ある朝、っていうか今日起きて唐突に気づいた。天啓のごとく降ってきた。
年をとるからだ。
ブログ記事は基本的に長い。ルナールの蛇よりも長い。140字に慣れた人々には長すぎる。読むのは疲れる。
でも若くて時間がありあまった人たちは頑張って読んで、理解し、時には論破しようとする。ソーシャルネットの運動とはまさに長文の応酬であったはずだ。かつてのはてなもそうだった。村と呼ばれていた場所ではそうだった。村民たちは若く、暇で、知的な欲望に溢れていた。
だが、2014年現在のブログの記事は長すぎる。だが、2014年現在のブクマカたちは年を取り過ぎた。
年をとるとどうなるか。肉体が衰える、気力が萎える、自分たちを高く見積もりすぎる。
眼筋、視覚の衰えは今更説くまでもないだろう。年をとるとめっちゃすごい勢いでリーディングがめんどくさくなる。三分画面に目を向けるだけで眠たくなる。肉体的な疲れは精神的な疲れに直結する。アホなのに熱意だけは人一倍な新入社員が気合入れて作成した10ptゴシック体一万文字(推定)のプレゼン死霊をワードに出力した途端、椅子と一緒にこんなアホを俺に押し付けた上司のハゲを蹴って金を横領した宮沢りえのごとく逃げ出したくなるのは、俺だけではないはずだ。
そして何より自己評価の問題。少年たちは人は年をとるごとに知識を蓄積し、賢くなるものと思い込む。大人とはそれを間違いと認めるようなった人々だと言われるが、実は嘘で、大人たちとは自分たちはもう充分に賢くなったのでこれ以上学ぶ必要も変わる必要もなくなったと思い込む人々のことだ。
だから、目の前にある記事に新鮮味など感じないし、ましてや自分の予想を越える斬新な知見を提示してくれるとも考えない。そして、ちょっと目先を変えただけの釣りタイトルに釣られまくる。罵倒しまくる。なぜなら世の中は俺をイライラさせることしか能のないバカで溢れており、俺にはそいつらを第一印象だけで罵倒する権利があるからだ。
2000文字の本文に俺の人生を変えうる何かがあるとしても、関係ないし、読まないし、読みたくない。大人は自分の半径一クリック以内の現実に汲々とするだけで精一杯なんだ。大人とはハイパーリンク文化から、wwwの崇高な理念から見放される人々のことだ。
人間は誰しも年をとる。つまり、誰しもがろくに記事を読まずに知ったようなクソコメを打つ、クソおっさんブクマカになる可能性がある。
許してあげてほしい。あなたが精魂込めて練り上げた渾身の長文を、二秒であなたの存在ごと否定してきたとしても。
許してあげてほしい。わざわざidコール飛ばしてまで誤読を教えてやったというのにあのおっさんときたら無視しやがるんだとしても。
そういう大人たちを責めないでやってほしい。
彼らは年をとったのだ。
あなたも年をとるのだ。
なかなかに読ませる文章だが、これくらいのインパクトで叩きつけてもやはり読まない人は読まないんだよな。 興味ないから読まないのではない。ちょっとやそっと興味あるくらいでは...