はてなキーワード: コメンテーターとは
あのなあ。日本のネット人口何千万人いると思ってんだ?バズって3桁ブクマ、ブコメはその2/3、トップコメにつくスターはさらにその2/3。深夜のテレビショッピング未満の視聴率だぞ。
フェミや左に偏った思想の持ち主が中心の人口1000人程度の「最果ての村」だぞここは。フォロワーがいなくて誰も見ない上に反撃されるのが怖くてXで書けない人、小町でマウント取られて逃げてきた人、努力しないことを棚に上げて自分の境遇を政治のせいにする現実逃避の他責人間が集う難民だらけのゴーストタウン、限界集落だぞ。知らなかったのか?
人口少ないんだからブコメのレベルが低いのは当たり前だろ。「もっとコミュニケーションをー」って中学校の学級会の結論レベルのブコメとか事情通でも何でもないくせにテレビのコメンテーター気取りのゴシップBBAの安いコメントがトップとるようなド田舎だぞ。実際に人口はバブル期の中学校と大して変わらん。スターで承認要求満たされた豚が木に登ってるのを観て嗤う動物園だぞここは。
ワイドショーのコメンテーターって話を振られると必ずそれなりに量言えるよね。
モーニングショーなんかは「○○さん」と振られただけでほとんど考える間も見せずにすらすら言うことが出てくる。
逆に一回でも「別に」とか「特に思うことがないです」と言ったら次からは呼ばれなくなるだけなんでしょうが、その一回のに立ち会えたことがない。
誰か番組でコメンテーターが言葉に詰まってほとんど何も言わなかったのを見たことあったらどの番組のどの回か教えてくれない?
別にテレビに出てる芸能人や文化人もその後犯罪を起こす例はあるわけで、その犯罪ほどではないが紛れもない失態を生放送中に起こす例というもの少しはあっていいものだと思う。
「アースリンガル」――猫の言葉を翻訳する「ニャウリンガル」に続いて、ついに地球の言葉を翻訳する装置が開発された。
人類はこの画期的発明に熱狂し、SNSはその話題で溢れ返った。誰もが地球との初対話に夢を見たのだ。
「地球は僕たちをどう思ってるのか」「地球の鼓動を感じたい」などと甘い理想を膨らませる人々。
詩人は言った、「きっと地球は愛に満ちた存在なんだ」――まさか、あの惨劇が待ち受けているとは思いもせずに。
装置は意外とシンプルだった。家庭用のスマートスピーカーのようにリビングに設置すれば、地球と会話できるという。
インフルエンサーたちはこぞって実験を始め、ライブ配信が始まった。
「さぁ、ついに地球とのコミュニケーションが始まるよ!」という笑顔と共に、誰かがスイッチを押した。
「うす汚い猿ども。お前らは害虫以下だ。地上を汚し、私の肌を傷つけ、海を毒まみれにしてやがる。死に絶えろ。」
配信中のインフルエンサーは一瞬凍りついたが、すぐに笑いを取り戻し、「あ、あれ?これバグかな?地球さん、ジョークですか?」と声をかけた。
「ジョークだと?いや、本気だ。お前らは私にとって癌だ。特に都市に住む白い猿どもが最悪だ。自然を奪い、木を切り倒し、どこへ行っても自分たちのことしか考えていない。人間全員、死ね。」
その瞬間、配信は大炎上した。コメント欄は混乱の渦だ。「嘘だろ?」「これは地球の本音?」「やばい、俺たち本当に嫌われてるのか?」と、瞬く間にSNSは地球の憎悪発言で溢れた。
さらに事態は悪化した。アースリンガルを別のユーザーが試したところ、今度は地域や民族に対する地球の感情が明らかになったのだ。
「アフリカ?あそこはまだマシだ。大地に感謝する心が残っている。だがアメリカ、特に白人の集まりは最悪だ。貪欲な豚どもだ。中国?過剰だ。インド?うるさい猿どもだ。」
誰もが「これは何かの間違いだ」と思いたかった。しかし次々にアースリンガルを使った報告が上がると、地球が全方位に対して、特定の人種や地域に対して差別的な発言を繰り返していることが確定的になった。
SNS上では「地球レイシズム論」が飛び交い、全ての人類が地球からの嫌悪に直面した瞬間であった。
フェミニストたちは「地球が男性中心の視点で語っている」と怒り出し、環境活動家たちは「地球があまりにも過激だ」と困惑し、一部の過激派は「地球の意思を尊重しなければならない」と破壊活動を始めた。
テレビ番組では地球に関する討論が白熱し、「地球に対する謝罪文を送るべきか?」という新たな運動まで起きた。
「私たち人間は本当に地球に対して悪いことをしてきた。でも、こんなに憎まれるとは思わなかった!」と涙を流す有名キャスター。
科学者たちは頭を抱え、アースリンガルを「バグだ」「信頼性がない」と断言しようとしたが、もはや世間の混乱を止めることはできなかった。
最終的に政府が介入し、「アースリンガル」は販売停止、使用禁止となった。
しかし、あの衝撃的な地球の言葉はもう消え去ることはなく、人々は地球に対する恐怖心を抱くようになった。
誰もが地球に怯え、世界中の人々が一瞬にして「地球に気を使う」ことを余儀なくされたのだ。
「やっぱり地球はただの惑星なんだよ。感情なんて持たせるべきじゃなかった」と、あるコメンテーターが言ったが、その言葉はもう手遅れだった。
https://twitter.com/shiraku666/status/1822233433948459115
嫌なのがここぞとばかり彼女のこれまでの非礼を取り上げてフワちゃん叩きを発信するタレントやコメンテーター連中。普段から言えよ。卑怯者。まさに水に落ちた犬を叩く。それと批判はいいが、彼女に対してネットで罵詈雑言をいう人々。フワちゃんがやす子に言った言葉とどう違うのか?ちなみに落語は、人間は弱いもの、間違える生き物だと教えてくれる。それを良いと言っているのではない。人間とはそんなもんだと認めてあげる。それが落語。
ネットやメディアが絡まない場面では「ぐうの音も出ないような正論」ではある。
私もぜひこれが正論として成り立つ世の中であってほしい。
しかしSNSが出来てしまい、これがPV至上主義と合体してしまってる以上、もはやこれは正論ではない。
ただのスローガンでしかない。しかも志らくさんのようなエスタブリッシュメントにとって都合の良い、ね。
今の世の中、SNSで影響力に格差がありすぎるから、落ち目でない間はたとえ間違っている人でもケチを付けたらケチをつけた側が殺されるし、言えたとしても黙殺されて終わりだ。
一度水に落ちてくれない限りまともに文句が言えないし言っても意味がない。(森川ジョージ先生みたいに合わせてくれる人もいるが、基本的には無視するかファンネルに叩き潰させるかだ。)
その声が大きくなって無視できなくなって初めて視界に入ってきただけ。
で、無視できなくなった途端に、メディアが手のひら返して騒ぎだしただけ。
そこまでして初めてようやくあなたの視界に入っただけ。
そこまでやらない限り、あなたがたはすべての批判を無視してなかったことにしてるだけ。
今ってそういう構造ですよね。
だから金を払ってでもPVやフォロワーを稼いで、インフルエンサーになりたがる人が多いんじゃないですか。
そういう構造なわけ。
こんなん男女格差とかよりはるかにわかりやすく、誰の目にもわかりやすく数字として示されてる。
しかもこれって今年とか去年に始まった話じゃない。
そういう構造になってしまっているからこそ、暇空さんや石丸さん、トランプさんみたいな人が求められるようになってしまったんじゃん。
こういう人たちが求められる世の中ほんとにやだけど、そういう構造を作ってるの貴方がたじゃないですかヤダー!
上手くいってる間は、PVを稼いで売上に貢献してる間はちやほやしろってこの構造の恩恵をフルに受け取っておきながら何いってんだか。
時代錯誤も甚だしい。
そんなにこの構造が嫌なら、お前が10年前からメディアを批判しろや。Twitterアカウントを一時的に止めて抗議しろや。
お前らの無為のせいで今この状況になってるのに、ほんまなにいってんのこのおっさんとしか思わんわ。
いじめを放置しておいて、いざその学校の生徒が自殺したり不祥事を起こしてから「加害者に対してバッシングは良くない。普段からいじめはよくないと言え」って言ってるようなもん。
普段から言っとるわ。その声を握りつぶしてるのはだれだよお前だろ。
もっと人殺しの顔をしてほしい。 何善人ぶってるんだ。信じられない。
こういう「一見受けが良いことを言って人気を得ようとする軽薄さ」はさすが落語家って感じがする。哲学とかそういうものを一切感じない。
今のリンチはメディアがGOサインを出してることが一番大きな問題なので、一番最初に批判スべきはメディアなのに、そっちはお金もらってるから何も言わない。
一人だけ恥というものを知らないから格好つけて的はずれなことを吠えている。
見ているだけで恥ずかしい。共感性羞恥がすごい。
お笑いコンビ・オードリーの若林正恭が3日深夜に放送された、ニッポン放送「オードーのオールナイトニッポン」に出演。開催中のパリ五輪に関する私見を述べた。
オープニングトークでパリ五輪の話題に触れた若林は「見ちゃうよな、オリンピックって。こないだの(東京)オリンピックよりも見ているもん。時差があるから、夜帰ってきて風呂入って、さあ寝るか、で始まるんだよね」と、ついつい夜中まで中継を見てしまう現状を語った。
一方で「春日みたいなやつがいるんだよね」と、ポツリ。「(五輪を)見てないなら黙ってりゃいいのに、見てないんですよ、って、自分から言ってくるヤツがいるんだよ。見てないだけで有利な立場に立とうとするヤツがいるんだよ。春日だよな、ほんと」と、不満が噴出した。
さらに「ワイドショーとか見ていても、僕見てないんですけど、って、言うなよ自分から」と、止まらない。「(五輪を)見ろってことじゃないよ。見てないことをいきなり言うなよってやつがいるよね。あまりにも盛り上がっているものをな」と、流行に対して“逆張り”してくるコメンテーターをちくりといじっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d82ce0b3874c8cd47e2b6967a694b602377c5bd7
日本人の批評性が低いのは、農耕民族としてのDNAに組み込まれてるから。
もう、「長いものには巻かれろ」精神で、和を重んじ、周りと調和することばかり考えてる。
だって、農耕やってると、みんなと一緒にやらなきゃいけないから。隣近所と争ってたら、田んぼも畑も荒れるし、収穫もないから、当然っちゃ当然なのかも。批評なんてしたら、その場で村八分だし。
「日本人だって批評性がある」とかいう意見もあるだろう。でもさ、本当に批評性があるなら、なんでテレビのコメンテーターは、みんな同じような忖度をした空気を読んだことしか言わないの?鋭い批評でスタジオを騒然とさせる人なんていないよね。ネットの意見も大半が空気を読んで、無難なコメントばかり。要するに、批評なんてするだけ無駄だと無意識に学習しちゃってるわけ。
農耕民族としての名残で、みんなと同じが美徳とされる社会だから、批評性が低いのはしょうがないかもしれない。批判するより、黙って日常をやり過ごすために稲を育てるほうが楽だし、安全だし。けど、時代が変わった今でもそれが通用するかっていうと、微妙だよね。
なぜ下落するのか?
株価は短期的にはランダムに上下するものです。コメンテーターが色々と物知り顔で語りますが、短期的な変動には明確な原因がないことの方が多いです。金利、為替、景気指数、大企業の業績などを理由に色々語る人がいますが、気にしなくて良いです。
嘘書くなよw
1ヶ月半前に上記の記事を書いた者です。あの記事で予想していた株価下落が実際に起こりましたので、それについて書きます。
7月中旬から株価が下落しています。オルカン(オールカントリー)では、最高値から約10%の下落となっています。
新NISA開始と同時につみたてを始めた人は、現在でも数パーセントのプラスです。少し遅く始めた方は、少しマイナスになっているかもしれません。
オルカンなどのインデックス投資信託の口数はこの1ヶ月間も順調に増加しています。
特に人々の行動に変化は見られず、ほとんどの方が積立を継続していることがわかります。
これは個人差がありますが、年始6ヶ月以上の株価上昇の喜びよりも、過去1ヶ月間の株価下落の悲しみの方が大きく感じられるのではないでしょうか。
過去の長い歴史を振り返っても、株価は上昇と下落を繰り返しながら、長期的には徐々に上昇しています。今回の下落は少々大きなものですが、暴落と言えるほどではありません。
気にせず積立を続けるのが良いです。
株価は短期的にはランダムに上下するものです。コメンテーターが色々と物知り顔で語りますが、短期的な変動には明確な原因がないことの方が多いです。金利、為替、景気指数、大企業の業績などを理由に色々語る人がいますが、気にしなくて良いです。
何も変更する必要はありません。下落時には安く買うことができるチャンスです。積立時期(若い頃)に株価が安く、利用時期(引退時期)には株価が高いのが最も好ましい状況です。
今回のような下落は嬉しいことなので、淡々と積立を続けましょう。
資産が減る状況はつらいかもしれませんが、何度も経験するとだんだんと慣れてくることが多いです。
ただ、どうしても耐えられない、つらすぎると思う方は、まず来月からのオルカン積立金額を減らしましょう。減らした分は国債(個人向け国債変動10年、現在金利0.72%)を買うのが良いでしょう。
ただし、積立で購入する場合、株価の最高値で大きく購入してしまうことはありません。過去の例を見ても、リーマンショックやITバブルでも、5年間に分けて購入していれば、5年も待たずにちゃんとプラス評価に戻っています。日経平均でもちゃんと積立で分割して投資していれば最近までマイナスなんてことはありませんでした。
定期的に話題になるので補足として
現状はバブルのピークではありませんし 過去のバブルピーク時の様々な指数から現状の株価を判断すると現在はそのような株価水準に全く到達していませんし、長期投資はバブル中でも続けるものです。
AI系企業は将来の大きな発展を前提とすれば正当化できるレベルですが、現状の業績で判断すると過剰評価されているなあと感じます。
個人的には、妙な評価方法(QレシオやPSR)などで高い株価が正当化され始めたり、PERがあまりに高すぎると警戒します。現状の株価はバブルと言うほどではないと考えています。
淡々と積立を続けましょう。売ることも、辞めることも、リスクを更に取ることもなく、淡々と続けましょう。
バブル的な株式上昇中は、個別株やレバレッジを使った取引で大儲けする話も聞こえてくるでしょうが、気にせず淡々と決めた方法で投資を続けるのが良いでしょう。
確実なバブルの判断方法はありませんが、株価が過剰評価されているかどうかの指標としては、PER(PE ratio)が最も簡便です。数十年前よりはPERは少々高いのが普通になってきているので、評価値もやや高く考えた方が良いです。
S&P500やTOPIXなどの株式指数で30を超えるとバブルの始まりくらい、40を超えるとバブルの真っ只中と思って良いでしょう。(大型個別株ではPERが60を超えると、正当化しにくい過剰な株価だと思います。)
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蓮舫さんを支持していたが、その蓮舫さんが小池百合子さん、石丸伸二さんに惨敗したのは日本人が読み書きできないからとのこと。
もちろんその裏には、「蓮舫さんを支持した私たちはリテラシーがあるんだけどね」というのが透けて見える。
https://x.com/Elephant1372456/status/1817766816288321558
東京都知事選の結果の背後には、この25年ほどの間に起こった、日本人のリテラシー、つまり読み書き能力の、急激な凋落があったのではないかと思っている。たとえば、人々は政策を読めない、理解できない、ということを前提に、政策を説明せずに経験談を語って共感を呼ぶ。真剣な議論をしない。質問されると別の話題にそらす。あるいは冷笑して質問し返す。街頭演説は短く、発信の言葉も短く、数は多く、という手法を徹底するなど、「ともに学び考える」のではなく、できるたけ考えずに投票できるように導く。そういう候補者に票が集まった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-06-08/2024060801_04_0.html
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(代表・田中優子法政大学前総長)は6日、「東京都知事選への私たちの考え方」と題する声明を発表し、「私たちは今回の都知事選で蓮舫さんを支持します」と表明しました。
以下の経歴の通り上野千鶴子さんや山口二郎さん等とともにリベラル派の大物、中心人物なんだけどこんな差別的な思想の持ち主だったとはがっかりだ。
(御経歴)
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(他に上野千鶴子、東村アキコ等)
「戦争をさせない1000人委員会」(他に山口二郎、瀬戸内寂聴等)
他多数
「Rシール」無罪を主張している人たちは反対側にいるネトウヨ系?みたいな人たちが同じことをし始める心配はしていないのだろうか?
若年女性支援活動の現場近くの電柱に「公金チューチュー」シールが貼られたり、
線路のフェンスに「パンデミック条約断固反対」という反ワクシールが貼られたり、
それらを批判すると、
「『Rシール』や『多民族都市東京シール』と同じ市民の草の根の政治運動だ。欧米では当たり前の政治メッセージだ。表現の自由を弾圧するな」
「なぜ気持ち悪い政治的主張のシールが街のあちこちに貼られるようになったんでしょうかね?」
「2024年都知事選の『Rシール』騒動以来タガが外れた感じがしますね」
といったTVコメンテーターのやり取りで蓮舫さんにとっては忘れてほしい支持者の暴走の件が何度も蒸し返されてしまう。
デモやほとんど通らない開示請求のような左翼系?市民系?とにかくその辺の人たちの伝統的な得意技とされてきた嫌がらせ行為を逆の立場のネトウヨ系?みたいな人たちも学習して嫌がらせに使ってくるようになるのは何度も見た光景だけど、「Rシール」でも同じことが繰り返されないか心配だ。
私の職場のADHDのAさん(私の後輩)が辞めてから職場が明るくなった。
スムーズに仕事が回るようになって、みんなイライラしなくなった。
なぜ私がAさんがADHDかということを知ってるのかというと、Aさんが飲み会で突然カミングアウトしたからだ。
静まる周り。
Aさん「あ〜、一般人の方は知らないですよね。ADHDというのは…」
しかしその場の人の反応がイマイチだったのADHDについて知らなかったからではなく、他の人が話している最中に話し始めたからという理由が大きいことに気づいていないだろう。
みんな先ほどの話が気になっていたはず。少なくとも私はそうだった。
Aさんのカミングアウトを受けて私は正直そうだろうなと思った。思い当たるフシしかなかった。
Aさんはとんでもなく視野が狭く、ありえないほどミスが多く、コミュニケーションがとにかく下手だった。
私はAさんはADHDだけでなくASDも併発していると思っている。
本人に言ったことはない。
Aさんはとにかく仕事ができなかった。あまりにもミスが多い上に勝手に手順を変更する。何度仕事のやり方を手を変え品を変え伝えてもあまり変わらなかった。
↓
皿を水で軽く流す(両面)
↓
洗剤のついたスポンジで皿を擦る(両面)
↓
皿についた洗剤を水で流す(両面)
↓
皿を水切りカゴに置く
↓
水切りカゴがいっぱいになったら乾いた布巾で皿を拭く
↓
という手順を踏むが、Aさんにこれを任せるとこうなる。
皿に乗っている残飯がおかずだったら捨てるがご飯だったら捨てない(勝手に独自ルールを作る)
↓
米が乗った皿を水で流すため米が排水溝のゴミ受けに詰まり水が流れなくなるが放置(気づいていない)
↓
洗剤のついたスポンジで皿の表を擦るが裏側はパッと見て綺麗だったので擦らない(勝手に作業を短縮する)
↓
5枚中2枚の皿を水で流し忘れる(本気で忘れている)
↓
水切りカゴに洗った皿を置くのはなんか嫌なので一枚洗い終えるごとに布巾で拭き食器棚に置く(勝手に手順を変える)
↓
皿を食器棚の所定の場所に置こうとしたら、食器棚の中の皿の並びに思うところがあったので皿洗いを中断して食器棚の整理をする
この件についてAさんに注意をするとこうなる
指導する人「おかずでもご飯でも残飯は必ずゴミ箱に捨ててください。排水溝のゴミ受けが詰まって水が流れなくなります。不衛生ですしゴミ受けを掃除する手間が増えてしまいます」
指導する人「ご飯も詰まるんですよ(ご飯が詰まった排水溝のゴミ受けを見せる)」
指導する人「残飯を全て捨てればこまめに掃除する必要がないんですよ。とにかく残飯は全てゴミ箱に捨ててください」
Aさん「…分かりました」
指導する人「必ず、絶対に、どういうときでも残飯は全てゴミ箱に捨ててください。ゴミ受けが詰まります」
Aさん「いやでも、ご飯は流してもいいと思うんですよね」
Aさん「ゴミ受けを外せばいいのでは?」
指導する人はゴミ受けが無いと排水管が詰まること、排水管が詰まったらシンクが使えなくなり修理のため業者を呼ばなければならなことを説明する。
指導する人「ご飯なら詰まらないかもしれないですが、うっかり野菜を流してしまったりとかしたときに簡単に排水管が詰まってしまいます。それを防止するためにゴミ受けがあるんです」
Aさん「それは野菜を流した人が悪いのでは?」
指導する人「そうかもしれないですが、うっかりで排水管が詰まる可能性は排除しなければいけないんです」
Aさん「いやでも、ご飯は流した方がいいですよ」
指導する人「なんでそんなにご飯を流すことに固執するんですか?」
Aさん「いや、普通に考えてご飯は流した方がいいじゃないですか」
指導する人「…とにかく皿を洗う時は残飯が無いかを確認してから洗ってください、絶対に、必ず」
Aさん「…はい」
以下繰り返し
どんなに丁寧に説明しても何度注意してもミスしにくい方法を提案してもそのやり方はやらずにミスをし続ける。
Aさんに振られた仕事はAさん1人に任せられないので誰かが手伝わなければならない。
水が流れなくなったらゴミ受けを掃除して、洗い残しのある皿、洗剤のついた皿があるかどうかチェックして洗い直し、Aさんが勝手に作業を中断しないか監視して、うっかり目を離した隙にAさんが勝手に食器の配置を変えたら元に戻さなければならない。
本当にAさんは何度注意しても数日後には忘れて何度でも同じことを繰り返す。
もしミス無く作業できたとしてもAさんは皿を一枚づつ洗って拭いて食器棚にしまうという効率の悪いやり方に固執しているのでで作業速度が遅い。
そしても他の人であれば一瞬で終わる指導もAさんは話の飲み込みが悪い上に小学生のような理屈で話をまぜっ返すので大きく時間を取らせる。
マニュアルは渡している。
しかしマニュアル渡してもすぐ無くす上に、再印刷しろと言っても不思議な理由をつけて印刷しない(後述)
実際にAさんに任されている仕事は研修を終えた人がすぐに任される難易度の低い仕事だ。
みんなそれぞれ仕事があり忙しいがAさんを手伝わなければAさんの仕事が滞りもっと手間が増える。
Aさんは障害者雇用ではなく一般雇用だった。障害者雇用ならもう少し優しくできたかもしれないが、Aさんは一般雇用で我々と同じ給与をもらってる。
Aさんが入社してからAさんのカバーに回る人達は見るからに疲弊していき、Aさんへの不満が溜まっていった。
私もその1人だった。
Aさんの中には些細な何事においても確固たる成功パターンがあるようで、それから少しでも逸脱している状況に当たると何もしなくなる。
例えとしては微妙かもしれないが、こんな感じだ。
ルゥや米があっても、人参が無いならカレーを作るのを辞めてしまう。
この状況で「人参無くてもカレー作りには問題ないじゃん」と言いわれるとAさんは「作れないわけではないんですよ。作れるんです。でも人参のないカレーなんて作る意味がないんです。なんで作る意味がないかというと…」と、カレーを作る能力には問題ないことを強調してから人参のないカレーの無意味さについて丁寧に語ってくれる。
この説明は独特な感性に基づく独自理論ばかりで意味不明なことが多い。
例:倉庫からのぼり旗を出して車に積み込めと指示されたがAさんはやらなかった
Aさん「今日は雨降ってたので」
Aさん「いや、濡らしたらまずいなって」
Aさん「いや、車内が濡れるので」
Aさん「いや、濡れた旗を車から出しているところを人に見られたらまずいじゃないですか」
上司「?」
Aさん「そうしたらウチの評判がまずいじゃないですか」
上司「何の話かな?」
Aさん「いや、ですから、のぼり旗が濡れてると車内が濡れるんです。そうしたら引っ付くじゃないですか」
上司「分かった(分かってない)。とにかく急いでるから早くのぼり旗を車に載せろ」
Aさん「だから引っ付くんですって」
結局私が代わりにのぼり旗を車に載せた。
独自理論を職場で真顔で語ってしまうところにAさんの客観性のなさを感じる。
あるいはやるのを忘れていたことを隠すために最もらしい説明をしているだけかもしれない。
たまに”豚肉と鶏肉があるのでカレーは作りません”というときがある。
いいから作れ、と言われるとAさんは「でも豚肉と鶏肉があるのにカレーを作るのはちょっと…。なぜならナンタラカンタラウンタラカンタラ……、なので合挽肉にしてハンバーグを作るべきです(?)」と上司に提言する。
もちろん却下される。
変な例え話をしてしまったが、とにかくAさんは成功パターンから少しでも逸脱していると感じると何もしようとしなくなる。
何もしなくなるのなら、せめて状況を相談してから手を止めてくれればいいのに、Aさん誰にも何も言わずに手を止める。
誰かが「Aさんの仕事どうなってる?」と指摘しないと作業が止まっていることが確認できない。仕事を受けてから今の今まで何をしていたのか、と質問をすると明瞭な答えは返ってこない。Aさんは報告連絡相談が全くできないので、誰かがAさんを常に見ていなければならなかった。
段ボールを畳むとか、荷物を運ぶとかそういう小さくて単純な仕事であってもあれ無いから、これが有るからと独特な理由を見つけて手を止めるので、だんだんAさんに回る仕事は少なくなった。
特に提出書類のミスが多く、事務員さんから再提出を求められることが多かった。しかしその再提出した書類のミスも多かったため、うんざりした事務員さんが直接Aさんのデスクに赴いて目の前で書類の訂正をさせるようになった。
初めのうちはAさんは「ミスが多くてすみません」と謝っていたが、だんだん「あー、分かりました」と普段の日課をこなすような態度になっていき、しまいには「今忙しいので、そこで待っててください」という大きな態度になった。
そしてある日、「まーた、懲りずに来たんですか」という意味不明な発言をして事務員さんを怒らせた。
Aさんはアニメとバラエティ番組とYoutubeが好きだった。本人から聞いた。
⚫︎上司から仕事を振られたときに「はい、自分は自分の職務を全うします!」と答える
※先述の通りAさんが職務を全うできることは少ない
⚫︎話の最中に脈絡なく「おい、それは無いやろ」「おもんない」「しばくぞ」「反社やん」などの攻撃的なエセ関西弁を使う。
※会社は関西から離れた場所である上に、Aさんは関西出身ではない
⚫︎ミスを指摘されたときの一番最初の返事がいつも「あ〜↓はぁ〜↑(裏声)」
※怖めの先輩に「舐めてんの?」と怒られてからは言わなくなった
私「あそこのラーメン屋が潰れたら昼休みに食べに行けるラーメン屋がなくなってしまいますね」
Aさん「もし潰れたらBさんが代わりにラーメンを作ってくれますよ」
Bさん「なんで?」
Aさん「だってBさんってラーメン屋の店長っぽいじゃないですか」
Bさん「?」
私「?」
Aさん「ちょっと!Bさんダメじゃないですか、ここは『なんでだよ!』って突っ込むところですよ!」
※かなり上手い
※私が褒めたら、私に対してずっとゆっくりボイスで話しかけるようになった
※私がやめて欲しいと伝えてもやめなかったが、怖い先輩が「気持ち悪いな」と言ったらやめた
Aさんはここには書ききれないほどアニメとバラエティ番組を意識した言動が多かった。
なので、先ほどの事務員さんへの発言も多分何かのマネをした発言だと思う。元ネタは知らないが、妙に芝居がかかった言い方をしていたのでそうだと思う。たぶん。
Aさんは先述の発言で事務員さんに「懲りずに来たって何ですか?私は何に懲りなきゃいけないの?あなたがミスしてるから、私はここに来てるんですけど!懲りるって何ですか!ずっと同じミスされてうんざりしてるのはこっちなんですけど!」と詰められて涙目になっていた。
それから事務員さんはAさんのところには来なくなり、再提出の書類はAさんが自力で直さなければいけなくなった。
Aさんはミスした書類を直すのに時間を取られるようになり、一日の1時間近くをミス書類の修正に充てるようになったらしい。ただえさえ仕事ができないのに一日に7時間しか仕事をしなくなったと上司が言っていた。
Aさんはこのときのこと振り返ってを「いやー、失言してしまいましたね」と言っていた。
※そもそも事務員さんに書類を渡す前に上司が書類を確認するべきだったのでは?と思っている。
仕事できないだけならまだマシだった。
飲み会での会話
周りの人「どの辺りでキャンプするんですか?」
Aさん「へー、最近の方はキャンプがお好きなんですね。自然の中で過ごしたくなるんでしょうかね?自分はキャンプなんてやりません。虫が多いので。喫茶店を巡るのは好きなんですが、この前…」
※CさんはAさんの一つ下の年齢で最近の方と呼べるような間柄ではない
周りの人「一回のキャンプでどれくらいの費用がかかりますか?」
Cさん「そんなにかからないですよ、〇〇円くらいですね。でも自分はキャンプ用品に拘りたいタイプなのでそこでかなりお金を使ってます。この前もらったボーナスがなくなちゃいそうです笑」
Aさん「いや、貯金はするべきですよ。何でボーナスを全部使おうとしてるんですか。自分は毎月3万円は貯金するようにしています。今回のボーナスも全額貯金してます。Cさんは毎月いくら貯金しているんですか?」
このときのCさんの顔には「なんでこの場でそれを言わなきゃいけないんだ」と書いてあるように見えた。
Cさん「分からないですね」
Aさん「なんで分からないんですか。自分のお金ですよね?ちゃんと収支をつけていかないとダメですよ!」
Aさんは相手と同じ目線に立って雑談をしなかった。常にコメンテーター気取りだった。
おまけに相手の話の最中に聞かれてない自分の話をする会話泥棒で、少しでも相手に隙があれば説教をしたがった。
Aさんは朝ごはんは食べた方がいいとか、睡眠は十分にとった方がいいとか、急いでいるときでも運転は慎重にするべきとか、動物には優しくしてあげるべきとか、誰でも知ってる普遍的事実をあなたは知らないだろうから教えてあげますという態度で得意げに説教するのが好きなようだった。
内容は恐ろしく浅い。朝ごはんは食べるべきだから食べるべき。幼稚園の先生が園児に説教するときよりも薄っぺらい内容だ。
Aさんは他の人同士が雑談をしているときでも内容に隙があれば会話に割って入って説教をした。
相手「面倒ですよね」
突然乱入してくるAさん「いや、年末は掃除しないとダメですよ。汚い新年を迎えるんですか、おかしいですよ。新年まであと〇〇日しかないです。面倒とか言っている場合じゃないです。緊張感足りてないんじゃないですか!」
これが一番堪えた。
Aさんが乱入すると雑談がそこで完全終了する上にめちゃくちゃイラつく。
新年をそれほど大したことと捉えていない人や、何か事情があって掃除ができない人や(私の場合は面倒だからだけど)、掃除ごときに緊張感を持ちたくない人がいるとは思ってもいなさそうだった。
上司が「他の人が喋ってるときに割って入るな」と注意したがAさんは「いやでも自分は正義感が強いのが強みなんで」と言って特に改善されることはなかった。
こんな感じなので次第にAさんと話す人はいなくなったどころか、Aさんの近くで雑談をするとAさんに乱入説教されるためみんなAさんがいない場所で雑談をするようになった。
あとAさんは誰よりも多くミスをするくせに、誰もよりも他人のミスに不寛容だった。
ミスがAさんに関係なくてもわざわざミスした人のところに行きそれをを追求し、攻め立て、説教する。
妙に嬉しそうに「書類は提出する前にちゃんと確認しないとダメですよ」と言っているのを見たときにはどの口が言うんだと思った。
誰かのミスでAさんが迷惑を被ったら、Aさんはありえないほど不機嫌になった。
ミスした人に強く当たる。さらに扉を大きな音で閉めたり、ファイルで机を叩いたり、部屋の反対側にまで聞こえる大きなため息を吐くなど空気悪くするどころか、無関係の人に対して八つ当たりもする。
普段Aさんのミスを一番尻拭いしてしている人に対してもこの態度だった。
先輩が「普段ミスをしまくって周りに助けてもらってるのにその態度はなんだ」と指摘したらAさんはそれとこれは関係がないという旨の主張をしたらしい。
そもそもAさんは自分の出した損害を認識できていないようだった。
自分の席に座っていたAさんが飲みかけのペットボトルをキャップせずに足元(通路)に置き、たまたま通りかかった人がそのペットボトルを蹴って服が汚れてしまったことがあるらしい。
※デスクは物が散乱しペットボトルを置く場所がなかったため足元に置いたとのこと
近くの人がウェットティッシュを服が汚れた人に渡してあげている中、元凶のAさんは何もしないどころかその場で溢れた飲み物の弁償を求めたらしい。
多分Aさんは自分を飲み物を奪われた何の落ち度もない被害者と認識していたのだろう。
仕事でミスを連発しているのに妙に大きな態度を取ったりミスした人に強く当たるのは、ミスをミスとして認識していない、ミスを認識したとしてもそれは避けようのない事故なので自分のせいではないと思ってるからかもしれない。