はてなキーワード: 食器とは
そんなに食器使わないならしょくせんき使わずにちゃちゃっと手洗いすればいいじゃん
それかラップで皿おおって汚れないようにするとか
確かに片付けずに放っとけばいいじゃんってのも分かるんだけど、そうするとこの人が怒ってる部分は何も解決しないんだよね。
この人は自分が使った食器以上にせめて1/3はやるべきかな?と思って善意でやったのに、お礼どころか「中途半端なことしないで全部やれよ」なんて言われたらそりゃ「は?」って思うよね。
こんな些細なことで一人に負担がかかるなら、この先他にもいっぱい似たようなことあるだろうし。
洗った食器は食器棚に戻す家庭で育ってそれが当たり前だし良しと思ってやってるのに、人の善意にありがとうの一言も言えない人間に合わせなきゃいけないのも癪だ。
そもそも、食器洗浄機使って洗うか手洗いするかなんて些細なことをルールだからって強要する癖に、誰が食器棚に戻すかとかその辺の細かいルールは決めないで年長者ぶるのもどうなのかなぁ。
今まで食器棚に戻す習慣がなかったなら、その辺の擦り合わせをすればいいのにいきなり文句ってそれで今までよくルームシェア続けてこれたな。
あ、この年長者が嫌でみんな出て行ったから必然的に残っただけなのかな?
シェアハウスに食洗機があって、使った食器はそこに入れるように言われてた(自分の分は食洗機にかけずに洗って片付けようとしたが、食洗機に入れるように忠告された)。
食洗機に入る容量の8割ほどが埋まったところで、このシェアハウスの主でもある年長者が食洗機のスイッチを押す。だいたい5日分ほどの食器類が一気に洗浄される。
洗浄完了後、「洗い終わった」という札みたいなものが掛けられる。
自分はその札がかかってたら食洗機の中の食器類を棚に戻してたんだけど、1人で全部片付けるのは癪に障る。だって自分が使ってない食器類の方が量が多いし。自分は自炊をあまりする方でないが、ほかの2人はかなり自炊をする。
なので分担して食器類を片付ければいいと思い、3分の1程だけ片付け、残りは放置しておいた。
毎回、洗浄後に最初に食器を戻すのは自分だったので、そんなことが数回続いた。
昨日、リビングで飯を食ってたら、シェアハウスの主がこう言ってきた。
「なんで食洗機の中半分くらいしか片付けないの?ちょっとおかしいよ。中途半端に食器残ってたら、洗ったか洗ってないかパッと見で分かんないじゃん。変だよ。時間もそんなにかかんないし、やるなら全部片付けて。」
…は?そしたら毎回自分が3人分の食器を全部片付けることになるんだが。時間もストレスもかかるんだが。
あーむかつく。毎回、タイミング的に自分が洗浄完了後の食洗機第一発見者になるから負担が自分に全部のしかかるじゃねえか。
くそだ。
つもりだった
その日はバイト仲間もいてなんとかなった
2日目は急に違う場所でやってるお好み焼き居酒屋の方に行ってくれといわれた
ムッとした顔で「忙しいからいちいち聞くなよ。一回説明聞いたんだからよ」といわれ
終わったと思ったが甘かった
狭いから入ってくるなといわれたキッチン奥の流しに連れて行かれて
山盛りになった食器とギットギットのコテを前に「とっとと洗え」とおっさんがいう
そしておっさんはその場に立ち煙草を吸いながらこちらをちらちら見ていた
山盛りの洗い物が溜め込まれていたことにため息をついてしまったが
水につけるでもなく放置されたコテにはソースや生地がこびりついていて
なかなか落とせるものではなかった
必死にコテの汚れを落としようやく食器に取りかかれると思った矢先
おっさんは流しの前に立つ僕を押しのけると
「皿を洗うくらいのこともちまちまやりよって生きる価値あるんかこいつ」等と悪態をつきながら
「もっと使えると思ってた。もうここには来ないで」といった
2日分の給料は出すから1ヶ月後取りに来いとしかおっさんは答えなかった
1ヶ月雇って実働2日だったということにしたかったようだ
当時の僕は自尊心が低く、
思い込んでいて
僕のような人間が相手に非を求めることは絶対してはいけないのかもしれないと
本気で考えていたので、
心の奥底でこれはないんじゃないかと思いながらも、
波風立てることもなくこれに従ってしまった
もうだいぶ前の話だけどね
だから頭がおかしくて他人と対等な関係を築くことができないのかもしれないとか
僕がいるだけで物事は全部立ち行かなくなるのかもしれないだとか
そんなことすら考えてた
物事が失敗するすべての原因が僕にあるなんてこともあり得ない
ということをようやく受け入れられるようになった
年齢は27歳(A)、26歳(自分)、25歳x2人(B, C)の男4人でヨーロッパ旅行に行った。
自分とAが中心になって、半年前からホテルや飛行機の手配をした。
しかし、初日の晩御飯から既に色々あって、全く旅行を楽しめなかった。
私は、その土地のレストランやバールなど、現地のものが食べられたり現地人と交流できる場所に行きたかった。
一方、A, B, Cは、スーパーで買い物をしたほうが安いので自炊をすべきとの意見だった。
金額を安く抑えるためにドミトリー的なところに泊まったため、たしかに調理器具は一通り揃っていた。
でも、「ヨーロッパ5泊7日、ホテル+航空機+鉄道」を9万円以下に抑えたのに、どこまで節約する気なんだろうか。
せめて一日くらい外食の日があっても良かったのではと思ったり。
結局すべて自炊になった。
AとBが買い出し・調理をやってくれた。が、頼むべきではなかったと後悔した。
やけに大量に買い込む。
そんだけあれば普通にどっか食べに行けた気がする。
絶対に食べきれないほどの量や、食いたくないようなゲテモノを買ってきて、私やCに食べさせようとしてくる。
何故か全ての食品が開封され、半分近くが捨てることになった。
油が壁に飛び跳ねまくっているのに気にしない。
調理器具を本来の用途と違う、器具が傷むような使い方を平気でする。
自分は最初に就寝したので、ダイニングを離れる際に自分の食器と、流しにおいてあったフライパン等だけ洗って先に寝た。
私が洗うように促すと「お金払ってるから清掃の人がやってくれるよ」と言われた。
結局、そのまま放置することは私の心がいたんだので、食器は私が洗った。
ついでにコンロ周りの油ハネとかも拭いた。
その間ずっと彼らはテレビを見ていた。
調理器具を一部破損させてしまったことが発覚し、チェックアウト時に修理費用を支払うことになった。
友人たちは「ホテル側がいちゃもんつけてぼったくってるだけでは」と最後まで納得していなかった。
それならスタッフにそう言えばいいのに、指摘するだけの英語力を持っていないA, B, Cは何も言わない。
最後に「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」をスタッフに伝えた。
私も英語はほとんど話せないが "Sorry for our trouble" と言ったら何となく伝わったようだった。
A, B, Cは特に何も言わなかった。
彼らは先に進むのが早い。観光地でも。
特にAは待たずに先に行く。本人曰く「そこに行ったという『実績解除』が重要」らしい。
BとCは観光に飽きても一応私を待ってくれていた。
待ってくれてはいたが、そもそもどこに観光に行くかは一緒に決めたはずなのだけど。
結局後輩に気を使わせないように、見学もそこそこに先に進むことになってしまった。
晩御飯関係が特に印象に残ったが、他にも色々あって、あげだしたらキリがない。
書き出してみると、Aが特にひどい。
Aが今も実家で暮らしていることが関係しているかもしれない、と思った。
偏見かもしれないが。
まとめると、
非常識な行動(だと私が感じる行動)を取っている人たちと一緒に行動しなくてはならないことが辛かった。
なんだか、すごく損をした気分になった。
一方で、世間一般では彼らの行動は常識の範囲内なのかもしれない。
私が自分の価値観を彼らに押し付けて、思い通りに行かないからイライラしていただけなのかも知れない。
そんな自己嫌悪のような事を帰りの機内で延々と繰り返した。
全く気が付かなかった。
例えば、Aとご飯を食べに出かけると、メニューを見る前にオーダーボタンを押して店員を呼ぶ癖がAにはある。
A曰く「呼べば決まるっしょ!(呼んだら店員が来るまでに否が応でも決めざるを得なくなるからすぐ決まるっしょ)」とのこと。
あと「おみやげコーナーで待たされるのと観光地で待たせるので等価交換」というコメントをみて気がついたこと。
お互いに待たせる・待ってもらう関係なら等価交換になるんだけど、向こうは一方的に人を待たせるくせに待ってくれない。
同じようなことは色々あって、結局、
(こっちは向こうの価値観にあわせて譲歩してあげてるのに、向こうはこっちの価値観にあわせて譲歩してくれない)
という考えが根底にあって「損をしている」と感じているのかもしれない。
伸びてて驚いた。
後出しになるけれど、この友人は全員数年来の付き合いで、国内旅行やBBQなども一緒にやったことがある。が、これまでは余り問題になることはなかったので、
ブコメにもあったけれど「旅の恥はかき捨て方式で、気が大きくなったんかなぁ。」なのかなと自分も思っている。
特に海外で、周りの眼が気にならない環境なので。いや、本当は気にしてほしいのだが。
あと、本当に文字通り24時間一緒にいたので、色々な気になることが蓄積したというのもあると思っている。
BBQは24時間一緒にいるわけではない。国内旅行だって、一人になりたいなぁと思って旅館の外適当に散歩したり、新幹線や飛行機では寝ることだって出来る。
「別々に行動すればよかったのでは」の意見、そのとおりだと思います。
一方で、彼らの旅行は、(これもブコメの引用ですが)「観光」ではなく「親睦」が目的だったので、
その辺もちゃんとすりあわせて置くべきでした。
自分の許容範囲が狭すぎることが原因な気もしたので、安易に一人旅に逃げるのはどうかと思っていたが、そうでもないみたいで安心した。
ちなみに、過去に別の友人と行った海外旅行では、とてもすごく楽しく過ごせた。
その時は友人と価値観が同じだったので、すり合わせのコストを割く必要がなかったのだと思う。「超えちゃいけないライン」みたいな共通認識があった。
(もしかしたら自分がそう思っているだけで、友人側が大きく譲歩してくれていたのかもしれない)
あと、海外(特に室内でも靴を履く文化圏)では、人前で靴をぬぐことは「臭い足を晒す」という意味で超絶失礼に当たるらしいです。知りませんでした。
すでに何人かの方が推測しているが、A, B, C, 及び私は全員大学時代の元バイト仲間。
ABCも含めこのバイトのメンバーは非常に仲が良くて、半年に1回くらいイベント(旅行、BBQ、花火、とか)を企画して集まってた。今回もその一環で、初・海外旅行だった。流石に社会人になって参加率は下がったが。
A, B, C, 私は、全員違う高校・大学に通っていた。就職先も違う。
そういった文化圏・コミュニティの差が現れているのかもしれない。
もしこの不和が、価値観の違いによるものだとしたら、一方的に指摘するのは押し付けでしかないのではと思い遠慮していたが、一般常識的にAらの言動はヤバイということが確認できた。
今回のことでかなり失望したものの、そうは言っても友人は友人なので、今後は目についた点はきちんと指摘したいと思う。
それでも治る気配がない、自分が浪費するだけ、と思ったら、または指摘が原因で仲違いするようなら、それまでの関係だったと思って距離を置こうと思う。
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
毎日同じ時間に起き、同じ通勤路を歩き、同じ人と会うという行為が苦痛すぎて本当に辛かったので、退職して在宅仕事を始めた。
仕事をしているときと、作品制作しているときは人生って楽しいし幸せだと思えるんだけど、それ以外の行為の全てが苦痛で困っている。
それ以外とはご飯を食べる、食材を買いに行く、食器を洗う、お風呂に入るなどと行った行為。本っ当に苦痛。
しなくていいことは極力してない。外に出ないのでお風呂は数日に1回にした、食器も最低限しか使わないようにしている。
それでもやったところで現状維持にしかならない何の生産性もない行動は辛い。
意味を感じない。
並んでる食べ物は新鮮味も何もないし美味しくもまずくもない。
どうでもいいし興味もない。
そう考えると心の底からうんざりしてさっさと死にたいとまで思う。
仕事と趣味をしているときは楽しくて時間が足りなくて困っているくらいなのに。
世の中の年上の人を見ると、自分もこれくらいの歳になるまで日常生活を送らなければならないんだなぁと思って吐き気がしてくる。
みんな苦痛を感じてないの?
普通に楽しく日々を生きてんの?
これまでに一度も出前を使ったことはないが、飲食物を提供されて器を回収されるなら、外食と似たようなものだろう。
外食で食器を洗うかといえば洗わない。なら出前でも洗わないのが普通のような気がする。
なぜ洗わないのか?と聞かれても、外食で食器を洗うなんて考えたこともなかったから、とっさに回答が出てこない。
あえて答えるなら「食器を洗うのは客の仕事ではない」「洗うぶんの料金も店に払っている」といったところ。
ちなみに「酒屋にビールの空き瓶を回収してもらう契約をしたら、空き瓶を洗うか」という質問なら、洗うと回答する。
もし「空き瓶を洗うのは客の仕事ではない」という人がいたら、いくらなんでも何日も経って悪臭を出すようになった瓶を酒屋に洗わせるのは酷だろう、と思う。
身近に約束を守らない人がいる。
待ち合わせには平気で2時間くらい遅れてくるし、頼み事をすると「いいよ、やっとくよ」と気軽に請け負うのに、やらないままになったことも数知れない。
私の夫のことである。
そんな夫と暮らすのに、私はだいぶ疲れてしまった。
明日は一緒に出かけよう、と金曜日の夜に話をしても、土曜日になると何度声をかけてもベッドから出てこず(それどころか寝ぼけたまま「うるさい!」と怒られる)、結局夕方起きてきて約束は反故になる。
洗っておくよ、と言ってくれた夕食の食器は翌朝までシンクに残っていて、炊いておくよ、と言ってくれたお米は翌朝炊けていない。
朝早く起きて一緒に出かけたり、「やっとくよ」と言ってお風呂を洗っておいてくれたりもする。
そんなときはとても楽しく、うれしい。
しかし、どういう時に約束が守られて、どういう時に守られないのか、こちらにはさっぱり分からない。
そんな夫と暮らして3年、約束をするたび、今回は守ってくれるだろうか、大丈夫だろうか、本当に言った通りやるのだろうか、と心配で不安で落ち着かない気分になるようになった。
なぜ、私との約束は大切にされないのだろうか、私は大切にされていないのだろうか、と疑心暗鬼になっている。
他にもいくつか理由はあるが、守られない約束に疲れてしまい、とうとう離婚について話し合うことになった。
「なぜ約束を守らないの?」
これまで何度も聞いてきて、はっきり答えてもらったことのない質問を、これで最後だからと問いかけた。
夫の答えはこうだった。
「自分自身のことが嫌いだ。
生きていても意味はない。
早く人生が終わればいいと思う。
そんな人間なのだから、周りの人も自分には価値がないと考えているはずだ。
したがって、自分との約束にも価値などない、重要ではない、と他人も考えているはずだ。
そうであるから、自分が約束を守ろうと守るまいと、他人に影響を与えることはない。
夫の話しはまとまりに欠けていたが、まとめるとこういうことになる。
脱力した。
「約束は約束、相手が自分の大嫌いな人間でも、約束をしたら果たすものでは?自分自身に価値があるなしに関わらず、約束は守るべきではないの?」と私が言うと、夫は「そういう考えもあるのか、目から鱗だ」と言った。
私も目から鱗だった。
この人と生涯を共にしたい、生活を共にしたいと思った私の気持ちなど、この人にはまったく通じていないのか。
もう疲れた。
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【税金泥棒】民進党の辻元清美&玉木雄一郎議員、国会を無断欠席し政権批判のため森友学園所有地を視察
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民進党・玉木雄一郎「森友学園は児童虐待をしている。排泄物のついた下着を持ち帰るのは虐待」←普通のことでした…松井知事「虐待があったなら行政に通報すべきじゃないの?」
土地購入疑惑はスルーしつつ、細かい民進党議員の言動にフォーカスする作戦のよう。
それにしても統制取れすぎてて怖い。
閉めればいいだろう、と思う人は結婚生活が浅い。
開き戸は閉めるのに、引き戸を閉めない癖は10年経っても治らない。
食器の底を洗わない癖のために食洗機を買い、鍋を洗い直すのは私の役目だ。
治らない筆頭候補のクチャラーと結婚した知り合いは子供にその癖が移らないように苦労してるようだ。
私はまだマシだと思うようにしている。
アクリルたわし、アクリルの毛糸で編んだ編み物の事なんですけど。
使い道は主に皿洗いで、洗剤無しで汚れが落ちると重曹大好きエコ大好き環境を大切にしような人に支持されてたりする。
アクリルたわしは「洗剤を使ってはいけない」なんて事は全く無い!
私はバリバリ使う。環境なんてしるか。洗剤使わずに洗った食器は抵抗がある。
じゃあエコ以外にアクリルたわしを使うメリットがあるかというと、ある。
純粋に「汚れがとてもよく落ちる」。
スポンジを使っていた時は、油汚れは憂鬱だった。スポンジに着いた油を他の皿に塗りつけてしまい、それを防ぐ為に洗剤を追加し、夏でもお湯をジャブジャブ出していた。(私はエコは嫌いだが無駄遣いはもっと嫌いだ。)
アクリルたわしにしてからは快適だ。油汚れが本当によく落ちる。洗剤のCMでよく取り上げられるヌル付きもゼロだ。
茶渋や水垢なんかもよく落ちる。メラミンスポンジなんて使うのはアホだ。マジで。
私は食器洗いとは別に洗面所、お風呂場にもそれぞれアクリルたわしを置いて、水垢が気になったときにさっと磨く。全部落ちる。
メラミンスポンジの様なカスも出なければ、毛糸だから素地が削れる事も無い(はず。詳しい人教えて欲しい)
どうしてこんなに優秀なのに世の中に普及しないのだろう。
「泡立ちが少ないから洗剤で洗ってる気がしない」「かたくて使いにくい」というならば細いモヘアの糸を3本取りして編めば解決だ。スポンジと同じレベルで泡立つ。
「洗ったあとバイキンが気になる」というのはもはやバカバカしい。アクリル毛糸には抗菌タイプがいっぱいあるし、吊るして干せるのでスポンジより乾きが早い。気になるなら漂白でも除菌洗剤でもいくらでも使えばいい。
「買うと高い」これが曲者かもしれない。編めば100均の糸で4-5枚は余裕で作れるのだが、買うとなるとエコ税でもかかっているのかやたら高い。
これだけ熱く語っても誰にも伝わらないんだろうなー。
兄貴が嫌いである。俺が物心ついたころからわがままで、些細なことでごちゃごちゃとわめいては泣いていた。自分は殴る癖に、殴り返されると泣いて俺を困らせた。俺は人が泣いてるところなんて見たくはないし、もうそこから俺が兄貴を殴ることはやめた。 確か俺が4つか5つの頃だったと思う。 そして俺が殴り返さないようになってからも兄貴は変わらず、わがまま放題だった。 あれしろこれしろだの、言うことを聞かなきゃ当然殴ってきた。 殴られるのは嫌だししぶしぶいうことには従ってきた。 兄貴が第2次成長期に入るころには、力の差も大きく開いてきたからだ。 そして俺が小学3年か4年の頃だったか、兄貴は俺に言った
「ちんこ舐めろ」
当時の俺は性に関する知識なんてなかったが、兄貴の言っていることはとても不快であるということは感じられた。 もちろん拒否したが、ボコボコに殴られた。 そして俺は汚いクソみてえなモノをしゃぶらされた。 しかもびっくりすることに精液まで飲まされた。 性暴力は数年続いた。 暴力も変わらず続いていた。 一生消えない傷も額につけられた。
親は何も言わなかった。 俺自身親を信用することが出来なくて頼らなかった。 親は俺が殴られていても、必ず両方をヒステリックに窘めた。 勉強の成果だけを見ていたし、くだらないことで食器を割って叫びだしたりもしていた。 母は少し情緒が不安定だった。 父は別居していた。 味方は一人もいなかった。 当然俺は塞ぎ込みながら育っていった。
そこから俺が就職するころになると、親は情緒も安定して、兄貴はとりあえず普通に働いている。 しかし、兄貴の根底は何一つ変わってなかった。 人を見下し、気に入らなければ誰も見ていないところで殴りつける。 賢しいところはそのままで逆に感心するくらい。
ここからが問題、俺は親に「兄貴が嫌い」と伝えた、そうすると特に掘り下げようともせず「今更そんなこと言うな」と封殺された。 兄貴も親も、外面はうまく取り繕えるようになっていた。 下種な部分はそのままに。 俺はどうすればいいんだろう。 もう全てをあきらめて独立するのか、何としても親に理解してもらって兄貴の家庭内での立ち位置を揺らせばいいのか。
ああまじクソ。あこれは思い出しくそ案件。今ネットで話題になっているヤングアニマルのど根性ガエルの娘、14話。それ見て思い出しクソしました。私の文章読む前に出来れば読んどいてくださるとわかりやすいかな。話題になってない?アクセス集中しすぎて数時間ダウンしてましたってことで。
そのマンガに主人公が母親に明らかに腐ったおかずを食事に与えられ食べることを半ば強要された、提供した母親は一切口にしなかった…というくだりがある。
私も似たようなことを経験している。私のときはスープだった。聖司のときはラーメンだったのかな。とにかく虫が大量に浮いているのだ。水面にうわわわわーーーっとビッシリである。虫が無理な人、食事中の人ごめんね。
虫は1匹2匹というレベルではなく何100何1000という桁だった。一つ一つがとても小さくてコショウくらいのサイズだった。もうとにかく水面にわしゃーって。うーんそうだな、白黒の点描画とかにイメージ近いかも。
最初出されたときあまりの虫の小ささ量の大量さに虫だと気づかずコショウかと思い少しだけ口にしてしまった。しかしスープに浮かぶ黒点をよく見ると小さい手足のようなものがある。え?これ虫じゃない?いや小さすぎてわかりにくいけど確実に虫だ!これ虫が大量に浮いてる?!!!母は自分の器にそのスープをよそって着席していたがすぐさま自分の分を流しに捨てた。
「ごめん。これ虫が浮いてるから食べなくてもいい?」「てめーは人が作った飯食えねーのかよ(機嫌の悪い顔・舌打ち)」「すみません」「最初食ってたんだから食えるだろーがよ!飯捨てれる身分じゃねーこと承知だよなあ!!大丈夫だよお前丈夫だから食っても死ななねえよ いいから出されたもん有難く食え!」「すみません確かに最初頂きましたが虫だと気づいてからは流石に無理です」「いい加減にしろや(テーブルの上の食器を叩きつけて怒りを表現)」「こんなちっちゃいの虫じゃねーだろ野菜についてたゴミだから食える鍋に残ってるやつ全部食えよ」しかし1度虫を見つけてしまうと飲むと言うには躊躇わせる量(満点の星空か?ここは虫の天の川か?)で仕方がなくちまちま取り除いていると「全部一気に飲めや!こんなん虫に見えない、普段汚い机座ってられるんだから虫ぐらい平気だろ(私殴られるのを察知→殴る蹴る)」「お前のせいで貧乏してるんだから出されたもんくらいありがたい食えよ食えねーなら2度と食事出さないカス!死ね!」「じゃなんで自分の分捨てたの?おかあちゃまが飲むなら私も飲むよ。あと虫じゃないって、この手足を見ても虫じゃないって?」
もうね、言葉が通じないですよ。まぁ軽蔑してるんですけど彼女に扶養されてるのでね。軽蔑してる相手に扶養され続けなければいけない。金銭的に優位、体格的にも優位(彼女は体重が私の倍以上ある)だともうこっちには勝ち目ないんですわ。自分の分が悪くなるとそもそも論に持って行っておまえが以前○○しなかったから今こうなってるお前のせいだ!になるんですよね。いやそこまで遡れば私のせいかも知れないし、私のせいで全然構わないですけど今そしてこれからどうしようかという話をしているので時間の無駄。くそ案件。
てかスープ飲んでも丈夫だから死なないとか言ってるのに死ね!って連呼するの笑える。あなたに殴られ蹴られ精神的にも迫害されありとあらゆる拘束を受けたお陰様であっは、こんなに丈夫になりましたとさ!なんてね。
結婚して3ヶ月たつところなんだけど、子どもを持つことを否定された。
「お前一人で子どもを育てる覚悟も無いのに無理。俺は明日死ぬかもしれないのに。今日だって帰り遅くなるってLINEしてきただけで、俺は先にご飯食べればいいの?待ってたらいいの?全然わかんないし。そんなんで子ども育てられるとは思えない。無理。わかった?無理。聞いてる?」
家事は女がやるものという考えで育てられ、食器の上げ下げから家事炊事洗濯も私。いくら遅くなっても。今日は結局帰ったの21時で、家帰ったら旦那はゲームしてて、シンクには弁当箱(ゲームを買ったときに洗う約束をした)、おかえりの二言目はお腹空いた。
「俺のことで不満をぐちぐち言って拗ねるくらいなのに子育て無理よ。子どもは24時間待ったなしよ」
旦那は元嫁との間に子どもがいるので、「子育てしたことないやつは黙っとけ」とも言われる。
私どうしましょう。
結婚するときは、子どもが出来たらーって話ちゃんとしてたのになぁ。
考えが変わったんだと。無理だと悟ったんだと。
離婚なのかなぁ。まだ3ヶ月経ってないのに。安易すぎるか。もっと踏み止まるべきか。結婚前にそんな人とわかってたんじゃないの?我慢しなさいよって感じか。それとも子どもがいないんだから別れちゃいなさいなのか。
結婚したら子どもができて、っていうのが当たり前だと思ってたけど違うんだなあと泣きじゃくって泣き止んだところで増田に書いている。
追記なんて書くんじゃなかった。
どうやってそうなったのか知りたいとかいうブコメ鵜呑みにして書いちゃうあたりがダメなんだろうな。そして創作とか言われて凹んでるし、でも、はてな住民の元彼にバレなければそれでよしとしよう。
こういう卑屈で凹みやすくてこじらせてる感じとかが夫に嫌われてるところです。