はてなキーワード: 余暇とは
弱者男性が丁寧な暮らしをした、という増田についているブクマの内容に対して書き散らしたいと思ったので書きます。
日本に住んでいる一人暮らしの若中年男性について、金銭的な面で多少の余裕がある(少なくとも、数万円程度の余暇を使う)ことは貧困ではない、という観点はそれほどおかしいとは思わない。
もちろん社会関係資本が多少なりとも存在するからこそ、現在の生活が維持出来ているということはあるだろうか、それが今後も継続する、という期待を持ってはいないのではないか。
仕事、健康、それらの資本が一つでも崩れれば、一気に崩壊するだろうことが明白な生活だからこそ、それに金銭資本を投下して向上させるというモチベーションよりも、今後に備え可能な限り貯蓄する、あるいは娯楽に逃避するために散財するという選択に追いやられたのではなかったのだろうか。
まぁ、孤独な人間が孤独に死んでいくことは誰も気にすることじゃないから、適当なことを言っておけばいいって、自分の生活に支障はないから、そうしているのだろうけれど。
社会関係資本の欠落はそれ自体の増加を妨げることにもつながる、なんてことはまぁ、一般的な資本主義の様相を見てもらってもだいたい分かることだと思うのだけれども。
一度他人と関わる伝手を失うと、そのまま転げ落ちるか藁を掴んで金すら失うかのどちらかに陥ることが多い(もちろんそうではない幸せな結果に至ることもあるのだろうが、それはおそらく多数側ではないだろう)。
一度お金を失えば、生活に投資できなくなり余計にお金がかかるようになるのと同じで、家族や知人と呼ぶべき資本を最初から欠落している人間は、コミュニティへの参画が極めて困難に陥りやすい。
特に、社会的な弱者を取り囲もうとする罠というのは、面白いくらいにあちこちに散らばっていて、しかし資本に富んだ人たちは「あんなものにひっかかるなんて、なんて馬鹿なんだろう」と嗤って楽しんでいる。
2011年4月、22歳の時に新卒で就職して、10年で稼いだ金額は収入にしておよそ4030万
奨学金として借りてた金額がおよそ1,000万円あり、三分の一が返済に消えた。
一括返済もしてきたので、本来なら42歳まで毎月返済が必要だったが、10年近く短縮できた。
奨学金がなければ…投資や余暇に充てることもできただろうになんという損失。
本来なら400万程度で十分だった奨学金であったが、親が借りることができるならと借りれる機関に連絡をしまくり、学費に充てた後に余った分は勝手に使われていた。
安定した職につけたので返済ができたが、できなければどうなっていたのか…
いまだに就職ができなかった夢を見ることがある。
振り返ると、18歳から気づかないでずっと奨学金という名の債務を背負ってきて、社会人になる22歳ににその額に驚嘆し、絶望しながらも、32歳にしてようやく下ろすことができた。
給付型奨学金も導入されてきている。
それと親が、お金持ちの人が羨ましいとつくづく思う。。。
作品を公開したらちょっと有名になり、いくつかのゲーム企業からウチに来ないかとオファーも貰った。
でも結局それらは全部断って、全然関係のない業界に俺は就職した。
俺が作りたいのは「自分の作品」であって、自分の作りたいものと異なるゲームを仕事で作るのは耐え難いと思ったからだ。
今なら起業して作るという選択肢もあるかもしれないが、当時はちょっとそれは考えられなかった。
だから俺は、ゲーム作りは今後も趣味として続けることにして、仕事は余暇時間重視で選んだ。
そして20年近くが過ぎた。
働きながらも10年以上はゲーム作りに情熱を燃やしていたが、様々なことに忙殺されて、今やその情熱は枯れ果てた。
他に大した趣味もなかった俺は、ただの無趣味の人間になってしまった。
ふと、あの時オファーを断っていなかったらどういう人生になっただろうかと思うことはある。
俺は10年前に鬱が悪化して休職した際に発達障害の診断を受けてリハビリの後復職して今に至るんだけど、
復職時に障害者雇用に切り替えた後、そこそこ理解のある企業や上司に恵まれたおかげで10年やっていけたのは分かってるんだけど
従来の人間の幸福からはどんどん遠ざかっているように思ってしまう。
まず自分のことで精一杯だから結婚なんて考えられないし、当然友達だっていない。
自分と同じような同類を探そうと当事者会を覗いてみたけどそういう場所は大抵社会から一線を退いた人たちがメイン層なので
俺みたいなのは「正規雇用されてるんだからラッキーだねよかったよかった」くらいにしか思われず仲間として受け入れてもらえない。
確かに彼らから見れば俺は社会に出られている分経済的には多少マシなのかもしれないけれど、
俺から見たら彼らは少なくとも俺のように孤独ではなくコミュニティを作れているし、羨ましいとすら思う。
それならと福祉のコミュニティを覗いてみたけれど、福祉の世界というのはより重度な障害者を優先するものなので
相対的に程度の軽い障害者である俺は必然的に重い障害者のサポートをすることになる。それがまた、ひどく疲れる…
普通に働くだけでも土日ぐったりするくらい疲れてしまうのに、なんで余暇の時間にこんなに疲れなきゃいけないんだ!?
結局この10年俺は家と職場以外に居場所を作ることはできなかった…
そして働く発達障害者のロールモデルを見つけることもできなかった。
他人と関わるだけでぐったりしてしまう俺はどうしたら幸せになれるんだろうか?
どうすれば居場所を作ることができるんだろうか??
誰でもいいから教えて欲しい…
b:id:otihateten3510 働く健常者のロールモデルも特にないんだこれが
そうなんですよね、今はもう従来の社会人のロールモデル(30代までに結婚して子どもを産んで家を買って~)が一部の人々にしかできない時代になっているんですよね。
従来のロールモデルを越えて人としての尊厳を保つことのできる生き方を模索していくしかないのかもしれません。
b:id:anatadehanai これ、発達障害に限らない普遍的な問題だと思う。家と職場以外の人間関係をどう作って維持するか。独身男性の孤立の問題なんかもまさにこれ。
はい、自分もそう思っています。金銭的な資本を持たない場合も対策が必要ですが、
それ以上に社会的資本を持たない人々をどうやって社会的に包摂していくか、というのがこれから社会全体で考えなければならないことだと思います。
ただ、自分にはそれを解決する為のアイディアもなく、どう考えどう動けば良いのか分からなくなっています。
つかず離れずの緩いコミュニティを作ることができれば良いのですが、まずそのような場を作ることすら難しいことがこの数年でよく分かりました。
b:id:leeyuu 私も長い期間を経てなんとか働けるようになったけど、似たような思いや経験をした。パイオニアとしてやっていくしかないかもしれない。Facebookで同じ病気の人のグループには入っている。
そういう考え方ならもし結婚したら後悔するで。ただメリットがないわけではない。
俺は40前で別に好きでもない人と酔った勢いで結婚の約束をしてしまい、その約束を守って結婚した。
相手が俺のことをずっと好きだったみたいなことは知っていたけど、全然タイプじゃないし、手を握りたいと思ったこともない相手やった。
ただの飲み友達の一人でキスもしたことないのに入籍した。お互い初婚。相手が2個上。
こんなノリで結婚したらおもろいやんというだけの結婚やったけど、親と妹はなんか泣いて喜んでたし、生活はかなり余裕ができた。これはメリット。
妻のほうが収入が多いくらいなので俺の稼ぎは全額貯蓄している。
年金暮らしなんて期待していなかったから死ぬまで働くんだと諦めていたけど、60歳までに一億円貯金して引退したいと思えるようになった。
知らない人との共同生活はまあストレス感じることもあるけど、ほとんどは慣れで解決する。
喧嘩の回数は、昔本当に好きだった子と同棲してた時より圧倒的に少ない。
お互いに40過ぎの大人だということ、相手に大きな期待をしていないことが大きいと思う。
楽しいこともそんなにあるとは思えないけど、みんなの両親は毎日楽しんで暮らしてたんかな?
お互いのプライベートスペースが確保されてたら別に同じ部屋で同じテレビを見る必要もない。それぞれやりたいことやってるから少しの会話しかしない。
生活は本当に楽になったので家での余暇時間は増えた。家事分担したら半分で終わるし、家電アップグレードできるからあんまりやることない。
ずっと好きでもない相手と暮らせるのかと疑問を持つ人もいてるかもやけど、うちの両親はお見合い結婚やし、そういうパターンがあることを思えば、慣れる。夫婦に成れる。
慣れたら正直だれと結婚しても一緒やとおもうで。
これはなんとなくやけど、人間の本能として群れで生きる動物やから、一人暮らしよりも二人暮らしの方がなんか安心感というか、心地よい負荷があるような気はする。
もう40過ぎてバツイチになるのが嫌じゃないなら適当な相手と結婚してみるのも人生の経験として悪くないと思うよ。
しいて言うなら、経済的に自立できている人と結婚するのがおすすめ。
いちおう元増田に伝えたかったことは、結婚したい欲がすこしでもあるなら一回やってみるのもありってこと。
相手にこだわると選択肢が限られる。好きな人とだけとなると人生で数人から選ぶことになる。
こだわりがなければ選択肢は一気に星の数ほどになるよ。
バツイチになることにビビッてやらないのは不毛。バツイチは負け組じゃないとおもう。
・家事→お互いできるから普通に半々やってるよ。食洗器、ルンバ、ドラム洗濯機あるから、実質メシと洗いもんの準備、洗濯なおす、トイレ掃除くらいしかやることないけど。
・こどもはなんやかんやでできました。40過ぎで共働きで育児に悪戦苦闘してます。今自由時間はこどもが寝てからです。。
・俺の給料全額貯金については、普通に生活したら俺の給料がまるまる余るので口座を放置ってことです。俺の口座で生活してたら妻の口座が放置になるので依存してるわけではない。
かつてはあったかというと、そんなこともない。ただし昔は歩いて旅をして通勤や余暇を使って楽しむ物だったから、カジュアルなプレイを重んじていた。それがガチよりな戦術を要求するようになって大分様変わりしたと思う。運営の要求に応えるには複アカや位置偽装やツールの使用が当然となった。
そしてなにより、ポケGOには位置ゲー特有の複アカへの忌避感が殆ど無い。複アカが正当ではないというのは確かだけど、では単アカのほうがいい理由も存在しない。単アカの人もそれは理解している。はっきりいってしまえば、ポケGOで複アカも位置偽装もツールも使用しないのは、縛りプレイ以外の何物でも無い。既に複アカはプレイスタイルの一つとして定着しているし、それを覆す要因も存在しない。単アカが自慢にもならないし、単アカであることがよい理由を誰も答えられないのは、ゲームとしてよろしいとは思わない。
今年で30歳になってしまう。
30までだからって、主に貯蓄や生活面でかなり好き勝手やった。
いろんな趣味に手を出して余暇を楽しんだ。もう今が余生ってほんとに思ってた。
さて今年だ。いよいよだ。
やばい。
具体的には、死ぬ準備が出来てない。
部屋の片付けも相当面倒くさいし、単純に病んで餓死チャレンジとかしたけど生きてる。
定職に就いてからは幸運なことに生活が安定しちゃって、ゆるやかに、波風立たずに平和。
しかしまぁ何もやってこなかったので、やっぱり行き詰まってる。
ペットはずっと飼いたかったけど、長く生きる覚悟がなくて飼わずに来た。今からかったら最短でも40くらいまで安定して生き抜かなきゃならない。
仕事頑張って無さすぎて、40まで安定してられるか自信が無い。
もし結婚できたら、もしくは恋人ができたり、つまりは生きてく理由が"自分"以外にできたら生きてもいいかもなぁとか思ってたけど
ない!
けど、案外今が悪くなくて、出涸らしってほどでもないし、まぁいろんなツケを払うのが面倒くさすぎて挫折する可能性はあるけどそれさえ無ければ目先の楽しいことや、
死ぬつもりだったから、いや生きていいんか???って戸惑いの感覚が大きいかもしれない
生きていいのかなー??この先の設計が本当に何も無いから、死んじゃった方が潔いかな
勿体ないとかは思わないし、自分の死を残念ながら物件の保証人である両親は知ってしまうけど、ほかの友人知人は多分気づかない。気付いても多分ほんと興味無いんだろうなぁ。
生きる覚悟ができない
趣旨労働者が情報通信技術を利用して行う事業場外勤務(以下「テレワーク」という。)には、オフィスでの勤務に比べて、働く時間や場所を柔軟に活用することが可能であり、通勤時間の短縮及びこれに伴う心身の負担の軽減、仕事に集中できる環境での業務の実施による業務効率化につながり、それに伴う時間外労働の削減、育児や介護と仕事の両立の一助となる等、労働者にとって仕事と生活の調和を図ることが可能となるといったメリットがある。また、使用者にとっても、業務効率化による生産性の向上にも資すること、育児や介護等を理由とした労働者の離職の防止や、遠隔地の優秀な人材の確保、オフィスコストの削減等のメリットがある。テレワークは、ウィズコロナ・ポストコロナの「新たな日常」、「新しい生活様式」に対応した働き方であると同時に、働く時間や場所を柔軟に活用することのできる働き方として、更なる導入・定着を図ることが重要である。本ガイドラインは、使用者が適切に労務管理を行い、労働者が安心して働くことができる良質なテレワークを推進するため、テレワークの導入及び実施に当たり、労務管理を中心に、労使双方にとって留意すべき点、望ましい取組等を明らかにしたものである。本ガイドラインを参考として、労使で十分に話し合いが行われ、良質なテレワークが導入され、定着していくことが期待される。2 テレワークの形態テレワークの形態は、業務を行う場所に応じて、労働者の自宅で行う在宅勤務、労働者の属するメインのオフィス以外に設けられたオフィスを利用するサテライトオフィス勤務、ノートパソコンや携帯電話等を活用して臨機応変に選択した場所で行うモバイル勤務に分類される。テレワークの形態ごとの特徴として以下の点が挙げられる。① 在宅勤務通勤を要しないことから、事業場での勤務の場合に通勤に要する時間を柔軟に活用できる。また、例えば育児休業明けの労働者が短時間勤務等と組み合わせて勤務することが可能となること、保育所の近くで働くことが可能となること等から、仕事と家庭生活との両立に資する働き方である。② サテライトオフィス勤務自宅の近くや通勤途中の場所等に設けられたサテライトオフィス(シェアオフィス、コワーキングスペースを含む。)での勤務は、通勤時間を短縮しつつ、在宅勤務やモバイル勤務以上に作業環境の整った場所で就労可能な働き方である。③ モバイル勤務労働者が自由に働く場所を選択できる、外勤における移動時間を利用できる等、働く場所を柔軟にすることで業務の効率化を図ることが可能な働き方である。このほか、テレワーク等を活用し、普段のオフィスとは異なる場所で余暇を楽しみつつ仕事を行う、いわゆる「ワーケーション」についても、情報通信技術を利用して仕事を行う場合には、モバイル勤務、サテライトオフィス勤務の一形態として分類することができる。3 テレワークの導入に際しての留意点(1) テレワークの推進に当たってテレワークの推進は、労使双方にとってプラスなものとなるよう、働き方改革の推進の観点にも配意して行うことが有益であり、使用者が適切に労務管理を行い、労働者が安心して働くことのできる良質なテレワークとすることが求められる。なお、テレワークを推進するなかで、従来の業務遂行の方法や労務管理の在り方等について改めて見直しを行うことも、生産性の向上に資するものであり、テレワークを実施する労働者だけでなく、企業にとってもメリットのあるものである。テレワークを円滑かつ適切に、制度として導入し、実施するに当たっては、導入目的、対象業務、対象となり得る労働者の範囲、実施場所、テレワーク可能日(労働者の希望、当番制、頻度等)、申請等の手続、費用負担、労働時間管理の方法や中抜け時間の取扱い、通常又は緊急時の連絡方法等について、あらかじめ労使で十分に話し合い、ルールを定めておくことが重要である。(2) テレワークの対象業務例えば、いわゆるエッセンシャルワーカーなどが従事する業務等、その性格上テレワークを実施することが難しい業種・職種があると考えられるが、一般にテレワークを実施することが難しいと考えられる業種・職種であっても個別の業務によっては実施できる場合があり、必ずしもそれまでの業務の在り方を前提にテレワークの対象業務を選定するのではなく、仕事内容の本質的な見直しを行うことが有用な場合がある。テレワークに向かないと安易に結論づけるのではなく、管理職側の意識を変えることや、業務遂行の方法の見直しを検討することが望ましい。なお、オフィスに出勤する労働者のみに業務が偏らないよう、留意することが必要である。(3) テレワークの対象者等テレワークの契機は様々であり、労働者がテレワークを希望する場合や、使用者が指示する場合があるが、いずれにしても実際にテレワークを実施するに当たっては、労働者本人の納得の上で、対応を図る必要がある。また、短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律(平成5年法律第76 号)及び労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60年法律第88号)に基づき、正規雇用労働者と非正規雇用労働者との間で、あらゆる待遇について不合理な待遇差を設けてはならないこととされている。テレワークの対象者を選定するに当たっては、正規雇用労働者、非正規雇用労働者といった雇用形態の違いのみを理由としてテレワーク対象者から除外することのないよう留意する必要がある。 派遣労働者がテレワークを行うに当たっては、厚生労働省ホームページに掲載している「派遣労働者等に係るテレワークに関するQ&A」を参照されたい。 雇用形態にかかわらず、業務等の要因により、企業内でテレワークを実施できる者に偏りが生じてしまう場合においては、労働者間で納得感を得られるよう、テレワークを実施する者の優先順位やテレワークを行う頻度等について、あらかじめ労使で十分に話し合うことが望ましい。 また、在宅での勤務は生活と仕事の線引きが困難になる等の理由から在宅勤務を希望しない労働者について、サテライトオフィス勤務やモバイル勤務を利用することも考えられる。特に、新入社員、中途採用の社員及び異動直後の社員は、業務について上司や同僚等に聞きたいことが多く、不安が大きい場合がある。このため、業務を円滑に進める観点から、テレワークの実施に当たっては、コミュニケーションの円滑化に特段の配慮をすることが望ましい。(4) 導入に当たっての望ましい取組テレワークの推進に当たっては、以下のような取組を行うことが望ましい。・ 既存業務の見直し・点検テレワークをしやすい業種・職種であっても、不必要な押印や署名、対面での会議を必須とする、資料を紙で上司に説明する等の仕事の進め方がテレワークの導入・実施の障壁となっているケースがある。そのため、不必要な押印や署名の廃止、書類のペーパーレス化、決裁の電子化、オンライン会議の導入等が有効である。また、職場内の意識改革をはじめ、業務の進め方の見直しに取り組むことが望ましい。・ 円滑なコミュニケーション円滑に業務を遂行する観点からは、働き方が変化する中でも、労働者や企業の状況に応じた適切なコミュニケーションを促進するための取組を行うことが望ましい。職場と同様にコミュニケーションを取ることができるソフトウェア導入等も考えられる。・ グループ企業単位等での実施の検討職場の雰囲気等でテレワークを実施することが難しい場合もあるため、企業のトップや経営層がテレワークの必要性を十分に理解し、方針を示すなど企業全体として取り組む必要がある。また、職場での関係や取引先との関係により、一個人、一企業のみでテレワークを推進することが困難な場合がある。そのため、グループ企業や、業界単位などを含めたテレワークの実施の呼びかけを行うことも望ましい。4 労務管理上の留意点(1) テレワークにおける人事評価制度テレワークは、非対面の働き方であるため、個々の労働者の業務遂行状況や、成果を生み出す過程で発揮される能力を把握しづらい側面があるとの指摘があるが、人事評価は、企業が労働者に対してどのような働きを求め、どう処遇に反映するかといった観点から、企業がその手法を工夫して、適切に実施することが基本である。例えば、上司は、部下に求める内容や水準等をあらかじめ具体的に示しておくとともに、評価対象期間中には、必要に応じてその達成状況について労使共通の認識を持つための機会を柔軟に設けることが望ましい。特に行動面や勤務意欲、態度等の情意面を評価する企業は、評価対象となる具体的な行動等の内容や評価の方法をあらかじめ見える化し、示すことが望ましい。加えて、人事評価の評価者に対しても、非対面の働き方において適正な評価を実施できるよう、評価者に対する訓練等の機会を設ける等の工夫が考えられる。また、テレワークを実施している者に対し、時間外、休日又は所定外深夜(以下「時間外等」という。)のメール等に対応しなかったことを理由として不利益な人事評価を行うことは適切な人事評価とはいえない。なお、テレワークを行う場合の評価方法を、オフィスでの勤務の場合の評価方法と区別する際には、誰もがテレワークを行えるようにすることを妨げないように工夫を行うとともに、あらかじめテレワークを選択しようとする労働者に対して当該取扱いの内容を説明することが望ましい。(テレワークの実施頻度が労働者に委ねられている場合などにあっては)テレワークを実施せずにオフィスで勤務していることを理由として、オフィスに出勤している労働者を高く評価すること等も、労働者がテレワークを行おうとすることの妨げになるものであり、適切な人事評価とはいえない。(2) テレワークに要する費用負担の取扱いテレワークを行うことによって労働者に過度の負担が生じることは望ましくない。個々の企業ごとの業務内容、物品の貸与状況等により、費用負担の取扱いは様々であるため、労使のどちらがどのように負担するか、また、使用者が負担する場合における限度額、労働者が使用者に費用を請求する場合の請求方法等については、あらかじめ労使で十分に話し合い、企業ごとの状況に応じたルールを定め、就業規則等において規定しておくことが望ましい。特に、労働者に情報通信機器、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合には、当該事項について就業規則に規定しなければならないこととされている(労働基準法(昭和22年法律第49号)第89条第5号)。在宅勤務に伴い、労働者個人が契約した電話回線等を用いて業務を行わせる場合、通話料、インターネット利用料などの通信費が増加する場合や、労働者の自宅の電気料金等が増加する場合、実際の費用のうち業務に要した実費の金額を在宅勤務の実態(勤務時間等)を踏まえて合理的・客観的に計算し、支給することも考えられる。なお、在宅勤務に係る費用負担等に関する源泉所得税の課税関係については、国税庁が作成した「在宅勤務に係る費用負担等に関するFAQ(源泉所得税関係)」(令和3年1月15日)を参照されたい。(3) テレワーク状況下における人材育成テレワークを推進する上で、社内教育等についてもオンラインで実施することも有効である。オンラインでの人材育成は、例えば、「他の社員の営業の姿を大人数の後輩社員がオンラインで見て学ぶ」「動画にしていつでも学べるようにする」等の、オンラインならではの利点を持っているため、その利点を活かす工夫をすることも有用である。このほか、テレワークを実施する際には、新たな機器やオンライン会議ツール等を使用する場合があり、一定のスキルの習得が必要となる場合があることから、特にテレワークを導入した初期あるいは機材を新規導入したとき等には、必要な研修等を行うことも有用である。また、テレワークを行う労働者について、社内教育や研修制度に関する定めをする場合には、当該事項について就業規則に規定しなければならないこととされている(労働基準法第89条第7号)。(4) テレワークを効果的に実施するための人材育成テレワークの特性を踏まえると、勤務する時間帯や自らの健康に十分に注意を払いつつ、作業能率を勘案して、自律的に業務を遂行できることがテレワークの効果的な実施に適しており、企業は、各労働者が自律的に業務を遂行できるよう仕事の進め方の工夫や社内教育等によって人材の育成に取り組むことが望ましい。併せて、労働者が自律的に働くことができるよう、管理職による適切なマネジメントが行われることが重要であり、テレワークを実施する際にも適切な業務指示ができるようにする等、管理職のマネジメント能力向上に取り組むことも望ましい。例えば、テレワークを行うに当たっては、管理職へのマネジメント研修を行うことや、仕事の進め方として最初に大枠の方針を示す等、部下が自律的に仕事を進めることができるような指示の仕方を可能とすること等が考えられる。5 テレワークのルールの策定と周知(1) 労働基準関係法令の適用労働基準法上の労働者については、テレワークを行う場合においても、労働基準法、最低賃金法(昭和34年法律第137 号)、労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)、労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)等の労働基準関係法令が適用される。(2) 就業規則の整備テレワークを円滑に実施するためには、使用者は労使で協議して策定したテレワークのルールを就業規則に定め、労働者に適切に周知することが望ましい。テレワークを行う場所について、労働者が専らモバイル勤務をする場合や、いわゆる「ワーケーション」の場合など、労働者の都合に合わせて柔軟に選択することができる場合には、使用者の許可基準を示した上で、「使用者が許可する場所」においてテレワークが可能である旨を定めておくことが考えられる。なお、テレワークを行う場所の如何に関わらず、テレワークを行う労働
Googleには、世界中から超優秀な人材が集まっている。彼らは高い給料をもらい、ホワイトな労働条件と自由な職場環境のもとで、クリエティビティ溢れる仕事をしている。
インターネットが人を幸福にしたかはさておき、Googleのお陰で世の中は確実に便利になり、世界中の人々がその恩恵に預かっている。
Googleは時代に追いついているどころか、Googleが時代を作り出す存在である。
とここまで書いたのは、想像に過ぎない。実際はGoogleの労働環境について何も知らない。Google製の検索エンジンを使って持つようなったイメージに過ぎない。
とはいえ、だ。霞ヶ関と比べればGoogleが”進んでいる”のは確実だ。
霞ヶ関は、日本でも優秀な頭脳の持ち主が集まる場所である。しかし、そこで働く官僚たちは日本随一の長時間労働の元、ヘロヘロフラフラ私生活を犠牲にして、時には薬物をキメながらなんとか仕事している。彼らは過労死ラインなどとうの昔に振り切っている。
ご存知の通り日本の行政は縦割りで、割られた縦には強い強い縦社会がある。例え黒でも上が白と言えば白と言わざるを得ない。自分には黒く見えても、何度計算しても黒だと出てしまうとしても、上の言うことが絶対なら、見るだけ計算するだけ考えるだけ無駄である。やる気があればあるほど苦しい環境だ。そうして日本一の優秀な頭脳はドブに捨てられる。
こうしたクソのような環境を変えたいと変えて欲しいと願ってきた人は、霞ヶ関だけでなく日本全国どこにでもいるだろう。しかし、依然として、もう何十年も変わらない日々が続いている。
問題を認識しながら解決する力を持たないのである。組織としてはまさに終わっている。ガチガチに凝り固まって錆び付いてほとんど動かなくなっている。そこにイバラのように既得利権が絡みついている。
Googleは違う。Googleでは少なくとも昼寝が許されている。縦の人間関係に囚われない自由な意見交換を重んじているし、社員にはきちんと余暇の時間が与えられているはすだ。ニュースを読めば、Googleは常に自社の生産性について調査し、改善しようとし続けていることが伺える。日本が何とかしようと言い続けるだけで何もしなかった何十年もの間にGoogleは世界最大の企業にまで成長した。
霞ヶ関がGoogleのようになる日は、来るだろうか?常に旧態のやり方を疑い続け、あれこれ変化を加えてみては結果をモニタリングし、労働環境をアップデートしていくような組織になれるだろうか?完全にGoogleのような環境になることは不可能だとしても、ほんの少しでも近づくことはできるのだろうか?
逆に、こうも考える。Googleが霞が関のように凝り固まって、利権に飢えて保守化し、そのまま生産性を失って緩やかに衰退していくことはあるのだろうか?Googleが霞が関になる日はあるのだろうか?Googleもいつかこうなるさと冷笑する余地が我々には残されているのだろうか?
ないですか?
在宅勤務はいいんだが、日中オーバーワーク気味で、17時くらいになると集中力がプッツリ切れる。
17時には仕事をやめて食事を作り、さて余暇余暇と思うんだが、仕事のための読書はもちろん、
いままで好きだった映画や漫画の類に一切手が出ず、なんも考えないYouTubeや録画したテレビなんか見てしまう。
YouTubeもテレビよりも映画のほうが好きで、見たら絶対おもしろいと思うんだが、どうも見れない。
こういうのって好奇心がなくなってきてるんですかね。
どうしたら取り戻せますか?
「好きな研究を安定して行うために、別の収入源を探します!」とか言ってる人をSNSでしばしば見かける。
私は個人的に、こういう人間には2つのタイプがあると思っている。
1つは「非研究職の安定した職に就き、余暇として研究に勤しむ、いわゆる『在野』タイプ」、そしてもう1つは「研究に関する何かを発信して収益化しようという『研究を収益化』タイプ」である。
個人的には、圧倒的に前者をおススメする。
いや、むしろ後者を圧倒的におススメしない。「研究を収益化」の難易度をお前らはナメすぎだ。
暮らしていける、というのは、30年とかそういう単位の年月の間、毎年数百万の利益を上げ続けるということだ。
そんなことどう考えても簡単ではない。
と、書いたものの「研究を収益化」は実はそこまで難しくない。その収入だけで食っていくことだって現実的だ。
なぜなら、ほとんどの大学や企業、国研の研究者は、「研究を行って成果を出すことで稼いでいる」、つまり「研究(活動)を収益化」しているのだ。
ポストをめぐる競争は激しいとはいえ、「研究を収益化」して食っている人間は数十万人単位で存在する。
しかし、SNSで「別の収入源を探します!」と宣言しちゃう人間が言っている「研究を収益化」はもちろんこの正規ルートではない。
いわゆるブログや動画配信、オンラインサロンや支援サービスなどのネットコンテンツからの収入、グッズ展開、本の執筆や講演会、といった、研究をテーマにしたコンテンツからの収益化を指していることがほとんどだ。
なんで現実的な正規ルートがあるのに、そのような未知のルートに飛び込むのか。
恐らくそのような人々はわかっているはずだ。
そう。正規ルートの競争は激しい。研究者としての絶え間ない鍛錬が求められる。
常に研究について批判的な目で評価され、業績欄を他人に精査され、申請書に不採用を突き付けられる日々を送らなければならない。
これは正直きつい日々だ。こんな思いをしないといけないなら、なんか別なルートで食っていくことが出来ればいいのに…と考える気持ちはとてもよくわかる。
一定数の博士課程の学生がこの考えをこじらせ、妙な収益化活動に精を出してやがて研究業界からはいなくなってしまう。
一度立ち止まってよく考えてみてほしい。
研究紹介動画の配信とかグッズ販売でいったいいくら稼げると思ってるのか。
月2-3万じゃない。食っていくなら月数十万を継続的に稼ぐんだ。ワンクリックで0.05円のアフィリエイトでほんとにそんなことが可能なのか?
「研究」というマイナージャンルに興味を持ってお金をかけてでもそのコンテンツを見たい聞きたいと思ってくれる人が何人いるというのだろうか?しかも、数十年単位で。
それに、世界には「博物館」や「科学館」という研究成果の発信基地のような施設が存在する。数百円で一日楽しめる施設が全国津々浦々に存在するのだ。このクオリティとコスパを相手に戦うのだ。
結局正規ルートでの戦いを避けた院生は、ごくわずかな収益を上げるために大半の時間と労力を費やし、正規ルートでの「研究を収益化」の道を自ら閉ざしてしまう。