2021-08-16

いつか人々は幸せになる

『我々』は不幸だ。

『我々』とはすなわち、誰かに必要とされない者だ。

『我々』とは、社会に適合しない性格に生まれ、あるいは育ってしまった者だ。

『我々』の多くは、社会負債である

『我々』の多くは、どこか適当な時点で孤独死するであろう。その時には、誰も悲しまいか、あるいは喜ぶであろう。

『我々』は人生無意味さと、辛さだけを知る。そして、自らの生誕という間違いを恨む。あるいは、何らかの理由生存してしまたことを嘆く。

しかし喜ばしいことに、『我々』は淘汰される存在だ。

『我々』の多くは、誰からも愛されず、恋愛結婚は夢のまた夢である

まり子孫を残さず朽ち果てる。

そう、『我々』は『我々』であるがゆえに、淘汰され、『我々』を再生産することはない。

将来、『我々』となりうる者は減っていくだろう。

何らかの社会に適合できる選び抜かれた者、愛される資質を持つ者こそが、次世代社会を創り上げていく。

無論その時代にも『我々』はいるかもしれないが、しかし、格段に数は少なくなっているだろう。

そう、いつかの将来、人々は幸せになるのだ。自然幸せになる資質を身に着けて。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん