はてなキーワード: 法則とは
うちは実践倫理宏正会じゃなくて倫理研究所(現在は家庭倫理の会)なんだけど、教義もう一個ない?(追記:私自身は三世で一番ハマってたのは祖母、家族全員興味ねえけどゆるく付き合ってやるかぁ…みたいな感じ)
「子育てで悩んだら全部自分のせい。もし昔自分がグレてたら同じ年頃になった子供も荒れる。病気として現れる場合もある」。
引き寄せの法則の反転バージョンみたいなやつ。万人幸福の栞にも書いてあった気がする、全部忘れたけど…。
新世(倫理研究所の機関紙というか雑誌。PHP研究所のパクリみたいな本。実家には毎月紙袋に山ほどあった。これ全部一括で購入してタダで配ってたのかな?あんま集金とかしてたイメージないんだけど…。考えたくもない。日めくりカレンダーもあった)読んでたら絶対この話出てくる。手をついて泣きながら謝罪したら全部治りました!みたいなオチが定番。
「血のつながっていない養子でもこの法則は発動する」とか「遠方でも発動する」とか謎の研究報告も覚えがある。(心理学の「研究所」って建前なので。てか純粋倫理と実践倫理って違うの?)
たま〜にガス抜きみたく「父親」サイドの話もあったけど、まぁ大体は母親のせいだよねこの国では。
私も卵巣嚢腫を「倫理では母親に逆らうから、子宮に異常が出来るのです」って言われたよ。丸山先生(笑)が聞いたらどう思うんだろうねー、この発言。もう興味ねえけど。
容疑者の母親、どんな気持ちだったろう。朝の集い(宏正会では朝起き会って呼ぶの?)では他の会員が朗らかな顔で実践報告するのに、自分の息子だけどんどん小児癌が悪化していく訳でしょ。何を報告すればいいのよ。生き地獄だと思うよ…。
倫理の人達は優しいから、会員間ではそんな厳しいことは言わないと思う。でも家族間ではそうはいかない。父親の自殺も、あなたもきちんと倫理の勉強をしてよ!私には原因が思い当たらない!あなたのせいでしょ!何をしたら癌になんかなるの!ってわめく妻に疲れたのかもしれない。(ちなみに「家族に倫理の勉強を強要する」のもやってはいけないとされるパターンのひとつ)
倫理は確かにお金はあまりかからないかもしれない。私は子供だったから選挙活動についても詳しくは知らない。でもみんな早起きでハイになってるし(もちろん帰宅後寝直してます)、キラキラで疲れるのよ。そんなときに、お金さえ払えば助けてくれるって統一教会が近づいてきたら?
そういや私はミキプルーンの味を知っている。たまにうちにあったんだよね。他にも変な健康食品みたいなのたくさんあった。多分だけど、ノルマを捌ききれなくなった会員から買ってあげてたんじゃないかと思う。倫理自体は「宗教ではない」が口癖だけど、そのぶん掛け持ちも自由なので、シンナーから覚醒剤に移行していくように、カルトの入り口になってる部分があるんじゃないかと思う。オフラインでやるオンラインサロンみたいな。(レトロニム)
いつの間にか家庭倫理の会に名前変わってるのも気持ち悪いし(なんなら朝の集いも今は「おはよう倫理塾」って言うみたい?おはようどころじゃねーだろ。5時だぞ)、知床遊覧船の社長も倫理にハマってたみたいだし(これは倫理法人会?)、この際全部調べてほしいです。→なんか下部組織みたいな感じなんだよね。でも祖母は倫理研究所時代から持ってたネームプレートとか名刺全部新しく家庭〜に変わってましたけど。これって買い直させられたのかなー笑
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/coldcup.hatenablog.com/entry/20140523/p1
大人になって色々調べて、「気持ち悪い」「怪しい」「胡散臭い」みたいな意見を聞けてちょっと嬉しいっていうのが本当のところ。みんなキラキラで頑張ってて、ついていけない自分はクズだってずっと思ってたから。今でもちょっと思ってる。
こういうのってたまに自己啓発本とかで読みかじって、いい所だけ取り入れるのはいいのかもしれないけど、朝5時から叩き込まれる、「ご起立ください!私たち!なんちゃらかんちゃら〜働きます!(内容忘れた)」って唱和させられるのは、「怪しい」センサーを濁らせてしまうので、あんまり良くないんじゃないかなと思う(自分は逆に過敏になってしまって、オンラインサロンとかこんまりとか全部大嫌いだけど。なんなら「実践」という言葉すらうっすら嫌いだけど)。てか明るくなる前から掃除するって普通に不審者でしょって意見を見かけて笑ってしまったw確かに!程々にね。
少なくとも、「倫理を通じて近づいてくる他のカルトやマルチに気をつけろ」くらいの注意喚起はもっと厳しくあっていいんじゃないかと思います。入口って言い出したら大学だってそうなり得るわけだけど、でもきちんと注意喚起はやってきたわけだから。私が知ってるのは昔の話なので、現役の方で今は違うよって方がいたら訂正してほしいです。
無敵の人、というのは、
ひろまろさんにとって、悪・人道にもとる犯罪を行う上での言葉上の免罪符なんだと思う。
あえて無敵の人、恐れるものはなにもない、守るべきものはない、と胸を張ることで精神のバランスを取りたいのだろうと思う。
でなければ2ch時代に買った数十万人の恨みに押しつぶされてしまうからね。
たしか娘さんとかもいるようだから、実際は守るべきものが発生してしまって、海外をいくつかアジトにしてるのだと思う。
ただ、得たものは奪われる、という世界の法則からは逃げることはできない。
それはどんな形になるかは誰にもわからないけど。
■
無敵の人問題だけど、今回のケースだと当てはまらないと見ている。
社会的に失うものが何も無いために犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味する|
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。(つまり秋葉原の加藤はなぜ、職場の人間を殺さず、またネグレクトに近い母親を恨まず、社会へ憎悪を向けたのか)
今回がなぜ当てはまらないかと言えば、罪を犯した人間が、自身に向けられた不条理を生んだ社会へ向けた憎悪ではなく、自身の身内を不幸にした人間を恨んだ犯罪になるからだ。
この無敵の人という語がよかったのは、社会から排除されたりして、接点がなくなり犯を犯すことに躊躇することが無くなった人たちであり
かつ、社会へ逆恨みとも呼べるものを還元する人たちをうまく定義することができたことだろう。
なぜ社会へ向けた不特定多数へ罪を犯すのか、彼らが無敵の人だからだという具合だ。
自身で語を作ったひろゆき自身もそのことにまるで違和感がないみたいだし。
wikipediaを見ると、明確に京都アニメーションへ恨みがあった京都アニメーション放火殺人事件も含まれているし
だからひろゆきもズレに気付かないのか、社会への接点云々を語っているけど、まるでズレているし
もし、社会が彼を抱擁できたとしても、彼は社会へそもそも犯罪行為を行わないだろうし、安倍は死ぬだろう
この語の使い方がこうなってしまったことを擁護するなら、宗教に関連するものが原因であり、社会と宗教には近いものがある点を上げるのと
社会へ与えた影響が、人が亡くなったことの影響が社会へ幅広く伝わり、不特定多数が自分にもダメージがあったという点だろうか
まぁ無敵の人という語は死語みたいなものだったし、マイナーチェンジという形で意味が少し変わり復活したという風に理解するしかないだろうな
航空機・ミサイル・ロケットを用いた越境攻撃は繰り返し行っている。
ひろまろさん理論ですな
ただし彼らが一つ気づいていないことがある
奪ったまま逃げ切れるということはできない
政治家と宗教の関係性が表沙汰になって、はてなみたいなインターネットの一部界隈では統一教会と政治家の関係性の話題で持ちきり
ネット検索にも事件の関連ワードの上位に「統一教会」の名前が出る始末
そして、表立って触れられることはないかもしれないけど、恐らく今後政治家は統一教会から距離を取っていき、少なからず組織は弱体化するはず
誰だって殺されたくはないだろうしね
結果的に、山上徹也の思いは、直接的ではないにしろ少なからず叶うことになる
どうしても暴きたい・広めたい話があるのなら
何言ってだこいつ、と言われそうだが、本当にそう見えるのだからしょうがない。
小〇代表、ひろ〇きさん、竹〇さん、先日の宗教の代表、辻〇議員。
いずれも白くぼうっと顔の部分が浮き上がっている。
顔色とか肌の色ということではない。なんなんだろね。
同じようにぼうっと白く浮き上がってる。黒人でも。
たいてい肌ツヤはよく見える。
逆に、重厚で誠実な人間は、浅黒くどっしりとした顔つきになる。
物理的な暴徒とかは、ぼうっと浮き上がることはない。
あと多くの人を、間接的・直接的に扇動して動かして自分の利益にした人、なども白く浮き上がる。
別に自分はエスパーでもなんでもないがw、最近はネットの顔写真も高画質になったことが原因だろうか。
たしかに詐欺っぽい人間は白っぽくツヤツヤして浮き上がってたように思う。
画像から感じられてしまうレベルというのは、そんなプチ詐欺師をはるかに超えた詐欺を行って、
世界の法則は必ずバランスが取れるようになっていることを思うと、
彼らがどうなっていくかを考えると非常におそろしい。
今年は家庭用ADVの豊作年。
新作、続編、待ちに待った期待作、精神的続編などなど、盛りだくさん。
けど、ADVはどうしてもプレイ時間がかかるし、僕は割と真面目に「推理」するタイプのプレイヤーで、
明らかにそこまでの情報で犯人当てできるなとわかるようなシステム(ダンロンの裁判とかね)なら、そこでゲームを止めてかなり真剣にシステムの中じゃなく推理するタイプだから、人よりプレイ時間が多いんだよねえ
なのでごみみたいな仕事と、スマホゲーの楽しい楽しい日課の消化と期間限定イベントの消化で忙しい僕は毎日シコシコ同じボスを延々と周回するゲームをするしかなかったのだった
けど、まあ流石に3連休ちゃんと休めるなら、まあやるかって感じ?
トリックロジックの精神的続編と聞いたら黙っちゃいられねえ……
トクロクはちゃんと独力で正解して公式サイトに名前載るぐらいは遊んでたのでそりゃ気になります、
が、今作には超超一流ミステリ作家陣(※一部を除く)というトリックロジック最大の長所が無い点が僕を躊躇させている。
とは言えいつかは遊びたいので単に優先順位の話をしてるだけです。
あー超超一流ミステリ作家陣(※青が関係している一部を除く)の中から一人(※鬼が関係している一部を除く)が監修だけでもしてくれてたらなあ……
なげえ、AI2のことね。
最後の歌のシーンでボロボロ涙流しながら満面の笑顔になって、人間の感情って悲しさと嬉しさを同量同時に浴びせるとこうなるんだっていう初体験をさせられて、その直後に急にライターの過去作品と繋がる奇妙なワードが出てきて腰抜かしながら終わったあのAIの続編。
そりゃもう遊びたいんだけど、同じぐらい、俺はもうこのライターの序盤の、あの、もう、なんとも形容できない、アレを遊ぶことが億劫で億劫で仕方ないんだ.…
こめっちょのことだよ!!!!!
この人のこと大好きだし、俺はブログで極限脱出9時間9人9の扉の宣伝記事を書いて説明書に名前を乗せてもらったことを死ぬまで誇りに思い孫(子すらできる予定はない)に語る予定だけど、だけども、こめっちょを読む苦痛も同じぐらい語り継ぎたいと思ってるから……
忘れないから、ゲストライターだったシュタゲの短編詰め合わせでもこめっちょ的なことやったこととかを……
いや、もう、どれ遊んでないかを整理しないといけない
カオチャまでは確実にやってるんだけど、シュタゲゼロが外伝小説三冊の翻案だって知らずに買ってなんか読んだことある話がずーっと続いてイライラしてからの記憶が曖昧だ……
ロボノ2、カオチャファンディスク、シュタゲゼロ、オカナイが遊んでないかなあ?
いや、カオチャファンディスクは覚えあるぞ、確かタネダリが演じてたミンゴスの同僚のキャラが真田アサミになってて、真田じゃなく下田だったら科学ADVシリーズに765AS声優でがちの法則に沿うじゃんって思ったんだよな
(カオへはあずささん(とゼノグラの真)、シュタゲは千早、ロボノは伊織)
うーんもういっそカオへから遊び直そうかなあ。
4.EVEの近年のリメイク以降の作品群(ドラゴンデンタルクリニックで自慢の空手を披露した人じゃないやつ)
家庭用ADVのファンであって全年齢対象じゃないゲームにあまり詳しくないので、打越がライターやってたやつしか遊んでないんだよねえ。
昔に義務感で初代を遊ぼうとしたんだけど、当時ポイントアンドクリックを貶すのが一流エロゲ評論家のお決まりだったから、それだけでやる気無くしちゃったんだよねえ……
流石にそんなど偏見は抜けたので今なら遊べると思う
原作遊んでないので思い入れはないけど、5pbへの思い入れはいっちょまえだから……
そのくせ最近に展開を追えてないけど……
志倉千代丸のクッソ豪華なマンションの写真をスマホに保存して毎日見返す程度には5pb好きだから……
普通に遊びたい。
世の中には、人との距離感がおかしい人がいる。「馴れ馴れしい性格」と言えばそれで終了だが、状況によっては被害者にとって脅威となる。
ママ友関係や同人誌界隈など幅広く奴らは存在するが、今回の話はアート界隈だ。いわゆるギャラリーストーカーである。私はアートイベントで被害に遭ったため、ギャラリーとは少し違うのだが。
大きな被害にまでは至らず無事解決したので、今回は被害の内容とギャラリーストーカーのような「距離無しおじさん」の心理について考察したいと思う。(ちなみに女性の距離無しもいるが、今回の該当者は男性のため、“おじさん”の表記でいく)
まず、知り合ったきっかけと被害内容をここで簡単に説明しておく。
知り合った経緯は、関西でバンドをやっている知人Aから「僕のお客さんで君のことを気にいってる人がいて、アートイベントに行きたいと言っていた」と連絡がきたところから。他人を使って回りくどく伝えずに、直接SNSなどでコメントすれば良いのにとは思ったが、そのときはまぁそんな人もいるだろう、と私も特に気にしていなかった。
そしてアートイベント当日、奴は現れたのだ。まずその人が60代の男性だったことが衝撃的だった。おじさんどころか若干おじいさんである。被害内容(というほどでもないかもしれないが)は下記の通り。
・ブース内で2時間以上の長話。作品には一切触れず、自分語りばかり。基本的な会話のキャッチボールができない。
・ブースに他の人が来たら譲る素振りは見せるものの、私がその人の対応をしている間、ずっとブース前で終わるのを待っている。(普通は、他の人が来たら話を切り上げて他のブースを見に行く)
・知人Aを含めての食事に誘われる。(まぁ複数人での食事ならいずれは・・・と当初は私も思っていた。)
・SNSでは私のことを一切フォローせずに私の投稿を見ているらしい。
念の為言っておくが、この日が完全に初対面である。SNSなどでの事前のやり取りも全く無い。ただ、この時点では少し違和感はありつつも、言葉は丁寧だし下品なことは言わないし、私のSNSだけでなくブログやYouTubeまでチェックしてくれているとのことで、熱心なファンに出会えたなぁとのんきに思っていた。
その後、facebookで友達申請が来たので承認したが、メッセージも挨拶と御礼だけであっさり終わる。特にしつこいとは思わなかった。
そして、2回目に会ったのは前回から半年後に開催された同じアートイベント。相手は仕事の都合で閉場1時間半前に現れた。被害内容は下記の通り。
・今回は作品について少し触れてきたが、ズレている。私の作品をスマホで撮っていく人を見て「この作品の何が良いのかわからない」「キャプションの文字が見にくい」など。
・「原画だけでなく画集も売ったら?」「原画は売れると寂しいから複写作ったら?」などと余計なアドバイス。
・そして今回も何も買わない。
・「住んでいる場所は、〇〇市の何区?」と絞り込んだ質問をしてくる。
・頼んでもいないのに搬出作業を手伝ってくる。
・また食事の誘いをしてきて、「Aさんにも連絡しておきますね」と返すと、「いや、Aはいなくて良い」と言い出す。「(私)さんの友達を誘ってよ」「無理なら二人で」と言ってくる。
2回目の時点で距離を詰めまくってきているのがわかるだろうか。食事の件はあまりに突然すぎて、私はYESもNOも言わずスルーするのが精一杯だった。
このイベント前日辺りから、おっさんからの長文メッセージ連投が始まる。下記の画像を見てほしい。(後ほど要約するので、文章は無理して読まなくても良い。)
https://tadaup.jp/loda/0626191420822787.jpg
https://tadaup.jp/loda/0626191936127788.jpg
・「次に東京に来たときは、ドライブに付き合ってくれ」と誘ってくる
・イベント出展費用について書いた私のブログを読んで、「じつは気になってる作品があるんです」「僕が作品を買ったら最終的に(私)さんのところに作品が戻るよう手配します」と匂わせ。でも最終的には「あと半年ほど熟考します」「このことは誰にも言わないで!」
・「作品を買う前に気になっていたことを実行します」←後ほど判明するが、ネットで販売している3000円程度のグッズを買う遠回しな匂わせ。でも結局買わない。
・「僕は何でも先に自分で値をつけます」という上から目線な発言
・「(私)さんの作品にインスパイアされる夢を見た気がします」といった迷言
創作や物販経験の長い方ならわかると思うが、買うことを匂わせる人はほぼ買わないという法則がある。本当に買う気がある人は何も言わずに買い、せいぜい購入報告をする程度。今回もその法則は裏切らなかった。
こういった距離無しおじさんは、お気に入りの女性に構ってほしいだけなのだ。そして悪気なく失礼な発言をし、嫌われていく。
この匂わせをされた時点で、「気持ち悪い」という感情で私の心は埋め尽くされた。
https://tadaup.jp/loda/0626192140712152.jpg
遠回しだと思う方もいるかもしれないが、私の精一杯の抵抗である。「買う側が値を付けるなど言語道断」「あなたがやっていることはハラスメント」「作家目当てで作品を買うものではない」ということを伝えたつもりだ。
しかし、上記画像でわかる通り彼には全く伝わっていなかった。「各種ハラスメントとは無縁と思ってくださいね」と自信満々のお返事。そして、「手元に置いて、たまに作家さんに対するお想いも込みでながめるもよし、購入はするが引き取らずに展覧会で会うことを楽しむもよし」と、作品を買う前から妄想をするおじさん。キツイ。せめて買ってから言え。
ここから私はリアクションすらせず、メッセージを完全に無視。彼からも追いメッセージはなく静かに過ごしていた。
すると、4日後にまた頼んでもいないお仕事報告(写真付き)が届いた。「メッセージハラスメントですかね、これは」と本人も何か感じ取っている様子。
もうはっきり言った方が早いと思った私は、下記画像のように返信した。
https://tadaup.jp/loda/0626192340139863.jpg
もう読むのも疲れてくるが、彼は言い訳までも自分語りなのだ。ここまで来るともうすごい。60代の所業とは思えない。
そしてまたもや失礼な発言。
>スーパーのレジ打ちの女性や、バスを運転する女性、理学療法士や調理をする方々といわゆるアーティストと呼ばれる方々を等しく見ている
もうね・・・ズレすぎてる。スーパーの店員やバスの運転手であっても、初手から二人きりの食事に誘うのは失礼である。信頼関係が築けていないうちに誘うのは、ただのナンパだ。そして、対象が女性であることを強調している点も気持ち悪い。
さらに、
>自分にとっての価値というものを考え、金銭に置き換えてみるという行為はカット野菜からマンションに至るまで生きている以上止めない
彼は野菜と著作物を同列に見ているようだ。オークションなら例外だが、著作物は基本的に制作側の言い値で買うのがルール。本やCDだって小売り店が勝手に安売りはできない。そんなことも知らないのだろうか?たとえ自分で値を付けるにしても、わざわざそれを作家に言うな。
「勉強になりました」と言っている様子は一見謙虚に見えるが、彼の年齢からみても恐らくこれが初めてではないだろうし、反省もしていないように思う。
前項のメッセージを最後に、今のところ彼からのアクションはない。これで無事解決と見て良いだろう。今回は、私が早めに牽制できたのと、相手が逆ギレするタイプではなかったのが幸いだった。私はおじさんに「何が不満なのか」ということを懇切丁寧に説明したが、返信を見る限り何も伝わっていないようなので、説教をしたところで無駄だということを皆さんには知っておいてほしい。
距離無しおじさんは人付き合いの段階を踏むことができず、自分が気に入った女性を一方的に友達と判断する。「僕が相手を好きなのだから、相手も僕のことが好きだろう」と考えている。
そして、相手の話を聞かず、自分の思いだけをひたすら話すことが相手を不快にさせることを知らない。まるで5歳くらいの子どものようだ。子どもなら誰しもが自分の話をするのに夢中になるが、それは年齢とともに落ち着いてくる。60代にもなってこれでは只々悲惨である。
そして、距離無しおじさんはとにかく孤独だ。孤独が故、一人の作家に強烈に執着する。
そして食事も可能な限り二人きりを望む。なぜなら、複数人だと自分中心の話ができなくなるからだ。距離無しおじさんは、人の話など聞く気は一切ないのだ。
また、距離無しおじさんは作家に執着している自分を周囲に隠したがる。今回の事件の彼も、何かと他言しないように念を押してきた。私の投稿を熱心に見るわりに、フォローやコメントはしてこなかった。なぜ隠したがるのかは正直最後までわからなかった。この点は検証が必要そうである。
また、私の経験則にはなるが、この“自他境界が曖昧”な距離無しおじさんは、顔が整っていたり服装に気を使っている人が多い。漫画によくあるデブで脂ぎった不潔なおじさんではなく、昔はモテたのだろうと感じさせる人ばかりだった。(※あくまでも私の経験談です。)
つまり、自分が若い頃は許されていた距離無し行動が、年を取るにつれて通用しなくなってきた結果なのだと思う。(あとターゲット女性の年齢層が若いままで止まっている点も問題。)
「食事に誘うだけでストーカー?」「嫌なら断れば良い」と距離無しおじさんは言う。だが、考えてみてほしい。最初から作品に興味がないことがバレバレで、話していても楽しくない、上から目線のアドバイスをしてくる鬱陶しい人が二人きりの食事に誘ってきたら「あ、この人は私に構ってもらいたいだけだ」と確信するのみ。それが作家にとっては極めて不快なのだ。
どれだけ自分の作品の知名度が低くても、距離無しおじさんはろくな客ではないので、さっさと見切りをつけるべきだ。直接会って話すとなかなか断れないと思うので、メッセージではっきりと断るのが良いと思う。今回の記事が断り方の参考になれば嬉しい。
2015年にギャラリーストーカーがツイッターで話題になったとき、たくさんの人が共感や対策など思い思いにツイートしていたが、その中には「純粋にアートを楽しんでいる人の足が遠のいてしまうのでは?」と懸念を投げかけている人もいた。なので、私もここでギャラリーストーカーかどうかの判断基準を書いておきたいと思う。
まず先に言っておくが、掲題のような不安を持っている人はギャラリーストーカーではないと思う。なぜなら、ギャラリーストーカーは自覚がないからだ。無意識に行動し、相手に嫌われて表面上は謝りつつも、結局自分の考えを曲げず行動を直さない。そして同じことを繰り返す。
また、今回の事件は食事やドライブに誘うところが不快だという点を強調したが、私の考えとしては食事に誘うのは別に構わない。だが、それはお互いが十分な信頼関係を築けていることが前提だ。特に、自分と話していて楽しいと相手に思ってもらうことが重要だ。具体的には、
といった感じだ。ある程度信頼してくれていれば、相手もそれなりに中身のある話をしてくれる。まぁ普通の人なら感覚でわかると思うが・・・距離無しおじさんはそこが気付けないんだろうなぁ。
そもそも、相手は仕事をしているのであって、色恋を求めているわけではない。ギャラリーだけでなくコンビニやバス車内であっても、店員対客の関係から二人でご飯に行くには、かなり難しいということを念頭に置いてほしい。(ほとんどの人が理解してるだろうけど。)
こんなリアルなメッセージのやり取りを公開するのは勇気がいりましたが、言葉で表現しがたい雰囲気を少しでも読者に伝えるため、メッセージのスクショをあげさせていただきました。
ギャラリーストーカーは、なかなか公表できないのが現実です。下手したら作家自身のイメージ低下にも繋がりますからね。ネットでもギャラリーストーカーのエピソードを書いた記事はすごく少ないです。
しかし、皆さんに「距離無しおじさんの心理」を少しでも知っていただきたいという気持ちと、自分の経験談を話すことで少しでも対策の参考になればと思い、はてな匿名ダイアリーで書かせていただきました。
見苦しい箇所もあったと思いますが、最後までお読みくださりありがとうございます。
それは、生そのものが罪であり、罰だからだ。宗教はそのように説く。
そして、もし神がいるのであれば、人が苦しむことこそが、その御心なのだと。
一方で、天国への導き、あるいは弥勒菩薩による救済。そのような甘い餌をぶら下げて人の心を操る。
しかし、神を信じれば救われる、などという戯言は、所詮は人の弱さから出た願望に過ぎない。
キリストもムハンマドも、皆々、己の心を救うために、神の言葉を借りているにすぎないのだ。
神とは、病質的な精神が生み出した虚像であり、幻想である。宗教という集団的なヒステリーによって、都合良く作り上げられた偶像なのだ。
その欺瞞により、人は「生きなければならない」という強迫観念を植え付けられて、人は生きながらにして地獄へと堕ちていく。
人は常に苦悶し、苦悩し続ける宿命にある。苦しみから逃れようとすればするほど、ますます苦しくなるばかりなのである。
生命とは物理現象である。地球の誕生、生命の誕生、その全ては偶然の出来事だ。そこには必然性など存在しない。
それなのに、生命には神秘性が付きまとう。あたかも、そこに神の意思が存在するかのように錯覚する。
だが、そのようなものは、人間の妄想に過ぎず、何の意味もない。生の苦しみによって歪められた病的な精神の産物でしかない。
生命に意味はない。生命に価値はない。そもそも、意味や価値という概念さえも、本当は存在しない。
人間は、ありとあらゆる現象や存在から、その意味や価値を見出そうとしてきた。
それもまた幻想なのだ。なぜなら、世界は人間のためだけに存在しているわけではないからだ。
世界に意味を与えることができるとしたら、それは神以外にいない。しかし、神は死んだ。誰も、その存在を確かめることはできない。
神も、意味も、価値もない。ただ、確率的に発生する物理現象がそこにあるのみである。それが世界の真理なのだ。
つまり、世界は人間のために存在するのではなく、人間が世界を存続させているのでもない。
すべては偶然によって成立している。
宇宙誕生の謎を解き明かしてもなお、この現実から逃れることはできない。
脳の誤作動によって生じる錯覚、幻覚。それを奇跡と呼ぶのなら、確かに奇跡はあるかもしれない。
しかし、それは科学によって解明された現象だ。決して、神の御業などではない。
この世に存在するすべての事象は、確率的に生まれるものであり、偶然の結果である。
その法則に逆らうことは誰にもできない。たとえば、人はなぜ死ぬのか? なぜ生まれてくるのか? その理由を知る者はいない。知る必要すらない。
コップからこぼれた水が跳ね、床を濡らすのは何故か。それはただ、水が物理法則に従うからにすぎない。水の運動に意味などはない。太陽と地球、そして人間が生まれたのも全く同じことだ。
宇宙にばら撒かれた大量の原子が、偶然に恒星と惑星の姿を取り、その惑星には偶然に有機生命体が誕生した。そこに意味はなく、理由もなく、原因もない。あるのはただ、確率だけである。
神もなければ、悪魔もない。ただ、物理現象があるだけだ。人がこの世を創造したわけでもないし、ましてや、人が生きていることにも何の意味もない。
ただ単に、宇宙が生まれて、そして滅んでいくだけのことに過ぎない。
神も仏もいない。
すべてはただの錯覚だ。全てに意味を見出そうとする病変した精神が生み出す幻影だ。
人は神を信じたがる。それは神への信仰ではなく、自分の心に空いた隙間を埋めるためだ。
キリストもムハンマドも、その実態は妄想に取り憑かれた弱者にすぎない。彼らの言葉に真実はない。
精神に巣食う病的な妄想に取り憑かれた者たちが共有する、集団的な精神異常こそ、宗教と呼ばれるものの正体だ。
人は誰しも、自分が信じたいものを信じる。自分が理解したいことを理解しようとする。そうしなければ、自我を保つことができないからだ。
だが、それでも人は、自分を騙し切れない。必ず矛盾が生じる。人は神の不在や死後の世界など存在しないことを知っていながら、神や死後の世界を信じようとし、精神を歪ませていく。
投資におけるレバレッジとは他者の資金を利用して自己資金以上の投資を行うことだ
信用取引やFX、ローンを組んだ不動産投資なんかがメジャーだが、ナスダック100指数の2倍に連動する「レバナス」と呼ばれる投資信託が最近特に人気を博していた
まあ去年までのナスダックはバブルもいいところだったので、そういうハイリスクハイリターンの投資商品が人気になるのは世の常ではあるが
もちろん「リスク高すぎだろ! 止めとけ止めとけ」という声も同時に盛り上がりを見せ、ネット上ではレバナス肯定派と否定派の激しい論争が繰り広げられていた
◇ ■ ◇ ■ ◇
ここで否定派の急先鋒だったのが のっち @nocchi0820 だ
こいつはインデックス投資激推し(というかそれ以外の投資法にいちいち喧嘩を売る)だけあって、その手の投資法でよく見られるシミュレーション結果を持ち出してきた
(1年のリターンが○%でリスクが▲%だと、30年後の平均リターンは○○%、50%の確率で××%を上回る…みたいなやつ)
ずばり、「レバレッジはリターンの平均値を上げるだけで中央値を下げるから悪!」という結果である
◇ ■ ◇ ■ ◇
平均値というのは外れ値に弱く、例えば平均年収だったら一部の金持ち連中が平均値を引上げてしまうので
一般的な年収より数字が高めに出てしまう。そこでよりよく全体を代表する数字として出てくるのが中央値であり
中央値とは全体の半分がここより下、半分がここより上という数字である
更に付け加えるなら、これは統計での説明なので投資のように確率の話であれば
中央値とは半分の確率でここより下、半分の確率でここより上という数字である
◇ ■ ◇ ■ ◇
話を戻そう。レバレッジをかけるほどそれに比例してリターンの平均値は上がるが、
これは高いリターンをあげる一部のパターンが平均値を引上げてるのであり、
レバレッジが大きすぎるとむしろ中央値が下がると確率計算で導くことができる
詳しい計算方法の説明はネットにいくらでも転がっているので、↓のようなサイトを参照されたし
【衝撃】レバレッジはリターンの中央値を下げる。3倍レバレッジが危険な理由を定量的に説明。 | 社畜がインデックス投資で資産を築く
つまりは、いくら平均値が上がっても運が良いときにやたらハイリターンになるだけで
さて、上で自分は「レバレッジが大きすぎると」と書いた。何故か?
それは適切なレバレッジはむしろリターンの中央値を向上するからだ
◇ ■ ◇ ■ ◇
レバレッジを横軸、リターンの中央値を縦軸に取るとグラフは山の形をしている
つまり、レバレッジが低いとレバレッジが高まるほどに中央値も上昇し
一定のレバレッジで中央値がピークとなり、その後はレバレッジを上げるほど中央値も下がる
というわけで、このピークの部分を目指すのであればむしろレバレッジは中央値を上げるのだ
なんだレバナスのレバレッジ2倍ってそんなに悪くないじゃん!!
◇ ■ ◇ ■ ◇
ここで問題なのは、レバレッジの最適値を求めるにはリターンとリスクの値を推定する必要があることだ
リスクはともかくリターンは時期によって違いが大きいことが知られており、
過去30年の平均リターンがそれより前の30年と違うので今後30年も推して知るべしという状況である
なので一般的な回答としては色々な推定値で検討した結果を参考にしつつ、
何だか曖昧な結論になってしまうが、自分の資産のどこまで投資するかとか
資産のうち何割を株で何割を債券に投資すべきか というような資産運用上根本的に重要な問題も昔から同様の結論である
(というか、前者はレバレッジをどれくらいにするべきか(ただしレバレッジは1倍以下)という話なので当然同じ結論になる)
◇ ■ ◇ ■ ◇
なのだが、レバレッジ否定派には「レバレッジは中央値を下げるから悪!」「リスクが取れるなら株式100%が最良!」といった論調も根強い
そもそもリスクの自乗がリターンを上回った場合の最適レバレッジは1倍以下になるので
◇ ■ ◇ ■ ◇
ちなみに証拠金取引を利用すればいくらレバレッジをかけても中央値が低下しないことも可能であり
既に↓のように話題になっている
GMOクリックのレバCFDをレバ指数ETFと比較する - FIer: 投資でセミリタイアする九条日記
この場合、含み損益が生じることでレバレッジが当初の値からずれるのが特徴であり、
件の急先鋒はこれを評して「資産に対して借金が膨らむので危険!」と否定しているのだが安心してほしい
資産に対する比率が膨らむことがあるだけで借金の総額はどうあがいても一定である
(恐らくアセットアロケーション(資産全体に対する株や債券など、種類の異なる資産の割合)が将来のリターンを決めるという