はてなキーワード: 座禅とは
包丁研ぎとは話がズレるが、外国人のほうが趣味人口として多いらしいが、髭剃りという趣味がある。
砥石で剃刀を研いで髭を剃る。それだけ。
剃刀の『面』と砥石の『面』をすり合わせて、究極の平面を目指す。
剃刀の裏の『面』と表の『面』が完全に一致すると、合わさったところに究極に細く真っ直ぐな『線』つまり刃が出来る。
そして、髭を剃る。
淀みなく精密な作業を通じて、砥石の手入れを通じて、心を落ち着かせる趣味と言っていい。
あえていうと座禅に近い。
また少し脇道に逸れるが砥石沼というのは恐ろしい。
天然砥石というのは採掘するものなので、質がいいもので無傷で大きいとなると値段が跳ね上がる。
ただの石ころが宝石より高いことが理解されないことが多いが、ルビーやダイヤに価値があるのは、ルビーやダイヤの採掘量より欲しがる人が多いからであって、砥石が高いのも同じ理屈でしかない。
砥石マニアから言わせると、砥石は美しいだけじゃなく実用性もあると反論される。
髭剃り沼から砥石沼、包丁研ぎから砥石沼、鉋がけから砥石沼といった感じで砥石沼への入り口はそこら中にあるのだが、髭剃りだけに限定すると、砥石にハマってもそう高い出費はない。
小さなカケラでよければ、質が最高級の砥石でも百万円することはまずない。
砥石の質は日本産が他国産の追随を許さないので、外国人が砥石を買い漁って国外に流出していて、それが悔しい。
安上がりないい趣味なんだけどなあ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
セールが続くんだけど、
とりわけ今年は角松敏生さんのベスト盤が出るから私楽しみなのよ!
まあそんなわけで私はいつもながらのクリスマスのプロは一体何を食べるんだろう問題がいつまでも解決しないまま、
昨日にはそうそうとチキンをフライングゲットというかマジ揚げ物だけにフライとか言っちゃったりなんかして。
そのクリスマスチキンを炊き込みご飯にすればってのが背徳のレシピで、
これやっちゃっていいのかしら?と両親の呵責にもさいなまれるけど、
ほぐしたクリスマスチキンを混ぜ込んで鰻のタレぶっかけてバター溶かせば美味いんじゃって言ってたので、
出演者達はみな美味しい美味しいって箸を置かないぐらいパクパク食べてたから、
もう調理してあるものを買ってくるタイプのクリスマスチキンだから、
結局はあの長蛇の列には並ばなくちゃいけないのよねー。
コンビニで、
あのー18時に肉まん予約してた者ですがって、
予約できちゃったりするから、
ここぞとばかりに1年分の売上をそこで稼がなくちゃいけないみたいなのよね。
でもチキンで思い出すのは、
真似しても女将さんのように上手く出来なくて、
受話器を生まれて初めて持ったリアクションが「重っ!」って言っちゃいそうなほど
いい感じに育てていこうって思って約束したフライパンだったのに、
思いっ切り実家に忘れてきちゃったという、
重たくて振れないわ!
結局は運用のしやすいテフロンの安い深鍋のフライパンに走っちゃいがちだけど、
あれもあれで2年ぐらいで買い直さないと
テフロンがベストでいられなくなるから買い替えた方がいいって!
たまたまジャパネットの通販テレビ番組でフライパン売ってたけど、
それ1万円って高いわ!って思いつつ、
一瞬お得だと思いきや、
2つつけるなら最初から半額で売れないの?半額で?って思うわ。
でもさ
フライパンでここ持っても熱いよって感じのフライパンの方がプロユースっぽくない?
布巾のような布で包んでフラインパンの持ち手を持つとなんかよりプロっぽい感じもするし、
ふと思ったんだけど、
今日の製造が終わったら1点1点部品をバラして清掃してるのかしら?って思ったわ。
きっと加圧鍋なので部品は複雑なんじゃないの?って思ったところよ。
まあ私には縁遠い話しだけど、
でも女将さんの作ってくれたチキンステーキは美味しかったなぁ。
今でも思い出すわ。
うふふ。
朝はあっさりしたいとかそう言った意味も含めているんだけど、
起きてご飯食べる前に寒いときは特に身体を中から温めた方がいいので、
白湯っておきたいところなんだけど、
そんな今朝はホットレモンアンド柚子白湯ウォーラーにしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もしも十分なお金が手に入ったなら。
まず仕事を辞める。
体力も気力もすっかり回復した俺は多分何か新しいことを始める。当然子育てにもかなり力強くコミットする。
小説を書いたり音が楽議論を勉強し直してイケてる楽曲作ったりする。
日本国内で有名なお祭りをターゲットにして家族旅行を計画したりする。
疎遠になっている友人に積極的に連絡を取ってみたりする
そしてついには大学へ通ってみたりする。もしかしたら物理学を学び始めて地球の成り立ちに関する論文を書いてみたりする。
寺へ行き座禅を組んでみたりする。
川のせせらぎが聞こえる旅館で1日中昔を懐かしんでみたりする。
どこかの誰かとバンドを組む。
そしてもう少し遊びたいなぁと思う位のタイミングで人生の幕を引く。
困ってる人がいたら助けてあげる。
おわり。
もしも十分なお金が手に入ったなら。
まず仕事を辞める。
体力も気力もすっかり回復した俺は多分何か新しいことを始める。
Causing pain so that anymore, it's crazy cuckoo me to city market 当然子育てにもかなり力強くコミットする。
小説を書いたり音が楽議論を勉強し直してイケてる楽曲作ったりする。
日本国内で有名なお祭りをターゲットにして家族旅行を計画したりする。
疎遠になっている友人に積極的に連絡を取ってみたりする
そしてついには大学へ通ってみたりする。もしかしたら物理学を学び始めて地球の成り立ちに関する論文を書いてみたりする。
寺へ行き座禅を組んでみたりする。
川のせせらぎが聞こえる旅館で1日中昔を懐かしんでみたりする。
どこかの誰かとバンドを組む。
そしてもう少し遊びたいなぁと思う位のタイミングで人生の幕を引く。
困ってる人がいたら助けてあげる。
おわり。
国家神道の解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教にめぐりあえたか。宗教は日本人の魂を救済することができたか。
心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳を確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。
私はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生を呪い、救いを求めるように座禅や瞑想について調べた。集中力を高め、自分の精神を制御しようと考えたのである。
「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間は自由で平等である。王侯貴族の血統に固定された価値があるのなら、その地位は永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解し人生に活かすことができるからこそ尊い。人間に生まれたことは奇跡である。人間に生まれたことを感謝せよ。」
しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。
私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである。空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。
皇室は私を神として祀る神職の家系のひとつである。皇室は私のことを自分の言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有な家系である。神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである。
皇室の神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しかし民主主義国家の象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくその神聖性を表現したものである。
いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本は神罰を受けようとしている。
私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定の人間が選ばれるようにして現れるものではない。
皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職が必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたときに不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。
それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったからである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである。
日本人の心そのものである私から、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯そのものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対の価値を信じないことの告白である。
【解説】
神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗、元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性は殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。
しかし2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。
以下はひとつの想像であるが、同男性は現代科学では幻聴や幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか。
これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いしたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/66411
こういうの見るたび不思議になる。
みんな話が噛み合ってるんだもん。
俺からするとスカイフィッシュの生態について盛り上がってる人たちみたいに見える。
俺一応「つよいこ」的な名前をつけられてるけど(ちなみに姉はやさしいこてきな名前だ)、男性のジェンダーロールとかいうものに圧迫されてんなーとか感じたことマジでないわ。
俺の友達もそんなんばっかだし勤め先もそんなんばっかだわ。要するに理系メガネみたいのばっかだわ。俺経済学部卒だけど。
俺ベンチプレスがノンブリッジノンギアストリクトで125キロ上がるけどこれはただの趣味だわ。
それによって男らしさがチャージされた履歴もないし評価されたりもてたりすることもないし別になんもない。
(このフロアで一番力持ちなの俺だな!)とか思ったりすることあるけどそれがジェンダーロールなの?関係なくね?
俺の中では座禅が趣味ですってのと変わらない。ちなみに座禅と弓道とウエイトトレーニングは密接なシナジーがある。
本当に本当に男へのジェンダーロール圧ってなにかわからないんだけど、そういうこというと今度は「女性を踏みつけに出来る立場だからジェンダーを意識せずに過ごせてきたんだ~」とか言われそう。
けど今は男性に対するジェンダーロールの圧迫の話だから。俺はそれをマジで感じたことがない。全然男らしくないのに。
そもそも男らしさってなにかわからない。漫画にしか出てこなくない?男らしい男って。それも正味よくわかんなくてなんか周りにうるさくガミガミ吠える男か、やたら痛みに強くて戦い続ける男しか思い浮かばないんだけど、そんな男リアルで周囲にいるか?
いなくない?
というか俺が生きてきた30数年の間にも男の口調ってどんどんフェミニンになってる気がする。なんなら結構たくましいスポーツマンでもなんか柔らかい話し方しない?年下の営業とかだとかわいいしゃべり方だとすら思う。
みんな本当にそんなに男へのジェンダーロール圧迫をひしひし感じながら過ごしてるの?
俺の主観とあまりにも違うところで話が噛み合ってて驚いている。
一応真相を予想すると
酒は人類の友! しかしついつい仲良くしすぎて(飲み過ぎて)しまい、 翌日、どんより後悔!してしまいガチで悩んでいます。Lさんは酒の達人と伺っています。上手な付き合い方、秘訣を教えてください。
こいつは酒呑み連中にとってはいつだって切実な問題だな、と思ったね。そしてオレが長いこと追求してきたテーマでもある。それで、頑張って回答をぱたぱた書いてたらよ、いつのまにかぎょうさん長くなっちまったんで、マシュマロでこの場をかりてお答えさせてもらおうってわけだ。
くだんのお悩みについてはよ、自他ともに認める酒好きであるオレもそりゃあ長えこと悩んできたしな、対策も練ったし、言ってみりゃトライ&エラーを繰り返してきた。それで世の多くの呑み助諸氏――ここは可愛くそう呼んでおきましょうぜ――も多かれ少なかれ、長え歴史の中でこの手の悩みと向き合い、敗れてきたにちがいねえ。
それで酔い、もとい良い機会だからな、オレなりの「酒との付き合い方」ちゅうもんを一気呵成に記してやろうと思ってな。何せおよそ20年近く「呑み助」として歩んで来たオレの長年のノウハウを一挙に列挙するからよ、いささか長回答になっちまうかもしれねえが、最後まで付き合ってくれ。損はさせねえからニャオ。じゃあ行くぜ。
あんたが普段、どの程度お酒をきこしめしていらっしゃるのかオレニャアさっぱり判らねえけどな、まずオレに関して言えば、ほぼ毎日呑んでる。わかるか? 毎日よ。だからな、「翌日にどんより後悔するほど」呑んじまうと、「翌日は呑めず」ちゅう由々しき事態を招いちまうわけだ。厳格な酒徒たるオレにとって、こいつはちょっとぞっとしねえ。まずあんたと酒子ちゃんの「目的」をしっかと見定めることが大切だとオレは言いたい。もし酒子ちゃんと週末だけの深い付き合いをしてえなら、恥も外聞も気にせずべったり一緒にいて、周りの連中が引くくらい仲良くしてりゃあいい。翌日ベッドから起き上がれなくなるくらいイチャイチャすりゃあいい。
かく言うオレにもそんなような時代があった。ただ、それは酒子ちゃんとウィークエンド・ラバーだった頃の話な。酒子ちゃんと毎日上手に付きあうんだったら、「どんだけ愛しあっても、最後の一線はけっして崩さねえ」。そんなジェントルなスタンスが求められるわけよ。似合わねえ? だよな。でも、これも酒子ちゃんをこよなく愛してやまねえからこそってもんよ。
だからな、あんたにゃ、翌日も新鮮な気持ちで愛しあえるギリギリの交わりっつーか、アッチッチ!の限界で自分らにストップ!かける客観性ちゅうの? 節度ちゅうの? そういうのが必要よ。あんたもご存知の通り、酒子ちゃんはいつだって付き合い始めの恋人なみにアッツアツで依存性の高えやつだからな、そりゃあ、それなりの意思の力が必要だろうよ。けどな、とにかく酒子ちゃんといちゃついてる時、常にあんたが念頭に置くべきことは「明日もこいつと新鮮な気持ちで愛し合えるか?」だぜ。忘れんな。
てめえの酒量リミットをおおまかにでも見定めておくことはめっちゃ大事だ。オレだってそれほど酒に強いわけじゃねえが――とりま、「3杯」がひとつの目安になっちょん。
こいつぁつまり、ビールなら小瓶1本(350ml)。日本酒なら徳利1本(180ml)。ワインならグラス1杯(180m)。おっと、ワインバーなんかでは1杯120mlが標準的らしいがな。まったくケチケチしてやがる。焼酎なら90ml、ウィスキーやウォッカならワンショット(45ml)を「1杯」ってことにしてな、「3杯」を1日に呑むリミットにしてるってことよ。や、あくまで「おおまか」だからな、実際にゃあこれより下回ることも上回ることも時々あるけどよ(や、たいてい上回っているか……)。
もちろん、「適切な酒量」ちゅうのはその日のあんたの健康状態によっても変わってくるからな――オレは専門医じゃねえんだからそこまで言わせんなよ――そのあたりはてめえの身体と相談しながらきこしめしてくれ。1週間程度、てめえの呑んだ酒の量と翌朝の体調のメモなんかつけてみると判りやすいかもしれん。オレはマメじゃねえから、そんなチンケなこたぁしねえが。
ただなあ、「おいおい、呑む時にいちいち酒の量を量ったり、自分を見張ってたらせっかくの酒がまずくならあ!」あんただって思うよな。実はオレもそう思ってる。だから酒の量にそこまで厳密になんなくても翌日に酔いを持ち越さずに済むテクニックをさらに5つばかり教えてやるから、両耳の穴かっぽじってよく聞け。
酒の合間合間で水を摂ることを心がける。よく聞く話? だよな。でもな、わかっていながらなかなかできねえ。だろ? でもな、日本酒だの蒸留酒だのをたっぷり呑む際はチェイサー(日本酒専門店では「和らぎ水」とか言うらしい)必須だぜ。ためしに今日から1杯(1合)につき、コップ1杯(約120ml)の水を飲んでみい。
とはいえ、こいつもかっちり決める必要はねえよ。酒席で、傍らにコップ1杯、あるいはペットボトル1本の水を置いておくことを意識するだけでも翌朝の目覚めがだいぶん変わってくるって話よ。べつに水道水でもいいっちゃあいいけど、ミネラルウォーターやら浄水器通した系の水だとなお効果が高いとオレは思うが、まあ錯覚かもしれねえ。まあ、とにかく酒を呑むならちょっとでいいから水飲め。忘れんな。
「あて」を取りながら呑め。これも昔から推奨されてきた呑み方だ。だがなあ……。
かねてより、酒呑みは呑む時は召し上がらないものと相場が決まってんだ。たしかにオレも究極的には「酒のみ」で頂くのがやっぱ本来的に感じる。それがもっとも美味しく呑めるっちゅう酒呑みはけっして少なくねえだろう。
だがな、ポン酒なら冷奴か焼き味噌(旨い焼き味噌とポン酒の組み合わせはカクベツなんだよ)、ワインならオリーブかチーズ(旨いチーズとワインの組み合わせはカクベツなんだよ)ウィスキーにナッツかドライフルーツ(焼酎なら梅干し所望!)くらいは率先して摂ってもらいてえ。もし家で呑んでて冷蔵庫空っぽなら、呑む前に茶碗1杯のコメ食っとくだけでも、身体に良いって聞くぜ。故・杉浦日向子女史もエッセイで「呑む前の赤だしとおむすび」を薦めてたから間違いねえ。
さて、こいつぁ余談だが――かつてのオレがすっげえ衝撃を受けたのは、早朝、まだ何も食ってねえ状態で果物を「あて」にして飲むワイン。これな。無論、オレら庶民にはそうそう簡単にできることじゃねえ。が、何といってもこの呑み方はワインと果物の味を30倍くらい引き立ててくれんだよ。たぶん起き抜けの舌が1日でもっとも敏感っちゅうこともあるんだろう。ワイン通の洒落たダチに教えてもらってよ、初めて試した時――たしかニュージーランド産のピノなんとかと林檎と白葡萄だったな――、あまりの美味しさに全身の肌が粟立った。あれは忘れらんねえ。
これがオレが個人的にもっとも強調してえ方策かもしれん。ここでいう「ながら」ってのは、飲み食い以外の行為よ。つまり、テレビやらDVDやら見たり、本を開いたり、スマホいじったり、誰かとくっちゃべることも無論含むからな。
あんたのお家、それか居酒屋のカウンターかバーで黙って、酒(とあて)のみと対峙して呑め。そやって呑んでりゃあ、どんくらいの量の酒がどんなふうにてめえに働きかけてんのか、また、どこで許容量を超えちまったのか、バッチリ掴めっから。
オレは時おり、自室で目え瞑って耳栓してな、座禅組むんよ。そんで傍らに酒を置いて呑む――そういう時ぁたいていポン酒だな。一番サマになるからよ――そういうことをやる。酒とてめえ以外のイッサイガッサイを遮断した状態で呑んでると(たいてい3合で眠くなって横になっちまうけどな)、次の日に二日酔いになることはだいぶん少なくなる。まちがいねえ。
ただ誤解すんなよ、オレだって酒を飲みながらダチと話したりよ、音楽聴くのも嫌いじゃねえっちゅうか大好きだからな、いつだってそうやってストイックに酒呑んでるわけじゃねえ。オレの場合、心を許した相手との酒で二日酔いになるのは全然かまわねえ。だがな、気の合わない相手とどうにかこうにかやりすごすために無理に酒食らった翌日はな、きまってそりゃもう粘り気あるイヤーな二日酔いになるね。こんなことだったら、1人で座禅組んで呑んでりゃよかった……って心底思うわ。酒の量とは無関係に「居心地良い状態で呑む」ってのは呑み助にとってもっとも大切なんよ。こいつはしっかり胸に刻み込んでおけ。
「チャンポン(判ると思うが、違う種類の酒をいちどきに呑むことな。ワイン飲んだ後、テキーラ食らって、チェイサーにコロナ飲んでジントニック飲んで……みたいなやつ)すると二日酔いになりやすい」っつう俗説がまかり通ってるが、信憑性あると思うか?
オレの長年の経験から言うと、めっちゃあるある思うね。科学的コンキョは寡聞にしてよく知らねえが、チャンポン呑み、これは全くお薦めできねえ。たしかに酷い二日酔いを招いてきたし、酔いが良い心地じゃねえのよ。なんでかって?
以下、オレの仮説っちゅうか思いこみなんで適当に流してくれ。
「酒」っちゅうのは「酒」っちゅう名称でひと括りにされてるが、同じ「酒」でも原材料によって、造り方によって、産地によって、「酒精の質」なるもんが異なるんよ。たとえばな、アルコール14℃のシャルドネの白ワインと、同じくアルコール14℃の山田錦で造った純米酒じゃあ、同じ「アルコール」で同じ度数でも、体感じゃまったく別もんに感じる。もちろんテキーラとウィスキーも違えし、ラムとビールも然り。それぞれの原料が、産地が、造り方(造り手)が、それぞれ全く別の酒精を生み出す。これって考えてみりゃ当たり前だよな。イヌだって同じ形してるけど、イヌそれぞれ全然まったく違うだろ。
でな、異なった酒精は体内で喧嘩する。たとえば、ビールの酒精とテキーラの酒精と日本酒の酒精とジンの酒精が戦ったらどうなる? そりゃあもぉ、てんやわんやの大戦場、翌日は「二日酔い」っちゅう名の凄惨たる祭りの後ですわ。
それを知ってるからか? アイルランドの生粋の呑み助たちわな、週末にパブで過ごす時、最初から最後まで同じ酒を飲む方が多いんだってよ。1杯目にギネスを飲んだららその晩はひたすらギネス。アイリッシュ・ウィスキーで始めたら、水で割ったり、氷を加えることはあっても、ラムやテキーラに切り替えることは決してしねえ。たぶん酒精に喧嘩されたくないからだろうよ。
まあ、そこまでは極端としてもな、全然別種の酒を混ぜ合わせて作る「カクテル」ちゅう飲みもの……あれはぜってえ良くねえわ。うら若き男女が速やかに効率良く酔っぱらうためには最適かもしれんが、翌朝の安全は全く保証しねえからくれぐれも用心せい。ちなみにオレは自慢じゃねえが、バーでもジントニックとかハイボールみたいな単一酒で作ったカクテル以外は呑まねえようにしてる。だいいち、あれこれ混ぜたもんはそれほど旨くねえし、これまでさんざん痛い目に合ってきたからよ。
繰り返しになるが、お前さんが長く、二日酔いにならないようにして呑み続けたいなら、同じ種の酒をじっくり呑め。せいぜい冷たいビールを1杯飲んだら、後はポン酒ならポン酒、葡萄酒なら葡萄酒、芋焼酎なら芋焼酎だけを浮気せずに呑め。飽きたらその日は杯を置け。わかったか。わかったな。
オレぁ葡萄酒とポン酒が大好きなんだが、スペインのテンプラリーニョだったかニーリョだったか、あとカヴェルネ・ソーヴィニヨンちゅう品種がどしても身体に合わなくてな、2杯もかっ食らうとヘロヘロになっちまう(カクテル同様、手っ取り早く酔うには良いだろうが)。他方(って言葉をいっぺん使ってみたかったんよ)、ボジョレーヌーボーに使われるガメイやピノなんちゃらだとな、てめえ1人でボトル1本開けてもまだ呑める感じするんよ。ポン酒だと、兵庫の「山田錦」ちゅう米で造った純米酒が身体に滲み入る感じがすんだな。
酒にはだな、飲み手との「相性」なるもんが確実に存在する。もちろん、その相性は人それぞれ違う。じゃあどうやって相性を見極めれば良いのか?
教えてやる。
「人」と同じよ。呑んでて、あんたの身体にすぅっと滲み渡るような、どっしり落ち着くような、きゃっきゃ喜んでいるような感じのする酒、それがあんたに合う酒だ。逆に相性が良くなきゃ、口に入れると違和感っちゅうの? ヘンな感じの後、しばらくして身体が拒否反応(とまではいかなくても不快感)を示すだろうよ。相性の良い酒でありゃあ、いつまでだって呑んでいることができる、いや、実際にはできねえだろうが、できるような感じすんだよ。
まとめるとだな、この世にそりゃもぉたくさんさんさん在る酒ん中から手前の心と身体にぴたりと合う酒を見つけることができりゃあ、そいつを自宅で呑む、またはそいつを出してくれる、ありがてえ店を見つけることができりゃあ、結果、二日酔いの頻度を減らすことができるだろう。
そのためにも数多くのポン酒を、色んな品種の葡萄酒を試してみようぜ。高価な酒を買う必要はまったくねえ。たしかにワインの場合、値段と品質はかなり比例するらしいが、高えからと言って、あんたとの相性が良いとは限らねえからな。オレだって高級ワインでひでえ二日酔いになって、旨安ワインで翌朝すっきりちゅうことはぎょうさんある。
あと、どっかの店で飲む場合、めんこい店員ちゃんだのソムリエさんだのに薦められたからって、合わねえ酒を無理に飲む必要はないからな。これも勉強と思ってだな、「すみません、ちょっと口に合いませんでした」とか何とか言って思いきり残しちまえばいい。店の人だってその方が勉強になるんよ。あんたに合う酒はだな、まるで一目ぼれのように(一目惚れ、したことあるよな?)「これだ!」って判んだろう。あんたの人生は、あんたの酒子と巡り合うための旅だと思って飲食店を巡って、酒屋で買って、自宅でも店でも、呑んだ酒とてめえの相性を毎回つぶさに観察してみろ。自分を大五郎、じゃねえ、伸二郎、じゃねえ、信じろ。
ありゃりゃ、やったら長くなっちまったな。。こりゃ誰も最後まで読まんだろうな。まあ、酒呑みのオレにとっては普遍的かつ切実なテーマだったから、しゃあねえ。
そんで、こんだけ偉そうなことをたっぷり記しときながら、オレとしたことが、今夜はいささか呑みすぎちまったらしい……明日は久しぶりの二日酔いだろうよ。これもまあ、しゃあねえ。酒呑みの定めちゅうもんよ。
さて、これからはあんたが翌日の二日酔いとはなるべく無縁の快い酒徒人生を送れますように! 心からそう祈ってるぜ。じゃあオレぁ酔っ払いついでに台所でもう1杯きこしめしてくるからな。あばよっと
カトリックの話が好きだから、今カトリックのアイルランド人の小説読んでるんだけど、バンバン子供に鞭打つ。質問が多くてうざかったとか、聖書の〇〇を覚えていなかった、とか、カルトみたいな理由で子供を時には血が出るまで鞭で叩きのめす。
少年時代のエピソードを綴ったエッセイの中で、イギリスのカトリック系の寄宿学校で、上級生のトーストを焦がすと先輩から鞭で叩かれる、っていうも話も昔読んだ。たしか、若草物語の末っ子も授業中にプラム食って鞭で叩かれてたな。大きな森の小さな家でも、鞭描写あった気がする。(後者2つは体罰よくないねって話だったけど)
カトリック絡みの話は好きだけど、カトリック自体は嫌い。貧乏で、田舎暮らしで、村社会で、神が全て!みたいな世界に住んでるんだなあと。子供を鞭で叩くとか頭おかしすぎるし、その上神父が少年掘ってるんだからもう完全に邪教じゃん。
日本の稚児制度とかあったけど、それよりよりよっぽど陰惨で歴史が長い。日本に体罰がなかったわけじゃないだろうが、教育機関で平然とまかり通るような体罰描写を読んだことがない。想像つくのは、稽古での可愛がりと座禅組んでるときの棒ぐらいだけど、それも「修行」であって「教育」ではないし。「学校」で「授業中」鞭使うとか、ありえない。
楽器始めるとかいいと思うよ。練習した分しか上達しないの分かるし。
お笑いライブとか小劇団とか見に行くといいと思うよ。大して面白くもないことを堂々とやっている人の姿見れるし。
賭けずに競馬場とかいいと思うよ。おっさんたちが夢中で吠えている様子観察できることなんて貴重だし馬かっこいいし。
嫌いなことについて何で嫌いなのかって15分くらいで書き出してみるといいと思うよ。文章の練習になるし、何が好きなことなのか探すきっかけになるし。
好きなことでも嫌いなことでも増田に書きなぐるでも手帳に書きなぐるでも、書き溜めて後で見直すといいと思うよ。自分が何考えてたのか分かるし。
あんなの先祖代々の住職やっているところが、自分の檀家から盆に念仏唱えて金もらえるだけの商売と堕してる。けど、もう新規で檀家になる奴はまず見込めないから先細り。
それより、時間作って、色んな所で悩んでる奴に救いの言葉を授けたほうがいいと思う。と言っても、逃げて休め。いい本はこんなのだよ。ぐらいのものか。
仮に仕事にするにしても仏教関連の書物を大量に読みこなして、執筆業やったほうが人を幸せにできると思う。でも、軌道に乗るまでが自分が苦しむという循環。
宗教が絡むセミナーって、弱まってるやつをどう依存させるかとなってるから、ろくでもない商売になってる。
そのうえで、仏教の知識を元にセミナーをやったほうが救える人間はいる。だけど、自分で解決もできずデモデモダッテみたいな人間はいる。
もうそういう奴は適当におどめすかして永久に金をとり続けたほうが商売としてはうまく行くのかもしれない。
一応は座禅とかで疲労を相当取れば行動が変えやすくなるとは思うが、やっぱりどうしようもない人間っているからね。
「人を救う」というのは本当に難しい仕事だよ。
本業にせず、本業は別にもって、ここや知恵袋で、苦しんでる奴にアドバイスするぐらいでいいんじゃないか?一日何件、あるいは一週間に何件アドバイスすると決めて。
まあ、いかにも疲れていて、頭もこれもう働いてないなって奴には、逃げて休め。ぐらいしか言えない。だけど、それが最善なんだよね。
加えてプライド(=仏教の慢の感情)も相当傷ついてるから噛み付いてくるのもザラ。
かたや、馬鹿なアドバイス(もう完全に頭が麻痺って簡単に騙される状況になってるのに起業しろというアホ、毒親だろうが苦しみから逃げずかまってやれってアホ)にも疲弊する。
ってことで、本業は別に持ち、休みにできる範囲で仏教本、その他宗教本を多くよんで、道に迷ってる奴に休め、と言ってやるぐらいがいいんじゃないか。
xevra先生が「運動瞑想睡眠野菜350g」とよく言っているけども、30代になってくると睡眠と運動の重要性はとてもよくわかる。
ちゃんと寝ないと、単純にダルいし、何より身体が重い。十分に睡眠を取った時は、身体が本当に軽いし、仕事もサクサク進む。
身体をほぐすのにも、運動は重要。この年になると、鍛えるというより、ガタがこないように定期的に動かしてメンテナンスするという意味合いの方が強い気がする。
野菜350gは野菜ジュースで誤魔化すとして、問題は瞑想である。
そして何もせず目をつぶって座っているだけだと、小人閑居して不善をなす」の諺のようにどうでもいいことばかり考えだしたりして、あまり良いとは思えない。