はてなキーワード: ももちとは
彼氏だいすき。私が彼氏の生きづらさを少しでも取り除くことができればいいのにってよく思う。思うし、彼氏は「増田ちゃんのおかげで最近あんまり落ち込まなくなったよ」って言ってくれる。嬉しい。それを言うと私がめちゃくちゃ喜ぶのを知ってて言ってるのは分かってるんだけど、それでもそれでも私はめちゃくちゃ嬉しい。
恋人のおかげで生きやすいのはお互い様で、私がちょっと嫌なことがあっても彼氏にお願いして、電話でお話してもらえたりメッセージのやりとりをしてもらえると、心の棘が一瞬で消える。嫌なことを話しても別に全肯定してもらえるわけではない。それは増田ちゃんが良くなかったなーって言われることももちろんある。そこもまた好き。
彼氏の生きる糧の一部でありたい。生きていく上で嫌なことがあったり、失敗しちゃったりすることもきっとたくさんあるけども、そういう時に私のこと思い出してくれたらいいなーって思ってる。おれには増田ちゃんが居るから大丈夫って思ってくれたら幸せだな。もしそうだとしたら好きな人の役に立てている。人に自慢できるようなスペックなんか私は持っていないけども、彼氏に対する愛情の重さは本当誰にも負けない気がする。それに価値があるかはわからないけども、彼氏くらいはそれに価値を感じてくれていたらいいなぁ。本当に愛が重くてめんどくさい。
愛情ごときで何も解決しないことが世の中にたくさんあることは知っている。でも彼氏に今後降りかかるかもしれない問題が、私を思い出すことで少しでも苦痛が和らいだりするようになればいいなあ…ということを日々願っている。
眠くて同じようなこと3回書いちゃった。ごめんなさい。
丁寧に答えさせてもらうでw
この場合の「虫」とはゴキ類ってことでええかな。
参考にさせてほしい
野菜の種類にもよる。
自動的に虫がわいたのを確認できたのはにんじんを腐らせた時だけ。
しかしニオイ的にニンジンは「腐敗する」感じがあるのでたぶんわくと思う。
これはヴィーガンの中でも台湾人などに多いオリエンタルヴィーガンというのだが、
いわゆる5くん(ニラねぎらっきょうニンニクアサツキ)を禁止している。
おそらくこれらの5種は虫がわくと思う。
といっても肉そのものと比較した発生率は100分の1以下だと思う。
それ以外の野菜、たとえば、
もしこれらから湧いたと感じるのであれば、
想像になるがゴミ箱内の肉を酵素とかでさらに過発酵(過腐敗)させて、
虫がふえるように見えているだけななようにも思える
このあたりは完全に予測。
いまや肉をつかっての実証実験ができないのですまない。
なので結論、肉を中途半端に使うのであればけっきょく虫は出る。
ガチのマジに虫に困ってるなら、3か月とかヴィーガン生活にして
しかしそこまでするのを全員にすすめられるわけではない。
結論、肉・乳・魚・卵を少しでも食べ続けるのであれば、
虫とつきあっていく必要はあるというかんじ。
ハマる人は最終的に100%ヴィーガンに自然となっていくと思う。
もちろん試験的にやってみるのは大歓迎だし、
3日とかだけでもありがたいことで、その3日間は、
40年ヴィーガンやってる人とまったく同じだけの価値があるとおもいます。
結論:ニンジン・ニラ・らっきょう・ニンニク・ネギ類はたぶん虫がわく。
しかしその発生率は肉の100分の1以下。
4月1日。
Twitterではこの日になると、毎年新社会人へのメッセージが何人もの社会人から送られる。
かくいう私も数年前、そのメッセージを受け取り、しゃんと胸を張って桜が咲く中晴れて社会人となった一人だ。
今だって会社は辞めてない。新卒で入った会社になんだかんだ勤めている。
新人時代の私は、ものすごく仕事に前向きだった。新人研修も、おそらく同期の誰よりも必死だった。
認めてもらいたくて、努力した成果を褒めてもらいたくて。
就活中の一つの軸が、「仕事を通して存在意義を高めたい」だった。学生時代の私は今以上に生きることに後ろ向きだったのだ。友達も特別多いわけではないし、恋愛もうまく行ってないし(恋人いない歴=年齢だった)、周りの大学生と違って全然楽しい人生を送っていない。とにかく大学卒業付近の私は自分の生きている意味を見失っていた。
だからこそ、仕事しかもう私には残っていないと思っていた。仕事で成果を残せば、優秀な人間になれれば、自分が生きている意味が見えてくるはずだと、私は藁にもすがる思いで社会人デビューを果たしたのだ。
新人時代は、正直ぬるいと思う。わからなくても、失敗しても、「新人だから」と言って許されるから。勿論怒られるには怒られるけど、呆れられはしない。次から気をつければいいからね、頑張ってと最後にはエールが贈られる。頑張ったら頑張った分だけ、褒められる。
新人時代は成長具合が最も如実な1年だと思う。スポンジのような吸収力、なによりも周りからの「新人だから」という先入観のおかげ。私ももちろんその恩恵を受けた。
ところが、新人時代を終えた途端、「もう新人じゃないからね」と突然突き放される。なにも新人時代に全ての業務や知識を学べているわけでもないのに。
3年目以降になると、「何でこんなことも分からないの?」という周りからの視線がうっすらと感じられる。経験してないからに決まっているのに。
私は新人時代が終わった後も、しばらくはやる気に満ち溢れていた。少しでも周りから認められたくて、自分なりに努力をした。早く仕事を終えるだとか、周りのタスクを引き受けるだとか、とにかく自分にできることはひたすらにやってきた。
でも、そのやる気は続かなかった。
どれだけ成果を残せたとて、数回のミスやらで評価が下がることを何度も経験したから。
「ここで頑張ってたのに、ここの部分が甘かったね〜」といった感じで、悪い部分を指摘された。
私はその部分の改善を試みたが、改善された部分は以降殆ど触れられず、新しい私の欠点ばかりが掘り下げられた。その繰り返しだった。
自分の努力が足りないのだと、自分は何をやっても駄目なのだと、私はどんどん自分を追い詰めた。だから、とある過酷な環境での仕事を行なった時、自分の身体のSOSをとことん無視した。「ここで無理だと言ったらそれは逃げだ」「逃げたら私は2度と自分を好きになれない」などと言って、必死に毎日仕事をした。何もないのに泣けてくる、イライラしてしょうがない、そんな感情的にぐちゃぐちゃの状態だった。
身体を壊してから、自分を少しは大切にするようにはなったが、やはり仕事で認められたい、という気持ちは完全になくなってはいない。
「仕事をどれだけ優先すればいいのか」。
この数年、たくさん努力しても、褒めてくれたり認めてくれる人はほとんどいなかった(私が気づいてなかっただけかもしれないが)。
身体も壊したし、適当に仕事をしてもある程度は給料がもらえるわけだし、もう別に頑張らなくてもいいんじゃないかと思う。私も流石に疲れた。
Twitterやらでよく見る新社会人へのメッセージは、まさしくこの考え方によく似ている気がする。「頑張りすぎなくていい、逃げてもいい。仕事のことはそこまで重視するな」と。
でも、思う。
そういったアドバイスをする社会人や、周りの人たちは、なんだかんだ仕事を頑張ってきているから今の自分があるのだと。
昇進して、自分の存在を認めてもらっているからこそ、そんなことが言えるのではないかと。
私みたいに途中で逃げてしまったら、もうその人たちのところには辿り着けないのではないだろうか?
どれだけ大変でも、「楽しい」と言って仕事をする人間も一定数いる。彼らはキラキラしている。一度逃げた私とは比べ物にならない輝きだ。
一度きりの人生、楽しく生きたい。
でもその楽しさに仕事がどれだけ必要なのか、本当にわからない。こうやって考えることすら辞めたいのに、まだまだ社会人生活は続く。
ただ一つわかるのは、数年前に社会人デビューを迎えた私が今の私を見たら、きっとショックで立ち直れないだろうということ。
こんなに悩み事だらけになるなんて、思ってなかったよね。不甲斐なくてごめん。
タイトルの通りである。今更感のあることを偉そうにと思われるだろうが、自分の気持ちの整理のためにも映画を「観る前」の記録として残しておきたかった。もちろん本作については、何のネタバレも含まない。
私は30歳である。エヴァンゲリオンの第一話はリアルタイムでテレビで見た。見たが、なにせ当時5歳である。新しいロボットのアニメが始まるんだ、という程度の認識しか無い子供が観て楽しいお話しでは全くなく、なんかこわい、という感想とともに一話でドロップアウトした。私はあまり子供のころのはっきりした記憶はないのであるが、これについては、不思議と覚えている。そこから時が流れ、大学生になってようやく本格的にエヴァを観始めた。そういう意味で歴は浅いし、リアルタイムで熱狂した人間ではないかも知れないが、アニメ版、旧劇場版、漫画版など様々な作品を何度も観て、いろんな考察を考えたり見たり、サウンドトラックやフィギュアも買ったりと、一つコンテンツを深く楽しんできたという点において、自分にとっては、かけがえのない作品の一つである。
その中でも何か一つ取り上げるとすれば、私は旧劇場版「Air/まごころを、君に」が好きである。鬱々とした展開であり、非常に難解、いや難解というより、もしかしたらそもそも解は不在なのかも知れないが、それでもこの映画を観た後の心の感覚が好きで、何度も観てしまうのである。一般的には、謎を解き明かすことなく抽象的な展開とともにぶん投げた、後味が悪い、観客にダメ出しするなんて何様だ、などと酷評も多いが、この映画が自分には響くのは事実である。もしかすると、決められたレールの上で、常に自身を大多数の側に置くことで安心してきた自分が、周囲の人間の声とは無関係に自分はこれが好きでいいんだ、と声を大にして言える作品に出会えたことが嬉しかったのかもしれない。
そういう思い入れがある作品だけに新劇場版ももちろんチェックしてきた。破については劇場で3回ほど観た。旧劇場版とは確実に別のベクトルの話であるが、これもまた自分の大好きな作品である。しかし、そこから急にエヴァンゲリオンに対して、距離ができた。Qが公開されたときは大学4回生で、公開日から1か月ほどは海外におり物理的に見れなかったが、帰国後もまだまだ上映期間中だったし、お金も時間も余裕があったので観ようと思えばいくらでも観れた。しかし、この時は世間のあまりの酷評に足が向かなかった。勢いで公開と同時に観てしまえばよかったのかもしれない。しかし、破があまりに好きすぎて、その続編に対して勝手に抱いていた自分の「こうなって欲しい」という期待を大幅に下回ってそうだ、ということを受け入れられなかったのである。この子供じみた感情によりそれっきり観ることがなくなってつい最近まで至ってしまった。仲の良い友人と些細なケンカをしたとき、どちらともなくすぐに謝ればまた仲直りできるのに、どっちも意地を張って謝らないと、どんどん謝るタイミングを失っていき、ついには口も利かなくなってしまう。そんな風にして、エヴァンゲリオンに触れることもどんどん少なくなっていった。さすがに漫画版の完結は見届けたが、それでもQを観る気にはならなかった。
そんななかでついにシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されることになった。「これでエヴァは完結」という点だけで観に行くしかない、という気持ちになった。大仰に言うと、自分の中で大切な作品にちゃんと区切りをつけるにはちゃんと見届けるしかないと感じたのである。今や家族がいるので好きに観に行けるわけではないが、許しを得て序から復習を始めた。まだ自分が一人暮らしだったら、アニメ版の一話からだらだら総復習したのだろうな、などと思いながら。序、破、ときて、いよいよQである。完結作続いていて、もうすぐ観れるのだ、という心の余裕もあり、落ち着いて観ることができた。結果、旧劇場版とは別の意味で難解な展開であったが、思っていたほど支離滅裂とは感じなかった。むしろこれまで気になっていた新劇場版の世界観に対し、ある程度の解が提示されたことで、次が期待でき、悪くない、いやむしろ良い、と思った。同時に、自分としてもエヴァンゲリオンの完結にちゃんと近づけたような気がした。もちろん今日シン・エヴァンゲリオンを観るまで話は完結していない。ただ、それまで勝手に喧嘩別れした気になっていた作品に対して、自分があれから歩んできた人生でもって改めて向き合い、理解し、申し訳ないという気持ちになり、整理をつけた、ということである。これで心置きなく物語の結末を観ることができるのだ、という思いになれて嬉しかったのである。そしてそれをここに記したかった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観終えた後は自分の中でゆっくりと咀嚼して、完結した事実を受け入れていくのだろう。今はただその時が楽しみである。30歳にもなって楽しみで眠れないことがあるだけでも、幸せというものだ。
そのアドバイスが誤りだったときに責任を取ってくれる人なんてどこの世界にいるの
取ってくれる人なんてほぼ誰もいないし、成人したら自己責任で片づけられておしまいでしょ(未成年でも大人が責任を取ってくれないことも多々ある)
アドバイスどころか指示命令しておいてさえ責任をとらない人がたくさん
もしご存知ならどこにいるの教えてください
責任を取ってくれる人しか有益な情報を出せないなら相談できる相手なんかめったにいないし
責任をとれない立場の人が有益な参考情報をもっていることも結構ある(無益な情報ももちろんあるが)
どんなことでも参考情報をかき集めて自分の責任で決めなければいけない以上
私が働いているのはNPO的なところで、補助金とかで成り立っているタイプの団体だ。儲けを考慮せずに社会課題の解決に尽力するあれ。私はその立ち上げメンバーで、今も経理やら総務やらバックオフィス系をするために在籍している。
うちの団体は外国人の支援がメインなので、外国語が得意な人を何人か雇っている。そのうちの1人が彼女だ。
彼女は大学時代にフィリピンだかマレーシアだかに留学して英語を身につけ、大学卒業後は小さな商社に入ったがすぐにうちの団体に転職してきた。今は28歳だから、もう5年も働いている。
彼女は週に2日働いている。月収は約16万円。月8日しか働かないとすると破格だろう。おまけに彼女は実家暮らしだから、生活もそこまでカツカツという様子もない。
彼女がやっているのは相談業務の通訳とパンフレットの翻訳。仕事でそこまで苦労している様子もないし、残業ももちろんなし。休みも好きにとらせるので、彼女からしたらいい職場なんだろう。
入社した当初、彼女はしばらくしたらフルタイムでできる仕事に転職すると言っていた。私も、そのつもりで見ていた。彼女以外の通訳は外国人の主婦で(この枠は就業が難しい外国人のためのものでもあった。彼女はたまたま代表の知り合いから紹介されたのと、その当時働きたいと申し出ている英語話者の外国人がいなかったので彼女を雇った)、家計を助けるために働いている。
うちの団体は補助金で持っているタイプで継続性に欠けるので、正社員を増やす余裕がない。なので、若くて就職もたやすそうな彼女にはさっさと転職して欲しかった。
しかし、彼女はいつまでも転職しない。うちで働き始めてもう5年目が終わる。今年も、退職の申し出はなかった。本人が辞めると言わなければ一年ずつ契約更新するが、それでも非正規である。正社員にはなれないし、通訳と翻訳をしているが、業務的に専門性が育つようなタイプものでもない。おまけに、最近はGoogle翻訳も優秀だ。いつまで彼女を雇えるか、私たちにもわからない。
こんなところで若い時間を、可能性をダラダラ売るまねはやめてほしいし、こんな仕事には早く見切りをつけてほしいのに、彼女は楽してなんとなく稼げている気分になっている。年度が変わったら補助金の申請をするが、コロナの影響もあり、補助金が絞られる可能性が高い。そうなると、通訳は一旦雇い止めになると思う。彼女にはそのうち、あなたは非正規で、ずっと雇用されるわけではないと伝えなければならないだろう。
今までも鬱の人はいた。
例えば凄く人望のある良いヤツがクソ上司の元で鬱になった。
みんな凄く心配して、可能な限りの配慮をした。結局、異動があってその後は退職してしまったけど、彼に対しては同情の念やそれまでの功績に対しての感謝こそあれ、鬱になったからと言ってその事に対しては何もない。むしろ不憫に思う。
他には、中途採用したけれどすぐに来なくなった人もいた。
実はもともと鬱病で、環境の変化に耐えられなかったようで吐き気が出てしまい、業務が続けられないと言われた。
そのまま出社しなくなり、そのうち人事から連絡が来て人事付きにするからと言われ、ほどなくして退職したようだった。良い人そうだったので残念だった。別に迷惑だとか思わない。一緒に働きたかったなと思う。
ただ、今度の新卒は違う。
勤務時間中に居眠りしやがる。吐き気が出るとかなら心配だよ。でもさ、うつの薬の影響だろうが何だろうが業務時間中に寝るのは給料泥棒じゃねーか。注意しても注意しても居眠りしやがる。
突然休んだりももちろんある。しかも連絡がメールだったりする。
そりゃ鬱じゃなくたって病気になることはあるよ誰だって。でもさ、そんな毎月突然休まれたらさ、そいつがいなくても問題ないように仕事を組まなきゃならなくなるじゃん。そいつがいなくても問題ないようにするってことはさ、いらないってことなんだよ。負債でしかない。
育児勤務者と比較してどちらも似たようなもんなんだから受け入れろって言うやついるけどさ、違うじゃん。
育児勤務者はその前までフルタイムで頑張ってたじゃん。仮に入社後即産休だとしてもさ、終わりが決まってるし勤務態度の問題とは違うわけじゃん。
最初っから鬱のやつはさ、今までに何の貢献もなく、今後戦力になるかどうかもわからず、というかならない可能性の方が高く、それでも配慮してやんなきゃいけないの?お客さんなの?仕事なんだよ!
最初っから鬱なら障害者枠で入れよ。普通に就職したなら普通を求めるし、仕事が全うできないなら辞めろ。今すぐ退職しろよ。お前の存在は迷惑でしかない。
僕は大阪でもトップクラスに有名なお寺でしばらく働いていたことがある
それまでは宗教的素養はゼロで、なんとなくお寺やお坊さんはありがたいもの、的な感覚があるだけだったんだけどね
どうか皆様はその楽しみを助けてあげてください」
年を取ると、親も兄弟も配偶者も旅立っている方は多く、亡くなった方達のためにできる数少ないことのひとつが、お彼岸のお参りであり、先祖回向なわけだ
でもそのうち、親しい人は皆あっちにいて、あちらの世界がこちらより身近になってくる
そんな方は、お参りに来ることをとても楽しみにしているのだ
働いている者達は知っているんです、その値段が違っていても、同じお坊さんに同じようにお経をあげてもらっていることを
何も違わないことを
同僚が、参拝者に、この値段は何が違うの?と聞かれたとき、彼は、いや同じですよと答えて、上の人に怒られたことがあった
確かに同じかもしれない、しかし、そういうときは、「お気持ちです」と答えなさいと指導されていた
そして参拝者は、「気持ちはあるから3千円でええわ」と答えていた
坊さんの控室がある
同じところで我々も休憩して、お弁当を食べる
お坊さんは何人かくるけど、みなさん、ずっと不倫相手とメールしたり、スロットを回したりしていた
お経を読むときも、休憩している坊さんに、いまあいつ、アーばっか言うてサボってるよwとか言われていた
お経あげてると思ってたらアー言ってるだけの時もあるらしい
正直にいうと、一般人の方がよほど清いと思うくらいに坊さんは尊敬できない方ばかりだった
もちろん全員がそうじゃないのは当たり前だけど、逆に、お坊さんだから無条件にありがたいわけでも、救済があるわけでもないことはわからされてしまった
お参りとは何なのか?考えざるを得なくなった
坊さんという存在やお経の言葉が、薬のようにたちまち死者への救済をもたらすわけではなかったのだ
当たり前かもしれないけど、行為や作法そのものに意味なんてないのだ
大事なのは、指導で言われたように、参拝者自身のお気持ちなのだ
そのお気持ちというのは、ただ静かに死者のことを想うだけでももちろんいい
それだけではなく、わざわざ有名なお寺に出かけて行って時間を使うのもまたお気持ちの表れだ
わざわざ、死者のために1万円使うのもお気持ちだ
死んだ人にプレゼントをあげても喜んだ顔を見れないから、せめて先祖回向をわざわざすることで、喜んだ顔を想像することしかできない
だから、それをする
それをすることが喜びになる
それが、楽しんでお参りにくる、という中身だ
忙しくて回向に来れなかった方が不義理なわけでもお気持ちがないわけでもない
それと同時に、「わざわざ」があればそれもまた気持ちの強い表れと言える
わざわざ、とはつまり、時間的、経済的、肉体的なコストのことね
例えばライスシャワーの慰霊碑にわざわざ出向き、わざわざバラを買って、わざわざそれを備え、わざわざそれをSNSにあげること、それは全て、死者へのお気持ちの表れだ
大切なのは、各自のお気持ちを死者へ向けることであり、他者のお気持ちを自分の正義感や自分の信じる作法から批判することではない
1万円で回向する人が、3千円で回向する人のお気持ちを否定するようなことは決してないし、あってはならないことである
死者を思い、楽しんで慰霊碑に来られた方の気持ちを否定することは、宗教に携わった立場からするとあまりいいこととは思えない
投稿から悪ふざけに見える要素があるかどうかと、思い立ってからバラを買い慰霊碑に向かうまでの間にわずかでも死者を想う気持ちがあったどうかは、決して結びつくものではないと思う
死者のためにできることはない、全て生者のためだ、って言っているブコメが多いけど
この行いを、あの人がもし見ていてくれるなら少しは喜んでくれるのかな、と思えるから生者の救いになるわけで
無になったもののためにできることはないと完全に割り切るなら生者への救いもまたないのだよ
一応IT企業のサポセンしてたから、IT方面行けるかと思ったら運転免許がないと〜経験不足〜でお祈り連発。
正社員に絞ってるわけでもなく、派遣でも顔合わせで落ちる落ちる。
事務系も応募してるけど全滅だし、販売接客は言うまでもなく求人すらない!!
免許取得できたら仕事の範囲は広がるだろうが、雇い止めだしお金がない!!
え?なにこれ、死?
誰だよ若いから仕事すぐ見つかるとか言ったやつ。全然見つからねーよ!!!!ふざけんな!!!
別にコミュ症なわけでもねえし、すっげーブサイクなわけでもない。くっそ〜〜〜〜!!!
……どっちかというと面接は強い方なのになあ、この惨敗ぷりに泣きそうになるわ!!!!
どうしよう、生きていけないんだが…。
一人暮らしじゃなくてシェアハウスだから生活保護も厳しいだろうし、だからといって引っ越す費用もないし。
失業保険もたった3か月…3月の求人が多い時期にこの有様で見つかる気がしない。
困った時に働いてた夜職も今は難しいしな…カクテル作れるから誰か雇って!!!!無理か!!!!
はあ…これから生きていける自信ないよ…死ぬしかないのかな…仕事ないと生きていけないもんね…。
愛想だけでやってきたけど、もっと資格とかの勉強しておけば良かったなあ…。
こんな時に関節リウマチの診断下りたし、面接余計に不利なんだよな…。面接じゃわざわざ言わないけど、病院通わないといけないからいつも「家庭の都合」って嘘ついてる。それも不利なのはわかってるけどさ…。
リウマチの薬が安定するまでは町医者に移れないらしいから、仕方ない。しばらく総合病院通い。
精神の病気と違って手帳も寝たきりとかじゃないと取れないしね。どう生きていけばいいの?わかんないな。
あと、この薬飲んでると妊娠もできないんだよね。そんな女は男に求められてないだろうから、恋人作ったり結婚も絶望的だろうし。
よくある「男に頼って生きる」なんかも私には無理。
このまま失業保険給付が終わるまで仕事見つからなかったら首括ろう。生きてる意味もないし。うんこ製造機じゃん、こんなの。
まっ、くよくよしたってしゃーない!!!
TSMCで製造しようと思った場合、TSMCの製造ルールに基づいて設計を行う必要がある。
配線の太さや隣接配線までの距離といった、トランジスタを製造するためのルールを守らないと動作しない。
TSMCの場合はこのルールがライブラリという数値が書かれたデータベースが存在し、EDAという半導体を設計するためのソフトウェアで
そんなやり取りが必要であるため、TSMCとEDAベンダーは協力している。
インテルももちろん似たようなことをやっているはずだが、EDAベンダー側が対応しないことにはチェックが出来ない。
TSMC向けの設計データを、そのままインテルの工場で作れるわけではなく、再設計が必要となる。
単にフォーマットが違うだけで、コンピュータでフォーマット変換すれば解決するんじゃないの?と思うが、そうではない。
特にアナログ部分は手で置いていたりするので、やり直しである。
そんなこともあり、タイトルのように思った次第だ
言い返すことだけ考えて自分がどういう話をしたいのかわからなくなってない?
そりゃ暴力を権力に含める定義ももちろんありだけど、それなら抗議を行う者はみんなその強さに応じた権力を持ってることになるよね
当然フェミも現時点で一定の権力を持つ存在だし、しかもさらに権力を伸ばそうと今まさに活動している存在だよね
じゃあ反対勢力としては「騒ぐ必要はない」なんてことはまったくなくて、権力がこちらより強くならないよう警戒しなきゃいけない存在ってことになるよね
反論パターンとして「いいえ、フェミの権力はとても小さくて警戒する必要はまったくないんです!」って言うこともできるけど、それこそフェミの人達をバカにしてるし、既にいくつかの規制が成功している現実にもそぐわないよね
また別の反論として「権力の話で暴力のたとえを出すこと自体がおかしい!法的な権力の話に絞れ!」って言うこともできるけど、それならたった今出た「暴力あるなら少なくともその場では権力あるじゃん?」は的外れってことになるよね
それこそ「両方同時にいうのってバカだとおもわない?」だよね
いま一番混乱してるのお前じゃん
どっちかにしてよ
今、私は新型コロナウイルス感染症対策のための宿泊療養施設(長いw)で働いている。ホテルで療養している患者さんのため、お弁当を用意したり差し入れを届けている。中の雰囲気を知りたい方は、最近の「島耕作」を読んでいただければ大体分かると思う。私も読んでみたところ、よく取材されていると感じたし、書き方も中は本当にあんな感じだ。私自身、はじめは「怖い。私も感染するのでは」と少しは思ったけれど、働き出してからはあまり気にしなくなった。というのも、スタッフは皆「長期戦」と分かっているので、我々が感染するわけにはいかないと強く意識しており、患者さんと直に接触しないよう、ものすごく注意を払っている。わずかな時間でもレッドフロア(患者さんのいる階)に入るときは、手袋、マスク、防護服、その後のアルコール消毒は欠かさない。といっても、患者さんは基本的にほぼ一日中部屋の中で過ごすので、私たちも接する機会など入所時以外はほとんどないのだが(日々の健康管理や問診はLINEでしている。)。
さて、政府は近々緊急事態宣言を解除する方針らしい。施設の中で働いている立場から言わせてもらえば、わずかでも患者を増やす可能性のあることはしないでほしい、舵を切るのはもっと下がってからで良いでしょ、というのが本音だが(私の仕事は患者数に比例するので・・・)、まあ解除する考えにも一定の理由はあるのだろう。もうじき一般の人向けのワクチン接種が始まるし(私はもう注射してもらった)、リバウンドさえしなければ・・・と祈るだけだ。それでも、是非皆さんに訴えておきたいことは、療養生活はかなりつらいですよ、ということ。ホテル療養をする人は基本的に無症状の方だが(少しでも症状が悪化したら即病院に転院していただく)、約10日間のホテル暮らしは一日中部屋にこもって外出不可、三食お弁当生活となる。シングルの部屋はお世辞にも広いとは言えず、結構な閉塞感がある。もちろん、ホテルだからテレビもあるしwi-fiも利用できるので暇つぶしは動画閲覧となるのだが、それも直に飽きてくるようだ。運動不足は免れない(ベッドの上でストレッチやヨガをしているされている方もいる)。まあ、とにかく退屈なのだ。
特に可哀そうなのは子どもだ。ひとりでは生活できない年齢の場合、子ども自身または親が感染した場合いずれも一緒に入所してもらうことになる。親と一緒だから寂しくはないだろうが、動き回れないし騒げないし弁当生活にもなじめないだろう。とても不憫だ。また、一緒に暮らす親御さんも大変だろう。想像できるだろうか、幼い子どもと24時間ひとつの部屋で過ごす毎日を。スマホを通してお話ししながら、「あと〇日で退所ですね」と一緒に確認するときだけ笑顔になってくれる。もう少しだから、がんばろうね。
子どもに限らず、誰しもなりたくて陽性になったわけではない。それを分かっていながらあえて言わせてもらうのだが、皆もっと感染予防しようよ。ほとんどの人は無症状や軽症に留まるけれど、それでも療養生活は本当につらいよ。自分が感染するのももちろん嫌だし、人に感染すのもつらい(入所者の方に話を聞くと、自分が人に感染したかもしれないと考えるときが最も心苦しいそうだ。)。最近すっかり言われなくなった言い方だけど、新型コロナウイルスは「正しく恐れるべき病気」だと、私は何度でも訴えたい。以上、療養生活の様子を直に見ている一労働者からの素直な意見でした。
自分たちは業務の情報収集で必死に他市町村のWebサイトを漁るくせに、自分たちからの発信は全くなし(ギブアンドテイクを常に口うるさく叫ぶ輩ももちろん更新作業には関わらないから笑える)。
更新されたとしても、全然うまくいっていない。体系的に整理されてない。見出しがうまくつけられていない。過去のトピックと関連付けられていない。用語が整理されておらず文体が整えられていない。Wordファイルを直接貼るな。PDF貼ってそれだけで済ませるな。その前に必要な情報がなさすぎ。国や県の通知をコピペしてどうする。市民は「うちの市町村の場合はどうなるか」が知りたいのに。
CMSが入っているんだけど、高機能すぎるというか、うちの運用にフィットしてなくて宝の持ち腐れ感。もう少しうまく設定すればなんとかなりそうなのに、SIerの言いなりになるから…(みんなわからないから仕方ないけどさ)。
時たま操作方法の研修もあるんだけど、きまって「若い人が行ってきてよ…」になる。
いやいやいやー若い人はCMSの操作方法もわかるし発信すべき情報も整理できるのよ~。わからない人が行かなくてどうすんだっ!
そういや昔、私が入りたてのころに「田舎自治体にWebサイトなど無用。更新するだけムダ。誰も見ない。そんなことに時間を割くなら他のことを研鑽すべし」と私へ言った偉いさんがいたな。くたばってしまえ。もうPCもスマホも使うな。
はてなスターは、ある程度気の利いたことが言えて、タイミングよくブックマークできれば、スターは簡単に集まる。
逆に言うと、時間を外しても、コメントがわかりにくい文体になっていると全然スターはつかない。
人気コメ常連であることが、更にスターが付きやすくなる条件にもなるが、それも最初の条件を守っていればクリアできる。
人気コメは人気コメになるだけの気づきを与えてくれることももちろん多いが、
それよりも、人気コメになりにくい時間にブックマークをしている冷静な意見を書いている人をお気に入りに入れた方が、何倍も気づきを与えてくれる。
はてな社は、人気コメのアルゴリズムをいじるより、もっとお気に入り機能を使おうと思えるUXにするなりなんなりした方がいいと思う。
はてブは頭のおかしな人も多いが、昔は無駄に相手の人格だけを攻撃して喜んでいるような、下種はそんなにいなかった。
サービスというものは、UI次第でどうしても居つくユーザが変わってしまう。
ここ数年の対立煽りの加速は、通報機能が面倒くさくなってから一気に加速したと思っている。
追記>
RRD はてななんて、運転手が心肺停止して歩く程度の速さで中央線を越えるような車を見かけても平気でスルーするような、人でなしの集まりなんだから、そこでどう見られたからってなんの意味もない。
そんな話してない。
さすがに全然関係なさすぎる。人でなし以前に、人と会話する能力を得た方がいい。
追記2
「途中でブクマしてごぼう抜きするのが気持ちいいんじゃないか」(系の意見)
わかる。し、個人的にもそういうのは好きだ。