そもそも、真に表現の自由を主張するならば、寧ろ権利者からの抗議にこそ立ち向かうべきなんじゃないの?
ウマ娘の場合、馬そのものには人格がない訳で
馬主は飼い主にすぎない訳だからまた話が違う訳だけど
実在のモデルがあるコンテンツとしては新聞の風刺画なんかの方が歴史が古い
そういう時には風刺画のモデルに反対されようがそんなの知った事じゃねえと言い張ってこそ
表現の自由の騎手を名乗るに相応しい訳で
権利者と戦う気も無い弱腰で、表現の自由がどうこうと偉そうな口を叩くなよって感じ
Permalink | 記事への反応(2) | 20:33
ツイートシェア
これはそう思う。 表現は個人やグループの楽しみを生み出してくれるが、昔から価値観の争いや、権力との暴力以外での闘いのために磨かれてきた側面がある。 平和的な創作ももちろん...
表現の自由戦士みたいなのは フェミが規制しようとしてそれに反論する相手につけたレッテルでしかなくて 別にオタクとかは表現の自由の拡大を目的にしてないよ