はてなキーワード: クリックとは
なんかブクマの人気コメ欄を見てると「私はちゃんと、そこらへん自覚的ですよ」って感じ出してるけど、ホントかよ~。
その割には言動が見合ってなくない?……って感じるブコメを数えきれないほど見てきたんだがなあ。
それらを指摘されたとき、みっともない言い訳や開き直りをしているブコメも見たことあるんだけどなあ。
はてブはユーザーネームをクリックすれば、その人の過去ブコメを簡単に閲覧できるんだが。
いま人気コメになってる人たちは、そのあたりも踏まえた上でコメントしてるってことでいいんだよな。
ブコメに誰がどれくらい☆つけてるかってのも見れるんだが、それも大丈夫ってことでいいんだよな。
煙草をふかしながら喫煙家を小ばかにするような真似はしてない、って即答できるってことだよな。
念のため書いておくが、ここで指摘されているのは“煙草”でもないし“喫煙家”でもないし、もちろん“嫌煙家”でもない。
あくまで「煙草をふかしながら喫煙家を小ばかにするような真似」をする人間のことね。
「自覚的であるかどうか」」が重要なのではなく、その「自覚に則り、貫徹するよう努めているか」が重要なわけね。
読者の有限の時間の使い方は読者が決める。
それでも時間が有限なことが気になるなら、要約からオリジナルにもワンクリックでたどり着けるようにするとか、そういう工夫が必要だぞ。
私の愛用しているキーボードがもう販売終了で新しいものが買えなく、
インターネッツでいろいろフリマとかそういうで見つけて買い集めていたんだけど、
さすがに
もうその廃版になったキーボードは手に入りにくくなったのよね。
私は諦めて今まで手に馴染まなかったキーボード3つぐらいあるやつ箱に入れたまんま窓から投げ捨てずに済んだものの1つをとりだして使い出したの。
そしたら、
その当時はなぜ手に馴染まなかったのか理由はすっかりすっきりさっぱり忘れちゃっていたけど
なんらかの理由があって気に入らなくて使わなかったのよね。
でも今使ってみたら、
なんの困ることもなく慣れない感じもなく、
あの時の私の感情なんだったのかしら?
そんなことすっかり忘れていて、
今このキーボードを愛用しているのよ。
これ窓から投げ捨てなくてよかったわ!って改めなくても改めてそう思わざるは山の如しタニコーの五徳のようにそう思ったの。
ぺったんぺったんぺったん!って
なーにー!
って怒られちゃいそうだわ。
でもこれで、
もうキーボードを旅する旅は一応結末を終えた感じかな。
打ち過ぎて打鍵しすぎてキーボードを壊しちゃいがちなの!ガチで。
でね、
いかに私が日頃コントロールプラスシーを駆使しまくりまくりまくりすてぃーなのかがよく分かる事案だわ。
そうなると支障をきたすの。
今まで買って手に馴染まなかったキーボードがもったいないから使わなくちゃねって思っていたこともあるし。
いい加減廃版になったキーボードも永遠に手に入り続けるわけではないから、
これを機に新しいものがしっくり手に馴染んでよかったわ。
だから
キーボードは手に馴染まなくても一応は保存して窓から投げ捨てずに、
窓から投げ捨てなくて良かった!
でも
これ今まで使ってきたキーボードと
若干、
ホームとエンドとページアップとページダウンのボタンの配置が違くて
今でもまだその右小指のゾーンはノールックで打つことができないので、
まるで私がルンルンでやってると思ってるかも知れないけど、
そんで、
マウスはどうなってるの?って思うかも知れないけれど
今使ってるもので落ち着き払っているわ。
その耐久性がほぼ無く
あまりにダブルクリックそしてトリプルクリックしまくりまくりまくりすてぃーなもんだから、
それならちょっと奮発して1発良いマウスを買う値段と等しくも同じ値段になってしまうから
えいや!って清水の舞台から飛び込み前転で飛び降りる気持ちで買ったらこれが良かった!
手に馴染んでってことなの。
探し続けて旅は延々に母を訪ねたばりに3000里歩かなくちゃ行けない
そのアニメのことは何にも知らないまま、
北から南か南から北かどっちから進んでいくのか分からないけれど、
その母を探す少年の肩には小さなリス的なサル的な動物がいることは待ちがないみたいなの。
私はその少年と重ねてキーボードとマウスを探す旅に終わりを告げることができたわ。
と言うかその少年が旅しているところって本当にチリなの?ってところが疑問になるし
つねに私の疑問の泉は湧き出てくる世界のふしぎを発見する的なそれなんてインスパイヤザネクストなの。
でもたぶん、
これで落ち着きそうよ。
畳とタブレットは新しいのがいいなんて言うけれど、
キーボードとマウスは手に馴染んだものを長く使いたい派なので、
そういうことなのよ。
これで私の使っていない手に馴染んでいないキーボードの在庫が1つ使うことができた反面、
あと2つ手に馴染んでいないキーボードはある時のシーズンがやってきたら突然手に馴染むのかしらね?
その不思議についても世界にインスパイヤザネクストできるように、
思い出したら引っ張り出して使ってみたら
案外その時の当時の手に馴染まなかったことを忘れてすんなり使えるかも知れないしね。
窓から何でも放り投げて捨てることはないのよ。
そう気付いた旅でもあったわ。
うふふ。
温めた豆乳飲んできて
なにか良さそうなものを一緒にして飲むのが豆乳流行っているわ。
手順としては豆乳を先に入れてトマトジュースを投入するんだけど、
豆乳に投入ってややこしいけれど、
先入れ投入ね。
何か他に豆乳とミックスして美味しいものが何かを発見したいわ。
電気ポット好評稼働中で朝起きたら70℃のお湯が沸いている信じられる喜びなそれなんてエヴリーリトルシングなの?って思っちゃうわ。
そのお湯使って
ホッツを手軽に飲めて
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。
【感想】
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ボールペンで記入
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この流れなんなん?誰がうれしいの?
【やったこと詳細】
・「通知書等」をクリックする
・「通知書等選択」プルダウンから「住宅借入金等特別控除証明書」を選択する
・「切替」をクリックする
・表示された表の「令和6年分」あたりをクリックする
・「この「年末調整のための住宅借入金等特別控除証明書」を印刷したものは使用できません。」の文言を見つけて絶望する
・「QRコード付証明書等作成システム」でGoogle検索する
・「QRコード付証明書等作成システムについて」ページにたどり着く
・「環境チェック」モーダルのブラウザ欄の「推奨環境外です」の表示に絶望する
・Safariで開き直す
・Macintoshをご利用の方の「事前準備セットアップ(Macintosh/safari用(dmg形式:約2MB)」をクリックする
・ダウンロードフォルダの「cpsMac.dmg」をダブルクリックする
・QRInstall.pkgをダブルクリックする
・「アクセス許可を要求しています」ダイアログで「許可」をクリックする
・「Safariブラウザが起動されているため、インストールを完了することができませんでした」の表示に絶望する
・「ゴミ箱に入れますか?」で「残す」をクリックする(危ないやろこれ)
・Safariを終了して再びインストーラーを起動してインストール完了する
・「QRコード付証明書等作成システムについて」ページを表示する
・「環境チェック」モーダルのブラウザ欄の△表示を無視する(Safari 18.0は対象外らしい)
・「次へ」をクリックする
・e-Taxからダウンロードしておいた「令和6年分住宅借入金等特別控除証明書_2024mmdd.xml」をアップロードする
・PDF作成が完了しましたダイアログの「表示」をクリックする
・「2年目以降の住宅ローン控除(住宅借入金等特別控除)の申告はありますか?」で「はい」を選択し「次へ」をクリックする
・「直接入力する(自動計算の対象外)」を選択して「次へ」をクリックする
・「住宅借入金等特別控除区分」で「◯年中居住者・認定住宅(等)用」を選択する
・アッ、これ(住宅借入金等特別控除申告書)、自分で計算してボールペンで書かないといかんの?
・ボールペンで書いた
・画像をアップロードしようとするがHEICなので選択できない
・Preview > File > ExportからPNGに変換する
・アップロードするが「ファイルサイズは最大5MBです」エラーになる
・Preview > File > ExportからJPEGに変換する
次回「証券番号がわからない」「保険料控除証明書の電子ファイル(XMLファイル)取得に1日待たされる」
ぜってぇ見てくれよな!!!
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
世界は分断されているという話をよく聞くようになった。
実際、知り合いが反ワクチンだったり、好きな漫画家が財務省陰謀論に染まってたり、といったことが増えてきたように感じる。
地球平面説から田布施システム、在日特権まで、人々に分断することを訴えるあらゆる陰謀論が現れては過ぎ去り、もはや陰謀論を信じていない人などどこにもいないように思えることすらある。また陰謀論の中には地球温暖化懐疑説のように、政治や社会に甚大な影響を与え、巨大な分断をもたらし続けるものもある。
このように、過激でバカバカしく、まともな神経をしていたら信じないような話を多くの人が信じ、吹聴し、社会に影響を及ぼす時代が到来してしまった。その原因は、実のところみんなが理解している。
YouTubeに代表されるアテンションエコノミーだ。
インターネットの広告ビジネスから発展したアテンションエコノミーは、インプレッション数に応じて広告主が広告代をプラットフォーマーだけでなく、コンテンツのアップロード者(コンテンツの作成者とは限らない)にも共有するという手法で運用されている。
具体的には、広告主がインプレッション数に基づいて広告の掲載代金をプラットフォーマーに支払い、プラットフォーマーがアップロード者にその金額のうち数%を支払う、というインプレッション数に基づいた成果報酬の図式だ。
したがって資本主義の原理に基づき、よりインプレッションを稼ぐためにアップロード者は人の目を惹きつけ、注視させるコンテンツを量産することとなる。
その結果、プラットフォームは動物動画、英雄的な物語、そして「悪党」を告発し敗北させる物語で溢れるようになった。
後者2つ、資本主義原理に基づき流布される英雄物語と成敗物語が陰謀論の流布と伝播をもたらしたものの正体だ。
これらの形式に則った物語は、YouTubeやTikTokなどの動画文化コミュニティ上において実質的な反論が不可能な形式で、なんら検証されることなく責任者不在のまま転載を繰り返すことで流布されており、その影響力は旧ツイッターやブログなどの文字文化コミュニティをはるかに凌ぐ。
もしあなたが動画コミュニティの影響力を疑う日本語圏文字文化コミュニティの住人なら、「ポリコレ」が原因で炎上した海外コンテンツへの旧ツイッター上での反応を時系列で調べると良い。
「火元」に近い時間帯に海外の反「woke 」レビューや匿名掲示板への書き込みを翻訳・転載した動画とその視聴者が高い確率で見つかるはずた。
少なくとも陰謀論や分断をもたらす過激な物語の流布において、文字文化コミュニティはもはや動画文化コミュニティから一方的な影響を受ける立場にすぎない。
あなたが旧ツイッター上で目にする陰謀論や分断を招く言説は、実のところあなたが思っているよりもはるかに多くがYouTubeからの二次的な拡散・余波にすぎない。
コメントは表示されなくなり専門家による解説動画は多くの場合見向きもされない。
また、社会の合意を得たうえでなんらかの規制を行う方法は抵抗の大きさのために不可能である。
プラットフォームを通して提供される物語は、プラットフォーマーやアップロード者に経済的な利益をもたらしているだけでなく、その視聴者であるユーザーにとってもストレスの解消であったり世間の多くが知らない情報の提供元として有益とみなされうるためだ。
ではどうすれば良いのか?
単純に、現在の陰謀論•分断ナラティブの氾濫をもたらしている広告を基盤としたアテンションエコノミーを破壊すれば良い。
最も確実な方法はアテンションエコノミーにおける侵略的寄生者である「ボット」を利用する方法だ。
種々のボットは視聴数に基づき広告代が分配されるシステムをハックし、プラットフォーマー及びユーザーにとってなんら有益と見なされない方法で広告代を掠めとっている。
なかでも重要な種類のボットは「クリックボット」と呼ばれるボットで、文字通り人間のユーザーのように振る舞いながら手当たり次第にあらゆるコンテンツをクリックすることで、虚偽のインプレッションを稼がせている。
この行為により、ボットによるコンテンツ(大抵はAI生成された意味不明な数秒程度の動画や文字列)のような、実際にはユーザーに人気が出るわけもないコンテンツが広告業にとって重要であるかのように誤認させる事ができる。
現在のところ、このボットは、インプレッション数に基づく広告効果という性善説を基盤として成り立つアテンションエコノミーをハックし、広告主たちから広告代金を詐取するために運用されている。
気づいただろうが、この行為はインプレッション数と実際の広告効果に大きな差異を作り出し、プラットフォーマーとアップロード者、広告主間の暗黙の信頼関係を破壊し、アテンションエコノミーを破壊する可能性を秘めている。
したがって、もしあなたがアテンションエコノミー下で拡散される陰謀論とその結果もたらされる社会の分断にうんざりしているのなら、取るべき手段は一つだけだ。
くだらない動画コンテンツがインプレッション数を稼げる有用な存在であるかのように装い、プラットフォームのアルゴリズムを騙せ。
インプレッションに基づく成果報酬システムの破壊、それがプラットフォーマーとそれを支える広告主たちへの最も簡単で効果的な反逆の方法だ。
作成と運用についてはGoogleで検索すれば簡単にわかるはずだ。
クリックボットは個人で運用可能な、アテンションエコノミーを破壊し社会の分断と陰謀論の蔓延を止める事ができる、数少ない手段であり、まさに救世主だ。
JR旅客6社に対し、「青春18きっぷ」を従来の制度に戻すよう要望します。
27,151人が坂井 啓一さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数35,000を一緒に目指しましょう!
JR旅客6社は2024年10月24日、「青春18きっぷ」について2024年冬季分から、制度を大きく改定(改悪)する発表を行ないました。
【変更点】
・従来の5日間用に加え、3日間用を追加。
・5日用or3日用の連続利用に限る。
以前は5日間自由に使え、また一つのチケットで複数人の利用が可能であったこのパスが、新制度では3日間用が追加された上で、5日用と3日用の連続利用に限定。さらに、複数人利用の可能性が失われました。
これにより、「青春18きっぷ」の大きな魅力であった、自由で共有可能な使用が大きく制約されることになります。これらの変更は、「青春18きっぷ」の本来の目的とも言える、自由気ままな旅や友人・家族との共有旅行を実現させる大きなメリットを大きく削ぎ落とすものです。その結果、使用者はその魅力をほとんど感じられなくなってしまうのではないでしょうか。
あまりにも利用者の利便性を損なうものであることに強い不満を感じています。
そのため、私たちはJR旅客6社に対し、2025年春季には元の制度に回復するよう強く求めます。私たちの楽しい旅のひと時を、「青春18きっぷ」によって奪わせません。
自分は世代別の投票率を上げることが重要と考えてるんで投票自体はしたいんだ
・候補者の名前自体がボタンとなっててこれをタップ、またはクリックする方法
・候補者一覧からラジオボタンで一名のみ選択して確定ボタンを選択する方法
・候補者一覧からプルダウンで一名のみ選択して確定ボタンを選択する方法
と色々画面の動きは考えられるけど、本題の白紙を投票したい場合
その場合、出馬した候補者に白紙(しらかみ)さんって人がいたらどうなるんだ?
しかもそれを投票する人に事前にわかりやすく説明しておかないといけない、面倒臭くね?
とここまで考えて普段システム関係を設計している人たちは大変だなぁと思った
副業のやつ
30年ぐらい前、
・ミクシーかなんかで儲ける(詳細は知らない)
クリックも初期は相互クリックグループみたいなのがあって、メンバー信じるならびっくりするほど稼げたらしい
すぐに対策されたので、話を聞いた時には日々数百円ぐらいに落ち着いてたが
紹介者はそこそこの学力ある、怠け者。金と時間があって人付き合いも上手くてグレーっぽい案件をちまちま探しては撤退みたいな生活だったと思う。
Mとあまり会わなくなって(彼自身も普通の仕事しだした)、色々副業した経験と合わせて思ったこと
大前提として常識とかリスク管理ができること、多少の損なら損切って撤退ができること
●1)とにかくアンテナ張る、探す
真っ白なのは少ないが、白っぽいグレーならゴロゴロ転がってる、というか湧いてくる
沢山知れば組み合わせてオリジナルっぽく動ける
●2)とにかくやってみる
これは絶対儲からんと思っても、めちゃくちゃ面倒でなければ経験してみといたほうがよい(仕組みがわかる
今だと怪しかったらすぐ法的にどうなのかとか調べられるが昔はそれも難しかったので違法行為に手を染めたりもあったんだと思う。なんか嗅覚が鋭くなる
●3)なんか強みを作る
色んな儲け話に早い段階で乗っかってるとスキルというほどでもないが得意分野や向き不向き(能力だけでなく性格上も)が把握できる
●4)アレンジする
そのまま乗っかってれば多少は稼げる案件には出会うが、大儲けとなると難しい
既に判明した強みを活かして自分なりに最適化したり挑戦したりしてみる
●5)枯れない、安定しない
楽で儲かる副業はすぐに乗っ取られる
よほど調子がよいのがあればそこには力を注ぐべきだが、同時に他も育てたり試したりすべき