はてなキーワード: 一浪とは
そんな僕には好きな人がいる。同じクラスで入学当初から気になっていて5月には既に好きになっていた。
なんなら入学前からTwitterを知っていて顔も見たことがないのにツイートの内容がユーモアに溢れていて面白く、性別も分からなかったのに友達になりたいと思っていたほどだ。
彼女とは入学後すぐに仲良くなった。趣味もある程度合うと思う。当時これはワンチャンあるのではと心のどこかで思ってしまっていた。
彼女は音楽をやっていた。彼女の聴く音楽はすぐに好きになった。
僕の大学では一年生が主体になるお祭りがあり、そこでは有志で集まった一年生による劇が行われる。彼女はその劇のいわば主人公に抜擢された。
その劇の監督も相当彼女のことが気になっていたらしく、二人は仲を深めていき僕の入る隙間は無かった。
本気ならもっとアタックしろと言われるかもしれない。しかし当時の僕に彼と競り合って彼女を奪い取れる自身はどこにも無かった。
特に何の凄みもない、顔も全然カッコよくない僕は一浪して当時は1bitほどのコンプレックスを抱きながらなんとか大学に入った。
対照的に彼は僕と比べ物にならないほど頭が良く、雰囲気もいい、顔もいい、音楽にも堪能。
かくして二人は付き合った。
唯一の救いは周りの誰にも好意がバレていなかったので、二人とも仲良く友達としてやれたことだ。
毎週のように二人を含めた仲の良い友達で集まってご飯を食べて夜な夜な喋ったり、みんなで写真を取りに行ったり一緒に授業を受けた。
前で二人にイチャつかれるのは気持ちの良いものでは無かったが、幸せそうな彼女を見れて僕も幸せだった。
そんなこんなで僕も良い加減諦めて次のステップに行こうと決心し、秋〜年末ごろにはバイト先の女の子を好きになりかけた。
でも好きになれなかった。確かに可愛いし優しそうで愛嬌がある人なのだが、僕は彼女のことを諦めきれなかった。
年が明けると男の方が音楽に熱中するからか何なのか分からないが彼女とあまり連絡を取らなくなったそうだ。
僕は意味がわからなかった。あんなに仲良くしていたのに。お似合いなカップルだと思っていたのに。
二人ともあんなに幸せそうだったのに。こんなに呆気なく終わる恋愛もあるもんなんだな。
彼には非常に強い憤りを覚えて取り乱したこともあったが、後々冷静に考えて僕が憤るのはおかしいと思った。
この時僕は彼女にアタックしようと決めた。彼女の横顔、彼女の声、彼女の言動全てが愛おしく思えた。
3回目のデートで告白するというのが通例と言われる。僕もそう考えていた。
しかし、この一年でお互いのことはよく知っているし、これ以上先延ばしにしても意味がないと思った。
こたえは「考えさせてほしい」だった。
正直7割くらいいけるんじゃないかと思いあがっていた僕がバカだった。でも彼女は僕の思っていた何倍も真剣に考えてくれていた。
僕はもうこれは振られても良いやと思ったくらい嬉しかった。
・実はまだ彼とキッパリ別れられていないこと
・まだ彼氏として僕はみれないということ
正直に言ってくれて僕は嬉しかった。
その後も僕は誘い続け、彼女は二つ返事で応えてくれた。
僕のバイト先の飲食店に行った。すっごいサービスされて恥ずかしかった。
街にも繰り出した(まだコロナが耐えていた頃)。帰るのは日付が変わる頃になっていた。
真夜中にも通話しながらあつ森をした。
本当に楽しかった。彼女と一緒にいられるだけでこの上なく幸せだ。間違いなく世界一可愛い。
写真が大好きな僕は彼女の写真も沢山撮らせてもらった。僕より彼女を可愛く美しく撮れる人は居ないと思った。
でも本当に彼女が好きなんだ。
食べ物の好き嫌いは僕の歴代の友達トップだし、めっちゃ昼夜逆転しがちだし、すぐ引きこもってろくなもの食べなくなるし、そんなに真面目でもないし、たまに何考えているのか分からない。
でもそんな全てを引っ括めても彼女が大好きだ。
まだこたえはもらっていない。
僕から一方的な感じが否めない。彼女からLINEが来ることは殆どないし、何かに誘われることもない。
でもそんな感じがする。僕はどうすれば良いのだろう。
僕はそういうことは付き合ってからするものだと思っていた。けど男らしさがない僕は少しくらいそういうことをしても良いのかもしれないか。
恋愛って難しいな。。。こうやって手探りで見えない霧の中を進むのも悪くないかもしれないけど。
LINEの既読が付くだけでドキドキするし、返信が来ると飛び上がるほど嬉しい。
彼女と会う予定ができたらその為なら何でも頑張れると思える。
彼女は本当に何でこんなに可愛いのってくらい可愛いし、そこら辺の男が寄ってきそうで不安でしかない。
サークルの飲み会に行かれるだけでも嫉妬しちゃうし、とっても心配になってしまう。
地元で神扱いされてるようなとこ。全盛期は東大10人、早慶150人受かってた。
あまりに秀才秀才褒めそやされて入学するもんだから、俺もみんなも学年平均いれば現役早慶はかたいと確信して3年間過ごしてきた。
担任の先生が「学年平均じゃ現役早慶はほぼ無理。MARCHも大半落ちる。平均見ると現役で國學院あたり行くか、一浪してMARCHだな」と言ったことがあるけど、ハッパかけるための大嘘だと思ったから鼻で笑ってた。
そしたら早慶上智MARCH全部落ちたよ。ニッコマ落ちた奴でもちょいちょい受かると噂されてる中央文ですら落ちた。受かったのは日大経済。
卒業式出てわかったけどMARCH全滅がマジョリティだった。恐ろしい。恐ろしい。
うちの高校、おっちゃんおばちゃん世代では東大より凄いって思われるようなところなんだぜ?
それともMARCH難化してる?
中学2年か3年の頃に受けさせられた「県民テスト」なるものの順位は同学年の地元県民全体の下位1割に入ってた。
東大5人くらいしか受からない偏差値55くらいの一貫校に通う身分ではあったけど、中学受験経験者でこの結果はありえないほどヒドいものらしい。中卒でヤクザになったり、九九が怪しかったりする人も受けるテストだったから。もし高校受験やり直すとしたら、学年の半分が中退するような超絶田舎の最底辺県立高校くらいしか行けないくらいの学力だったようだ。
で、高校2年の終わりに受けた河合全統記述模試では英国社の主要3科目ですら偏差値38、国士舘大学E判定だった。
同級生で俺と同じくらいヤバい奴はたくさんいた。東大二桁必ず出るような中高一貫校通う友達にもここまで落ちぶれた連中はたくさんいた。
俺の学校の落ちぶれ仲間は3割くらいが現役マーチor早稲田合格、残りの7割が一浪マーチor早慶合格って結果になった。
東大二桁校の落ちこぼれ友達は3割が現役早慶(マーチ未受験がほとんど)、7割が一浪早慶に落ち着いた。
ちなみに俺はMARCH早慶全滅したものの東京学芸大合格して浪人回避。
こういう巻き返しは文系特有のもんかと思ってたけど、現役のとき中央理工にも落ちた奴が二浪で東邦大医学部受かってたから必ずしもそういうわけじゃないのかも。
多分、駒東とか麻布とか開成レベルになると小学6年レベルで大学受験に臨むハメになった層でも最終的に浪人で一橋とか国立医とか結構受かっちゃうんじゃないかと思う。
全落ちして一浪した増田だ。その不安を消すには、勉強し続けて努力する自分を肯定できるようになるしかない。
今やるべきことは1に勉強、2に勉強、3も勉強、遊びながらでいいから、とにかく今から勉強しろ。
中学レベルからやり直すとなると、予備校始まってからだともう時間がない。
他の浪人(予定)は大抵「4月から頑張る」メンタルだし、中学受験したなら地頭はいいはずだから、今からやれば十分に間に合う。
恥も外聞もかなぐり捨てた勉強をしないと、今後1年間無駄に終わる。
研究者になるにしても、民間公務員就職するにしても、学歴は必要だ。
「何もできない低学歴」よりは「何もできない高学歴」の方が大分マシ。
俺にはひとり姉がいる。
姉は今年34歳になるのだが、無職で、親から仕送りをもらっている。
姉は1年前まで働いていた。
私大の文学部に一浪で入学。在学中、母親から「なんでもいいから資格を取れ」という言葉を無視して遊んでいた。
文学部というのは、就活で苦労する。母も文学部出身だったので心配だったのだろう、在学中に「資格を取ったら一時金をやる」と宣言。金で釣ろうとした。その言葉でやっと動いた姉は、なにを考えているのか色彩検定を受けてきた。曰く「これも資格だ」と。母は就活でプラスになる資格を取ってこい、というつもりで言ったのだと思うが、親心は何も伝わっていなかった。母は一時金を渡して、それきり資格資格と言わなくなった。
姉の就活は難航した。しかし、最後の最後で1社だけ受かった。そこそこお堅い企業の事務職。ほっとしたのも束の間、3年で辞めた。お局に虐められたらしい。母は「せっかく入ったお堅い企業なのに…」とガッカリしていたが、なんだかんだサッサと次の職場を見つけて、転々としながらも働いていた。
母はやたらと姉の進路に口出しするが、口出しせずとも姉は自分で自分の人生を歩める力を持っていた。ガンコで親の言うことは聞かないが、頭は回るし、口が立つし、仕事はできる。
何も心配することはないのだ。
そんな姉が、1年前、また仕事を辞めた。
その時はいつもと様子が違った。いつになっても、転職活動を始めないのだ。
無職中に結婚をした(!)。人の良さそうな旦那を見つけて、幸せそうにしている。
無職中にウサギを飼い出した。ウサギはすぐ死ぬ弱い生き物らしく、様子がおかしい時は深夜にタクシーを飛ばして動物病院に行く必要があるらしい。大変だ。
最近はゲームにハマっているらしく、デスストランディングの豪華版(2万円くらいする)を予約していた。
旅行も行く。ネットで知り合ったオタク友達と、脱出ゲームだコラボカフェだと、楽しそうにTwitterに写真をあげている。
俺は、姉貴は間違っていると思う。
しかし姉の遊ぶ金は、60を超えた親父がシニア枠でせっせと働いて稼いだ金なのだ。
うちは資産家なんかじゃない。父はただのサラリーマンだ。父は必死に働いていた。平日は残業のない日は無い。土日も電話一本で職場に戻る。腰を壊し、鬱になった。それでも働き続けて、早期退職を促されることもなく、今もシニアでせっせと働いている。
俺は、姉貴は間違っていると思う。
母は言う。姉の旦那はそこまで高給取りじゃない。姉の収入がないと家賃が払えないだろう、と。
なぁ母さん、それは、姉の人生なんだよ。
お堅い企業を辞めたのも、姉。
転職を繰り返したのも、姉。
働かないで、生活が苦しくなるのは、姉が選んだ道なんだよ。
そう電話で言ったが、「かわいそうだから」の一言があったのみで、母の考えを変えることは出来なかった。
最近ようやく「そういえばアンタ、休職続きだけどお金は大丈夫?」と聞いてきた(姉には辞めた月から仕送りしているのに)。
母は言う「そうね、アンタはしっかりしてるから」。
姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識とかにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。
小学生くらいの頃から「医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。
不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。
彼女は県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりきに勉強に励んだ。
成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。
だが、落ちた。
姉は本気で悔しがっていた。
俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。
そうしてつつがなく医学部を卒業し、今では立派に医師として働いている。
世間の人もそう言うに違いない。頭の良い子どもが勉強をして医学部に合格し医者になる。なんのひっかかりもない。
でも、例の一連の入学試験性差別報道に触れ、その考えが間違っていたと知った。
姉は下手したら人生を潰されていたのだ。
十分な能力があるにも関わらず、夢を諦めることを強いられてかもしれないのだ。
高校時代の姉は(少なくとも俺からしたら)勉強ができた。ものすごくできた。でも「ものすごくできる」では足りなかった。
おそらく、姉と同等に成績が良かった同級生の男子たちは普通に現役で医学部に受かっていたことだろう。
そして、それに応えた。
姉は昔から俺のことをよく褒めてくれた。
彼女にはないアート方面の才能(もちろんさして大したものではない)を持っていた俺を「すごいね」と何度も讃えてくれた。姉としての欲目もあったかもしれないが、そういうことを素直に言うタイプでもあった。
一方で俺は姉をどこかで見下していた。姉ほど勉強ができなかったというコンプレックスが一番大きかったかもしれない。同じ中学に姉と入れ替わりで入学した年に、かつて姉を受け持っていた教師から「おまえはお姉さんほど頭良くないんだな」と蔑まれたのが不快な記憶として残っている。
そういう比較を拭いたくて、生活人としての姉のおっちょこちょいぶりやおっとりした性格を家族内のジョークとしてよくイジっていた。両親も「お姉ちゃんはそういう子だからねえ」と俺のイジりに乗っていた。母は「本当の意味で賢いのは○○(俺)くんのような子なの」とよく俺を贔屓にした。
姉からすれば俺は親の寵愛をいいことに暴君のように振る舞うわがままなクソガキ、という印象だったかもしれない。
でも、仮にそう考えていたとしても、それを口に出すようなことは絶対になかった。いつでもやさしかった。
俺の制作物を「すごいね」と褒めて、友だちにまで自慢していた。うちの弟はすごいんだよ。
今ならわかる。
本当にすごいのは姉のほうだった。
俺が現在所属している業界にも性差があることは否定できない。自分が男であることが陰に陽に有利に働いていたんだな、という場面は思い出すだにいくつかある。
自分の業界で生き延びるのは大変だという自負があり、それに比べると医者は安泰でよろしゅうございますね、というようないじけがどこかにあった。
姉にとっては安泰でもなんでもなかった。俺よりよっぽど激しい戦場で戦い抜いてきたのだ。
あの一浪が二浪になり、二浪が三浪になったら、姉の人生はどうなっていただろう。
姉が医学部に合格したとき、母親が親戚だか誰だかに「先生はもう一浪したら絶対(当初の姉の志望だった)国立もいける、っていうんだけど、本人が絶対受かったところに入学したいっていうから……浪人がよほどイヤだったんだろうね」と漏らしていたのを思い出す。
姉は知っていたのだ。
どの程度までかはわからないが、医学部入試のからくりを知りながら、それでもなお試験に挑んでいた。
俺には無理だ。
謝りたくなった。
知らなくてごめんなさい。
わからなくてごめんなさい。
でも、姉にしてみたら謝られたところで意味不明だろう。
他人からしたらそれでも全部話して謝ればいいだろ、と思うかもしれないが、
俺と姉はそういう「真剣な人生の話」を語り合ったことは一度もない。
姉弟仲は悪くなくて、むしろ良いほうだと思うのだけど……わかるかな、とにかく「そういう話」はしない間柄だ。
だから、できない。
私は姉が苦手だ。嫌いとは少し違う(はず)。
姉は昔は自慢の姉だった。積極的で委員長なんかを引き受けるタイプの子どもだった。私はどちらかと言えば引っ込み思案な方だったし、3つ上の姉はなんでも私よりよくできるように思えた。二重飛びのやり方も姉に習ったし、ドリルの丸つけもしてもらった。しかし親の転勤を受けて転校してから、姉はクラスでいじめられるようになってしまったらしい。それから彼女は変わってしまって、自分に自信がなく臆病な性格になってしまった。
私は幸にして転校先にもよく馴染み、高校は姉より良い学校に進学することができた。この辺りから姉は私に露骨に嫉妬の感情をぶつけてくるようになった。姉は一浪し、希望の大学には入れなかった。それでも私よりランクの高い大学を出て大学院まで進んだくせに、私のことを嫌に羨ましがる。かわいいからいいよね、世渡りがうまいからいいよね、賢いからいいよね、彼氏がいるからいいよね、資格を持ってるからいいよね… 私はダメだから…
こんなことを会うと必ず言われるようになってしまった。ダメじゃないよ、と言ってもまた別の地雷を踏んでしまうこともあるし、対処法がなんとか話を逸らして逃げるしかない。とにかく辛い。私は自分が恵まれていて酷く狡い人間のように感じてしまう。たしかにそうなのかもしれないのだけど、本当にそうなのだろうか?私が努力して積み上げてきたものに対して、ずるいずるい、いいよねいいよね、と言われるのはかなりキツイ。不当に得たものではないのに。たしかに運や巡り合わせによって得られたものもあると思うけれど、別にそれだって卑怯な手段によるものではない。わたしは正当な手段を経て、努力を重ねて欲しいものを手に入れてきた。姉と私で確かに生まれ持ったものに多少の差異はあったかもしれないが、私にないもので姉にあるものだって沢山あるし、姉が虐められたのも私の責任ではないし私だって虐められたことは数回ある。何がいいんだよ。私が私の地獄を乗り越えて闘ってなんとかやっと手に入れて、失わないように、失わないようにと抱えているものを、指差して欲しがらないで欲しい。私だっていつ失うか、常に怯えているのに。
だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね
デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基本的な教養は重要。
CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養、一見無駄な知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的な素養や知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代は可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視するようなので怠らない方がいいと思う。
浪人時代というのは辛い。私の場合、浪人の時は藝大一本に絞ったので後がなかった。学生証もなく、落ちたら身分のない年月がさらに続く。その危機感で毎日絵を描いていた。一日一枚石膏デッサン。夜は水彩描いていた。日本画の模写もした。このようにして絵を描くマシンになり、見ないでもパジャントが描けるようになってしまった。モリエールやマルス、ブルータスなど木炭紙に入れる比率を体で覚えてしまった。デッサンバカになった。学科なんぞやらない。絵しか描かなかった。二度ともうあの日々には戻りたくない。その一念でなんとか一浪で入ったはいいが、入ったら2浪生が一番多く、デッサンの神様みたいなのまでいて、打ちのめされた。
そのような世界なので、実は芸大生は互いにビクビクしていた。自分が下手なんじゃないかと。自分の絵が下手くそに見えて仕方がなく、他人の天才にビクビクしているのであるが、実はみんなが互いにそう思っていたというのはのちにわかった。実際、弱肉強食な世界なので、下手くそはバカにされる。なので精神を病んでしまう者も少なからずいる。が、概ねは互いに勝手にビクビクしているだけである。
さて件の任天堂に行った同窓であるが、ゲームなんぞやったこともなく(当時はファミコンだった)「任天堂に決まったんだけど、俺よくわかんないんだよな、どうしよう」と困っていた。彼は院まで行ったのであるが、院では木工で立体作品を作っていた。入ってからしばらく周りから話が合わず浮いていて「やめたい」などとぼやいていたが、そのうち「俺の会社は〜」「俺がやったゲームあるからよろしくな!」などと言っていた。
つまり、ゲームを初めから目指しているよりも、そのズレた新鮮な目線が会社にとって、とても有益であったということ。
どちらかというと音楽が好きで、ファッションに興味があり、ハイデザインに興味があり、およそゲームとはかけ離れた分野の知識があったのが活かされたようだ。
つまり、元に戻るが、広い視野を養うべき。映画を観て、音楽を聴き、友人と交流し、世間で流行っているものに敏感になり、アートについて知識を深め、乱読で様々な本を読み、とにかくあらゆるジャンルに知的好奇心のアンテナを広げておく、それがデザイナーに最も必要な資質なのである。
そしてデッサンは1ピクセルの狂いもズレも許さない、水平垂直の狂いを許さない視点を獲得するために必要なので、そこもしっかり脳が魔改造されておくこと。魔改造されると、定規を持たなくても目視で大きさが把握できるようになるし、カメラ的記憶が発達したりする。フリーハンドで直線も引けるし円も描けるようになる。それはCGを作る際におおいに生きてくると思う。
また自然観察する目を養う必要もある。そこにあるものの細部のディテールまで見なくても再現できる観察力を養う為にデッサンや水彩という訓練が必要なのである。
なので、時間的制約や年齢的な制約よりも、何を学べたかが重要なので、変な時間的制約は設けないほうがいい。クリエイティブ魂にはバイオリズムがあるのでスランプという谷間とアゲアゲな時をなんども繰り返して体験することの方が大切。
あとは・・・・運だ。
こればっかりはどうにもできない。
人生を決めつけすぎて、コケると人生の棒を振るので、その時その時で考えていけばいい。
実際は、どの大学出ようが、どこの会社行こうが、自分がうまくハマったとこで、表現をしていければいいと思う。
フリーで仕事していた時は、出身大学なんぞ意識したことなかった。
社会に出たらその時の仕事内容でしか自分を証明できない。もっと過酷な砂漠である。
頑張ってください。
多分俺がそうなる。学生時代の友人連中もことごとくこれ。
親はなぜか優秀なんだよ。しょせんはサラリーマンだけどどう計算しても生涯賃金10億は稼いでる。ついでに東大卒。
友人たちの親も同じようなもんで、2代目開業医だの朝日新聞だの三菱重工だのそんなん当たり前。当然、高学歴だし裕福だった。
家はデカいし別荘持ちだし何よりどの家も教育に対する投資を惜しまなかった。
で、俺達がどうなったかというと万引きもせず普通に楽しくゆるく学生生活を過ごして一浪マーチとかニッコマ。
マジ。ネットだと「教育投資を惜しまない裕福な家に生まれ育ったのに早慶行けない奴は障害者」とか切り捨てられるけど、全然そんなことはない。同じ境遇で俺ら程度の大学行くハメになった奴なんてむしろマジョリティ(女の子なら偏差値50程度だけどなんかちゃんとしてそうな名前の女子大に現役進学してお茶濁したり)。
でも悲壮感は特になくて、親も親で「受かってよかったなおめでとう」なんてニコニコ笑ってるだけだから、資格取得で頑張ろうとか全然思わなかった。友人連中もやはり同じ。
案の定、大学入ってからも留年しない程度に講義をサボってアニメ見てシコシコしてラーメン食べてヌルいバイトを趣味程度にやってたら3年経ってた。
これでもまだ危機感は覚えない。
なにせ都心通勤可能圏に実家があり、そこには金融資産たんまりの親が住んでいる。「生きるために無心になって働く」なんて境地には到底至れない。会社辞めてえ〜とかアホ面下げて猫背で働いてなんとなく時間がすぎる毎日。幸いにも、俺も友人連中もバイト以下のクソ意識が許される環境だった。会社ではニヤニヤチンタラしてる。眠くなったら便所で寝てる。これなら勤まるはずだよ。
さて、そんなふうにして俺たちは昨年30歳になった。俺や友達連中の半分くらいは結婚予定がある。ただ、みんな年収400万〜450万程度。もう10年勤め続けても500万くらいで頭打ちじゃないかと思う。
これじゃあ結婚するにしても共働きマストで、子供なんか絶対無理だ。
でもまだ焦らない。焦れない。
なぜなら、住宅ローンの頭金や自分の老後資金はどうせ親が全部なんとかしてくれるだろうとわかっているからだ。
それでもなおお金は余るだろう。薄給ながら意識低く適当が許される会社で働きながら、マイホームを手に入れ、嫁と面白おかしく遊びながら余暇を満喫する。
最後には何も残らない。
親が40年以上かけて築いてきたあらゆるモノを子供が綺麗に費消して最期は全部無に帰する。
やや裕福な家に生まれた男で俺らみたいな奴は多いぞ。
ずーっと学生気分なのよ。
でも努力や能力以上に良い思いさせて貰えてるから克己心も芽生えない。
ガチの田舎なんかによくいるらしいけど、高校卒業して即地元の零細企業勤めて結婚して子供3人生んで何台も車持っててチューニングに金かけまくってて家族旅行もしまくってて〜、みたいな元ヤンに凄く感情移入する。
それと同時に俺らみたいな家に生まれてちゃんと難関大に受かって日経225企業とかに就職して高スペ女と結婚して子供作ってお受験させて〜みたいな満点ルートをまんまと歩んでる同年代は本気で尊敬する。そのモチベーションはなんだよ。
私は弱い
小中と進研ゼミに頼った
中学生では塾にも頼った
そのくせ模試で学年1位は取れなかった
やっとのことで進学した第一志望の大学では周りの力を借りて辛うじて留年せず
現在大学四年生、研究室でも先輩の力を借りっぱなしだし、親の仕送りに支えられている
私は弱い
環境に助けられている
小学生から進研ゼミを購読させてくれて中学では塾に通わせてくれて高校では部活もバイトもしなかったのに何も言わず現役で第一志望に落ちたとき私と一緒に泣いてくれて浪人を決めた時も何も言わず静かに応援してくれ成績が上がらず心が病んだ私を何も言わずに景色のいい公園に連れ出してくれて第一志望の大学に受かった時誰よりも喜んでくれて一人暮らしにも反発せず今も仕送りを続けてくれる両親
周りに大学に行った人がいなくて、大学のことなんて何も知らないからって言って俺の考えを全て尊重してくれる両親
私は弱い
両親にも友達にも先輩にも感謝しているのに、直接伝えることができない
私は弱い
私は弱い
小中と進研ゼミに頼った
中学生では塾にも頼った
そのくせ模試で学年1位は取れなかった
やっとのことで進学した第一志望の大学では周りの力を借りて辛うじて留年せず
現在大学四年生、研究室でも先輩の力を借りっぱなしだし、親の仕送りに支えられている
私は弱い
環境に助けられている
小学生から進研ゼミを購読させてくれて中学では塾に通わせてくれて高校では部活もバイトもしなかったのに何も言わず現役で第一志望に落ちたとき私と一緒に泣いてくれて浪人を決めた時も何も言わず静かに応援してくれ成績が上がらず心が病んだ私を何も言わずに景色のいい公園に連れ出してくれて第一志望の大学に受かった時誰よりも喜んでくれて一人暮らしにも反発せず今も仕送りを続けてくれる両親
周りに大学に行った人がいなくて、大学のことなんて何も知らないからって言って俺の考えを全て尊重してくれる両親
私は弱い
両親にも友達にも先輩にも感謝しているのに、直接伝えることができない
私は弱い
23歳で童貞はマイノリティみたいだから、友人とお酒を飲んだときとかよくいじられる。
自分は童貞に対して嫌悪感とか劣等感とか持ってないし、そもそも人に話す価値もないと思ってる。
だけど人は酒の勢いで経験人数の話とかすんのね、それで俺が童貞とわかった途端この年齢で恥ずかしいだのなんだの、まるで人生の先輩であるかのように説教してくんの。
俺はゲームとか最近あった出来事とかを楽しく話したかったのに気がついたらみんな自分の恋愛遍歴を語りだすのよ。
それも俺のためを思ってみたいな感じで、誰も聞いちゃいないのに。
例えば「スキーに行ったことがない」も童貞と同じようにマイノリティ(わからないけど)なのに、その人に対して自分がいかにスキーが上手いかを酒の席で語りだす奴は変人じゃん。
それが「セックスをしたことない」になった途端、周りは自分の恋愛遍歴暴露ゲームになるわけ、もう意味がわからん。
童貞ってなんなの?
同窓会に出席してそう感じた。
俺の卒業した高校はいわゆる「県立高校に入れなかった人」が入る現役MARCH御の字レベルのとこだ。第一志望でこの高校を受ける奴は見たことがない。
現役MARCH御の字だから、現役時点での合格先の中央値は日東駒専になる。進学先だと一浪MARCHが一番多くなる。
普通に考えたら就職先は地銀、大手子会社、地方公務員、大手(※外食小売などの不人気業界やSIer)だらけになるところだ。
だけど、まあたまげたわ。
電通×2、東京海上、ENEOS、商船三井、JR東海、三菱地所、三井物産、Yahoo、NHK、UBS証券、NTTデータ、三菱ケミカル…
東大生が受けても大半は内定できないようなとこ行ってる奴の多いこと多いこと。
一応書いておくと、全員本体。エリア総合職とか子会社とか工場採用とかでもない。
冗談抜きで40歳までに学年の平均年収1000万超えるんじゃないかって思った。
驚くべきことに彼らの中に一流大学卒が全然いなかったことだ。俺の高校らしいっちゃらしいが、大半は一浪MARCH。難関資格持ちもいない。日商簿記2級持ちが一人いたくらい。
一方で現役で早慶合格したような学年超トップ層の就職先は冴えなかった。
大手子会社とか第一地銀とか地元の役所とか。中小もいた(イケイケのベンチャーでもない本当の中小)。
学歴や資格のハンデもものともせずに超絶一流企業に内定した彼らには共通点があった。
高校時代に運動部、遅くても大学1年までに彼女を作り、サークルやバイトに精を出していた。
要するにリア充だ。
でもイベサーや広告研究会なんかにありがちな、就職活動を見越して大企業ウケするように大学生活を設計するような真似はしてなかった。
彼らは皆、学業を平均程度にこなし、そこらへんのサークルに入り、普通のアルバイトをしていた。
嫌味のない性格の、普通のコミュニケーションをとる、無害で明るい青年って感じ。
逆にリーダーシップがあっても、学歴あっても、簿記1級とかの難関資格取っても、クセや個性が強い取っつきにくいタイプで一流企業行ったやつはいなかった。女にモテなさそうなタイプはやっぱ悲惨だった。
50代の部長や役員にはアクが強烈に強いタイプや、寡黙な東大卒や、ハマコーみたいな凄まじい顔した人がいるけど、今の中堅でこれから部長以上に出世するであろうコースに乗っている先輩方の中にそうした人はいない。一人もいない。
人付き合いが好きで、スポーツマンで、若手からの人望が厚く、イケメンorイケメン風。
絵に描いたような爽やかサラリーマンみたいな人たちしかいない。
もはや求められているのは知性でも教養でも出世欲でもプロ野球選手のような競争心でもないんだろう。
爽やかリア充であればいい。
だからエリートになるために勉強頑張ったり、難しい本読んだりするのはほんの少ししか役に立たないと思う。
入試で一浪して、3年の時単位足りなくて留年して、一年遅れで研究室に配属。
就活は殆どせずに、親のコネで地元(都内)の有名企業に内定貰う。
宿泊は大学の所有している研修者みたいなところで、部屋は大部屋男女同室。
女子は3人参加で、みんなそこそこ可愛い。うち二人はヤリマンで有名。
ヤリマンのうち、背が高くてスタイルのいい子が、やたらと親のこととか内定のこととか聞いてくる。紹介とか無理だと言っても、しつこかった。
その夜、その女が布団に入ってくる。
布団の中で服脱ぎ出したから、遠慮なくいただく。暗いし周りに遠慮しながらだから全然気持ちよくなかったけど、女はかなり興奮してた。
その後、別にこっちから誘う気もないし、向こうからもなにも言ってこなかったから、何もなし。
噂でその女は、友達と海外旅行中に同じツアーで一緒になった別の大学の男と旅行中にやっちゃったらしく、そのまま付き合ったらしい。
一留と一浪、そして大学院に進んで26歳になって社会に出ることになった。
大学院に行ったと言っても、目的があるわけでもなく、勉強するわけでもない。周りがそうしていて、親が金を出してくれるというからモラトリアムを延長しただけ
世の中では18から働いてる人もいるのに、自分はこうしてずるずると働くことから逃げ続けて、そういう立派な人と比べると8年も遅く社会に出ることになってしまった。思えば親に迷惑をかけ続けている。兄や妹はあまり親に頼らず立派に社会人として暮らしているのに。
実家、高校や予備校の環境、大学名、あと逃避癖から来た多少の虚言や誇張。そういったもので大学に行くことも、就職する事も出来てしまった。何も価値のない自分が。臆病で、利己的で、無責任で、何もできない自分が。
25歳に死のうと思ってたのに、しょうもなく生きてしまった。
今すぐ死ぬ準備して死ねば良いんだろうけど、それも怖くてできない。なんでも先延ばしする逃げ癖が自分で首吊るときにも出てる。
今は30になったら死のうと思ってるけど、ずるずる生きてしまうかもしれない。なんで生きてる価値がある人は死んでしまうのに、生きてる価値がない自分は生き続けているのだろう?