2014-09-09

あたしはアナウンサーになりたかった。

あたしはアナウンサーになりたかった。

いや。ちょっとちがう。


あたしは町を出たかった。町にいたくなかった。でも都会に行きたいわけじゃなかった。あたしは空にぽっかり浮かぶ、あの月に行きたかった。そして月にいくそ方法アナウンサーなんだって思ってた。あの頃は。


あたしの住んでた町は海沿いの辺鄙なところで、今ならわかるけどよそとはちがうちょっとだけ変わったしきたりがあった。

海につながる砂浜から防風林を抜けると町を横切る唯一の県道がある。県道をわたると森があって、森の入口から奥に狭い石段が続く。50段くらい上ったところで森はいきなりひらけて、こんもりとした小山がありその上に小さな祠があった。

観音扉の格子の隙間からは幅1メートル、高さ20センチくらいのたいらな石が見えた。下のほうは地面に埋まっていて、石のまんなかあたりにへんな文字が彫ってある。あたしにはどうみても数字の「710」って読めるんだけど、大人の人たちはそんなわけないって言ってた。


それでへんなしきたりっていうのが、町の子供たちが交代でコップ一杯の海の水を汲んできて祠にお供えするっていうやつ。よその子たちはめんどくさがってやらないこともあったんだけど、あたしは毎日水をお供えしてた。

普通お供えなら水道の水だと思うんだけど、ここの祠はなぜか海の水ってことになってた。あの頃は疑いもしなかったけど、今考えるとだいぶ変だと思う。


あたしは家にいたくなかったか毎日お供えしてた。学校の帰り道に海にいって水筒に水を汲む。石段をのぼって祠につくとなぜかいつもコップはからっぽで水筒から水を注ぐとお供えは終わり。あとはずっと祠のそばに座って、宿題したりぼーっとしたりしてた。日が暮れると決まって月がのぼっててあたしはそれをいつも眺めてた。月が見えなくなってさすがに遅くなるとしょうがなく家に帰った。


あたしは家で殴られてた。ずっと前にお父さんは仕事がなくなってて、お母さんがパートに行ってた。お父さんはあたしのことが気に入らないみたいで、なにかしら理由をつけては殴ってた。お母さんの前では殴らなかったからお母さん気づいてなかったのかな。よくわからない。

とにかくいつも殴られてたからあたしは家にいたくなかった。どこでもいいからこの町の誰も知らないところに行きたいって思うようになってた。でもどこに行ってもいやな人や殴る人がいるかもしれない。そんなふうに考えたら、いつも祠で見上げてるあの月に行きたいって思うようになった。たぶん知ってる人は誰もいない。誰も殴ってこない。ここよりずっと静かな場所で、だからあたしは月に行きたいって強く思った。


ある日のニュースだった。

この国ではじめて宇宙に行くっていう人がテレビに映ってた。ジャーナリストの男の人で外国ロケットに乗って宇宙に行くって言ってた。ジャーナリストっていうのがわからなくってお父さんに聞いたらアナウンサーみたいなもんだって言いながらあたしを殴った。

あたしは、だからアナウンサーになりたいって思った。アナウンサーになれば、ロケットに乗れて宇宙に行ったりもしかしたら月に行けるんじゃないかって思った。次の日、お母さんにこっそりアナウンサーになりたいって言った。お母さんは喜んでくれてた。あたしはうれしくなってこっそり祠に行って月を眺めてた。すごくすごくうれしかった。


アナウンサーってどうやってなればいいのかわからなかったけど、教科書のはしっこにアナウンサー落書きとかしてた。お父さんには毎日殴られてたけど、アナウンサーになって月に行けばお父さんはあたしを見上げるしかなくっていい気味だと思った。なんだか殴られても平気だって思えるようになった。毎日毎日祠にお供えしてアナウンサーのことばっかり考えてすごくうれしい気持ちになってある日の夜家に帰ったら、お父さんがお母さんを殴ってた。


お母さんは丸まったままやめてって叫んでた。でもお父さんは殴り続けた。あたしもとびついてやめてって叫んだ。そしたら今度はあたしを殴り始めた。でもお母さんが殴られないならそれでいいやって思って我慢してた。我慢して殴られ続けた。

お父さんが言った。

「おまえなんかアナウンサーにはなれねえよ」



頭が真っ白になった。ふざけんなって言いながらお父さんに殴りかかった。なんどもなんども殴りかかった。でも一発も当たんなくって逆に殴られた。くやしくってくやしくって腕を振り回したけどでもダメであたしは泣きながら玄関を飛び出した。


行く場所は祠しかなかった。他に行くあてなんかなかった。あたしは祠でずっと泣いた。泣いてるうちにいつのまにか眠っちゃったんだと思う。もう空が白みはじめてて、これからどうしようかって考えた。


祠を見るとコップの水がなくなってた。とりあえずお供えしよう。あたしはコップをもって海に行き、水を汲んできてお供えした。あんなに悲しかったのにいつものクセでお供えちゃうんだなってなんだかおかしくなってフフって笑った。

そのときだった。

ゴゴゴゴって大きな音がしたかと思うと地面が大きく揺れた。立ってられない。頭をかかえてしゃがみこむ。

どうしよう。地震だ。たぶん大地震だ。怖い。お父さんとお母さんは大丈夫かな。そんなふうに思ったつぎの瞬間には地震ピタリとやんだ。


おそるおそる目をあける。森の木が何本も傾いてる。祠が壊れていた。祠の中にあったたいらな石がむき出しだ。まわりの土がみんな崩れて地面の下に隠れていた部分もあらわになってる。


「710」

「NOOW]





710の下にも文字が続いてる。どういう意味だろう。でも今は町がどうなってるかのほうが心配だった。

「<採取対象物閾値クリア>」

え?石が……しゃべった?

「<コレヨリ帰投プログラムハイル>」

え?え?

「<オジョウサン、サキホドノオイル取得感謝シマス。アナタノオカゲデ任務完了デス>」

意味がわからない。

「<アナタサキホド設置シタオイルデ採取目的量ヲクリアシタノデス。任務開始カラ長イ年月ヲヘテヤットオワル>」

……あなた、いったい何なの?

「<ゴ存知ナイ?ワタシハ第18期月資源採掘船デス」

月?今、月って言わなかった?

「<ソウデス。月資源ムーンオイル』採取ノタメ、現在カラ約600標準年前ニコノ静カノ海ニ到達シタモノノ事故発生シ緊急着陸シタノデス>」

600……年?

「<オジョウサン、アナタハ当船乗組員ノ子孫デスネ。当船ハ事故ニアイホトンドノ機能ヲウシナイマシタ。当初目標デアル『ムーンオイル』採取完了ニヨッテ起動スル帰投プログラムデシカ月面カラノ脱出ハフカノウ>」

ちょっとまってちょっとまって。いろいろわからないけど聞いていい?

「<ナンデショウカ?>」

ここが月なの?じゃあ、あのあたしたちが月って呼んでるあれは何?

「<地球デス>」

あたしが行きたかったのは月じゃなくて……地球

「<事故後ノ乗組員タチガ地球ヲ月ト呼ブコトニシタ理由類推デキマス。地球ヘノ帰還ガ困難トナッタタメコノ月ヲ地球トヨブコトニシタノデショウ>」

「<ソシテ子孫ヲ残シ、町ヲ築キ、コツコツト『ムーンオイル』採取ヲ続ケタ>」

「<ソレヨリ、今オジョウサンハ月……デハナク地球ニ行キタイトオッシャイマシタネ>」

え?そ、それは。確かにそうだけど。でも町が……。

「<町ハ心配リマセン。先ノ揺レハ当船ノ起動ニヨルモノ。ソレヨリ、オジョウサンハ地球ニ行キタイト?>」

……う、うん。……行きたい……。行きたい!

「<ゼヒ乗船クダサイ。本船ハ地球ニ向カイ成果報告ヲセネバナリマセン>」

「<乗組員ノ子孫ノクチカラ、600年ブリノ成果を地球ニイル人類ニアナウンスイタダキタイ>」

……アナウンス……する……?

「<ハッチヒラキマス。乗船クダサイ>」

……うん……わかった。行く。


地面がせりあがり階段が現れる。あたしが乗り込むと扉は閉まり、大きな音を立てて地面の下から船が現れる。祠の部分につきだしていた平らな石は採油口だ。船が空中で180度旋回し機首を空へ向けると、採油口に刻まれた文字が見える。


MOON

「OIL]




あたしを乗せた船が発進する。

月へ。

いや、地球へ。

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