はてなキーワード: システマティックとは
推し活云々
有名人と一緒に写真撮るのとか昔からの伝統だし、そのために会費募るのも伝統だし
政治家の政治資金パーティー、基本的にチェキ会だし。会費3000円からはじまって、朝食会とかだんだんお値段の高い会費に誘われてく
ステータス高い奥様方とおともだちに、みたいな触れ込みで、月謝からはじまって免状やらなんやら払う上納金システム
ホストクラブの仕組みにしたって方法論自体は別に発明でもなんでもなく、夜の店の昔からのやり方を男女入れ替えてシステマティックにやってるだけ
水商売に限った話じゃなく、どんな仕事でも、何かあるとすぐ親睦団体作って囲いこみたがる
仕事の付き合いだと思って会費払っても、会費に見合う見返りはまず期待できない
高度成長期なら期待値高かったかもしれないけど、成長分野でもない業界ではよくてプラマイゼロ、悪くすりゃマイナス
(先日増田に書いた親父が40万のネックレス買わされたトラブルは、その手の金持ち付き合いに付いて行って知り合った相手に誘われ口頭で頷いた結果です)
金払った上に人づきあいの心労を抱え込むの当たり前
そっちに金吸われるぐらいならソシャゲに吸われたほうがはるかにマシだね
他人と競争させるといったって、直接会って付き合う心労ほどじゃないし、すぐ飽きて手放しても誰も文句言わないし
サイゲならアニメ業界にしこたまバラまいて良作アニメ量産してくれるし
神バハ、グラブル、プリコネのアニメ化、ゾンビランドサガ、ウマ娘、アキバ冥途戦争、
サイゲコミック発でならバ美肉おじさんやシートン学園も良かった
FGOはあんま見返りいい気はしないがラストアンコール出してくれたから許す
弟は近所の原っぱから綺麗な花のつぼみを見つけるのが上手だった
どれも根元のあたりはぷっくりと膨らんでいて
先っぽの方はくるくるっとうずまきのように花びらが巻かれていた
鼻を近づけると濃厚な甘い蜜の匂いがした
弟は原っぱでつぼみを見つけてきては、姉に渡した
姉はそれらをデコレーションし、適切な値札をつけ多くの人に売った
それはとても綺麗な花のつぼみだったので、みんなが欲しがったのだ
弟は気に入った花のつぼみは姉に渡さずに、こっそりと自分のものにしていた
しばらく眺めると我慢できないかのようにつぼみに口をつけ、ちゅーちゅーと甘い蜜を吸った
つぼみの甘い蜜が舌の上にこぼれ落ち、口の中を甘い香りで満たした
飲み込むと、どろっとした蜜が食道を通り胃に落ちていくのを感じることができる
その快感に思わず鼻から息をもらすと、自分自身が花になったかのような濃厚な香りを感じることができた
弟にとってそれは若き生命そのものを飲んでいるような喜びの時間だった
甘い蜜を吸われた花のつぼみのなかには、そのまま枯れるものもあったが
それを弟はまるで最初から興味がなかったかのように窓からぽいと捨てた
なにしろ原っぱに行けば、またきれいな花のつぼみはすぐに見つかるのだ
枯れたつぼみは、窓の外の日が当たらないじめじめとした土の上に捨て置かれた
甘い蜜を吸われても、生き生きとしていたつぼみはそのまま姉に渡した
姉は弟がこっそりと蜜を吸っていることを知っていたが
弟のお気に入りのつぼみは、特にみんなが欲しがることに気づいてからは黙っていた
ふたりの花のつぼみは評判になり、他の国からも客が訪れ、権力者への献上品にもなった
そうすればもう原っぱにいく必要もないし、たくさんのつぼみを集めることができた
花のつぼみとしては信じられないような値段がついた頃にも
弟は隠れてつぼみに口をつけちゅーちゅーと甘い蜜を吸い
枯れたはつぼみは窓の外に捨てた
それは最初のうちは相談だったが、しだいに懇願に変わっていった
なにしろその花のつぼみがあしらわれているだけで売上が二倍も三倍も変わるのだ
姉と弟の作った会社は経済的な必要性からしだいに権力を帯び始めた
もちろん偽物や真似をするものも現れたが、そういった時には姉が徹底的に潰した
姉のやり方は徹底的で恐れられ、業界で彼女に歯向かうものはいなくなっていった
そして人々にいつまでもきれいな花のつぼみを売り続け、人々は喜んだ
何十年がすぎ、やがて窓の外に捨てられた枯れたつぼみが、窓の枠までうずたかく積もったころに
その王国で弟が死んだ
〜続く〜
動画でゲッベルスの肉声などを聞いているうちに中高生だったころのことを思い出した。ゲッベルスってなぜあんなにガリガリガリクソンなのに、カッコイイ声してんだろ?
中高一貫校だったから中学生だったか高校生だったか忘れたが本棚の近くを掃除しているときにドイツ語の書籍がおいてあったのを見て興奮した。興奮したことを思い出した。
日曜が完全休みの学校だったから古書店にドイツ語の書籍をみにいった。小遣いでは買えないくらい高かった。古書店の店主に「どこどこ中学だろ?わかるよ!あそこはドイツ系の
先生がいるからね」っていわれたのをフシギと記憶している。なぜちゃんと初歩からシステマティックに学ばなかったのかなぞ(・・?そんなことない。NHKから出ているドイツ語講座の
テキストは買わせてもらった記憶がある。テレビもみてたし、ラジオもきいてた。性別が3つもあるので唖然とした。当時、なにがドイツ語習得の目的だったのだろうか(・・?単にドイツ語演説の
かっこよさにひかれただけか(・・?むかしむかしのことなので忘れた。
あのあと、大学で2年間学んだけど、べつにたいしたレベルじゃない。冷静にかんがえれば、英語だって聞き取れないんだし・・・まあ
全体の作業の能率が落ちるのは
れっきとした研究結果ですが?
たとえば、2013年にJournal of Applied Psychologyに掲載された研究では、不機嫌な同僚がいる場合、その同僚がいない場合に比べて、他の同僚の仕事への関心が低下し、生産性が低下することが示されています。
また、2015年にPersonnel Psychologyに掲載された研究では、職場の気分の影響に関するメタ分析が行われ、不機嫌な同僚がいると、生産性が低下し、ストレスや不満のレベルが上がることが報告されています。
さらに、2018年にJournal of Occupational Health Psychologyに掲載された研究では、職場の気分の影響についてのシステマティック・レビューが行われ、不機嫌な同僚がいると、ストレスや疲労が増加し、生産性が低下することが報告されています。
これらの研究は、職場に不機嫌な人がいると、その人のネガティブな影響が周りの人や職場全体に波及し、仕事の雰囲気や能率に悪影響を与えることを示しています。
昼飯どき、ほかのとこが並んでたから仕方なく、最近できた東北の某事故原発県のラーメンのチェーン店に入ったけど、アレはないなぁとおもった。
狭いのは元の物件がそうだからしょうがない部分があるが、出てくるのが遅い!「おすすめメニュー」て供給側が客の回転をコントロールするために設定してる(とマンガ『お腹はすいた?』で習った)のに、なんで10分以上も待たせるねん。店員が少ないわけではなく、むしろ床面積からしたら多いほど居る。それぞれはシステマティックに決められた作業のみこなしている配置になっているのに。BGMも酷い。三流の安いチェーンのスーパーで流している安いキーボードの音色でアレンジしたインストという例のヤツ(苦笑)さむい真冬に氷入り麦茶を最初に配るのはまぁ好みの問題やからええけど。でも、席に着いた客から注文番号を受け取ってその麦茶を置いたときに「ごゆっくりどうぞ~♪」は「?」だった、喰いモンまだ来てへんけど?それフツー来てから沿えるセリフやんな?まぁええけど。で、来たおすすめセットだが、…家で作って喰える袋ラーメンによくある味だった(苦笑)そりゃ袋ラーメンよりは太いよ同じ縮れ麺でもな?しかし、やたらスープの量が多いのな、やさしい味なのでよけい飽きてきてしまう、フードコートのラーメンのかんじやんなこれ。先に喰い終わって帰った両隣の客も残ったスープに箸つっこんでるのが見えるが、意地になってガボガボと飲み干したわ。
一時期、武漢でラップだかヒップホップだかのナイトプールパーティで勝利宣言してたのはなんだったのか・・・
いつの間にか日本が、韓国やオセアニアや、ひょっとすると台湾よりも「コロナの死者を少なく抑えた国」になってた件が盛り上がっていますが、この2年間の日本の相対的評価の推移を覚えていない人も多いと思うので、雑におさらいしておきますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KS_1013/status/1535991131845996544
この頃、武漢に続いて欧米が従来株のコロナで大惨事になりましたが、いろんな人が「日本も時間の問題で欧米のような惨状になる」と予言していました。日本批判の内容は主に「ロックダウンしないこと」と「検査数が少ないこと」でした。
実際には、早めにロックダウンを始めたように見えた欧米は既に手遅れで、なかなか感染は収まらずに死者は積み上がる一方。
一方の日本は「志村けんショック」もあって、感染状況から見れば欧米よりはるかに早いタイミングで緊急事態宣言を発令でき、しかも強制力がないはずのそれは「実質ロックダウン」としか言えない実効性を発揮しました。警察が見回っているわけでもないのに、本当に東京の中心部から、人流が消えていたんです。
当時の日本に検査能力が不足していたのは間違いないのですが、その弱点を完全にカバーするレベルで、日本は感染の広がり自体を抑え込んでしまいました。でも認めたくない人たちは、「検査してないだけで実際にはもっと感染者は多い!」と言い続けます。
欧米との相対比較で日本を批判するのが無理と気づいたあと、日本批判派が持ち出したのが「アジアの中では悪い論」でした。この時代がけっこう長く続きます。実際にこの頃の日本の累積死者数は、欧米よりははるかに少なくても、アジア(東アジア、東南アジア、インド圏、西アジアまで全て)の中では一番多いレベルでした。なので、「日本が欧米より被害が軽いのは、アジアという地理や人種の恩恵であり、日本が何かに成功したわけではない」という主張が生まれました。ファクターXやらBCGやらを原因とする仮説がまことしやかに出回りました。
ただこのとき、日本の死者数をアジア各国と並べて日本を叩く人たちが、意図的に無視していたのが日本の高齢化率です。世界一の高齢化率を誇る日本は、東南アジアや南アジアとは平均年齢が大きく異なります。そもそも普通にやったら、「主に高齢者を殺す病気」であるコロナとの戦いで、日本が不利なのは当たり前です。でもそこに触れたら、日本を批判できない。
この隠ぺいの時代が、21年、デルタ株の登場で終わりを迎えます。死者の大半が高齢者だった従来株ではビクともしなかった東南アジアや南アジア、西アジアの各国が、40代や50代も殺すデルタが広がった途端、急激に死者数を増やし始め、次々と日本の累積死者数を超える被害を出していきました。
これによって、「東南アジアや南アジアの被害が少なかったのは単に若かったからで、感染対策が効いていたからではない」ことが明らかになりました。そして、このデルタ波を、東南アジア諸国よりもはるかに小さい被害で終わらせた日本が、「本当にうまくやっていた」ことは客観的に明らかになります。
デルタによる東南アジアや南アジアの惨状と並行して、日本批判の言説として盛り上がったのが「ワクチンが遅い」でした。この時期に脚光を浴びていたのがイスラエルですが、欧米は軒並み日本より数カ月早いペースでワクチン接種を進めていきました。
しかし冷静に眺めてみると、ワクチンで先行している各国は、日本よりははるかに死者数の多いところばかりです。イスラエルも、感染者数の減り方が急激だったことで一時期目を引きましたが、結局人口比の死者数は比較にならないくらい多い。
そしてその後、いつの間にか日本のワクチン接種率が欧米の大半を追い抜き、もちろんイスラエルも追い抜く日が訪れます。イスラエル、脚光浴びてた頃のワクチン接種率、国民の60%ちょっとくらいだったんですよね。その程度で評価されてたんだ。
ここまで来ても、日本批判派は認めようとしません。中国、韓国、台湾、香港という東アジア諸国や、オセアニア(オーストラリア&ニュージーランド)が、まだ日本より被害の小さい国として残っていたからです。東南アジアにはシンガポールもまだ残っていました。
これらの国に共通していたのは、水際対策の強固さです。国主導のシステマティックな対策というイメージも強いため、「それと比べて日本の対策はグダグダだ、現に被害も大きい」という言説がさかんに言われます。
この水際対策を崩壊させたのが、「感染力特化型」のオミクロンでした。香港やオセアニア諸国の防壁は、オミクロンが登場した途端に突破され、デルタの頃から雲行きが怪しかった韓国も決壊。水際がしっかりしていても、国内の感染対策はさほどしっかりしていなかったことが白日の下にさらされました。シンガポールはほぼ収束させたようですが、結局日本とほぼ同程度の死者数になっています。台湾もまだ死者数がピークを打っていないので、時間の問題でしょう。
もう誰も否定することはできません。日本は世界で有数の「国内に入り込んだウイルスを抑え込む力が高い」国です。水際対策は下手ですけれど。もちろん、世界一死者数が少ない国では全くありません。日本より高齢化率が大幅に低い発展途上国の中には、日本より死者数の少ない国がたくさんあります。近場ではパキスタンやバングラデシュ、ラオスなどですね。どこまで統計が信頼できるのかはわかりませんが。間違いなく日本より死者が少ない国としては中国が挙げられますが、あそこのマネはしたいとは思わない人が多そうです。
こういった過去の推移は、こちらのサイトだと見やすいです。実のある議論のために、ぜひ皆さんも過去のことを思い出して頂けると幸いです。
いつの間にか日本が、韓国やオセアニアや、ひょっとすると台湾よりも「コロナの死者を少なく抑えた国」になってた件が盛り上がっていますが、この2年間の日本の相対的評価の推移を覚えていない人も多いと思うので、雑におさらいしておきますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KS_1013/status/1535991131845996544
この頃、武漢に続いて欧米が従来株のコロナで大惨事になりましたが、いろんな人が「日本も時間の問題で欧米のような惨状になる」と予言していました。日本批判の内容は主に「ロックダウンしないこと」と「検査数が少ないこと」でした。
実際には、早めにロックダウンを始めたように見えた欧米は既に手遅れで、なかなか感染は収まらずに死者は積み上がる一方。
一方の日本は「志村けんショック」もあって、感染状況から見れば欧米よりはるかに早いタイミングで緊急事態宣言を発令でき、しかも強制力がないはずのそれは「実質ロックダウン」としか言えない実効性を発揮しました。警察が見回っているわけでもないのに、本当に東京の中心部から、人流が消えていたんです。
当時の日本に検査能力が不足していたのは間違いないのですが、その弱点を完全にカバーするレベルで、日本は感染の広がり自体を抑え込んでしまいました。でも認めたくない人たちは、「検査してないだけで実際にはもっと感染者は多い!」と言い続けます。
欧米との相対比較で日本を批判するのが無理と気づいたあと、日本批判派が持ち出したのが「アジアの中では悪い論」でした。この時代がけっこう長く続きます。実際にこの頃の日本の累積死者数は、欧米よりははるかに少なくても、アジア(東アジア、東南アジア、インド圏、西アジアまで全て)の中では一番多いレベルでした。なので、「日本が欧米より被害が軽いのは、アジアという地理や人種の恩恵であり、日本が何かに成功したわけではない」という主張が生まれました。ファクターXやらBCGやらを原因とする仮説がまことしやかに出回りました。
ただこのとき、日本の死者数をアジア各国と並べて日本を叩く人たちが、意図的に無視していたのが日本の高齢化率です。世界一の高齢化率を誇る日本は、東南アジアや南アジアとは平均年齢が大きく異なります。そもそも普通にやったら、「主に高齢者を殺す病気」であるコロナとの戦いで、日本が不利なのは当たり前です。でもそこに触れたら、日本を批判できない。
この隠ぺいの時代が、21年、デルタ株の登場で終わりを迎えます。死者の大半が高齢者だった従来株ではビクともしなかった東南アジアや南アジア、西アジアの各国が、40代や50代も殺すデルタが広がった途端、急激に死者数を増やし始め、次々と日本の累積死者数を超える被害を出していきました。
これによって、「東南アジアや南アジアの被害が少なかったのは単に若かったからで、感染対策が効いていたからではない」ことが明らかになりました。そして、このデルタ波を、東南アジア諸国よりもはるかに小さい被害で終わらせた日本が、「本当にうまくやっていた」ことは客観的に明らかになります。
デルタによる東南アジアや南アジアの惨状と並行して、日本批判の言説として盛り上がったのが「ワクチンが遅い」でした。この時期に脚光を浴びていたのがイスラエルですが、欧米は軒並み日本より数カ月早いペースでワクチン接種を進めていきました。
しかし冷静に眺めてみると、ワクチンで先行している各国は、日本よりははるかに死者数の多いところばかりです。イスラエルも、感染者数の減り方が急激だったことで一時期目を引きましたが、結局人口比の死者数は比較にならないくらい多い。
そしてその後、いつの間にか日本のワクチン接種率が欧米の大半を追い抜き、もちろんイスラエルも追い抜く日が訪れます。イスラエル、脚光浴びてた頃のワクチン接種率、国民の60%ちょっとくらいだったんですよね。その程度で評価されてたんだ。
ここまで来ても、日本批判派は認めようとしません。中国、韓国、台湾、香港という東アジア諸国や、オセアニア(オーストラリア&ニュージーランド)が、まだ日本より被害の小さい国として残っていたからです。東南アジアにはシンガポールもまだ残っていました。
これらの国に共通していたのは、水際対策の強固さです。国主導のシステマティックな対策というイメージも強いため、「それと比べて日本の対策はグダグダだ、現に被害も大きい」という言説がさかんに言われます。
この水際対策を崩壊させたのが、「感染力特化型」のオミクロンでした。香港やオセアニア諸国の防壁は、オミクロンが登場した途端に突破され、デルタの頃から雲行きが怪しかった韓国も決壊。水際がしっかりしていても、国内の感染対策はさほどしっかりしていなかったことが白日の下にさらされました。シンガポールはほぼ収束させたようですが、結局日本とほぼ同程度の死者数になっています。台湾もまだ死者数がピークを打っていないので、時間の問題でしょう。
もう誰も否定することはできません。日本は世界で有数の「国内に入り込んだウイルスを抑え込む力が高い」国です。水際対策は下手ですけれど。もちろん、世界一死者数が少ない国では全くありません。日本より高齢化率が大幅に低い発展途上国の中には、日本より死者数の少ない国がたくさんあります。近場ではパキスタンやバングラデシュ、ラオスなどですね。どこまで統計が信頼できるのかはわかりませんが。間違いなく日本より死者が少ない国としては中国が挙げられますが、あそこのマネはしたいとは思わない人が多そうです。
こういった過去の推移は、こちらのサイトだと見やすいです。実のある議論のために、ぜひ皆さんも過去のことを思い出して頂けると幸いです。
機能性表示食品が生まれた背景イメージ
機能性表示食品は、アメリカの同様の制度にならい、2015年(平成27年)4月から導入されました。
元々、日本では健康食品の機能性や効果効能表現に強い規制がかけられていました。 医薬品ではないため、医薬品的な効能効果を標榜すると「無承認の医薬品の販売」として、薬機法違反とみなされていたのです。
一方で「朝からスッキリ」「新聞の細かい字が気にならない」といった抽象的で暗示的な表現では、正しい判断をするのは難しいですよね。
そこで消費者が、商品の特徴を誤認することなく自主的かつ合理的に商品を選択できるよう、一定の要件を満たせば、適正な表示による情報提供を認めたのがこの制度なのです。
機能性を表示するための必要事項
└ RCT(Randomized Controlled Trial ):最終製品を用いたヒトの臨床試験
└ SR(Systematic Review):最終製品または機能性関与成分に関する研究レビュー※
※研究レビューとは
機能性の「科学的根拠」を示す手法の一つとして認められているものに研究レビュー(システマティックレビュー)があります。肯定的な結果だけでなく、否定的な結果もすべてあわせて、「機能性がある」と認められるかどうかを総合的に判断するものです。 研究レビューを行う人は、研究論文が登録されているデータベースを用いて、論文を抽出します。 抽出に当たっては、検索に用いるキーワードなどあらかじめ条件を設定します。 抽出された論文を絞り込み、最終製品又は機能性関与成分に「機能性がある」と認められているのか、もしくは認められていないのかを分類します。 事業者の都合で機能性があることを示す論文だけを意図的に抽出することはできません。
私にとって子どもを紹介されるのは、親を紹介されるのと同じ感覚だ。
はあ、初めまして……
ほんとにこんな感じ。
そうそうこれこれ。この年末年始で帰省した時に似たような事を考えてた。
多分「赤ちゃん=可愛い・価値が高い」みたいな認識が自分の中に存在してないせいかな、と思った。
例え赤ちゃんだろうが、見目麗しい女子大生だろうが、65歳の小汚いチビデブハゲおじさんだろうが、
竹下通りで近寄ってくる身長190cmの黒人の兄ちゃんだろうが、自分の中では平等に「自分以外の人間」という、
めちゃくちゃでかい枠組みにシステマティックにポーンと振り分けされてしまってるんだと思う。
最初は「自分以外の人間」同士でも相手が大人なら、話し合いを重ねて相手を知っていくことで共通の話題や同じ趣味が見つかったりして、
徐々に「知人」や「友人」になっていくわけだけど、赤ちゃん〜小学生ぐらいの子供と落ち着いた話し合いを重ねるなんちゅうのは、
そら土台無理な話で、扱い方や距離の詰め方が全然掴めずに顔が引きつってしまうのかなぁ、と有り余る時間で自己分析してたわ。
周囲大人だらけの田舎で一人っ子、という自分の生育環境もその傾向に拍車を掛けてしまった感は否めんけども。
赤ちゃん言葉とか子供目線で話すみたいな事がマジで出来んなぁ。自分自身がそういうのされるのが嫌いな子供だったから。
相手が3歳だろうが8歳だろうが13歳だろうが、ほぼ同じように扱っちゃう。そら語彙や話題には気を付けるけどさ。例え相手が30歳でも60歳でも基本一緒。
そろそろコロナワクチン打ちたいななんて話をポロっとしたら聞きつけた知人が止めたほうがいいよって言いながら「新型コロナワクチンの正体」みないな本を貸してくれた。
よりによってあの内○聡の本だったので内心ドン引きしつつエンターテイメントのつもりで読んでみた。
反ワクチンアホスwwって読み飛ばせるかと思ったらそうでも無かった。読んでて怖くなった。
腐っても医者()が医学的な用語や概念を用いて本一冊分の分量も反ワクチン主張してるわけだ。自分みたいな素人は知識的に太刀打ちできず「はぁそうなのか」ってなってしまうわけだ。
ツイート一個ならともかく本一冊の分量をいちいちファクトチェックしてられない。
何を信じたらいいのか分からなくなる。
厚労省や公的機関の言うことを信じれば良いというが、(中国よりは断然マシにしろ)自民党とかが色々問題起こしてたり河野さんのワクチン確保報告にはてブ民が不信感持ってたりと100%透明とは言い難い我が国の大本営発表を手放しに信じて良いのか?と陰謀論的な気持ちにもなる。
ワクチンに対する不安感が湧きつつも遂に予約した日が来てしまった。(予約はだいぶ前に脳死でしてた)
接種推奨してる会社に接種のため休む(業務扱い)と言ってるので今更やっぱやめるとは言えない
医療従事者枠で大多数の医者は自ら接種してるしはてな民は接種すべきが多数派だし製薬会社の人もアホじゃないから変なもの世に出さないだろう(希望的観測)と自分に言い聞かせて接種会場に入った。
自分は不安性なので接種会場に行くまでの間8回くらい接種券忘れてないか鞄を確認した。
接種会場のシステマティックなオペレーションに感動しつつ流れるように打たれて15分の経過観察タイムになった
ついに例の「ワクチン」が自分の体内に打ち込まれてしまった…もう後戻りはできない…どうか何事も起こりませんように…と祈る気持ちで待機場所の椅子に座っていた
すると…胸騒ぎがして吐き気がしてきた
自分にはモデルナは強すぎたんだ…ファイザーにしとけば良かったorz…どうか収まりますように…どうか…
しかし現実は非情なことに今度は頭が猛烈にジンジンしだして普通に座るのも辛くなってきた
うつ伏せになってかろうじて意識を維持しながら、あぁ…やっぱりワクチンなんて打つんじゃなかった…(少なくとも自分にとっては)毒だったんだ…このまま重篤化するのかな…病院行きになったら家族に打ったことバレてしまう…自力で帰りたい…でもそれどころじゃない…どうか…どうか…どうか…と絶望していた
しばらくして待機時間に終わっても椅子でうつ伏せになってるのを見たスタッフの人が救護室まで案内してくれた。
リバース用の容器を口元に出された途端にありったけリバースした。
ご迷惑おかけしました。スタッフの皆様ありがとうございます。
血管迷走神経反射なのでアレルギーとかでは無いから2回目受けて大丈夫って言われて安堵した。
今まで何回も予防接種とか採血とか献血とかしてるのに生まれて一度も迷走神経反射になったことは無かったから想定外で驚いた。
迷走神経反射の原因の1つに強い不安もあるっぽいので変な本読んで不安が強くなっていたのが要因かもしれない。
でも打ってしまったからワクチン不安に対しては開き直れるかも。(まだ漠然とした不安は多少あるが)
1回目の副反応は想定通り(腕の痛みと微熱)で家族に気づかれなかったが、2回目の副反応は流石に隠せないと思うので、4週間以内に(接種懐疑派の)家族に自分が打つこと承諾してもらわないといけないのが課題
(本借りた知人はともかく、家族は懐疑派であって反までは振り切れてないので対話の余地はありそう)
接種前に反ワクチン本読んだり反ワクチン情報集めるのは不安になって迷走神経反射を起こすかもしれない(n=1)ので気をつけましょう!
また擬似相関がTogetterで上がっていたりしたので書いておく。
各自ググれ (ttps://minna-shigaku.com/category18/entry31.html ttp://jspt.japanpt.or.jp/ebpt_glossary/causation.html ttps://www.kansai-td.co.jp/corporate/energy/electromagnetic-wave/research/epidemiological-research/evaluation-criteria.html ttps://jeaweb.jp/glossary/glossary015.html など)
" 因果関係を判定する条件として,米国公衆衛生局長諮問委員会の5基準(1964)が提唱されています.
1.Consistency(一致性):異なる地域・時代・状況でも同一のことが起こる
2.Strength(強固性):原因と結果の関連が強い
3.Specificity(特異性):原因と結果の間に特定の対応関係がある(原因が変われば結果も変わる)
4.Temporality(時間性):原因が結果よりも時間的に先行する
5.Coherence(整合性):既知の知識体系と矛盾しない
"
"
関連の密接性
関連が強いほど因果関係がある。曝露が多いほど疾病の発生率が高い。
関連の普遍性
関連の特異性
疾病があれば曝露があり、曝露があれば予測される率でその疾病が発生すること。
関連の時間性
関連の論理性
もちろん提唱されているだけであり、これが因果関係の判断基準のすべてではない。
”Bradford Hillの判定基準(1965)もあります.
6.Biological gradient(生物学的用量反応勾配):定量的な反応が起こる(量-反応関係)
7.Plausibility(尤もらしさ):生物学的に矛盾なく説明できる
8.Experiment(実験的証拠):関連を支持する実験的研究が存在する
9.Analogy(類似性):既存の類似した関連により裏付けられる”
というわけで次、エビデンス
ttps://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00042.html
新型コロナウイルスの空気伝播に対するマスクの防御効果 東京大学医科学研究所(このページ発表年月日が明記されていない。多分2020年10月)
や
ttps://academic.oup.com/cid/article/71/16/2139/5848814
Surgical Mask Partition Reduces the Risk of Noncontact Transmission in a Golden Syrian Hamster Model for Coronavirus Disease 2019 (COVID-19)
「を以て”新型コロナの対処法のうちマスクにはエビデンスがある”からマスクしないやつは非国民と言っている」輩はいるか?いないよな?
RCTされていないからじゃないぜ。
なぜならエビデンスは基本的に人間に関するデータである必要があるからだ。
つまり、森永のミルクを飲んだら病気になる、チッソの廃液が流されている水俣の海でとれた魚を食べると病気になる
ミルクに何の毒が入っているか確定されていない、は治療・対策を推奨するエビデンスを止める理由にはならない。
ヘリコバクターピロリに感染していると胃がんになる、ヘリコバクターピロリを除菌すると胃がんにならない>だから除菌をしよう
ピロリ菌を感染させた動物の粘膜細胞にがん遺伝子が発現するのが証明されていない>ピロリ菌除菌療法を進めない
東大のマネキン実験も、ハムスターの実験も 「患者データに基づかない」論文でしかない。
それをもって推奨する対策はその時点では 最低ランクのレベルⅥ 専門委員会や専門家個人の意見。
密でない屋外でウレタンマスクをしている人をエビデンスガーで警察できる代物じゃないってことだ。
全くエビデンスがないわけではない
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200723-00189530
忽那医師のこれは
エビデンスに結びつく症例報告(クラスV?)とハムスター実験、ex vivo実験を並べている。
注意深く読めばハムスター実験がエビデンスであるとは述べていない。
著者はわかっているが読者が解っていないと思わず無造作に書いてしまっているか、読者を騙そうとして書いているかどちらかだろう(多分前者)。
”8.Experiment(実験的証拠):関連を支持する実験的研究が存在する”
として因果関係の判定に寄与する貴重な実験ではあるが、【エビデンス】ではない
ちなみに忽那医師らが当初、マスクは推奨しないといっていた、そして今でも限定的な言い方でしかマスク装着推奨をしないのは
”5.Coherence(整合性):既知の知識体系と矛盾しない”
”インフルエンザにマスクは有効ではない” という既知の知識体系を援用した結果であり、今でもなおその既知の知識体系に寄り添っている。
ファウチが初期にマスクを推奨しなかったのが「真に必要な医療現場にマスクが不足しそうだからそれを避けるため」というのは完全に信用する気にはならないんだよな。
人は他害的な存在を排除するよりもむしろ受け入れる傾向がある。日頃増田達は「他害性」をめぐって極めて攻撃的な弁舌を振るう。例えば性加害。社会的な立場を利用した加害。そういった加害性、つまり他害的な行為についてはてなー達は大いに否定し、社会においてそれらを排除することを望む。少なくともそのような言説を頻りに持ち出している。
とは言え、実際のところ現実において人は他害性を否定するどころか、他害性を大いに受け入れている。
このような言い方はデタラメであり逆説を弄する姿勢だという誹りを受けるだろうが、事実は増田らの言説とは逆である。以下説明を行っていく。
社会において排除されるのは、他害性を持つ存在ではなく、むしろ他害的傾向を持たない存在ばかりである。
他害性はコミュニティから排斥される条件としてではなく、むしろコミュニティにおいて受容される条件として見做されているのである。例えば、会社のポストに就いている幾らかの人間を想像してみて欲しい。全く他害的な性質を持たない人間がいるだろうか? 否である。
あるいは、イジメの構造も好例となり得る。イジメは必ず多数者により少数者に向かって行われ、その逆はあり得ない。つまり、イジメという行為の構造は、「コミュニティに属する人間の多くが他害性を受容している」ことに本質を置いているのである。これは何故なのか?
ごく単純に言って、他害的傾向を持った人間を排除しようとすると、その他害性の被害に遭う可能性があるからである。他害的な性質を持った他者を排除しようとすることで、報復に遭う可能性があるからである。だからこそ人は他害的な存在を受け入れるのだ。
また、ここで逆転的現象が生じることになる。つまり、人は他害的であるからこそ他者を受け入れるようになるのである。
他害的である他者を受け入れなければ、他害性による被害に遭う可能性が生まれる。だからこそ、他害性を持った他者を人は積極的に受け入れるようになるのだ。他害性はむしろこの場合、人間関係における受容の条件にさえ当て嵌まっているのである。一方で他害性を持たない存在はコミュニティから排除される。コミュニティに受け入れられるのは他害性を備えた他者だけだからである。そのため、人間は本能的に、システマティックに他害性を持つ他者のみをコミュニティへと受容し、他害性を持たない他者のみをコミュニティから排除することになる。
多くの人間はこの逆転に気付いていない。それはシステムだからである。システムに思考は必要無く、反省も必要ないからである。
とは言え、他害的な他者を受容することは、無意識化においてストレスを人間に与えることになる。それは当然のことだ。あくまで、人は他害的な他者を、自分がその他害性の標的にならないためだけに受容するからである。では、そのストレスはどのようにして解消されるのか?
つまり、他害的ではない者に対してストレスが向けられるのである。何故ならば、そのようなストレスを他害的で無い者に向けたとしても、そのような他者は他害性を発揮しないからである。つまりは、そのような他者からの報復を受けない(受けにくい)からである。このような他害性の逆転現象は現実において大いに散見される。繰り返すように、学校や会社におけるイジメ行為などが正にそれであり、また、増田においてもそれらの傾向は如実である。ホッテントリには往々にしてこの「他害性のある他者から受けるストレスを解消するために、他害性の少ない他者をターゲットにして言説を展開する」という主旨の記事が上がる。