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2019-09-09

忘れられない初恋の人の名前検索した話

もう10年以上も前の話。

中学三年生の私には好きな人がいた。

発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラス雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。

なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。

サマースクール話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からちょっと頭が良い学校名前が聞こえてきた。

怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。

残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。

特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。

その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。

夏休み後、真剣勉強に取り組むことになった。

不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校名前が出た。

志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。

頑張る理由が1つ増えた私は、さら勉強に励んだ。

妄想も、それはもういっぱいした。

彼の内申点学力から言って、彼が落ちることはない。

あとは私が頑張れば、その妄想現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。

塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。

試験会場には、もちろん彼がいた。

当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。

試験の出来はなかなかのもので、塾長から合格だろうと言われた。

安心した私は、受験から解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。

私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。

無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。

そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。

受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。

しかし、彼が来ることはなかった。

私は受かって、彼は落ちたのだ。

家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。

もちろん、嬉し涙ではなかった。

同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。

結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業

高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。

どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。

彼の進学した学校は、体育祭文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。

途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。

色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。

大学に入ってからも忘れることはなかった。

ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。

疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな

社会人になり、新たに好きな人が出来、付き合うことができた。

この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。

結局、当時の彼とは遠距離トリガーになり、振られてしまった。

相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。

忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。

当然、彼のことも懐かしむように思い出した。

すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー

それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。

変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。

そして、その勢いのまま名前検索した。

10年以上、忘れられなかった名前はすぐに打てた。

履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモード検索した。

すると、彼らしき人物がヒットした。

何やら本を出していたり、脚本家演出家をしているみたいだ。

作風を見る限り、本人に違いなかった。

彼の才能を生かす方面仕事で、私は嬉しかった。

それと同時に、何かスッキリした気持ちになった。

私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。

一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。

ようやく、過去過去認識できたのだ。

初恋の人の名前検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。

きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。

けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。

初恋の人の名前検索するのも悪くはないことが分かったので、ネットの海に漂わすことにする。

2019-09-06

倉庫整理してたら父親勝手に片付けた自分と妹のダンボールがあった

妹はでっかいの2箱分で小学校中学校までで1箱、高校大学までで1箱もあったのに、

俺のは小学校大学までひとまとめで小さいダンボール1箱

妹のはしらんが俺のはなかみてみたら文集とか寄せ書きがちょこっと

前々からわかってたしコレ以外でもちょくちょく思い知らされることあってそのたびに幻滅してがっかりしてそんな自分にまたショック受けるけどほんと妹ばっかかわいがるなら俺なんか有無んじゃねーよゴミと思う

全部捨てる

2019-08-31

40代既婚男が20代ピチピチ女子に恋をした

キモいだろう。

分かってる。キモいさ。でも、その子と会話していると、ファンタジーが溢れて止まらないわけ。

こんな女の子と一緒に青春時代を過ごしたかった。中学校でなんとなく知り合って、最初何気なく、でもお互い少しづ意識しだして、友達になって、恋愛未満の付き合いから発展してナントカカントカ。妄想がはかどってしょうがない。

こっちは40代既婚男。子供二人。二人を私立大学に通わせても何とかなるレベル収入がある。妻とは家庭内離婚子供らとは仲がいい。外見は平穏

相手20代の子趣味の場で出会った。もちろん独身。育ちが良い。年収には不満があるらしい。清潔で服のセンスがいい。それなりにモテそうな外見だ(地味目ではある)。

職場では偉そうにしてるオッサンが、娘に近いような年齢の子におずおずと話しかけて、ポーズ取りながら、話題一生懸命見つけて、会話に一喜一憂してるわけ。

でもまあ、所詮ファンタジーだし、別に誰にも迷惑かけてるわけじゃないからいいかな。これも人生の楽しみだ。とか思ってたんだけどさ。

この間、その子が同年代の男と話しているのを見てたら、愕然ですよ。

距離感めっちゃ近い。

相手別に付き合ってるわけじゃない。普通の「友達」。

お互いのLINE覗きあって「こいつどうなの?」「27歳だね」「上だけど、ありっちゃあアリだね」とか話してるわけ。

こりゃダメだ。絶望的だ。

だいたい俺、その子LINEでつながってすらいないし。(そういうことよ)

40の既婚おっさんが、20代女子との間を、半年から数年かけてようやく縮められるかどうかという距離を、同世代の男は一気に詰めてるよ。当たり前だよな。

40超えたおっさんの出る幕じゃねーよ。と思った。パパ活?そこまで小遣いに余裕はないぜ。

かに恋心を持って生きてやろう。キモい?知るか。墓場まで持って行ってやる。

あるいは、30代、40代女子に改めて恋をすることもあろう。その方がいいね

逆に、何かが始まったということかな。

そういうことにしておこう。

2019-08-30

自分ギフテッドだったらしいが確証がないので確証がほしい

https://www1.nhk.or.jp/gendai/articles/4320/index.html

確か中学校ときIQが150だかあるとか知能テストの結果を盗み見た同級生に言われた。担任には「結果を教えてほしい」と言ってもはぐらかされるばかりで見せてくれなかったのに。

これだけだったらなんの確証もないが、親から自分知能指数について話をされた。どうもそういう子供の行く特別学校があるという話をされたが、結論は「お前には普通の子供として過ごしてほしい」という感じに押し切られた。

そういう子供が行く学校、というのはよくわからなかったが、もしかしたら知能が低い方の子供が行く学校可能性もある。

自分は生きるのがいつも辛い。何を言っても「お前は考え過ぎだ」としか言われない。何か意見を言うと全力で否定される。質問をしても理解してもらえない。自分がなにか返答すると「お前はいつも分けのわからんことを言う」とブチ切れられる。

単に空気が読めないバカ可能性もあるし、発達障害可能性もある。トラウマがひどすぎてコミュニケーション疲弊している可能性もある。

今度WAISという試験を受けてみようと思う。

だけどできれば知能指数普通であってほしい。100が普通なんだっけ?その近辺でいい。これまでに受けた仕打ち自分生来属性によって起きていたとしたら「自分は一生そういう運命だ」と言われる気がする。なんか怖い。

だけど自分真実を知りたい。数字で知りたい。ギフテッドなのか、発達障害なのか、単なるバカなのかどうかをはっきりさせたい。自分の生きづらさの理由を少しでも良いから知りたい。

2019-08-28

anond:20190827195428

内申点絶対とか言いつつ、実質は相対なんがクソ

隣町のヤンキーが多い中学校だと週3しか学校行ってないようなやつでも成績5なのに、俺ががんばって90点取っても3なのはおかし

同じ市の公立中学校だぞ

先生文句言うと5の人数は決まってるからつけられないとか言ってたけど、成績良ければ全員が5ついて、悪ければ1つくのが絶対評価じゃないのか

テスト満点でも公立トップ高には行けなかったので,内申点関係ない高専行ったわ

2019-08-27

人に褒められる妄想ばかりしてしま

物心ついた時から、誰かに褒められたり自分特別存在になる妄想ばかりしている。頭の中に隙間ができれば必ずそのことを考える。

最近でいうと街で困っている人を助ける、難しい仕事自分裁量でやり遂げる、転職成功して大活躍する、などなど。共通しているのは、困難を克服して成果を上げること、どのシチュエーションでも目撃者がいることだ。それも私のことを知っている人が現場を見ていて、一目置いてくれる、評価してくれる。

認められたい気持ちがあるのは分かっていて、実際に人に褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。誰だって認められたい気持ちはある、人並みのことなのかもしれないが、あまりにも執拗に常にそればかり妄想してしまうので、何かあるんだろうと思い始めている。最近は私がシングルマザーとして立派に子どもを育て上げて周囲に認められたいがために旦那に死んでもらうのもいいかなとまで妄想している。

小さい頃はよく褒められた記憶もないけど、褒められなくて悲しかった記憶もない。両親は生真面目な人たちで、これから時代は女も男と同様に自立できるようにと育ててくれた。私自身も真面目な性格なので突飛なことをしなかったからかもしれないが、基本的放任で何でも好きにさせてくれた。小学生の頃、青や紫のスニーカー男の子用のマウンテンバイク自分をボクと呼んでも咎めなかった。部活習い事自由だったし勉強強制されたことはない。夜更しして勉強していると早く寝ろと無理矢理消灯させられた。

一般的に見れば恵まれ人生だ。勉強中学校まで学年トップ高校進学校旧帝大卒業して都内大企業に入り結婚して子どもを二人産みやりたい仕事を続けている。全て自分が望んだことの結果だ。

なのにどうしてこんなに褒められたくて認められたくて一目置かれたいのだろう。親子関係に原因があるのではとずっと考えていたが、書いてみると人並みだ。他に原因があるのだろうか。

anond:20190827153528

君がね。

中学校程度の国語の読解力があれば、「逃げ回ってる」「揚げ足取りであることは容易に理解できる。

anond:20190827004126

最後が切れたので追記する

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今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同罪だし、あれはクラス全員が共犯者だった」と言った。

「”聲の形”のようにYさんを今から救うことはできないし、許されることもないし、反省して何かを学び取るしかできることはない」と言った。

あの時、だんじりから転げ落ちた私を見た人たちも罪悪感を抱えているのだろうか。そうなのだとしたらそれも狂気を止めなかった私のせいな気がする。

B中学校出身いじめをしていた人間は罪の意識に苛むことはあるのだろうか。何もなかったようにのうのうと生きているのだろうか。

どこかで偶然遭遇したとして、Yさんは私から謝罪が欲しいだろうか。楽になりたいと思う私のエゴだろうか。

こういうことは忘れてはいけない気がする。だからまた”聲の形”を見る。

私は今、何をすることができるだろうか。贖罪とは。

聲の形”を見て思うこと

私は小学校の時にいじめ主犯格になった事がある。

最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。

昨日何度目かの視聴をした。

かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。

なんというか、人間記憶主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。

ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体あやふやになる。

少しぼかして書いていることもある。

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私は小学生の時に学級カーストトップグループにいた。

クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。

何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。

喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我しょっちゅうしていた。

自分小学校教員であれば面倒を見たくない存在だった。

私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。

そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。

男の子女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲーム好きな人ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。

カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。

小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。

5年生のクラスメンバーには1年生の時から友達も3年生から友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。

登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。

いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)

私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。

初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。

とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動のものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。

当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。

また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプ女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。

要するにやりたい放題のガキ大将キャラだった。

クラス替えをして、全然知らない、普段かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。

多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人対応をできるわけがない。

しかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。

幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。

後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくま個人間の諍いであった。

私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。

給食時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分牛乳を配膳した。

大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。

当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。

1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。

周囲が異変に気付き始める。

「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初きっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているかこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名命名した。キャッチーあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。

しばらくしてクラス人間が真似をし始めた。地獄の始まりである

子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪判断がつかないまま真似をする。

「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。

「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。

かくしてYさんはスケープコートへと転がり落ちた。

当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティ破滅に向かう。場面場面でお調子キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団いじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。

「〇〇菌」

誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめ様相と化した。

ランダムペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。

愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。

今日今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。

しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやか小学校時代をぶち壊した。

わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキル相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。

勿論「つもり」が許されるいじめなど存在しない。

私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。

これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気ムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。

6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。

高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。

他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪問題顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラス学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。

Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。

ある時、昼休みだったか総合」の時間割だったか時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。

あなたいじめをしているでしょう」という直球だった。

私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。

私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。

その日の放課後ホームルームで学級裁判が起きた。

まずは「このクラスいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。

なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。

全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。

「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。

いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。

「手から離れた問題雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。

私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやす戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。

かに無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。

「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。

「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。

醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生カーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。

本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやか生活台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。

学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラス黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。

その後、地元公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。

自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。

私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。

大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。

私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。

それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。

中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。

それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。

私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。

入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。

どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。

兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。

私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校出身者は次々とA小学校出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。

A小学校の時に明るかった人間クラスカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。

そこからは影に徹してひたすら勉強ばかりした。

私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめ被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分黒歴史を見るようだった。

小学校時代猿山大将として過ごし、学級裁判だんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。

高校に入ってからしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。

自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。

大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。

アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。

過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。

私は27歳になった。

人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。

職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。

人に言われたことは言ってくれたことだと思えるようになった。

でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。

これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)

二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔しかならないからだ。

いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。

私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまり勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。

Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊けが目的人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。

でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。

精神成熟していないコミュティ悲劇だ。教員のせいにすることもできない。

とんでもないくだらない理由いじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。

イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。

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今日小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。

その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41

2019-08-21

anond:20190821091112

へぇー。「しょうもない」「ような」が「客観的事実」を表す日本語だとは知らんかったわー。

マジで少しくらい日本語勉強しろよ。中学校レベルでいいから。

anond:20190820164229

内申点中学校治安維持のために必要

内申点がない私立中学は荒れだしたら歯止めきかない面ある

2019-08-20

れい新選組 舩後靖彦 参議院議員 TBSラジオインタビューの釈明

舩後靖彦さんの facebook

また、「重度障害者には生産性がない」という考えが生まれた原因について、GHQが導入した戦後教育を要因としていると取られるような発言したことについて、まず戦前から戦後まで行われてきた優生思想問題やその名残を第一に要因としてあげるべきであったのに、自分理解していない、「戦後教育の影響」について発言する事になってしまたことで、私の本意ではない印象を与えてしまうことになってことについて心苦しく思っています

インタビューの公式書き起こしから該当部分

荻上最後にこの6年間の議員生活に向けての抱負課題について教えてください。
舩後:全ては教育にありと考えています日本の30年前を考えれば、時代も変容し、国際障害者年や障害者自立支援法が生まれ、そして重度障害者国会議員になった。その時代背景によって変化する事象や慣例もあると思います。全ては教育にあり。私は、1020年後未来創造して、代わる障害者に対する偏見教育で変えたいと思いますさら子供の頃から潜在意識領域さらに深く無意識領域にまで存在する「差別意識」を除外する倫理道徳教育必要と考えています。重度訪問介護の不備も喪失した人々の潜在意識領域ならびに無意識領域に重度障害者には生産性がないという確定した思いがあるからです。かと言ってその方々を責めているわけでは全くありません。大東亜戦争日本が弱体化するために GHQ が導入した教育文化が要因と考えていますが、具体的には掴みきれていません。ところで明らかに研究不足の感があることは否めませんが、今現在インクルーシブ教育を礎土台とするモンテッソーリ教育の2段階以上の教育を、小学校中学校高校そして大学に導入すれば良いのではと考えていますモンテッソーリ教育知的発達障害治療教育弱者とも言える貧困家庭の子供達への教育から発展させてきた教育であることから、土台とするインクルーシブ教育に好影響をもたらすものと考えています。この事を6年間でやり遂げたいと思っています。(終)

議員説明では次の通り。

言い訳になってしまますが、取材の具体的な内容を当日の朝に頂いてから、急いで読み上げ用の文章を作ってしまったために、文章的にも意味が通らない内容になってしまい、それを読み上げて頂いてしまったというのが実際のところです。

取材質問は「この6年間の議員生活に向けての抱負課題について教えてください。」というテンプレートであり、この取材のために特別な準備は不要です。

「〇〇ってある?」って問いに対して「ある」または「ない」以外で答えるのは間違いだって

ブクマカ中学校で習わなかったのか?

2019-08-19

夢に知らんおっさんが出てくるようになった

他の人の夢を見る(起きた時に覚えてる)頻度とか知らないけど、酒かっくらって寝てるからか、週1~3ぐらいで起きた瞬間は見た夢を覚えている。

昔は登場人物が1~2人で、親しい友人や家族が多かった。

それが徐々に登場人物が増えて規則性がなくなった。昔務めてた会社の先輩後輩同期、シチュエーションによっては小中学校のそんなに仲良くなかった同級生とかが主要キャラに交じって登場する。

最低限のルールとして、悪魔暴力権化こちらに危害を加えようとする概念的な存在、途中で実在人物に変わることがある)以外は知人であれ芸能人であれ、実在人物だった。(そういえば、アニメキャラとかは出てきた記憶が残っていない)

で、最近まったく知らんおっさんがちょいちょいモブとして登場するようになり、徐々に夢の中で主要なポジションを得始めた。

敵対的存在であることが多い。

この知らんおっさんは、既に忘れてしまったちょっと知ってたおっさんなのか、それとも、ほんとうに知らない、捏造されたおっさんなのか、凄く気になって

2019-08-18

外国語教育地理教育は全国一律じゃなくていいんじゃね?

野口悠紀雄曰く「2050年には、中国の方が日本より豊かになる」

そういう近未来だと、東北若者は兎も角として、九州若者は「東京じゃなく、上海を目指す」んじゃない?

上海を目指す若者が多い九州」において、小学校中学校東北北海道地理を習ったり、日本英語習うのは、時間無駄なんじゃないの?

東北北海道などのオワコン地域学習より、大陸中国地理を教えたり、上海語教えたりした方が、2050年若者には役立つんじゃないの?

沖縄小学校なら、日本本土地理教育より、「台北地理台中地理高雄地理」を教えた方が、遥かに役立つんじゃないかと。

逆の言い方すると、東京より東の地理学習するのは、東京東北北海道だけになったりして。

周囲にいる中卒ほど危ないものはない

地元に帰ると最終学歴が中卒で社会に出たような連中の話を聞いたりする。

高校くらいのときに中卒と一時期遊んでいたが彼らの周囲の人間ほとんど中卒(定時制やら高校に行くが中退)だ

彼らは決まって不良やヤンキータバコマストアイテムだ。

地元の誰が強いだとか悪いだとか本当に低レベルで低知能な物差しである

彼らは何もしていないか仕事をしている。※仕事をしていても偉いと思ってはいけない。

だいたいは不良(これも中卒)先輩つながりで仕事に就く。

そのほとんどは土方である。※「土方」と本人たちは当たり前のように自称している。

彼らの生活クレイジーだ。

昼間は仕事をして仕事が終わると原チャ単車で友人と合流したり女友達とたむろする。

先輩に呼び出されて彼らはどこかへいつも行っていた。

次の日あのあと何していたのか?と聞くと大した用もないのに呼び出されただけだと愚痴を言っていた。

彼らはこのように無駄に朝まで過ごしたり、夜はそのまま暴走したりひったくりをしたりしているだけだ。

仕事をしているからといって真面目なわけでもないし、ほとんどは社会迷惑をかけている存在だ。

いまの子供らと20年30年と年齢差があるかもしれないがツール(SNSなど)が増えただけでやっていることはそう変わっていないだろう。

男子の草食化、性欲が無いなど言われているが、それもこいつらの世界ではそんな変化はないのではないだろうか。

だいたい15歳から16歳で童貞卒業するし女の場合は年上の先輩にあこがれるので中学の時点ですませているのが多い。

私もそのような繋がりからすぐに彼女ができたし出会い系サイトをよくやっていた。あの時代ほとんどはスタービーチなどをやっている。

たまに18歳で彼女ができたやつを知ったときは「え!? 遅っ!」という反応しかなかった。

それほど彼女ができるとか童貞を捨てるというのは普通感覚なのだ

しろ高校生活で何もしてないやつらは何をしていたのだろうか、といまだに思う節はある。

中卒の連中とはたまに遊んでいた(原チャコンビニにたむろしてタバコを吸うだけ)が、ごく普通の人とも遊んでいたし、アニオタ友達もいた。

彼に魔術師オーフェン面白いというのでその本編ではなく外伝を読んだ。たしか無謀編だったか。そんなオーフェンも今年になって再アニメ化だそうだ。

中卒のやつらは18になるころには単なる犯罪者になっている。

彼らは鑑別所にいったり少年院にいったりたばこどころか草(ガンジャ)や早いの(覚せい剤)をいったりしている。

18になると車の免許をとるので車のチームに入るのが多かった。当時は池袋ウエストゲートパークなどがはやっていたのでギャング系が多かったと思う。

石田衣良による負の功績は大きい。

それより少し前にドラゴンアッシュがじぶらなどのヒップホップをかなりメジャーしたことそっち系ファッションも広まっていた。

ギャル系のブームで、男子ではサーファー系やギャル男もいて、選ぶならヒップホップなどのB系か前述のどっちかである

ちょっとおしゃれをしたいやつはB系でもなぜか髪を伸ばしていてミスマッチがひどかった。

車のチームに入ると意味のないドライブや深夜から朝にかけてずっとナンパをするのである

そして、どこどこのだれだれが揉めているだとか、誰かの先輩の女とやったのでそいつを捕まえるなど、延々と揉め事を繰り返す世界線へ突入してゆくのである

彼らは当然いま社会問題となっているあおり運転を平気でするし原チャ幅寄せしてけんかをふっかけたりする。

原チャに乗っていて襲撃されたという話をきいたことがある。白色のハイエース幅寄せしてきて停められて中から全員バットを持った連中が出てきてどこのやつだと

殺されそうになったそうだ。

彼はこの出来事地元の先輩に話をすると今度はその連中が白色のハイエースを片っ端から探す。彼らは武勇伝として話をするのでまわりまわって

白色のハイエースの連中がどこの人間なのか判明するとそいつらの縄張りまでいってけんかをふっかける。

そして喧嘩をしたりヤクザがでてきたりして白のハイエース側が「筋違い」となり彼らにお金を用意しろということになるのである

まあひったくりなどをしてお金を集めるのであろう。白のハイエースの後輩つまり15歳から16歳のヤンキーデビューした人らにも至急金を集めろとなるのである

そうして彼らはお金集めのために後輩を深夜に呼び出したりするわけだ。

やがてこのような生活馬鹿馬鹿しく感じると20代前半で彼女もできたしとか、落ち着くのがかっこいいと思い込んでいる単純な不良は仕事一筋になり始めるのである

これらは遊びはごく普通になるがやはり根は社会クズなのだ。車ではあおり運転をするし暴力などをちらつかせて周囲になめられない負けないようにするのだ。

しかし、彼らは単純なので、簡単に操ることができる。とりあえず敬語で話していればいいのだ。不良同士だといくらでも馬鹿がいるので、同じ年くらいと思えばタメ語で話すやつがい

あいつ舐めてるのか?となり良い印象がないまま喧嘩に発展するのである。そして、とりあえず武勇伝とやらをすごいなと褒めてやればいいがあまり食いつくと仲良くしてくるので

注意が必要だ。かれらは馬鹿なので気がよくなって飲みに連れて行ってくれる。普通のやつが勘違いして元不良とかと接点を持つとあとで大変な目にあうのだ。

まれにいる酔うとキレるやつとかだ。不良同士なら喧嘩ができればそれでいいが、普通のやつはそれができないのでたいていは殴られ支配下におかれるなんてこともある。

親しくなると彼らは金遣いが悪く馬鹿なのですぐに金を貸してくれと言ってくる。しかやばいのが金を基本的に返さないのだ。

彼らが返すのは自分より力がある人間だ。つまり先輩だとかヤクザだとかそういうたぐいだ。

彼らは銀行よりも消費者金融お金を借りる。

ほとんどはブラックだ。借りても途中からさない。返すわけがないというのが彼らの認識だ。しかし金に困るので犯罪を犯す。

私の知っている限りほとんどの中卒や高校中退犯罪者だ。当時の人らのうわさ話を聞くとやはりヤクザになってそのあとどこかへ消えたとか、

刑務所に入っているだとか、入っていただとかを耳にする。

たまに大卒も悪いやつはたくさんいるという人がいるが、実感するだけでも大卒なんて真面目なやつしかいないのが事実だ。

さて学歴犯罪とかかれたブログにこんな統計がある。

2010年の法務省矯正統計年報』によると,同年中に刑務所に新たに入所した者の数は27,079人です。この27,079人の学歴構成を整理

 ①:小学校中退 ・・・ 42人

 ②:小学校卒業 ・・・ 108人

 ③:中学中退 ・・・ 63人

 ④:中学卒業 ・・・ 6,870人

 ⑤:高校在学 ・・・ 9人

 ⑥:高校中退 ・・・ 3,631

 ⑦:高校卒業 ・・・ 4,426人

 ⑧:大学在学 ・・・ 13人

 ⑨:大学中退 ・・・ 493人

 ⑩:大学卒業 ・・・ 812人

 ⑪:不就学 ・・・ 9人

 ⑫:不詳 ・・・ 21人

「新たに」であるが、こうなるようだ。※小卒中学中退などというのはおそらく古い世代からまり気にしなくていい。

中卒と高校中退を足しただけで1万超えである。半分だ。

②+④+⑥を「小・中学校卒」,

⑥+⑨を「高校卒」,

⑩を「大学卒」とします。順に10,609人,4,919人,812人なり。この数を,2010年の『国勢調査から分かる学歴人口男性)で除して,3群の刑務所入所率を計算

ブログでは高校中退高卒として計算しているが10万比で

「小・中卒の率が飛び抜けており,この群の入所率は全体の4.6倍,大卒の27.5倍です。」となっている。

参考サイト 詳細はこち

http://tmaita77.blogspot.com/2013/03/blog-post_21.html

学歴別の刑務所入所率 ※抽出したデータは後述のURL参照

男女とも,中学卒業というカテゴリーが最も多くなっています

男性入所者では42.1%,女性入所者では37.6%を占めます。均すと約4割。

刑務所入所者の5人の2人が,中卒の学歴ということになります

当然ですが,高校進学率95%超,大学進学率50%超という今の社会において,

中卒者はこれほど多くはありません。2010年の『国勢調査』の抽出速報結果によると,

15歳以上人口のうち,最終学歴が小・中学卒業の者が占める比率は,男性は14.3%,女性は16.7%です。

社会全体の学歴構成を勘案すると,刑務所入所者は,低学歴層に明らかに偏しています

刑務所の入所率

男性でいうと,

小・中卒の入所率(219.0)は,

大卒(6.9)の31.8倍です。

参考サイト 詳細はこち

http://tmaita77.blogspot.com/2012/02/blog-post_29.html

こちらも10万比ですがいかがでしょうか。

ヤクザにもいい人がいるなんて少数であってもヤクザヤクザ、みんなクズでひとくくりするように、

中卒は危ないとひとくくりにして、つるむべきではありません。ヤクザと並べるな?

刑務所入所率が219倍。それでもいい人はいるはず?と性善説を信じて友達作り、人脈をしたい人がいるならどうぞ作って下さい。

中卒のほとんどは不良だったやつら。それ以外のわずかな人なんてなかなか出会えませんよ。まあ出会ってる人は出会ってるんだけどなんて言うけどね。

それはたまたま

偶然。

2019-08-15

anond:20190815203243

中学校で教える以前に、大学でなぜ戦争が起きるかを研究している学者からしていない(少ない)ので無理。

軍事研究に該当するからみたいな理由なんじゃないかな。

2019-08-13

anond:20190813175927

実際横浜中学校弁当がまずいから誰も食べないとかいう事になってるしな

恐らくコンビニ弁当程度の値段だとコンビニ弁当以下の品質しか出来ないだろうけど

大量生産してるコンビニに質で敵うわけない)

文句つける親がそれで満足するとは思えない

それで構わない、と言う親ならコンビニ弁当持たせても変わらんし

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