はてなキーワード: タブーとは
女のブスは存在そのものが社会の最底辺・タブー・存在していてはいけないモノなので、女のブスを笑い話のネタにすることはシャレにならない。しかし、男の不細工に関してはそうはなっていない。男は女と比べて社会的強者であり、男の不細工は女のブスよりも何倍も恵まれた存在であることから、男の不細工はネタになりやすかった。しかし、今後女性の社会進出が更に進むと、男の不細工も笑えない時代になるのではないか。
今テレビに出ているお笑い芸人なども、女性視聴者たちの心の中では「いなくなってほしい」と思っているのかもしれない。冷静になって考えてみると、男の不細工は存在が許されて、女のブスは一切排除するというのは平等ではない。どちらも出すか、どちらも排除するというのが本来のあり方ではないか。
確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争を連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。
……のであるが批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである。
(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)
憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリー・ポリス”を有している。
フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般の警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である。
……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。
逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍の兵士の恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。
「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊(SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である。
日本軍憲兵隊の場合国軍の中の一つの組織でしかないが、SSはあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。
そして歴史を追うごとにナチスの武装組織「突撃隊(SA)」に取って代わり、ドイツの警察機構を吸収し、国軍(国防軍)と並立する形で強力な軍隊(武装SS)が出来上がる……という具合に
際限なく国家を吸収していったのだ。
ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍の将兵と元武装親衛隊の将兵の差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動
―パウル・ハウサー、クルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織の構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである。
こういう歴史の顛末を知れば日本軍憲兵隊とナチス親衛隊は=で結べない筈である。
そもそも論として「欧米ではナチスのコスプレはタブー」という認識が誤りである。
日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツや海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服、勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米で戦車や飛行機も動員して開催するほどの気合の入った
(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)
日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度である→https://togetter.com/li/1047396
毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊のコスプレ、稀にヒトラーのコスプレが居るので「ダメなコスプレ」ではない。
(どちらかといえば現行制服の自衛官や警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)
当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきであるが
特定の組織や兵科を指して「ダメなコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。
……よって批判者側のヒステリックな物言いには一切賛同できない。
当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為はダメだ悪い」と声高に激高し監督や作品自体を誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止の産物であり
なんかわかってないなあ
それらの売春は結局おおっぴらに出来てることではないでしょ
まあ価値観が変わった社会っていうのはSF的な想像力が必要なんだろうけどね
例えばもう知り合い間とかでも性売買があるってことよ
でも愛人契約だろうが援交だろうが対価が高い事に変わりはない
愛人契約じゃなくて単なる「恋愛関係」になれば対価(恋愛関係だってプレゼントしたり色々あるだろう)は急落するか、下手すりゃ女の方が金払う状態になるけど
本質的に、殆どの女にとってセックスしたい男と言うのはごくごく限られていて、
んでその『ごく限られた男に限る』なんてやってたら少なすぎて商売にならないんだよ
なので商売にしようとすると対象を広げるしかない→相手は「本当ならばセックスしたくない男」だらけになる→高い金貰わないとやってらんね、となるし
ついでだけど個々は酷いな
「顧客を選ぶ」って話と「自分からしたい」って話を混同するのはさすがに想像力の問題じゃなくて頭の問題だと思うよ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171207-00007579-nallabout-hlth
世の中には、こいつらよりも優しい声が必要な人は多いんだよ。
声をかけてもらえるだけ良いと思えよ。
誰にも声をかけられなくなったら治りもしなければ、存在すら無価値のような自分だなんだと変な考え持つだろ。
治す気があるなら医者にいけ。治る保証は無いが、少なくとも周囲の人は感染せずに済む。
自分が世界で一番不幸だと思ってるんじゃねぇ。もっと不幸な人はいる。
他人に気配りを強要するんじゃねぇ。お前は気配りできるのかよ。
鬱病って言ってるヤツの大半は鬱病じゃねぇ。何でお前らは鬱病を自慢げに言うのよ?
とにかくまず医者に行け。
エロ本が標的にされるのは、やはり文化的・宗教的タブーだと思う。
リベラルがエロに対して表現規制やゾーニングを求めるとき、「自分たちは保守主義者とは違う!」と主張しているが、それは本人にも自覚のない嘘だと思う。
リベラルの思想的背景は、キリスト教や西洋文明であり、きわめて宗教色が濃い。
例えるならば、欧米人が"客観的に考えて"、アジアの風習を野蛮だと非難するようなものである。
どれだけ客観的に考えようとも、それは欧米人ゆえの偏見を脱することができない。
ひどいものになると、欧米人はまったく自覚なくアジアを見下している。
必要以上にアジアを恐れているから、その野蛮さが大きく見えてしまう。
そしてその場合、彼らは欧米が野蛮さを含んでいることに無頓着のまま、欧米こそが文明だと自画自賛して、アジアの野蛮さばかりを責め立てるようになる。
日本で一番困ってるのは人口構成のいびつさであって少子化じゃないんだよなあ。
しかしそのいびつさを直接解決しようとするのは、ほとんど老人の姥捨て山政策にならざるを得ずに、政治的にタブーだから、少子化というふうに言葉をすり替えて大騒ぎしてるだけなんだよ。少子化そのものはそんなに絶対悪じゃない。
同性婚の議論の焦点は、同性同士の婚姻契約に、異性間の婚姻に認められた法律上の種々の効果・機能をどれだけ与えるべきかどうかというもの。
だから明治時代の民法施行以前にはまずこの議論自体が存在しないと言える。
ただし、同性愛がタブーとされる以前の日本で、同性愛者がどのような婚姻を結んできたかの研究が存在するなら、上記議論において是非とも考慮すべきデータだと思う。
いやよく読めって、本題はそこじゃなくてその次
「自分が信仰もしていない宗教やその信者に一応敬意を払うのはなぜか?」って部分な
「自分も一応仏教とか神道とか信じてるから」とかであっさり済むような問題じゃねーぞ
イスラームで言ったら、世界的に信者も多いからあまりバカにするとまずいし、
最悪、悪魔の詩のアレみたいに、イランあたりから暗殺者が送り込まれたらマジでヤバいからだろ?
あるいは欧米で白人がそう決めたから、それに乗っかってただ無批判に従ってるだけというのもあるな
いずれにせよ重要なのは、決してあらゆる宗教に無条件で敬意が払われるわけではないという点だ
実際、これがマイナーな新興宗教だと、必ずしもそうじゃなくなる
例えば幸福の科学だったら、イタコ芸とか言って、みんな割と堂々とバカにしてるよね?
でも創価学会はタブーがあって、集団ストーキングしてくるかわからんからほどほどにしておくのか?
昔のオウム真理教みたいに、対立する人間をガチで殺しに来るような奴らだったら黙るのか?
もしアニメにもそんな狂信者がゴロゴロいて、ちょっとバカにしようものなら即炎上させて回り、
万一住所が漏れたら何されるかわかんなかったらどうする?
違うな、私はそうは見ない。犯罪被害に巻き込まれた人のことを悪くは言いたくないけど、被害者の人たちの顔写真をパッと見て最初に思ったことは、「ああ、この子たちは、将来のキモカネおばさん予備軍だな」の一言だ。自分たちの将来に悲観していて、自殺願望を抱き、それに付け込まれてしまった哀れな被害者だということだ。
ここからは私の持論になるが、男社会の価値観が色濃く残っていた数十年前であれば、この子たちは存在そのものがタブーだから、マスメディアも顔写真を表に出すことはなかっただろう。しかし、女性の社会進出がある程度進んできた今の時代であれば、彼女たちの存在は十分に認められてもいいのではないか。むしろ、今回の顔写真の件については、言い方は悪いが「進歩」であると解釈したい。
1年半前の相模原の植松の事件の被害者は重度の知的障害者だったが、彼らは今の時代でもキモカネおばさん以上のタブーだ。だから名前が出てこなかったし、50年後も出ないだろうね。
自分や同僚は忙しいし、取引先も多忙そうだけど、17時台に東京駅から帰宅する中高年の会社員や、休日、土日問わず、昼間に街を歩いている女性の多さをみると、世の中の人は「ヒマ」なのかと思ってしまう。自分のように、子どもを保育園に預け、睡眠と食事時間を削って何とか毎日回している子育て世帯は多いハズなのに。格差は何?
忙しいのはごく一部だけ、あとは皆、ヒマ。多忙な人はネットショッピングやスキマ時間にできるアプリ・ゲームに現実逃避する。年齢構成と労働状況が歪んだ国。仕事と家事・育児の両立は、一部の女性だけの悩み。
ネットの数々の炎上事件や騒動、インスタブームは、時間のある人の増加を示しているのかもしれない。世の中は、身内の輪のなかで生きる暇人=マス層と、意識高い層と、本当に多忙な人に分かれているとしたら、日本は緩やかに、確実に衰退する。子どもはどの層にとっても重荷だから。
土日に夫に子どもの世話を頼んでいるけれど、主に仕事のため、そして夫と一緒にいると感じる理由のわからないストレス感からの逃避のためだ。一緒に行こうと誘っても来ないので、一人で「iPhone X」を見てきた。悪くはない。けれども、「iPhone 5s」の頃のようなワクワク感はない。ネット予約が浸透したため、店頭もそれほど賑わっていない。子どもで埋め尽くされた写真アプリは、ストレスの日々の証だ。