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はてなキーワード: オブジェとは

2016-06-08

でも私が小中の頃って、男に媚びない主体的女性シンガーとかガールズバンド流行ってて憧れてた。リンドバーグとかgaoとかプリプリとか。

今って「頭空っぽで良い」のアイドルとかもろ男のオブジェなのが市場を占めてる感じで逆行している感じがものすごい。

子どもの頃は女の人も無理しないで安全にかっこよく生きられると思ってたのに、日本では私たち死ぬ頃になっても無理だろうね。

2015-11-19

ハモでトァンが愛してると言いつつミァハを射殺したのはなぜなのか

 劇場版ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニーLINEスタンプとか『ハーモニーTシャツといった危険信号無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンク日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである

 賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグブラザー支配する全体主義国家モノトーンに近い暗い色調で、対照的ウィンストン恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類ハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版ハーモニー』の主題全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマ全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本ピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストン恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年現代草食系若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。

 劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆であるシュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけであるしかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である

 では劇場版ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから人類意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジー情報過剰の帰結として自動車事故セックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである

 それでは劇場版ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007さながらのニジェールドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。

①ベンチに座るミァハ(遠い)

②トァンの後ろ姿

③へんなオブジェ知的素材のジャングルジム

① ②  ③

そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカット意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類ハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキー原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。

2015-07-14

ワインセラー

つつましやかな生活ながら、うちにはワインセラーがある

そういえばセラーに入っているムートンは何年だったかな?そろそろ飲んでもいいかなと扉を開けたらぬるいの

デバイススタイルワインセラーが死んでいました、ペルチェ式だけにひっそりと

おい!死ぬなら死ぬと言え!ムートンオーパスワンと分家ムートンが合計でいくらすると思ってんだ!ああ気を失いそう

ちなみに赤外線放射温度計で測ったら室内と同じ30℃、、完全に死んで部屋のオブジェとなっていました

いつ死んだのだろう、今年かな?盛夏の前で良かったと思うべきか、いずれにしても抜栓するかしないか分からない

別に死者を悼んでいる訳では無い

傷んだのはワイン

追記

本当に小さい箱なのだけど冷蔵庫扱いでリサイクル料6,000円だって。ムカついてぷんちゅか!

2015-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20150620121031

これを読んで、どうぞ。

オブジェじゃなくて実際に使う物なら、美しいだけじゃダメなんだよ。

10日で切れ味が落ちてきたよ 25年砥がなくていい包丁 EVERCUT(エバーカットレビュー② - EMOJOIE CUISINE http://emojoiecuisine.hatenablog.com/entry/2015/06/01/120000

2014-12-02

僕はもうプログラミングしなくていいんだ

大学回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。

 

パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビ常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001パソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコン電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。

 

97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001キッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしいあめぞうあやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。

 

その一方で僕は中高一貫私立校入学していた。高校受験がないことから、ネット依存さらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板ネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。

 

その狭間に、僕は生きていた。

 

自分掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタコンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューター翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……

 

お手上げだった。

 

コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linux初心者お勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。

 

プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明文字列が並び続ける。メモリメモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。

 

あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学情報科学科に入った。

 

教授ガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。

 

大学キャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。

 

とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報さらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskellSchemeObjective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????

 

それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注プログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格ちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。

そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。

 

僕は試験放棄した。

 

まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習機械学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬだって友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなた名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。

 

大学回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。

 

それからしばらく経った。

 

結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだChromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウス右クリックコピーペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeportsを入れる必要は無い。iTunesiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。

 

僕はもうプログラミングしないでいいんだ。

 

それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板オマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブホッテントリを見てると、プログラミングマスターしなければならないこと、何何する方法開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース勉強会ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミング必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。

 

さようなら。僕はもうプログラミングしません。

 

 

 

 

それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。

 

意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。

2014-07-08

ぼくのかんがえるソードアートオンライン

今回紹介するのは、2030年から爆発的な人気となったオンラインゲームソードアートオンライン。いったい何がブームのきっかけになったのか、プレイの流れとともに紹介しよう。

ソードアートオンラインの参加方法はとてもシンプル名前キャラクターを選ぶだけ。これだけで、あなたは広大な世界に入ることが出来る。あなた最初にもらうアイテムナイフ、オノ、ランプ、そしてわずかなお金のみ。何をしていいか途方に暮れるだろう。しかし、この世界ですぐに始めるべきことは、たった1つである

手元にあるナイフアート作品を作る。それだけだ。

周りを見渡すと、森があちこちにあるだろう。あなたはそこに行き、オノで木を切るとよい。もちろん、地面に落ちている枝や丸太を使ってもよい。好きな素材を使って彫刻オブジェ・置物・家具などを自由に作るのだ。

作った作品は街に行けば売ることができる。精巧に作れば作るほど、価値は高い。もちろん店に売るだけでなくフリーマーケットで売ってもよい。場合によっては展覧会を開催して客を集めることもできるだろう。そうやって稼いだお金で、新たな素材や道具を購入できる。

もちろん素材は木材だけではない。土、砂、大理石、氷だって彫刻の素材にできる。道具だって様々だ。彫刻刀、ノミとトンカチ、のこぎり、グレートソードレイピアサムライソードダイヤモンドカッターなどなど。あなたが作りたいものを作りたいように作ればよい。

このゲームに夢中になっている青年に話を聞いてみた。「今までのネットゲームは誰かを殺すことばかりだった。それに飽きた頃に登場したのがソードアートオンラインさ。このゲームでは誰かに殺されることが無い。好きな時に、好きなだけ作品を作ればいいんだ」

一方、こちらの彼女作品を作るよりも教えることに楽しみを見出していた。「私はお金を稼ぐことにはあまり興味がなかったの。だから個展を開いてたんだけど、初心者の人が『どうやったらそんなにカッコいい作品が作れるんですか?』と聞いてきたのよ。それからは教師としてみんなに作品の作り方を教えているわ」

プレイヤーによっては、ゲームに使う周辺機器も選んでいる。キーボード派の彼はこう答える。「デジタル入力が可能なキーボードのほうが繊細な作品が作れると思うよ」と。一方、ナイフ形のコントローラを使う彼はこう語る。「このコントローラのほうが実際に作品を作ってる感覚に近いんだ。ヘッドマウントディスプレイも使えばまさに自分だけの作品を作ってる気分になれるぜ。ゲームからナイフで手を切る心配もないしね」

いかがだっただろうか。ソーシャル要素を持ちつつ、自分一人で楽しむこともできるこの作品。誰かと作品を競い合うもよし、空いた時間にコツコツと作るもよし、木こりとして山で生活するもよし。プレイヤーの数だけ遊び方がある。

さあ、今すぐログインして、広大かつ穏やかな世界作品作りを楽しもう!

2013-11-14

ほんとにしょうもない恋愛の話

中学高校男子校だったこともあり、女性免疫ができず、自己嫌悪もあって青春とはかけ離れた学生生活

童貞を捨てれば自信がつくかもしれないと思って、大学3年のときネットで知り合った年上女性と会った日にホテルに行くも、緊張でたつものもたたず撃沈。

その女性のおかげで3ヵ月後に捨てることは出来、なあなあで結婚する事情があって2年で離婚

25にして再び独身生活が始まった。

Aというオンラインの友人がいた。

彼女学生テレホ全盛期にゲームサイトで知り合った同じ年の女性

私が離婚したころからまたメッセで話すようになった。

彼女寿退社したもの結婚にいたらず、ニートをしていた。

プログラム仕事を自営でしている私は、夜中仕事をしながら彼女メッセをするのが日課だった。

学生ときから一度も会ったことが無かったが、私は離婚、Aは結婚破談、なんとなく環境が近かったのだろう。

何かのきっかけで会おうということになった。

少し暗そうな感じのAだが、ブツブツと小さい声で面白い冗談をしゃべる子だった。

お互い緊張してチャットのように話せなかったが、思ったよりかわいい子だなという印象だった。

その日はお茶してわかれて、後日飲みに行った記憶がある。

そしてお互い人肌恋しかったんだろう、勢いで二人で旅行に行こうという話になった。

やれるとおもった。

旅館に一泊で旅行にいったが、車の中での会話はチャットのようには弾まず、自分の緊張やの押しの弱さが原因で、結局別の布団で寝て何も無かった。

Aは私が寝るまでタバコをふかして窓の外を見ていた。

自己嫌悪いっぱいの旅行から帰って一週間後、男性告白されて付き合うことにしたとAがメッセで言ってきた。

別に好きでもなかったと思ってたのに、人の手に渡るとすごく悔しかった。

その男ダメ男で、定職につかずAから金を借りたりしていた。

Aは別れたり、ダメって分かってるのに離れられない、悪魔だわと私に愚痴を言いながら付き合っていた。

彼女に対してはずれくじ引いてざまあみろと思った。

そう思って自分のモンモンとした気持ちを整理をつけようとしていた。

結局半年位して別れたらしい。

その後Aは3年ほどのニート生活を経て定職に付いた。

そして、モンモンとした気持ちは消えていった。

Aは私のことを「いいんだけどなんか残念な感じ」という印象だったとチャットで聞いた。

月日は流れて30になった。

毎日チャットは続いていた。

友人の少ない自分には、Aとのチャットが日課であり生活の一部だったのだろう。

ある日なんだかチャットで落ち込んだ感じのAに、久しぶりに飯でもいこうと誘った。

がんばってちょっとこぎれいなレストランを予約して、久しぶりに会った彼女は前より少し綺麗になった感じだった。

しゃべり方はあいかわらず、ボソボソとしていたが冗談をいって私を笑わせてくれた。

食事の後彼女が誘ってくれたバーにいって話していたら、ろうそくに照らされた彼女の顔が一段と綺麗に見えた。

そこで恋心に火がついてしまったのだろう。

よく分からないけどこの気持ちはたぶん好きに違いないと思った。

彼氏がいないのも知っていた。

次の日言いたいことがあると告げて、彼女マンションまで片道高速2時間

好きだから付き合って欲しいと伝えた。

Aは泣いて、今不倫しているから無理と告げられた。

40の単なるおっさんだという。

私は帰り際に1度だけ抱きしめさせてといって抱きしめて、車の中でばかやろーっていいながら家に帰った。

それから一週間気持ちが張り裂けそうだったのを覚えている。

初めてソープにいって気を紛らわそうとしたりもした。

Aのこと、Aの不倫相手のことを思うと悲しくて仕方なかった。

そのあと私がAに対してとった行動は「5万で一晩ともにして欲しい」というとても最低なものだった。

Aと1度でも寝たら、この張り裂けそうな気持ちがスッキリなくなるのではないかと思ったのだ。

Aは一蹴した。

そもそも、寝たら友達じゃなくなるのが嫌だと告げられた。

何度もお願いをして5日目くらいに今すぐ来るならいいよといわれたので、夜中高速をすっとばしてAの家でそういう行為をした。

Hうまいねといわれた。気持ちがこもっていたか事実だったのかもしれないし、みんなに言うのかもしれない。

4,5回そういうことをしたのを覚えている。

私の中であった変化はというと、毎回5万円はきついなというのと、帰る時に俺名にやってるんだろうと朝帰りに思うこと。

朝、Aに「帰らないで」といわれたけど、仕事をサボれない私はごめんといって帰ったのを覚えている。

払わない日もあった。

Aとそういう関係になって3週間たったときのことだ。

私は性病にかかった。

今思えばソープが原因だったわけだが、そのとき彼女から移ったと思った。不倫相手がもってたに違いないと。

Aに検査するように薦めたが、結果Aはシロだった。

私は薬を飲んで1ヶ月ほどで治った。

その出来事があってから、Aはこの関係を絶つようになった。

私が病気もちだったから避けるのはもちろんだろう。

一緒に食事に行くことはあってもその後の展開は無かった。

手に入らないようになると、麻薬が切れたかのようにAが欲しくて欲しくて仕方が無くなった。

Aのことで頭がいっぱいになって、Aの不倫相手が恨めしくて、Aがメッセから落ちたら不倫相手と寝てるのかと妄想した。

もはや病気だった。頭の中は仕事彼女のことだけ。半年~1年はその状態が続いた。

そんなとき、数年ぶりにあう学生時代の友人がホーパーティーに誘ってくれた。

きょどりながら参加した。

その後もその友人は合コンにも誘い出してくれた。

人数あわせもあっただろう、当時の自分を誘ってくれたことに感謝している。

きょどりながらもパーティー合コンに参加していると、最初オブジェでも少しずつのりがよくなってきて、女の子メールアドレス電話番号を少しずつゲットできるようになってくる。

お互い興味が無い同士でも、その子自分幹事をすればまた合コンができることが分かる。

なるほど、合コンは芋づる式である

しかし、男友人が少なかった自分は大変だった。

友達の男友達も誘って、必死になってメンバーをそろえた。

既婚者にも声をかけた。

そうこうしているとAのことはすーっと心の中から無くなっていった。

いろんな経験を経て、1年位して素敵な人に出会い、30後半の私は今再婚して子供がいる。

Aとのことが無かったら、パーティーに参加していなかった。

Aと寝なかったら、彼女が欲しいとかやりたいとかも思わなかった。

きっと再婚することは無かっただろう。

Aはメッセメンバーにいるが、もう会話をすることは無い。

Aには幸せになって欲しいと願っている。

好きだったのか、ただやりたかっただけのか、今でも自分の気持ちはよく分からないが、Aには感謝している。

2013-08-05

劇場版 アンパンマンよみがえれバナナ島 感想

アンパンマンって、通常回を2回使って劇場版をながすんやね。

ところで、この映画は相当不穏。

オープニングで、長距離を飛んで来た巨大なバナナオブジェが、パン工場に打ち込まれるところから話が始まる。

危うく名犬チーズが死にそうになったが、どうやらこれはバナナ島の郵便らしい。中にはお祭りへの招待状が一枚。

住民総出で遊びに行くことになるのだが、一行はお祭りの準備を手伝うため、先行する。

そのころ、バナナ島では沢山の人に来てほしいことから世界中ドンドコ大砲を撃つ。もちろん招待状付オブジェだ。

ちょっと待て、当たり前に流すな。

他国に向かって大砲を撃てば、十分な開戦の理由になる。でも、作中はみんな気にしない。

でも、バナナ島には遠距離攻撃能力があるってことだろう。

さて、このバナナ島、住民は腰蓑まいた裸のバナナ人間なのだけど、どうも裕福には見えない。

この辺り、トロピコというか、バナナ共和国としてちょっとリアル

名産品はバナナ、というかバナナ以外の産業は皆無らしく、工業力も(住民の生活に関しては)低い。

プランテーションというか、モノカルチャーというか、経済的にはあまりよろしくない。

作中、バナナ島に急激な冷気が流れ込み、バナナが軒並み枯れてしまう。

唯一の産業、輸出品目が壊滅してバナナ島は大混乱。

その後、紆余曲折を経て、冷気の元凶は氷鬼という巨大な怪物だと判明。

バナナ島の住民は大砲バナナの巨大オブジェ爆弾(!)を発射。

それは、島外の人間の前では駄目だろ。

名目上、郵便伝達システム兵器転用可)でドンドコ攻撃。

いろいろあってフレイザードに似た感じの氷鬼を撃破して島は(一度枯死したバナナの森がなぜか)元通りになりました。メデタシメデタシ。

ううん、通常回の方がよかったな。

2013-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20130701234531

それより後の世代なので知らないですけど

生まれてない

PS2の頃に過去のPS(人から渡されたもの)とかをやってた世代なので

もっと後の時代でもきっちり不要ものは表示してなかったと思います

雲とか山の背景画よりもっと核心的な部分だと思います

「触る事の出来る目をひきつける物」

「触る事の出来る目をひきつける物」は必ず何かあったと思います

例えば電話だとか消火器だとか井戸だとか目で見てそれが何であるか分かるもの

何かを表しているもの

それが何か分かるからかいじってなんか試したいと思いますよね

それが、目の前の井戸がただのオブジェで触れても何でもないものになったのはその後

その後触れても何でもないものが増えていって

気がついたらゲーム進行に関係ないのものは全部そうなってた

最初は何も起きないと違和感があって、ここ何かあるといいのに、残念、と思ってましたが

だんだんそれが当たり前になったので忘れてました

雲とか山の背景画は意味あると思います

意味の無いと言う主張をしてるもの意味が無いのは意味があると思うのです

が、意味があると主張している物体に意味が与えられないのがおかしいと思います

意味が無いと主張している物体にはその主張をすると言う意味があると思います

でもただ書き込まれた消火器は?

本当は消火器だったら何か色々使えそうですがでもただのオブジェ

本当に意味の無い主張をしている物体はきちんと中身に配慮していて意味の無いように存在していると思います

それと自分のいいたい事(自分の思ってる事と反対の事)にしか書き込む事はないけど

多すぎて見逃してるところもあるかも

意見が欲しいところがあればいって下さい

2013-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20130701213902

昔のゲームでは、道中の小石をそもそも作らなかった

あえて作ったなら必ず何か反応があった

道中の小石でも

作ったもの意味を吹き込む

見たいな

自分で作ったんだからそれに意味を与えたいのは当たり前だと思う

「あ、電話を作ろう」→「それなら電話を調べたらこうなるようにしよう」

シナリオ本位で作るからシナリオをを作ってもそれと関係ないものは全部背景

主人公はこの先で怪物と戦う事になってる

じゃあこの部屋を作れ

電話はただの背景のオブジェの一つ

2013-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20130620184604

でも、もっと小さな部分がゲームにはあると思う

さっさと通りすぎてしまえば気がつかないっていうけれど

もっと気が疲れない部分、もっと通り過ぎてしまう部分

廊下の途中にある窓とか隅にある消火器とか

教室に並んでる机の一つ一つとか立てかけてあるモップとか

今の最新のゲームではモップを調べるなんて状況は起きないでしょう

目的地に向かうただの廊下の途中にある窓が開ける事ができて開いたら何か起きるなんてそんなシーンは見かけない

消火器だってお飾り

机は調べられる事はあると思う

昔は窓を描いたらその窓に何かあるし、消火器を描いたら消火器に何かある、モップを描いたらモップに何かある

意味の無いものを作る方が抵抗があったと思います

今は何か起きるなら狙って作ってる

から狙ってもいない廊下の途中の窓はただの背景で開けられる事なんて無いし、消火器もただの背景のオブジェで何かに役立つ事は無い

何か起こるならそのためにそのためのものを作ろうとする

何か起こるところしか作らないんだと思います

昔だったら何か起こらなかったとしてもそれはきちんと存在していた

から通り過ぎるようなところが作りこまれていて

中身が濃かったと思います

それに伴ってプレイの仕方にも変化がありますよね

昔のゲームでは、表示された目に付いたもの全てを調べて回った

そして調べ残しが無いか再び調べる

今のゲームでは、指定されたものを調べる

何か特別なものだけを調べる

それ以外何も無い事が分かっているか

主人公にとって何か意味のあるものはあえてピカピカ光ってこれを調べなさいってご親切に教えたり

何か意味のあるものゲームの指定したものだけでゲーム全体から比べて僅か

2013-06-07

今のゲームの方が情報量が少ないと思う

http://anond.hatelabo.jp/20130607231327

しろ今のゲームの方が情報量が少ないと思う

電話FAXもいじれない

ただのオブジェになってる

それだけ情報量が無いって事になりますよね

電話FAXも柱も時計家具もって調べられたのに

全部ただの背景になってる

それだけの数の情報量があったはずなのにそれらが無いって

2013-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20130403201911

昔のゲームは色々と分かれ道が分かれてたと思う

主人公のした行動でストーリーの分岐や実際の歩いてるフィールドも分かれ道いっぱいあったと思う

正解の道以外に、間違いの道や、トラップのある道や、ご褒美のある道

興味をそそるものプレイヤーをひきつけて、ウッヒヒこっちは間違いだぜ、見たいな

プレイヤーゲームの購買心理はその頭の駆け引きのやりたさに由来してるはず

本当の意味でのゲームがやりたいと感じる依存性が強いゲーム

作ってる人はプレイヤーとの駆け引きに一番の力を注いでる

その他はおまけ程度

ここにアイテムをおいたら拾いに行きたいだろうな、拾ったら悪い事がおきるようにしよう、とか

助けを求めてる人と、今にも落とし穴に落っこちそうなアイテム、どっちを先にとったかで変ったり

からさまに怪しいロッカーがある、調べたら恐怖の存在が出てきてしまったり

そういうものが主なゲームの主成分

過去のある地点であるものを見たかどうかとか、見つけたかどうかとか、調べたかどうかとか

ある時点である人やある物を助けたかどうか、説得したかどうかとか

ある会話で話しかけられた時、なんと答えたか

からここではどうなってる

からこの今の時点でこうなってるようにする為にこの時点でこうしてこうするみたいな(または未来なんて分からいからどうなるようにしたいとか祈りながら進むか)

そういうものの方こそが主成分

目的があるのは楽しい

今のゲームは何もかも一本だと思う

買う人の購買心理は芸術を買うみたいな感じだと思う

おお!このCGすごいなぁ、この演出やストーリー感動的だなぁ

とかこのキャラ好きとか

CGや演出やストーリー殆どの力が注がれている

グラフィッカーとデザイナーシナリオライターがそれぞれ自分アートを作る事だけ専念する

どれだけ美麗なCGでどれだけきれいで感動的な演出でどれだけ感動的なお話

やってる人はその美麗なCGや演出や感動的な話を眺めてるだけ

やってる側からは何をやっても変化は無いので、何としてでも何々をどうこうしたいと言う欲求が無い(依存性が無い)

自分が何やっても何の変化も無いので無意味な期待はしないでしょう




貴重品のようなものがおいてある部屋

昔のゲームの作り方だとそれをとると部屋の扉がしまって面倒な事態に巻き込まれたり、最悪ゲームオーバー直行する分岐になったりする

同じトラップでも今のいかにもな作り方だと、ゲームオーバーになるような分岐にはそもそも進めない(ゲームオーバーに進むと分かっているのにその先のシナリオを作るなんてそもそも無駄から

からそんなトラップを用意しないか、用意するならシナリオとして主人公トラップにはまって、そこから無事出られるまでのシナリオも作ってそのシナリオに沿って進むしかない

主人公はその部屋で必ずその貴重品を手にとって必ずトラップにはまり、それを必ず対処すると言う選択しかない

昔のゲームでは、ただとるかとらないか選択肢ひとつでとったら悪い事がおきてとらなければ何も無いってだけだったのに

今のゲームでは、とるしか選択が無いしとって生き残るしか選択が無い(作業に失敗してのゲームオーバーはある:今のゲームゲームオーバーの理由は「失敗して」が殆どで、「間違った選択をして」と言うもの殆ど無い、「失敗して」はどうすれば正解かは分かっているけれど自分の腕が足りないから失敗する、正解は分かっているのに成功するまで何度でもやらされる・・・今のゲームの主成分、「間違った選択をして」と言うのは正解を知らないから失敗したのであって次やったら違う選択をする、果たして次の選択は正しいのか・・・昔のゲームの主成分)

今のゲームでも作ろうとすれば分岐は存在するけど

全体像を見ればシナリオ主体の上に載っていて、毛の生えた程度

つの分岐を作る為にシナリオを作らなきゃいけないので大作業

骨組みがストーリーシナリオからどうしてもストーリー主体で考える



後、何があるか分からないのが昔のゲーム

今のゲームは何があるか分かる

何故かというとシステム化されているからであって

怖いゲームで、死体があったらもしかしたら怖い存在が来るかも知れないと感じるのが昔のゲーム

昔のゲームではそう感じるように、作ってある

作ってる人とやってる人との心理戦なので何が起こるかは分からない

今のゲームではシステム化されていて「こういう場合に敵が来る」と言うのが分かっているから、「こういう場合になったか、ならないかしか気にしない

逆に「こういう場合」にならなければ死体があろうと、何があろうと何もでない

昔の名残でやたらと死体オブジェとして置きたがるけれど

2012-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20120413202433

イラストが安く買いたたかれる問題。

いきなり自分語りでなんなんだが、自分はいちおうプロ小説家である会社員をしながら、日曜にちょこちょこ書くだけの小説家からプロです、と言い切るにはいつも引け目を感じているが、収入的には小説家仕事だけで年収500万円くらいにはなる。ジャンルが偏っているので、ほとんどの人は名前を言っても知らないだろうが。そこから得られる分だけで生活していける収入があるという意味では、プロを名乗っても差し支えないと思う。

たまにしか更新しないブログやマスダで、社会問題やら何やらについて書くと、内容から離れて、文章を褒められることが結構ある。プロ並だとか、カネがとれるレベルだとか、内容ではなくて文章についてそう言われる。こちらとしては、そういう文章はまったく推敲もされていないし、勢いだけで書いた駄文である場合が多い。そもそも小説の文章の作法と、ジャーナルな文章の作法全然違う。それでもそう言われることがままあるということは、ネット上にこれだけの日本語テキストが氾濫しながら、プロセミプロの水準に達している文章が少ないからではないか

日本人なら普通日本語テキストを書ける。プロ編集者が手を加えれば、それなりに読める文章には誰のものでもなる。ただ、読める文章と読ませる文章は決定的に違う。決定的と言ったわりには、それが何なのか、私自身把握していないが、ともかくその、ぼんやりとした決定的な要因によって私は飯を食えているわけである

音楽イラスト比較しても、一見、特別な技能必要としない分だけ、文章の世界参入障壁が低い。参入障壁は低いが、じゃあ、試になにか作品を書いてごらんと言われれば、百人中九十人はまず作品を完成させることが出来ない。逆に技能が占めるウェイトが高い分だけ、技術が伴っていなくても音楽イラストでは形にしてしまえばそれなりのオブジェになってしまうということはあろうかと思う。小説の文章は特に、構成力、表現力、構築力、ストーリーテリング技術等々すべてがコントロールされて初めて形になり得るので、実際には参入障壁がそう低いわけではない。

参入障壁が低ければ市場崩壊するのか。

経済学的に言えば、そうであるかも知れないが、いちおうはプロ表現者の実感から言えば、一概にはそうも言えないような気がする。私程度の書き手であっても、注文にすべて応じ切れているわけではない。新規参入者が増えて膨らむのは生み出される小説全体のストックであって、私の作品のストックではない。

司馬遼太郎の作品と私の作品の長さが同じだから市場価値が同じだと言うことがあるだろうか。司馬遼太郎の作品の代わりに私の作品がなり得るだろうか。そんなことはあり得ない。司馬遼太郎の作品は司馬遼太郎しか書くことが出来ず、司馬遼太郎の読者が求めているのは司馬作品であって、他の作品は代替にはならない。究極の参入障壁ではなかろうか。

イラストでも事情は同じはずだ。他から隔絶した個性を持った作家の作品は、百枚の中に紛れていても、誰が描いたかすぐに分かる。その人の絵を描けるのはその人だけなのだから、その人の絵に訴求力があるならば、他の人の存在によって描き手としてのその人が脅かされることはない。

創作活動は究極の個人活動だということを忘れてはならないと思う。その活動をマスな視点だけで見ていては、現状を見誤ると思う。素人の作品に脅かされるのは素人だけだろう。

2012-03-21

子供かわいくないとか

あるなあ

興味なくなるっていうか

ただの生き物っていうかオブジェっていうか

2011-08-31

必要ないものばかり買い込む祖母

それが楽しみだってのは分かっているんだけど、度が過ぎる。よく分からないオブジェを買ってきては、玄関付近にずらずらと陳列するもんだから、ジャマで仕方ない。それに加えて、よそで戦力外通告を受けたものを救済することもしばしば。ゆえに来客はまず、大量の障害物に歓迎を受ける格好になる。野村再生工場には、程遠い。

往時の読売巨人軍を彷彿とさせる、怒涛の収集癖だ。補強ポイントが偏りすぎている。スリッパだけで、何足あるのだろう。少なくとも家人の足の数では、到底足りないことは確かである

こちらから、やめさせようなどという気はない。人の趣味に水を差すのは気が引けるものだ。しかし、ジャマなものはジャマだという事実に変わりはない。葛藤ばかりが膨らんでいく。

2011-03-16

きれいなもの

うちの娘はもうすぐ2歳。

意味を理解して言っているかどうかはわからんが、最近やたら喋るようになった。

最近のブームは「きれいね~」。

お花を見て「きれいね~」。

何でもない雑草を見て「きれいね~」。

薄汚れた野良猫を見て「きれいね~」。

ゴミ捨て場を荒らすカラスを見て「きれいね~」。

ところが私がきれいだと思う様な宝石おもちゃとか美しいオブジェかには決して言わない。

どうやら違う意味で使っているようだ。

最近東北地震被災地の様子がよくテレビで流れているが、先日、生存を確認して涙しながら歓喜する人々をみて「きれいね~」といった。

彼女には私にはもう見えなくなった"きれいなもの"が見えるのかもしれないと思った。

2010-12-07

宛名の無い手紙

なんで君はこんな遅くになって、こんな手紙をよこすのか、そう君は思うのだろうね。理由は単純だ。君が自己満足の為に僕に書いて、僕によこしたように、僕も自己満足の為に書いて、君に送る事にするよ。それにあたって、ただ一つお願いがある。どうか返事を書かないでしい。僕にとって君との関係はキラキラした美化され、風化された思い出というよりはむしろ、呪い呪縛に近いのかもしれない。僕は君との関係を思い出す度、罪悪感に苛まれるんだ。この行為は別の言葉に変えるならば、償いに近いものかもしれないと思う。無論、こんな自己満足手紙を送った程度で、僕の行いは贖われるとは思わない。

最初に謝っておきたい。僕が非常識な行いを行ったのは重々に承知しているし、そのことを忘れた事なんて一度もない。あれは責められるべき事だったと思うし、君がそう判断するのももっともだと思う。君は疑問に思うだろう。なぜ何もしなかったのかって。率直に言うと、君の中に抱いている僕と、実際の僕自身の落差に驚き、その砂上の楼閣を維持すべきか逡巡したあげく、何も選び取ろうとしなかった、つまりは自分が傷つきたくなかった、そして君に対して臆病だった。

僕は確かに、友情以上の意味を込めて、好きだ、と言った。そんな言葉を言ったのは生まれて初めてだった。その時の君の表情の移り変わり、春の穏やかな周りの風景、部屋のオブジェ、机に彩られた食事。全てを色鮮やかに思い出すことができる。君の手を握ったときの、ちょっとひんやりとして、僕よりも小さな、可愛らしい手の形や、僕の一挙一動にあたふたしてこじんまりとした小動物のようにコミカルコケティッシュな君の仕草は、今でもまるでそこでの一部始終が8ミリビデオで撮られていたかのようにを鮮やかに思い出すことができる。そこで僕は確かに好きだと言った。しかし、本心では無かった。僕はしばしばそういった必要もないのに、そういった類の愚かな過ちを犯す事がある。しばしば、僕は人に嫌われたくないと思う余り、本心から乖離した行動をとってしまう事がある。そしていつも後悔する。学習しないのだ、僕は。それにしても僕はあまりにも軽率だったと思う。

君との関係を継続していく気がなかったと責められていても仕方がない。僕は君が思うほどに倫理的人間でもない。君が思うほどに、自分が何か価値のある人間だなんて今の際まで思ったことは一度もない。世界からある日突然僕が消え去ったとしても、多分何の変哲もなく世界というものはそれまでと変わらぬ歩みを続けるのだろう。君はそんなことないって言ってくれたのは、とっても嬉しかった。それでもこの考えは変わらない。でも、あんなにたった一人の人について想いを巡らせたのは、初めてだったと思う。僕の周りの人間は、喩えて言うのであれば旅の途中にふとすれ違う、街角風景たいなもので、人生の短い時間を共有しては、時間という川の流れに押し流されるような、刹那的存在だった。僕はそのまま、生涯孤独のままに生きていくのだろう、そう思っていたし、君に会うまではその考えは揺らぎすらしなかったんだ。それは僕の土壌の中に大きく根を張って、巨大な木へと成長していた。

君みたい人間は初めてだった。君とのメールでのやりとりはとても楽しかった。君からメールが来る度に、思わず口笛を口ずさむほどに嬉しかったし、この時間永遠につづけば、なんて今考え直すと陳腐な事を考えた。傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。でも僕にとって君と僕との関係は、それこそ実存をかけた問題だったし、真剣だったし、真摯にとりくまねばならないことだった。君みたいな素晴らしい理解者を得られた事は、多分神様の贈り物だったんだって心から思うんだ。なんでそんな得難い関係を保っていた君から僕は離れていったのだろうか。聞くに耐えぬ理由だと思う。君はそれを聞いたら怒るどころか呆れるだろうから。無論、なんの矛盾も抱えていない人間は世の中にはいないだろうけど、それにしたって限度がある。僕は矛盾した人間だとこの時ほど思ったことはない。

僕はあれほどまでに苦しめた僕に対する過剰な信頼と、敬意と好意と愛情を・・・失うのが怖かったんだ。だから僕は結局言うに言えなかった。だってあんなに手酷い別れになったにも関わらず、最後にこんな綺麗で美し過ぎる手紙を受け取っては、返そうにも返事が出来なかった。それを行う事は、恐ろしく酷いことのように思えたんだ。知らなくて良い事もある。もちろん、率直な想いを打ち明けるという選択肢もあったけれど、僕はそれを選べなかった。これが君に対するせめてもの償いなのか、それとも病的な利己心のなせる業なのか、僕には分からない。ただ君はとても悲しんでいるに違いないだろうし、その上に辛辣言葉を浴びせる事は、もはや暴力であり、君に対する最大級の冒涜なんじゃないかと躊躇してしまったんだ。

君の言動に違和感があったわけじゃないんだ。君はメールのやり取りを介して、僕が想像した以上に君らしかった。どこか、違うだなんて違和感を感じた事は一度たりとて無かった。ああやっぱり、まさか君はそんなことで僕が君を諦める、なんて思わなかったんだろうね。だからこそこの言葉を言うのが辛い。一年以上もの間、君に返事の一通さえも出せなかったのは、とりかえしの無い事をしてしまったという罪悪感と、なんて空疎な事に時間を費やしてしまったんだろうという虚無感から逃れるためだった。

誤解しないでしい。君が空疎だとか、薄っぺらいとかそういう意味じゃない。むしろ逆だ。無邪気で純粋な君に接しているうちに自分のどうしようもなく矮小な部分や目を覆い隠したくなるような恥部を覗かれる恐怖に怯えて、逃避しただけの哀れな男なんだ。

恐ろしく動物的で、独善的で醜い。僕は自分自身のそういったどうしようも無く、醜くて矮小自分自信を受け入れることができなかったんだ。だから僕は君との関係を拒否した。逃避した。切断した。逃げ出した

僕は君と付き合う、その可能性ももちろん考えた。それは一見とても素晴らしい事のように見えた。だって僕の短い人生の中で、これほどまでに心を通わせる人なんていなかったから。君を失ってしまう事はとても辛いことのように思えた。でもそれは出来なかった。僕の心が拒否していた。君は僕といつまでも過ごしていたかった、そう言ったね。でも僕はそうじゃなかった。あの空間がとても-そう、とても重苦しいものに思えたんだ。心に重石が乗っかったようだった。いつまでこの狂った芝居を演じなければならないんだろうといっぱいいっぱいだった。帰りの電車の中では今までに経験したことのないほどの疲労感が襲った。

君がセクシャルマイノリティであることや、君の家庭環境かに違和感を感じていたわけじゃない。そういう人間がいたって可笑しくないとは思うし、僕はそこまで差別的思想に凝り固まっているわけではない、と信じたい。理由はもっと別のところだ。多分、僕がもっと思慮深く、善良でもっと本質的に物事を考えられるのであればこんなことにはならなかったと思う。しかしながら実際の僕は君が考えているほどには素晴らしい人間はなかった。

しかしながら、結局のところ差別主義者と誤解されざるを得ないような酷い最後になってしまった事については、釈明のしようもないと思う。君を尊重すべきと考えるならば、それは絶対やってはならない類の行動であったし、今でももっといいやり方があったんじゃないかって思ってる。結果が似たようなものであれ、それに至るまでの課程が全く違うものであれば、たぶん、君もこんなに傷つくことは無かっただろう。

君がとても辛い人生だったのは察するに余りある。出来ることなら傍らにいて、君といつまでも一緒にいられれば良かったのだけれど、恐らく僕では分不相応だったのだろう。あのときは悲しみに暮れていたかもしれないけれど、僕なんかよりきっと素晴らしい伴侶が見つかる事を確信している。君の本質に触れれば、君ほど繊細でピュアな心を持ち、尚且つ魅力的で素敵な人間なんて早々いるものではないということを理解できるだろうから。この手紙自己満足なのは言うまでもないが、君の幸福を祈る気持ちだけはどうか理解してもらえたらと思う。君の存在は唯一無二のもので、僕にとって特別であることはこれからもずっと変わらない。これからの君の人生が幸溢れるものでありますように。

2010-10-14

なんだかんだで仕事場から開放され、やっと家に帰れることになった。

皆さん パーティーだ、打ち上げだってうるさくてしょうがない。

正直そう言うのは面倒くさいから家でまったりしたいなぁと思いつつ

偉い人たちも来てるからしょうがなく2次会まで参加してきた。

(とっとと帰ってぶっこきたいと言うのが実情)

おっさんたちが誘う3次会(スナックに行くらしい)を断って帰ることにした。

普通に改札通るはずが定期券が期限切れ。 まぁしょうがない。

コンビニによって、お弁当ビールお菓子と買い込んでとぼとぼ歩いた。

久々にたどり着いたアパートの玄関、ポストには新聞ダイレクトメールがみっちり詰め込まれてた。

めんどくせ。

ドアを開けた瞬間、これはやばいかなと・・・

考えたら、次の日が休みだったし、燃えるゴミは次の日だったから

あの日は実家から送ってきたホッケなんぞを食しており、ゴミ箱はそれ相応の状況でございます。

いつもの棚には朝飯のパンが、紫の綿状のものすごいオブジェに変化しており

冷蔵庫を開けたら、これまた卵と牛乳がすざまじい事になっているのですよ。

匂いだけで死にそう。

途方にくれていてもしょうがないから頑張ってゴミ袋にまとめて何でもかんでも

ゴミ袋に詰めてゴミ置き場に置いてきた。

それで一段落して、さぁやっと落ち着いてと

PCを立ち上げたわけだが、重要更新とやらが30件以上で

ぼんやりしてて更新にOKなんかしちゃったので一時間以上操作不能。

なんだか泣きそうだわ。



 70日間も留守にするともうダメ

時間外とかきちんともらえんのかな、俺。

明日会社に行って聞いてみよう。

2010-09-05

ブラック企業朝鮮民族って似てるよね

単に似てるな、ってだけの印象論。

ブラック企業宗教ってのもあるけど、

こっちの方が分かりやすいんでないかと、ふと思った。

そういう俺は、にわかブラックを逃げ出したプー

既に負け犬精神状態。

なんか朝鮮民族ケンカ売ってるような文になるがw

北(軍閥的な印象)と南(気性的な印象)をミックスして都合のいいところだけを取り出しただけ、と先に謝っとく。

ウリジナル

誰がどう見たってパクリなのに、オリジナルを自称する。

起源は常に「俺」。

技術力がない

技術力は、ない。

なぜか売り上げがあったりする場合も、その実、内容は粗悪品。

単に離職率が高くて、クオリティを上げられないだけ。

エエカッコしたい

だけど、エエカッコしたがる。

エエカッコした挙句、問題を作って返ってくる。

こちとら言い訳作りに四苦八苦

もちろん社長室には、謎のオブジェがあったりする。

人海戦術

だからどうなるかといえば人海戦術

人がコロコロと入れ替わる様は、まさにマスゲーム

勝ち負けにこだわる

勝てば良いと思ってる。

勝つために引く、とかはしない。

精神論

ナンセンスファンタジーで対抗。

逆ギレ

ツッコミ入れちゃいけないところにツッコミ入れたら、

もれなく逆ギレが返ってくる。

罵倒

とりあえず叫んどけ。とりあえず叩いとけ。

気圧す、追い込むとか大好き。

言ってることは論理破綻なんだけど。

情報統制

むやみやたらに隠したがる。

というか、隠さないとボロが出る。

教育恣意

洗脳的。

都合の悪いことは決して教えず、国民に必要以上の知識は与えない。

逃亡を防ぐのに効率的。

評価とは「従順であるか」「従順でないか」

マンセー言ってりゃなんでもいい。

洗脳にヤラれた人しか残らない

慢性的な停滞感の中で、

何も知らない・頭の弱い子を集めてそんなことしたら、

食糞だって乳出しチョゴリだって、もはや空気と化す。

そうならない人はもれなく泡吹くか、精神を病むか、脱北。

根拠は捏造

神話だって事実にしちゃいます。

歴史だって、法律だってネジ曲げます。

顔面の捏造なんて日常茶飯事です。

ブラックの8割は嘘偽りで出来ています。

正論捏造

同時に正論は、敵が捏造したものなので認めません。

過剰なアイデンティティー

アイデンティティとか大好き。

そのベクトルは、「良くしよう」ではなく「自己美化」に向く。

ジャイアニズム

お前のものは俺のもの。

竹島だって俺のもの。

アメリカが悪い。日本が悪い。

とりあえず他者(他社)が悪い。

失敗の責任は内側でなく、外側が払うもの。

そして他者(他社)を必要以上に貶め、

自己の優秀性を過剰にアピールする。

核開発してやるぞ

困ったときはミサイル撃って、支援を取り付ける。

もう、人の弱みに付け込み、人を脅すとか大好き。

決して「辞めろ」とは言わない。決して「残業しろ」とは言わない。

だけども、「俺の言うこと聞かないと分かるよな…?」「この界隈で商売できないようにしてやろうか!」。

魔女狩り

意に反するものはすべて危険思想

そんなヤツを見つけたら、とっ捕まえて更に過酷な強制労働

労組なんて作らせません。

外貨を稼ぐのは法外なものとキムチです

外貨を稼ぐものは、主に法外(かもしくはグレー品)な商品。

健康食品レベル科学的根拠はありません。

キムチは、アレです。

腐った野菜唐辛子練り込んで味を誤魔化すために生まれた。

金は天下に回らない

金があってもなくても、国民には回ってきません。

将軍様

長々と書いてきたが、なんと言っても将軍様

この国は将軍様の国なんです。

我々は将軍様に養ってもらってるんです。

将軍様の声は絶対です。

将軍様は神なんです。

2009-11-28

上級者向けのゲーム初心者向けにする必要は無い

先日Xbox360で発売された「虫姫さまふたり」というゲームにノービスモードというものが追加要素として含まれている。

弾幕シューティングという敷居の高いジャンルに用意された、その名の通りの初心者モードである。

このモード、はっきり言って普通なら死にようがないくらい簡単に調整されている。

基本ルールはそのまま弾が非常に少なくなってるし万一当たっても帳消しにしてくれる。

怒首領蜂大復活Ver1.5」も大概だったが、家庭用とはいえついに「リスクの無いゲーム」を作ってしまった。

そして、こういう調整はタブーに踏み込んでいるのではないかと個人的には思う。

別に初心者にもプレイできるゲームを否定してるわけじゃない。初心者向けのゲームは必要だ。

(「ステップアップ」という意味での初心者向けには甚だ疑問だけど。プレイヤーの巧拙にゲームの出来や難易はほとんど関係ないから)

ただ、難しいゲームを無理やり初心者にも遊べるようにするように、大本のゲーム性を損なってまで初心者プレイさせる必要があるのかということが疑問なのだ。

たいていそのようなゲームは味気なくなる。「虫姫さまふたり」のノービスモードはそういうスポイルの典型例だと思う。

このゲーム楽しいと思ってやりこむ人は、そういないんじゃないかな。

同じように、格ゲーで「1ボタン必殺技ボタン連打で連続技できます」とか、音ゲーで「オブジェをとにかく減らしてみました」などという媚び方はやめて欲しい

製作者の想定するゲーム性についていけない人は容赦なく切り捨てていいと思う。本来、ゲーム自分のためにあるわけじゃないから。

それが出来ないのは、作品と商品の境界に苦悩せねばならないからだと思った。

そんなに敷居が高いことにコンプレックスがあるなら、表現力が上がり技術ごまかしの利かないこの時代に

誰にでも最初のクレジットで一目惚れさせて以後も1クレごとに円満な関係を保てるようなゲームを作って見やがれってんだ。

できねーならさっさとくたばれこの斜陽産業

僕は甘さの中に心に残る辛さを含んだゲームや、激辛だけどどこかに甘さを持ったゲームが好きです。

2009-09-27

アスペクト比

街をあるいていると、現代美術オブジェのおいてある一角にさしかかった。

真っ赤な赤い四角いベンチがあったので座ってみようと思った。作品の前に白いプレートがあり、

作品の題名が「3メートル×3メートル×3メートル」とある。

だがベンチは直方体をしていた。

座ってみると俺のアスペクト比がおかしくなった。この技術アパレル業界で使われているに違いないと思った。

2009-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20090623130047

マジレスすると、

となりのトトロ」は、海の向こうじゃそういう扱いされそうになった。

父娘が一緒に風呂に入ってるとか、局部をオブジェで隠してるとか。

後者は向こうでのアダルト作品の手法らしいんだ。

2009-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20090508205051

君が出した特定の例に意味はないし

俺が何に理解があるかなんてことも関係ないの。

人権を盾にしても馬鹿な議論は通らないのであって、

その人権運用の仕方が妥当か馬鹿かはその都度みなさんで審査が必要になるということ。

人権って付いてるから笑っちゃなんね、なんてヤバい神様を拝むような態度は果たして真摯かどうか。

俺は元増田運用法が馬鹿極まりないと思ったからそういう評価を書いた。

元増田の素晴らしい馬鹿丸出し未成年の主張に「人権」パワーが与えられるの、俺は反対です。

俺の判定が正しいか間違ってるかもここではどうでもよい。

かしこういうオブジェクションに対して「人権を貶すのだな」なんて脅迫をしてくる輩は

それこそ何か人権というものを勘違いしてるのであって、

人権を擁護する俺はこういう勘違い君を勘違い君と呼んでいきます。

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