はてなキーワード: お笑い芸人とは
お笑い芸人に例えると誰に似てる感じ?
ボーカロイドは知っている、初音ミクは知っている、という人はインターネット上ではかなり多いと思う。
もしくは世代によって「メルトが好きだった」「千本桜が好きだった」「エイリアンエイリアンが好きだった」などと具体的に知る人も多いだろう。
ただ世間で有名なボカロ曲というとニコニコ動画基準で100万再生は回っているものが多く、そうでなくとも大体が10万再生を超える。
だが殆どのボカロ曲は、実は1000再生未満で終わるのが現実である。
1000再生を越えるボカロ曲はせいぜい1割前後だと聞いた事がある。情報によってぶれはあるが十何パーセントだったり、一桁パーセントの時もある。
本当に上の上のボカロPなんかは出した曲ことごとく100万再生される一方、いつも三桁にとどまるボカロPもいる。(二桁で終わる事はよっぽど)
増田もまたボカロPなので、他のボカロPと交流を持つ。そしてこの中には三桁の壁を越えられていない人もいる。
もちろん評価は技術・クオリティとも関わりがある。ふつうに考えて上手なものは評価されるし、上手じゃないものは評価されない。
だがその三桁の壁と戦う人が、自分よりも技術があって、知識豊かだということも少なくない。
何故伸びないんだとのたうち回っている彼らに言ってやりたいけど、直接言う勇気がない事を今から増田にぶちまけようと思う。
①サムネイルにやる気なし
テクスチャに曲名文字で書いただけみたいなの多すぎ。今初めて知った曲名に興味持ってクリックする人いるか?
「サムネ釣りは悪。中身で勝負。」みたいなタイプの人もいるけど、だからクリックしてもらえないとその中身が見てもらえないんだってば。
キャラ絵を使わないテクスチャでも良いと思うけど、その分ハイセンスさが要求されるからセンスに自信がある人だけにした方が良いと思う。
②ボーカルにやる気なし
一般的に言うと調教が下手。曲だけ聞くとクオリティ高いとか技術的に凝ってるのに、歌の所だけ死ぬほど下手。
絵で例えると、線画ヘタクソだけど塗りだけは凝ってる絵師みたいな感じ。ブラシがどうとか言う前にデッサンやれよって感じ。増田の絵がこんな感じ。
もう少し正確に言うと、曲と歌のレベル感が違いすぎて浮くのがものすごくよくない。これではイントロがよさげだったのに歌に入ったらそっ閉じである。
今回はたまたま再生してくれたかもしれないけど、次につながらない。
③宣伝にやる気なし
伸びない動画は、誰が、何を欲して、どう経由して、自分の動画に辿り着くのかという導線が全く整備されていない。
マイナー音源ならともかく、「タグ:ミクオリジナル曲 ソート:新着順」はあまりに頼りない。
この前お笑い芸人の粗品が初音ミクの曲を投稿してめちゃくちゃ伸びた。
勿論「芸能人だからネームバリューで伸びたんだろ」というのもあるのだが、実は細かい所が結構上手だ。
サムネイルの絵が綺麗で、思わず中身が気になるキャッチーなタイトル。芸能人である事を抜きにしても既にクリックしたい。と思った。
ボーカルは上手くないけど、全体のレトロな雰囲気とはなんとなく調和が取れてる気がする。
勿論、「俺は再生が例え0でも作りたいものを作る、好きなようにやるぜ!」っていうならそれはそれでいいと思うんだけど、
いやキズナアイや輝夜月が話題になりはじめた頃からチラチラ見てはいたんですよ。
ただまあ最近の商業Vtuberはほら、にじさんじとかホロライブとか、「箱」での売り出しが主流じゃないですか。
YouTubeのリコメンドで流れてきたのをたまに観るくらいで。
それがここ一週間くらい、とあるVtuberにドハマリしてるんですよ。
文野環っていうんですけど。
文野環、知ってます?
にじさんじの人なんですけど。
https://www.youtube.com/watch?v=o5lQ815Wsgs
・自転車でごはんバーガーを買いに行く(そのあいだ無言で配信継続中)
・一時間後に再開
これぞ文野環というシロモノです。
「人の話を聞かない」
「軽い虚言癖」
しかし楽しく観られる。
ほら、インターネットには障害者をイジって遊んでる集団がいるじゃないですか。
シャムとかなんとか他に知らんけど。
ああいうのって相手はだいたい顔出ししてるから趣味の悪さが滲み出てくるんですよ。
でもVtuberは可愛い美少女なので、オブラートに包まれてるんですよね。
キチガイでもギター抱えてりゃカリスマロックンローラーみたいな話です。
V>視聴者という権力構造が生まれるんですよね(いまのところは)。
ましてや障害者イジリ界隈だと完全にヲチャ>踊り子ですからね。
でもVtuberにはどんな奇行をしても「個性」「魅力」として尊重される文化がある。
それがばーちゃるゆーちゅーばーなんだよなあ。
増田でも「Vtuberは終わった」ってたくさん言われてるし、
と思ってたら普通に頑張ってやってるじゃないですか。
そんことないよ、って反射的に書こうと思ったけど、色々想定してみるとシンプルにそう言い切ることもできない気がする。
・ゾーニングされて見たい人にしか見れない状態であれば良いのでは
・ゾーニングされている中にも「これは世の中に害を成すのでは…」レベルの悪意の表現はあり得るのか(具体的に想像できていない可能性)
・今現在の視点ではゾーニングができていれば、でよいような気がするが、国や地域や時代によって視点は異なる。
・ゾーニングされていない表現の中にも「その気配」を感じとることはある。一見ほのぼの日常ものの中で、性的な表現が表れるような。
・テレビ番組の中で、お笑い芸人のいわゆるいじめ芸がパッシングされ見られなくなるように、フィクション表現の中でも少しずつ変化が進んでいるか。(未観測なので変わっているのかわからない)
人によって観測範囲が違うから、増田が懸念している範囲もどこまでかはわからない。継続的な問題提起とすり合わせが必要と思われる。
バラエティ番組で渡部建があの肉狂い寺門ジモンと共演してる時の話なんだけど、ジモンが渡部建に対して
「俺をお前みたいなニワカと一緒にするな!小学生の頃から俺はお小遣い握りしめて美味い店探し歩いてたんだぞ!」
的な事言われてたのね。
それに対して渡部建は何も言い返せないばかりか何の面白い反応もしなかった。
そもそもお笑い芸人として大した実力もないのに、なんで渡部建の好感度が高いのか、支持されてるのかずっと疑問だった。
テレビを通してでもあの裏がある感じというか、何かきな臭い感じを読み取れるのに、世間が騙されたしショックだった的な反応してるのには驚いている。
どう見たって誠実な男には見えなくね?
昔A君という友達がいた。A君は日本人とアフリカ系のハーフだった。見た目は日本人離れしてたし、アフリカ系の名前を使っていた。A君は生まれも育ちも日本だった。人間性や語学力など諸々は日本人そのものだった。自分とは何一つ変わることのない日本人学生だった。A君は体格が良くて、バスケットボールが上手だった。しゃべるのが上手くて、面白いことをいっぱい言う人だった。クラスの中心的人物で、誰からも好かれていた。
一方の自分は日陰者で、A君が羨ましかった。ハーフであることもA君を引き立てる要素だと思っていたし、恵まれた運動能力にも嫉妬していた。
自分たちとは違って、外国の要素を生まれ持ったA君は、好奇の目に晒される瞬間があった。歴史や英語の授業で、A君の家族の国の出身地が出てきたりすると、みんながちらっとA君の方を見る。からかうヤツもいた。A君は笑いをとるのが好きだった。お笑い芸人のネタとかをみんなの前で平気で披露するような人だった。だけど、自分の人種が絡むことで笑いを取ろうとしたことはただの一度もなかったような気がする。もう20年も前の話だから記憶は定かではないけど、そんな気がする。その場をやり過ごそうとする、気まずそうな苦い表情ばかりが思い出される。いつもはケラケラ笑っているひとだったのに。
A君とは卒業後すぐ疎遠になった。大人になった自分の目線で、A君のことを想う機会がなかった。あんなにクラスの中心で輝いていたけど、A君は実は嫌な思いをたくさんしていたのかもしれない。ガキだった自分はただの一度もその可能性に思い至らなかった。
「差別をなくそう」なんて声高に叫んだことはない。だけどいま、恥ずかしくて、情けなくて、申し訳ないという気持ちが湧いてくる。A君に対して失礼なことをしてしまったことがあるような気がする。そしてそれをいままで気にせずに、のうのうと生きてきたのだと思い知る。
自分たちは、A君の強さに助けられていたってことではないのか。本当に申し訳ない。いまからでも、自分に何ができるか考える。あのときのA君のような苦い表情を浮かべる人が減るように。申し訳ない。申し訳ない。申し訳ない。
岡村と言えば山ちゃんも逆転人生で出ているNHKだが、NHKはアメリカの抗議活動について不適切なアニメを作ってしまった。
瀧も沢尻も許されなかったのになぜか徳井は許された大河ドラマ。
その大河自体がコロナで中断を余儀なくされ、往年の大河の名シーン集に急遽差し替えられた。
渡部謙の不倫で批判を受け、社会的に不倫を許さない空気が醸成された中で、同じく不倫問題の当事者であった渡辺建の独眼竜を放映。
また、山ちゃんを始め、お笑い芸人と絶世の美女の結婚は社会に勇気を与えたが、結婚できない芸人もいるので矢部にピシャリとたしなめられる。
♦︎やらかしたらしいっすね。
♦︎解雇と聞きましたけど?
♠︎あらそうなん?重いわねーでもみんな辞めろ辞めろって言うてはったね。
♦︎ねー、反社会的って言うてはった。
♦︎お金の出どころ考えたらね、飲んで食うてる場合やないて。おばあちゃんらをどんだけ泣かせたと思うとるんやろ。
♠︎おばあちゃんらまで泣かしたん?あかんね。というかコロナやから?まさかおばあちゃんらまで…。
♦︎年の問題やないけどね。コロナも大変かもわからんけど。まあ確かに年寄り言うたらお金のこともキツイけど、コロナはしんどいか。
♦︎けんちゃん?可哀想といえば可哀想やけど…。あれは正味、自業自得のとこもあるで?
♦︎いや可哀想ではあるがよ、女遊びし過ぎたんやろ?
♠︎女遊びて。知り合いのママさんのとこで飲んでただけやろ。
♦︎ママさんやないやろ。飲んでたって何を飲むねん。
♠︎酒に決まっとうと。
♦︎そんな可愛らしい話やったっけ?
♠︎けんちゃんを何や思うてんねん。あんた…もう二度とコントも見れへんのに。
♦︎まあ見えひんかもなあ…。
♠︎あんな芸人はもう出てこんと思う。つらいわ。最近はだいごとの掛け合いもおもろかったのに。
♠︎あんた、だいごはテレビ出てたやろずっと。別のだいごと間違えてへん?占いの。
♦︎さすがにそれとは間違えとらんさ。でもええやんね、美人の奥さんもらって仕事にも力入っとうやろね。
♠︎あんたそれ、他の芸人らと間違えとうやん。完全に。山ちゃんか渡部やろ。
♠︎どうなるって、最期まで一人に決めんと逝ってもうたわ。
って結局何なんすかね?
メディアでも今では当たり前に使われてる「アンジャッシュ渡部」みたいな呼び方。
当方の記憶だとビビる大木が相方の廃業でピンにならざるを得なくなった事情で使いだして
人気が出だした頃のカンニング竹山が名乗った事で浸透し始めたような印象がある。
その前の世代のボキャブラ芸人やそれ以前のダウンタウンウンナンとんねるすナインティナインみたいな人気お笑い芸人に対しては
グループ名+名字でひとくくりにして語られる事はほぼ無かったはず。あくまでダウンタウンの松本人志といった普通の紹介のされ方。
爆笑問題が爆笑太田、みたいな事はあったかもしれないけどあまり目立っては無かった。
ドリフターズの○○、といった使われ方はほぼ無くて名前一本だけで勝負できてた感じ。
バラエティ番組で渡部建があの肉狂い寺門ジモンと共演してる時の話なんだけど、ジモンが渡部建に対して
「俺をお前みたいなニワカと一緒にするな!小学生の頃から俺はお小遣い握りしめて美味い店探し歩いてたんだぞ!」
的な事言われてたのね。
それに対して渡部建は何も言い返せないばかりか何の面白い反応もしなかった。
そもそもお笑い芸人として大した実力もないのに、なんで渡部建の好感度が高いのか、支持されてるのかずっと疑問だった。
テレビを通してでもあの裏がある感じというか、何かきな臭い感じを読み取れるのに、世間が騙されたしショックだった的な反応してるのには驚いている。
どう見たって誠実な男には見えなくね?
一部界隈に、パートナーのことを『相方』と呼ぶ文化があることは、多くの人が知っていることと思う。
「お笑い芸人かよ」「素直に恋人って言えよ」という批判もそれなりにあるのだが、
恋愛的な意味ではない、自分にとってオンリーワンの相手に使うことも少なくないため、個人的には普通に受け入れている風習だった。
ところがつい先日である。
コロナ以来で久々に会ったバイセクシャル(男女共に恋愛対象と見ている)の知人が、同性の『相方』さんを連れてきた。
これはそういう仲になのか? と相方さんが席を外したタイミングで聞いてみたところ、まだバイセクシャルであることは伝えておらず、恋愛関係ではないと言う。
『相方』という呼び方が恋愛と関係なくとも使うのはわかっているが、この場合は実際に恋人になってから呼び名を変えた方がいいのでは? と疑問を覚えたのだが
曰く、相方さんは同性から特にモテる為、周りの人間への牽制のために『相方』と呼んでおり、当人にそのことは伝えていないらしい。
つまり『相方』という呼び方が恋愛、恋愛外双方のパートナーに使われているのを利用して、
『相方』と呼んで勝手に恋人面をしながら、注意されたら「『相方』ってそういう意味じゃないし」と言い逃れをする、という行動をとっていたのだ。
正直に言って、卑しく気持ちの悪い発想だと思った。
しかし当人曰くこれはよく使われている手法で、むしろ恋愛感情のある自分はマシな方であり、
性質が悪いタイプだと、恋愛対象ではないが他人に渡したくない同性の友人を『相方』と呼んで異性を遠ざけさせ、自分だけは異性の恋人を作る、という手合いがゴロゴロ居るのだという。
本当にゴロゴロ居るのかはわからないが、そう言われるとしっくり来る、もしやアレはそうだったのか、という記憶が幾らかあった。
コロナで自粛していたここ数カ月、暇を見つけてはVtuber動画に熱中していた自分だったが、最近段々と我に返ったかのように熱が冷めてきた。しかしなぜだろうとその理由を考えてみた。
・まずチャンネルページの動画一覧にずらりとサムネが並んでいるのがなんかダサい。1本あたり一時間とか二時間とかの中身のないだらだらとした雑談とか下手くそなゲーム実況で埋め尽くされているため、Vtuberの活動って一体何なんだろうと思ってしまう。(おまけに同じ企業でも膨大な数の配信者がいるため、視聴者の時間の奪い合いをしているのだと考えると虚しくなる)
・「チャンネル登録者数〇〇万人達成!!」とかの文言をみると結局、空虚な数の競い合いなんだと思えてしまう。(おまけに毎度のこと誕生日パーティーのような催しが盛大になされる)
・配信開始前にOPがついてる必死さが萎える。(peercastやニコ生にOPついてるのを想像するとなんか笑ってしまう)
・日本のアニメ漫画文化を培ってきた人々の成果を、なんだかタダ乗りしているような気がする。(Vの人たちも普通の声優と変わらない気もするのだが、しかし声優は声優で技術を磨き一つの仕事に専念して偉大な作品を作り上げてきたはずだ)
・知らぬ間にライブでずいぶん盛り上がったようだが、しかしこれも考えてみれば他の歌手の曲を「歌ってみた」だけだった。
・コロナで世間が混乱しているさなか、棚から牡丹餅とばかりに集金活動に勤しむ。(ちゃんと寄付とかしてるのか?)
・他人の著作物は金儲けに利用するが、自分たちの3Dモデルを金儲けに使われるのは規約違反という徹底さ。
しかし結局やってる内容はテレビのバラエティ以下なんじゃないか?彼ら彼女らにとってゲーム自体に興味はなく、数字が稼げればそれでいいのだ。
最近あった権利問題にしろ、何もかもがグダグダで中途半端な印象でしかなくなってしまった。身内のごたごたがある種のコンテンツになっているが、そんなもの楽しんでも仕方がない。
これからの時代、クリエーター志望の若い子が金儲け主義に走って中身のないコンテンツを量産しまくるのだと考えると暗澹たる思いだ。そのうち大手広告代理店なんかが絡んでそれは加速していくのだろうか。
もちろんすべて個人の感想でしかない。ただ、この業界全体を俯瞰して思うことは、やってることの割には金が流れ過ぎなんじゃねぇの?とは思う。初期の頃はこれが次の時代を担う新しい文化なんだなぁと思っていたのだが、如何せん場末の地下アイドル崩れみたいな連中が何の目的も高度な技術もなく、巨大なプラットフォーマーら(Youtube、エンジニア、イラストレーターなど)数字至上主義の連中の食い物にされているような気がして、肝心の「物語」がうまれてこず、オタク人生を数十年続けてきた身としては、ますます日本のオタク文化もつまらなくなるのかなと思った今日この頃。
こいつらは数年後、何をもって「私たち、頑張ったよね?」と互いを激励し合えるのだろうか?後に残るであろうものは、膨大な時間を浪費しただけの空虚な動画の一覧ばかりだ。頑張ったと言えば頑張ったといえるであろうが、やっぱり無といえば無だよな・・・と思えるそんな危うい業界。
自分がコロナで鬱になってるだけかもしれないから、聞き流してもらって構わない。
自分もVTuberのそれぞれ個性的な声とイラストのマッチングのクオリティに当初は感動さえ覚えていたもので、これが新しい文化を作ればいいと思っていた。(彼ら彼女らは、なんというかうまく言葉にできないけど、現実の人間と、2次元のキャラクターというものの枠組みを拡張させる何かがあるような気がした。)
しかし結局自分に対するコメにもある通り、嫌儲的な思想にならざるを得ないし、そうなることが正義のような気がする。
彼女らは自分たちで実際にソシャゲやゲームの課金要素に金を突っ込みまくり、それがさも普通の事であるかのように演出してみせる。そうなると当然、彼女らにスパチャを投げるのが当然のことなのだと若い子らを間接的に洗脳する。(Vtuber本人たちにもその意図が見え透いている感じがする。)
現代の貧乏な日本社会では、本を買う金すらも惜しむはずなのに、あんなものに金を突っ込んで本当に大丈夫なのか?と考えざるを得ない。
確かに世の中にはソシャゲやらなんやら巧妙な商法がもはや当然のようにまかり通っているが、Vtuberもまた、形を変えたキャバクラやホストのようなものだときつく言及しておいたほうがいいのではないか。
あの高速で流れる赤スパ(1万円の寄付)のような、金の流れを見ていると、自分もこの流れに乗らなければならない!と熱狂してしまう人間が少なからずいることは当然のことではないのか。一時の感情に瞬間的に値段をつけさせるシステムが怖い、というのもある。
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
そんな人たちが頑張って毎日のように配信したりTwitterで宣伝する姿は胸打つものがあるのだが、これも結局バックの何も考えていない大人たちに踊らされている気がしている。(ある配信者は、得意だったテトリス配信が権利関係のごたごたでできなくなってしまった)。
彼女たちは政治について語ることはないし、語ることもできない。無駄に歳を重ねて新しい若い子がでてきて一瞬で捨てられて忘れられてしまうのかなと思ってしまう。そう考えると彼女たちに全力でコミットできない。
自分はVの世界というか、アニメ漫画業界、あるいは今はGAFAに乗っ取られた日本社会全体について危惧している気がする。金持ちがいくら散財しようが知ったことではないが、10年後、20年後に咲く花の種を今植え始めたのだと考えると、今のアニメ業界(なろう系のような)を見れば焦土と化しつつあるのは火を見るよりも明らかだ。
既存のyoutuberや自分の嫌儲思想とごっちゃにするなという意見はわかるが、全てはつながっているし、つながってしまった。
youtubeというプラットフォームのせいで、どのコンテンツにどれくらいの価値があるかということが、動画再生数やチャンネル登録者数で決められてしまうような気がしている。そんな世界からオリジナリティのあるものなど生まれてこないのだ。なぜ、しょうもないお笑い芸人やyoutuberたちと高尚なオタク文化が混同されなければならんのだ。
Vtuberだけが倫理観のあるプラットフォーマーが構築した独自のシステムに移行するというのなら、自分は喜んで金を出すだろう。これだけ無駄に長い謎長文を書いてるんだから、自分がどれだけVtuberを愛しているかわかるだろう。
何か根本的なものが間違っている、これでは10年後に何も咲くものないのではないか、ということがいいたいだけだ。
確かに自分にしか当てはまらない、1つの実感でしかないかもしれない。自分には向いていないものかもしれないし、知らないVもたくさんいたことだろう。しかしなぜ、このような戯言のくだらない記事がここまで伸びてしまったか、そのこと、その事実そのものについて考えてみてほしい。熱狂していたものに冷めてしまうことというのは、日本人の戦争に対する見方を取り出すまでもないが、勝手に信じて勝手に裏切られたような気持ちになるのは見当違いだろう。「興味ないなら黙っていればいいじゃん」というロジックの人間は、ならば自分のこの記事に対しても余計なことを言わず黙ってスルーしてればいいじゃん、と忠告しておく。
いや、皆様本当に申し訳ない。こんな記事にたくさんのマジレス頂いて本当に恐縮しております。
考えてみれば自分がこんな文章書こうと思ったのはつい数日前にnetflixで攻殻機動隊見てそのクオリティの高さを改めて思い知り、今のアニメ産業に言いがかり的に文句言いたかっただけのようだ。自分の精神的な未熟さを甘んじて受け止めると共に、確かに自分もVtuberのことを皆様ほどあまりよく知らないのです。この記事にしたってよく考えて書いたわけではないし、ふと日本のサブカルチャー的なものに不安を感じてしまい、気軽なつもりで書いてみたら予想外に伸びてしまいました。
しかし逆にどうしてこれだけの人がこの記事に反応しちゃったのか疑問でもあります。
むしろ皆さまの方にV業界に関して思うところがあるのではないでしょうか?どうでもいいならむしろスルーしているはずです。それがこの業界の"鉄則"だったはず。
業界に対して、何か思うところがあるのなら、今のうちにちゃんと議論しておいて小さな芽は潰しておいたほうがいいのでは?
次に何を書けばもっと伸びるか考えてる。こりゃ確かにハマるわ。こうやって数字稼ぎを頑張ってるんだね、今の人々は。コメント欄でも書かれていたが、何もかも "not for me"だよ。すべてブーメランなんじゃないか?
そもそも俺は何も考えて書いてないもの。何を書いたのかももう忘れてしまった。
実は俺には何の信念もないし、何もよくわかってないし、何も考えていない。
それでも今のあなた達のような人々の神経を逆なでするくらいは、どんなネタでもあっけなく簡単にできるということが今回分かった。
この流れに乗じて言うが、コロナの件でも思ったけど今の人たちは言葉数が少なすぎじゃないか?
そうやって気にいらない意見を全力で叩き潰そうとしてもがき苦しんでいる姿があなた達の"病理"だと思う。
行け!もうすぐで200だ!
200行ったら記念配信するからみんな赤スパ投げてねv(^^)
今のあなた方を煽って数字を稼ぐのも、喜ばせてスパチャ投げさせるのも、赤子の手をひねるように簡単かもしれない。
ただ反応してるだけで、何の信念もない。もちろんこの記事も中身がない。
いつの間にか200行った!見ろ、数字ってのはこうやって稼ぐんだよ。
ふとVtuber的なもののパロディをこの場で再現できるのではないかと思いつき、良質な中身のないコンテンツを皆様にお届けできるかと思ったのだが、さすがに疲れたのでここで降りる。あなた達の時間を奪うことは、私の時間を無駄にすることと即ち同じだった。
たった少数の人間にたくさんの人間の人生の時間と金を消費されてることについてもっと考えてほしい。特に最後までこの記事を読んでしまったような人達と、給付金を一瞬でVに散財してしまったフリーターの友人に対しては。
自分はゆたぼんがお前らのせいでダークサイドに落ちないように見守る仕事に専念する。
起きたらまだ伸びてたので最後に1つ、自分が本当に言いたいことだけ書いておく。
別に特定の企業がどうとか、権利関係がどうとか、V業界に関する不満をぶつけてるわけではない。
それは飽くまできっかけに過ぎない。
このコロナ禍で思ったことは、個々の人間がどう立ち回れば自分が最も有利なポジションにつけるか少なからず学んでしまったことにあるんじゃないか、ということだ。
自分はたまたま在宅勤務を命じられて家にいることができたけど、現実には外で仕事するしかできない人間がたくさんいるってことだ。そいつらの中にはウィルスに感染して自粛警察や近所の人間に心無い迫害を受けたり、あるいは破産して生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっている奴もいる。
ところがyoutuberはどうだ?むしろこの機に乗じて独り勝ちして、リアルが上手くいかずやけくそになってる引きこもりリスナーは金を吐き出しまくっている。
確かに嫌儲は不健全な思想だろう。けれどこれが、儲けるにせよ儲けないにせよ自己責任という形をとってほしくないのだ。
自粛して家にいた若い子供たちの中に、恐らくこう思ってる奴もたくさんいるかもしれない。
「なんだ、結局外に出て働いている奴がバカで、家にいて配信で人集めて金稼いだ奴が勝ちなんだ」と。
これは俺の思い込みかもしれない。しかしそうでもないかもしれない。少なくとも自分だったらそう思っていただろう。
嫌儲だ!嫌儲だ!とバカの一つ覚えみたいに過剰に反応してレッテル貼りしてみんなで安心感を得たい気持ちもわかるが、しかし君たちの現実は大丈夫なのか?本当に生活費は払えているのか?少なくとも良識ある大人なのだったら、もっと自分の人生に必要なものに金を使ったほうがいいし、そういう忠告をする人間の言うことを多少は心にとどめておくべきだし、他人にもそう諭してやるべきなんじゃないか?
何に金使うのも自己責任、他人をそそのかして金を使わせるのもそいつの自己責任、Vにならなかったのもそいつの自己責任、そんな危ない思想を若い子たちに広めないでほしい。
多少思うところがあるから君たちも反応しちゃったんだろう、でなきゃそもそもこんなどうでもいい記事は普通ここまで伸びない。
キャラの向こう側にいる等身大の彼女たちをちゃんと見極めて、プラットフォーマーたちの作ったシステム上で数字を稼がせ、それが彼女たちのアイデンティティの全てだと思わせ、そのためには何でもするという闇に引きずりこまないでほしい。
美醜の基準は後天的に学習し、かつ習慣的・反射的に運用するものがほとんど。
禿頭を笑う人は深い経験や思想に基いて笑ってるわけではなく、「ハゲという単語が出たら笑うもの」と繰り返し学習した成果により反応しているだけ。
私がイメージする容姿差別のほぼ解消された世界は、犬好きと猫好きが共存してるようなイメージ。
禿頭好きと2323好きが共存しているところをイメージしてもらえるだろうか。
今の、2323好きしかいない状況は例えるなら犬好きしかいない世界のようなものだ。
(※上記の例えの犬と猫は入れ換えてもよい。または巨人ファンと阪神ファン等に入れ換えてもよい)
では具体的にどうやってよりよい社会に移行するのかというと、
『ウオーターボーイズ』という映画とドラマは、それまでに存在した「男子のシンクロナイズドスイミングはみっともないもの、醜いもの」という価値観を一気に吹っ飛ばしてくれた。
あそこまでの成功は難しいだろうが、やはり禿頭の人物がかっこよく活躍し「あっ、禿頭ってかっこいいじゃん」と思わせてくれ、かつ商業的にもヒットする作品がそう遠くない未来に登場する事を私は期待している。
「ハゲがかっこいいだって?そんなのありえない」と思ったあなた。
ところで、
「禿頭がかっこいいと思う人」が増える時代になると、「禿頭を売りにしているお笑い芸人」や「鬘や育毛剤のメーカーの人」の一部が失職するのでは?
という疑問をお持ちの方もおられよう。
それぞれ、「禿頭を売りにする二枚目俳優やモデル」「より簡単に美しく禿頭になれる(禿頭を維持できる)サービス」に転職すれば良いと思われる。
今回禿頭ばかり例に挙げているが、体型に関しては、ぽっちゃり好きは勢力を伸ばしているし、永野護氏のようなガリガリフェチもいて、しっかり共存しているのは見て取れよう。
俺はそういう会社を擁護する気は全くなく、むしろ潰れればいいと思っている
極論すればアニメなんて無くても生きる上で何も困らないし、アニメ制作者に悪評が立ったりアニメの質が落ちたりすると、そのコンテンツの関係者全員に迷惑がかかる
そもそも、SNSなどで給料に不満を抱いているアニメーターに、絵の上手い奴はいない。少なくとも俺の見た範囲ではいなかった。「下手ではない同人誌」くらいのレベルであり、現実的に考えてこれでまともな給料を貰えると思っているのは、図々しいと思う。
喩えるなら、地方球団の野球選手とか、売れないお笑い芸人とかが、給料が安いと不平を言っているようなもので、普通の常識のある人なら「そりゃそうだろ」としか思えないのだが、不思議なことにネット上には、アニメーターを擁護する声が多い。まあ、そういう人はいい年こいてアニメに夢中な人だからね。仕方ない。
月給1桁万みたいな人の話をよく聴いてみると、実は入社半年未満とかであることが多く、転職サイトなどの情報を見てみると、普通の社員は実際にはもっと貰っている。一般的なサラリーマンより激務であることは間違いないが、平均的な中小企業社員程度の給料は貰っている。
単純に、プロレベルの技術があって、報連相のような社会人としての基礎ができている人は、業界内でどんどんキャリアアップして、そうでない人は辞めていく、という当たり前の現象が起きているだけだと思う。
そもそも世の中、現役で早稲田とか出ていても、企業を数十社受けて数社にしか内定を貰えず、大企業に入れても20代なんて残業月40〜60時間して手取り30万行くかどうかというのが普通だ。それに対して、学歴もないし、芸術関係の仕事をしているのにプロレベルの技術もない人が、普通の給料もらえて当然だと思うのは、あまりにも現実が見えていない。
そういう常識のない人たちが、自分たちに都合のいいときだけ、労働法などにかこつけて社会正義を気取っているのは、非常に滑稽だと思う。