両親まじでクソ親だったけど、クソ親のおかげでまともに育ったから親ガチャあんまり関係ないなって思う。
でも、クソ親のもとでどうして自分がここまでまっとうに育ったのかなって考えたら、どう考えても環境だった。
親がクソだったけど、兄弟で力を合わせて乗り切ったし、親戚もクソだったけど兄弟で絶対にあんな大人にならないって心に決めるきっかけになったし。
教師もクソだったけど、すごく境遇の似てる唯一無二の親友との共感のきっかけになったし、就職したら周りの人間全部クソで、そうか、大人ってこんなものなのかって気づくきっかけになった。
それから周りの人間に迎合することもむやみに反発することもアホらしくなって、自分の目で見聞きして正しいことを考えるようになって、やっと自立した人生を送れるようになった。
月並みなセリフだけど、周りにそういう大人ばっかりだったから自分はまともに育ったんだなって思うと、親ガチャは失敗だったけど環境ガチャには成功したんだなって思うよ。
そういう意味での親ガチャの成功失敗って、要するに親が金持ってようがなかろうが、人格出来てようが出来ていまいが、大人になったときに人のせいにしないでまともに生きてられるかどうかだと思うよ。
少なくともうちの親ガチャは相当まともじゃなかったよ。でも、今の自分があるのはそのおかげだよなってしみじみ思う。
具体的な話を一つすると、もともと金を持ってた両親はバブルで負債を抱えることになるんだけど、結局持ってた金も実力無視の運で手に入れたような金だったから、そのまま金もってたら今頃自分なんて完璧なひきこもりニートだったろうなって思う。
あの時負債を抱えて家まで追い出された惨めな負け犬みたいな両親を目の当たりにしたから、自分のちからでしっかり生きなきゃなって思ったからね。
どれだけ気をつけてたって脳卒中でイチコロだし、若い時期に癌にならないとも言えない。
でも、幼少時代から思春期がマジでクソだったから、割とこの年まで生きられて十分幸せだなっていう実感はある。
あとは生きられるまで生きようっていう気持ち。
ちなみに言うと、自分の同年代にはその当時SSR級の親ガチャひいてる人間が知人親戚山のようにいたけど、9割が今クソみたいな生活してるよ。
そこまで含めて親ガチャっていいたいのかもしれないけど、自立したらその先は自分の責任なんだから、それもわからないなら結局は自分ガチャ失敗しただけだろうな。
それは親ガチャに失敗してないだけ
そういう個別具体的なことはどうでもいいんだよ 親ガチャ論の本質は先天的な所与の条件で人生決まるよね、って話なんだから