はてなキーワード: 負債とは
別に買う買わないは個人の自由なんだしさ。興味がないから買わない、で良いと思うよ。
「買った方が安いよ」 って言われたところで、自分で比較しなきゃ納得しないよね。わかったからさ、いきなり割り込んできて賃貸のすばらしさを熱く語るの、やめてくれない?
比較したうえで賃貸を選んだなら、その人にとってはそれが最良の選択だよ。
・後々のメンテナンス大変
→ そうね。固定資産税といった税金やメンテナンス費用や災害保険も家賃に含まれてるから、楽だよね。後々、建て替えることがあれば退去してもらうし、そうしたら家賃も高くなるけど。
・買うと身動き取りにくい
→ そうね。居住権なんて主張してないで立ち退いてもらえないと困る。ところで、なんで身動きしやすくしておきたいの? (留置場に入る予定でもあるの?)いいけど、孤独死だけはしないでね。病気になったら病院へ。基本だね。事故物件になっちゃうから。オーナーに迷惑かかるよ。
・賃貸は引っ越せばいい
→ そうね。引っ越し費用は自分もちなのでどうでもいいです。家族が増えると荷物も増えるから、費用も増える。居住権を理由に動かなくなる人も多いけど。賃貸なんだから立ち退きをお願いされたら身軽に引っ越そうね。
・高齢者は家を借りれないとか嘘
→ これは判断できないな。ひろゆきじゃないけど、判断できるソースを持ってない。それはあなたの感想ですよね。そんな情報しか転がってない。孤独な漏示は嫌だって人も貸したくないけど貸すっていう人もいるだろうし、それでも問題ないっていう人もいるだろう。ただ、孤独死だけやめてね。病院へどうぞ。自分はいやです。
・ローン組んだら仕事辞められなくなる
→ なんで転職という選択肢がなくなるの? 転職すれば収入アップするかもよ? とりあえず、ローンが組めなくなる年齢までに、どっちにするか決めておいてね。家の賃料を払いながらマイホーム購入資金を貯めればいいだけなんだけど、50歳で30年ローンとかムリだから。ちなみに子供は老後の生活とか、面倒みてくれないよ。
・家を売るのも大変
→ まったくもってその通り。マンションを丸ごと買ってそのうちの1部屋に住むとか、売るときの条件も考えて購入しないとリスクにもなるよね。売るとか考えないよね。
→ 保険って知ってる? 知ってるけど払いたくない? 賃貸なら、普通は大家さんが家賃に含めるから楽だよね。
・戸建は近所づきあいが面倒
→ マンションならともかく、戸建だと近所づきあいが面倒だよね。わかる。だから、孤独死だけはほんと勘弁してください。
→ そうね。給料上がらないよね。そこを織り込まないと一生は住めないよね。とりあえず賃貸派は 「安い賃貸に移り住めばいい」 らしいけど、生活レベルを下げるの大変よ?
・支払いができなくなったら住宅ローンと賃貸の二重で支払う必要がある
→ そうね。災害が多い日本だと困るよね。保険の効かない災害もあるし。どうしても立ちいかなくなったら破産とか生活保護とか考えなきゃね。そうすると賃貸しか選択肢がなくなるね。
→ わかる。夫婦で考えたいよね。戸建だと、自分ひとりじゃ判断しにくいよね。わかるけど、それは考えないようにしてるだけで、別に結婚だけが家を買う・買わないを決める要因じゃないよ。自宅という意味でなら、マンションへの投機(1室を自分で使う)とか選択肢もある。
・マイホームだからって自宅で看取られて死ぬなんてできないだろう
→ そうね。ここは賃貸かマイホームかに関係ないと思うよ。複数人で住んでいれば何かあったら病院へ搬送されるし。マイホームなら誰も買い取らないだろうし、事故物件になっても比較して問題が少ないだけの話。
→ そうね。一応、資産でも負債でも、財産は財産という扱いだから相続も大変よね。
ちなみに首都圏の場合、少し前までは上昇傾向にあったけど、今は土地が安くなってきている。コロナ禍の影響なのかは、ちょっと知らない。ただ、買うならもう少し待ったほうがいいよ。郊外だと、在宅ワークの充実とかで逆に高くなってるところもあるけど。
場所次第なので、全国平均は見ない方が良いよ。あてにならない。
突然の自分語りを始めると、これを書いてる人は、家を買うとか贅沢だと思ってる。賃貸だから貧乏人とは思わないけど、貧乏人だと賃貸しか選択肢がなくなるとは思ってる。かなり安い地区だけど、少し贅沢したいと思ってマイホームを買った。事故物件ではなく、交通の便が悪い。余っている中古の家だ。東京23区に入る橋まで 15km という家付きの土地で、毎月のローンが5万円程度ということで察してくれ。ただ後悔はしていない。趣味のバイクライフは充実している。結婚はしていない。賃貸物件による不労所得が。病院はかかりつけをつくってある。孤独死だけ気をつけなきゃな。
何が言いたいかっていうと、ちゃんと自分を分析して、住みたい場所を分析して、それから賃貸か購入か決めてねっていうこと。賢い人は、まず己を知る。そして相手を知る。それができないと、どっちを選んでも不幸な結果が付きまとうから。
両親まじでクソ親だったけど、クソ親のおかげでまともに育ったから親ガチャあんまり関係ないなって思う。
でも、クソ親のもとでどうして自分がここまでまっとうに育ったのかなって考えたら、どう考えても環境だった。
親がクソだったけど、兄弟で力を合わせて乗り切ったし、親戚もクソだったけど兄弟で絶対にあんな大人にならないって心に決めるきっかけになったし。
教師もクソだったけど、すごく境遇の似てる唯一無二の親友との共感のきっかけになったし、就職したら周りの人間全部クソで、そうか、大人ってこんなものなのかって気づくきっかけになった。
それから周りの人間に迎合することもむやみに反発することもアホらしくなって、自分の目で見聞きして正しいことを考えるようになって、やっと自立した人生を送れるようになった。
月並みなセリフだけど、周りにそういう大人ばっかりだったから自分はまともに育ったんだなって思うと、親ガチャは失敗だったけど環境ガチャには成功したんだなって思うよ。
そういう意味での親ガチャの成功失敗って、要するに親が金持ってようがなかろうが、人格出来てようが出来ていまいが、大人になったときに人のせいにしないでまともに生きてられるかどうかだと思うよ。
少なくともうちの親ガチャは相当まともじゃなかったよ。でも、今の自分があるのはそのおかげだよなってしみじみ思う。
具体的な話を一つすると、もともと金を持ってた両親はバブルで負債を抱えることになるんだけど、結局持ってた金も実力無視の運で手に入れたような金だったから、そのまま金もってたら今頃自分なんて完璧なひきこもりニートだったろうなって思う。
あの時負債を抱えて家まで追い出された惨めな負け犬みたいな両親を目の当たりにしたから、自分のちからでしっかり生きなきゃなって思ったからね。
どれだけ気をつけてたって脳卒中でイチコロだし、若い時期に癌にならないとも言えない。
でも、幼少時代から思春期がマジでクソだったから、割とこの年まで生きられて十分幸せだなっていう実感はある。
あとは生きられるまで生きようっていう気持ち。
ちなみに言うと、自分の同年代にはその当時SSR級の親ガチャひいてる人間が知人親戚山のようにいたけど、9割が今クソみたいな生活してるよ。
そこまで含めて親ガチャっていいたいのかもしれないけど、自立したらその先は自分の責任なんだから、それもわからないなら結局は自分ガチャ失敗しただけだろうな。
起きようとしても起きられない、夕方になってようやく起きる生活になった。特定の教師のことを思い浮かべると恐怖でどうしようもなくなった。
精神科に行こうとするも教師から妨害されて保健所に連れていかれた。保健所では「我慢して学校に行ってください」といわれたのでしぶしぶ登校した。
その後適当な都内の大学に進学した。学部卒業後は大学院修士課程に進学した。社会統計学みたいな感じのことを研究していた。
B1(学部1年)の時は昔いじってきた同級生に襲われると思い震えたり、大学に行けなくなったりしてあんまり状況は芳しくなかった。
いじりといっても通りすがりに金玉を握りつぶされる、教室で無理やり脱がされ局部丸出しの状態にされる、7~8人から殴る蹴るなどされるといった程度の軽いものだ。
B2になったら少しは良くなったが相変わらずだった。ただ、自分をいじってきた人が多数参加する地元の成人式が終わると状況は少し落ち着いた。
B3~M1の時はまあまあ普通だったが、M2の8月ぐらいから再び体調がおかしくなりはじめ、意識がもうろうとしたり人ごみの中で動けなくなったりした。
研究にリソースをさかれ就活まで手が回らなかったこともあり、結局就職先が見つからないまま大学を去ることになった。修士号はもらえた。
大学院修了後はしばらく動けない状況が続いていたが、これじゃいけないと8月ごろ一念発起し就活を始めた。
有名なブラック企業ですら門前払いを食らったが、結局原子力系の企業の研究部門に中途採用というかたちで拾われた。統計をやっていたということが理由らしい。
このころも電車(京王線)の中で意識がもうろうとしてしゃがみこんだりと心身ともに不調が続いていた。
研究部門は朝8時から夜0時まで勤務するのが当たり前だった。サービス残業もそこそこやった。昼休憩や休みの日は原子力関係の専門書を読んで知識をつけていた。
このころ体調はさらに悪くなっており、頭の中が真っ白になり吐く、会社に行こうとしても眩暈が停まらなくなる、MF文庫Jのポスターを見て意味もなく大泣きするなどの状態になっていた。
さすがに体調が悪いのは何とかしなきゃなと思い内科でデパスを貰うも効き目はあんまりなかった。
そうこうしているうちに納期まで仕事が終わらないことが発覚、命を以て責任を償おうと電車に飛び込もうとするも警備員に取り押さえられ失敗。
警官とともに精神科に連れていかれて「うつ病」という判断を下された。
自分はうつ病はすぐ直ると思い、復職に向け専門分野の勉強を続けていた。100冊ぐらい専門書を買い精読した。向学のため北海道の地層処分研究施設を訪れたりもした。
会社を追い出された後は何もする気力もなく、親のすねをかじりながらただただ罪悪感と同居する生活を送っていた。
そんな中、知り合いが「あなたの知識をもとに事業を起こさないか」と誘ってきた。何もしないという罪悪感はあまりにも大きい。
自分は憲法で規定された国民の義務を果たすため、その話に乗った。
おりしも障害年金が120万円程度支給された。自分はその金を使い、事業に必要な道具を全国駆けずり回って集め、そして共同で事業を行った。
調達計画の作成・商品の納入・宣伝・顧客対応はすべて自分が行った。結局100万円以上切ったりもした。足りない部分は知り合いから借りた。
その甲斐もあり月商20~60万円程度にはなった。9ヶ月で300万円程度売り上げたが、そのうち260万円は知り合いが貰っていった。
知り合いはこの事業の運営を自分に一任してきた。せいぜい計画に文句つけるぐらいだ。分配も自分がさんざん催促してしぶしぶ行ったという感じだった。
このころは出張先で体が動かないなどの症状に見舞われていた。うつ病も良くなってはいなかった。
しかし病気がよくならなくとも義務を果たさなければならないという思いで職務に臨んだ。
結局件の知り合いに毟られているのではないかということを親から指摘され、数か月前自分は在庫の一部と機材の一部とともにバックレた。
体も動かない、近所のコンビニにも行けない、生活費も乏しいという三重苦の中、気力を振り絞り事務所の確保や販路の拡大、開発計画の策定などを一人で行ってきた。
しかし売り上げは前のようには立たず、経済的・心理的に頼れる相手もいなくなったことから、心身ともにさらに追い詰められていった。
このまま事業を続けていったらエネルギー切れになって崩壊してしまう、体が動く前に自分で死にたいと真剣に考えるようになった。
自分で死ぬということは高校3年の時からずっと思い続けていたし、ノルマが達成できなかったときなどはそうしようとしたが、幸か不幸かうまくいかなかった。
しかし今は今までとは状況が違う。もう野垂れ死にか自分で死ぬかの二者択一である。事業を誰かに託して人生終わらせた方がいい。
つい最近、件の知り合いと仲直りしてほしいと別の知り合いから要求され、結局それに折れて件の知り合いと会うことになった。
件の知り合いは最初はにこにこと接してきたが、事業を譲渡したいというなり「じゃあバックレたときの機材と商材の金払って借りた金返して」ということを言ってきた。
自分のエゴで譲渡相手に百万円単位の負債背負わせるのも問題だし、だからといって払えるあてはない。
だからといって件の知り合いと共同で事業をさせると、結局自分と同じように相手が搾取されることとなる。そういうことは絶対に避けたい。
加えて第三の道を見出せるほど自分には余裕がない。この文章もぎりぎりでひねり出している。
エネルギー切れで野垂れ死ぬぐらいなら、自分の手で迷惑にならない場所で人生終わらせた方が他者のためになる。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
追加、訂正求む
・人間誰が結婚したって、そもそもどう生きたって自分の思い通りにしていいものだけど、眞子様は皇族に生まれたので自分が思った通りには生きられません。国民が納得する生き方をしてください。
・眞子様は自分の過失なく先天的に警備費をかけなくてはいけない人生に生まれたけど、その費用は人生の途中から自分で負担してください。
・親が借金してました。あなたが建て替えて返さなきゃいけません。世間一般はどんな親の元に生まれても自由に生きれるべきだし、親の負債なんか気にせずに生きる権利があるけど、あなたは眞子様と結婚する予定なので、そういう自由も権利もありません。もしその自由と権利を手にしたければ、他の人と結婚しましょう。
・証拠はないけど税金で留学してるんじゃないですか?証拠はないけど税金を使ってるはずなので、その費用で留学するなんておかしいです。
・一時金をもらう権利はあるけど、借金した親がいるし、証拠はないけど税金で留学してて感じ悪いし、権利を行使するなよ
普通の人同士だったら普通に自由に結婚できたところを、立場があるからお前らは自由に結婚なんかできねえしさせねえぞってことでいい?
書いたことが自分の意見だと思われると困るのでここでかいておく。自分は誰が誰と結婚してもいいと思ってる。どんな家庭に生まれても、どんな家に生まれても。つまり、皇族に生まれても、親が借金しててもってことだ。
アイドルマスターシンデレラガールズは、10年経ってもまだ半分くらいしかアイドルに声が付いてないことがコンテンツにとってプラス? - Togetter
https://togetter.com/li/1770347
こういうのあったんだけどさ、声すら無いアイドルの何を応援してんの
10年ずっと追いかけてるやつでも途中からでもいいけどさ、10年やって何も無いやつの今後に希望持てるのか
10年だよ10年。小学一年生が高校生になる年数費やして声すら無いんだよ
実在のアイドルならまあ10年もアイドルやらずに卒業して他の道探すでしょ
余白とかプラスとか随分良い言い方してるじゃん。なんで反発多いのよ
https://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/4810.html
オリジナルキャラクター「ほっぺちゃん」の人気も出て、2013年9月期には年売上高約42億6400万円を計上していた。
しかし、「ほっぺちゃん」の人気に陰りが見え始めた事に加え、100円ショップなど同業他社との競合で売り上げが低迷し直営店を順次閉鎖したため、2016年9月期の年売上高は約21億円に減少していた。従来の、雑誌・店舗・催事中心の販売からインターネット主体の販売への転換を図ってきたが、2019年9月期の年売上高は約8億1600万円にダウン。さらに、新型コロナウイルスの感染拡大で、2020年9月期の年売上高は約4億9100万円にとどまり、急激な収益悪化により資金繰りが限界に達したため、今回の措置となった。
自己責任っていうか当時の政治屋達の手腕がすごかっただけだろ。
国民をまず世代で分断し、次に同じ世代内で格差を作り、最後には残った奴ら同士をラットレースで潰し合わせることで団結されることを回避した。
勝ち組は下手に負け組を助けて自分も巻き込まれたくないから関わらず、境界線にいる奴らは線引を強烈にして自分を安全圏に置くために負け組を蹴落とし、結果として孤立した負け組は政治的発言力を持つことなく底辺をさまようしかなくなる。
これは大不況時代の中で同和政策を完璧にやってみせたということだよ。
結果として全世代が失われた30年という膨大な負債を負うことになったが、当時のお偉方が老衰で死ぬまでの時間稼ぎとしてだけ見れば完璧だった。
当時権力を握った悪党が悪党として有能だったことを認めるしか無いんだよね。
まあその悪党に権力を握らせることだけで自分たちだけでも助かろうとした連中が卑怯者だったのは事実。
まあでも当時本当にやばかったのが日本国民全体の5%だとしても、元気な20代の若者が本気でデモ活動をしてたら世論は動かざるを得なかったと思うよ。
そういったマクロな努力を諦めてミクロな生存戦略を得ることを選んだ人間ばかりだったことによる思想的敗北でしょ。
この点については自己責任を問うていいと思う。
つまりは半々かなあ
『我々』は不幸だ。
『我々』とは、社会に適合しない性格に生まれ、あるいは育ってしまった者だ。
『我々』の多くは、どこか適当な時点で孤独死するであろう。その時には、誰も悲しまないか、あるいは喜ぶであろう。
『我々』は人生の無意味さと、辛さだけを知る。そして、自らの生誕という間違いを恨む。あるいは、何らかの理由で生存してしまったことを嘆く。
『我々』の多くは、誰からも愛されず、恋愛・結婚は夢のまた夢である。
そう、『我々』は『我々』であるがゆえに、淘汰され、『我々』を再生産することはない。
将来、『我々』となりうる者は減っていくだろう。
何らかの社会に適合できる選び抜かれた者、愛される資質を持つ者こそが、次世代の社会を創り上げていく。
:
この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。
1つは
「これも計算なんでしょ?」
的なもので、
2つめが
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」
みたいな、つまり「本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの。
加えるなら、
「そういう綺麗事なあなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」
みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。
:
1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。
なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、
あるいは意外と、真実の、心からの反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。
でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。
( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )
を含め、彼が繰り返しあちこちの動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、
まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉の負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。
計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。
そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実の反省からあの動画を投稿したのだとしたら……。
これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落の物語として消化できるのかもしれないけれど、
現実の出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。
:
そもそもの発端になった、ホームレスや生活保護受給者に対する発言の時点から、
このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。
……少なくとも筆者はそう思っている。
「本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初の問題の発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。
しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。
■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、
■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪で発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、
世に向けて放つこと。
それが、ホームレスや生活保護受給者の人たちに対する社会の視線を、どんなふうに「操作」(メンタリストを肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。
……問題はそこに集約される。
「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、
どこにも入り込む余地はない。
:
「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」
これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである。
もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。
しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
また、
これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。
そういうことと、
■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会の視線を歪ませるか、セーフティネットというものの存在意義をどんなふうに誤ったイメージにすり替えるか」
批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付をしたことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。
:
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もうちょっとだけ。
本当のところ、
「特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」
という満足を得たいがための投稿、というのについては、
「炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」
の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。
そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、
それこそ"お花畑な理想論の綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。
要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、
それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものだから。
そして言うまでもなく、