はてなキーワード: 中学校とは
今年も8.12が来る。
古くは角田四郎、最近では青山透子(と森永卓郎)が主張してる「自衛隊機又は米軍機が接触事故を起こしたのが真因」説、正式見解である隔壁破壊派からは「陰謀論扱い」されてる。
が、隔壁破壊派は、「123便の後ろに、飛行機(自衛隊機?)が追尾していた」という目撃証言を、どう解釈するのか?
そういう追尾機は「存在しない」のか?
この追尾機の目撃は、角田四郎が目撃してて、それが角田四郎が事故を研究するキッカケになったんだが、と同時に、「上野村の小学生・中学生」も多数目撃してる。
上野村小中学校の事故後の文集に、123便の後に2機が追尾してた、との目撃証言が多数書かれている。
「事故の原因は隔壁破壊、青山透子は陰謀論者!(キリッ)」という人は、上野村の小学生中学生も陰謀論者にしたいのか?
別に自分は青山透子の肩を持つつもりは無いが、何故隔壁破壊派は、同時に「123便を、自衛隊機が追尾してました」と認めないのか?
僕は大学を出ていない。美術系の専門学校を出ていて今は工場に勤務している。
専門学生の時は17時まで学校で18時〜22時までがマンガ喫茶でアルバイトの繰り返しの日々だった
飲み会やサークル、ゼミの話に全くついていけなくて話題にも入れなくて辛い
のは言い訳にはならんのでしょうか
お酒も飲めないし、上下関係の大切さもイマイチよく分からない。
思えば小学校 中学校 で不登校だったのも影響があるかもしれない。
仕方ないよね、世の中は結局 ちょい平均より上の人生が基準になっているもんね
普通ってなんだよ。皆んなの普通は俺には受け入れがたいよ 。頑固だって言われても、頭が固いなんて思われても俺は俺なんだよ。
そういう人間なんだよ。うんちなんだよ💩
朝いつものように目覚める。
・起きる
・二度寝する
・死ぬ
このようにあらゆる選択に「死ぬ」が割り込んでくる。朝起きるとか、ランチに何を食べるとかの選択に介入してくるくらいだったらまだいい。
失業しました。就職先がなかなか見つかりません。失業手当もなくなりそうです。
・頑張る
・死ぬ
こうなると「死ぬ」の比重が濃くなってくるのがおわかり頂けるだろうか。
・死ぬ
究極の二択だ。だけど、選択肢があるだけまだいい。たまに、下記のようになる。
・死ぬ
・死ぬ
事実、行動に移したわけだが、運良く今は生きている。みじめな人生だ。
聞くところによると、普通の人(何を持って普通とみなすかはいろいろあると思うけれど)は、通常、選択肢に「死ぬ」は介入してこないと聞いた。そんなばかな。
私が初めて選択肢としての「死ぬ」を意識したのは小学校を卒業したときだ。
これから中学校とかいうところに進学するらしい。だが、中学校は何だか恐ろしいところみたいだ。そんなところに行くくらいなら。
・中学校に行く
・死ぬ
もちろん、結局中学校には行ったけどさ。それ以来、あらゆる選択の中に「死ぬ」がありながらも今生きている奇跡を享受しながらも、いやー、選択肢に「死ぬ」がない人生の方が良かったなーとも思うのだった。
当然ながら、これを書く段に置いても、
・増田を書く
・書かずに寝る
・死ぬ
という選択肢を経て、ここに至っている。ああ、生きづらい。一体どうなってんの?
ってはてサが嬉々として言い出してたやつじゃね?
みんなで集合したときに誰とも握手しない安倍(既にしてるから当たり前)のを
切り取って「無視されてるんだ」って言ってただけだと言う
一人一人と握手してる動画出されたらはてサだんまりだったのおぼえてる
中学校じゃねえんだからみんながシカトとかあるわけねーの常識でわかるだろうと
この手の馬鹿げたデマって日本の反日サヨクと韓国人が必ず共有してるのなんでだろう
たまたま同じ頭のレベルって可能性もあるけど、やっぱ普通に連帯してるんじゃないのかと
今年で25歳になる。郊外育ちの一人っ子。今は地元からかなり離れたところに住んでいる。
まず前提として、私はADHDだ。医者からも診断されている。毎日薬の副作用と戦っている。幼少期から不器用で不注意。協調性はまるでなかった。けれども典型的な大人のADHDという代物で、学生時代は少し変わっている子扱いで済んだ。自分が障害持ちだということに気がついたのはここ数年の話だ。
そんなわけで幼少期から自分は不得意なことが多い人間だということを自覚していた。だからこそ小中学校は勉強を頑張ったが、自分の自頭がそんなに良くないことも察していた。人並みに生きることを目標とした。正直生きていたいと思った瞬間は一度もない。消化試合だと物心がついた時には思っていた。
それでもって親だ。父親は仕事が忙しくほとんど家にいなかった。朝遅くに起きて、深夜に帰ってくるような人だった。幼少期の私からしたら土日にだけいる人でしかなかった。ところがどっこい、実はパチンコ依存症だったり酒をやりすぎて身体を壊したりととんでもない人だったらしい。そしておそらくADHDだ。性格、行動、得意不得意が全て私と同じなのだ。
最近気がついたが母はそんな父に疲弊していたようだ。自分一人では生きられないくせにトラブルをもたらす父親。母親の立場になれば当たり前だと思う。よく、母親から父親の愚痴を聞かされたものだ。そんな母親の生きがいとなるのは私しかいない。しかも父親同様、世話のやりがいがある。リアルたまごっちだね。
不器用な私は母親から何かをしようとするたびに、「あんたにはできないから」「危ないからやめなさい」と言われるようになった。包丁を持たせてもらうことも、火を使わせてもらえることもない。さらに言うと、足の爪すら自分で切らせてもらえなかった。でも私はそんな母のことを嫌だとは思わなかった、むしろ好きだった。ADHD特有の空気の読めなさで友達をなくしても家に母がいるからなんの問題もないと思っていた。
結局父親は外に女を作って出て行った。今考えれば逃げたのかな、と思う。そこから父親との関わりは消えた。残された母と私。今思えばここから母の私への依存は始まったのだと思う。私が上京をしたいと言うと「お金がない」「あんたが一人暮らしできるわけない」と言うようになった。地方都市の郊外で明るい未来が待っているとも思えないので無理やり上京した。甘い考えだった。何もしてこなかった自分が一人暮らしできるわけがなかった。
それから母は頻繁に東京に来るようになった。散らかっている部屋を見て、「やっぱりあんたは一人では生きていけない」と満足げに片付けをして帰っていた。そうなのかもしれないと思った私は男を作って世話をしてもらうことにした。いわゆる共依存だ。結局のところ、私は世話をしてもらわないと生きていけない人間になってしまったが母親に依存してはいなかったわけだ。
そんな私の世話に生きがいを覚える母親だが、ADHDだとカミングアウトして信じてもらえなかった。いつも「あんたは何もできない、一人で生きていけない」と言っていたくせに矛盾している。「あんたは大丈夫」と真逆のことを言い放った。ADHDという原因があったから、何もできなかったんだ、そう思えた私の救いは全否定されてしまった。そんなに障害持ちの親にはなりたくないのかと思ってしまった。
就職して東京を離れた。業種は父親と同じ。おそらくADHDであろう父親でも出来る仕事と言う理屈だ。実家からさらに遠方に引っ越した。縁もゆかりもない土地だ。
勤め先で家庭の話を笑い話半分でしたところ、「お前は辛かったんだな」と言われた。私の何が辛いんだろう?これくらいの家庭環境なんて普通なんじゃないか?疑問に思った。帰ってから再考した。確かに私は両親を好きだと言う気持ちはない。死んでも泣けないんじゃないかとすら思う。でもちゃんと大学進学までさせてくれた恩はある。好きになれない自分が悪いのではないか、そんな風にしか考えられない。
「辛かった」というワードが引っかかりアダルトチルドレンについて調べたところばちこん当てはまった。過保護な母親に、無関心な父親。まさしくだ。そして自分が母親から逃げ出したく、父親に認められたいと思っていることに気がついてしまった。
しかし自分の本心に気がついたからと言って何かを変えられるわけではない。母親は地元を捨てて私と二人暮らしをしようとしている。私が今彼氏がいなくて世話をしてくれる人がいないからだ。「あんたは一人で生きていけないんだから」としつこく言われた。もし結婚しても孫の面倒を見るために引っ越してくるらしい。逃げ道はない。そして父親とはもう関わることはないだろう。
自分がかわいそうだとは思わない。ただ、「親が悲しむから死なない」だとか「親孝行をしないといけない」という気持ちがわからない。別にどうだっていいことじゃないか。孫の顔を早く見せろと言われるが正直私は自分の遺伝子なんて残したくもない。
これは私が悪いんだろうか。親を毒親だとは決して断言しない。ただ決して感謝なんてしたくない。悪いのは親か私か。健全な家庭に育った人に言ったらぶん殴られそうな悩みだ。
私は自分の力だけで生きられるようになりたい。そうすれば母親は放っておいてくれるのだろうか。そして、父親から認められたい、愛されたい。でもそれはどう頑張っても無理なんだろうなと思うとふとやるせなくなってしまう。
友達はひとりもいなかった
小学生のころ、友達はいなかった。中学校に上がっても友達はできなかった。気は弱かった。いじめも受けた。いじめられた悔しさは今も残っている。仕返ししてやりたいとも思うがそれは無意味であり有害と知ってしまったから何とか折り合いを付けていくしかないのだろう。
今にして思えば身体を鍛えて殴り返してやればよかったと思うが、そういう発想すらできないほどに当時は心身ともに弱っちい少年だった。
勉強はできた。成績はたいていクラスで1番。中学は1学年300人近かったが、まあ上位にあった。中学最後の試験はトップをとった。まあ田舎の学校だが。
スポーツもそこそこできた。足は速い方だったし球技は大好きだった。
友達ができないのは自分のせいだ、自分に何か大切なものが欠けているからだと自分を責めた。
40も過ぎた頃、ショーペンハウアーを読んだ。すると、知性の高い人間は孤独になるものだというではないか。もしかして自分はそういう類の人間だったのだろうか?たしかに子供時代は周囲の子達と話が合わなかった。クラスの子達が笑って話している中に入ろうとしても、いったい何が面白いのか理解できなかった。自分が入ることで彼らはしらけてしまうようだった。
高校は進学校に進んだ。そこで初めて学校にいることが楽しいという感覚を知った。友達と呼べる存在が初めてできた。
大学はいわゆる旧帝大に進んだ。大学はさらに楽しかった。ここでも友達はできた。
なにが言いたいのかというと、住んでいる地域が一緒だからという理由でひとくくりにして小学校・中学校に入れるのは、一部の子にとっては非常な苦痛になる場合があるということだ。
思うに、知性の水準が周囲に比べちがい過ぎると孤独になる。本当に賢い人間であればそれも理解して上手に周囲と話しをあわせ良好な人間関係が築けるのかもしれないが、そこに至らぬ中途半端な水準にあると、いっそう孤独を深める事になる。敵対的な環境のなか苛まれることにもなりかねない(知性が高い奴なら低い奴にも合わせられるかもしれないと書いたが、低い思考レベルの人々の話に自分を合わせるのはけっこうたいへんである。なかなか辛いものであり苦痛でもある。かなり疲れる)。
学校にいること、集団の中にいることが正しいわけではない。そんなことは断じてない、ということをいいたい。
集団生活に馴染めないからといって障害か何かと考えるのは間違いである場合がある。集団生活に違和感を覚えたら、自身の知性の水準が周囲と異なるのかもしれないという可能性を考えてみるべきだ。
ところで、子供時代の辛い経験を思い返すと、その頃から格闘技を学んでおけばよかった、もっと身体を鍛えておくべきだったとは思うが、あえてそういう状況のなかだったからこそ何事かを学べたのかもしれない。こういう経験が(辛い経験ではあったが)必要だったのだろうと思うし、そう思う以外にない。
昔から学校の勉強はできて成績は上の方、旧帝大に入って難なく卒業してもうまく生きれない。
やりたくもない仕事をしている。
企業には人とうまくやっていける人が選ばれて勉強しててもなんの役にも立たない。当たり前か。
公務員って辞めようと思うのが難しそうだからなろうと思えなかったんだよね。
ずっとずーっと毎日同じところに行って同じ仕事をするのが怖い。
自分が辞めない限り1ヶ月後も来年も再来年も同じ会社で気の合わない人達とうわべの会話をするなんて気が狂いそうだ。
というか人と過ごすことがもう無理だ。
学校で勉強してればしてるだけ評価されるのは教師に都合がいいからなんだな。
私は教師に都合よく生きてきてただけなんだね。
部活でいじめられて中学校2日休んだら母親に休んでもしょうがないでしょって言われて取り合ってくれなかった日から家族も一切信用できない。
カレンダーじゃなくて感覚で季節の移り変わりを感じるように生きられたらな。
勉強できても勉強したことを褒めてなにかをもたらしてくれるのは自分以上に勉強した人だけだから、学校外に出たら私はただのガリ勉コミュ障にしか見えないんだな。
本当に投資なんてするもんじゃない。上級国民に搾取されるだけ。
しかし、おれは巧妙に仕組まれたソーシャルレンディングという詐欺スキームで金をもっていかれた。
これがどういう仕組みなのかはネット記事を見たほうがわかりやすいだろうから、ここで説明はしない。
騙した側は、何の罰も受けず、何の謝罪もせずのうのうとバックれを決め込んでいる。
おれが一番被害を被ったクラウドリースの社長に至っては、60億という金を借りぱくし、そのままバックれを決め込み、今も平然と別の飲食店を経営している。
このスキームはすべて合法なので、こちら側からは何もできない。
お情けで金を返していただけることを願うしかない。
中学校の時は、密かに好きだった女の子から「気持ち悪い」と言われた。
高校生の時は、クラスでまったく目立たない空気のような存在だった。
かたや主に率先しておれをいじめていたやつらはどうか?
そいつらにいじめられていた別の底辺は、ブチ切れて教室で暴れまわった。
そのいじめていたグループの一人は慶応大学に入学して商社に入った。
堂々とFacebookに公開してやがる。
生まれつき底辺の人間は、永遠と搾取され反抗すれば罰を受ける。
そして今、その努力をすべて失った。
もはや底辺が抗うには死ぬしかない。何もしないことによる緩やかな抵抗。
結婚も恋愛も就職も、すべての活動を停止して生活保護で何もしないで死ぬまで暮らす。
わーい便乗します。
自民党支持率が高いと言われている20代だけど、20代男性44%、女性33%と10%も差があるらしいので、
女性としてはそこまで少数派でないのかも。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html
同じ年代を生きてきたはずなのになんでここまで男女で差が…?と気になったのでタイトルに性別入れてみました。
私はいわゆる無党派層で、選挙当日に30分くらい地域の候補者ググってえいやで投票した。
別にすべての政策の中で夫婦別姓の議論がいちばん大事とは思ってないし、
選択的夫婦別姓にまで反対する自民党ってなんなの?と思っている。
あと同性婚を認めないのも、当事者ではないけれど「根本的にマイノリティに不寛容なんだろうな」と思えてしまった。
とにかく自民党が大事にしようとしている伝統的家族観っていうのが、私とは相容れなそうだと思っていたので、
ふだん真面目に政治のニュースとか見てないから当たり前なんだけど、
野党のそれぞれの印象がとにかく薄くて、かろうじてあるイメージは以下の感じ。
立憲民主:枝野さんの喋り方はわりと好印象だった。演出過剰でなく淡々と語ってくれる政治家のほうが好きだな。
国民民主:希望の党のときに小池さんがリベラルを排除して、残ったほうっていうイメージ
維新:長谷川豊さんとか丸山穂高さんとかちょっとアレな人が集まりやすいのかな、というイメージ
れいわ:ちょっとまだよく分からない。偏見だけどタレントさんよりは政治や行政の経験がある人を応援したい。
当時は学生で今よりもっと世の中に関心がなかったので「そんなに自民党と比べて悪かった…?」という印象。
あの規模の震災対応はどの党がやっても要領良くはできなかったのでは?と思うし、
経済のことも正直、生まれてからずっと不景気だったから今さら…と思っていた。
「生活保護の受給者が過去最大に」とか言うのも、それまでの長ーい自民党政権下で
3年やそこらで生活保護の受給者が急増したりはしなかったのでは。
学生時代(~2013年)までは2ch漬けの青春を送っていたのだけど、
社会人になりスマホでしかネットする時間がなくなってくるとアダルト広告の気持ち悪さが無理になり、
どちらかというと2chは右寄りではてブは左寄りが多いんだよね?
これの影響が一番大きいかも。
年齢的にはもういい大人なんだけど、正直貴重な休日に政治のことを知るよりは、
はてブでデイリーポータルZの記事や猫動画をブクマしているほうが楽しいし、
政治について関心を持つ気力がない。
…のだけれど、そろそろ子供も欲しいと思っているし、未来のことを考えないといけないよなあと。
8歳ごろに昭和が終わる
小学生時代は、土曜は半日授業。今の若者には個性がないと言われ続けて育つ
親も週休1日で休日はほぼ遊んでくれることはなかった
忘れ物をすると教師に殴られるし廊下に立たされる毎日だったがそれが普通だと思ってた
教師の生徒へのセクハラも日常茶飯事だが問題になることはほぼなかった
大学受験失敗→浪人→ようやく大学入学するも、就職氷河期でなかなか就職が難しい
もちろんバブルの恩恵は一切ないが、恩恵を受けてきた世代の自慢話を聞かされる
転職を繰り返すことになった
中小企業に入るも、景気も悪く上の世代が詰まっているので出世できないことを目の当たりにする
それでも働き方改革もないし、会社の景気も悪いし20代はなんとか徹夜しながら精神論で乗り切る
つき合う子は、少し上の世代に奢られ慣れているし
専業主婦願望を唱えられても実現させてあげることは不可能だった
ようやく結婚できたのが35歳
マイホームを買うのはもう諦めた
それでも、就職氷河期世代は頑張りが足りない世代みたいに社会に扱われる
何の恩恵も受けていないし、生き残るために必死だっただけなのに
今の新卒世代には、精神論で生きてきたおじさん世代として扱われる
若い世代を定時で帰すようにするために中間管理職として残業を受け入れるため仕事は楽にならない
精神論世代の人が残業していても、昔からそうでしょとあまり罪悪感は持たれない
それでも39歳で早くも、古くて、邪魔な世代として扱われ始めている
僕らが社会人になった時に40歳くらいの人たちを見て感じたあの感情は
そんな8歳の頃から今まで変わっていないことがある
B’z’がずっと変わらずに売れていること
何を言っているのかと思われるかもしれないし、明確な統計データを持っている訳ではないから体感に過ぎないけれど、
小中学校の教育現場に携わっていると、少なくとも小中学生の大半は左派的思想である。
何故なら、学校教育がバリバリの平和教育を行い、戦争を先導した右派批判を行っているからで、
例えば沖縄への修学旅行後、米軍基地問題の感想文やレポートを書かせれば、9割以上の児童は米軍反対の旨を記す。
では何故、それが選挙権を得る頃になると若者の右派支持率が逆転するようになってきたかと言えば、
これもあくまで推測の域を出ないけれども、学校教育以外のネット等に影響されて右派になるからだろう。
ここで重要なのは、若者が左派から右派になる動機や理由である。
左派の方々は「馬鹿な右派に騙されてるからだ!」と思っておられるかもしれないけれど、
個人的にはむしろ「化けの皮が剥がれた左派に幻滅したから」という理由が多いと思う。
実際、単純に若者が右傾化しているだけなら若者の投票率はもっと伸びてもおかしくないはずだが、
若者の投票率が低いままなのは、単純に右派にも左派にも、政治そのものに幻滅している人が多いから…かもしれない。
例えば私の場合、少なくとも高校生の頃までは典型的な左派であった。
良くも悪くも先生のことを盲信する真面目な児童だったから、ホント典型的な左派だったと思われる。
大学に入ってからも憲法9条の会などに参加したことがあったし、下手すりゃ天皇制にも反対だった。
そんな私の、学校教育を真に受けた右派と左派のイメージはと言えば、
・右派:攻撃的,戦前に「売国奴」などと罵る,街宣車等怖い,粗暴な人達のイメージ
・左派:理性的,平和思想を体現したような優しい人達,良い先生のイメージ
といった感じであった。
馬鹿みたいな話かと思われるかもしれないが、学校教育のみを真に受けてればこうなる。
右派の酷い情報も入ってくるが、右派の期待値は元々酷いものなので「やっぱり!」としかならない。
が、
左派の酷い情報は「え?あれ?私の思ってた左派と違う…」とパラダイム転換を迫られる。
例えば、先日話題になった遊戯王の作者のインスタでの投稿に「売国」というワードがあったけれど、
これは学校教育的にはいわば「忌避すべき右派」を象徴するワードであって、これを左派が使ってはいけなかった。
「独裁」というワードだって、日本のみを見れば一理あるとしても、
普通選挙が無くてデモが起きている香港や、政権批判をすれば捕まる監視社会の中国のリアルと比べれば、些か言葉が強すぎる。
沖縄の米軍基地問題でも、毅然と、粛々と平和を訴えているのかと思いきや、
実際には犯罪紛いの強硬手段や暴力・強迫行為に手を出す左派の情報が、今では飛び込んでくる。
首相の演説を妨害するレベルの「安倍やめろ」コールもそうだし、
山本太郎前議員が最高の言論機関である国会で、マイクやペーパーを奪って実力行使で採決を止めようとした光景もそうだし、
「優しい理性的なイメージだった先生が、その裏では実は粗暴で口汚く攻撃的だった」という衝撃が走る位、
左派に幻滅するに足る情報は、学校教育で培われた左派のイメージが崩れる情報は、今の時代いくらでも飛び込んでくる。
『「武力を持たなくたって、話し合いで解決できる!」と主張している人達が、
同じ国の中ですら野蛮な実力行使に出ているのに、まして違う国の言葉も文化も異なる相手を、どう話し合いで解決できるんだ』とも思われるだろう。
そうして左派に幻滅するだけならまだしも、盗人にも三分の理があるように、そのタイミングで、
学校教育では全く触れられなかった、右派の中でも比較的理性的な主張にも触れれば、今度は不良にも実は優しい側面があった的な逆転現象が生じかねない。
良き隣国だと思っていた韓国が、レーダー照射問題や慰安婦合意撤回等々の無茶を通してくる様を目の当たりにすれば、
左派の理しか教えられず、右派の毒に耐性を持たない若者が「学校教育に騙された!」という短絡的思考に走り、右派に翻っても無理はない。
もっとも、だからといって左派全てが攻撃的だというつもりはない。
これは香港のデモや、右派・左派問わず共通して頭を抱えている問題だと思うけれども、一部の攻撃的な暴徒化した勢力のせいで、
全体のイメージが毀損されるのは、一部の過激な情報が悪目立ちしやすいネット社会の問題だと思う。
呉越同舟で「一応共通の仮想敵を見据えているのに、同じ船の上で内輪もめしてる場合じゃねぇ!」
…という理由から、攻撃的とはいえ、腐っても同じ方向を向いている身内を表立って批判しにくい気持ちも分からなくはない。
ただ、学校教育という折角の明確なアドバンテージを確立できている左派は、それを活かそうとするならば、
右派以上にそうしたイメージ戦略に気を遣わなければならないと思う。
それは逆転現象を生みかねない諸刃の剣でもあるし、昨今の右傾化云々は、まさにその産物なのではないかと、個人的には感じている。
埼玉県内の中学校を卒業後、同県内の高校の夜間部に通いながら、県の非常勤職員として勤務していました。その後は人材派遣会社に登録をしたり、茨城県内の郵便局に勤務したりしていた記録が残っている。
郵便局での勤務を始めたのは2009年。その3年後、青葉容疑者はある事件を起こす。
2012年6月20日未明、当時34歳だった青葉容疑者は茨城県内のコンビニエンスストアに包丁を持って押し入り、男性店員から現金を奪って逃げた。その後同日11時頃に警察署に自首したため、強盗と銃刀法違反で逮捕されました。自首した理由について『オウム事件の高橋容疑者のように逃げられないと思った』などと不可解な供述をしています。当時は茨城県内の雇用促進住宅の3DKに住んでいました
青葉容疑者は服役後、さいたま市の保護観察施設に入寮。刑務所を出所した際に帰る場所がない人が最大半年間入れる施設で、宿泊代や食費の実費負担はない。
「2016年7月頃には退寮し、その後はさいたま市のアパートに居を移しました。2018年頃から住民との間でたびたび騒音トラブルを起こしていて、複数回通報もあった。今月14日には20代の隣人男性の部屋のドアを執拗に叩くなどしている。その後も部屋のドアを叩かれたため男性が苦情を言いに青葉容疑者の部屋を訪れたところ、胸ぐらをつかまれた。男性は近くの交番に通報しています