2019-06-24

竹達彩奈さんの結婚宇宙のことを考えていた

人は生まれ育ち、やがて愛する人出会い、子をもうけ育てる。そうやって命を次の世代さらに次の世代へとつないでいく。

人類生殖活動という凡庸行為によって歴史をつむいできたし、他の動物もまた同じだ。

現在、この地球上に存在する生命は数え切れない生殖活動産物なのだ

あなたわたし生殖活動によって今ここに存在している。それを否定できる人はいないだろう。

しかしふとむなしくなる。その先に何があるのか。

思えば自分小学生のころから宇宙限界を感じてよく発狂していた。

というのも、人は必ず死ぬし、人類は間もなく滅亡する。地球はいずれ死をむかえ、太陽役割を終え、宇宙もそう遠くない未来消滅する。

そんな世界において我々人類の生にどれだけの意味があるのかよく悩んでいた。

これは時間上における宇宙限界だが、小学生のころから空間についてもまた悩みを抱えてきた。

宇宙の外の話だ。宇宙がどこにあるのか自分はわからなかった。今もわからない。宇宙はどこにあるのか。

宇宙がどこかにあるのだとしたら、宇宙は何か他の容れ物の内側にあるということになる。

仮にこれを超宇宙と名付けると、今度は超宇宙がどこにあるのかが問題になってくる。

宇宙がどこかにあるのだとしたら、超宇宙さらに何か他の容れ物の内側になければならないからだ(「なければならない」という発想が凡庸人間限界なのかもしれないにせよ)。

そうやっていくと、空間場所というもののよりどころがどこにあるのかがわからない。一体ここはどこなのか。小学生のころからずっと悩んできたし今もさっぱりわからない。

もし完全な外側というものがあるのだとしたら、それは一体どういったことなのか。

そんなこんなで考えてしまう。竹達彩奈さんの結婚宇宙に対して一体どれだけの意味を持つのだろうかと。

オタク声優結婚一喜一憂する。最近はそういう風潮もなくなってきたが、やはりショックを受けたファンはいるだろう。

しかし、そういった感情にどのような意味があるのだろうか。すべてが無に収束するこの世界で。

しか竹達彩奈さんと結婚たかった。しかし我々オタクにはそんなのはノーチャンスだった。まず会ったこともない。

それじゃあ仮に会ったことのある女性となら結婚できたのだろうかと考える。

それもまた不可能だろう。世の中の女性にはすでに恋人がいて、出会った時点ですでにチャンスはない。

すべての人間的な社会的行為は我々の外で行われている。気付いた時にはすべて終わっていて完全に手遅れだ。

しかしそういった我々に隠された行為も一体どれほどの価値があるというのだろう。あるいは我々がいちいちショックを受けて自分人生を嘆く、そういったことに一体どれほどの価値があるというのだろう。

しわたしやあなた美男(あるいは美女)に生まれて、お金持ちになり、健康な体で、適齢期になれば周囲がうらやむ美女(あるいは美男)と結婚して幸せな家庭を築いていったとする。

それが一体どれだけのものだというのだろう。

宇宙には限りがある。時間的にも空間的にも。この内側の世界はすべて幻想のように見える。

しか竹達彩奈さんと結婚できたらよかったかもしれない。悔しい思いをしたファンもいるだろう。しかしどれほどのものだというのだろう。もし仮にわたしあなた竹達彩奈さんと結婚していたとしても、誰も死からは逃れられない。いずれ死ぬし、愛し合った結果生まれ子供もいずれ死ぬし、その子孫もやがて死ぬし、遠くない未来人類は滅ぶ。宇宙は消えてなくなる。もう誰も覚えてはいない。超越した観察者の視点には立てないのだ。

人は生殖活動をして命を次の世代につないでいくことくらいしかできない。だからおめでたいことではあるのかもしれない。そういうことにしておかないと人間正気を保っていられない。

確固としてものはなくすべては幻想で、今そこに「ある」ように見えるものもすべて究極の根拠を欠いたままだ。それでもそこにあるように見えるからそれでいいではないかという人もいるだろう。それでいいのかもしれない。美人結婚して生殖活動をしてかわいい子を育てればそれでいいのかもしれない。そう思える人は幸福だ。

自分には何もわからない。ただ、竹達彩奈さんの代表作が『絶対防衛レヴィアタン』だということは主張しておきたい。お元気で。

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