『我々』は不幸だ。
『我々』とは、社会に適合しない性格に生まれ、あるいは育ってしまった者だ。
『我々』の多くは、どこか適当な時点で孤独死するであろう。その時には、誰も悲しまないか、あるいは喜ぶであろう。
『我々』は人生の無意味さと、辛さだけを知る。そして、自らの生誕という間違いを恨む。あるいは、何らかの理由で生存してしまったことを嘆く。
『我々』の多くは、誰からも愛されず、恋愛・結婚は夢のまた夢である。
そう、『我々』は『我々』であるがゆえに、淘汰され、『我々』を再生産することはない。
将来、『我々』となりうる者は減っていくだろう。
何らかの社会に適合できる選び抜かれた者、愛される資質を持つ者こそが、次世代の社会を創り上げていく。