はてなキーワード: いじめられっ子とは
・いじめられっ子は弱肉強食論や自己責任論はいわれ続けられた過去があるため、普通は創作でも味方や主人公サイドがそういう主張だと傷がえぐられて見ていられない
→同様にいじめた経験がある場合は、割とかなりリスキーだったり、明日は我が身で一歩間違えたら自分もそうなるということを学ぶので、おいそれと言えないようになる
→同様に陰キャに感情移入とか絶対に無理なのでまずそういうのは好まない(福本作品の最強伝説黒沢の作中の名言の評価が二つに分かれるのと同じ)
・wikiの情報すらマトモに理解できてない自称エリート様、意識高い系が多い、技術持ってるつもりでも技術的な深い話は一切できずにマウンティングに走り始める
→頭が悪い悪くない以前に、空気が全く読めない上に訳の分からないところで変に偏執的に意固地で、間違っていることは例え死んでも認めない勢いで発狂する
・本質的には陰キャであることは間違いないが、あまりにも他人に対して上下か損得みたいなステータスでしか関心が向けられない、人間関係が理解できない
→いじめに参加するだとか、いじめられたことすらないほどウザがられて無関心なので、空想的な弱肉強食論が大好き、人の立場の機微が全く自分本位でしか理解ができないので自己責任としか理解の処理ができない
・異常なまでの承認欲求
→周りから関心を持たれたことが一切ないことが、マウンティングに必要な人間関係や友情、恋愛の様なステータスは足りないことは理解しているので、異常に(特に恋愛や男女の性愛に関して)執念深いほどの関心を向ける
・上下関係大好き、というより対等な関係というものが利害の一致レベルでしか理解できない、恋愛関係においても上か下かでしか理解ができない
→最初は使い勝手が良いので、割と人がすぐ辞めるブラック職場には適応しやすいが、当然軌道に乗ればブラック化の原因となるので捨てられてブラックの中にしか生息できない、永遠に同じところには居付けないので、転職や回転率が異常に高い、例えばフリーランスや派遣、そしてweb業界をやたら好む(というよりそこ以外に生きる場がない)そんなパイロットフィッシュの様な存在
→実は技術的な本質は全く低いので、海外にはいったが通用しないまま枕を並べて討ち死にするか、そうなるのはわかっているので国内外資で我慢する、という傾向が強い
・いうことや言い回しが異様に似通る、ジャンルやテンプレを好む
→他人から見た成功像やリア充像やエリート像といった、理想例しか人から評価される基準がない、多種多様性が全く持って理解ができないので、学歴、年収、技術、人脈自慢が、人数から平均値に至るまで奇跡的に法則や以上に重なる
まぁ、増田のいうことが本当なら仕事だけは出来るみたいだから、仕事がなくて生きていけないとか、お金に困ることはないんじゃあないかな…
羨ましいかどうかは置いといても
元増田の言いたいことは分かる。
ここまでじゃなかったけど似たことを経験した。そして、典型的ないじめに遭うことも経験した。
いじめで一番つらいのって、集団の中におけるメンバーとの精神的に対等な関係を失うことだと思う。奴隷扱い。社会科の授業で江戸時代にあったとされる「えた・ひにん」などの身分制度と教室を重ねたことを未だに覚えている。1人で居ること自体が本質的に辛いことではなくて、集団の中にいると脅されて支配され人格を犯されることが辛いから1人で居たくなる。
もちろん、人によって何が辛いのかは違うんだろうけど、ぼくが体験したことを一般化して表現するならこうなるだろう。
いじめられっ子は集団から逃げ出して自ら1人になることを選ぶ。
でも、元増田のやつ、本当に対等に対話しているのなら、いわゆるいじめとは少し違うと思う。いじめとなれば、対等に会話なんて成り立たない。「もう今後一切関わってくるな」なんて、対等でない相手に言えるだろうか。
対等な関係の中でパワーバランスが偏ることなんていくらでもあるし、「普通」の基準が集団から外れている人間もいる。マイノリティが集団の常識に合わないコミュニケーションを試行した結果として孤立した。というのは自然な流れではないか。彼女は違うコミュニティを探すべきだったのかもしれないし、その志向が病気によってもたらされるものなのかもしれない。人が集団から孤立する理由はいじめ以外にも腐るほどある。
もっとも、そこをきっかけに彼女に対して「制裁」などをはじめれば、いじめだろうけど。少なくとも、ちゃんと対話した元増田は、ぼくは偉いと思う。別に疑うわけでもないけど、本当にそれだけで終わっていればね。
なぜいじめられても耐えて耐え抜いてまで学校にくるのはなぜなんだ。
なにかそこまでして、いのちを賭してまでやりとげるべき何かがあるのか。
そうだとしたらなぜその目的を達しない選択を目的と関係ないところでするのだ。
稼ぎがあるわけでもないのに家族のためを思って学校にいくとかあるかもしれんが
家族が捻出してくれている学費を非常に効率わるく消費しているのはとても家族思いではないだろう。
別の学校のほうが効率がよいから転校するくらいのほうが孝行ではないのか。
自分がいじめられているという主張をしないがために限度のわからない未熟な人間が
根性をためす要領で何事においても限界をさがしにくるひとつにいじめを追加しているのは
三日目にして限界、など底がわかればよいものを死ぬまで限界を察知させないのは問題があるのではないか。
ほかいろいろいったところで当人には逃げ道がないから追い詰められる、どうしていいかわからないから、ということがあるだろうが
いじめる側が悪いとさんざっぱら繰り返し続ける皆はその道をわかるようにしてやるべきではないのか。
逃げ道を用意してあげていないやつが逃げ道がないといって結局追い詰められる構図を崩さないのはいじめに加担をしているのではないのか?
逃げればいいだけだろ、いじめをうけていて苦痛であることを示せばいいだけだろ、その方法を断っているのはいじめている当人ではなく
救いの手を差し伸べているといっておいて少しも救っていない、当該者には逃げ道がみえていないといっておいて、それを知っていて
その道をまったく示してわかるようにしていない、逃げてきたいじめられっこを導いてやっていないのはいじめじゃないのか?
実数などは公表できず実際に成果のある行動をとっているところもあるだろう。それは確実に救っているだろう。
いじめだめよくないやめよう、といってなくならないのは目に見えてわかるし減っている実感もない。
いじめをさせないためにはいじめられたら逃げてる対抗措置をとる、そのためにいじめられっ子を助けるといっている、いじめは悪いといっている大人がそこらにわんさかいる。
いつでもこい、たすけてやるといっているはずだと思うので皆そのへんの大人に助けを乞え。そういうことのはずなんだろ。
なぜみんないじめられっこを殴り倒すことだけしか興味がなくいじめられる側をえさかなにかとおもっているんだろう。
自分がたすけるといっている大人にさえもいいようにおもちゃにされているいじめられる側の子は、自分がそいつらをぶん殴らないことが罪であることに気が付くべきだ。
去年の冬、中学生の頃からめちゃくちゃ好きで仲良しだった友達に彼氏ができた。友達は女の子でわたしも女です。
その彼氏はやさしくて、ちゃんとしてるっぽい。まだ直接あったことないけど顔もそこそこって感じだ。バレるのやだからあんま書かないけど。
サイコー!!!サイコーだ!!!!わたしが好きで好きでたまらない、大好きな友達に素敵な恋人ができた!!!!!!!!それを友達はよろこんでいる!!!!!!!!しあわせな出来事!!!!!!!!わたしもよろこんじゃうねお赤飯炊いちゃう!!!!!!!!!!!!!!!!今後当人たちの間にしかわからない苛立ちとか問題はこれから発生するかもしれないけど、どうか末永くハッピーでいてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
で、その友達が、たぶん彼氏からもらったであろうめちゃくちゃかわいいプレゼントをクリスマスにインスタにあげてるのを見て、わたし完全にひとりになったな、と思って、同時にしぬほど恋人がほしいと思った。
そのプレゼントが可愛かったからじゃなくて(いや、可愛かったけど)、もうこの子はわたしとクリスマスにすごしてくれることはもうないんだな〜とわかってしまったからひとりが浮き彫りになって恋人がほしくなった。
恋をする、付き合う、恋人になるって誰かの唯一になるってことでしょ?なんかサイコーだよね。特別な行事とか誕生日とか一緒に過ごすんだろうな〜もちろんそうじゃないなんてことない1日もひとりじゃなくなるんだよね。
と思ったらめちゃくちゃゾッとした。わたし、ひとりじゃない日、ほぼないもん。わたしを特別に思ってる誰かなんか親以外マジでいないから。男でも女でもどっちでもなくてもいいんだけど、みんなどっからそんな人見つけてくるのかな。埋まってんのかな?それとも生えてる?枝にぶら下がってるの?上探したほうがいい?
ていうか、無課金で恋する方法がわからない。金を払わないと会えない人、というか、デートはドームなアイドルしか好きになったことないし…。
わたしは今のところたぶん異性愛者なんだろうなあって感じなんだけど、そもそも男キモくない?!?!って気持ちをなんとかできてないわたしがだめなんじゃない?てか、だめだ。
男、別にそんな全員が全員キモくないのに、ずっとキモいよ〜って気持ちをうまく処理できてないわたしには彼氏などできない。女の子が好きだ。物心ついてからずーっといじめられっ子だったわたしのこと、叩いて酷い言葉投げて影で笑ってたのは男で、守って愛してゆるしてくれたのはみんな女の子だったからもうこれはしょうがないだろって思ってるからだめなんだろうな。どうしたら治るのかな。病院行けばいいのかな。
この気持ちが性的なものなのかは自分でもわからないけど、ただただ女の子が好き、大好き。そりゃ女の記号を纏う人の中には嫌いな人もいるけど、大体の女の人の魂もその入れ物の身体もみんな最高、愛してるといつも思う。好きだ。
じゃあわたしの恋愛対象は女性で、女の子と付き合いたいのだろうかと考えると、さっきも言った通り、ちょっと違うんじゃないかな…と言うのが現在の見解だ。わたしは女の子とセックスしたいんじゃなくて、一生一緒に遊んでたいんですよ。女だけで飲み会してやいやい言ってだし巻き玉子たべながらヨーグルトサワー呑んで、カラオケで夜を明かしたりそのままラーメンいったり、一緒に美容院いったり時々コスメカウンターを巡ったりしたいんだ…。
わたしに恋人ができない理由は自分でわたしに価値がないからっていうのはわかってるんだよ。ブスだしデブだし性格も良くないし精神不安定だし、いいところは自分ではわからない。おまけにコミュ症で友達も少ない。マザコン。好きなものは酒とBLとアイドル。ヤバそうな匂いがすげーする。わたしだったら絶対に好きにならない。やだよーひとりで死にたくないよー恋とかしてみたいよ!
もう精神面がダークサイドに落ちそうだからもうこの話やめよう…。誰かに相槌うってほしくて増田に書き込んでみたけど、こういうのはカウンセラーとかに話すべきなんですかね?精神科?でもなんて言えばいいの?こんな世間の誰も興味ない無駄なこと、誰にも相談すべき話ではないのでは?
とにかく、わたしの友達はみんな幸せになってほしい。幸せが何なんだかわからないけど、とにかく暖かく平和で暖かでいますように。きみと一緒にカラオケして聖どすけべ祭りでゲラゲラ笑ってそのまま寝落ちした14歳のクリスマスが人生で一番楽しかったクリスマスだけど、それは一生思い出さなくていいよ。わたしだけの秘密にしておくね。
私が小学校高学年〜中学生くらい。15年ほど前。インターネットがギリギリ電話回線だったような、途中で切り替わったような、くらい。
いじめられっ子で学校に居場所がなかった私はインターネットにのめりこみ、子供向けチャットサイト「みんなのちゃっと」のちの「みんちゃ」に入り浸ってた。
そこには地域や年齢別にタイトルが違いチャットが10個くらいと、普通の掲示板がいくつかと、お絵かき掲示板。パステル調のカラフルなサイトで、中央上部に「みんなのちゃっと」ってアーチ状で丸ゴシックで書いてあった。・・・気がする。もう記憶が曖昧で、どこまで正しいかわからないけど、そんな感じだったと思う。
学校に友達はいなかったけど、チャットでなら友達ができた。なんの話をしていたのかひとつも覚えてないけど、年も違う、住んでる場所も違う、でも友達だった。毎日楽しかった。
その何人か、チャットでよく顔を合わせる友達の中に、大人の男性もいた。おじさんだ。もうこの先を書く必要はないと思う。お察しの通りである。
そのおじさんはよーいちという名前で、見事な手腕で我々女子の心を掴んでいた。さぞちょろかっただろう。いじめられていて「私のことなんて誰もわかってくれない」とこじらせている子供達をてごめるのは。
みんなのちゃっとで悩みを聞くなどして仲良くなり、パス付きのプライベートなチャットに誘導。好きだから会いたい、友達と一緒に来てもいいから、と言ってオフに誘う。
結論として私がうっかり会ってしまう一歩手前で私の一つ上の仲良かった子がヤられた。
最初に会った日は何もせず優しくして油断させ、何度目かにホテルに連れ込む。よくある手口だ。(そしてその子のブルマを持って帰ったらしい。)
その後その子は自殺未遂をして、事件のことがみんなのちゃっとにも伝えられ、なんだかんだサイトは閉鎖した。
今思えば、どれだけバカな子供なんだろうという話だ。でもこの話はアラサーになった今でも私の心に刺さったまま抜けない。ほんの少しタイミングが違ったら被害者は私だった。ヤられた女の子のことは私もよく知る子で、会ったことはなかったけど、優しくて傷つきやすくて、絵が上手くて、大好きだった。
傍観者だった私でさえこんなに忘れることができずにいる。この事件で一番辛かった時期、街にツツジの花が咲きまくってて、今でもあのピンクの花が目に入ると胸が詰まって暗い気持ちになる。やりきれなくて、悲しくて、申し訳なくて、涙が出る。
こんなのインターネットの中じゃニュースにもならないくらい、よくある事件の一つなんだと思う。
そのことが何よりもつらい。
出会い系SNSとか流行ってるし、そうじゃなくても今時の若い子はオフ会に抵抗がないみたいだから恐ろしい。でもこうやって表には出てきてない痛ましい事件が無数に起きてるんだよ。トイレから戻ったら薬盛られてると思わないとダメだしカラオケに行くのもダメだよ。それは最初に会うときだけじゃない、3度目でも10度目でもだよ。おせっかいおばさんになっちゃうけどさ、過剰に自衛するに越したことない。取り返しがつかない事だから。
あの子がどうか笑って生きていてくれてますようにと、今も心の中で祈っています。
よーいちは死ね。
いじめられっ子や家庭に問題がある子は、ナイフを振り回すんじゃなくて、
ATフィールドみたいなもの、バリア的な。エアーででもいいので作れるといいのに。
あるいはそういう装備があるといいのになぁ。深刻じゃない簡易な棲み分けとして、
気分によっては、近寄らないで、という意思表示になる何か。
成人式のニュースを見るたびに、昭和のヤンキーが登場してくるのだ。
インターネットがここまで普及すればどんなに田舎で生まれ育ったって、時代錯誤なことがわかるだろう。
100人が見れば99.99人はダサすぎて死ねるって思うレベルだ。
そこで仮説を立ててみた。
これはなかなか有力だと思ったが、嫌がっているように見えない。。。なぜだ??
これは幾分可能性がある。情報が完全に遮断されているのだ。貧乏な家庭しか築けない、つまり親は低知能なDQNの可能性が極めて高い。
DQNであるということは、差別的な発言になって申し訳ないが、これは一種の重度な知的障害であり、結果一般人には理解できない。
じっくり見るのは初めてだったんだけど、年末に買ったという三喜本のぞみ主演のAVを、友人宅で見た。
まんま現実の権力勾配と同じ状況。男が上で能動的、女が下で受動的。
あんなのがいつの間にか「国民的体位」になってるようなので、まあひどい話だなと。
三喜本のぞみが正常位で男に突かれるくだりとか、イマラツィオされるとことか、
というメッセージを大部分の男性が受け取るよね。推奨してるよね。
AV出演強要の件はもっと複雑な話を含むと思うけど、そんなことよりなによりも、本当に簡単な話で、AVって、「いじめられっ子がいじめられてるのを見てカタルシスを得るその他大勢」の構図だよ。
自分が小中学校の頃に繰り返し見たり、自分がイジメられてた状況を思い出して、正月からいきなり不愉快になりました。
(文:masudamaster)
https://anond.hatelabo.jp/20180102205440
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ダウンタウンや蝶野や番組スタッフが方正のことガチで嫌いだったらあんな何年も一緒に仕事してない
ちゃんとした信頼関係がある
鉄腕DASHでリーダーが老けたことを弄られたり笑点で歌丸と円楽が罵り合ってるのも同じこと
ギャグ漫画日和で妹子が太子をどついたりクレヨンしんちゃんでみさえがしんのすけにげんこつかますのも同じこと
根っこは嫌い合ってないからこそできる軽口なんかから生じる笑いを
通りすがりの何も知らん奴らが何でもかんでも「いじめ」「嘲笑」判定して排除しようとするの最近多すぎ
お前みたいなガチのいじめられっ子が他人に殴られてるのは笑えないけど芸人が番組の台本に則って殴られるのは笑えるんだよ
お前がそういう文脈を知らないだけ
じっくり見るのは初めてだったんだけど、年末にやっていたというダウンタウンの「笑ってはいけない」を、友人宅で録画されてるのを見た。
あんなの流していいの?
あんなのがいつの間にか「国民的番組」になってるようなので、まあひどい話だなと。
方正がビンタされるくだりとか、ベッキーがキックされるとことか、
「暴力を振るわれる事に怯えてる人を見て笑いましょう」
というメッセージを大部分の人が受け取るよね。推奨してるよね。
浜ちゃんの黒人云々の件はもっと複雑な話を含むと思うけど、そんなことよりなによりも、本当に簡単な話で、あの状況って、「いじめられっ子がいじめられてるのを見て笑うその他大勢」の構図だよ。
言わずと知れたこの件。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
今回の論点は、
である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラの手段の一つとしてセクハラを使う、というものを告発しているのである。
パワハラとセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である。
これに対して過去の童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言に勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)
「筋が悪い。」
この筋の悪い批判は、論点と関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点に関係がない。
論点に関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。
童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラの告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである。
こういった批判は、時間が経てば自然といつもの「はあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。
過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。
また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。
土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。
じっとしていればよかった。
ということだけだったのだ。
それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooもBuzzFeedもいい迷惑である。
そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、
はあちゅうさんのやりたかったことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。
彼女を突き動かしたのは、
「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」
という一言に尽きるのだろうと思っている。
言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ。
学生時代は自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち、
少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分の若さ、バカさ、
今の自分ならあんなおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、
そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、
こんな気持ちが普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。
同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。
しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。
そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分の会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分の無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。
あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますますの調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。
証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。
つまり、はあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリット・デメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ。
岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事の方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。
対して、岸さんはもともと電通のクリエイティブで個人の名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業の庇護の恩恵を受けて活動していた中、
ついに独立して本当の意味で個人の名前で勝負しなければならない非常に大事な時なのである。
その流れで本も出している。
また、一部上場企業である電通の出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。
通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々と処罰が下り淡々と受け入れたりする。
他の手段をとる場合は、誰がやったかわからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。
代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。
どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。
そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである。
やらない手はない。
その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooとBuzzFeedを利用しただけである。
これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的にサポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ。
BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。
なお、追随している人で相手の名前を出さない人もいるが、#metooは相手の名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。
最初、はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。
しかしその後の、余計なことから何から何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。
やはりどこまでいっても、本質は自分がかわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html
それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社で第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法!
1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別に謝罪。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
2.つぎに、発表されるとともに即謝罪。
それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪。
岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メールを取材相手のBuzzFeedに送るとしたらどうなるか。
行間にたっぷりはあちゅうさんやBuzzFeedの見解を差し挟まれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。
エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通の庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)
https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e
3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。
(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退。最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)
いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイントで大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェー」である。
社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。
今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である。
せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。
はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。
最悪なのはヨッピーさんである。私怨の復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護の言葉には百害あって一利なしだ。
まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達の発言」以上には聞いてもらえない。
それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達の発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである。
鈴木一が石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、
「お前、、出てくんなや。。」
って残念な気持ちになるはずだ。
一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。
インターネットの時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為はこちらが思っている以上に難しい、というか想像の範囲外の行為なのかなという感想を持った。
なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的な意見だから今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的にオモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事は面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンのヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。
「でも、そんなことは知ってるんです。」
ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか、面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。
長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterでセクハラ発言をする相手だって、セクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ。
フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。
これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。
いちいちスタンスを説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディアの世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルのストレスとプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。
本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。
なぜなら、
ということが言えるからだ。
高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。
原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。
実は人ひとり亡くなっていたのである。
#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。
もしかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)
また、マスコミ業界・広告業界、その中でも特に当事者の電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。
二度目のダメージというものはでかい。墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。
これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまったことだろう。
核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。
前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、
自分のために#metooとBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooとBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。
ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)
これについては「あなたはパワハラにセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」
という突っ込みをしてやれば、少なからず彼女にダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。
いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。
ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。
なお、職場でパワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。
学生時代のサークルの友達に会った。はっきり言っていじめられっ子だった。本人にも空気読めない部分とか発言にムカつくところがあるとか欠点はあったけど、主な原因はぶっちゃけ「デブ&不細工」だった。私は自分も大したご面相でなかったこともあって比較的普通に話していたけど、その時のサークルのメンバーで遊びに行くときとかは絶対誘わなかった。
もう20年以上前の話だし、今さらあの時の恨み言を言う気はなさそうだったけど、相変わらずの容姿とスタイルで、それでもあのサークルの活動に対する愛は深いので感心してしまった。本人はあれだけ居心地の悪い人間関係の中でも、4年間のサークル活動を全うしたことに誇りを持って生きているらしい。
罪悪感と懐かしさが半々の中、たまたま他に話す相手がいなかったこともあり、彼女の近況とか聞いてみた。でも結婚したかどうかには絶対に触れず、当時の姓で呼び、連絡先を交換した。今も学生時代と同じような活動を続けているらしい。違うのは就職して経済的余裕ができて、趣味に注ぎ込むお金が増えたことぐらいに見えた。
私は当時のサークル仲間での飲み会に参加したりしているから結構皆の近況を把握しているけど、彼女にはOB会とかのフォーマルな情報しか行かない。
これから彼女は何かと私に連絡を寄越すだろうか。当時の仲間だった女の子たちは結婚して子どもがいることが多く、なかなか集まりに顔を出さない。私にはもはや彼女に対する嫌悪感はあまりないけど、たぶん飲み会とかに誘ったら他の連中は嫌がるだろう。きっと社交辞令的な連絡先交換だったと思うけど、もし連絡が来たらどうしようか悩んでいる。
はあちゅうの昔の方のツイートでは正直傷付いてはいない。腹は立ったけどね。
田端とか昔のはあちゅうみたいな奴に馬鹿にされるのは、まあ正直慣れてしまった面もあるけれど、あの時ははあちゅうもセクハラ被害で心を傷つけられて、痛みが分かる側の人間になったのかなって勝手に思っちゃったから、「痛みが分かる側の人間がまだ攻撃してくんのかよ!」って思ったし、「痛みが分かる側の人間ですら俺らに全く共感は無いんだな」って絶望的になったよ。言い方悪いけど、例えるなら元いじめられっ子がめっちゃいじめてくる感じ。
「はあちゅうにそんなもんを求める時点でキチガイ」と言われれば、まあごもっともなんだけど、言い方が悪いけどセクハラの被害で彼女の考えが少しでも変わってくれていればって勝手に期待していた部分があった。結果はご覧の通り。そしてはあちゅうの擁護派が、はあちゅうと一緒になって敵意を向けてきたり、岸の回し者扱いをしてくるのは、正直辛かったよ。
学校の底辺と言えばいじめられっ子、運動音痴、学力底辺のブサメンだが
まあ創作物というものがヒエラルキー下位に好まれがちだから分かる
こういうの、ヒエラルキー上位陣はどう見ていたのだろう?
学校における陰キャはそのまま社会人底辺にスライドするケースよりも、ある程度普通ラインに収まるだろう
私も実際のところ底辺というほどではないので、社会人の底辺物語を見せられてもうーんとなる
学校においては、ここ20年は徐々に「ふつう」キャラが主人公になるケースが出てきたが
社会人のふつう主人公はあまり見ない、出てきても「普通のサラリーマン」という設定くらいだ
まあ書きにくいのはわかるが
(この前マツコのなんたらで見た)
男性向けは一歩遅れている感がある
か、知らないだけか