はてなキーワード: 自己評価とは
いま、「次の職場でも同じミスを繰り返すのだろうか」と不安に苛まれている。
仕事は期限があり、お金があり、品質がある。これはどの業界のどの仕事でも変わらないと考えている。
自分は「期限」にルーズである。期限に引っ張られてお金をかけ、お金に引っ張られて品質を蔑ろにしてしまう事を7年も続けてきた。
その結果、信用を失い、うつになった。
期限を守らない原因は、「聞いたら怒られる」「やっても評価に繋がらない」という事が強迫観念のように頭に刷り込まれており、
上司に報告・連絡・相談ができなかった結果、周囲から詰められたのだと自分では思っている。
この考え方が危険で、認知行動療法に関する本も買ったのだが、ベッドサイドに投げ出したままだ。
分かっていても直せない。きちんと直さなければならないのに、直せない。
精神科医の先生から薬を飲んで処方してもらったけれど「躁状態にするんでしょ」と飲んでいない。
うつの治療はこの考え方や性格、運命まで変えないと根治には至らない。
マザーテレサの例の格言のようだが、精神科医療にはより強く意識して治療していかないと、
世の中のうつは無くならない…
かなり甘えているが、「考え方の変え方」や「違った目線からの指摘」なんて治療があまりにも少なかったように思う。
確かに先生からは色々な言葉を貰った。数回会うだけで影響力を与えるには、十分すぎるほどだ。
ただ、経過観察をしていくうえで必要なのは、うつ物質を消すだけではなくて、
考え方を強制的にでもポジティブに変えていく治療をしないと、再発は免れない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.landerblue.co.jp/blog/?p=18467
元のブログは大事な部分が省略されて(あるいは意図的に見過ごされて)書かれている。
第2部のデータだけを見るとかなり衝撃的だ。ただ、その後の第3部では、単に「日本の若者は不幸だ!」というだけではない分析が加えられていて、興味深い。(日本の若者が幸福であるといいたいわけではない、もちろん。)
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html
諸外国に比べ日本の青少年の自尊感情が低いことが問題視されることが多い(古荘,2009)。今回の調査結果においても、自尊感情と関連すると思われる「自分への満足感(「私は、自分自身に満足している」)」をみると、他国の平均値が 3.00 前後であるのに対し、日本の平均値は 2.31 と際だって低い値を示している。
このような結果を見ると、「日本の青年は良くない状態にあるのではないか」と評価したくなるが、果たしてこのような評価は妥当だろうか。というのも、「自分への満足度」が低いということは、必ずしも「悪いこと」とは限らない場合もあるからである。(中略)文化によっては、「控えめ」に自己をとらえることが美徳とされる場合もありえる。
日本の青年は、ドイツ、フランス、スウェーデンに比べると統計的に有意に高い値を示したが、韓国、アメリカとのあいだには有意な差は見られず、逆にイギリスからみると有意に低いという結果が得られた。つまり、自己有用感について、日本の青年は他国の青年に比べて著しく低いとは言えず、アメリカや韓国の青年とほぼ同程度であり、イギリスの青年と比べると、日本の青年のほうが自己有用感が高いことがわかる。したがって、自己有用感という視点から自尊感情をとらえるなら、必ずしも日本の青年は、自尊感情が低いとは言えない。
今回の調査で日本の青年の「自分への満足感」は、他国と比べ際立って低い値であり、日本の青年が自分に対する満足感が非常に低いことが示された。しかし、その一方で、同様に自尊感情を測定している自己有用感では、ほぼ中間に位置し、他国の青年に比べ、特段低い値ではなかった。
こうした結果から改めて、「自分への満足感」について考察を加えるなら、次のようにとらえ直すこともできるのではないだろうか。すなわち、「日本の青年は『自分への満足感』は低いが、それは自己有用感との関連で考えられた上での結果である。それに対してアメリカ・イギリスの青年の「自分への満足感」は非常に高いが、それは自分が役に立つ存在であるといった自己有用感とは別次元で考えられた結果である」と。つまり、日本の青年の満足感の低さは、自己の有用性に関する判断と関連した上での自己評価であり、他国の青年とは異なる基準でとらえられた結果である可能性が考えられるのである。
以上のことから、今回の調査で他国の青年との比較で明らかになった日本の青年の自尊感情の特徴とは、長所や主張性といった個人の特性と関連しながらも、他者にとって自分は役立つ存在であるかという有用性と分かち難く結びついたものであるという点で、他国の青年にみられない特徴をもつものであったといえるだろう。このようにとらえるなら、日本の青年のみならず、それぞれの国において固有の青年の自尊感情のあり方というのが存在するのかもしれない。したがって、「自分への満足感」、あるいは自尊感情というものは単純に高い低いという視点から評価するだけでなく、どのような構造(関連性)をもったものであるのかという視点からもとらえる必要があると考えられる。
日本の若者は単に「幸せ」とか「満足」と定義するものが少し他国と違うのかもしれない。
個人的印象では「自分に満足」は結構ハードルが高いけど、英語の satisfied with はそこまで強い意味でもないように思う。
もちろん、日本の若者だけが本当に極端に不幸であるという可能性もある。いずれにしても、単におおまかな数値を比較して不幸だというより、こういった違いを踏まえて考えたほうがより的確な施策につながるのではないか、と思う。
難しいよね。
この時期になればどこでも自己評価を書かされるけど、私は毎度うつにしかならない。精一杯やっているつもりでも、サボっているつもりもなくても
結局周りの環境でいろいろ出来なかったりするしね。
ほんと、こんな仕事が出来ない子に高い給料払っていただいてありがとうございます。
もう、やめさせてもっとスキルを持っている派遣さんでも入れてください。
そのほうがたぶん会社のためでしょう。
そもそも、仕事どんどん外注していっているこの会社の流れには賛成できなくて、こちらがそれだけのスキルを持っていなかったら
業者には叩かれるわ、好きな子とされるわ、情報漏えい起こるわで大変なことになると思うんだけどなって最近はたから見てます。
・・・そんなことを言う権限は私にはないのだけど。さっさとやめたいです。
まあ、どこでもこのジレンマは続くと思うけどね。
ホットエントリに上がってたブログに自己評価が低い女の子が自分を語っているものがあった
このように自己評価が低い女子の存在というものはレアケースではなく、男性の中にもいるように一定数存在しているのだろうと思う
だが生まれてこのかた自己評価が低い上に相手にそれほど条件を求めない女子というものには出会っていないように思うのだ
1,男なら簡単に見つかる
男性であれば自己評価が低く、パートナーになる女性にあまり条件を求めない人間がすぐに見つかると思う。ソースにしているブログの通りパートナーにしたいと思うトリガーがたやすく引かれる者達だ。ただ異性として見られただけで恋愛のトリガーが引かれる
このような存在はオタサーの姫エントリが多出した時期にさんざん見たであろうが、オタサーに入ればすぐに見つかるのだ
2,じゃあ女性はどこに隠れてるのか
オタサーに入っている女性出会ったとしてもその自己評価が低いという例はあまり無いように思われる。そもそもそういったサークルに所属している時点で姫を狙っているものも多数おり、それは自己評価の高さから来るように思われる。彼女たちにとって自己評価が低い者同士で集まって毛づくろい的コミュニケーションを取りたいというものも少ないと思われる。
まあ彼女たちは見つけてほしいとかそういうのはないだろうけど
が最近ひどくなってきたんですがどうしたらよいでしょうか。
前は家の中でなることが多かったのですが最近は普通に歩いてる時、電車に乗っている時、仕事中もなるので流石にちょっと辛くなってきました。
普段は嫌な記憶なのでまったく表に出てこないのですが、なにかから連想して「うおおおおおおおおおお!」
という暴れたくてしょうがない気持ちになるのです。
子供の時からその気はあって、当時は友達付き合いの失敗などが多かったように思います。
よく思い出すのが当時仲の良かったオタク友達(中学生なのにシスプリとかエロゲーやってた)がいたのですが小学校の時に一緒に帰ろうと下駄箱の前まで行った時同じクラスの別のやつが
「お前たち、友達だったの?」
と言ったのです。
その時につい、「・・・」と無言になってしまい、気まずい雰囲気が流れたわけです。
友人は「お前ひでえなw」と笑いながら言ってくれてその時はいい雰囲気で一緒に帰ったわけですが今でもその時に返事できなかったことを時々思い出してしまうわけです。
割りと自己評価が低い方なので俺なんかが「友達」を名乗ってもいいのか?と躊躇してしまったわけですよ。
中学生くらいまでは殆ど忘れてたんですが高校で暗黒時代(主に友人関係で)に突入してから頻繁に思い出すようになり思い出しすぎたせいで流石にこの件については忘れないようになりました。
ただ、代わりにこの件については「うおおおおおおおお!」となることがなくなったので逆に良かったと思ってますが。(自分の中で整理がついたのかもしれません)
他にも中学校に入って琴が引けなくて音楽の授業で泣いたこととか、給食のババロアが食えなくて泣いたとか色々思い出します。あと、高校時代に中学の頃中の良かった人が話しかけてきたのに邪険にしてしまった話とかもよく思い出します。球技大会でサッカーで緊張で失敗した話とか。
嫌な記憶自体は数百はあるようなきがするんですが、フラッシュバックするまで無意識に封印してるのか大抵思い出せないんで正確な総数はわかりませんが
スーパーでババロアを見ると思い出したり、サッカー漫画を見て連想したりとかしてたんですけどそのくらいは家とか特定地点で思い出す程度なのでそこまで問題なかったんです。
でも最近仕事をするようになりまして、居酒屋での失敗とかをよく思い出すんです。
業務での失敗はそこまで思い出さないんですがやっぱり人間関係の部分での失敗を引きずりやすいようでそういう楽しむ場で会話をしてて調子に乗りすぎて失敗したりとか鮮明に思い出してしまうわけですよ。
それがひどくなってきてPCの前で仕事しながら我慢しきれなくて頭を振ってしまったり、この間は信号待ちの時に思い出してしまってつい唸ってしまい周りの人にちょっと見られてしまいました。(たった一人で知らない人だったからまだ良かったんですけどね。恥ずかしくて走って逃げました。)
ちょっとこれ以上ひどくなると業務にも差し支えますし完治は無理でもちょっと快方させたいわけですよ。
※追記
たくさんの反応ありがとうございます。
お風呂でなることは多いですね。
やることが他にないので思考がそちらに寄り易いんだと思います。
また、自分の中で消化しきれたもの、消化しかかってるものは基本的には忘れないようになります。私だと最初の友だちの話は心のなかで整理されたために思い出しても「うわぁぁっぁぁ」とはならないようになりました。
フラッシュバック系が思い出せないのは嫌な気持ちを忘れようとするので本能的に脳が記憶をブロックするんだと思います。
ただ、連想するものが脳に入ってくると紐付いてしまって記憶が想起されちゃうんですよね。
だからこういう悩みを打ち開けようと思ってもそもそも思い出せないのでなかなか相談しづらいというのは有ります。
あと、一回この手の話を他の人したことはありますがこの話を相談すること自体が恥ずかしいことなので今度はそれが黒歴史になるんですよね。
たまにその時のこと思い出して悶絶することが有ります(苦笑)
なので若干リスクが高いです。
しかもこういう質なのに元来の性格が割といじられキャラだったり、そのうえ自分自身もそれがオモシロイと思っちゃったりするので業が深い
なんでこう、自己評価を低く抑える癖が付いたかなあって最近考えたりする。
まあ幼い頃の成功体験が少ないとか、うまい具合にこなせてないとか、そういうことでおおまかには説明されるのかもしれないけども。
とにかく確かなのは、自分に対しての評価がひどく低いために、他人から受け取る評価が大概自己評価の基準より上になってしまって、それが身に余るものとしか思えなくてバランスが取れなくて、その溝を埋めるためになんとなく引き気味に動いてしまう自分がいることで。
これを謙遜として受け取ってくれる優しい人はもちろんいるけど、この自分の態度を「お前のプライドが高いからだよ」と親切に説明しやがりくださる人もやっぱりいて、その好戦的な感じに妙に頭の天辺がじんわり痺れそうになったりもして。
でも自己評価が低いのをプライドが高いって見なされてしまうのはもしかしたら仕方ないのかなと同時に感じたりもするから、なんというか、モヤモヤとして、たちが悪い。
そういう人たちにとっては、例えば「自分のできることなんかこんなもんです」という態度が、自己評価の低さから出ているのではなくて、絶対解けるパズルしかやらないみたいな意思表示をしているように見えるんだろうと思う。意識的ではなくても、どこかで意図的に自分を小さくみせていると感じるんだと思う。もっと言えば、そっちの方が万能感感じられるよなーって。
自己評価が低すぎる人には逆に有効なんじゃないかと思ったりもする。
まあそれでもコントロールしようとしてるってのはその通りなんだけど。
元々自分は物凄く自信の無いタイプで、自己評価が低いせいか俺は他人に話しかける資格は無く、一人で生きていかなければならないとつい思ってしまう。
一方で自分で言うのもなんだが、ある特定のジャンルに関しては他人より秀でている。つい他人より上手くできてしまい、人から尊敬される一方嫉妬される対象になりやすい。
しかしそのせいかその才能の評価を自分の人間としての評価と勘違いしてしまい、元々自己評価の低い自分は反動で出来ない他人を物凄く見下してしまう。
そのせいで人からヒンシュクを買い、うまく人とコミュニケーション出来なくなってしまった。
しかも、人からバカにされて拒絶されても「俺には才能があるから」とその性格を直さずにそのままにしておいてしまった。
今その習慣を物凄く後悔している。自分の才能を世の中で生かしていくには結局人とうまくコミュニケーションをとらなければ売り出していけないからだ。
そんなに才能がなくても、コミュ力で自分を売り出して成功している他人を見て凄く嫉妬する。
「俺の方が才能があるのに」と。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/input_output_Japanese
トピシュ氏が、女々ブログの解説のようなことをして、アレは見られることを意識していないのでは、と結んでいたが
見られることを意識してない風を無意識に装って、メンヘラ独特の破滅的で赤裸々"風"の文章を書いて耳目を集めたくてやってるんじゃいないか
やってること自体は無意識なのかもしれないが、それは間違えちゃったテテヘッというよりも、メンヘラ故の無意識というか。
ネットで注目集めたいメンヘラの、お馴染みのいつものアレって感じだけどね。
このところホッテントリに上がってきてるのを目にして、あーそういえばこういうメンヘラもいたよなーなんて思ってtwitterの垢を覗きに行ったが
恐らく複垢と思われるアカウントのつぶやきを一生懸命RTしていた。複垢のフォロアー数は少なく閑散アカウントといった感じ。正直使い分ける理由が分からない程度の「すぐ分かる」複垢
文章がおかしいのは、見られることを考えているか以前にメンヘラなのと知能程度が低いからだろう
そういえば、トピシュ氏は、いつぞやのブクマカオフ会の後のエントリで、女々に自己評価が過剰に低いのはあまり良くないことも多いと思う、みたいなこと言ってなかったかなと思ったが
自己評価が高い低いじゃなくて、謙遜できるかどうかって話でしょそれって。
平均より優秀なのが確定だったとしても奢らずにへりくだれるかどうか。
平均より劣ってるのは確定でも謙るのはもちろん一度の成功でうぬぼれたりしないかどうか。
そういうことでしょ。
あなたもあなたのパートナーも、そして赤ちゃんも心配なので書きますね。
まず、夫婦の役割が云々っていう考え方、やめよう。何も生み出さない考えです。
あと、あなたがパートナーを尊重している、って自己評価しているのも、見えるよ、きっと。あざとく見える。
感謝は感謝、それ以上でも以下でもない。感謝している自分すごい←あんまりかっこいいとは思えない。
赤ちゃんが泣いているとき、って何が原因なのかしら?っていうのは多岐に渡る原因がある。
その中には、やばい状態の手前、っていうのがあるのね。
有名なのは腸重積です。こういうのは子育て本読破するとわかるのね。
病気の場合には数時間で変化してくる。熱が出てくる、お腹が張ってくる、血便が出る、吐く、いろいろね。
その中に「ぐったりしてくる」ってのもある。それはとても良くないことがある。
なので赤ちゃんが泣いたら、もちろんあやすんだけど、あるいは暑がってないか、寒がってないか、おなかがすいてないか、中には眠いから泣くとかいうわけのわかんない生理もあるし、いろいろ考えるんだけど、おっぱいがついてない男性の場合にはたとえばさっきママのおっぱいは飲んだから、げっぷが出てないんじゃないかとかまず考えて背中をトントンしたりするよね?でもだめで1時間も2時間もゆっくりとあやしながら様子を見る。その時にだんだん焦ってくるよね、でも焦らないで観察をし続ける。
でもね、もしも放っておいて「ぐったりした」のを見逃すのはやばいです、怖い。
なので赤ちゃんが泣いていたら放っておいては眠れない、っていうのが正直なところです。
もちろん海外では「放っておく」やり方はあります。ママ離れをまずさせてしまう、という事なんだけれど。
それでも泣いているのが急に静かになったら飛んで行って確認が普通です。
もちろん今回ははじめてそんなことがあったわけだからしょうがないんだけど、
スマホを投げつけられて起こされたら、赤ちゃんに何かがあったんじゃないかと焦って赤ちゃんをまず心配する、そして「ごめんなさい」「ごめんなさい」があるべき反応だと思うのね。
夫婦に平等があるんだとすれば、心理的な負担をなるべく分け合いたいじゃない?
お母さんには赤ちゃんの命を守らなくちゃっていうプレッシャーが過度にかかっている。特にスマホまで投げつけたんだから、あなたのパートナーはかなりそういうプレッシャーに追いつめられてないか?大丈夫かい?
その負担を軽くしてあげるのが夫の役割なんじゃないかな、って思っています。
次回は赤ちゃんが泣いたらすぐに反応ができると良いと思うけれど、どうしても起きられる自信がなかったらそれ以外の部分で家族みんなを守ってあげてほしいです。
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
ある朝、っていうか今日起きて唐突に気づいた。天啓のごとく降ってきた。
年をとるからだ。
ブログ記事は基本的に長い。ルナールの蛇よりも長い。140字に慣れた人々には長すぎる。読むのは疲れる。
でも若くて時間がありあまった人たちは頑張って読んで、理解し、時には論破しようとする。ソーシャルネットの運動とはまさに長文の応酬であったはずだ。かつてのはてなもそうだった。村と呼ばれていた場所ではそうだった。村民たちは若く、暇で、知的な欲望に溢れていた。
だが、2014年現在のブログの記事は長すぎる。だが、2014年現在のブクマカたちは年を取り過ぎた。
年をとるとどうなるか。肉体が衰える、気力が萎える、自分たちを高く見積もりすぎる。
眼筋、視覚の衰えは今更説くまでもないだろう。年をとるとめっちゃすごい勢いでリーディングがめんどくさくなる。三分画面に目を向けるだけで眠たくなる。肉体的な疲れは精神的な疲れに直結する。アホなのに熱意だけは人一倍な新入社員が気合入れて作成した10ptゴシック体一万文字(推定)のプレゼン死霊をワードに出力した途端、椅子と一緒にこんなアホを俺に押し付けた上司のハゲを蹴って金を横領した宮沢りえのごとく逃げ出したくなるのは、俺だけではないはずだ。
そして何より自己評価の問題。少年たちは人は年をとるごとに知識を蓄積し、賢くなるものと思い込む。大人とはそれを間違いと認めるようなった人々だと言われるが、実は嘘で、大人たちとは自分たちはもう充分に賢くなったのでこれ以上学ぶ必要も変わる必要もなくなったと思い込む人々のことだ。
だから、目の前にある記事に新鮮味など感じないし、ましてや自分の予想を越える斬新な知見を提示してくれるとも考えない。そして、ちょっと目先を変えただけの釣りタイトルに釣られまくる。罵倒しまくる。なぜなら世の中は俺をイライラさせることしか能のないバカで溢れており、俺にはそいつらを第一印象だけで罵倒する権利があるからだ。
2000文字の本文に俺の人生を変えうる何かがあるとしても、関係ないし、読まないし、読みたくない。大人は自分の半径一クリック以内の現実に汲々とするだけで精一杯なんだ。大人とはハイパーリンク文化から、wwwの崇高な理念から見放される人々のことだ。
人間は誰しも年をとる。つまり、誰しもがろくに記事を読まずに知ったようなクソコメを打つ、クソおっさんブクマカになる可能性がある。
許してあげてほしい。あなたが精魂込めて練り上げた渾身の長文を、二秒であなたの存在ごと否定してきたとしても。
許してあげてほしい。わざわざidコール飛ばしてまで誤読を教えてやったというのにあのおっさんときたら無視しやがるんだとしても。
そういう大人たちを責めないでやってほしい。
彼らは年をとったのだ。
あなたも年をとるのだ。
「自己愛性パーソナリティ障害」でぐぐってみたら宜しいかと思います。下に記しているよりももっと分かりやすい解説が山ほどあるかと思うので。
おそらく、こうやってネット上で話題に取り上げられていることで、
彼女は、(彼女曰く)大好きな男性に口説かれてたときより、セックスしていた時よりもずっと快感を得ている。
この病気の人は、他人はすべて「自分が存在するためにある」ものでしかなく、自分以外の他者の存在が認識できないのが特徴。だから「自己愛」性の「パーソナリティ障害(超性格悪い人)」という名前が付いてる。
彼女は、自分でしきりに「自己評価が低くて」と言っているが、それは「体制を低くしておいて、自分が作った自己愛の砂の城」を崩れないようにかばっているだけにすぎず
いわば、低い体勢を取って、相手の攻撃(普通の人にとっては普通のコミュニケーションでしかないようなもの)をいなしてるようなもの。
肉体を投げ出すこと(セックス)にそれほど抵抗がないのは、それが「相手を、自分のしたいようにコントロールするための道具」でしかないから。
そういう意味では「自己評価が低い」は正しい自己分析ではあるが、恐らく自身では、(メンタル的に)低いと思ってるかもしれないが、物理的に低いだけ。道具として使ってるんだから、まぁしょうがない。
相手を組み伏せたいために体を使うのは、「とっておきの必殺技」であるわけだが、発症の発端は、身もふたもない言い方をすれば「必殺技を繰り出したのに奴隷にならないなんて!」という怒りによるもの。
要するに「壊せる相手」がいないと、生きてる気がしないんだろう。この部分は、本当に全く理解できないんだけど、彼ら、彼女らを観察しているとそういう感じに見える。
サンドバッグが逃げた!こんなにしてやったのに!!
こういう人は、まっとうな人間関係はまず作れない。他人にも「思いや感情」があることが理解できない(理解すると「コントロールする力」が無くなっちゃうから)。
だから、同棲しようが結婚しようがセックスしようが、上手くいかない。自分と他人の距離が適切じゃないから、何が原因で「上手くいかない」かも、理解できない。
ちなみに、ネットで良く言われる都市伝説で「メンヘラはビッチ」というのがあるが、関係性障害が強い(相手との距離が測りにくいという症状が深刻な人)は、
本当に「誰かとセックスしてないと、自分がなくなってしまうような気がする」と言う人もいる。
ただ、セックスが常に「私のレゾンデートルを確認するため」だったりするので、好きな人は好きだろうけど(笑)、重くて面倒くさくて気持ち悪いと思われることが多い。
あと「そういうのが堪えられん」「彼女にはボクしか居ない」と思ってそのまま突撃すると、取り込まれた後は、単なる対人関係ストレスの発散対象でしかなくなる。いわゆる共依存。
共依存にはまりやすい人って、やっぱりメンタルの安定性が無い人が多いから、メガネがハマりに行ったのは、まぁ誘蛾灯に向かって行ったようなもんだろう
まぁ、サンドバッグになるのは普通の人には耐える理由なんてゼロなんで、まともな人は近寄らない(こんにちわの人)し、うっかりした人(笑)でも、気付いた途中で逃げ出す。
大学に行きたい、というのも、「したいことがあるから」と表明はしない。したいことがあると言ってしまえば
私のようなものがこんなに努力したというのに(←大してしてないのにこんな感じのことを考えていたりする。それも自分を卑下して言ってるつもり)、したいことが実現できないと「自己愛城」が崩れてしまうから
だから、いい大学に行って「高学歴の人になりたい」という言葉を使っている。
こういう風に書くと、単なる「若気の至り」的なところもあって、実際にも「いつの間にか普通になった」「結婚したらつきものが落ちたように」という例も多い。
この症状が「病」と名付けられてないのはその辺で、「ものすんごく性格悪い子だったけど、色々あったけど、いい旦那さんにも恵まれて、落ち着いてよかったね」となるわけだ。
症状が出る(周りに災禍をもたらす)のも、だいたいは20代が多くて、彼女のように30超えて結婚離婚までして(プロフィールを信じると)、発症する例は個人的には知らない。
今回の騒動は「オタの妄想に姫が振り回された」という視点で見ている者です。
「この子はネットでは強がってるけどホントは弱くて脆い子なんだろうな」
っていう妄想。
O氏はそれを
口では「晒す」とか言ってるけど優しくして甘い言葉をかけて抱いたら俺に依存してくるんだろうな
とホテルに誘い
S氏は
と大阪に行った。
姫のネットでの振る舞いはそう誤解させるに充分なんですけど
実際の姫は30代までネット依存する事無くオフ会にも出た事がない、バンドとかやってるリア充なワケですよ。
スカート履いてなかろうとオフに参加したら充分狙われるレベルですよ。
「なんでや!」と疑問を吐き出すと相手を攻撃してるようになってしまう形になり地雷扱いに。。。
リア充同士の男女の友達関係ならマンツーで会うとか全然あり得ますが
ネットで知り合ってオフで一回会ったっきりの男に誘われたら下心無しなんて低確率です。
20代前後でオフ会デビューしてたらそんなん周囲で色恋沙汰が起きまくって学ぶ事なんですけど
30過ぎて「私なんて狙われんやろ」と思い込んでオフ会デビューしちゃった姫にとっては理解不能の異世界で事故にあったようなもんです。
「ボカして書いてる」とかうわっつらのごまかしもきかなくなっちゃってますけど。
「やりチン」だの「常習」だの、なんの証拠もないけど書き散らかしちゃって大丈夫?
それに、どうして「ヨシナガ氏の本音」を勝手にotsuneの本音に置き換えちゃってるの?
otsuneが「いろんな良い女といいことをしたい」なんて、書いてないじゃん。
自己評価低いとか言っておいて「このあたしがこんな目にあいました」って書き散らかしてどんだけ自分の価値があるとおもってんの。
「このあたしがこういう風に思われるように振る舞って上げたのに」って、それ相手がそう本当に受け取ったって証拠でもあんの?
「向こうが承認欲求満たせるように話持ってったつもりで」ってすげー自信家だよね。
「あたしがこういう女だって、わかってくれてると思ってた」とかもさー、すげー要求高いじゃん。
それだけ向こうが自分に労力さくと思ってるって前提だよね。
ちゃんと目の前の相手に「私はこういう人です」って言う努力しないで「好きな人だといやな事も我慢しちゃう」??
じゃあ、なんで今は我慢しないのww
なんで攻撃してんの。
すげえ高慢なんだよな、本当は。
よく自己評価低いとか、嫌われるのが怖いからNOと言えないとか言えるよね。
被害者ぶってないとか言ってるけど、「謝罪を要求」してんじゃんw
しかも「あたしの思うように謝れ」って要求してんじゃん。ブクマしろとかw
おめーが「被害者ぶってない」とか言ってんのは、なんか言われたときに「ハイハイわかってますわかってます」って人の話聞かない態度だろ。
友達いないのもよくわかるわ。
会計士試験に合格して、「俺はやっぱりそこそこに優秀なはずだ」ってスイッチでも入っちゃったんかね。
あの年の就職状況はひどかったもんな。年増で三大に拾ってもらえたなら大したもんだ。
勘違いしやすいけどさ、会計士試験合格は世間的には凄いことだけど、監査法人に行ったら当たり前のことだから。
受かって当然のやつらと競争して仕事できるかどうかで評価されるような職場なの。
特に10と11は就職難だったし、残った同期は若くて優秀なやつらが多いからそいつらと比べて見劣りすんのは仕方ないんじゃねーか。
周囲に猛者がいっぱいいる上に、自分の能力ギリギリの仕事をこなさなきゃいけないような環境にいたらそら評価はされねーわ。
いつか辞めて独立するか一般会社に行けば増田を評価せざるを得ないような職場もごまんとあんだろ。たぶん。
とりあえず修了考査には受かってんだろうな。それに落ちてちゃ評価もへったくれもねえか。
今辞めるのが最悪に中途半端だから、とりあえず評価が低かろうがシニアになるのに時間がかかろうが、インチャージ何件かやるまでは辞めんなよ。