はてなキーワード: エントリーとは
その戦いのステージは小さな教室の中、放課後の部室、行きつけのゲーセン。
相手となるのはせいぜいが数十人や数百人程度で、そのうちの数十人や数百人はそもそもそんな争いには最初から興味がなく、せいぜい10人程度を相手取るだけでよかった。
どんなに負けても10位や50位ぐらいの二桁台には居座れた。
天網恢恢疎にして漏らさず、ネットは世界をこれでもかとつなぎ無数の蛸壺を作りながらもその蛸壺同士すら繋いでしまった。
いまや扉をガッチリと閉めたシェルターにでも潜りでもしなければ、六次の隔たりを超えて世界中にいる無数のライバルと競い合う運命がどこからでも待ち構えているのだ。
今や廃人である事に求められるのは数万や数十万を相手取ることだ。
エントリーも予選も終わって、その上で数万、数十万のアカウントが己の廃人っぷりをアピールしあう中で生き延びなければならんのだ。
恐ろしいことだ。
その中で二桁台、三桁台に立つ連中の化物っぷりときたら……。
今流行りのyoutuberの中にはネットやゲームにどっぷり浸りすぎて、廃人でない人生の部分が生きるのにギリギリ最低限必要な分だけ残されているのかすら怪しい連中がウヨウヨいる。
そんな奴らでさえ、このインターネッツで繰り広げられる黙示録的蠱毒(ファイナルバトルロイヤル)の中では四桁台に食らいつくだけでも必死なのではなかろうか。
恐ろしい時代だ。
負け組、廃人、人生オワタといった類のネガティブアイデンティティすら容易にクライシスされていく時代が来た。
この世界で、アイデンティティを維持するためにある分野で他人より優れようとするのは凡人にとっては狂気の沙汰にしかなりえない。
ならばどのようにして己の存在価値を守るのか。
その方法に一つだけ心当たりがある。
遠い昔に風のうわさに聞いた程度なのだが、どうやら自分の人生をありのままに受け入れて、今そこでその人生を生きている事を拠り所に出来るらしい。
そのためには、自分の両親を肯定し、周りにいる人間との縁を大切にし、自分が今日まで生きてきた日々は嘘偽りなく自分の人生そのものだったと認めればいいようだ。
嘘か真か、人より優れ何らかの形で己が役に立つか目立つかすることによってアイデンティティを得るのは裏技だとすら言いはる人間にもあったことがある。
にわかには信じられないが、凡人である我々が己の凡人性を認めざるを得なくなった以上は、この俗説を信じるしか無いのやも知れぬ。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として
さまざまなインタビューで語られる通り
ここにきて過去の作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを
今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。
実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、
一巻に収録されているのは、
姉と弟の恋に始まり、男子から男子への感情、女子から女子への感情…などなどさまざまだ。
その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。
姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、
なんとなく、いつも、地味だ。
姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で
「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。
そして「なんか地味」な原因でもあると思う。
姉から弟への想いも、
彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。
「そういうこと、あるよね」
そういう視点のまま進められる。
それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、
「あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、
「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」
という、まるで友達と雑談しているみたいな、とてもニュートラルな肯定だと思う。
多様性を祝ぐような派手さはない。
地味に、私たちの生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。
そこに単純にある。
そういう描きかたをする作家だと思う。
そして、それこそが海野つなみという作家の稀有な美点であると思う。
(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。
めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。
そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。
彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。
けど、あ、わかる、と少し思った。
イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。
家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)
あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。
立ち向かうべき悪習としてでもなく、
陰惨ないじめとしてでもなく、
ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。
「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。
成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画の萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。
けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、
彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。
それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。
海野つなみはスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。
あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。
そこで繰り広げられるのは確かに主人公とヒーローの恋愛なのだけど、
いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。
恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。
そういう、どこか突き放したような距離感で描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。
それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。
(めっちゃ細かいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器をAmazonで買わないくだりとか)
するっとごくさりげなく描くことができる。
近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。
そこにはスクールカーストがあるし、
同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、
男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。
だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。
ただ、いるよね、って描く。
それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代の作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。
けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、
きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。
あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。
そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。
【追記】
ごw本w人wにw見られたwwwww
(センセーショナルに、ことさらお話のために感情を煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)
kissの事情とロマンスのたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんとゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…
"売り手市場"
誰ですか?そんなこと言った人は。
それは一部の人たちだけ。多くの就活生は変わらず苦しんでいます。
まあ、良いことは、100社エントリーしなくていいくらいらしいです。
早く囲みたいから、煽らないとやらないから、そんなこと外野に言われたら当事者はますます就活なんてしたくなくなる。
それが逃げだと言う。
でも、今は根性論で全て片付く世の中じゃない。時代は変わっているはずなのに、どう考えてもかわかってない。どう考えても、退化してる。
「就活はやりたいことやれ!」「業界を絞れ!」そう言っていた大人が、就活解禁すると「広い視野を持て!」「業界絞ってたら受からないぞ!」と掌を返す。私達はそんな大人に、内定のジャッジを握られているのか。
私のこと、誰も必要としてないんだと思い始めています。就活あるあるらしい。でも、そんなあるあるが生まれるくらい社会は理不尽です。理不尽な社会に、私を求めてくれる人は、いるのでしょうか。
本当にみなさんはやりたいことできていますか?出来ていないから私達にそんなこと言うんじゃないですか?
就活をしているみなさんへ
本当にやりたいことを見つけられましたか?私は、急にわからなくなってしまいました。
もう疲れました。私は、今日も説明会です。今日は多分選考がないはずです。エントリーシート、履歴書、毎日説明会、本当にやりたいことがこれで見つかるとは思えません。
私は、ただこうして文が書きたいです。毎日、エントリーシートに書く定型文なんかではない、思ったことや感じたこと、好きなこと嫌いなことを書きたいです。もう疲れました。
気になって仕方がない。少なくとも、自分の目にはネトウヨのやり方のほうがずっとうまく見える。
某匿名掲示板の、某実況板のことだ。
最初に当たり前のことを書いておくけど、もちろん例外もあれば※個人の見解と妄想です。
ここで言うネトウヨネトサヨは本来の意味での「右翼」「左翼」じゃなくて、妄信的かつ攻撃的な自民党支持者と妄信的かつ攻撃的な自民党アンチまたは野党支持者、という意味です。
あとどっちが正しいとか悪いとかって言うエントリーじゃなくて「行動」の話です。
前提を書いてばかりいると長くなるから書きたいことを書く。
ここ数日ずっと「森友学園問題」のスレッドがたっている。と同時によく見るようになったのが、「政治豚を追い出したい」というスレッドだ。
1のhissiを見るとそのスレッド以外に参加していなかったりする。
政治スレアンチスレは今までもごくたまーに建っていたし、正直匿名掲示板での議論は(まともな人もいるけど)ほぼほぼ子供の喧嘩みたいなものだから気持ちは分かる。
でもこんなに建つようになったのは森友スレッドが毎時建つようになってからだ。すごい時には政治スレアンチスレが3つ同時に建った。
そして大体が自民党を指示する旨のスレッド、または野党批判のスレッドだ。
このことを繋げて妄想すると、ネトウヨは森友問題を批判するよりも、もっと大きな枠で話題を追い出した方が反感が少ない、と考えたように見えるし、実際これがネトウヨがやっているだとしたら凄く成功している。
この「ネトウヨの方が上手くやっているなあ」というのは他のところでも見える。
某板のネトサヨ系のスレッドの多くは「ネトウヨ死亡wwww」とか「安倍ガイジ」とか、とにかく馬鹿みたいなスレタイが多い。
スレタイだけならまだマシで、内容はもっと酷い。(もちろんネトウヨ系スレッドでそういうものもあるけれど)
ネトウヨ系レス「安倍の経済政策の恩恵受けてない国民なんかいないだろ」
くらいの差がある。
こうしてみるとネトサヨ系の意見は馬鹿っぽくてネトサヨを見下してしまうけれど、「逆に恩恵を受けていないと感じる」ことは(レス内容の真偽は別として)自分自身を見下しているような気分になる。
(まともな自民批判レスもあるしそういうスレッドが建つこともある)
私の疑問はこのネトウヨの「○○支持者を馬鹿に見せる」行動を何故ネトサヨがとれないのかということだ。
あのとき多くの人が与党支持野党支持に関わらず「何やってんだこいつら…」と思ったはずだ。「何やってんだこいつら」を支持している人は馬鹿に見える。(なんで野党はそこまで考えないんだろ…)
某掲示板においてもネトサヨの攻撃対象が常に与党なのに対して、ネトウヨの攻撃対象は「馬鹿なネトサヨ」に向けられることが多い。
時々ふっと「ネトウヨが馬鹿なネトサヨのふりをして書き込んでいるのではないか」と思うときがある。
だとしても、だ。だとしても、やっぱりそのやり方はうまい。
発言内容よりも発言者、発進サイドの方を見ていることは政治の話に限らずよくあるし、自分もそういうところがあるから。
だからなんだって別にまとめもないけれど、ネット上ではその意見の内容よりも、意見支持者の民度やモラルなんかでの「イメージ」が大切に成ることが多いっていうことを考えた方が良いと思う。
おれのが賢いって言ってんじゃないのよ。書いてる内容に誤りがあるってことを申し上げてるのよ。
似てるようで全然違う。賢いとか馬鹿っていうのは書いた人の属性で、おれが言ってんのはあくまでも書いた内容がよくないってこと。
馬鹿っていうのは、人格攻撃というべきもので、全く建設的ではない。
おれが言ってるのは、内容の不備を指摘して改善を提案しているわけで、これは建設的。
もちろん賢い人のほうが正確な文章を書ける場合が多いとは思うけど、そんなことは個別のエントリーには無関係のことなのよ。
逆に書いた内容から書いた人間の人格を推測できないという原則に従って、おれは書いた人が愚かだとは思わないことにする。だから気持ちよく議論しましょうねっていうのがディベートの授業第一回で教わる内容なのよ。
どちらも人種差別にあたるものだけど、ミンストレルショウが今日にも続く黒人差別問題の要として根付いているのに対し、抗日ドラマに関して日本人はびっくりするほど寛容だ。
それをなぜかと考えたのだけれど、日常的に命を脅かされることがないからではと思い至った。
アメリカで黒人差別に怯える人々でよく見る意見は、いつ黒人である事を理由に理不尽に殺されてもおかしくないとか、白人警官が射殺した場合は罪に問われないケースがあるとか、また逆に日本に来た黒人の中では、一外国人として奇異に見られることはあるけど命の危険はないのでそれだけでも天国だと言う意見が見受けられる。
要はアメリカの銃社会とそれによる命の扱いの軽さが黒人差別問題が今も問題たり得る中で大きく割りを食ってるんじゃないかと思う。
日本では警官は銃を持てるけどそれすら滅多に撃つものではないし、ましてや外国人だからと撃ちでもしたらそれは即座に差別問題として槍玉に挙げられ社会的に抹殺されるだろう。
昨年末のガキ使に声をあげたBaye Mcneil氏は過去にこんなエントリーを上げている。
An Open Letter to Japanese People from Black Men (日本人の皆んなさんへの黒人からの手紙)
http://bayemcneil.blogspot.jp/2015/07/an-open-letter-to-japanese-people-from.html
黒人と関わるのにこれだけは気をつけて欲しいと言うのが36項目もある。
申し訳ないけど率直な意見は“神経質すぎて面倒くさい”だ。いっそ関わるなと言ってくれた方が楽。
逆に日本人がアフリカなりに行けば肌の違いで奇異の目で見られるし警戒されたり近寄って来たりして、近付く中でも理由は善意だったり好意だったり言葉など文化への興味だったり、ただ金の為だったりと様々な想像がつく、しかしそれはきっかけであって、異文化ってそこから関係性を作っていくものでしょう。
そんなところで私は彼の36項目に同意できなかった。
しかし何故、彼がこんなにも他者を警戒するように至ったかと思えば、それはやはり幼少の頃から銃社会、いつ殺されてもおかしくない中で彼はPTSDになったんじゃないかと思うのだ。
最近でもアメリカでは立て続けに銃社会にまつわる悲惨なエピソードが繰り広げられた。
学校での生徒の乱射が起き、それを踏まえてトランプ大統領は教員が銃を持てばいいと言った。
その翌日にはまた別の銃乱射事件のニュースが入った。正直アメリカは銃社会で狂ってる。
逆に銃社会などなければ、生命にとって最悪のいつでも殺されると言う死の危険が日常的になければ、黒人差別は今日にも続くような大問題にならずに済んだのでは、徐々に打ち解けられる社会があったのではと思うのだ。
日本にも今日、差別問題があり、在特会、しばき隊と対をなして衝突する団体がある。
いくら在日差別だ韓国人差別だ中国人差別だと言うようなことがあっても、実際に殺人と言う事件があり日常的に命が脅かされていると言うことはない。
むしろ逆に多くの韓国人、中国人、また諸外国の人々が日本社会の中で普通に生活を営んでいる。
その中で国や思想、育ちの違いで衝突する人もいれば和解、友達となるケースもある。
対して誰もが銃を持ち、簡単に命を奪うことができる社会が今日のアメリカ、黒人差別問題を不幸にし続けていると思う。
日本に黒人差別問題で口を出すのなら、こちらからも黒人差別問題解決に向けて口を出させてもらいたい。
id:Outfielder 「抗日ドラマに関して日本人はびっくりするほど寛容だ。 それをなぜかと考えたのだけれど」日本人の民度が高いからじゃね
民族単位で優劣を見出すのはそれこそ差別なので気をつけてください。
例えば日本政府が性表現や暴力表現を厳しく規制して、ただし凶悪な中国を打ち倒す話なら中国人の凶悪な性暴力も残虐性も描かなければならないからある程度の表現を許すなどと言い、どこのテレビ局も規制を軽くしたいがためにそのような話を描いたとしたら。
その流れがある程度続いて、中国人は凶悪で残虐という印象がある程度の日本人に根付いたとしたら、果たしてそれでも中国人差別でないと言えるなら、抗日ドラマは人種差別じゃないんでしょうね。
エントリー数は忘れましたが、就活サイトを使った就職活動は全滅でした。
大学4年になって、新聞誌面内の求人広告(そういうのがあるのです)に、
20年近く前とはいえ、就活サイトでエントリーが当たり前の時代でしたが、
まる2年働いて、人件費が成果に見合わないと、解雇されました。
その後、小売り業でアルバイトを続けるうち、
以前勤めた会社と同分野、別職種に、もう一度チャレンジしたいと思いました。
転職サイトで職種名を入れて検索し、未経験OKの求人に応募して、採用。
ここでも選考は、新卒の会社と同じく、面接というより面談でした。
その職種は自分に合っていたようで、相変わらず使えない人間だったけれど、
頑張ればなんとかなりそう、という希望がもてました。
「そういう紆余曲折の人生を送りたくないので悩んでいる」と思われた場合、申し訳ありません。
ただ、就活でも就職先でも「使えない人間」で、コミュ障の私でも、
正攻法の新卒の面接ではなく、「面談」のような形でなら就業の糸口をつかむことができたこと、
なんとか自分でも働ける場所を見つけられたことを伝えたく、エントリーを書きました。
元増田さんの希望職種にもよりますが、就活サイトやエージェント以外の求人に目を向けるのもよいかもしれません。
転職サイトの未経験OKの求人、ネットで気になった企業にコンタクトを取ってみるなど、
元増田さんの性格にあった、「別の方法」があるかもしれません。
元増田さんは、今、疲れ切っていて、自信もなくしていると思います。
休めるなら、休むのもありかもしれません。
某大学3年生。手帳は出てないけど診断は出てる系自閉スペクトラム症(ASD)大学生。
院進迷ってたり鬱ってたりで3/1から就活始めた組なわけだけど、
自分がいわゆる「チャレンジド採用」とか「障害者採用」の範囲内なのかものすごくびみょいなーと思いながらエントリーを重ねている。
そもそも、一般枠と同じ扱いの障害者採用って、「障害」とは書いてあっても発達障害者(と精神障害者)は目に入ってない感じしない?
やはりアタマの中が「ふつう」「くせがない」、あえて言うなら「まとも」な人間にしか興味がないのか。
いちおうマイナビが「マイナビチャレンジド」とかやってて、発達障害者の採用実績有無は確認できるようになったけど、
それでもやっぱりほとんどの企業は特別子会社の障害者枠か、発達障害者が目に入ってない一般枠と共通の障害者枠なわけで。
2018年の新卒だった。50社ほど就活を行ったけれど、結局自分はどこにも就職できず卒業をしてしまうようだ。
未だにキャリアセンターや大学に出入りする業者が主催する学内イベントに通ってはいるが、どの求人ももちろんのこと魅力的ではなく
IT派遣と派遣を上手く言い換えたような企業ばかりが残っているし、正直就活に疲れてしまった。
自分は確かに人より浪人をしてしまい空白期間が長く書類の段階で出にくいし、喋りが完全にコミュ障の不審者である。
業者の人(新卒コンサルの人)が言うには、ここで内定を手に入れないと既卒として厳しい戦いになる、第二新卒ならまだチャンスがあるという。
プロが言うならそうなんだろうけれど、自分の興味がもてないようなIT派遣に意味があるのだろうか、そしてもし半年でやめてもチャンスはあるのだろうかと
人より遅く大学に入った時に、こういうことになるのは予想していたけれど現実を直視してしまうとやはり消えたくなるな。
俺はどうしたら良いのだろう。
追記:
エントリーできないのは他にも不安があり、ネットや周りで派遣SE・技術職で鬱になってしまっている人をよく観るからです。
あとどうしたいのかが書いてなかった。できれば就活は終わらせたい、けれど正直なところ上記のような不安もあるし、
休みが少ないのも正直なところ嫌である。その為、バイトをしながら不利でも良いからもう1年ぐらい頑張りたいと思っている。
けれど正直こういう生活はバテるたちであるということも、人生そんなに甘くないということも嫌なぐらい知ってるんだけれど。
追々記:
起きたら色々意見がついており、こんな駄文をみていただいたみたいでありがとうございます。
自分はかなり使えない人物であるという自負がすごくあり、確かに職業人生に絶望しているのかもしれません。
エージェント系のところに行きましたが、同じようなことを言われ同じような求人を出されました。
アドバイザーの人はとりあえず数を受けろと言ってきます。それが上手いこと身体が動かなくなってしまいできそうにありません。
とりあえずエージェントから紹介してもらった面接を受けながら、無理な場合もあるためアルバイトとして働く算段をたててきます。
根本的に増田がこの話をどう持って行って何を伝えたいのかよく分からないので、ただ言葉を返すのも不毛かなと思ってるよ。
これまでの話からしたら、増田はアニメ好きのウヨって矛盾してるよなってことを言いたかったのかな?
物事の考え方、捉え方は自由だから、そうした揺るぎない結論があるのならそれでいいんじゃないかと思う。
まあせっかくここまで話したので、一応私個人の考えを述べると
別に伝統文化も最近生まれた文化も競合するもんじゃないし、二者択一にする必要もないので、どちらも日本の文化として誇りに思ったりするウヨが居てもおかしくはないんじゃないかと。
仮に伝統文化に変革を起こして現代に合ったものにしようって流れなら、それは新旧競合するからけしからんって言うウヨさんはいるかもね。
私が今まさに葛藤しているのはこれかー!と目から鱗っていう感じだったので
古いエントリーに便乗してごめんと思いつつも吐き出してみる。
アニメ化以降ゲームも楽しめなくなって今は楽曲もほとんど聞いてない。
担当アイドルがアニメに出てないのが気に食わなかったのだろうなと
思っていたけど、それは理由の一つではあれ直接的な原因じゃなくて
プロデューサーが男性だったことへの違和感がもやもやの正体だったんだ。
何で今まで気が付かなかったのか自分なりに考えてみんだけど、
元増田と違ってプロデューサーという存在に自己投影をしているつもりが
自己投影をしてもしなくても、私は彼女を通して物語を楽しんでいた。
その”視点”がアニメが男性Pとして描かれることで崩壊してしまった。
自分の中で「プロデューサーという概念体」を築けなくなったのが
ここでは話を簡単にするため、ウヨ的とされる要素を、現代のアニメアイコン保守論客のなかでの多数派の特徴っぽい「国家権力(つか自民党政権)バンザイ」「排外主義」に絞った次第。
さて問題です。
日本人一億二千万人中、アニメアイコンで且つ保守論客で且つ自民党政権バンザイで且つ排外主義のウヨは何人でしょう。
私ははてなを賑わすはてサは大なり小なりせいぜい100人いるんだか居ないんだかと思ってる。
サヨク的反政府デモに参加する活動家は主要なのが千人くらい?それについてくのが10万人くらい?
対して在特会とか日本会議とか増田が描いてそうなこてこてレベルのウヨも主要なのが千人くらいで支持者10万人てとこじゃないかと。
まあ適当なんだけどさ。
日本を政治的に見て現在の圧倒的多数派は右でも左でもない浮動票、死票、無党派層。
次に多いのは現政権支持ではあるけどもいわゆる消極的支持。自民バンザイなんて以ての外。
多くは野党への政権委任を躊躇ってのことだと思うけどまあ色々あるだろうね。
増田の描いたtwitter使いでアニメアイコンのこてこてのウヨは、1000人もいればまあ、そこに囲まれて過ごせば多く見えそうだね。
一億二千万人中の千人。一万人はいると思えば別に一万人でもいいよ。それでも全人口の0.01%を下回る。
さて、ここからビジネスの話となるけど、増田がアニメ作るとしたらどの層狙う?
増田は今回のウヨに多数派と言う言葉を使ったけれど、全体から見てビジネス的に考えたらさ、増田の言うウヨ御用達なんてそんな売れないアニメ、無くても当たり前じゃないかと。
なさすぎてたまにあったり、個人で作ってたりはありそうだけどさ。
ウヨは多数派なのにウヨアニメないよねって言ってる増田はここでズレてると思うよ。
そもそもそのアニメがわかったところで、右左で分別してしまったところで、私は増田が何を言わんとしてるのかわからなかったけども。
よって不毛なエントリーなんだけど、増田の政治的主張はともかく、そのズレた認識のままじゃまた世の中見誤ると思うので突っ込んどきました。
男子の両角兄が騒いでいたが、五輪開催年は五輪出場チームとは別のチームが出てくるのがデフォルトだ。
理由は、五輪から期間が短いこと、五輪出場ポイントに関係しないこと、それを利用して五輪出場チーム以外のチームに世界を経験させたい国が多いことが挙げられる。
このurlにエントリーチームがあるが、五輪に出たチームと同じなのは韓国、スウェーデン、ロシアの3か国しかない。日本、中国、カナダ、スイス、デンマークは別チーム、今選考大会中のスコットランド、アメリカも五輪チームが出てこないのは確定済み。
http://www.curling.ca/2018worldwomen/teams/
出場チームの今季ランキング上位がこの4国。スウェーデンは金メダルチーム、カナダはソチ金メダルチーム、スイスは2016世界選手権決勝で藤澤五月を破って金メダルになったチーム。韓国は平昌の前のStockholm Ladies Cupでスウェーデンチームを破って決勝に進んでおり、決して平昌の銀メダルがホームアドバンテージと片付けられないことを示している。
一方、日本チームはランキング100位と冴えない。これは今回のチーム富士急がランキング対象となるワールドカーリングツアーに殆ど出ていないためだが(日本選手権はランキング対象外)、裏を言えば海外経験が希薄過ぎる。イタリアやチェコなどの五輪不出場組から少しでも勝ちを稼いで、最下位回避が目標。最下位になると来年の世界選手権のアジア枠が2に減らされるので、それだけは回避したいところ。
五輪と違って負けが先行するだろうし、特に終盤2日間はヘロヘロになって試合にならない可能性もあるが、今後の日本女子カーリングが育っていくためには必須の経験なので、生暖かく見守って欲しい。
ほんこれ。
年間休日100日ももらえるって喜んでエントリーしようとしている同級生がいたので「土日きっちり休むだけで104日休みがないとおかしいんだが、もしかして休日出勤希望か」と聞いたことがある。学生のみなさまには365という数字を7で割ることから就活をはじめていただきたい。
あれさ、確かに性別ステータスを変えたら応募できるようになるのは男女雇用機会均等法に違反するんだけど、学歴フィルターに関しては法律違反ではないんだよね。
なんかごっちゃにしてるから両方が違反になっちゃってるように見えるけど。
本人も勘違いしてるのかもしれないけど、わざとやってるんだったらそれはそれで小賢しいというかなんというか。
すべての就活生に伝えたい
どうしてもその会社でなければいけない目標やコネでもない限り、年間休日が120以下の会社は入る価値がない
年間休日が少ないということは、従業員の稼働時間を多くしないと儲からない利益率の低さだったり、社員の休暇に不寛容な社風だったり、とにかくネガティブな要素しかない。
会社説明で業績や社員満足をどんなにアピールしていても、年間休日数だけが真実を物語っている。
年間休日が少ない分給料が多いなんてことはまずない。そもそも利益率の低さゆえに年間休日を増やせないのだからその逆である
さらに言えば、少子化や貧困は労働時間のせいなので、日本の将来を思うなら年間休日120以下の会社はエントリーすらすべきじゃない。社員にとっても世の中にとっても入る価値がないんだ
なにがなんでも年間休日の多い会社に入っておけば99%後悔しない。入社後に何らかのギャップや待遇の不満を感じたとしても、休みが多ければある程度受け入れられる。
どうも、しくじり先生の18卒女です。
・中堅大文系
そう、就活解禁日の2017年3月から翌年2月末まで内定が貰えませんでした!
という訳でこれから就活をする皆さんへ、私のようなしくじりを犯さないように、アドバイスしていきたいと思います。
大企業を受ける気が無いなら、使わなくて良いです。
特に私のような、希望職種・業界の無い人間には使いこなせません。
得られる情報が膨大なので、情報を精査するのはかなり難しいと思います。
あとタッチ1つで沢山エントリー出来るので、選考にエントリーしている意識が薄くなり、企業研究や志望動機の作成が疎かになりがちです。
適当にフィーリングでエントリーして説明会へ行き、「残業が100時間ある社員もいますが、本人はやりがいがあると言っています」と言われ即帰宅、なんて事もよくありました。
もし、絶対に大企業じゃなきゃ嫌だ、というこだわりが無いなら、就活エージェントをおすすめします。
自分の希望条件(勤務地、残業時間等)に合った求人を紹介してくれるので、多少マシになります。
私はそれを鵜呑みにし過ぎて、事前に教えられた事しか対策せずに爆死しましたが。
でも、自分についた担当がちょっとでも合わないと感じたら、すぐチェンジして下さい。
そして、就活エージェントは最低2社くらい同時に使った方が良いです。
ただ、12月過ぎてから入る求人は希望条件ガン無視の求人(地方転勤、深夜工場勤務等)しか無いので、この時点で内定を貰えていない人は、エージェントと縁を切ってください。
中小企業のみや既卒向けといった、よりニッチなサイトに切り替える事をおすすめします。
■しくじりその2「コミュ力が無い 」
前述した通り私には大学の友人がいません。
アルバイトも接客業ではなく、1人でコツコツやるオフィスワークでした。
無理でしょう。
面接後の就活エージェントからのフィードバックでは「話し方が子供っぽい」「自己主張が強い感じがする」「馴れ馴れしい」と散々でした。
レジ打ちでもファミレスのホールでも、何か「初対面の人と話す機会」のあるアルバイトを短くても良いからやるべきだったな、と今は感じます。
そういった経験の無い人は、とりあえずNHKアナウンサーの話し方を意識してみてください。
多少はマシになります。
雰囲気とか。
就職指導課で面接指導を受けられますが、それを申し出るコミュ力すら無いんですよね。
大学指定の履歴書を貰いに就職指導課に入る事自体、緊張していつも吐きそうでした。
■しくじりその3「面接で話す事が無い」
あと「大学には友達が何人いますか、またその友達からあなたはどんな風に思われていますか」という質問が来たら終わりです。
それを怠った同志達よ、地獄へようこそ。
対策は無いです。
このように、なんだかんだやらかしながらも、今は無事2社から内定を頂き(SE職、事務職)、親もヤケ酒から解放されました。
「売り手市場」なんて言いますが、中堅大やMARCHクラスでも、なかなか内定が取れず、そのまま就活を諦めてしまった人もいます。
とにかく、もし就活が上手くいかなくても悲観するのは良くないです。
自暴自棄になり過ぎない事。
大丈夫、お祈りしてきた企業はあなたのいるべき場所じゃなかっただけ。
それでは、皆さん、頑張ってください。