はてなキーワード: かばとは
150ml増量みたいな謳い文句がずっと書いてあったやつ。いつまで言ってんだよと思っていたけど、最近デザイン変更とともにとうとうその文言は消え失せた。
最初にペプシ飲みながら映画でも観て夜更かした時は特別な時間だったけれど、それもすっかりただの不健康な日常になってしまった。
静かな夜道に自分一人の足音を響かせながらコンビニへお菓子買いに行って、帰りに自販機でしか売ってないペプシを買う時間は嫌いじゃない。
それも深い夜にやれたら良いんだけど。ジョギングのジジイや早朝出勤の会社員が現れ始める頃合いだと漠然とした焦りがある。こんな事してて良いんだろうかって気持ちの方がデカい。
空き缶は占領面積に我慢ならなくなるまで増え続ける。限度を迎えると、近くに転がってるレジ袋に詰め込んで足元に置いておく。
こんな光景も酒の空き缶だったりすれば、退廃的な悲哀の雰囲気も少しは出たかな。
おれは人生を常にシラフで生きているけれど、酒に逃げられたら多少は楽だったんだろうか。人並みに他人との交流を持って、一杯目の生をそれとなく強要されたりして、付き合い程度にでも飲めるようになってたらどうだろう。まあいいや。
ペプシの缶が増え続け、二週に一度の回収日にはなくなる。おれの生活ってこの繰り返し。
ある朝目覚めたらタイムリープしていたとしても、おれは時間が巻き戻った事にすら気が付かないかもしれない。
昨日と同じように過ごす中で、しかしたった一つ僅かな違和感を覚える。
机に並んでいたはずの缶が無い。
冷静に事態を分析する中で、妥当に思える可能性がどんどん潰れていく。最後に残された、最も信じがたい状況を認めざるを得ない。
自分の意識だけを除いて、世界の時間が一週間ほど巻き戻されている。
金だ。
BTTF2よろしく、この珍妙な状況の利用法が真っ先に思い浮かぶ。
金さえあればこの浮かばれない気鬱な日々も少しはマシになるだろう。
株価にどんな動向があった?
どの馬が勝った?
必死に頭を捻る。何も思い浮かばない。この一週間自分は何をしていた?
何も変わらない。缶の数が減っただけ。
不意に訪れた絶好の機会を失い、先週の過ごし方への後悔は人生そのものへの後悔へと変わる。
心の奥底から湧き出る欲望を叶えるための努力を嫌い、恐れた。手軽に買える欲望で気を紛らわす。
逃げん込んだ先の非日常すらもことごとく日常になってしまう。そうして怠惰にかまける生き方にどこか酔う事でやり過ごしていたんだろ。そう自分を責め立てる。
この奇妙な出来事が過ぎ去って、しばらくは新聞に目を光らせるかもしれない。ニュースに真剣に耳を傾けるかもしれない。
でも時間が巻き戻る事は二度と無かった。
タイムリープがもたらした生活習慣は次第にフェードアウトしていく。
続けていれば超自然的な奇跡を待たずとも、大逆転ではなくとも、少しは人生が変わっていたかもしれない。
何も変えられなかったけれど、それでも得られた唯一の気付きは泥のような怠惰の中で崩れ去る。
それは結局生き方への真摯な反省ではなく、奇跡の再来への浅はかな期待でしかなかったんだろう。
多分そういう奴だねおれは。
ペプシ買いに行くか。
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
例えばメッシって聞いたらリオネル・メッシ以外思い浮かばないじゃん?
アルゼンチンには彼の親族以外にもメッシさんが何人もいるはずなのに。
他にもエジプトにはファイルーズさんはいっぱいいるはずなのに、ファイルーズあいしか思い浮かばない。
現実の有名人のイメージに引っ張られてしまうから、こういう名前って創作でめちゃくちゃ使いにくいよね。
内容が野球に関係あろうがなかろうが、主人公の名前が「ダルビッシュたかし」の漫画があったらもうギャグじゃん。
人の名前でどうこう言うのが物凄く差別的なのはわかってるけど、でもハッキリ言わなくてもみんなギャグとしか認識しないでしょ。
それでさ、今日発表されたにじさんじの新人に渚トラウトって人がいて、早速マイク・トラウトに絡めて色々言われてんのね。
負傷離脱中の暇な時間を利用してVTuberデビューとか、ついにエンゼルスからの脱出に成功とか。
これで初配信の時に「おつナイトメア〜」とか「低めの変化球打ちなら任せろ!」とか言えるならいいけど、全然知らない実在人物に絡めたキャラ付けされるとか面倒臭いだけだよな〜。
大企業入れなかった俺が悪いけど、日本企業パワハラ酷いし誰もかばってくれないしで、結局俺はもう筋トレと格闘技習うことにしたよ
いい歳して時間とお金使ってバカなんじゃないかと思うけど、それしか手段がねーんだもの
治安が良い国とか大嘘だろ、会社とインターネットの中で散々暴力振るってるから外で大人しくしてるだけで、アホみたいに凶暴で陰湿で卑怯な奴らばかりの国だよ
安倍で思い出したが、止められる手段があるなら止めたいと思うのは福島第一原発のメルトダウンかな
他の無数の悲劇は、自分事と思うには縁遠かったり、解決法が全く思い浮かばなかったり、言っちゃ悪いが些事だと感じたりするので、特にどうこうしようという気にはなれない
7年付き合った彼女がいる。
正直、体だけの目的だった。
しかし彼女が18歳の時に捕まえたもんだから、完全に自分以外考えられないらしい。
最近になって彼女が負担になってきたので、別れたいのだが良い方法が思い浮かばない。
ネットで調べると、
などが一般的のようだが。
しかしこれではお互いにあとくされが残ってしまうし、彼女が追いかけてくる可能性がある。
ネットで調べると、
3. 彼女が寝てるベッドにウ〇コをして逃げる。
というものがあった。これは100%どころか300%でおつりがくる精度らしい。
う〇ちだけにおつりがくるってやかましいわ。
しかし人間として何かを失う気もするのだが、やはり完璧を目指すにはあるていどリスクを取る必要がある、ということだろうか。
他に方法があれば教えてほしいい。
いや俺はな
この時おかあさんはどう思いましたか。文しょう中のことばをつかって答えましょう。
これが一番大事だと思ってんの。
おかあさんはまっ青になって子どもたちをかばいました。いねむり
のじゃまをした子どもたちを、 さむらいがきりころすと思ったのです。
って文章中にあるのは少し前の話だろ?
だからこそおかあさんは
「さむらいが刀を抜きやがったなこのやろうやられるまえにやってやるきりころすぞ」
って思ったってなるだろ
起承転結としてはこんな感じ
①さむらいがこどもをきりころすとおもった
③ああこいつ刀ぬきやがったやべえ
④やられるまえにきりころす。こどもたちがきけんだ。
これ。
ころされそうになったら人は大体とんでもないことやろうとする
特にこれだと
ロトの紋章のルナフレアがアルスたちを守るために一人でサーバインを相手にしようとしていたのを思い出す
このおかあさんだってやったるって気持ちというか覚悟が決まったと思えるし
俺ちゃんと読み取ってるのに違うとか言われて
むしゃくしゃする!!
いやいや、書いてあるやん。
と書いてあるから、「いねむりのじゃまをした子どもたちを、 さむらいがきりころすと思った」が答えじゃないの?
俺も国語は苦手だったし、国語というのは国語教師が自分たちにしかわからないオレオレ解釈をさも当たり前のように語る気持ち悪い世界だと思ってたんだけど、
大人になって、自分の子供の国語のまるつけをやるようになって、必ずしもオレオレ解釈の世界ではないなとは思うようになった。
多くの国語の問題は文章中に書いてあることに気づきましたかという問題だから、文章中にコピペすればいいことがそれなりに書いてあるんだよな。
"普通"はこういう気持ちになって、こういうものみたいな、そういう気持ち悪いやつは要らない。
まあ、某学習教材の自由記述問題は、「それはあなたの妄想ですね」って思う模範解答を書いていたりすることもあるので、
その時は俺も子供に正直に「文章中にこれについてのことは書いていないけれど、常識的にはこう答えるらしいよ」とか、
「お父さんもなんでこれが答えなのかわからないけれど、なんかこれが模範解答ってことにされているらしい」と話してるかな。
前者はステレオタイプとされることを肯定するような説明や言葉を何も入れてないのにステレオタイプが答えにされているときに言うかな。
某学習教材にそのことを相談したら、理由の説明は特になく、模範解答以外があり得ないという答えしかもらえなかったのでそれ以来相談してないし、
この学習教材はちょっとおかしい時があるからと子供にも上記の説明をするようになった。
この文章が40行目で終わっていての質問だったら、俺は元増田の答えも間違いだとは思ってないんだ。
だって、お母さんは侍が怒るかどうかを気にしてい入るけれど、侍が怒ることを恐れているとは書いてないからね。
「侍が怒っては大変だ」も「私も心の中の怒りの感情が押さえられなくなってしまうかもしれない」という意味に解釈できる。
侍が怒ることに怒りを覚えたり、殺意を覚えたりするという感覚はステレオタイプではないけれど、ありえないわけでもないと思う。
ある日、「校庭でボール遊びをしていたらうっかり学校の窓ガラスを割ってしまったので、職員室にいる担任に話しかけて謝る」というシチュエーションのロールプレイをさせられた。趣旨としては、やらかしたときに失礼ではない謝り方ができるようにしましょう、ということだったんだと思う。
僻地でクラスメイトは10人もいなかったから、みんな順番に、みんなの前でロールプレイをしていった。
「先生!ごめんなさい、ボールで窓を割っちゃって……」みたいな感じで、みんな順次謝っていく。俺もよくわからんままみんなとほとんど同じような演技をした。
で、ひととおり終わった後、先生は言った。「みんな悪くはなかったんだけど、合格だったのは増田くんだけでした。増田くんのどこがよかったかわかる人?」
みんな分かんなかったし、俺も分かんなかった。沈黙……
「正解はね、増田くんは『先生、…今いいですか?すみません、ボールで窓を割ってしまって…』って、最初に私の都合を確認してくれたの。相手がいま忙しいかもしれない、っていうところにまで気遣いをしないとね」
正直完全に無意識だった。
俺は小学生にして無意識の気遣いができるようになっていた。今はむしろ気が利かないほうだと自認しているが………
店も閉まってるし、わりと何をするでもなくダラダラ過ごしていた。
「ね、これって(増田)が書いたんじゃない?」
見せられたのはTwitterで誰かが俺の書いた増田を紹介してプチバズしているポストだった。
その増田は炎上系とか知識系ではなくて、素直な気持ちを書き殴ったような、いうなればポエム系の増田だった。
すげーいい記事だとして紹介されていて、1万いいねとか集めていた。正直ビビったし、その時点でかなり嬉しかった。
俺は素直に認めた。文体の感じや、書いてあるエピソードで分かったということだった。
認めたら、彼女は「やっぱ(増田)が好きやなあ…」と感慨深げに呟いて抱きついてきた。
俺はこんなに嬉しいことってある?となかば信じられない気持ちになった。そのあと、動じてないフリをしながら2時間くらいエゴサしていた。俺はカスだ
フワちゃんのことを週刊誌とかが、前からトラブルが多くて大御所を怒らせてた!て持ち出してみたり、当の大御所おっさんおばさん芸能人がかばって、いやいやたしかに無礼なやつだけどまた反省してやり直せばいいじゃん、みたいな「許し」を与えてるのなんかすげー違うよなーと思う
フワちゃんより上のおじおばを怒らせてたこととと、フワちゃんより下の後輩とか若手をいじめたりイジってたりしたことって全然関係なくね?
アニメや漫画も体系的に一人の作家を追ったりひとつのジャンルの歴史を調べたりしない
単にそのとき流行ってるマンガ・アニメ・ゲームを消費してばかりいる無教養な人間ばかり蔓延っていて、あるいはそれを良しとするリアルクソガキと精神年齢クソガキしかいない界隈だからだよ
絵師界隈って文化というのは模倣の中でしか発展しないって原則をわきまえていない人間が多いんだよな
そもそも、
・身体は6〜7頭身
・それでいて顔はデフォルメが効いている
こういう、いまアニメ系のイラストって言って思い浮かばれるような絵柄は全部大友克洋のパクリなんだよね
直接的にしろ間接的にしろ、大友克洋が漫画表現に映画的な写実性、リアルさを持ち込んだのは歴史的な事実であって後世の絵柄の全ては大友克洋の影響下にある
そんな美術的な歴史すらまともに把握していないボンクラしかいないんだよ
あるいは、絵から離れて文学なり映画なりを体系的に鑑賞したことがあればオリジナリティなんてものの正体はこれまで作られてきた既存の作品の発展型でしかないってことに気づくだろうけど、絵師界隈は残念ながら絵ばかりを見てろくに読解力も育てられなかった連中しかいない