はてなキーワード: 番長とは
同時になんで逆ハーは主人公が女なんだ?
馬鹿なのか?
醤油ラーメンを頼んでも味噌ラーメンを頼んでも麺がいつもゴミだったらスープと具だけ飲んで残すだけの料理になるだろうが。
まあそれを上手に出来てる奴はいるよ。
子供が青椒肉絲からタケノコとピーマンを上手に避けるみたいに、クソうざい主人公の言動を完璧無視してヒロインだけにフォーカス合わせる天才が。
でもそんなのをわざわざしたくないじゃん。
は?謎の下駄はかせたご都合主義の魅力(笑)しかない主人公に群がる方がよっぽど異常者だろ。
ヒロインが美少女・美少年だったら見てる側だって「ああ……コイツならしゃーないな」で安心してシコシコで出来らぁよ。
ほーんま理解不能だね。
2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京のホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。
子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンのポスターがこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。
「どこ行くの?」
「3日からじゃなかったっけ」
「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」
「そう」
しばらくするとまた父が来る。
「そう…」
父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。
ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。
私はベッドに座って、ポーチに化粧水を詰めているところだった。
「なんで?」
悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。
「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」
正座した上半身をゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。
「いや、別に……」
「教えてください。私があなたが子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」
正座でゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。
これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。
「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」
「ネガティブなことってなに? 教えてよ」
「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」
母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ。
***
母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。
煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。
文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母やご近所さん、芸能人を悪く言うときも一緒だ。
子どもの頃は、これに必死に賛同していた。賛同したほうが、家庭内は平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧に対応できるのが、誇らしかった。
母の文句が合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。
20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。
母は自分にも、ネガティブな言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。
私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。
母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。
そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。
「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。
最近は、夫や弟夫婦と帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。
弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。
彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。
そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。
それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。
12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。
31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。
こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のときは自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間のときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。
今回は急遽海外への引っ越しのスケジュールがずれこんで、直前に長く実家に滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。
「ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。
年末に駆け抜けた引っ越しや渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族の緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。
私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人の自分に戻っていた。
①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。
②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。
③母の愚痴をニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。
もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。
③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。
***
修羅場に戻る。
「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通の言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」
母は一人で話しつづけている。
たしかに、そうなのかもしれない、と思う。
「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」
こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。
私から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。
虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験の領域ではあるけれど。
ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分の人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。
その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。
「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」
「まぁ、それはそう」
弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。
「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」
「こういうふうになるってわかってるから、おかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」
「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」
父がとぼけて言う。
ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。
だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中でDVだったときのこと、忘れたの?
と本当の私は言いたかった。
宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダのガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。
部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。
日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。
でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。
今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。
ある一定の期間だけだった気がするので、仕事でストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。
そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。
「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」
楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。
「あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」
母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。
たしかに、15歳のモードで言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。
「被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」
「被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか。自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか。
プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。
節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生が子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。
どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。
母にも辛くあたった塾の先生や祖母を黙らせた私の全国模試の順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。
母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。
「過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから」
「本当に行くのね?」
「うん」
これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも、行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月に実家の家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。
海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日だからと義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月の風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。
今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。
私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分が実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。
「私はお正月は家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」
母が地元に娘が残って、べったり子育てもサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。
それが嫌だから、上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月、誕生日と、GWかお盆は帰省した。旅行もした。
でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。
「もう何十年も、十分やってきたでしょ」
そう言うと、母は静かになって、去っていった。
私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。
母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。
それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋のカオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。
母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。
母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。
娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。
10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。
私だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。
誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。
こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。
それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。
脱出した私は、その夜、東京の銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。
——-
けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。
まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。
迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html
もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分で選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。
もう20年以上前の、まだ携帯も電話とメールくらいしかできなかった時代の思い出話だ。当時の俺は高校生だったが、卒業できたのが不思議なくらい学校をサボっていた。育った環境に問題があったわけでもないし、引きこもりだったからでも、ヤンキーだったからでもない、多分どちらにも成れなかったから学校に行かなかったんだと思う。
学校に行かずに何をしていたのかというと、夜な夜な近所の廃墟になった工場でMDから音楽を聴いて煙草を吸って過ごしていた。大人ぶってジンのポケット瓶なんかを飲んだりもしながら、日が昇ったら家に帰って、起きて気が向いたら学校に顔を出してバイトに行く。そんな生活を繰り返していた。何か月かその生活を続けたあと、風邪を引いて数日ぶりに行った工場には先客がいた。制服姿の女の子だった。彼女は俺と違って複雑な家庭に居り、居場所を求めてその廃墟に来たらしい。ただなんとなく夜を儚んでそこで過ごす俺と違って、彼女は深刻な事情を抱えていたけれど、初めて会ったその日から彼女の身の上話を聞くことはほとんどなかった。もっと言えば、彼女と俺が最も言葉を交わしたのは初めて会ったその日だった。その日から、俺たちは大して話もせずにお互いの背中にもたれかかりながら、イヤホンと煙草と酒を分けながら過ごした。
メールアドレスだけは交換していたけれど、メールで話すこともなくて、何時に行くとか着いたとか、そんなやり取りだけをしていた。すっかりその生活が日常になって廃墟で過ごすにはだいぶ寒くなってきたころ、彼女が離婚した母に付いていくために年内には引っ越すことになったという話を聞いた。俺は彼女に何の言葉をかけてあげることも出来なかったけれど、ただとても寂しくて、具体的にいつから引っ越すのかも聞けなかったことを覚えている。いつ来るかわからない終わりを感じながら、それでも俺たちは何を話すでもなく音楽を聴いて夜を過ごし続けた。
そんな不安を抱えたまま、クリスマスイブがやってきた。いつも朝まで一緒に居たからクリスマスイブになった瞬間も一緒に居たのだけれど、クリスマスだという話は一切しなかった。それでもクリスマスイブの夜、俺はバイト先のコンビニでケーキとスパークリングワインを買ってから工場へ向かった。先に着いていた彼女に向って俺はケーキを掲げてメリークリスマスと言おうとして、急に恥ずかしくなって無言でほほ笑んだ。
ワインをラッパ飲みしながらホールで買ってしまったケーキをプラスチックのフォークで不格好に2人でつついた。相変わらずあまり話はしなかったけれど、彼女はケーキにフォークを入れるたびに泣いていた。朝になって帰ろうかという時、彼女が俺にキスをした。歯と歯が当たるような不格好なキスで、煙草と酒の匂いがする最低なファーストキスだった。でも、今になっても人生で一番長く感じたキスだった。本当は数秒だったのかもしれないけれど、永遠のようなキスだった。唇を離したときに俺は彼女にどうしてキスをしたのか聞こうとしたのだけれど、彼女は「メリークリスマス」とだけ言って去っていった。
翌日俺が廃墟に行くと、俺たちがいつも座っていた場所には俺がいつも買ってくる煙草とジンだけが置いてあるだけだった。彼女は居なかったし、彼女に送ったメールも宛先不明で帰ってくるだけだった。俺がメリークリスマスと言える機会は永遠に失われた。
あの日に泣きながら瓶を抱えて朝まで過ごしたせいですっかり滲んでもう何を書いてあったのかわからなくなってしまったけれど、彼女が置いていったジンのポケット瓶にはメリークリスマスと書いてあった。俺は今でもこの瓶を持っている。今年も彼女にメリークリスマスと言うことはできなかった。間違いなく、もうずっと言う機会は訪れないだろう。でもクリスマスが終わろうとすると、いつも彼女のことを思い出す。
子供向けアニメにハマる大人のオタクは男女共に一定数いるだろう。制作陣も子供と共に大きいお友達をターゲット層としては考えているのも事実。
ただ、あくまでメインのターゲットが子供な以上、大人たちはある程度弁えて作品を楽しむ、そして制作陣も子供向けの作品を作る義務があると思う。
放送30年を記念したアニメの内容は、前半はまだ許容できたが、後半はひどかった。原作者原案のストーリーはいわゆるオタクに人気のある六年中心のエピソード。
はっきり言って忍たま乱太郎を純粋な目で見ている人間からすれば、だから何?というストーリーだった。そもそもストーリーなんてない。六年生の一年時代を描きたいだけのオタクが描いた二次創作とそう変わらない。
ベストコンビ投票もひどかった。一部キャラを除きコンビへの思い入れなどなく、上級生へのキャラ萌えのみで投票されたであろうキャラクター達。こちらは3位までのキャラを無理矢理出したが為に内容はぐちゃぐちゃ。会話のテンポも悪く締りのないエピソード。
ここ数年感じてたことではあるが、公共の電波を使って子供向けアニメでpixivで作ったかのような質の低い話を流すのはやめろと言いたい。
オタクは単純に推しが出ていればストーリーはどうでもいいのかもしれないが、あくまで子供向けのギャグアニメであることを忘れるな。オタク向けにキャラ萌え特化の内容のない話を作るのはやめろ。みっともない。
裏設定は表に出したらもう裏じゃないのだから。
私自身幼少期から見ていた忍たまをオタクとしての目線で見るようになったのは16期辺りの上級生ブームに乗っかってのことだ。
ただあの頃は子供向けアニメだという前提をきちんと分かっていたように思う。乱太郎きり丸しんべヱ+一年は組+山田土井を中心に話を作った上で、上級生をゲストにする。原作回でもアニオリ回でもそこは踏まえていた。
子供向けのアニメが露骨に大人向けになっている現状は本当に酷い。そもそも子供向けのアニメに勝手に大人が乗っかっているだけで、オタク自身も完全にオタク向けとして作られたら興醒めじゃないのか?少なくとも私は引いている。大人向けは舞台やグッズ展開だけでいい。アニメにまで割り込もうとするな。
恐らく今映画を作ったとしても、20年記念のような映画は出来ないのだろうな、と寂しく思う。
30年ありがとうといいながら原画展のキービジュは乱きりしんと上級生だけ。忍たま乱太郎の30年には、乱きりしんと一番長く過ごしてきたであろう土井山田は組はいなかったらしい。スタッフにもう忍たま乱太郎という作品自体に思い入れのある人はいないのだろう。
以上、上級生でどれだけ金を稼げるか、商業主義と腐媚びに振り切ったこのジャンルに心底絶望しているのに、昔の忍たまが好きで離れきれないオタクの嘆き。
子供向けアニメにハマる大人のオタクは男女共に一定数いるだろう。制作陣も子供と共に大きいお友達をターゲット層としては考えているのも事実。
ただ、あくまでメインのターゲットが子供な以上、大人たちはある程度弁えて作品を楽しむ、そして制作陣も子供向けの作品を作る義務があると思う。
放送30年を記念したアニメの内容は、前半はまだ許容できたが、後半はひどかった。原作者原案のストーリーはいわゆるオタクに人気のある六年中心のエピソード。
はっきり言って忍たま乱太郎を純粋な目で見ている人間からすれば、だから何?というストーリーだった。そもそもストーリーなんてない。六年生の一年時代を描きたいだけのオタクが描いた二次創作とそう変わらない。
ベストコンビ投票もひどかった。一部キャラを除きコンビへの思い入れなどなく、上級生へのキャラ萌えのみで投票されたであろうキャラクター達。こちらは3位までのキャラを無理矢理出したが為に内容はぐちゃぐちゃ。会話のテンポも悪く締りのないエピソード。
ここ数年感じてたことではあるが、公共の電波を使って子供向けアニメでpixivで作ったかのような質の低い話を流すのはやめろと言いたい。
オタクは単純に推しが出ていればストーリーはどうでもいいのかもしれないが、あくまで子供向けのギャグアニメであることを忘れるな。オタク向けにキャラ萌え特化の内容のない話を作るのはやめろ。みっともない。
裏設定は表に出したらもう裏じゃないのだから。
私自身幼少期から見ていた忍たまをオタクとしての目線で見るようになったのは16期辺りの上級生ブームに乗っかってのことだ。
ただあの頃は子供向けアニメだという前提をきちんと分かっていたように思う。乱太郎きり丸しんべヱ+一年は組+山田土井を中心に話を作った上で、上級生をゲストにする。原作回でもアニオリ回でもそこは踏まえていた。
子供向けのアニメが露骨に大人向けになっている現状は本当に酷い。そもそも子供向けのアニメに勝手に大人が乗っかっているだけで、オタク自身も完全にオタク向けとして作られたら興醒めじゃないのか?少なくとも私は引いている。大人向けは舞台やグッズ展開だけでいい。アニメにまで割り込もうとするな。
恐らく今映画を作ったとしても、20年記念のような映画は出来ないのだろうな、と寂しく思う。
30年ありがとうといいながら原画展のキービジュは乱きりしんと上級生だけ。忍たま乱太郎の30年には、乱きりしんと一番長く過ごしてきたであろう土井山田は組はいなかったらしい。スタッフにもう忍たま乱太郎という作品自体に思い入れのある人はいないのだろう。
以上、上級生でどれだけ金を稼げるか、商業主義と腐媚びに振り切ったこのジャンルに心底絶望しているのに、昔の忍たまが好きで離れきれないオタクの嘆き。
サンドバックに浮かんで消える~
私は燃え尽きちまったわ。
真っ白にな。
で、でたー!
じゃなくて、
つ、ついに!
ついにやったわよ!
スプラトゥーン3の愛用しているブキのセブンファイブオーライダー熟練度星5つになりました!
ぱちぱちぱち!
ヒュージャックマンさんか桃の天然水の華原朋美さんと國府田マリ子さんしか言わないけれど、
この達成感と達成したゆえのさみしさと愛しさと心強さが同居する気持ちで
でもまあセブンファイブオーライダーが使えなくなったってわけじゃないんだけど
達成感ゆえの達成感だわ!
とりあえずお祝いしましょう!
セブンファイブオーライダーの熟練度星5つ達成バッジを付けていて
まあとりあえず
他のブキ使ってみるんだけど、
立ち回りがあまりにも違いすぎて、
キル取りに行くって発想が無かったぐらいに塗っていた時代があって、
よくよく気付いたらローラーでも
肉弾戦でチャゲアンドアスカばりに殴りに行けるのね!って最近気付いたわ。
そんで、
ローラーとかで挑むんだけど
でも逆にジェットスターを使うと
軽い!軽い!
走る速さも速い!速い!
速くて塗り性能も高いんだけど
今の私なら1人で敵地に行ける!ってキルするの無視で
実際に行けちゃったりなぐらいのスペインもビックリな駿足さ加減!
途中でキルされるかな?って思っても敵をすり抜けてダッシュ一番意味もなく敵地に一番乗りするのウケるんでえすけどー。
ウケるわー。
でもやっぱり結局のところ、
セブンファイブオーライダーが使い慣れているから戻ってしまうわ。
あの中央の橋を射程距離を活かし突破されなかったらまず勝利出来るわ!
そこは私に任せてっ!!!
相手がここまで飛んでこないだろうって踏んでいる感じより届くからキルされた相手は納得できないかも知れないし、
逆に私の苦手とする相手は
同じセブンファイブオーライダーかリッター4Kが曲者過ぎるわ。
もうカニタンクを見たら自らキューインキでカニタンクの前に立ちはだかっていってカニタンクを勇ましく倒しに行く勇ましさよ。
次元大介さんが対戦車ライフルで挑む気持ちのようにロマンみがあるわ。
私にも十分ロマンが足りているのよ。
だいたいはなんか相打ち多いけど、
こっちが一発の打ち合いで勝てたら爽快!
ノールックで発射して知らずに爆風に巻き込まれてキルになっちゃった相手が気の毒だわ。
当たっちゃったの?って
1戦1戦の一騎打ち的な沢村一樹さんの一樹じゃない方の一騎なドラマチックで印象深い対戦は記憶に残るわね。
私がカッコよくキューインキで同時3キルしたプレーデータはアップデートで再生されなくなっちゃったけど
いまなら4同時キルしたもんね!って嘘付けるからまあそれもしかりだわ。
でも嘘ついちゃだめよ。
覚えていて欲しいのは、
私の二つ名は
カニタンク倒しのセブンファイブオーライダー使いよってことよ。
とにかく
私は燃え尽きたわ。
でもまだまだ遊ぶけどねっ!
うふふ。
なんか昨日の晩お腹空いてたけど食べずに疲れちゃって寝ちゃっていたので、
朝は案の定米の気分よ。
お湯の量を調節して緩めに作ったらホッツウォーラー風味の
要はそれも加減ってことね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
はんじょう、はんぜう、はぜ、ぜう、はぜ坊、はぜ坊や、坊や、坊、はんさん、はんず、ハンサム、ハーゼウス、わくわくハーゼウス、はにょ、はんにょ、はーにょん、はーにゃ、はにょたろ、般若、ハンニョムチキン、アニョハゼ坊、ニョム、にょん坊、殿、バカ殿、お殿様、とにょ、ニョロトノ、顎殿下、顎武将、織田顎長、顎、顎侍、あごーら、アゴイスト、顎ドリル、顎物語、顎の悪魔、アーゴン、アーゴンデビル、Ago、顎の字、BIG・ジョー、ジョー太郎、顎長おじさん、ものすごく長くてありえないほど黒い、ハシビロコウ、天才ハシビロコウ、鳥、アホウドリ、まーくん、天才子役、店長、タワマン在住、ゲンスルー、爆弾魔、ボマー、半田譲二、F、Fランク、コードネームF、復活のF、Fフォーリア、面白さFラン、Fの一族、最俺こーすけと同じくらい面白い男、こーすけ、三等分事件の主犯格、ケーキの切れない非行少年、V、Vライバー、VTuber、犯罪上等、犯上、常識人、頑張り屋、おにやの親友、おにやの天敵、おにやの彼氏、おにやの彼女、おにやの本妻、ちょっとお茶目なBoy、お茶目ボーイ、お茶目番長、お茶目が過ぎますぞ殿、ラッパー、スプラップの創始者、ラップ界の風雲児、歩く文明開化、天才、てんさい、日本一、ブッダ、ローラー全一、スプラトゥーンプロプレイヤー、プロゲーマー、君は各キルを取った後モクで身を隠しアーマーをスワップするもブラハのスキャンを喰らい瞬溶けスキャンの音も通知も来ているはずなのに出てくるのは言い訳だけ、はんじょう殿
????
妊娠出産の影響ということで、その手の影響を多かれ少なかれ受けそうな群像劇や恋愛ジャンル得意な作家を引き合いに出しただけだけど。
一応、集英社、白泉社、講談社、小学館等の各レーベル少女漫画読んできたし、今も定点観測になったとはいえ少女漫画読んでる作品もあるよ。
一番長く買ってたの白泉社のLaLaで、次点で集英社のりぼん。ほかの雑誌掲載作品は主にコミックスを読んでた。(CLAMP直撃世代でCLAMP作品はコミックスで主に読んでた)
少女漫画が歴史ものやSF、ファンタジーとかいろんなジャンル描いてるのも知ってるし、それらも普通に読んでるけど。
花の24年組の影響濃かったのか、90年代頃までの花とゆめコミックスなんか特にその系統の作品多いよね。むしろその恩恵受けてきた世代だけども(花とゆめコミックスで一番読んだのは生まれる前の80年代作品から00年代)
今から20年近く前、まだSNSという言葉やスマホも無かった頃、俺は旅行記などを載せる自作HPを運営してた。
一番長く使ってたHPの名前は、「地方漫遊車両部隊」だったな。
当時のHP運営者同士は、お互いの掲示板に書き込んだり、相互リンクを貼ったりして、交流してた。
そんな中、別のHPを運営する女性から「今度どこかに連れてって下さい」なんて誘いを受ける事も度々あった。
今回は、そんなエピソードの1つ。
ある年の春頃、「みゆみゆ」というハンドルネームを名乗る女性から「一緒に水族館へ行こう」と誘われた。
ペンギン好きらしく、HPに水族館のペンギンや集めたペンギングッズの写真などを載せてるようだ。
たしか「みゆみゆのペンギンおもちゃ箱」とかいうHPだったかな。
(あらためて検索してみたが、もうHPを閉鎖したのか、名前を間違って覚えていたか、それらしきHPは見付からなかった)
当時の俺は結婚してなかったので誰に誘われても問題ないが、みゆみゆは主婦で、しかも結婚して間もないらしい。
みゆみゆは「メガネ無しの1日」とかいうタイトルで、結婚式の様子をHPの日記に書いていた。
俺にとってはどうでも良い事だが、新婚なのに夫以外の男と2人きりで出掛ける事に抵抗は無いのだろうか?
俺は葛西臨海水族園へ行った事が無かったが、みゆみゆは何度も通ってるので案内してくれるらしい。
とはいえ、地方在住の俺は電車のアクセスも悪いので車で向かう事になる。
事前に「車で向かうと到着が遅れる可能性がある」旨を連絡したが、みゆみゆは「ペンギンの前なら何時間でも待ってられるから大丈夫」との事。
当日は高速で事故渋滞に巻き込まれて、実際に待ち合わせに20分ほど遅刻したのだが。
もちろん向かってる途中、遅れる旨を含めサービスエリアに寄る度に連絡は入れていた。
到着すると、みゆみゆはペンギン水槽前ではなく、出口近くの館内レストランで待ってるとの事。
館内を案内してくれるというなら、入口側まで迎えに来てくれよ…。
俺は葛西臨海水族園が初めてなのに、順路を全て素通りして出口側まで行けって事か?
(出口側から入って逆走すれば早かったかもしれないが、俺は初訪問なので順路すら分かってない)
そんな不満を抱えつつも、順路を順番に通って館内レストランまで向かったが、それらしき人物は見当たらない。
あらためて連絡してみると、みゆみゆは既に水族館を出ていて、もう帰ろうとしてるらしい。
「遅れたお詫びにランチをご馳走しましょうか?」と言ってみたが、みゆみゆは「もう食べたから帰る」との事。
なんだそりゃ?
遅刻したのは俺が悪いとは言え、その事は事前に連絡してあったのに。
結局、俺は1人で水族館を観覧し直す事にした。
後日、あらためて連絡してみると、みゆみゆは着信拒否していた。
みゆみゆのHPを覗いてみると、日記に「長時間、寒い屋外で待たされ続けたので、風邪をひいた!」と怒りの罵詈雑言を書き綴っていた。
おいおい…、屋外のペンギン水槽前で待つって言い出したのは自分だろ?
というか、子供じゃないんだから、外が寒かったら屋内に移動すれば良いだけじゃん。
実際、俺が到着した時にはペンギン水槽前にいなかったじゃねーか。
行き先も待つ場所も条件全て自分で決めた癖に、こんな文句を並べるヒステリー女なら、会っても楽しく無さそうだから結果オーライ。