はてなキーワード: 意味深とは
中高生が金を払わなければ自分を認めて貰えないと当たり前のように考えている。
「親の無償の愛」があてにならない今誰が、何が彼女たちをケアするのか。
2022/09/18
どう考えたってちげーだろw
・「今」なにか特別に親子関係が破壊されてるみたいなデータとかあるんですか?
・なんで100文字中でも「中高生が」から「彼女たち」に主語がスライドするんですか?
・その理論では男子中高生も自己肯定感が低いはずなのに、なんで女子中高生にだけコンカフェ問題が問題が発生すんだろうね?
これに関しては自己肯定感なんて話じゃなくて
十代の子供なんて馬鹿だからこの手の恋愛的な刺激のある搾取スキームに簡単にはまっちゃうってだけ
でもガキからたいした金とれないので男のガキは積極的にはめ込もうとしない
これだけよ
自己肯定感の問題なんかではなく性的価値とヤカラビジネススキームの問題だろうが
お前等さあ、こんなんを「自己肯定感の喪失」みたいな話にしてヤカラスキームから目を背けるならさあ
それこそ統一教会だって何だって同じような処理に出来ちゃうってわかってる?
「信者の人達は教会にはまり込んでお布施をする以外に居場所が無かったんだ
自己肯定感を持てない社会で今誰が、何が信者たちをケアするのか」
↑
こんなんどう考えたってトンチンカンなの分かるよな?
教会がバカみたいなお布施を回収できるのは信者の自己肯定感にそれだけ巨大な穴が開いてるからではなく
そう仕向けるはめ込みスキームが回ってるだけだわ。わかるだろ?それは。
統一教会の問題への対処は自己肯定感についてポエム書くことか?
えげつない金集めスキームの摘発や規制とそれを妨害するような政治家の調査だろ。
○「問題はガキ相手に色恋営業して高額売掛つけて回収を図るビジネススキーム」
こんなん手を変え品を変え発生するんだから
どんな社会でもそういうのにはめこまれる若い女というのも一定数発生する。
それを激減させたいとか撲滅したいとかなら
「ホストクラブ的なものは広く規制」または「ガキ相手に営業した店一発取り潰し」で終わりよ。
この2つを実行する際の摩擦係数が少ないほど若い女を食い物にするスキームは肥える
害が大きくなっていて(というデータはあるのかもしらんけど)減らしたいなという事なら
摩擦係数を高めりゃ若い女を食い物にするダニは痩せるし数も減る
構造の話な
誰かに相手してほしいなら「今」はいっくらでもそんな相手は見つかるわいな
それで刺激が足りなきゃ変な配信で姫でもやってりゃいいじゃんよ
もっと品行方正がいいならふつーーーに勉強や部活を頑張ってりゃ手ごたえのある人間関係ぐらいいくらでも作れるよ
人とうまくやれないならネットでいちびっててもいいし、一方通行の推し活もアイドルからvまでよりどりみどりだ
わざわざメンズコンカフェだのホストクラブだの行くのは家庭状況がどうあれ
「独特の容姿とノリと対応をしてくれる若い男」に相手してほしいから行くんだわ
ソープに行くおっさんだって誰でもいいから相手してほしいんじゃなくて
「手軽にセックスしてくれる女」に相手してほしいからソープ行くんだろ
なんだろう要するにこういうポエマーって自分が感情移入する相手が
そういうつまんない下品な物への消費欲をもってること肯定したくないんじゃねーの
だから「自己肯定感のフンダララ」みたいな別の論点を作り出したい
それで話がどんどん現実から乖離した見当外れポエムになっていく
俺がこういうコメントに☆付けて1位にするコミュニティの何がムカつくってさあ
お前等は真面目に考える気が全くないんだよ。
ひどい目に遭う子のこと真面目に心配する気なんか一ミリもない。
なのになんかポーズだけ取りたがるじゃん?そしてその欺瞞の自覚もぼんやりしている。
人としてよいとこが1個もないやんけ。
改めて見てみろよこれ。ひでーだろ。内容空疎根拠ゼロ現実的ソリューションゼロ。
「今誰が、何が彼女達をケアするのか。」←明らかにポエムやんこれ。
ぜってーこれ書いてる時気持ちよかったんだぜこいつ。 ☆付けてる奴等もな。
人間が何かを切実な問題として考えてたら、たとえ結構頭が悪い人間でも絶対にこうはならない。
端から真面目に考える気が無い人間特有の思慮深げ意味深風社会派仕立てのポエムなんだわこれ。
こういう腐れポエムを書く人間それを賞賛する人間が「良心的ないい人」で、
それらを唾棄して罵る俺みたいなのは「根性の悪い荒らし」なんだろ。
いい人気分で集団オナニーしてたところにこんなん書かれると超気分悪いので
相手を悪人扱いにして罵ったり論点そらしのブコメで言い返したり増田で書いたからどーちゃらこーちゃらって喚くんだろ?
心配する気もない女の子のこと心配してるふりする暇があったら自分のおつむと性格の心配をしたほうがいいぞ。
どんなちょっとしたことであれモノ考えたり書いたりする時はもっと真剣に考えたらどうなんだ?
…っていうこれも悪意の罵倒扱いで耳塞げばいいんだろ?
キャッシュレス決済アプリの残高が心もとない程度の金額だったため、仕事前にコンビニへ立ち寄った
こういう時に銀行口座やクレジットカードとの連携操作を面倒くさがって疎かにした自分に腹が立つものだ
コンビニに着くと2台設置されたATMに4名の先客が列を作っていた
いつもならここで店を出て別のコンビニへと向かうのだが、時間に若干の余裕があったため雑誌を立ち読みながらATMが空くのを待った
そういえば紙の雑誌は久しぶりに触ったような気がするなと思いながらATMの方向を見ると、並びは2名まで減っていた
耳をそば立てながら目は再び誌面に落とす
紙幣をカウントする動作音のあと、現金が出てくる際の軽快な電子音が聞こえた
そろそろ列に並ぼうかと雑誌を棚に戻し、スマホのATMチャージ画面を開きながら残り1名まで減った待機の列に並んだ
その時、「コンコン、コンコンコン」とノックのような音が聞こえた
音のした方向に目を向けると、先ほどまで自分が本を立ち読んでいた場所のガラスを隔てた外に、少しつばが大きい帽子を被った女性がガラスを叩いていた
ダラダラと過ごしていた学生時代、やる気のない日々を埋めるように酒を飲み笑い合い肌を重ねる生活を半年ほどともにした
ある日、「新しい夢ができた。迷惑をかけるかもしれないから、これでおしまい」とかなり意味深な別れ言葉を残して消えた
目標もなくなんとなくその日を暮らしていた自分にはない将来のビジョンを見つけたのか、それともほかにいい男を見つけたのか、突然の別れに3週間は悲しんだ記憶がある
ガラス越しに目が会うとあの頃と同じ屈託のない笑顔でニパッと笑った
釣られてこちらもニコッと応じたつもりがニヤッと気持ち悪い顔をしてしまった
その時、ATMの順番が来た
ガラス越しの彼女に「ちょっと待ってね」というジェスチャーをすると、彼女も何か察したように指でOKマークを作ってくれた
財布から紙幣を取り出し投入、明細を受け取り財布にねじ込みチャージされた残高を確認しながら店の外に出た
店を出てすぐ左を向くがすでに彼女の姿はなかった
ちょっと待ってねに対してOKしてくれたと思っていたが、彼女がいたあたりで周囲を見回してみても影もない
あの日、彼女が急に消えた時のことがフラッシュバックして涙がじんわりと浮かんできた
「やっぱり!」
懐かしい声と当時に背後から尻を鷲掴みにされた
「お店の前を通った時に立ち読みしてるの見えてさー」
「すぐ気づいてくれた?わかった?」
試すかのように顔を下から覗いてくる仕草も好きだったなと思い出した
あの日のことや新しい夢のことは結局聞けなかったが、左手を右手で覆いいっせーのーでと薬指を見せ合い、お互い指輪がないことを笑い合った
食事が済み食後のコーヒーもカップの底に少し残るほどになった頃、「じゃあそろそろ行こっか」と二人並んで席を立った
連絡先は変わってないかな、今どこあたりに住んでるのかな、夢は叶ったのかな、もう会えないのかな
聞きたいことや言いたいことが渦巻いて、それでもあと一歩踏み出せずに声にすることができなかった
会計へ向かいでスマホを差し出すと、横では彼女も同じようにスマホを準備していたが、店員に「一緒でいいです」と告げ、朝にチャージした残高で支払った
「えへ、ありがと」とあの頃と変わらない仕草でお礼をいう彼女へ向けた笑顔はきっとぎこちなかっただろう
前のものは容量が小さく乾燥機能がなかったから、雨が続くとコインランドリーへ行ったり部屋干しで臭いがついたりと大変だった
もちろんそのつもりだと紙の雑誌を机に置き、洗濯機の蓋を開ける
彼女のブラはそのままで、私のブラだけはいつも洗濯ネットに入れてくれる
そういえば未だにキャッシュレス決済アプリに銀行口座を連携していなかった
あとで彼女に聞きながら設定しよう
最近もしかしたらこの人は私に気があるのか?いやいや既婚者だし、上司だし、部下としての接し方なのかな?ともやもやとすることがありました。
脈があるのか、既婚男性の方の心理として参考のご意見をお聞かせください。
私は独身です。
■自分が飲みで酔っている帰りに電話。そのあと返信をしなかったら、10分感覚で電話もしくは追いLINE。
どこで何をしているのかと尋ねられ、私も飲んでいると答えると仕事をしろと言われました。 早く返信が来たら一緒に飲もうと思っていたのにと言われ、私の返信が遅いのでそれもまた叱咤されました。
■私の有給日、彼は出勤日。仕事終わりの時間に電話とLINE。気づかなかったのですが、飲みのお誘いでした。
■上記1件目に関して、同じ職場の男性数名と私が飲みに行ったことを彼が知って、その後にまた叱咤。そんな飲みに行く暇があるなら仕事をしろ数字をあげなさいと。その飲み会に私が参加していることにイラッとしたらしいです。今月の数字がよろしくないので、そんな余裕があるのかと⋯
■体調不良で休んだ際、出張帰り夜遅い時間の帰り道に差入れを届けてくれました。
■何度か遅くなった帰りに車で家まで送ってもらい、家に到着後しばらく車で雑談。話が長くなることが何度かあり、車を降ろされるのではなく近くのコンビニに行き飲み物補給してまたそこで雑談。
■家出してた。と意味深LINE。あえてなにも突っ込まずにスルーしてしまいました。
■私が飲みに誘うと、行きません。と言われます。美味しい飲めるところ知らない?と複数人で別れた直後にLINEが来たことがあったので、いまから行きますか?と尋ねると1人で行くと⋯。一緒にいるときに聞けばいいのに。
ボーイスカウトの生みの親であるロバート・ベーデン=パウエルが書いたボーイスカウトのバイブル「スカウティングフォアボーイズ」という本がある。
その中でボーイスカウトに所属するような年齢の少年たちに起こりがちな「性欲」の悩みについての解決方法が乗っている。
パウエル卿はイギリス紳士であり軍人であったので「男らしい心を持っていれば誘惑を断ち切る強さがあるはずだ」とマッチョイズムからくる精神論でまずは攻めてくる。その後は「体調を整えろ」「冷水を浴びろ」「運動して発散しろ」と体育会系の解決方法が続き、最後に
「それでもなお困るならば、ないしょにしないでスカウト・マスターを訪れて、よく事情を話して相談すればすべてはよくなるだろう」
ホモじゃねーか!
入れ物の口から液体が溢れるように流れ出るさま(意味深)。ドバドバ。
飲み物などをどんどん飲む様。がぶがぶ。
逆に、お金などを湯水のように垂れ流して使う様。上記2.から転じたものか。
用例:「(やれ旅行だ、やれバイクだと言っては)息子は毎月金をがばがば遣う。」[1]
布などが固くこわばっている様。「ごわごわ」に似ているが、「「がばがば」は薄い物が板のように平面状に硬直している様子を表す」と使い分けについて記す書籍[2]もある。
用例:「このシーツ、のりのつけすぎでがばがばだ」[3]
布などがあおられてめくれる、広がる様。
用例:「雨風の中で車にカバーをしようとしたが、がばがばあおられたりまくれたりであきらめた」[4]
上記3.から転じて、性行為の対象としての膣や肛門が、大きすぎて締まりがない事。
上記9.から転じて、締まりがない、だらしがない、杜撰である事。「真夏の夜の淫夢」界隈でいわゆる「淫夢用語」として使われはじめたとされる。
これ本当によくまとまってるな……。
服や靴が大きすぎる→
おまえガバガバじゃねえか→
ニコ動やなんJが締まりのない状況を指す言葉として語録化したことで定着
→辞書的な意味の中に「締まりがない」は最初から存在してないことを知らない人達が誕生
ってことか。
うちも妻のほうがカネもちの状態で統一ではないが外国由来の信教を持ち、父親は親戚に士業がいた
父親は洗脳されかけていたが、生来の人好きの性格やオタクいやノブレスな責任感を死ぬまで持っていて妻には手を上げることもなかったので、逆に妻から迫害され、自分は反面教師だと意味深なことをよく言っていた
子の私は妻から妻を受取人とする生命保険を非通知でかけられ、その10年後には運転中に体当たり押し出しの轢き逃げ事故にあい体幹を負傷
しかし警察が轢き逃げを記録し本人が自白していても検察や裁判所は取り上げずに済ませ
相手から民事裁判を訴えられても信用できそうな弁護士は契約できないし、裁判官と保険会社で酷い和解案を出してくる
○ご飯
朝:なし。昼:True My Heart。夜:納豆。たまご。豆腐。ふりかけ。イワシの缶詰。トマト。キュウリ。チーズ。アップルパイ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなり。
期間限定ストーリーのために最新に追いつくためにガンガンシナリオを読んでた。
・5段階評価:5
・あらすじ
しかし、自身は九尾の尾に過ぎず、九尾の娘ではなく、九尾に食べられてしまう。
という夢を見たセッカは再び母親のところの向かい夢と同じく食べられそうになる、フローゼスやアルザードのアドバイスから自信の強さを思い出す。
ところが、管理者であるフローゼスが停滞させているこの世界は再びまた最初に戻ってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
「石で散った火のように、誰より疾くこの世を駆け抜けるんだ。」
母親からは「雪華」という漢字をあてられ、雪に消える幻と呼ばれていたからこその激るシーン。
・印象に残ったキャラ
セッカ。
母親大好きなのに裏切られてかわいそう、からの実はセッカこそは強いの流れいいね、
・感想
僕は母親が大好きな子供の話に弱いので、セッカが大好きになった。(あと数日でローテ落ちだけど)
さらに母親から自立して自身の名前に新たな意味を付与するくだりは、たまらないね、たぎった、大好き。
けど、管理者の人たちのせいでこの世界はループしてるみたいなので、どうなるんだろう。
あれだよね、フローゼスってTwitter二次創作でよく手で輪っか作るえちえちなことする人だよね。エッチじゃん。
・5段階評価:1
・あらすじ
ドラゴニュート族の若頭ドラークは、自身の長としての責任に悩んでいた。
酒場で出会ったアルザード、親代わりのグレイツや、通りすがりのフローゼス等との対話を経て、ようやく自身の本当の目指す場所を見つけるのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
グレイツ。
ただどうも話に乗り切れなかった。
・感想
人型ドラゴンが仁義の組織っていう面白さはあるものの、しっくりこなかった。
もう少し、ドラークが悩みを自覚していなかったら良いのかもだけど、序盤から認識していながらウジウジしてて、ちょっと好みじゃないシナリオだった。
・5段階評価:2
・あらすじ
ツキカゲという刀を使う男と対峙するカゲロウ。カゲロウは記憶を失いながらもツキカゲが誰彼構わず人を切るたちを止めようとする。
そして、自身がツキカゲと対をなす鞘の妖怪だと知った上でカゲロウは鞘としての収める力を使いツキカゲの秘剣末世死化粧を破るのだった。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
間違った例えを書くけど、スパイラル推理の絆の小説版ソードマスターの犯罪を彷彿とさせるような秘剣を巡るやりとりの妙が面白い、のかな?
正直ちょっと文章が読みづらくて、なんかそっちに一生懸命になってしまって、ツキカゲやカゲロウの気持ちに乗り切れなかった。
あと、もうそれこそ10代の頃からこの手のゲーム遊んでるのに、未だに文章読むタイプの2Dゲームで剣と剣がぶつかり合う画面演出とか、魔法を放つ画面演出とか見ると、もうそれだけで気持ちがスーッと冷めちゃうの、マジで反省してるんだけど、どうしても乗りきれない。
なんか、こう、文章を読む邪魔をしないで欲しいんだよね…… エフェクトOFF機能が欲しい。
・5段階評価:1
・あらすじ
輪廻に囚われ幾度も暗黒世界が滅亡するまでを繰り返すアルザード。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
モブなのだけど、妙に世話焼きだし、ループの始点にいる人なので印象深かった。
・感想
ループものなんだけど、打開のために知恵を絞るとかではなく、単に諦念していることを示す退屈なシーンが多くて、ふーんって感じ。
・5段階評価:3
・あらすじ
繰り返される輪廻の中で、セッカたちはアルザードに本心を伝え、もう一度暗黒の王に立ち向うことになる。
しかし、暗黒の王より先に意味深な言動を繰り返すフローゼスと対話をすることに。
フリーゼスが興味を持たなかったモノであるカゲロウが切り札になり一行は勝利する。
そこでウェルサがレヴィールの未来であり、暗黒の王誕生のキッカケはレヴィールに時代にこそあり、ウェルサはもう詰んでいる事実を知る。
ドラークの率直な意見により、一行は過去であるレヴィールに向かいアイシンと戦うことになるのだった。
・印象に残ったセリフ
えっろ。
・印象に残ったキャラ
フローゼス。
親指と人差し指の輪っか…… すこ。
・感想
なんというか、流石に匂わせが強すぎて予定調和なんだよなあ。
ぱい食わねぇか(意味深)
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。