はてなキーワード: でっちとは
世の中には一概には言えないことが多い。
いろいろなニュースを読み、一概には言えないと思いつつ他の人のコメントを見ると、「これはひどい」などのタグを使って断定的に語っている人などもいて、「この人は一概には言えないとは考えないのか」などとぼんやり思ったりする。何か自分もコメントを書こうとする。しかし一概には言えないと考えて書くのをやめる。その繰り返しだ。
一概には言えないのだから無責任な100文字コメントなどするべきではないと考える。ただし私のこうした態度についても一概に言えないところがあって、一概に言えないとはいっても態度を保留するのではなく何らかの立場から積極的にコメントしておくことも必要であるという考え方もあるだろう。しかしこれについてもやはり一概には言えず、一概には言えないということだけは私は言うことができるが、何らかの立場からのコメントは私にとってやはりどこまでいっても一概には言えないものでしかなく、私はその意見について100%の責任を持つ自信がない。そういった無責任な参加がどこまで許されるのか。
ある一概には言えない事象について断定的なコメントをしたとする。そのとき私は他の人から「一概には言えない」と批判される可能性がある。そして私はその批判が一概には言えないとは言えないだろうということを知っている。何か発言するたびに私は「一概には言えない」と他の人から批判を受けるだろう。そしてその批判は正しいだろう。一概には言えないのだ。
そこで私の選択肢は以下のとおりだ。
一般的には3番目を選ぶ人が多い。自分が考えたことをある意味で無責任に書く。もちろんその行為には「一概には言えない」という批判がつきものである。
すこし注意深い人になると4番目を選ぶ。一概には言えなさに自分は気づけるだけの知能を持っていると示すことができる。しかしこのときもまた「一概には言えないとわかっていて、さらにわざわざ〈「一概には言えない」と書く〉というアリバイ工作のごとき責任逃れをしてまで発言するべきではない」という批判を受ける可能性がある。「一概には言えない」と書いておくことによって批判をかわしつつ言いたいことを放言するというこういった手法はあまり紳士的ではないだろう。
2番目にも問題はある。「一概には言えない」というコメントにどこまで価値があるのか。多くの場面で多くの人は一概には言えないということに気づいている。仮に多くの人が一概には言えなさに気づいていない場合に「一概には言えない」というコメントをすることには価値がある。明白な真理だと思われていたことに対してそれが実は一概には言えないのだということに気づくこと自体に価値があるからだ。ただしこういった状況はかなり限られる。多くの場合「一概には言えない」にはほとんど情報としての価値がなく、そういった場合「あなたは何が言いたいのか」「あなたの意見はどういったものであるのか」と聞かれることもあるだろう。その場合「一概には言えない」という態度の保留を放棄することをせまられる。つまり「一概には言えない」とあえて書いたことによって、そこから自然なコミュニケーションの流れとして踏み込んで断定的なコメントをするように求められるという逆説的な状況が生じる可能性がある。
そういったわけで私は1番目を選ぶことが多く、一概には言えないと考えている場面では「一概には言えない」とも書かない。私は何も書かないのだ。私が何も書かないということは私がその場に参加していない、存在していないことにほとんど等しく、私は他の人から私を発見されて、一概には言えなさの放棄をせまられることはないだろう。ひとまず安心する。ただし私が思うのはこういった態度が賢明なのかどうかということである。もちろんこれ自体も一概には言えないだろう。誰にも発見されず、自分の頭の中でただ「一概には言えない」と考え続けることに価値はないと考える人もあろうし、誰にも発見されずとも一概には言えなさを貫くことによって自分が一種の偏見によって堕落することもなかろうと考えることもあるはずだ。
私はうなってしまう。一概には言えないのだ。しかし私は語るべきであるのか。「一概には言えない。しかし……ということは部分的に妥当するように思われる」などといった語り方がどこまで有用であるのか。多くのことは一概には語れず、つねに例外はあり、何かを語ることはむずかしい。「一概には言えないし、例外は無限にあるが……」
私は何かを語ろうとするとき一概には言えないということはよくわかる。私以外の多くの人もわかっているはずだ。それでも彼らは語る。そこにはリスクがある。彼らの語りが正しいかどうかは一概には言えないのだ。
「ある程度」「そういった傾向」「……の一部は」「かならずしも……というわけではないが」「何時何分何秒地球が何回回ったとき、そのときにおいてのみ」
私にはわからない。一概には言えないということだけはわかる。
ジャズの一回性というものが語られることがある。私は一種のインプロヴィゼーションに身を任せるべきなのであろうか。私はいつでもでたらめの神託をでっちあげることができる。だがやはり私はそういった風なことはやらないだろう。一概には言えないのだ。私は自己完結してしまう。むしろ自己未完結とでもいうべき状況かもしれない。私は一概には言えなさに拘束されている。私の翼は鎖で縛られている。
特別顔がかわいいわけではないが、滅多に怒らなくて酒好きで映画をよく見るとてもいい子。付き合って3年ほど経つが、同じ女性とこれほど長く続いた事はなかった。
料理ができない、遅刻癖がある、味付けの好みが濃い等の不満もあるけれど、それほど大した問題ではなかったし、それで大きく喧嘩をしたこともない。
ただひとつ、貧乳すぎる。AカップBカップとかそういうレベルじゃなくて、無乳。下着のサイズを盗み見する趣味はないから正確なサイズは知らないけど、本当に真っ平ら。
自分はというと、「巨乳は好きだけど、巨乳じゃないとダメというわけではない」ぐらいのおっぱい星人。
付き合ってるという認識しかなかったときはなんとも思わなかったし、セックスでも「ちょっと物足りないけどまあいいか」程度にしか感じていなかった。
それが最近強く結婚を意識するようになって思った。「俺はもう一生おっぱいに触れられない」と。
胸で押し上げられてみぞおちのあたりの布が少し浮いているのを見るのが好き。
前ボタンを留めた女性会社員のジャケットの襟が外側に反ってるのが好き。
別に大きくなくてもいいし、「おっぱいがそこに存在する」ということだけで癒される。
もしこのまま結婚したら、自分が手の届くおっぱいはこの世に存在しなくなってしまう。
まあ付き合ってる今でも他の人のおっぱいに手が届く事っていうのは基本的にないんだけど、結婚すれば可能性すらも失ってしまう。
そう気付いてしまってから、セックスをする気も起きなくなってしまってもうここ数ヶ月は何もない。(持病の薬の副作用でインポ気味とか言って誤魔化してる。まあ精神的インポなのは事実なんだけど)
最近はどうやって他の理由をでっちあげて別れるかばっかりを考えてる。
「愛があれば~」なんてのは嘘だよ。愛があってもおっぱいなしじゃ生きていけない男もいるんだよ。
追記
早めに仕事終わって酒飲んで帰ってきたらすげー伸びててびっくりした。
否定的なものも含めて全部のコメントとトラックバック読ませてもらいました。
一番しっくりきたのは「マリッジブルー」ってやつで、なるほど確かにそういうことなのかもしれないです。
でも前おっパブ行ったのがバレて死ぬほど泣きながら怒られたので、ましてや結婚後の生活と生計を一にした状態ではたぶん行けない。
これの筆者です。
id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田(国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。
なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。
山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。
618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジアに大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。
東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。
朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。
これはひどい。遣唐使の派遣再開が何年だったかという記述がありません。
そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使を派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。
一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書が8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京の時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。
ちなみに、他の教科書では、遣唐使の派遣再開についての説明が次のようになっています。
「7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇の時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」
「白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島からの渡来人や新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」
「律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物や制度の摂取につとめた。[中略]
こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣の鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」
[引用者注:教科書のページを戻って「白村江の戦いと国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]
遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます。
三省堂の記述もおもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています。
大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣の鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使、新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通の教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代の様相として語っているのがすごい。
東京書籍、実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。
山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代の出来事と把握すると誤りになります)
東大入試(2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています。
次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまりの大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問:この時代の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。
山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですから、いくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂をのぞく。後述)
8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使を派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者は正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]
一方、日本の律令国家内では天皇が皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。
白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人が仲介したものが多いと考えられる。[後略]
以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。
(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。
(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。
(3)は、日本と新羅の関係悪化について述べています。新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。
(4)は、日本と新羅が政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅は民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人が仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。
教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試に対応するためだけではありません。
例えば『詳説日本史』には、最初に引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。
ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまいます。
もしくは、これは2003年の入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史』シリーズ(2000年~2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズからも引用しておきましょう。
国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗に蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人や蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正『天皇と諸蕃』)
さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国に位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号を「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。
実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家の領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである。
[中略]
このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しかし東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢、列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。
日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使の派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。
いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書(日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。
こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使の派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。
私がこのエントリの題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者が国内と国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います。
それに、このことは現代の外交問題についても、重要な示唆を与えてくれます。例えば政府が国内に向けて愛国心やナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調のアピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。
あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。
遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます。
おもしろい特色がありません。
無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的な呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。
華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚のイベントになったと推測できます。もっとも、沈没や行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?
つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459
痴漢が司法の問題なのは自明のこととしても、一朝一夕に正されるわけじゃない。
明日にでも起こる痴漢や痴漢冤罪にどう対応すればいいかという話も同時に必要である。
痴漢行為を疑われて警察に取り囲まれても安易に従わず「正統な職務執行なのか」を問いただす方法が紹介されていたが、「痴漢されると怖くて声も出せない」のと同じで、警察に囲まれて毅然と対応が出来る人は限られるだろう。
また知識武装が冤罪の偽装に使われるという話は当然ありうることで、両手でつり革を持ったまま股間を当ててくる痴漢の話があったが、これも「つり革を持って痴漢していないことを示す」善良な一般市民の工夫を、姑息にも痴漢が利用している。こういう輩が増えると「両手でつり革を持つ」ことが冤罪証明にならなくなるわけで、こういう姑息な痴漢にはもっと怒りを向けるべきだと思うのだが……残念なことに痴漢冤罪の問題で「勘違い女」や「嘘をつく女」を怒りの矛先としている男性も一定数いる。
とはいえ示談金目的で痴漢冤罪をでっちあげる女性の存在もあり、実際に事件として明るみになったこともある。もっともこの事件は女に痴漢を仕立てるように指示した男の存在がいて、男の敵は男という案件でもあったのだが。まあ、痴漢や痴漢冤罪の問題において悪いのは犯罪者であり、男か女かという議論になった時点で非建設的ではあるのだが。
痴漢冤罪が大きな問題になるほど得をするのが痴漢でもある。したがって現状何の対策もとられないまま痴漢冤罪の認識だけが広がることは、痴漢を減らすことからも遠ざかる。こうした連鎖を危惧して「痴漢は女性にとって深刻な問題」と声を強くすると、「じゃあ冤罪をかけられた人はどうなってもいいのか」と反発を受けることがあり、解決どころか水掛け論に陥ってしまう。
同様の話で、女性側が「痴漢の方が深刻」と結果的に対立を煽ることになる言葉を使うケースもあるし、そもそも「男の敵は女」と思っているような男性に「痴漢は女性にとって深刻な問題」といっても煩いノイズにしか聞こえていないのだろう。
両手でつり革をもって冤罪偽装する痴漢もいれば、数人で謀って痴漢をするケースもあり目撃者の信頼度も必ずしも完全ではない。別の乗客に間違うように仕向ける痴漢もいるかもしれない。女性側も示談金目的かもしれないし、バックが当たったことを勘違いしたのかもしれない。痴漢騒ぎがあった時に、痴漢なのか冤罪なのかは当事者しか分からないが、その頼りとなる証言も第三者からすれば互いに疑わしいところは最後まで残る。
こういった状況でほくそ笑むのは痴漢や示談金目当ての犯罪者だろう。
犯罪者が本当に困るような方法で対策をしていくべきだと思う。
ちなみに度々話題になる監視カメラだが、東京メトロと都営地下鉄は2018年度以降に3,800両の全車両内に防犯カメラを設置する予定でいるそうだ。JR東日本は埼京線で一部導入しており、東急では2020年をめざして設置予定だという。
監視カメラがどれだけ効果があるかは分からないが、埼京線の導入車両では減ったという報告もあり、実際にカメラが現場検証に役立つというようりも、痴漢をしようとする人の心理的な抑止効果にはつながるのではないだろうか。
しかしそれも10年ほどを設置期間と見ているようで気の長い話ではある。
また、都合が悪い証拠を警察が改ざんした事件などもゼロではなく、正当な職務執行の事実を認めるリスクを避けて捜査に不正を行う可能性も否定できないし、冤罪偽装しながら痴漢を行った場合に別の人が痴漢扱いされるケースも考えられ、監視カメラで痴漢や痴漢冤罪を減らすことができても、全てを解決するツールとはならないだろう。
監視カメラ設置をした上で、鉄道会社が乗客数の上限規制をすることも効果があるかもしれない。無理にでも行った場合、渋々フレックスタイム制を取り入れる会社も増えるかもしれないが、サービス早朝出勤させられる労働者も増える可能性もあり、未知数である。
根本解決ができない以上、混雑する朝7時から9時半まで男女完全別車両にするほうが早いのではないか。これなら比較的コストもかからないし、何よりも痴漢と示談金目的のでっちあげ犯を困らせることができる。
他国から見れば過剰対応かもしれないが、もうすでに犠牲者も出てる上に、痴漢男女間の不信やヘイトが根深くなる一方の現状よりはマシなのではないかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170529043101
俺が小6のとき、クラスの女子が「面白い本あるから見せてあげる、けど他の男子には内緒ね」と一冊の雑誌を差し出されたのを思い出した。
表紙は一見、10代少女向けの一般的な少女漫画雑誌に見える。雑誌のタイトルは忘れたが、「絶体恋愛主義」とか、そんなニュアンスのタイトルだったと思う。
中身を開くと、ただのエロマンガ。
快楽天とかペンギンクラブとかの男向けエロマンガ雑誌と遜色無いレベル。男でも普通に抜ける。
俺が記憶してんのは
「きゃー!ゴキブリー!」と叫ぶと
いつも彼氏に乱暴なセックスをされて泣かされていた女子中学生が
みたいな、当時小6の俺が見てもストーリー適当すぎんだろと思ってしまうレベルのつまらなさだった
とりあえずセックスのシーンさえ描いとけばストーリーは二の次というのがモロに出てた
男向けエロマンガ雑誌でもここまで都合のいいストーリーは無いわ…とは思いつつも
貸してくれたのでそれをおかずにオナニーした
バナナやソーセージを使ってフェラの練習しましょう みたいな記事があった
東スポの新作AV紹介ページのようなオッサンくさい記事まであった(しっかり撮影現場の写真付で)
巻末の読者ページは、
「先月、学校の修学旅行があって、その宿泊先のホテルで無事カレと初体験できました(岐阜・小6・PNななみ)」
「私の彼氏はピアノの先生。ピアニストだけあって、指先の動きが繊細で私はすぐにイッちゃいます(青森・中2・PNゆうこ)」
みたいな、小学生や中学生からのセックス体験報告で埋っていて刺激的だった。
女子中学生が自分で描いた下手くそな自作エロマンガが掲載されたりしていた。
懸賞ページもあり、香水とか女子中学生が好きそうなブランドの服とかに紛れて
小学生が当選したら、ちゃんとピンクローターを送るのだろうか。
で、その懸賞に送るにはアンケートに答えなければならないのだが
アンケートが酷すぎて震えた。
いや、これマジね。雑誌に関するアンケートじゃなくて、読者の住所、電話番号、学校名から顔までプライベートを把握した上で
まあ、あまりにも珍しい内容のオンパレードで、友達の兄ちゃんが隠し持つ快楽天を皆で集まってコッソリ見たときよりも楽しかった。
また、これを貸してくれた子、というかクラスの女子達の間でやおいも流行っており、美少年が美少年のチンポ舐めたりケツを掘ったりする漫画も貸してやると言われたが、興味がなくてそれは断った。
やおい雑誌にはガチホモビデオのサンプル動画が収録されていたようだ。
やおいとホモは違うんじゃないの?男が絡んでたらそれでいいの?
ただ、その3年後くらいには10代女子向けのそういった雑誌は消えてしまった。
大人になってから、あるエロマンガ家が10年前に書いたブログを読んだのだが
「少女漫画雑誌から仕事の依頼がきて、『僕、普段はエロマンガ専門なんですけど、エロシーンはどうしますか?』と聞いたら、『いつも通りで!』と注文が来て驚いたww」と書かれていた。
そのブログによると、ティーンズラブの漫画家は少女漫画出身と、エロマンガ出身とで入り乱れていたらしい。
とりあえずエロい漫画描ければ誰でもいいみたいな感じだったんだろうな。
「男子はコロコロとかジャンプの漫画のパンチラ程度で喜んでるのに、女子は最早こういうの読んでるのか…一枚上手だな…」としみじみ思ったのでした。
私にはまだ人生でやりたいことがある
具体的にやっていることもあるし、まだ行動に移していないこともある。
上手くいってないこともあれば、上手くいっていることもある。
楽しいこともあれば、楽しくないこともある。
いい人もいれば、分かり合えない人もいる。
他人から見ると、私の人生は最高ではないがお先真っ暗には見えないだろうし、自分でも決して絶望ばかりではないと思う。
家は裕福ではなく、むしろ貧困層ではあったが、様々な環境上の問題が致命的なレベルに達さなかったことや、
持って生まれた性格が、歪んではいるものの生存にはある程度向いていたという運もあった。
だが。それでも。
周囲の人と談笑しながら、――もしかするとそれは談笑している擬態なのかもしれないが――同時に息苦しくて、早く死にたいと思ってしまう。
仲間と一緒にプロジェクトの成功を喜びあいながら、やはり死ぬしかないのだろうなどと頭の片隅で思ってしまう。
異星人の如く共感できない原理で動作するフツーのヒトビトと呼ばれる者たちに埋め尽くされたこの社会の向かう先では、私は淘汰されるべき存在なのだ。
時期が悪かった。場所が悪かった。そういう意味では運がなかった。
この今、この時代において、私を取り巻く小さな世界は、必死に擬態し存在をかき消そうとする私を、それでも尚異物としか認識しないだろう。
外の世界はどうだろうか。外に世界はあるのだろうか。少し程度が違うだけで、同じ世界の延長線上なのだろうか。
走り出したことはあっても、逃げ出せたことがない私には、どちらにせよ私の足では今の世界から上手く逃げ切れそうもない。
だから、死んで消えるしかないのだ。私が私を解き放つには、死ぬしかないのだ。
正直死ぬのは怖いし死にたくもないが、死ななければならないのだ。
死ななければこの息苦しさからは逃れられないだろうという確信めいた感覚が、気付いてしまったその時から、ずっとベットリと心にへばりついている。
やりたいことがあると言って、希望も目標もあると言って、義務や責任で自分の命は無価値ではないと屁理屈をでっちあげて、なんとか死なないように抑えつけている。
絶対にバレない方法で事故死にみせかけて莫大な保険金がおりるという話があれば、一も二もなく飛びついて、笑って跳ねられるだろう。
ビタミン剤でオーバードーズごっこをしながら精神の安定を保って生きながらえる精神が健全と言い難いだろうことは理解しているが、
発達障害にとにかくまとわりついてくる生き辛さは、私にとってはこんな感じだ。
従軍売春婦の問題で国連委員会が日韓合意見直しを勧告したそうだが、従軍売春婦(慰安婦ともいう)は詐話師吉田清治が金のためにでっち上げた嘘なんだろ?
なんでそんな嘘話が原因で日本がとやかく言われなきゃいけないんだ!
韓国と北朝鮮と中国が作り上げたでっちあげをまだ国連は信じているのか?
当時の日本も朝鮮も貧しくて、日本なら遊郭、朝鮮ならキーセンに娘が身売りされたことがあった。
日本軍が人さらいをしたことなんて無くて、キーセンが借金のカタに娘を連れて行ったのだ。
なんだ、でっちあげかよ。。信じて損したぜ。
特定の目的があって、特定の栄養素にフォーカスして摂取したい場合、ああいうのは有効だよ。テレビの健康番組の場合、そもそもその内容の正当性自体が怪しいもんだがね。
「内容自体は間違っていないが、普通に生活していたら不足するわけがない」
場合と
っていう場合と
場合がある。
普通に健康になりたいなら、厚生労働省の定める健康的な食生活の基準を満たしつつ、週に2時間程度の適度な有酸素運動運動、2日間の合計が12〜16時間程度(個人差あり)の良質な睡眠、適度にストレスを感じる程度の活動、増えすぎたストレスに対する適度なコーピング、孤独感を感じず負担にもならない程度の適度な交友関係があれば、申し分なく健康的な生活を送れるよ。(それが「理想」というだけなので、ある程度不足があってもオッケー。あと、テレビで言うような「健康法」は、効果を過信せず、補助的にピンポイントに行うのが正しい。)