はてなキーワード: 普通とは
“SNSのせいでお前らは他人を馬鹿にしても殴られない環境に慣れすぎた”って
それだけ鬱憤とかあらゆる負の感情をSNSでぶちまけるやつが増えたのかな
でもそういう表出の仕方じゃいつしか上手く怒ったり泣いたりできなくなっちゃう気もして怖い
でも人前でキレ散らかしたり泣き喚いてたらヤベーやつだって思われるし、そもそも理性が邪魔して普通そんな真似出来ない
必要なんだよ
怒りも憎しみも悲しみも妬みも嫉みも何もかも拳に乗せてぶちまけられるような場所が
近所の台湾料理店に行ったら普通の中華料理しかなくて台湾ラーメンすらなかったわ
パロディの権利は絶対的に守られるべきだと思っている。パロディは批判、批評、評論の一種で、言論の自由の一環だと思ってるから
二次創作は必ずしも守られなければならないとは思ってない。パロディのような言論の自由の範囲とは思ってないから
けどパロディと二次創作の間には明確な違いがあるのは違いない。その違いは言論の自由の範囲内か否かだと思ってる
言論の自由は生存する権利のために必ず守られなければならない(発言権がないと生きてくための最低限の権利の主張すらできない)けど、著作権は商売の上の権利でしかないので、言論の自由とは分けて考えてる
原作の創作物は言論の自由に守られるべきだが、一方で原作が他者を傷つける内容である可能性は常にある
である以上、原作を批判、批評、評論するパロディの権利は生存する権利として守られなければならない
けれどパロディと二次創作の間の線引きは難しい。原作と異なる展開を書いただけでも、その違いがそのまま批評行為になることはある
しかし、たとえ外部的な基準が作れなくても言論の自由に基づかない二次創作行為は明確に別物である
「普通の商行為だと自称する転売ヤー」みたいなもんだと思っている
パロディではない二次創作でいいなら原作のキャラクター名そのままじゃなく、ちょっともじった変名にすればいいと思う
キャラクターデザイン上のちょっとしたアクセサリーを変えたり髪型を少しだけ弄ったりすればいいと思う
そうやって作ったとして、創作をはじめたばかりの人が自作を発表する上で、何の問題もない
つまり、商売の話でしかなく、自分自身が生きてく上での基本的人権の話ではない
一方パロディは、そういうふうに「ちょっと変えてオリジナル」にしてしまったら意味がない
原作と同じであることを強調する一方で違いも示す。そうしないとパロディとして機能しない
職場での昼休み、暇だったので俺たちはふと、イナバ物置のあの有名なキャッチコピー「100人乗っても大丈夫!」について話し始めた。
なんでまたそんな話題になったかと言うと、最近俺が物理エンジンをいじるのにハマっていて、その延長で「イナバ物置をシミュレーションしてみたらどうなるんだろう?」と思い立ったわけだ。
興味が湧くとつい試してみたくなる性分だから、さっそくモデルを作ってみたんだよ。
設定は当然、「100人乗っても大丈夫!」の頑丈なイナバ物置。
いや、むしろその広告に忠実に再現しようとして、できるだけ強靭な設定にしてみた。
そりゃもう、なんというか「これ以上はないだろう」というくらいの頑丈さで。
で、シミュレーションを回してみると、案の定、ビクともしない。
100人が上に乗っかっても、物置はしっかりとその場に立ってる。まさに、「100人乗っても大丈夫!」そのまんまの結果。
興奮気味にその結果を同僚のAに見せたんだけど、彼は意外にも首を傾げて、「いやいや、それはさすがにあり得ないだろ」とか言い出した。
「え?どうして?」と俺が聞き返すと、Aは、「だって、現実であんなに頑丈な物置があったら逆に怖いだろ?」と真顔で言ってくる。
「いや、待てよ。イナバ物置はあのキャッチコピーで何年も商売してきたんだぞ?」と俺は反論した。
「それなりの自信と裏付けがあるはずだし、実際に100人乗ってもビクともしないくらいの強度を持ってるんじゃないか?」
「でも、それって宣伝文句じゃないの?実際には、そんな物置があったらそれこそ物理法則を無視してるってことにならないか?」
Aは意外に頑固で、引き下がる気配がない。
「いやいや、ちょっと待て。イナバ物置はただの宣伝だけじゃない。あの物置は、日本の職人技術と最新の工業技術が結集して作られた逸品なんだぞ。鉄板は特殊加工で強化されてるし、耐久性はもちろん、耐風・耐震設計までしっかりしてる。どこかの安物とは違うんだよ!」
「それでも100人は無理だろ?100人って言ったら、何トンにもなる重さだぞ?」
「だから、そこがイナバ物置のすごいところなんだよ!普通の物置じゃ考えられないくらいの強度を誇るんだ。それに、実際に試したわけじゃないかもしれないけど、少なくともそのくらいの耐久性を目指して作られてるってことだろ?」
Aはまだ納得してない様子で、「じゃあ、君は本当に100人乗っても大丈夫だって思ってるのか?」と問い詰めてきた。
「もちろん、思ってるさ!」と俺は即答したけど、正直言うと少しだけ不安がよぎった。
確かに、実際に100人乗せるっていうのは、実験したわけじゃないし、何かあったら大惨事になるかもしれない。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「いや、やっぱりイナバ物置はすごいんだ。何十年も売れてるのが何よりの証拠だし、品質に絶対の自信があるからこそ、あのキャッチコピーを掲げてるんだろう」
「ふーん、まあ、増田がそう言うなら…」
Aは渋々納得したようだが、まだ腑に落ちてない顔をしていた。
その後も俺たちは物置の話題を引きずりながら、結局何が正しいのか結論が出ないまま昼休みが終わり、仕事に戻った。
でも、俺としてはやっぱり、イナバ物置のあの頑丈さには信頼を置いている。
https://note.com/sei_shun/n/n1d4b6243a90c
この記事を見て、似たような建物(場所はもっと山間の中)をリノベした時の別解をメモ
それ以外は特に弄らないつもりだったが、外で食事がしたいと言う需要が現れて、水道の追加は後からやった。
300万円ぐらい。そのうち水回りのプロへの依頼が80万、断熱に120万ぐらいかけている。
貸し出せるようになるまで半年ちょいかかった。ボランティアの協力者も入ってくださったが、ほぼ3人ぐらいで集まれるときに地道にやったため、人件費は入ってない。
周辺の似た建物とキャンプ場とグラウンドを一体運営して、民泊・貸しスペースとして運用中。一棟貸しで合宿利用をメインターゲットだけど、家族連れとか、企業利用とか、地道に営業しています。
オーナーさんが所有して、うちに管理を委託という形態。うちは黒字で補修費の積立も出来てるけど、オーナーさんが負担してくださった金額を入れると無理。
マジレスすると、四肢間の電気抵抗率から推測された体脂肪率はめちゃくちゃ精度が低い(市販品の中では一番精度が良いとされているInBodyでさえ。体重計にちょっと付いているやつなんかだと絶望的)から、おそらく本当の体脂肪率が20%超えているんだと思う。正しい数字はCTで断面の画像を撮ってその分析をしたり、あるいは超高価な測定器があったりするけど、普通は使えないからな。だからトレーナーには見た目の判断の方が大事だよと言う人もいる(デブに見えるなら実際に体脂肪率は高いということ)。
現場の上にはさらになんかスーツ着て更に上着着てヘルメット被った謎のおっちゃん達がいて、そいつらの言う事こと聞いてるだけだったんだけどさ
歩き方変な人が多いかも。
よく言うキチゲ解放とかではなくて。
総じて歩き方や立ち方が変な人が多いのでは無いかと思う。
あくまでも自分が今まで見てきた人間に限るので、実際には病気かなにかで仕方ない人もいるだろうけれど、
例えば歩き方なら、
・真っ直ぐ歩かない。
横を歩いているとしょっちゅうこちらにぶつかるので普通に不快。
・足を摺っている。
歩いているというより最早スライド移動。
何故か上半身は固定されているので能みたいになっている。
・前のめり。
つんのめったように歩いている。転ばないのか?
肩掛け鞄の紐を握りしめているパターンが多い。
等々。
正直、横を歩いていると「えっ…」と思ってしまう人。
なんだか危なっかしいのだ。
転びそうとかというのもあるけれど、
歩き方が変な人は「怪しい人」感がどうしても出る。
がに股や内股歩きとは違う不安感・不快感をどうも感じてしまう。
周りの目も気になるしテンポが悪かったりして歩きにくい。
そして、今まで友人や学校・職場の人、オフ会で会った人、接客した人の中で
「人と会うのにそんな格好?」
なので、歩き方おかしいなぁ…と思ったら警戒するようにしてきた。大体は警戒して正解だった。
勿論それ以外の要素もあるが故の「なんだコイツ」だとは思う。
これは何に起因するのだろう。
よく言う多動に含まれるのだろうか。
それとも何か別の原因があるのか。
俗に言う陽キャの人や普通だな、という人でこれを思った事は無い。
皆の周りはどうなのだろう。
自分が気にしすぎなのか。
歩き方って直せるものなのかな。
でも最近は好きと言えるアーティストもわからなくなってしまった。
今でも音楽が好きな友人たちを思うとちょっと心がしんどくなる。あわよくば音楽と昔の関係に戻りたい。そんな悩み。
音楽を聴くのは大学生頃までは好きだったと思う。ライブもフェスも行く普通の音楽好きだった。
でも「好き」になったアーティストは誰かが薦めていたものだけで、自分から見つけた人たちはいないのではないだろうか。
誰かの推薦があって、CDを借りて、歌詞カードを読み込みながら聴いて、「好き」とフィードバックする。それが自分の音楽の全てだったように思う。
今は好きな音楽というものがわからない。実は良し悪しもわからない。
最近はもっぱら配信がメインになってしまったので、一曲一曲に対する思い入れも減ってしまった。
かつ周囲の音楽好きたちは広く浅く聴いているような人が多く、昔のように「このアルバム聴いて!」という紹介の仕方はなくなった。
結果、「好き」になれる人たちがいなくなってしまった。自分にとって良い音楽がわからなくなった。
Spotifyを立ち上げて視聴履歴からおすすめしてもらっても琴線に響かない。
新しいものに興味がなくなったら老化の可能性があるらしい。(本当にそうかも)
チャートの1位を聴いても、Youtubeで数百回しか再生されていない楽曲を聴いても、違いがよくわからない。
もちろん曲としての違いはあるのだが、どちらが良い・悪いのか?どっちが自分は好きか?を考えると答えが出なくなる。
一つ言えるのは、数百回再生のほうに感情移入しそうになるということ。
ヤツらは情報を食ってるんだ、というのはかの有名なラーメンハゲ芹沢さんの台詞であるが
チャート1位にあまり価値は感じない。それは自分にとっての特別ではないから。自分だけが知っている何かがほしい、という気持ちがあるから。再生数数百回のアーティストのほうが古参ぶれるのではないか、ライブに行けば感謝されるのではないか、向こうからも特別だと思ってもらえるのではないか。とか。
上記は明確にそう思っているわけではないのだけど、自分のことだから心の底でそういう意識があって、それが「好き」「良い」に反映されている可能性もあると思う。
底が浅い気がして情けない。
自分には推しという存在はないが、一方的に聴いているだけの側から個を見出してもらって、特別扱いされるようになったらさぞ気持ちよかろうと思う。
と、いうように「良い……のか?」と感じた音楽でもいろいろ考えて好きとは言えないのではないかと思ってしまうのである。
漫画は読んで面白かったら「好き」「良い」になる。自分なりに面白さは判断できる気がする。
音楽に関してはさっぱりわからない。漫画とかに比べて好みが出すぎるから?
要素が多いから?
メロディが好き、歌詞が好き、顔が好き、演奏技術がすごい、MVがきれい、単純に人として推したい、とか。
音楽を好きになるのは要素が多すぎる気がする。だからこそ好みは細分化する。と考えてみた。
自分に自信を持って好きなものを作る力が足りていないのかもしれない。
無理やりにでもこのアーティストが好き、と言ってみるのも1つの方法だろうか。
普通の独身や高齢者がペットを終生飼育できる環境整えられんのかという
理想の恋人ができて有頂天なところ、その恋人がペットアレルギーだったらどうすんの?ちゃんと恋人の方を諦められんのか?
結婚しようと思う人がペット同居無理ってなったらどうすんの?同居婚の方を諦められんのか?
お前が事故に巻き込まれたら誰がお前の家に行ってペットを保護するんだ?
今年の春までSLAM DUNKど素人だったが図書館に全巻あったので数冊ずつ借りて読破した私だけど、THE FIRST SLAM DUNK復活上映を観に行った。面白かった。
主人公が桜木花道から宮城リョータに変更されている事は気にならない。そもそも原作の主人公が桜木花道というよりバスケそのものという感じがしたので。
OPで線画から描き起こされて歩き出し色がついていく湘北メンバーにおおっ! ってなった。みんなバスケットマンらしい体型になってる〜! 原作は時代柄か登場人物の体型がシュッとしてるけど、今時はリアル路線でも全然OKな感じだよなぁ。特にリョータは首の太さがだいぶ違う。小さい頃からめちゃめちゃバスケしてた設定だからかなあ。花道は運動神経がすごく良い人が筋肉つけた感じだし、流川はバランスが良くて動きが敏捷そう。三井はスタミナなさそうw ある意味一番普通の高校生っぽい。普通じゃないけど。赤木は原作とそんなに違わないというか、ゴリという渾名をつけられているものの下半身はシュッとして細いというのは、やっぱり作者の拘りポイントなのかな。めちゃめちゃ筋トレ頑張らないと筋肉つかない人が無理矢理鍛えたらこうなった、という印象は動画になっても変わらない。
筋肉といえば河田(兄)がすごくて、あの硬いゴム毬の集合体みたいな肉体をこんなリアルに表現してしまうのかあ! 丸ゴリまじ丸ゴリ。殴ったら殴った方が怪我しそう、見るからに。河田(兄)が立ちはだかると圧の強さが半端ないけど、見ててゴムゴムの壁ってワードを思いついたがすぐにそれは何か違うと思い直した。
河田(兄)だけでなく山王は全国No.1チームらしく全員体格に恵まれていて、雰囲気だけでも圧倒的。
山王陣営は選手以外も見た目全員没個性的で同じ人がいっぱいいるみたいで不気味なんだが、それが動画になることで気持ち悪さが増し増しになっていていい。クローンみたいなのに、スタメンの選手たちは体格から性格から超絶個性的。元から個性的な面々が個性的に育っている湘北その他のチームとは違って、個性的な筈の人たちが無理やり定型に押し込まれていて、本人たちも何故かそれを良しとしている、気味の悪さ。
スタジアムの中のかなりの席数を占めている、没個性山王応援団と、書き割りみたいなぺらぺらな観客たちの様子が、デキレース感・湘北のアウェイ感を演出。という背景の前で野生動物のようにワイルドに駆け回りぶつかり合う両チームを大画面で観るのは最高。映像だけで100点満点だなあ。
ストーリーの方は、たぶん原作と同じでヒューマンドラマの方があくまでオマケでメインはバスケなんだろうなと、あまり期待していなかったので、ソータがバリバリに死亡フラグを立てて逝きなさる所とかは、あぁ解りやすくていいっすね、親切設計! と思ったんだけど。でもバスケとともにある兄弟愛が思わぬ良さで。
というか!
ところで、この映画はメインが宮城なので、宮城とあまり絡みのない流川の出番がそうとう削られてしまっている。私は特段流川のファンではないのでそれ自体をそんなに悲しまないのだが、流川の存在感が薄まると当然の如くに私の推しの仙道の存在感は塵芥以下に落ちるのだが。まあ、いってもそもそも山王戦には陵南の仙道は何の関係もないのでそこに居ないのは当たり前だからいいのだが、しかし私は流川が仙道のとこに凸って散々1on1の相手させるエピソードが殊の外好きなので、「北沢……」のシーンが全カットはちょっと寂しい。一方的に突っかかって行く流川を一々相手する仙道というのは、疑似兄弟みがあって趣き深いのだがなぁ。
だがしかし宮城ソータとリョータというリアル兄弟による1on1ですよ!! はなから摂取できないと思っていた滋養がそこにはあった。あー幸せだぁー。ソータすぐに死んじゃうけど。
思わぬ所で心が潤って得した気分になったが、あとはもうリョータの過去話にさらっとへぇーっと思って山王戦に集中するのみよなあと思ったらまた棚からぼたもちのように滋養が降ってきた!
中1の(ちいさい)リョータと栄光の時代のミッチーの1on1とは!? 最高じゃんこんなの。ありがとう、ありがとう! これだけであとは霞食うだけで半年生きれそう。映画終わったあとすぐにマックに寄ってダブルチーズバーガーセット食べたけど。
なんかもっと色々語りたいと思った気がするのだが、リョータとソータ、リョータとミッチーの1on1を思い出したら心が満ち足りたので終わる。
プロンプトエンジニアリングの最大のメリットは一人の戦闘力が大幅に水増しできること。
たとえばその昔は東方Projectを一人で作るのは狂気の沙汰だった
イラスト 俺
音楽 俺
シナリオ 俺
プログラム 俺
販売 俺
販促 俺
製作 俺
↑
これ真似する気になる奴は超少ないやろ
しかし、東方より更に前の時代、赤松健がPaladinを作っていた時代はオール俺も少なくはなかった。
その後の時代でもRPGツクールなどのツールを用いて音楽と汎用敵に以外オール俺を実現するクリエイターは決して少なくはなかった。
もちろんトビーフォックスみたいなのはいるが、彼がスマブラにアレンジ提供する化け物であることが結果的に「普通は無理」をより強固に証明している。
たが、大部分の人間は容量増加に伴った求められるクオリティの強化に耐えきれず、自分の狭い専門性に縛られ、全体をデザインする事もできず、他のメンバーから自分のこだわりを守るので精一杯だ。
ゲーム作る人間の半分ぐらいは大昔の一人製作に憧れていたのに、高くなり続ける要求クオリティの壁に阻まれ自由を奪われてしまったんだな。
今、プロンプトエンジニアリングの力によりこの壁は破壊された。
↑
「プログラムを手段として何かしたいことがある」にとって滅茶苦茶楽しい時代がやってきた。
「プログラムを楽しむために何かネタを探している」という人からすればつまらん時代かもなあ。
砂場で遊びたいから城を作る子供、城を作りたいから砂場で遊ぶ子供、似ているようで全く違うんだなあ。
まあ、世の中の大部分は「楽して金を稼ぎたいだけ」なんだろうけどな。
そういう奴が混じると議論がカオスになるが、それを取り除いてやったら結論としては砂場のガキ二種類のどっちなんだって話よ。
おれは楽しめる方のガキだ。
楽しくなってきて最高だ。
限界まで個性を取り除いた人畜無害のThe普通の男をベースに顔やら収入やら身長の各ステータスが高まる毎にモテ度が上がってくイメージだな。
少年漫画の主人公みたいに欠点はあるけど凄い長所があるみたいな奴ってモテなそう。蛙化現象やら店員さんへの態度-20000点に代表されるように女って基本的に減点主義だし。
怖そうな男ってのは単にガンガン積極的に女にアプローチして数こなしてるから結果的に成功数も増えてるだけで黙ってたらそんなに女寄ってこないと思う。
子供向けのジャンルの漫画の作者って全員発達障害かなにかなんだろうか。
少女漫画とか特に可愛い女の子をメインに書いてて理解できない。作者が女という事実がな。
まだ恋愛感情が未熟で同性に関心がある年齢向けの漫画だからそうなるんだけど、それをいい年した同性が描くなどふつう苦行で耐えられるわけないだろ。中小の事務職のほうが全然まし。
男なんだけど、数年前に同性から性被害にあった事があって、精神的に未だに不安定なのでカウンセリングには通っている
大変お世話になっていたカウンセラーの方に出会うまでは本当に酷かった
大体が「女性もこういった被害に遭う方が多くて~」とか「女性は男性の何倍も被害者が多く、辛い目に~」とか
酷いのだと「(性被害については)女性の方が何倍もダメージが大きい」とか「性被害者の男女の非対称性の問題が云々」とか言ってくるんだよね
何で俺のカウンセリングなのに、カウンセラーの貴方が持論みたいなのを主張してるのって
辛い目に遭う機会も多く、ダメージも大きいのかも知れない
けれど、それと俺が受けた肉体的・精神的被害やトラウマとは、何の関係も無くない?
何で俺が代わりに責められなきゃいけないの?
相手はそのつもり無かったかも知れないしこっちが過敏になってるだけかもしれないけど、一旦そう受け止めちゃったら終わりだよね
加害者になる事も無いだろうし、ましてや被害者である俺が、どっかの誰かのゴミ男の責任、というか原罪を押し付けられている様で
正直何のカウンセリングにもなってなくて、被害者ですら男の場合は中々助けてもらえないんだ…って更に絶望したよ
これがセカンド◯◯◯なのかなとも思った
金も時間もかかったけど、カウンセラーガチャしまくって、ちゃんと俺に向きあってくれて
先の輩みたいにげんなりさせられる様な事も言わずちゃんとしたカウンセリングで治療をしてくれる方に出会えたのは不幸中の幸いだった
だいぶ精神的にも安定する様になり、他人とも距離は取りつつも何とか普通の人と同じ様には接する事が出来る様になった
おばちゃんのカウンセラーだったけどとても信頼していたんだけど、年歴と家庭の事情で退職してしまった
で、次に受けたカウンセラーは、「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に~」なんて言い始めて、本当にがっかりした
そりゃ被害者は多いかも知れないけどさ、俺は別に加害者では無いし、そこの責任を問われても困るのが正直な所
「お前たち男が悪いからお前が被害に遭った、自業自得だ」なんて事を自分に言いたいのかって邪推してしまう
それぐらいに考えがネガティブになってる自覚はあるし女性カウンセラー自体への不信感が強い
カウンセリングを受けなければ良いのかもだけど、そうなるとまた精神のバランスを崩して酷い事になるだろう
男も女も怖くて(性被害にあった後、周囲の女性達に随分からかわれネタにもされ、二次被害に遭った)
一時は対人恐怖症で仕事どころかまともに生活出来なかったからさ
けど現状だと(嫌な言い方だけど)当たりの人に当たるまでは耐えなければいけない
それが酷いストレスだし、悔しくも思う
一体俺が何したって言うんだろう
ある日突然被害者になった上に、救われもしない
思想が強くて関係無い人間にまでしてくる様な人間はカウンセラーになんかなるんじゃねぇよ
カウンセリングと称してセカンドレ◯プしてくるとか何考えてんだ
追記すると、「男性カウンセラーのカウンセリングを受けては?」という意見がブクマカの人からあったけど、色々な事情で困難
まずカウンセラーという職業は男女比率では女性の方が多く、男性のカウンセラー自体が少ない、性犯罪のケアともなると更にグッと減る
少なくとも自分が通える範囲では男性カウンセラーからのカウンセリングを受ける事自体が不可能
被害の後遺症か自律神経も色々とおかしくなってて、電車特に混雑した満員電車に乗っていると気分が悪くなり立っていられなくなる(実際に倒れてしまった事もある)
なので通える範囲はその圏内になってしまう、仕事での通勤も無理なので徒歩か自転車で通える範囲で仕事をしている
男性カウンセラーガチャをやるには引っ越しも含めてやらなければいけず、さすがに現実的では無い(男性でも先のカウンセラーと似たような考えの人間は多いだろうし、「当たり」の保証は全く無い)
こういった事情で平日にしか通えないので、何とか仕事を調整して平日に休みを取ってカウンセリングを受けて
思想の強い女性カウンセラーにセカンドレイプをされて、安くはないカウンセリング料金を払って帰る
負担が大きいし、それ以上に精神的に屈辱的でおかしくなりそうだ
でもカウンセリングでもやって安定させないといよいよもっとおかしくなって働く事も難しくなるので、生活する為には何とか治療していかなければいけない矛盾で更に苦しくなる
信頼出来るカウンセラーの方にカウンセリングして貰っていた時は、本当に安定していたんだよね…救われた気分にもなっていたしさ
でも、現状だといずれ元に戻りそう…
あまり詮索する気は無いんだけど、性犯罪のカウンセリングを専門としている様なカウンセラーをやるぐらいなのだから
俺みたいに性犯罪の被害者となった経験がある人も普通にいると思う
でも、だからと言って、被害者である俺にセカンドレイプをするのは違うだろ
俺は、貴方を傷つけた人間じゃないし、傷つけようとも思っていないのに
「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に遭っていて、被害に苦しんでいて…」などと言うが、苦しみながらも受けた性被害を話した俺に言う言葉なのだろうか?
俺は男だから、苦しんでいないとでも言うのか?
「男性には女性が日頃苦しんでいる脅威に共感するのが難しいのか?」「何故男性はもっと女性に寄り添わないのか?」なんて事も言われた事もあった
それを俺に言ってどうするの?
一人で立ってるのもやっとの状態で寄り添おうとしても、される方が逆に困るだろ
脅威を感じてて実際に被害を受けてここに来てるんじゃないのか?俺は?
「何故、(男性から性被害を受けたのに)『自分を助けてくれないから』と女性に敵意をぶつけるのか?」などと問いただされる様な事を言われた事もある
俺は助けてくれなんて言った覚えも思った事も無いのにね
被害を受けたのは男からだけど、被害を受けた後、「私はそういうの(LGBT?)に理解があるから大丈夫!」とドヤ顔で寄ってきたり、おかしな妄想や噂話を流したり
PTSDで人前に出るのもキツくて休みがちになってた頃に「そんな事ぐらいでウジウジするな!女はみんな多かれ少なかれもっと辛い目に毎日遭っている!」と責めてきたのは、全て女性だった
当時友人だった人たちは、まあ裏ではキモいとか思ってたかも知れないけど、少なくとも表向きは気遣うか、何も無かった様に触れないでおいてくれたけどな(結局精神の悪化でしばらく引きこもりになり当時の付き合いは全員切れちゃったけど)
直接の被害を受けたのは男からだったが、二次被害のセカンドレイプをしてきたのは女だった
これで男女というか人間不信になるな、「女にだけ」敵意をぶつけるな、というのがカウンセリング業界では普通なのか?
まるで、そこにいない加害者を、俺を通じて攻撃しているかの様なカウンセラーもいた
アンタ達はアンタ達で傷ついているのかも知れないけど、悪いけどそれと俺は関係無い話なんだよ…
加害者性、だっけ?そういうのがあるのであれば、「被害者性」を持つ人間は加害しても良いというのか?
貴方を傷つけたのは俺じゃないのに、俺も傷ついているのに、俺は加害者性の側だから、「被害者」にすらなれないのかって、絶望している
おじさんだけど、周りに居させてくれ
どの人も女に好かれるために無理やり演じてる感あって嫌だった
そこから始まったけど、そもそも雑食系だったので、普通に可愛いし悪いところがないやん ってなって、
ガンダムのコインケースと、サンリオキャラのコインケースで悩んでサンリオにしたりするようになった
そういう風に生きてたら、誕生日プレゼントとかにグッズ貰えるようになって、沢山普段使いしてる
もちろん、女子受け良いとか話のネタになるからというのもある(が、ガンダム財布持ってる時の俺はガンダム財布を持ってるという気持ちと、俺はサンリオ財布を持ってるという気持ち、別の方向性だけど、どっちもよい)
ただ、男が興味持たないのもわかる
自分が、たまたま弄られても気にしないのと、周りからそもそも変人だと思われてるのと、弄られてもカウンター打てるポテンシャルあるのとかで、馴染めたけど
あと、結局男は女が好きなので、女実物、女二次元とかで止まって、ファンシーまで行かないのかも
ロボとかドリルとかロマンが優先順位高いし、努力友情勝利じゃないけど
結局
自分を好いてない人だと、ファンシー系じゃなくても、なんでも否定してくるから、結局付き合う人を選んだほうがよい、とか
付き合うことでメリットある人間になったらよい みたいなとこが大きいのかも
あと、ここまでたどり着くのに、一回男を降りたり、折れたりしないと駄目なのかも。矜持的な問題で