はてなキーワード: タブーとは
自分がゲイだとカミングアウトするから受け入れてくれっていうのはまぁわからんでもない。
でもそれを気持ち悪がるなっていうのは無理があるでしょ。
普通に考えて、エロオヤジが「ワシはおなごがすきじゃぁ」なんていってたら気持ち悪いし、ドラマやアニメなんかでは成金悪徳野郎っていうイメージを植え付けるためにもよく使われる。
ひな壇番組の芸人が「こいつよくピンサロ通ってる」と言われたら、会場から女性の「きゃー」っていう声と芸人の笑い声が入る。
クレヨンしんちゃんのオカマは笑いもの?それと同じぐらい男女コンビのラブラブカップル「みっちーとよしりん」だって笑いものなんだよ。
・「家康と井伊直政はそういう関係だった」ってのは歴史上の事実とする説が存在しているが
従来の大河のようにそういうのをタブーとして無視するのではなくちゃんと取り入れて描いた
・作中人物も皆衆道はごくあり触れた事と受け止めている(特殊な変態がやる事と言うニュアンスはゼロ)
・直政の方はかなり動揺していたが、これも「男同士だから嫌だ」というより
「いや例え直政が女だったとしても15歳のSJが夜伽に呼ばれてオッサンに迫られたらそりゃ緊張するし後ずさりくらいしたくなるだろ、
同じように直政は衆道自体に理解はあるようだがそれでも15のDTが以下同文だろ」と思える
・結局の所(恐らく)何もやってないんだが、それも「家康は変態ホモじゃないもん」的な文脈ではなく
「(この話の)家康は妻の瀬名の尻に敷かれていて側室持つのも消極的な人だから
子作りの為という理由もない男と浮気なんてせんだろう」と理由付け出来る
これと「そういうのに知識や理解がない視聴者も楽しませなければならない」
「20時(前回は選挙のせいで19時)台にNHKで流せる、子供も見るドラマとして相応しい内容にしなければならない」
という条件を満たすという難しい仕事を成し遂げたんだから凄いわ。
病院に行ってわけのわからない年寄りを見ると、しばしばその人たちを薬漬けで生かす意味があるのか考えてしまう。
それでなくても年金や介護費用なんかで財政が切迫している現代だし、そこにお金をガンガンまわす必要性が疑問だ。
しかし、誰が得をするのか考えたときに、真っ先に出てくるのは病院側とか政治家なわけで。
生かされている老人たちが退屈しのぎに選挙に行って入れる票で政治家は当選するのだから、政治家は彼らを厚遇しなければならないし、国として変わることも当分ないだろうという気がする。
今まで沢山の人に容姿を褒められたり告白されてきたし、学校祭で選ばれる『ミス○○』では毎年1位(学年別)だった
背も高くて足も長い、ウエストも細くてスタイルだって良い方だと思うし普段から努力もしてる
影で可愛いとか美人とかエロいだとか、そういう風に言われてることも知ってる
それはまぁ良いとしても、不細工な人に可愛いって褒められた時の返答に正直すごく困る
相手が普通の容姿なら謙遜しても何とも無いけど不細工な人の場合自虐?みたいな事言い出すからしんどい
慰めようにもお菓子バクバク食べてたり弁当も胃もたれしないの?なくらいの高カロリーだったり
他にも運動一切してなかったりととにかく「自分を磨こう」という意識が無い
そんな人相手にお世辞でも「○○ちゃんも可愛いよー」とは言えないし上から目線で「もっと努力してみたらー?」とも言いづらい
結局苦笑いしちゃう事が多くて、オマケに男子に結構モテる私を嫌いな女子がどんどん増えていった
確かに私の性格は良いとはいえないし万人に好かれるようなタイプじゃないのも自覚してるけど……
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保毛尾田保毛男を擁護している人に聞くが、ではどういった内容は放送に適さないものだろうか。
出自(部落・在日)、宗教(創価・統一・幸福)、皇室、障害者などだ。
ニュースでは扱えてもバラエティ番組でこれらをネタにしたりいじるのは絶対に不可能だ(障害者はNHKが頑張ってるけど)。
たとえばこんなコントはどうだろうか?
在日朝鮮人の「キム山キム男」とか
おつむの弱い「知枝オクレ」とか。
1秒で絶対に放送できない、くらいの判断は誰にでもできるはずだ。
(例に挙げられているのがつまらない?「保毛尾田保毛男」を楽しめる感性はあるのに?)
結局のところ保毛尾田保毛男は前出の圧倒的タブーに比べれば弱めであまり怒られそうもない同性愛者をネタにしているにすぎない。
それも30年前の当時の状況がそうだっただけで、そこから1秒も改まっていない時代遅れの状況認識なことが今回露呈したわけだ。
それは、「容貌の美しい男」だ。似たような言葉にイケメンというフレーズがあるが、あの言葉ほど男の美貌の価値を貶めるものはないと思うので、私は絶対に使わない。
そう、容貌の美しい男だ。今の世の中がブスを排除する仕組みが精巧に作られているのと同じように、容貌の美しい男も社会の表舞台では生きることができない仕組みになっている。
男性の草食化が進み、男が女に対して経済力や甲斐性を求めるようになった。そして今現在は、女性の社会進出施策がこれから更に加速されつつある状況だ。つまり、男性の草食化と女性の負担増加は今後も更に進むということである。男は女を守って当たり前、男は女よりも稼いでいて当たり前という社会通念は近い未来に消滅することであろう。
そもそも「男社会」の正体とは、社会全体の半分を占めている男たちに経済力や社会的地位を無理やり与え、下駄を履かせ、社会的弱者である女たちを守る責任を課していた体制だ。その体制が女性の社会進出施策によって無力化されてしまった以上は、男は女を守る大義名分がないし、甲斐性も持つ理由が無い。
今、女子高生や女子大生の間で、「就職する時は総合職と一般職、どちらがいいのか」という論争が起きているらしいが、一体何寝言を言っているのか。そんなものは、総合職一択に決まっているだろう。その理由はただ一つ。一般職で働く女は、男から恋愛対象外、結婚対象外に区分けされるからだ。女子高生や女子大生たちは、自分らと同年代の男たちが女に何を求めているのか、を考えたことがあるのだろうか。総合職として就職し、自分自身が一家の大黒柱になるという覚悟が無さ過ぎる。その意味においては、日本の少子化の責任の大半は女にある。
もちろん男だって高い代償を払っている。女性の社会進出施策によって、社会は大きく変わってきている。一番の変化は、女が男の容姿を品定めすることがタブーでなくなってきているのだ。その結果、容姿の醜い男は非常に生きづらい社会になった。今の中学・高校はすごいらしいね。女子生徒が容姿の悪い男子生徒を平気でいじめているらしい。昔の日本では考えられないよ。まあ、これについては男社会の長い歴史の中で、ブスの人格を否定し続けてきた男たちの自業自得かな…。
前からずっと思ってるんだけど春樹ってノーベル賞向きじゃないんだよね。
小説家としては当然一流だと思うし、いくつか気に入ってる話もあるよ。でも「ノーベル賞」となると話は違う。
そもそもノーベル賞ってのはノーベルの遺言に基づいて運営されているわけで、その遺言というのがこんな内容。
https://www.nobelprize.org/alfred_nobel/will/will-full.html
...the interest on which shall be annually distributed in the form of prizes to those who, during the preceding year, shall have conferred the greatest benefit to mankind. The said interest shall be divided into five equal parts, which shall be apportioned as follows: one part to the person who shall have made the most important discovery or invention within the field of physics; one part to the person who shall have made the most important chemical discovery or improvement; one part to the person who shall have made the most important discovery within the domain of physiology or medicine; one part to the person who shall have produced in the field of literature the most outstanding work in an ideal direction; and one part to the person who shall have done the most or the best work for fraternity between nations, for the abolition or reduction of standing armies and for the holding and promotion of peace congresses.
(超適当訳)
遺産の利子は毎年、前年に人類に対して最大の貢献をした者に与えなければならない。利子は5等分して以下に与える。物理学分野で最も重要な発見・発明をした者。最も重要な化学的発見・改善をした者。生物学・医学分野で最も重要な発見をした者。文学分野で最も素晴らしい理想的方向の著作を残した者。国家間の友好や軍隊の廃止・削減、平和の維持・推進について最大の業績をあげた者。
ポイントは太字にした2箇所で、
"in an ideal direction"については解釈が難しいところで、上では「理想的方向」とか直訳したけど、実際には文学傾向が「理想主義」である作品のことを指す、と解釈されてる。
ノーベル財団でも何が「理想主義」の条件を満たすのか延々と議論しているけれども(https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/themes/literature/espmark/)、少なくとも「人類に対して貢献」という条件やら、他の賞のチョイス(物理学、化学、医学・生理学、そして平和)から、まあだいたいノーベルが文学賞に対して何を望んでたのかは察せられるよねって話。
それを踏まえて、これまでのところ、ノーベル財団はおおよそノーベルの意図をそのまま汲んで受賞者を決めていると思う。
前回のボブディランはプロテストソング(反戦や体制批判を歌う曲)の旗手。
前々回のスヴェトラーナは言論統制下でチェルノブイリ事故の証言を集めたジャーナリストだという。
もっと遡っても、やっぱり反戦とか人種問題とか、タブーに切り込んで何か描き出したみたいなのが明らかに多いんだよね。
財団は、そういうことをはっきりとは言ってないんだけどさ。
それで春樹って、何を書いたの?
確かに面白い。人気もある。売上も出した。人間の業や本質を描いている面もある。
でもそれって、ノーベルの遺志とは実は全然関係ない。ノーベル賞と文学アワードは違うってことを、いつになったら春樹ファンは理解するのかな。
(追記)
○○は理想主義的ではないけど受賞したじゃないか、というコメントが多い。
確かに、個々を見ると例外的な人もいるが、全体的な傾向としてはやはり反戦やら何やらに「偏っている」のは確か。
されに上で挙げたノーベル財団のURLをgoogle翻訳しながら適当に読むと、選考委員の中でも「理想主義的」の定義が揺れまくっていて、時代により選考基準が動いてきていることが丁寧に語られている。
その意味では、例外枠として春樹が取るか、選考委員の「理想主義」の定義がまたちょっと揺らいで春樹的⊆理想主義的になったタイミングで取るというのはありえるかもしれないね。
あとスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチをスヴェトラーナと書いた件で突っ込まれた。うんごめん。この人のことは良く知らない。
作る気ないんなら「そういう夫婦なんだなー」って思うし、「欲しいんだけどね」って苦笑まじりに言われたら「あー、まぁ色々大変なんだろうなー」って思うから。
あとはそもそも他の人の子作りの話題出して平気なのかとか。独り身の前で彼氏彼女の話がタブーだったりするのと同じ感じで。
あー、あと妊娠育児の可能性があるやつをどこまで遊びに誘えるのかとかそういうのもある。その時は「結婚するの?」とか「旦那の転勤付いて行くの?」とかと同じ感覚で聞いてる。多少重い話になるのは見込んでる。相手と自分の関わり方が変わる可能性があるかもだから。
それとあと女に多いのは質問のフリした命令だよな。作れよ的な。作んないお前はバカなのか的な。それはまともに相手するだけ無駄なのでさっさと違う話題に移行しようず。
つーわけで別に全部の質問にガチのガチで答えなくっていいと思う。質問の意図が分かったらそれに合わせて答えりゃいいし。面倒臭かったら回答拒否って手段もあるしね。(「さぁね、そっちはどうなの?」って聞き返したりとか)
まぁなんだ、そんなに怒んないでくれ。
故有って、2週間ほどいわゆる少女マンガの人気作品を読み漁っていて、気づいたことがある。
ティーンターゲットの少女漫画誌の中には、性的に過激なものもあったりするとは聞いてはいた。
登場人物たちは頻繁に、強引にキスされたり関係を迫られたりと大忙しで、小学生も読む可能性あると考えるとハラハラだなと最初は思ったのだが、
物語を追っていると、性的に奔放な登場人物でも、実際にセックスするまでにはかなり引っ張るということに気付いた。
まぁでもこれは少年マンガでも同様で子供ターゲットならではの「セックス」を物語のエンジンにする方法だと思う。
それと、もう一つ、多くの場合、二股や不貞に関してはかなり高いハードルが保たれていることだ。
主人公たちは、学校の先生や兄妹やら、割と社会的タブーが強い恋愛にも積極的にのめり込んでいく。しかし浮気や二股には妙に厳格である。
その他の恋愛タブーについてのオープンさに比べると、不思議なほど二股ハードルが高い。
胸キュン至上主義の少女マンガだけに、主人公のカップルの双方に必ずライバルが出てきて誘惑するのが常だが、
これらの「お、浮気か」シチュエーションは、あくまでも主人公カップルの「美しい恋」を引き立たせるスパイスでしかなく、
ライバルたちと実際に一線を越えることはほとんどない(全部読んでるわけじゃないから分かりませんが)。
ライバルたちは、ちょっとそれ犯罪なんじゃレベルの誘惑をした後でも、それによって主人公たちがグラグラと欲に揺さぶられたとしても、
なんでやねんと思わずツッコんだ。関西人でもないのに。そこまでえげつないことなってるならもう最後まで致したりーや。である。
「友達の彼」という、もろ浮気シチュエーションのテーマも、少女マンガには頻出するのだが、
これも「友達と片思い相手が付き合っている期間中」に、片思い相手と行為(キスや抱き合ったりなど)が行われることは原則は無いように思う。
有りのケースはただ一つ、「片思い相手が本当は主人公が好きになっていて…辛抱溜まらんくなって」というシチュエーションで、
上に述べたライバルと同様、胸キュン欲を掻き立てるための「物語のスパイス」である。ライバル視点というか。
面白いのは、「胸キュンのスパイス」である浮気シチュエーションにおける「辛抱溜まらなさ」が、
彼女たち(主人公、片思い相手、ライバルなど)にとって、地球破滅レベルの罪悪感として描かれがちなことだ。
作品によっては、このまま出家するのでは、断頭台の露となるのでは、というレベルで深刻に苦悩する。
ちょっとキスされそうになったぐらいでなぁ、お前ら普段はかなり奔放なくせに、妙にカマトトぶりやがって。
少女マンガは基本的に夢と胸キュンの世界な訳で、リアリティに立脚してツッコむなんて愚の骨頂でしかないのだ、解ってはいるのだが、
バランスが悪くてつい気になってしまう、これって、何が理由なんだろう。自主規制があるんかな。乳首描写NG的な感じで二股はNGとか?
そして、そうじゃない(主人公がシモが緩い)少女マンガの名作があるならぜひ読んでみたいので、少女マンガに詳しい増田がいたらぜひおススメください。
何となく、一昔前に流行ったケータイ小説的な、援助交際モノみたいなジャンルとかあんのかな。なにしろ少女マンガ業界に全く明るくないので分からないのです。
老後が不安で貯蓄するから老人がお金を使わないなんてあほらしすぎる。
というか、高齢者が減って若者が経済を引っ張るようになる&将来嫌になったら安楽死できるという環境になれば自然と少子化は改善する可能性もある。
ここから下は余談
これだけ少子高齢化が進んでいるのに、議論されず先延ばしにされるのは異常なことだ。
政治に興味のない国民、それを作り上げる教育、政治に触れないことをよしとする(政治的発言をタブーとする)社会、どれも異常なのに、変化がない。
そうした方が政治家や経営者など上に立つ人間にとって都合が良いからだろう。
この国の国民の多くは自ら権利を求めることもせず、誰かのいいなりになって、平和を唱えて現実から目をそらし続けていれば問題など起きない、あるいは自分の責任にはならないと思っている。
日本人は中国や韓国が芸能やアニメなどの文化交流に政治を持ち込むのを白眼視するが、日本も逆の方向にいきすぎていることに気づいていない。
政治的すぎることよりもむしろ、政治的じゃなさすぎることの方が問題だ。
何かそういった「政治と関係ない(とされている)もの」に没頭していれば、政治のことなど考えなくても良い社会になっているからだ。
それなのに政治に、国づくりに参加しようとしない。
これで自分たちのことを考えた制作が行われると思う方が不思議である。
責任をとるのがいやならば海外に出て行くしか無いが、どこにも問題はある。
結局、国をかえても人がかわらなければ意味がないのだ。
安倍首相が、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と憲法記念日のビデオメッセージで発言したことが、改憲論議を活発化させている。
安倍首相が改憲の焦点として挙げているのは第九条だ。また、第九十六条を改正して改正発議要件を緩和すべきという議論もある。しかし、第二条をめぐっては、天皇の退位の問題に関連して言及されることはあっても、改正すべきという議論は聞こえてこない。しかし、第二条ほど改正を必要とする条項は他にないのではないだろうか。
問題は、皇位を世襲のものとしている点だ。世襲制度の採用が合理的か否かはケースバイケースだが、現行の天皇制が世襲制度を維持することに、果たしてどんな利点があるのだろうか。むしろ弊害のほうが大きいのではないか。
本稿は、皇位の世襲制度は廃止すべきであるという立場から、この問題を論ずる。
日本国憲法第二条が定めている皇位の世襲制度には、次の二つの点で瑕疵がある。
以下、詳論する。
ワタミフードサービス、電通、ゼリア新薬、ベネッセコーポレーション、LDHのような、長時間労働の強要、洗脳、退職勧奨、暴力行為といった、社員に対する人権侵害が常態化している企業は、「ブラック企業」と称される。企業の社員とは言えないが、天皇が置かれている境遇もまた、あたかもブラック企業の社員のごとく、人権侵害が甚だしい。
天皇に対する最大の人権侵害は、職務の過酷さだ。天皇の職務が過酷だと思わない者は、所功『天皇の「まつりごと」』を読むとよい。そうすれば、天皇の仕事量がいかに膨大であるか理解できるだろう。
信教の自由を奪われていることも、天皇に対する人権侵害の一つだ。天皇が信仰を許される唯一の宗教は神道だ。明治維新までは仏教の信仰も許されていたが、それ以降、天皇が仏教に帰依することは暗黙のタブーとなっている。
天皇の職務の過酷さも、信教の自由の侵害も、その原因は世襲制度だ。天皇の職務が過酷であるのは、天皇という一人の人間に二人分の職務が課せられているからだ。すなわち、国家の機関としての天皇が果たすべき職務と、祭祀王としての天皇が果たすべき職務は、それぞれが一人分の仕事量に相当する。天皇が信教の自由を侵害されているのも、天皇が祭祀王を兼任しているからだ。
皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する(後者の呼称は「天皇」以外のものに改称されることが望ましい)。天皇が二名に分離すれば、職務の過酷さの問題も、信教の自由の問題も解決する。新たな制度における国家の機関としての天皇は、宮中祭祀の重責から解放され、信教の自由も獲得するだろう。
余談だが、現行の天皇制において人権を侵害されるのは、皇嗣として生まれてきた者のみに留まらない。その者の配偶者もまた同様だ。
皇嗣の配偶者になることは自身の自由を放棄することだ。誰が喜んでそんなことをするだろう。雅子さまも、本人の意思によって浩宮さまと結婚されたわけではない。Newsweek誌は雅子さまをThe Reluctant Princess(不承不承のプリンセス)と呼んだが、この言葉は彼女の身の上に何が起こったかを的確に表現するものだ。来る悠仁さまのお后選びでは、このような悲劇が繰り返されないことを願いたい。
子供は親のクローンではない。ゆえに、鳶が鷹を生むこともあれば、逆に鷹が鳶を生むこともある。世襲制度を厳格に運用した場合、もしも生まれてきた者が鳶ならば、鳶が何らかの地位を継承することになるが、これは悲劇を生む蓋然性が高い。
次のような事例がある。
https://twitter.com/osakadenshi/status/863981952474300416
ウィキペディアによれば、この学校がこれまでに輩出した卒業生の数は3万人だそうだ。しかし、現状がこれだとすると、4万人に到達する日は永遠に来ないだろう。
この学校が急激に衰退した原因は、世襲制度だ。生まれてきた者が鷹ではなく鳶だった場合は、どこかから鷹を連れて来て禅譲すべきだった。世襲制度に拘泥した結果がこの悲劇だ。
現行の天皇制もまた、鳶が皇位に即く危険性と無縁ではない。皇位の世襲制度に固執し続けるならば、日本はいつか、鳶が天皇に即位する日を迎えるだろう。天皇が庶民の前に姿を見せる必要がなかった時代においては、鳶であろうと雀であろうと問題はなかったかもしれないが、象徴天皇制における天皇が鳶に務まるかどうかは心もとない。
皇位の世襲制度を廃止すべきという主張に対して、おそらく保守派の人々は、「万世一系の血統」乃至「皇室の伝統」というような議論を持ち出すだろう。しかし、国家の制度において血統や伝統を維持することにはいかなる合理的な必要性もない。さらに、皇室の伝統には宮中祭祀という宗教的活動が含まれているが、これは憲法第二十条に規定される政教分離に抵触しているおそれがある。
おそらく日本の国民の大多数は、皇室が保有している血統や伝統にはいかなる価値もないという主張には賛同しないだろう。ゆえに、それを維持すべきであるという主張にも一定の合理性がある。しかし、何らかの組織が血統や伝統を維持するために、それが国家の機関であることを必要とするだろうか。血統や伝統を維持している民間の組織は枚挙に遑がない。
「皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する」と上で述べたが、それらが分離されたとき、それと同時に皇室は民営化されるべきだ。そうすれば、憲法第二十条に抵触することなく宮中祭祀を維持することができる。
本稿の目的は、皇位の世襲制度は廃止すべきだと主張することであり、それに代わる制度について述べることは本稿の目的ではない。しかし、世襲制度に代わる制度について、付論として筆者の見解を述べておきたい。
世襲制度に代わる制度としては、公選制度が望ましいとする意見が出されることが予想される。しかし筆者は、皇位の公選制度には反対だ。その理由は、天皇の人選には反知性主義的な見解が反映されるべきではないと考えるからだ。天皇は、今上陛下がそうであるごとく、正しい歴史認識を持つ者でなければならないが、公選制度によって選出された天皇がその条件を満たすとは考え難い。
世襲制度に代わる制度を設計する上で参考となるのは、元号の選定の制度だ。なぜなら、元号の選定もまた、反知性主義的な見解を避けなければならない制度の一つだからだ。元号は、漢文学や国文学関連の有識者が候補を考案することになっていて、決して一般公募ではない。しかし、これに対する異論は寡聞にして知らない。大多数の国民はDQN元号やキラキラ元号を望んでいないからだろう。
「財閥が資産を分散せず豪族を形成するために近親婚を繰り返させる」ことが社会的にまずいのは分からんでもないが、「そのため、意に沿わない一族内結婚を強いられる人がでる」という理由は、現に「意に沿わない一族外結婚を強いられる人」が出ている現在において、是とはしづらいだろうな。
まあ、財閥内においても、近親婚されたら逆に「縁戚関係を広げるチャンスが失われる」から「近親婚をさせない」という発想だってあり得るだろうし、どうせ財閥同士が巨大に結びつくことを社会学的に禁じる方法なんてないんだから、そこは心配しても同じなような気がするなあ。
近親婚、問題あるとすればせいぜい「発想がヒキコモリのそれ」ということぐらいかなあ。つまり世界が狭い。とはいえ、まあ狭い島国に引きこもって同質な民族内での婚姻をひたすら繰り返してきた国の人間がうだうだいっても、そもそもの説得力が低いつーのはある。むしろ、王族からしてそういう婚姻繰り返してきたこの国で、それでもインセストタブーが感覚的に正しいとされてきた理由はなぜか、そこを問うてみた方がよいと思う。
なるほど。先天障害の発生確率が理由であれば、近親婚だけでなく高齢出産等のハイリスクな出産も禁止されなければいけなくなるはずだが、
後者は禁止されていない以上、近親婚だけをタブーとするのは「妥当性のない社会常識」にとらわれている、という理路は理解できた。
敢えてこの枠組みで反論すると、近親婚で生じうる先天障害と高齢出産等で生じうるそれとは、必ずしも同じ障害ではなく、
単純比較はできないという点はあると思う(例えば障害等級のように障害度合いを数値化すれば比較可能になるかもしれないが、
それはあくまでも社会運営上の便宜的な定義なので、本質的ではない)。
先天障害の発生確率が上がるから近親婚も高齢出産もどちらも禁止、というのは優生学そのもので、現代の社会では受け容れられない。
一方で、近親婚も高齢出産もどちらもOKとしたら、近親婚でかつ高齢出産というパターンも出てくるはずで、本人達が望まなくても
そうなってしまう可能性のある後者を禁止するより本人(あるいは周りの人間)の意思で決められる前者を禁止するのは妥当性が
あるのではなかろうか?
遺伝的なことだとかいろいろ要因はあるけども、とりあえず現状としては全世界的にタブーとして認識されてる。
つまり常識であり伝統であり慣習であり、実体はないけど強制力を持つもの。社会を規定するもの。
タブーとされてることをひっくり返すにはそれ相応のエネルギーが必要でメリットがないと無理。
受益者が多数いるとか現在進行形の人権侵害をなくすだとかそういう感じのこと。
近親相姦はというと、これを認めてタブーを打ち破って常識を変革して、
その労力に見合うメリットがあるかというとたぶんないんだよね。
そのうち自然に変わるかもしれないけど数十年後か数百年後か。