はてなキーワード: ピースとは
今でこそ1回に6ピースとか買ったりしないけど、
週に何回来るの?馬鹿じゃないの?って思われてるに違いないし
たまにはコールスローサラダも一緒に頼めば?なんでいつもオリジナルしか頼まないの?馬鹿じゃないの?
と、思ってるかも知れない。
ウソ電話を装って「今日何人いるんだっけ?でもそんなピース数いらないよね?」と相手のいない電話を片手に
逆に店員に「調子に乗っておまえごときがクリスマスか?いっちょ前に!馬鹿か」と思われてたら嫌なので
あえてそういうシーズンは避けている、これは仕方がない。
あまり、こっちの不機嫌な顔を見せると、美味しい部位が当たらなくなると思うので、
いつもニコニコするように心がけている。
でも、部位の当たり外れは仕方ない。
次はきっといい部位が当たりますようにと次に期待する日々だ。
だから点取りゲームじゃないんだってば。マッチングゲームなの。
例えて言えば(緩い)ジグゾーパズルで今空いてるところにはまりそうなピースを探す感じ。全部出っ張ってるピースがどこにもはまるわけじゃないでしょ。それに去年必要だった人と今年必要な人が同じ形とも限らない。
俺が採用に関わったケースでいえば、まず除外するのは総合点の低い人とかじゃなくて「形がはっきりしない、よくわからない」人。判断しようがないから。大企業なら多少採用で失敗しても何とかなるから、スペックの総合点の高い人をとりあえず取っておけってのがありなのかもしれないけど。
すこし長くなるので、長文にがてな人は無視してくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
いろいろ誤解を与えそうなんだよねー、これだと。
俺もちびっと文学かじってたんだけど、たとえば、
太宰が好きだーっつってるピースの又吉にやきもきする程度には。
あれはヤク中で人生ダメにして人を道連れに自殺しただけの人だから。
文学を摂取して毒にかかって心身を崩す人は、文学に向いてないんだよ。
文学を摂取して薬として癒しを感じる人は、おそらく文学に向いている。
だけどそれはね、感動があるからではないのさ。
そしてその特質は、「文章」つまり「文字」での表現であることにのみある。
また絵画やイラストが、非言語的な図形や色から構成されるものであるように。
こんなことは、大言壮語するまでのことじゃない。
教科書をちゃんとそれなりに読んできてれば、わりとわかる。
たぶんはファッションとして芸術を楽しむ人を責めちゃいけない。
それは芸術が人を選ぶんじゃなく、
「俺のほうが芸術を、文学をわかってるんだ!」と自分を慰めてるにすぎない。
太宰の言葉を借りれば、
というものだ。
あえて言葉を重ねるなら、
それは「情けは人のためならず」のような、
一部のファンたちが「どんな扱いでも映してくれるだけありがたい」
どんなに些細でも、芸術が、
鑑賞者にとって一滴でも輝きを残すなら、
そして愚かにも、これは元増田がすでにいっていることだ。
文学は時空を超えて俺たちの心に突き刺さる何かを運んでくる。
これ以外に余計なこと書いてなけりゃ、俺がちんたら書く必要もたぶんなかった。
ただ空しいのは、
という喚きだ。
ちゃんとしろよ。
ちゃんと呪えよ。
ちゃんと呪い殺せよ。
なんだよ、死ねって。
お前の全身全霊の一撃はそんなもんか。
ほんとうに心に傷おわせる自負あんのか。
毒にも薬にもなんねえよ。
(深呼吸)
死は、多く、人を狂わせるような恐怖であるとともに、
一部の人にとっては救いたりえるように、
文学は毒であり、薬たりえる。
それを限定して処方するのは、ですぎたまねだとは思いませんかね。
15年ぶりくらいに会う先輩と5年ぶりぐらいに会う先輩、
二人共中退している。
5年ぶりに会う先輩は介護関係の仕事をしている、ネットでちらほらみかけるがやはり仕事はきつそうだ。
先月いっぱいで10年働いた職場をやめて今は休みを満喫してる。
ライブ行ったりしてるし、車もなんかちょっと良さそうなやつだし、まぁ楽しそうではある。
15年ぶりに会った先輩、これがなんか悲壮感漂うのだ。
もう一人の先輩がコソッと私に言った、
「あいつ老けたよな」
その白髪の先輩の話もなんか笑えない。
30近くまで本屋で働いていたけど、手取りで13万だった、精神的にきつくてやめた。
今は工場で働いている。200人位が働く自動車の部品工場らしい。
そんな話するような人じゃなかったのに、
この歳で童貞と思われるのも嫌だからと思って、あえて自分からそんな話したんだろうか。
話もなんか面白くない、覇気がない。このまま50代、60代迎えるつもりなんだろうか。
大学中退でも、高卒でも、中卒でも世渡りうまい奴は稼いでるし、面白いし、覇気がある。
15年ぶりくらいに見た。
最後のトンボ救出シーンは不要論もあるらしいが、やはりあったほうがいいでしょ。
このシーンにまつわる素敵なピースが数多くある。
事故を写す白黒の家具調テレビだったり、テレビにかじりつくバーサさんの静かでゆっくりとした興奮ぷりだったり、「夏にたまにこんな風がふく」という窓をゆらす風の描写だったり。デッキブラシのオヤジや、デッキブラシで飛行するキキを写すために画面に入ってくる街の描写。
どれも愛おしい。
チラというよりパンモロシーンも結構あって、これはいかんでしょと思った。
中身が成熟しつつあることを考えると、13歳のパンツはやはりだめだよ、ぱやお。
少女・幼女はぱやおが世界で最も愛するものだから、まあ仕方がないとして。
ナウシカの婆様、ラピュタのドーラ、トトロの「めーいちゃーん」のババア、魔女宅の奥様、紅の豚で働く老婆。
とにかく少女か老婆なんだよ、女は。
ハウルでは主人公がその2つの属性をもつわけで、ぱやおの女に関するある種のこだわりがこの点にあると見て間違いないんじゃないのって思った。
フェミニストに嫌われるわけだ。
上野千鶴子が言うには、13歳は初潮の来る年齢であり、黒い魔女服がつつむキキの体は女性性を帯びてうんちゃら…
というのには、うなづくことはできなかったが。
今回は2度再生したわけだが、1回目は普通にまわし、2回目は人物や筋を見ずに背景の書き込みだけを見た。
圧倒的に美しいな、街も海も空も緑も。
ウルスラが「夏の間は(山小屋に)いるつもりだから」と言ってたり、トンボが「夏休みの間に飛ばすんだ」みたいなことを言っていたので初めて認識した。
お友達の感じはいかにも夏休みを謳歌する富裕層のクソガキドモであるところは記憶にあったが、トンボの「家」そのものが写っていることに改めて気づいた。
あの家は金持ち。
パン屋のオソノさんちや、何度か映る港湾労働者の家とは明らかに違う階層。
いやー映画っていいですね。
○夕食:サッポロ一番
○調子
非常に美味しかった、アル中にならない程度にお酒も楽しみたいなあ。
○就活
なにもなし。
現在進行中(二社)
○ラジオの話
ナツブラDJCDVol3。
最後まで聞いた。
DJCD持ってるにも関わらず、最終回どっきりに引っかかってしまった。
○ハッピーウォーズ
超久々に一戦だけプレイした。
何やら大型アップデートがあるらしい。
XboxOne版楽しみだなあ。
ゲーム本編は超楽しいので、このゲームのシステムを使った追加シナリオは大歓迎。
なんだけど、今回のちょっと変わったシステムのボールを動かす奴は死んだ目でプレイしていた。
自分という複雑怪奇な形状をしたピースにぴったりと嵌る相手に出会うことができた。凛とした顔付きであったり、着飾らないサバサバとした性格、さらに彼女の一挙手一投足までもが全て愛しく思われる。話をしたときも最初から最後まですべて聞いてくれるし、助言が欲しい時はアドバイスをしてくれて、同情を求めているときは共感してくれる。歩調も同じペースで、人間としての根底にある思想のようなものも、自分のそれと等しい。
そのせいか、今日相手とお別れをしてからずっとモヤモヤとした気持ちが身体中を巡っている。何かに手をつけようとしても、なかなか手につかない。一時的にぴったりとはまっていたパズルのピースを一片だけ取り除かれてしまっているかのように。今度いつ会えるかはわからないけど、会えない間、ずっとこうした気持ちが続くのだろうか。
SNSで知り合った人と、知り合ってから2ヶ月して初めて実際に会った。
なぜか焼肉をご馳走になった。
初めて実際に会ってからそれほどしないうちに、お互い恋に落ちていた。
帰る家ができた。
同棲した結果、会ってすぐの頃のあのときめきはどこかに行ってしまった。
お互いが同じ場所にいるのが当たり前になってしまって、それはもう、ときめいたりするような事ではないのだ。
でもそれってきっと、すごく素敵な事だ。
毎日、好きな人の寝顔を眺めながら眠りに就くこと。好きな人に起こされるということ。
親との折り合いが悪かった私は、高校生の頃は毎日家に帰るのが苦痛でしょうがなかった。
帰れば親と顔を合わせなければならない。また嫌味を言われる。あんな家、燃えてしまえばいいのに。
まるで孤児のように街を彷徨って、なるべく家に寄り付かないようにした。
それが今ではどうだろう。
私には帰る場所が、帰る家がある。
あたたかく迎えてくれる人がいる。
それってすごく、涙が出るほど、幸せなことだ。幸せすぎて不安になるほど。
書いてるうちに照れくさくなってきたのでこの辺で。
大学の一般教養でPascalを習った程度。専門課程に入る前に文法はすっかり忘れた。専攻は都市工学だからその後プログラミングとは縁はなかった。卒業前に第一種情報処理技術者の資格だけはとれてたのでプログラミングの何たるかとかオブジェクト指向なんかも知識としては知ってた。
大学卒業後にデスクトップユーティリティーのメーカーで技術営業をやった。顧客に製品仕様を説明するのが主な仕事なのでパワポばかり使ってた。その会社ではLinuxのソフトも販売してたから、Linuxのコマンドは打てるようになった。そこでシェルスクリプトを習得しようと思ったがあえなく挫折。
その後ネットワーク機器のメーカーに転職。トラブルシューティングでLinuxをさらに使うようになった。そこではHTTPプロキシを主に扱っていたので、HTTPプロトコルについては一通り知識を身につけた。その知識を実際にLinux上でシミュレーションしてみたくなり、Cを習得しようと思ったがやっぱり挫折。
部署移動でメールサーバーを扱うようになった。SMTPプロトコルの知識は身についた。ここでもSMTPをLinux上でシミュレーションしてみたくなり、こんどはperlを習得しようと思ったがやっぱり(ry
今はExchangeを扱ってる部署で働いてる。ここではExchangeメールのメタ情報をMySQL上で扱ってるから、SQLのSELECT文くらいは見よう見まねで使えるようになってる。
そんな俺も部下を持つようになり、デスクワークの時間が増え、比較的自由な時間が持てるようになった。そんなときにはてブでみかけたCoursera(https://www.coursera.org/)で本当に偶然に「初心者のためのプログラミング」というコースを見つけた。
Programming for Everybody
https://www.coursera.org/course/pythonlearn
コース自体は英語だが、別に教授と会話するわけではないし、Python文法以外は条件分岐や繰り返しといった過去に挫折しながらも知識としてだけはぼんやりと覚えていたことの繰り返しだ。英語が少しくらいわからなくても、図を見ていれば何を解説しているかくらいはわかる。
結論から言えば、このコースを受講したおかげでいままで断片的に持っていた知識 -単語だけは知っていた「オブジェクト指向」、「条件分岐や繰り返し」「アルゴリズム」などなど- がパズルのピースのようにかっちりと組み合わさり、Pythonが難なく習得できた。いままでにシェルスクリプトやCに挫折したのがウソのようだ。Linux、HTTP、SMTP、SQLといった周辺知識も余すところなく役に立った。何のことはない、Pythonの標準ライブラリを使えばHTTPやSMTPのシミュレーションなんて簡単にできたのだ。以前トラブルシューティングで夜中まで手作業でちまちまやっていた作業は、全部Python一発で解決したんじゃないか。
このコースをきっかけとして、俺の人生(といってはおおげさだが)が大きく変わった。小さいところで言えば、自宅PC上でバックアップにつぐバックアップでわけのわからなくなったフォルダ構造の中から、同一のファイルを探し出し削除できるようになった。(傍から見れば何を大げさなと思うかもしれないが、ここ10年くらいの俺の中で最大の懸案だったのだ。)仕事でも日次で発生する業務をバッチ化したり、繰り返し発生する手作業を全部Pythonで自動化した。(経営陣へのレポート作成とかそんな類のものだ。)おかげで残業どころか定時前に帰宅できるようになり、自由な時間はさらに増えた(笑)
ひとつ言語を習得してしまえば、あとは同じことの繰り返しだ。増えた自由時間を利用して、いまはPHP、JavaScript、jQueryを身につけて何かWebサービスを立ち上げようと目論んでいる。出来上がったら、またここでそれまでの道のりを紹介したいと思っている。
こんなことが自分の身に起こるとは、1年前の自分には想像すらできなかっただろう。それまでは「Webサービス」なんて言葉は自分とは一切縁がないと思っていたから。
欲を言えば10年前、いや5年前でもいいからこのコースに出会ってPythonを身につけていたら、今とはまったく違った人生を歩んでいたかもしれない。
コースを開講した教授との相性もよかったのだろう。彼の人柄にも好感をもてたし、「for Everybody」というだけあって、非常にわかりすい説明だった。英語だということを差し引いてもこのコースはおすすめだ。
たくさんのコメントありがとう。こんなチラ裏の文章がホッテントリ入りしてかなりびびっている(笑)
いくつかのコメントに返答したい。
こういう反応があることは投稿したときに予想はしていた。だが、何がきっかけでプログラミングを身につけたのかを具体的に書かないと、何の役にも立たない本当のチラ裏になってしまうので、コース名を書くことにした。だがこのコースをはてブで見つけたのは単なる偶然だ。このとき見つけたのがドットインストールのRuby講座だったら、Coursera→ドットインストール、Python→Rubyになっていただけのことだ。ここで言いたかったのは、断片的でも一度触れたことのある知識は後になってどこで役に立つか分からない、ということだ。Steve Jobsも言っていたが、「人生を振り返ったときに点と点をつなぐことはできるが、その点がなんの役に立つかをあらかじめ予想することなんてできない」ってやつが自分にも起こった、それだけのことだ。
なお、Courseraのこの教授は自分の授業内容をすべてオープンにしている。http://www.pythonlearn.com/ 教科書さえもここで無料で手に入る。Courseraに登録するのに抵抗があり、自習上等という人はここで俺が受けたのとまったく同じ内容を確認することができる。ちなみに授業はすべてYoutube上で公開されている。
これについてはまったくその通りだ。ただ、もう新たな言語を覚えることにまったく抵抗がなくなったのと、PHPとRuby on RailsがWebサービス界ではメジャーらしいので、とりあえずPHPもやってみよう、くらいの軽い気持ちで思いついただけだ。ひょっとしたら実際にはPython+Djangoとかで開発するかもしれない。
シュレッダーに不具合はないか全部点検するのは、かなり時間がかかるし、重労働だ。
この日は動きやすい服装で出勤することになっている。
去年入った新人がどんな動きやすい服をチョイスしてくるか期待していたのだが、着てきたのはドンキホーテに売ってるような繋ぎだった。
その服装ではパンツの柄がチェック出来ないではないか!
一日逃さずチェックしてきたのにどうしてくれる!
そんな服装で仕事するなんてふざけるな!
昇給氏は目を疑った。
繋ぎだったよな…
そして、すぐさまチェック表に記録した。
紐パンティウスよ。
今まで君がパンツの柄をチェック出来ない服を着てきたことがあったか?
俺は君がパンツの柄をチェック出来ない服を着てきたんじゃないかと疑った。
情けない。
俺をグーで殴れ。
チョキで目に突き刺せ。
パーで叩け。
それでも許せなければ、その紐で俺の首を絞めろ。
お尻で潰せ。
そして、オメコを顔に押し付けろ。
殺すな。
殺したら昇給出来ない。
半殺しにして下さい。
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
つい先日のことだ。パラパラと大粒の雪が降る夜、高そうな中華料理屋の奥にそいつが座っていた。
ダボダボの服に、ふてぶてしい座り方、室内だというのにかぶったままのニット帽子、帽子からこぼれるくしゃくしゃの髪。
まるで窪塚洋介だ。だからこれからそいつのことをクボヅカと呼ぶ。
クボヅカは、僕を見るなりこういった。
「けいちゃん(仮称)かーwwはっじめましてーーwww」
先に断わっておくが、僕はシスコンではない。
まぁ確かに一般的に見ると美人なほうであったし、同級生からも紹介しろ紹介しろとうるさく声をかけられるような姉であった。
しかしなんといっても性格が最悪。気が強くて乱暴でがさつで、幼いころから喧嘩ばかりしてた。
また思春期になると顕著になったお互いの差、リア充な姉と文学オタクな僕の馬が合うはずもなく、ある時期を境に家庭内ではほとんど会話していなかった。
それに僕は25歳で姉が27歳、そりゃまぁ結婚する歳だし、姉が結婚することに驚いているわけでもないし、ましてや兄弟を取られたなんて感傷で批判しているわけじゃない。ただ、ただクボヅカが家族の一員になることが嫌なだけだ。
だって考えて見てくれ。
初対面の義弟をちゃん付けで呼ぶだろうか?
ハッピーwwだとかピースwwだとかそんな頭の悪そうな単語を会話に混ぜるなんてあり得るだろうか?
僕の印象はほんと最悪だった。美容師だかなんだか知らないけど、礼儀知らずな奴だなと思った。
だから同じようにうちの親、特に父なんかはきっと印象最悪だろう。
そう思って、両親に目をやったら、少し緊張しながらも始終ニコニコしていた。
ウソだろ。信じられない。相手の無礼をなじり、不機嫌そうな対応でもいいのに。
クボヅカは楽しそうに偉そうに、自分の生い立ちや仕事のことを語った。
高校卒業後俳優目指して東京に行き、劇団で大道具スタッフ兼演者をしていたこと。
そこで英語を覚えたこと。
だから会話についつい英語を入れてしまうこと。アメリカで見たり聞いたりしたこと。
店のコンセプトは80年代風のクラシカルな感じを少しモダンにしたい等々。
よくもまぁ自分のことをそこまでペラペラ語れるもんだなと、口数の少ない僕はいつも以上に黙って聞いていた。
自分のことを雄弁に上から目線で話す、僕はこういうやつが大嫌いだ。
自分を大きく見せたい、承認してもらいたい、そんな願望が丸見えだからだ。
そんな僕とは対照的に父も母もクボヅカの大変楽しそうに興味深そうに話を聞いてた。
そんなもんなのかね、イマドキの顔合わせっていうのは。もっと緊張感があるもんだと思っていた。
父よ、美容師だからって気を使う必要はない。帽子を外せって怒ったっていいんだよ。
「けいちゃんもさー。いろいろあると思うんだけど、まぁ仕事なんてなんとかなるって!俺なんて……(以下自分語り)」
何を偉そうに、いったい僕の何がわかるっていうんだ。
仕事を辞め、公務員試験も落ちて、転職活動中の僕のいったい何を知ってるというんだ。
こうやって中華料理屋では始終イライラしていたわけだけども、この後、クボヅカに対する僕の印象がガラッと変わる出来事が起きた。
それは会食後、オープン準備中だというクボヅカの店に行った時のことだ。
小さなエレベーターしかなく、両家が乗るには二回に分ける必要があった。ぎゅうぎゅうのエレベーターを抜けたところ、
「オープンザドアーww」
そう言いながらクボヅカはお店のドアを開けた。
そこで店内の様子を見た僕は思わず息を呑んだ。
柔らかい間接照明が適度に置かれていて、冬の寒い夜に見たにもかかわらず、とても暖かい気がした。
金属部分が露出しないように全部木枠などをはめており、エアコンにもしっかりと木製のカバーがはめられていた。
床こそコンクリートの打ちっぱなしだったが、冷たい印象を与えないようにか半分だけアイボリー色のペンキが塗られていた。まだ作業途中のようだ。
水道の配管やシャワー台の設置は業者に頼んだようだけど、それ以外は全部自分で大工のように板を切りくぎを打ち、作ったとクボヅカは誇らしげに語った。
「もともと企業の事務室だったところを作り変えたから、いろいろ手間かかったわww絨毯はがすのに一週間はかかったww」
こんな手間のかかりそうなことを一人で黙々とやったのか。
丁寧に一つづ、鏡やテーブル、エアコンの木枠まで自分で作ったのか。
一週間も床をはがす作業をあきらめずに行ったのか。
クボヅカのあの偉そうな上から目線の態度も実はこういう地道な努力から裏打ちされたものかもしれない。
そう思うと、なんだかクボヅカに親近感を覚えた。
全然違うタイプの人間かと思ったけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。むしろ尊敬できるかもしれない。
僕は今まで見た目で決めつけていたことを恥ずかしく思った。
クボヅカは、換気換気―wwといって美容室の窓を開けた。冷たい冬の空気が入ってきた。
僕はクボヅカに話しかけようと思った。もっとこちらから話しかけて仲良くなろう、そう思った矢先、クボヅカは窓の外を見てこういった。
だめだ、折り合えない、クボヅカはクボヅカだった。リア充はビックバンしろ!
やはり心の底からそう思った。
はじめの3年は先生に師事した。個人ではなく企業の音楽教室のやつ。
まずこれがいけなかった。レッスンは30分だったんだが、そんな短い時間では何もならない。
初回は先生が「レに向かってド ♯ド レってやるとジャズっぽいです」とかリズムは裏拍を意識して~とか始まって
「じゃあやってみましょう!」とか言われて「は?」となる。
何をやるかって当然アドリブで何故かJAZZ界ではアドリブをするのに「アドリブをとる」と言う。何故取る(執る?)なのかは今でも分からない。
今思えばいきなり「じゃあやってみましょう!」も仕方ないことだと思えるが当時はアドリブが出来なくて出来るようになりたくて教室に通ってるのにいきなりヤレと言われても・・・と思った。
これは音楽関係者が言うアドリブと一般人が思うアドリブの認識の差によるから起こる。
一般人が「あれアドリブでやってんだぜ~!」という時のアドリブって何か天から音楽が降ってきてそれを楽器で奏でてる。まさに湧き出る泉のごとく・・・みたいな?
音楽関係者のアドリブって言葉の意味は「予め用意されたピース」を継ぎはぎする作業で一部予め決めてない部分があるからアドリブという。
この予め決めていない部分が多ければ多いほどアドリブ初心者と言う。
そう。音楽でいうアドリブってやる前から殆ど決まってる。その決める事項、決めない事項が人それぞれ違いそれが個人差、特徴となる。
これが初心者はまず理解できない事が多い。「決めるって何を?どう?どうやって?」ってなる。
それを理解するにはコード、スケール、ジャズの理論、ジャズの特徴的なフレーズが分からないといけない。
でもそんなの短いレッスン時間じゃとても教えてられないしデスクワークなんで嫌いな人はすぐ嫌になっちゃう。「俺は楽器で弾けるようになりたいんだ!」「理論はいいからジャズを弾けるようにしろ!」こうなる。てか俺がそうだった。
少しアドリブできるっぽい中級者だって「予め決められている」という事を理解しない人たちも多い。
「こんなカッコいいJAZZが弾けるようになりたいな」からいつのにか「俺のJAZZができればいいんだ」に変わってる。それは多分JAZZじゃない。カッコよくもない。
どうしてカッコよく聴こえるのか?なんでJAZZっぽいのか分って演奏したいならコードスケール理論はやらないと分からない。これは初心者のうちからやるべきだと思う。
もー勉強したくねーってならひたすら名演奏のコピーしかない。で、演奏の前に「~~風にしか弾けません!」「このCDと同じでお願いします!」これしかないしアドリブではないがそれもアリなんだと思う。
とにかく演奏の前になるべく多くフレーズや理論を準備して臨めるかどこまで予め演奏を決められるか、その上で天から音が降ってくるのを待つ。奇跡が起きると本当に嬉しい。やってて良かったと思う。