旧帝大まで行かずとも、比較的偏差値高めの国立大学出身なのだが、学歴まったく関係ない仕事で、超人生エンジョイって感じの毎日である。
学歴を使って得た仕事ではないし、どちらかっていうと自分の才能活かしてる系。今の仕事で履歴書を出した覚えが無い。
学歴って関係ないよねーとも言えるし、学歴ありがとうという点もある。
仕事でちょっとはちゃめちゃなやり方をしても、まぁ賢いひとだから大丈夫だろうと誤魔化せる。学歴は割合まともな人間ですよという証明書みたいに使える。
これはかなり便利。
⑵自信を持てた
受験での成功体験は自尊心を保つのに役に立つ。ろくに塾にも通わずにド田舎から都会の大学に来れたので、これは自信につながっている。
前職がしんどくて鬱になりかけたこともあったが、こういうベースにある自信はギリギリで踏み止まるのに役立ってくれたと思う。
自信があるというのはいい点が3つある、
・楽天的でいられること
・むやみに誰かを攻撃せずに済むこと
なので学歴ゆえの自信のおかげで、躊躇せずチャレンジできてきた。変化の多すぎるこの時代に大事な感覚だと思われる。
学歴高めというのは、職場なり結婚相手なり住む場所なり、自分の居場所を比較的自分で選べるということ。自分の適性に合った居場所を選びやすい。
ちょうド田舎出身なので、関東に出てくるためには大学受験という扉が必要だった。大学のおかげで住む場所を選べたし、そのまま関東にいつくための職業を得ることができた。
これが何かって、接する人間の種類を選ぶことにもつながるわけです。ほんまのバカは嫌いです。疲れるし論理が通らない。高速であおり運転したりする。学歴があれば、そういった人間と接さずに済むような人生のコースを選びやすい。
それくらいかなー。大学で学んだことは直接は役に立たない。おもしろい友人ができたことと、審美眼とか、センスとか、ワクワクするような世界の物の見方を学べたことは良かった。
逆にこれらのものが得られるなら学歴は特に意味ないとも言える。学歴じゃなく独学で難関資格とってもいいだろうし、そもそも都市部でお金持ちで素敵でマトモな両親に育てられるとかでも同じ効果は得られそう。
いくらでも自分で学べる時代に高いお金を出して大学に行く意味は、あるひととないひとに分かれると思う。でも18歳とかでそんか自主性を持てているのは奇跡よりな人材かと。
旧帝大受かったわけでもないのに何言ってんの感あるかもしれないけれど、上を見たらキリがないのは当然。自分の得られなかったものよりも、自分の得てきたものを愛して、自己肯定感に包まれたほうが自分も周りも幸せでしょ。