、それはそんなことねーと思うな、ってことを書きたい。

まず容姿入口難易度を決める。例えば同じ部活サークルなどで否応なしに何度も会う関係ならここはあまり重要にはならない。バスでたまに会うとかだとブサはちと厳しい。そういう意味で、コミュニティへの参加は非常に大事

優しさってのはマジ回答だとは思うが、これは付き合った後の継続率にかかる部分と考えている。

付き合うにおいて2つ大事なところ、1つ目は尊敬できるところがあること。それが優しさでもいいんだが、なにか特技があるとかそういうことでもよいし、分け隔てないとかでもよい。他にも例えばクラス合唱(今はない?)で男子に対して頑張ろうよ的なアプローチ継続してるとかでもよい。人を動かすような器でなくとも、ひたむきであることは見てくれている。

2つ目は所謂相手普通に接する」こと。コンプレックスはあっても良いが(というかあるのが自然)、それで引いたり逆に押しすぎたりしない。緊張しても問題はないが、取繕おうとはしないこと。

結局選んだ者に選ばれるってのは非常に難しい(たまに狙った獲物は逃さない者もいるが、別世界と考えるべき)。選んだ者に選ばれないことについては諦めは必要彼女が欲しいということを意識しすぎず、一人に固執せず。一人に固執するとどうしても恨みが出る。それは悲しいがマイナスしかならない。それができれば誰も全く寄ってこないということはないはず。もちろん、そもそも人がいるところには行かなければならないが。

2021-03-25

anond:20210323120444

だよねえ

なぜか「DVされるから女性もしっかり働いて経済的に自立しようね!」って大合唱になるんだよなあ

2021-03-22

注目エントリこち

九、ジョバンニの切符きっぷ

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオ観測所です。」

 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイア黄玉パースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。

「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき

切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌ちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。

「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さなねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着ポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。

何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。

「よろしゅうございます南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

 カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」

何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。

「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラぼんやりそう云っていました。

「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」

「ああ、僕もそう思っているよ。」

「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。

何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラ不思議そうにあたりを見まわしました。

「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。

 そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。

「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。

 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。

「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたし大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」

「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」

 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。

わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年男の子ぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分だんだん顔いろがかがやいて来ました。

あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。

「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学はいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」

 そこらからさないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。

(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 燈台守がなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

 青年が祈るようにそう答えました。

 そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。

 ごとごとごとごと汽車きらびやか燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっとうからときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。

いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。

「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」

 ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラ

ありがとう、」と云いました。すると青年自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。

 燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。

「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」

 青年はつくづく見ながら云いました。

「この辺ではもちろん農業はいしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束くそくになって居おります農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」

 にわか男の子がぱっちり眼をあいて云いました。

「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」

「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。

ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」

 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。

 二人はりんごを大切にポケットしまいました。

 川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。

 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。

 だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。

「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子叫びました。

からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なくしかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。

「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。

 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。

 そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音もも汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。

「あ孔雀くじゃくが居るよ。」

「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。

 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。

「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。

「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず

カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。

 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗おろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラ指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまり鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わずからからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。

「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。

「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。

「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。

「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。

「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。

わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。

(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20

2021-03-21

多様性大事」と叫ぶ同僚が私立中受験させるらしい

普段から日本には多様性が足りない」とか「LGBTQの受容が足りない」とダイバーシティーあふれる台詞を好んで使う女性人事部の同僚と

最近ランチに行ったところ、どうやら子供中学受験させることを考えているそうでなんでも都内私立女子校に通わせたいそうだ。

理由を聞くと「一緒に学ぶ生徒のレベルが高いかおかしな方向に進まないはず、公立中学なんて変な生徒がいっぱいいるし」と言っていたのだがそこに違和感偽善性を感じた。

自分の子供をよい教育環境で育てたいという気持ちもっともだが

普段から多様性だのダイバーシティーだのLGBTQだの声高に叫び人々に倫理性を問うている人が

自分の子供には本物の多様性性別の異なる人の交わる公立の共学中学に通わせず

均質性の高い一つの性別しかない学費の高い私立学校に通わせるというのはあまり偽善的だと感じる。

自身公立中高を経て東大卒業した身だけど、公立中学というのは学者の息子もヤクザの息子も発達障害ゲイっぽい男子も男勝りの女子中国人ポルトガル人もごちゃまぜで学び運動合唱喧嘩

そしてそこからおそらく一生交わることのない世間へそれぞれ旅立っていく環境なわけで、僕はあそここそが多様性のかたまりであり、多様性の良さも悪さも本質も詰まっている環境だと思うし、割と好きだった。

しかし、そのような真の「多様性(縦の多様性と誰かは呼んでいた)」から自分の子供を守る一方で、綺麗にコーティングされたリベラルな「多様性(横の多様性)」だけを享受させたいという態度はあまり偽善的だと感じる。

「LGBTQを受容しよう」と叫びながら、自分の子供は一つの性別しか存在しない学校(これって前時代的では?)で学ばせる。

そんなのは男女平等叫び人々を糾弾する一方でデートでは男性に多く出させる自称フェミニストと同じだし、そんな人はフェミニスト自称する資格はない。

公立中学動物園だと呼ぶのは結構だが、一生「多様性大事にしよう」などと同じ口で叫ばないでほしい。

ダイバーシティー大事だと皆に押し付けるなら子供にも真のダイバーシティーを味わわせるべきだし、

男女平等大事だと声高に叫ぶなら女性だろうが自分の身銭も平等に切るべきだ。

人権問題に熱心な企業なら自分たちの権益にも関わる真の重大な人権侵害にも声を上げるべきだ。

自分の身は守りつつ他者のみを啓蒙倫理的な高みにあろうとする高貴な方々が僕は本当に嫌いだ。

これも僕が公立中学出身からなのかもしれない。

2021-03-12

庵野庵野ってウルセェな

オタク趣味権化みたいな庵野秀明氏の作り出したエヴァンゲリオン

元々のオタクとはどんなものかというと、まず漫画アニメ特撮ものが大好きで、SFが大好き。

まりリアルをあまり受け入れたくない人たちの集合である、と私は思っている。

今とは違うが、二十年以上前20世紀の間は、アニメオタクというのは明らかに差別されていた。

かくいう私は、そんなにオタクではなかったが、ちょっとでもアニメの話をしようものなら、友人に「虹オタ」とバカにされた。

そんな時代があったのである

ちなみに私は富野派ではなく高橋良輔派であり、ボトムズに一生添い遂げる気分である。すぐ「むせる」とか言ってくる輩はボトムズバカにしてると思う。ボトムズこそ真の神話伝説アニメである

 

から、わかる人にはわかると思うが、エヴァンゲリオン最初は好かんかった。

要するに、アニメ的に女々しいからだ(女々しいという言葉自体最近は躊躇われるが、単純にアニメ女という色が好かんというだけである)。

男っぽいアニメからボトムズが好きなのではない、媚びてないから好きだったのである

対してエヴァンゲリオンは明らかに媚びモノだった。

レイアスカミサト、リツコ、マヤマリ(は新劇場版だけど)などの女性キャラは、明らかにありとあらゆる一般的オタクを取り込もうとするイカガワシイものに写った。

なので、ボトムズ派でエヴァ好きには悪いが、真のボトムズ派であった私はエヴァなど毛嫌いしていたし、虹オタと呼ばれるのも嫌だったから決して近づかなかったのである

でも、あれだけ20世紀の終わりに大ヒットを飛ばしているのを横目にしていると、どうしたって気にはなっていた。

 

そして時は過ぎ、世間ではあんまり誰もエヴァを言わなくなった頃、蔦屋DVDレンタル半額セール開催中とポスターを見て、半額ならいいかTVエヴァDVDを全部借りて一気見したのである

 

負けた、と思いましたね。

大勢の人がいろんな事を言いますが、私は単純に「とても面白かった」のです。当然ですが、25・26話の非難殺到だって、私の時期には既にAIRが出てましたので問題ありませんでした。

ロンギヌスの槍がどうとか、ゼーレだの、ガフの扉だの、人類補完計画だの、何がなんやらさっぱりわかりませんでしたが、何度も何度も繰り返し見ることになってしまいました。

とにかく、単純に「面白かった」からです。

個人的には、自分自身の父との関係と、シンジゲンドウの関係がなんとなく似ていて、共感を感じる部分もありました。

まぁでもそんなに深く考えずに、とにかく面白いと、ハマったのですけど、やはり色々と意味がわからない点が多く、本やネットを調べ始めていたのですが、謎解きはそれなりに興味深いのですが、ある頃から非常に気になる名詞が頻発することに気がつきました。そうです……

 

庵野はこう考えている、庵野が言いたいのはこういうことだ、庵野人生観が、庵野はすごい、庵野は……

 

やたらと、「庵野」とばかり目につくわけです。

ボトムズ命の私にとって、実際、高橋良輔は素晴らしいとは思っていますが、高橋氏の考えなど正直どうでもいいのです。

これはガンダムでもそうだった、富野などどうでもいい。気になるのは、ボトムズならキリコであり、ガンダムならシャアであり、ランバ・ラルであり、セイラさんだ。

なのに、エヴァ庵野ばかり。

 

この理由の根源は、謎が多過ぎたからであり、相当考えない事には細かいストーリー意味がわからいからであり、結局そこで「庵野は何を考えているのか」に帰結させざるを得ないからでしょう。

それはわかるとしても、これが正直、私にとっては非常に鬱陶しい。

私はただただ単純にエヴァンゲリオンを楽しみたいだけです。どうでもいいのです、庵野など。

今回の新劇場版だって、存分に楽しみましたが、意味がやはりわからないので、Qとかになると頭の悪い私などはネットで調べたりせざるを得なくなるわけです。

すると当然のようにまたそこで「庵野」の大合唱です。

そして、シン・エヴァンゲリオン鑑賞。

 

正直、noteブログ記事は鬱陶しいのレベルを遥かに超えて「庵野祭り状態。なんなんでしょう?

今回もまた、映画館で存分にエヴァを楽しみましたが、やっぱ気になるじゃないですか、世間評価ってどんなもんなんだろうって。

でも見たら「庵野」だらけ。

 

どうして多くの人は映画単体を単純に評価しないのでしょう?

もっとも、私も絶賛というわけではありません。

一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。

AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。

でも、それ以外はめっちゃ面白かった。

 

なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚たからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野オナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。

 

わかるよ。君たちは自分エヴァアニメ作れないもんだから庵野さんに託したんだ、きっと。庵野さんならきっと自分を満足させてくれる、と。

ところが、その期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込みが強烈になり過ぎたのでしょう。

だって、これがラストなんだから

 

別にいいけどさ、映画だけを純粋に楽しまのん? とどうしても思ってしまう。

とにかく、庵野庵野とやたら煩いのはどうなん?

だったら、自分で書けよ、出来んくせに。

2021-03-08

合唱の歌現象

なんか学校合唱の歌って、最初配られた時はなんとも思わないのにそのうちすごい好きになってこない? 英語の授業で歌う歌とかも 

私が勝手合唱の歌現象と名付けているんだけど正式名称はあるのかな

2021-02-26

72歳の母が合唱練習にいくそうな

大阪で。もう緊急事態宣言も終わるし、会場も貸してくれるからって……

せめてワクチン打ってからにすりゃいいのに

2021-02-23

私は民間企業を知らない

 私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市市役所で働いている。

 私立大学文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待海外出張テレワークも何もかも知らない。

 「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員ノルマがないヌル仕事」「公務員民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わずクレーマーにも笑顔で耐え、上司無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向から生還した。

 公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。

 そんな私だが、最近民間企業の同年代女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。

 私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。

 グループ女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間総合職女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、

公務員なんだね。やっぱり住民票を出しているの?」

と聞いてきた。私は微笑み、

公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」

 とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。

 ワークショップテーマ地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生実態課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。

 1人の、某携帯キャリアマーケティング職の女性が口火を切った。

地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」

 画面の中で、みんながいいねいいねと頷き合った。

「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方課題解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」

 私が尋ねると、マーケティング彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ企業研究職の女性だった。

地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」

 再び、いいねいいね合唱が響いた。

「確かに高齢化が進む地域子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」

 私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカー広報担当女性が、やや苛立った様子で言った。

「そんなの地方お金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」

 残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカー彼女に続いた。

「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」

「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」

 みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間スピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、

地方自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄り都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」

 と答えるのがやっとだった。

 その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちグループ地方のお年寄り都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォーム製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り子供子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体出資するシステムである。「民間スピード」に、私は口出しをすることができなかった。

 

 私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人仕事しか知らない。根っから公務員だ。なので、民間企業社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかに絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。

 だけど、地方年寄りzoomで見ず知らずの子の子守りをするサービス企画書に、いらすとやイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。

 

 ワークショップ淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京企業に勤めているので、週末リアルで会うそである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。

2021-02-20

言葉を介したコミュニケーションが苦手だけど、

合奏合唱を通したコミュニケーションは好きで、中学では吹奏楽高校では合唱をやってた。

でも、大学社会人サークルだと、練習合奏以外に付き合いで色々参加しなきゃいけなかったり、

参加してるそれぞれの意識の違いがあったり、

何かしら言葉によるコミュニケーションを求められることが多くて全然続かない。

辛い

皆でこの貧乏くじを女性に引かせろ!って大合唱してたのに

世論()迎合して引かせたら女性貧乏くじを押し付けた!ひどい!の大合唱

責任ある立場女性推挙されにくい理由まさにそういうとこやぞ

2021-02-19

anond:20210219204608

北海道出身だけど奈良田舎に行ったときは蛙の大合唱にびっくりしたよ

あと竹藪ってのを生まれて初めて見た

2021-02-15

anond:20210214105151

南米に行って道端でチーノチーノと囃し立てられて吊り目ポーズで後をつけられる、誰かがチーノと囃し立て始めると周りもチーノチーノの大合唱自分以外はみんな爆笑和気藹々、とってもハートウォーミング、てのをたっぷり堪能してから、まだ不謹慎差別ネタウケる楽しい、ぜひみんなと共有したいって思うのが楽しいかどうか考えたら。

2021-02-08

つの時代も人は突然右翼に目覚めるが、予防方法はあるのだろうか?

逆に小学校の授業で「ナチスごっこ」の時間を作ってしまったらどうだろうか?

その授業の間だけ皆で「天皇最高!無能死ね!この国を滅茶苦茶にする韓国を許すな!」って大合唱させる。

授業が終わる5分前に「いやー皆おつかれ。今日バカバカしかったな。本当右翼ってアホやわ」って反省会する。

どや?

これが俺の考えた「マスダ式思想ワクチン」や。

社会学者ども、パクっていいぞ?

ただし「マスダ式」の名前は残せよ。

後半部分は「マスダ式スーパー逆張りタイム」とかに勝手に変えてええで

2021-02-06

anond:20210205102112

本当に屑なのははてなスターで人気コメントソートする機能実装したはてなだよ。

怒りをブーストする事でPVも伸びる。在りし日のまとめブログと同じレベルエビル。

昔はスター順でソートする機能はなく、あくまコメントに星が付いているに過ぎなかった。

これをランキング化することではてブおかしくなった。

ちなみにランキング2018年10月に一度機能が停止したが、見にくい使いにくいの大合唱

https://anond.hatelabo.jp/20181031111643

はてな民ははてな養分

2021-02-04

ネトウヨの国

日本はすでに嫌中嫌韓が強固にインストールされてしまっている。大半のマスメディアもそれを前提に報道している。ここ20年を日本で過ごした日本人にもそれが当然だと思っている人が多い。何もなければ自然にそのように育つ。特にその傾向の強い書き手が多いライトノベル漫画を愛好して育つ層では顕著だ。インターネット言論環境でも嫌中嫌韓がほぼ押し勝ったとみていいだろう。むしろマスメディアより先行していた。中高年ではネットで真実を知ったと思っている人々が多くいる。その人たちは社会要職についていたりする。例えばマスメディアで。例えば教育現場で。等々。しかし皆そろそろ中国韓国の話ではなく足元の日本ボロボロになっていることに気が付き始めた頃だ。けれども先程言ったようにマスメディア要職にいる人たちはネトウヨから日本ボロボロなことは直視できない。記者クラブという鉄壁のガードもあって日本問題が追求されることはない。いつまでも中国韓国些細な失点を追求し続ける。今では新型コロナウイルス対応に手間取っている欧米諸国槍玉に上がる。もはや日本語で語られるものを追っていては日本の実情を把握できないようになっている。日本という国がなくなるまで「文句があるなら日本から出て行け」の大合唱が続く。未来は無い。

電車に「吊革」ってあるじゃん

電車に「吊革」ってあるじゃん

そっか、あるわけないか。ごめんごめん。

じゃあ、仮に有るものとして聞いて欲しいんだけど、今日乗った電車の吊革は本当にひどかった。

最近コロナの影響も何のそので、通勤電車の混雑がまたひどいけれど、今日座席に座るどころか狛犬ポジションも取れず、

やむなくドア前の吊革を掴んで、押し合いへし合いする車内の圧力に流されまいと思ったんだ。

ところで、吊革で身体を支えるときって、その輪っかにほんの指先を絡めるだけでいいのに、

なぜか手全体まで力が入り、自然とグーの形になってるんだよ。知ってた?

そうだよな。俺も今日まで気づかなかったわけよ。

車圧の苦痛に耐えるので精一杯だから、手がグーだかパーだか考えてる余裕なんて、まあ無いわけで。

でも手汗は気にしろって?

それはともかく、なぜ気づいたかというとな、今日の吊革はゴムみたいに伸びてさ、そのグーの手が、そのまま吊革の下に居た通勤友達の頭にゴーンって当たったんだ。

人間ってとっさの場合、本当にイテッって言うのな。わりと無口な奴なのに。

いや、グーの手というと、まるでこぶしで殴ったかのように聞こえるダメ絶対だが、それは心外

吊革を掴むと手首は下側になるわけで、正確には、手の付け根のわりと硬い部分でゴーンっていったわけよ。

まあ、グーで殴るよりひどいか

とにかく、人間の頭って強打した場合、本当にゴーンって音するのは新発見。♪ゴーン

というか、あんな手の硬いところで重力加速度のまま叩かれたら、たしかに痛いだろうことはよくわかるけど、

まあ、まさかまさかで吊革がゴムのように伸びるとは思ってなかったわけよ。ビヨンビヨーンのダッダーンなわけよ。ひとりエキスパンダーなわけよ。

から、つい思わずププッって吹き出し笑いしちゃった。通勤友達もそれに吊られて一緒にププッ。

乗客みんなもそれ見てププッププッ。君もププッププッ。

そして、証拠を見せるごとくに吊革を2、3回ビヨンビヨーンさせては通勤友達も大いに納得。

乗客たちも笑いに包まれて、混雑で殺伐とした車内に温もりが生まれた。愛が生まれた。

しかし、それでも代わりの吊革を誰も回してくれないわけよ。ゴムゴムの吊革じゃ、通勤の嵐に耐えられないわけよ。

思えば、「嵐は愛に気づくために吹いてる」のだから、本当の愛には嵐が必要なんだね。おードリーム

とにかく、ゴムゴムの吊革じゃ満員電車というウェーブに立ち向かえない。

それに俺、身長が160cm無いじゃん。いや、今さらまじまじ見なくても。

から、吊革の上にある鉄パイプを掴もうと思っても手が届かない。

まり、ひとりパイプフィニッシュ排水口じゃなく俺が手詰まり

このままじゃカーブで、コロナ対策で全開の窓から車外に飛ばされてしまう。

しかしだ。狛犬ポジションも取れない車内の混雑具合が、このときばかりは功を奏す。

ここで、予備知識として群速度と位相速度の話をしよう。

難しい話は聞きたくない?

そんなことがあろうか、いやそんなことは…え、いやそんなこと…いや、じゃあスキップしよう。

とにかく、車内の密密具合が波動と同じ働きをもたらしたってこと。

まり、先のププッとした笑いは車内の先頭部と最後部まで、すなわち運転手車掌までウエーブのごとく伝達し、笑いの位相速度は電車の群速度を越えるのだと目の当たりにしたのだけれど、

それくらいぎゅうぎゅうに詰まる人間圧力というウエーブにゴムゴムの吊革で、足元おぼつかなく立ち向かう俺の危機感は伝達しなかったようだ。

くせの強い車掌は車内放送で俺の救済を強く呼び掛けてくれよ。

「吊革にお捕まりください」どころじゃねぇんだよ。まあ手錠みたいな形だけれども。

今はむしろ劇団ひとりエキスパンダーなんだよ。

仕方なく圧力波なるウエーブに身体の一切を委ねるも、いつもの吊革のようには踏ん張りが利かないから、その振幅には吐き気と新たなイベントを催すほど。

仕方ないので、危機感通勤友達に伝えようと、心もとないゴムゴムの吊革をできるだけ伸ばし、ゴム鉄砲のように友達の頭を狙うわけだが、

吊革をビヨーンと腕がちぎれるほど伸ばすと、吊革が鉄パイプから外れる。その勢いで電車の天板も外れ、酸素マスクが落ちてきた。

またのまさかまさか飛行機の墜落イベントよ。

当然、電車は急に減速する。いわゆる緊急着陸ってやつだ。

マッハ7と言われる高速からディスクブレーキが働き、人圧がウエーブとして身体ごと前傾する中、

くせの強い車掌さんことキャビンアテンダントは、車内放送で衝撃防止姿勢と車内設備を教える。

前傾姿勢を取り、顎を引き、頭を前の座席に付けるとのことだが、俺には座席どころかゴムゴムの吊革しか無い。

こんな吊革が何の役に立つんだ!いや、人生において役に立たないものなど無いはずだ!

とりあえず顎を引き、前傾姿勢についてはディスクブレーキの勢いでみんな100点。スリルも満点。

あと、禁煙車は3号車らしいが、酸素マスクがあるからどうでもいいわけで、さっそく酸素マスクを身に付けよう。

そう。知ってのとおり「酸素マスク」とは、酸素で作られたマスクだね。

空気イス」と同じ意味合いだとは、なるほどわかりやすい例えだね。

しかし、広義には酸素放出するマスクを含むんだ。

それでもさすがコロナ禍と言うべきか、周囲を見ると、マスクをしたままその上に酸素マスクをつける奴が居た。

しかしそれはまだマシな方で、酸素マスクの上にマスクを付ける奴も居た。マスクマスクだった。

しかし、それは一見シュールに見える行動だろうが、理由の無い行動ではない。

与えられた酸素マスクはその広義性に本来意味を失わないよう、マスクのみなのだった。

もっとわかりやすく言えば、そこにあるのは酸素放出するマスク面のみで、それを固定する耳バンドは無かった。

まり、耳バンドを無くすことで本来酸素マスク定義酸素マスク酸素構成されたマスク)を片鱗でも感じさせる心憎いマスク

いや心憎いマスターことくせの強い車掌気遣いなのであり、マスクマスクはその車掌に対する返歌、

すなわちバンド代わりにマスクを使うという逆転人生な行動だったわけだ。

一方で、すっかり存在を忘れていた通勤友達には、だからか!と気付きが生まれたようだ。

吊革がゴムゴム製だったのはそれが理由だったのだ。

まりバンドが無かろうと、天板から外れたゴム製の吊革でマスク面を顔面に縛りつければよいわけか!

人生において役立たないものなんてないわけだ。上出来じゃないか

そんな天空の城もブレーキが効き始め、コロナ対策で全開になった窓から脱出できるくらいのスピードになった。

300km/hくらいかな。

直方向にね。いよいよ茶番は終わり、嵐のような風当たりの中を人がゴミのように脱出すべきときだが、

愛が生まれる代わりに、玉座の間こと窓の間からは何かが出ていくだけじゃなく、何かが入ってくる。

例えば、細かいゴミとかなんとかかんとか。

そうするとゴミは細かいからみんなの目に入って、大方の予想どおり「目が~目が~」の大合唱

乗客みんなの大合唱に、欲望という名の電車ならぬ、聴衆という名の車掌こと、くせの強い車掌は、

そこで大団円を感じて無料スマイルするわけだが、私と通勤友達も目の前が見えないもんだから

なんだかんだ有耶無耶ってなって、私だけ会社に無事到着。今日の昼飯は春を感じるしらす丼

ところで、しらすってさぁ、色合いも柔らかさもミニチュアの「吊革」みたいだと思わない?

って話から、こんな長々とした展開になったわけだけれど、もう昼休みわっちゃうよ?

そっか、電車に「吊革」なんて無いんだっけか。そうだったね。ごめんごめん。

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