はてなキーワード: 奇跡とは
先日ある出来事があって推しに認知されていることの確信を得た。
確信を得た、というのは、私の推しは正直そんなにファンの多い人ではないし、私はまあ特徴的なオタクだから、認知されてるだろうなあということはなんとなく思っていた。
しかしそれは、認知されているかもしれないし、されていないかもしれないという甘やかな夢にすぎず、確信に至るものではなかった。
以前「認知の重圧」について書いている増田がいた。本当に、大勢いるうちのオタクの一人でいられるというのは楽だった。現場に行かなくても罪悪感はないし、手紙もある程度自由に書ける。確かに認知されたことによるプレッシャーは存在する。
しかし、やはり嬉しいことは嬉しい。いや、本当に嬉しい、すごく嬉しい。
私はまだ、認知の重圧について書いていた増田ほど「見られたい」という欲求がないせいかもしれない。私は、推しが私という存在を知っていることが奇跡のように思える。
推しは私と同じ世界に生きてたのか、と思う。同じ世界に生きて、同じ言葉を話してたのかと思う。
昼間で車内が空いていたこともあり、同じ車両内なら大体異変に気づくくらいの音でノリノリなEDMが流れている。
音のする方向をちらっと見やると、真面目そうな若い兄ちゃんがノリノリで音楽を聴いており、イヤホンからスピーカーで流してるのと大差ないくらい音が漏れまくっていた。
別に俺はけしからんとか、許せないとか、そういう事が言いたいのではない。
ただ、俺も気を付けようと思ったのだ。
音楽って、考えてみれば割とプライベートなもので、見ず知らずの人間にはおいそれと本当に好きな音楽は知られたくない(と俺は思っている。アニソンとか聴くからってのもあるけどさ)
それが音漏れをしているとどうだ、自身の趣味志向を周囲に垂れ流すことの他ならない。
これがオシャレ感があるEDMだからまだよかったものの、ドラマCDとか同人音声とか聴いていようものなら(わざわざ電車内でそれを聴いている人間がどれほどいるかは置いておいて)もうTwitterでRT稼ぎのいいネタですよ。
結局、音漏れくらいじゃ誰も注意なんてしないじゃないですか。このご時世、電車内での迷惑行為の中じゃ音漏れなんて相当軽いほうで、不快に感じたらある程度自身で対策できてしまう。
車両移動すりゃ終わりだし、何なら自分だってイヤホンつけて音楽聞けばいいわけだ。音漏れを注意することによって降りかかるかもしれないトラブルのリスクを考えたら、音漏れしてますよなんて本人に直接言ってくれるような人間はそういないだろう。
つまり、音漏れしている奴は自分が音漏れしてるじゃん!と気づくか、奇跡的に音漏れを注意されるまで、周囲に聴いている音楽をシェアし続けていることになる。
これが通勤通学の電車だったらと思うと俺はゾッとするね。よくコンビニで同じもの買ってるやつは覚えられるなんて話があるけど、"いつもスーツでゴリゴリのアニソン聴いてる人"とかのあだ名付けられたらどうなる?終わりですよ。すべてが。
何より自らその事実に気づいてしまったらと思うと恐ろしすぎる。えっ俺は今まで聴いてる音楽周りにバレバレだったの!?とかなったら俺はもう同じ時間の電車乗りたくないよ。
音漏れの原因はよくわかんないけど、たぶん「俺は大丈夫」と思っている奴ほど危ない気がする。俺とか。
参考までにEDMの兄ちゃんは最近よくある両耳別々になってるタイプの無線イヤホンをしていたっぽかったので、似たようなもの付けている人はちょっと気を付けたほうがいいかもしれないと思いました(無線だろうが有線だろうが関係ないかもしれないけど)
10年前、兄が白血病を発症しました。兄は当時大学生で、私は高校生でした。
家族・親族ともに私以外の適合者はなく、唯一私が適合したことを奇跡のように喜び、
それから10年経ち、兄は今も続く慢性GVHDに苦しんでいます。
(造血幹細胞移植による皮膚や粘膜のただれや消化器の不調などの多岐にわたるデメリットの総称です)
食べることが趣味だった兄は、思うように食事がとれないストレスが甚大のようで、
この10年で、兄は変わっていきました。
年々、私への当たりが厳しくなり、少しでも気に入らないことがあると大声で怒鳴り、
去年、癌で父が亡くなり、兄の横暴はよけいにひどくなりました。
思い当たる節がなく、兄と同居している母に「私は自分が気づかないだけで人でなしな性格をしているのか?」と聞くも、
「そんなことはないと思う。兄が何に怒っているのかわからない。自分もよくあのように怒鳴られることがある」と言っています。「たぶん、兄の性格や気性の変化は、ステロイドによるものだろう」と。
おそらく、兄には心のどこかで「お前のせいでこうなった」という思いがあるのだと思います。
それと同じく、「お前のおかげで助かった」という思いもあるので、
私を責めるようなことは言いません。
(何度か、冗談交じりで「お前のおかげで常に口内炎あるから飯が食べづらいわw」と言われたことはありますが、心配かけさせまいとする軽口と思います)
同情はしても、兄がどれだけつらいのか、私には推し量ることができません。
兄が本当に移植の副作用のために私を憎んでいるのかはわかりません。
自分でも自覚のないうちに兄に憎まれるようなふるまいをしているのかもしれません。
私は確かにできた人間ではないので、暴力で私を貶める正当性が兄にあるのかもしれません。
理由はもはやどうでもよく、私はいま、どこでカッとなるかわからない兄のことが恐ろしいし、
家族でストレスを発散するしかない兄のことを、心底から軽蔑し、憎いと思っています。
自慢の兄でした。これを機にあなたのことをもう兄とは思いません。
帰るたび、私を憎む兄によく似た男性が、どうしても苛立つようなので。
今日が卒業の日、記念公演も行われるがその場に私はいない。今はアパートの玄関にいる。
ももち(嗣永桃子さん、Berryz工房でした)に次ぐ円満な卒業、卒業先のレールが見えた卒業、スムーズな移行、その子の卒業を前のように称す人は多々いる。
実際にそうである。華々しいのかは見る人によるだろうが、ファンの贔屓目込だろうと言われてもこんなに華々しい卒業はないと思う。
昨日は卒業の匂いをさせないという意志に楽しさを纏わせて色とりどりにした塊をぎゅうぎゅう詰めにしたカプセルを弾けさせるような、楽しすぎてせつないライブだった。
新メンバーの加入やメンバーの卒業・脱退を機に最近はあまりライブやイベントに通うこともなく、新曲のリリースもエアチェックする程度だった。いわゆるヲタ卒だろう。
それでもその子、推し ※以後「推し」と書く のことは大好きで気がかりで(心配する余地がないくらいに幸せそうでもある、心配すべきなのは自分の将来なのだが)ブログをよんだりラジオをきいたりしていた。
話は戻るが、卒業の発表は突然だった。来るか来るかと〇〇推し ※ファン がソワソワする機会は何回もあった(結婚も)ため、こんなことを言ったら〇〇推し失格だと言われてもおかしくないと思う。なんだか笑えてくる。
その後ポップアップストアに行き、ひたすら眺めて、寄せ書きを書き、写真を撮り、自撮りを友人に送った。少ない小遣いをかき集めて親を説得しライブに行ったり、Twitterでできたコミュニティの友達と話したりしたのが懐かしかった。おすすめのCD欄を見ると、推しきっかけで知ったいろいろな趣味を思い出しいつもいつもきっかけを作ってくれていたんだなと感じた。
どこにでもあるハート型のダイカットのふせん、あんなに小さい紙切れにすらうまく気持ちを乗せられず手が震え、3枚無駄にした。有名レコード店さんごめんなさい。後からSNSに行ったよ〜の報告があり、それに映る寄せ書きは自分が見たときより遥かにたくさんで誇らしくなった。愛されていることが嬉しい。
昨日の話に戻る。
新メンバーを嫌ってしまうと思ってライブに行けていなかったが杞憂だった。めちゃめちゃいい子。
会場は空席が見つからないくらいに埋まっていた。初めて行く会場がこの子たちのライブで本当に嬉しい。
演目はこれまでの歴史を凝縮したようだった。グループごと終わりに向かっているな、などと感じてしまったが元からタイムリミットが近いと言われてきたことを忘れていた。これだけ続いていること自体奇跡なのだろう。
これ以上書くとネタバレ感がある。
エアチェックでフルで聴くのがほぼ初めてのような曲ばかり脳内をリピートしている。まだまだ続くんだね。
帰りのバスでは推しの子の本を読んだ。一緒な時間をたくさん過ごせて幸せだったなと思う。ステージからペンライトまでの距離が遠くなっても狭い会場でのライブをやろうと努力してくれるところが好きだ。わけのわからないダンスも歌も大好きだ。隣にいたカップルも子供も口上を歌う空間が優しい。あなたの美学とあなた達の美学がかっこよくて好きだ。
悩み悶えるあの頃の私にたくさんの面白いものを教えてくれてありがとう。たくさんのきっかけを作ってくれてありがとう。その時の悩みを笑い飛ばせるようになった私には新しく辛いことが生まれ生きることが辛いけれど生きています。今までなんとかやってこれたのは本当に本当にあなたのあなた達のおかげです。
感謝は尽きないけれど、笑って見送ることができない自分を不甲斐なく思う。アイドルが必要なくなるくらい幸せになってほしいと言うけれど、まだまだ私には必要だ。
私の家はスカパーがつながらない。
推しが増えたとしても、寂しいよ。
そんなことが2つもある。
なぜなら、ごく身近なところで実際に成功(?)例が実在しているから。
期待するなとわかってはいても「それなら自分も…」と思わずにはいられない。
1つめ。
ベタだけど「ある会員女さんを気に入ったので付き合いたい」ってやつ。
「絶対にないとは言わないが、障壁は多くかなり難しい」と考えるのが通常か。
会社として表向きは禁止されているし、男→女だとほとんどの場合相手は警戒するので奇跡的な何かがないとそううまくいくものではない。
しかし元同僚男(本件とは無関係な理由で既に退職)が1年ほど前に結婚した相手は、元会員女さんだった(本件とは無関係な理由で既に退会)。
細かいなれそめまでは聞いていないが、周囲の従業員たちが言うには「よくあること」だそうだ。
元同僚男曰く「勤務中でも狙って話しかけていた」そうだが、それだけでどうやって連絡先交換とかできたんだろ。
噂話レベルならばこの手の話はしばしば聞くが、実際に目の前でそれが起こったとなると「一体どうやったら…自分もワンチャンありか!?」との期待を禁じ得ない。
2つめ。
これもベタかもしれないが「"夜の女"と付き合いたい」ってやつ。
これは1つめ以上にハードルが高いことは明白であるが、これまた身近なところに成功(?)例が実在している。
俺が5年以上付き合いのある夜の店で働くオキニ嬢と仲が良いA嬢のことである。
いつもオキニが相手をしてくれるが、時折Aも同席して1対2で話す機会が増える。
あるときAが「実は結婚することになって…」と打ち明けてきたのだ。
「それはおめでとう」「相手はどんな人?」などと社交辞令も交えつついつも通り会話を続けていると、オキニも会話に加わり「お客さんで来てた人なんだよね~」と漏らす。
その瞬間、俺の顔色が変わった。
「どこの誰か知らないけど、夜の女(といってもWワークだけど)を落とした挙句結婚!?夜の女を落とせるってどんな素晴らしい男だよクソ羨ましい!!」という気持ちでいっぱいだった。
オキニとAとで、初対面から付き合いに発展し、結婚に至るまでのあらすじを語り合っているのをうなずきながら耳ダンボで聞いていた。
Aが落とされたのか、落としたのかまではわからなかったが、「一体どうやったら…自分もワンチャンありか!?」との期待を禁じ得ない。
もっとも、こんな話をわりと簡単に打ち明けてくるあたりからして、そもそも俺は「男」としては見られていないってことだけどな!
しかし個人の感覚として「普通の(?)恋愛に飽きた」というものがあり、死ぬまでに一度でいいからこういう刺激的な体験をしてみたい。
とにかく、期待するのは愚かだとわかっていても諦めたくない、羨ましい、羨ましい限りなのである。
僕はあいのり世代だ。今田耕司や久本雅美、加藤雅彦が出ていた頃、毎週リアルタイムで見ていたものだ。
あれがNetflixで再開するらしいので見てみたが、やはりおもしろい。
男女が思いを通じあわせていく過程にキュンとさせられるのもよいが、僕はどちらかと言えば、望みのない告白をして散っていく敗者に自分の過去を重ね合わせて涙にむせぶ、という暗い愉しみを見出している。
*
はっきり言って、彼は「非モテ枠」だ。
体はやや鍛えているけれど華があるという感じではなく、容姿はもっさりという言葉がピッタリだ。早稲田大学卒という高学歴でソニーに就職したが、自分らしく働けないという理由で退社。そのきっかけというのが、宴会でパンツ一丁で出し物をして怒られた、というもの。
あいのりでも、彼はいじられ役を買って出る。絶対に他人を攻撃せず、自分をネタに笑いをとる。
時間に遅れてきた好きな女性に自分が注意する流れになっても、文句を言わず黙ってやり通す。自らが損を被っても他人に尽くすタイプだ。
*
そして、告白。彼は、いかにも非モテが好きそうなおとなしめの女性、ゆうちゃんに恋をした。
勇ちゃんとゆうちゃんは、こちらから見ていてもリラクシングな、感じのいい二人であった。
しかし、彼女には他に気になっている男性メンバーがいたのだ。それを知った勇ちゃんは悲しい自分の想いを秘めつつ、恋の相談にさえ乗った。
彼はこのままでは男として見てもらえないと奮起し、告白へと向かうのだった。
結果は、No。とても大切な友人だけど一緒には帰ることができない、という答え。
*
僕は、性格から告白への流れまで、まさに自分もこういうタイプだな、と頷きながら見ていた。
特に、傍から見ていて成功しないのは分かりきっているのに、自分も勇ちゃんのような告白を繰り返してきたことにやりきれなさを感じた。
勇ちゃんがいなくなった後、想いを寄せる男性と共に過ごすゆうちゃんの笑顔が辛い。
それが、勇ちゃんに向ける笑顔とは全くの別物だからだ。僕が、人生で何度も見てきた、残酷な笑顔だ。
僕も高学歴中の上程度の収入、会話も楽しい方だと思うが、今までついぞ女性に相手にされたことはなかった。
どこかで、女性に選ばれる男とそうでない男に明確な線引があるのでは、とさえ思えてくる。
*
*
近頃ネット界隈では、告白は確認、と言われている。それによれば、仲良くなり、何回かデートをして、気持ちが通じ合っているという確信のもと、通常の告白は行われる。
つまり告白するまでに結果は決まっており、そして非モテの告白はこの過程をすっ飛ばしている、という言説だ。
*
もっとキツい表現としては、最近話題になった以下のようなものがある。
【ぬいぐるみペニスショック】女性は恋愛感情なしに仲の良かった男性から突然告白をされると、まるでぬいぐるみから唐突にペニスが生えてきたような気持ちになる
https://togetter.com/li/1290520
*
それでは、勇ちゃんはどうすればOKをもらえたんだろうか。ぬいぐるみにならないためには?正直言って、最初から望みはなかったんだと思う。
進化心理学の研究者とナンパ師の共著"What women want"によれば、女性は第一印象である程度、交際する相手として優れた男性の性質を無意識的に見破ってしまうのだという。
初対面でぬいぐるみか、人間の男かは決まってしまうのだ。男から見ても、なんか男性ホルモンがしっかり出てそうなモテるブサイクと、そうでないブサイクの違いは分かる。
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そう、だから、一発逆転や奇跡を狙った告白なんてやるべきじゃなかったんだ。自分を男として意識してくれる女性が現れるまで、ひたすら待つか、あいのりなんか止めて多くの出会いを求めるべきだったんだ。
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冷静に考えればそうだ。でもしかし、仕方ないじゃんとも思う。非モテだからこそ、ちょっとでも優しくしてくれる、可能性があると思わせてくれる女性にのめり込むんだ。そして、ぞんざいであってもモテるような男より、優しく、他人をバカにしないように生きているからこそ、それでも自分を大切なものとして選んでくれる人がいないことが悲しく、涙が出てくる。
*
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こんなふうに、あいのりを見ている時間は、僕にとって非生産的な感傷に浸る時間なのである。そして、クリスマスイブの今、こんな日記を書いている。どうにもならないことをつらつらと書いてしまったが、結局、初対面で「コイツは圏外」と思われないような外見に整えつつ、色々な女性と合うしかないんだろう。腐らずやっていこう。
*
次回では、恋愛経験のないゆうちゃんがこれまた過程をすっ飛ばして告白に走るが、僕は勇ちゃんの告白よりは成功率が高いと踏んでいる。男性はほとんどの女性に性的興味を持つが、女性は多くの男性に対し性的興味を抱くことはないという。ゆうちゃんの告白相手が「あいのりだから納得いくまで相手を探す」という意思でなければ、直感的に選ばれる可能性はあるだろう。
*
世の中クリスマスですよね。
この時期、街のイルミネーションを見たり、ネットで非モテ男女の孤独な慟哭を見るものいとをかしという感じだが、みなさん一つの文化に振り回され過ぎじゃないですかね。
年々国際化する日本で、ここに住む人々が年末のこの時期をどのように過ごすのかに興味があって、神社、教会、寺などを写真に収めてみたかった(別に上手くはない。思い通りの光を撮る方法も知らない)。
なのでクリスマスイブ前日の23日に、前から興味はあったが、なんか門前払いされるんじゃないかと思っていけなかったモスクにいってみた。
予報は曇りだったので傘をもたずに出たが、小雨が降ってきて、肌寒かった。
東京ジャーミーは1階がトルコ文化の交流会館、2階がモスクだった。
写真撮影OKとのネット情報を得ていたが、「商業撮影、美術などで撮影する方はひと声かけて欲しい」との注意書きがある。
気になったものを気になったタイミングで写真を撮っていくつもりだったが、ここは宗教施設であって、信徒にとって神聖な場所であるので、指示に従う事にした。
1階の交流会館でヒジャブをかけた女性に「美術の興味があるので写真が撮りたい」旨をつたえると、すこし逡巡した様な感じで、責任者っぽい人を呼びにいった。
しばらくしてヒゲを蓄えた壮年のムスリムの日本人男性が現れて「写真を撮るなら、イスラムの正しい知識を得てからにしてほしい。しばらくすると、館内を案内するツアーが始まるので、それに参加するのを期待する。」という様なことをいわれた。
美術に興味があって写真が撮りたい、というところが引っかかったようで、広告や美術でイスラムの文脈を無視してイスラム的なビジュアルを使われるケースを懸念しているようだった。
なるほど、その懸念は分かるし、もし自分がイスラム的な美的要素で何かを作ろうとしたときに、精神と関係なくビジュアルだけを抽出するのも「志が低い話だ」と思ったので、館内のイスラム解説の書籍を読みながら待つ事にした。
サラッと読むと
・ムハンマドは元々商業をいそしんでいた時期があるので、商業取り引きの話が結構出てくる
・ムハンマドは既婚者で、姉さん女房、もともとムハンマドを雇用していたが、彼の機智に感じ入る所があり結婚した
・非ムスリムは地獄に堕ちるとはっきり書いており「イスラムが正しいのは自明」という前提だが、同時にムスリムへの改宗は決して強制してはならないとも明言している
という感じだった。
しばらくすると、ツアーが始まった。
会館にあつまった見学者の前でイスラムやトルコについて熱弁する先ほどの先生。
日本でイスラムやムスリムについてあまりにも知られていないという事で、とにかく「知ってもらおう」という熱意がこもっており、しばしば時間をオーバーした。
・貧しい人との分かちあいを大切にしており、食事の振る舞いはイスラムにとって大切な行為である
・イスラムの世界では神と人(その他)には明確な上下関係があるが、それ以外は全て平等
との事だった。
しばらくして礼拝の始まりをしめす館内放送がながれ(言葉は分からない)、2階のモスクに上がる事にした。
モスクは土足厳禁。
靴を脱いで館内に入り、見上げると、白亜のドームの頂点にアラビア文字のシンボルがあり、その周囲を赤やシアンの繊細な文様が踊っていた。
館内は白、赤、シアン、紺、黒、ゴールド、緑で、文様やアラビア文字があしらわれた色鮮やかな空間を形作っていた。
教会におけるマリア象のような人間の様を象徴したシンボルはなく、偶像崇拝への禁忌をかなりストレートに守っている。
そういった具体的、象徴的なものがないので、装飾はアラビア文字であったり、植物を単純化したパターンであったり、幾何学文様であったりする。
モスクの中は照明が押さえられて薄明るい程の感じで、正面のゴールドの燭台が輝いていた。
先生がモスクについて解説している最中にも、在日のトルコ人や、たぶんアジアのムスリムが礼拝をしている。
・イエス・キリストもイスラムにとっては予言者の一人ではあるが、クリスマスはムスリムにとって大きな意味はもたない
・基本的に太陰暦なので、生活習慣としての1年の区切りがちがう
・幾何学文様はイスラムの宇宙の姿を表したものということであり、つまりはユダヤ教のカバラや密教の曼荼羅のような方向性のモノ(この例えは自分の解釈)。当初先生が懸念を示したように、たしかにこういったモノを文脈無視で使うと変な表現にはなるように思う
ということだった。
これから日本にマレーシアやインドネシアの人も来るだろうし、年末のお休みにモスク見学をして、多様な日本社会に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。
ちなみにモスクを出る時に、脱いだ靴にくしゃくしゃのペーパータオルを捨てられていて、「宗教施設に来てるのに志が低いのがいるなあ」とはちょっと思った。
彼の住んでいるらしい町に降り立つのはもう10回目以上だった。この1年、私は自分の実家がある町よりも彼の町に足を運んでいる。私の住んでいるところから彼の町なんて新幹線でも3時間半かかるというのに。彼の町に行ったところで彼には会えないけれどそんなことはどうでもよかった。
彼が、彼の人格をきっと形成した場所に、今日は初めて行った。私はものすごく寒がりで、冷え性で、体力もなくて、暗いところも嫌いで、でもいつか彼とデートするときに着たいななんて試着室で思ってカードを切った膝上丈のマーキュリーデュオのワンピに履いてないも同然の薄いストッキング、8センチのヒールブーツで、駅から20分私は歩き続けて、彼の痕跡を今日も辿った。
野球のグラウンドに降り立つのは人生でも初めてだった。彼と出会う前もなかったから、初めてをまた彼に捧げられた気がして、嬉しかった。私はたくさんの初めてを彼に捧げてきたけど、彼はそのどれも、私が初めてだったことさえ知らないんだ。
グラウンドに踏み入る前、少し緊張した。一呼吸してから一歩踏み出した。数歩歩いたところで、公園の電気が全て消えた。どうやら夜10時で消灯するようだった。あまりにも暗くて、ケータイのライトで足元を照らしたがあんまり意味はなさなかった。
10月の末に、この公園の外から、野球の練習をする少年たちとコーチの大人を眺めたことがあった。彼は、野球を辞めてからもう4年が経つのに、今も野球がきっと大好きだし大切だ。そういう彼も好き。YouTubeで見た彼の声の出し方と、この時見たキャッチャーの男の子の声の出し方が同じで、また彼らしさに触れられた気がして、嬉しかった。
真っ暗だし、一塁や二塁のベースも置いてなくて、でも彼の位置まで歩いた。途中、少し盛り上がってるところがあって、ここがピッチャーの位置か、この前わたしがキスされた彼の元相棒は、ここから彼をずっと見ていたのか、など考えた。
キャッチャーの、位置についた。なんと呼ぶのかもわからない。ホームベース、でいいのだろうか。ただ、絶対に数年前彼がいた場所だった。彼は、ピッチャーを勧められたこともあったけど真剣な顔のバッターと向き合うと笑ってしまうからだめで、オレはマウンド全体を眺める方が好きだった、と以前話していたことを思い出した。グラウンド、初めてこんな位置から見たけれどすごく広く感じた。ここで、彼はグラウンドに響き渡る大きな声を出し続けて、チームメイトを鼓舞し続けて、成長してきたんだ。
なんとなく目の奥が熱くなって胸が苦しくなった。寒いからだと自分に言い訳しながら、一塁ベースがあるだろう方に歩き出した。グラウンドを歩きながら、何人か覚えた彼の元チームメイト達の名前とポジションが頭をよぎった。彼は、私がこんなことまで記憶しているなんてさすがに思ってもいないだろう。
こんなこと彼じゃないとしない。家の中ですら真っ暗なところは歩けないし、中一の時男の人に追いかけられたこともあるし夜道を1人で歩き続けるなんて怖くて仕方がない。でも彼は、やっぱり私にとって特別で、大好きで、なんでもいいから彼を今夜感じたかった。
グラウンドを歩いて、そろそろ出ようと歩きながら、また彼との思い出がありすぎることを思い出した。彼を好きになって、もう2年が経つ。特にこの1年は、私にとっては奇跡と運命を感じる出来事ばかりだった。でも、そのどれをとってもきっと彼にとっては運命なんてものではない。その事実が私を改めて苦しめた。だからと言って好きなのをやめる気には全くならない。
何年働いたら妊娠してもいいのか
でも気になるのは仕事のこと。
ここ2年ほど自分で希望を出していて、やっとかなった異動だった。
業務部門もやりがいはあったが、どうも社内調整ばかりなのに疲れて、もっと外のお客と接する営業職をやって見たいと思っていや。
異動する前は、せっかく異動するのだから仕事を2〜3年は頑張って、結果を出したら子供を作ろう、と思っていた。
しかし異動して半年、営業で外回りも増え、仕事自体は楽しいが、昭和系上司のプレッシャーにやられて少し仕事がしんどい。
お前は使えない、ときつい言葉を投げてくる。早く帰ろうとすると飲みに付き合わされるのが正直つらい。
結果を出すと言っても、ほかの先輩に顧客が優先的に割り当てられる中、新参の自分はどう結果を出していいのかわからない。
同じ営業部の先輩が、復帰後半年で第二子の妊娠を発表していた。
年明けにはまた休みに入る。彼女は今の部門が長いとはいえ、復帰後すぐにまた子供を作ることに戸惑いはなかったのだろうか。
前にいた部門でも、営業から業務に移ってきて、1年も経たず産休に入った先輩がいた。
その先輩は後輩の私から見ても仕事に手を抜いていたし、元から子供を産もうと思ってゆっくりするために移動したのだと思う。
彼女と私で状況は違うけど、異動後すぐに今私が妊娠したら、同じように思われるだろうか。
でも、自分ですら休みに入る女性に、もう休みに入ってしまうのか、と思う。
初投稿です。拙い文章で長めに書きますが、身バレ覚悟で色々書いてます。生温かい目で見守って頂けると幸いです。
ひと昔前に流行った、マッチングアプリ使用結果投稿を見ながら、マッチングアプリを使用してた。
先日退会したので、その結果を述べる。
結論から言うと、出会った人数4人、彼女はできなかった。彼女作りの手段としてはオススメできない。
【筆者スペック】
25歳の男。工業系の会社員。年収は400万円程度。北関東のちょっとした都市在住。
学生時代はぼちぼちモテたが、社会人になってから出会いが皆無なため、かれこれ5年彼女がいない。ヤバい。
P〇irsを使用。選定理由は、アクティブユーザーの圧倒的な多さ。
w〇th、タ〇プル、イヴ〇ヴ、om〇aiを無料登録して使っていたが、アクティブユーザー数は体感で2~3倍は違う。
これがデメリットとも捉えられることは、今になって言えることだが…
【総マッチ数】
忘れた。30くらい?
アプリ上の表示は直近1ヶ月のマッチ数だが、その数字の最高値が20。
おそらく、県内の男性会員の中で、上位20%くらいには入る人気なんじゃないか?
1人目:JD。ぽちゃブス(ごめんなさい)。異性と知り合っても友達止まりしそうな感じの子。
マッチして2週間くらいやり取りした後、イタリアンでランチした。
話してるのは楽しかったが、見た目が好きになれなかったことと、
いかにもJDな賑やかな雰囲気、社会人じゃないことが引っかかりこちらからフェードアウト。
2人目:1つ年上。銀行員。スリムでドレッシーな着こなし、顔も可愛かった。
マッチして2週間くらいやり取りした後、カフェ&図書館ぶらぶらした。
この人、数日前にアレルギー反応でぶっ倒れ、当日は駐車場で物損事故して来られてびっくり。デートがブレたわ。
でも、読書に旅行と気が合い、話してても楽しかったし、手ごたえはあった。
しかし、早速LINEで次のデートに誘ったらスルーされて終了。ムズカシイネ。
旅行に音楽と気が合ったが、どうも相手の会話が進まず。自己開示&質問してもイマイチ乗ってこない。
微妙な空気のまま終了し、一応1月に飲みに行こうと口約束して終了。年明けに誘ってみるけど、無理だと思う。
4人目:1つ年上。営業さん。ロキノン厨。低い声と、三日月みたいな可愛い目のギャップが良かった。
おっとりな感じで、話してる最中にスマホチェックしたり伸びしたりあくびしたりと、奔放な感じ。
それが、交際しても気楽に過ごせそうで逆に好印象だった。こっちも気が緩んで色々話した。
LINE交換を忘れていて、終了後にLINE IDを送付したものの、数日経っても登録して頂けず、アプリ退会に至った。
学生も社会人も、ギャルも清楚系もコミュ障っぽいのもメンヘラっぽいのも、色々な人がいる。
主に清楚系にアプローチしていたが、その方々はおそらく、男性への理想が高いのではないか?
女性がもらう「いいね!」は、100以上/月が当たり前。色々な男とやり取りし、出会っていく中で、
段々と理想が高まっているのではないだろうか。その証拠に、なかなか退会しないアクティブユーザーが多かった印象。
事実、やり取りしている人からも、「何となく周りがやっているから始めてみた」との声が散見。
アプリ上のやり取りが途切れるのは当たり前、マッチして最初のメッセージに返事が無いこともザラ。
更に、退会する直前も、楽しくやり取りしていて「退会するのでLINE交換しませんか?」と誘った瞬間に連絡ストップした子が2名。
しょせんネットの出会い、SNSみたいなものなので、それらを否定する気は無いが、男からすればしんどい。
先人の増田さんの方々がおっしゃること、ググると出てくる情報が基本的に有効。
ニコニコ笑顔で撮れた奇跡の写真を使用する、入会直後に「いいね!」をもらいまくっておく等。
また、独自の工夫として、重すぎず軽すぎずの自己紹介文になるよう気を付けていた。
とまぁ、彼女はできなかったものの、得られたものは色々あったので良かったかなと。
お試しでやってみるには、3ヶ月くらいがちょうどいい。一番人気は6ヶ月とか催促されるから要注意です。半年とか絶対疲れるww
カップルイベントの時期が来ても忘れてるくらいだったのに、今年はアプリで恋活に失敗したおかげで、
来たるクリスマスがめちゃくちゃ寂しいじゃねぇか! どうしてくれんだよ!
旧帝大まで行かずとも、比較的偏差値高めの国立大学出身なのだが、学歴まったく関係ない仕事で、超人生エンジョイって感じの毎日である。
学歴を使って得た仕事ではないし、どちらかっていうと自分の才能活かしてる系。今の仕事で履歴書を出した覚えが無い。
学歴って関係ないよねーとも言えるし、学歴ありがとうという点もある。
仕事でちょっとはちゃめちゃなやり方をしても、まぁ賢いひとだから大丈夫だろうと誤魔化せる。学歴は割合まともな人間ですよという証明書みたいに使える。
これはかなり便利。
⑵自信を持てた
受験での成功体験は自尊心を保つのに役に立つ。ろくに塾にも通わずにド田舎から都会の大学に来れたので、これは自信につながっている。
前職がしんどくて鬱になりかけたこともあったが、こういうベースにある自信はギリギリで踏み止まるのに役立ってくれたと思う。
自信があるというのはいい点が3つある、
・楽天的でいられること
・むやみに誰かを攻撃せずに済むこと
なので学歴ゆえの自信のおかげで、躊躇せずチャレンジできてきた。変化の多すぎるこの時代に大事な感覚だと思われる。
学歴高めというのは、職場なり結婚相手なり住む場所なり、自分の居場所を比較的自分で選べるということ。自分の適性に合った居場所を選びやすい。
ちょうド田舎出身なので、関東に出てくるためには大学受験という扉が必要だった。大学のおかげで住む場所を選べたし、そのまま関東にいつくための職業を得ることができた。
これが何かって、接する人間の種類を選ぶことにもつながるわけです。ほんまのバカは嫌いです。疲れるし論理が通らない。高速であおり運転したりする。学歴があれば、そういった人間と接さずに済むような人生のコースを選びやすい。
それくらいかなー。大学で学んだことは直接は役に立たない。おもしろい友人ができたことと、審美眼とか、センスとか、ワクワクするような世界の物の見方を学べたことは良かった。
逆にこれらのものが得られるなら学歴は特に意味ないとも言える。学歴じゃなく独学で難関資格とってもいいだろうし、そもそも都市部でお金持ちで素敵でマトモな両親に育てられるとかでも同じ効果は得られそう。
いくらでも自分で学べる時代に高いお金を出して大学に行く意味は、あるひととないひとに分かれると思う。でも18歳とかでそんか自主性を持てているのは奇跡よりな人材かと。
旧帝大受かったわけでもないのに何言ってんの感あるかもしれないけれど、上を見たらキリがないのは当然。自分の得られなかったものよりも、自分の得てきたものを愛して、自己肯定感に包まれたほうが自分も周りも幸せでしょ。
とあるバンドを思春期から追いかけ続けて10年以上になる。言ってしまえば私が音楽好きになるきっかけになったバンドだ。私のこれまでの人生の楽しい時も辛い時もずっと、彼らの曲がそばにあった。もはや人生とアイデンティティの支柱だった。
好きになった当初は世間的にも爆発的な人気を誇っていたが、時間が経つにつれてどんどん一般的な人気は落ち着いていった。所謂「消えた」と言われてしまうような状態。今もそのバンドが好きという話を周りにすると、「懐かしい〜前好きだったな〜」とか、「あのバンドまだ活動してたんだ?」という反応が返ってくる。そんな言葉に「まだ活動を続けてるから!!」と返すことにも慣れた。最近は彼らを「世代の音楽」として聞いてきた人たちがフェスのメイン層になったからか、久々に大きなフェス会場を埋めている様子も見られた。けれど会場が湧くのは過去の曲。今の曲で盛り上がっている人は少ない。今もいい曲を作っているのに。みんなに聴いて良さを分かって欲しいのに。
いつしか、「もう今は人気も落ち着いてきた彼らを支えるためにも追い続けなければ」という気持ちが芽生えていた。
曲だけではなく、メンバー同士が長年仲良くやっている関係性の良さにも惹かれていた。また、あるメンバーの考え方も尊敬していた。その考え方を拠り所にして、学生時代の辛い時期を乗り越えてきた。彼らがインタビューやライブのMCで話す言葉が好きだった。彼らが新しく生み出す音楽を楽しみにして、その曲たちにああだこうだ思うのが楽しかった。昔から好きな曲をたまに聴き返して、やっぱりこの頃の曲はいいなあと懐古したりもした。彼らの曲や表情、振る舞いをライブで観られれば幸せだった。
同時にガチ恋気味のファンや顔ファンを、なんだあれ痛いなあ、と思いながら冷ややかに見ていた。
このバンドをきっかけにネット上で仲良くなった友人もたくさんいる。勿論ライブの際にも何度も会っている。今回のツアーセトリ・演出のどこが良かったとか、それぞれが思う彼らの好きな要素とか、他のおすすめのバンドやアーティストを聞いたりだとか、そんなことを話すのがとても楽しかった。
「それって音楽が好きなんじゃなくて、人としてトータルで好きだから追いかけてる状態だよね?」
一つのきっかけは、奇跡的にできた私の初めての恋人に言われたこの言葉だったかもしれない。「ずっと喪女のまま、好きなものをひたすら追いかけて生きていくんだろうな」と思っていた私の人生観は、恋人ができたことによって大きく揺らいだ。異性から自分に直接反応がある感情を受けとめるなんて初めてだった。それは難しくも楽しくて、一方的に追いかけるだけだった時には知らなかったものだった。
それを言われた時、最初はそんなことない、曲が好きだから追いかけているんだ、と思ったけれど、改めて振り返ると人柄込みでの好きだったのかもしれないと気づいた。よくよく考えてみれば、自分の好みの顔のタイプも一番好きなメンバーが大きな基準になっているようだった。私の彼らに対する好きの想いは、自分が馬鹿にしていたガチ恋や顔ファンに片足突っ込んでいたのかもしれない、と気づいて大きな衝撃を受けた。
先日久しぶりに彼らのワンマンライブに行ったのだが、前よりも『最高に楽しい』という感情が湧かなくなっていた。なんだかマンネリ感すらあった。それは気のせいだと思いたかった。直近に先述の恋人と別れるというショックな出来事があったので、そのストレスで楽しめなかったのだろうと思っていた。別のアーティストのワンマンライブにも行った。『最高に楽しい』と思えた。あれ?おかしいな?こう思えない状態だったんじゃなかったのか?
彼らのライブが楽しくないと感じる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
結果的に、曲が聴きたいというよりも友人たちと会いたい、話したいからライブに行っているだけなんじゃないかとすら思えてきた。けれど今、友人たちとの追いかける熱量の差も感じてしまっている。私が彼らから離れたら、バンドのファンであることがきっかけで繋がれた友人たちとの繋がりさえ無くなってしまう気がしている。
10年以上経って、気づきたくなかったことに気づく機会があまりにも増えてしまった。どうやら彼らに飽きてしまったらしい、というこの事実に向き合いたくない。けれどもう気持ちの上で今の彼らを盲目的に追うことはできないとも思っている。私のアイデンティティの支柱にすらなっていたものなので、すっぱり離れきることもなんだか怖い。
それとも、10年以上同じものが存在していて、追い続けてこられたこと自体が奇跡なのかな。改めて書き出してみるとだいぶ気持ちが重いな。飽きてるなって思いながらしがみつき続けるのが正解なのかな。昔だけが好き、今はそんなに好きじゃないって開き直ればいいのかな。
私はこれからどうすればいいんだろう。