はてなキーワード: 説明会とは
技術力が高いことで有名な、あるIT企業の名前を冠した開発者向けの大規模イベントが、この週末に開催される予定だ。
参加者数は4桁になるらしい。
俺は当日だけ運営を手伝うボランティアとして、このイベントに誘われた。
この手のボランティアは何度か参加しているので、特に抵抗はなかった。
ただ手伝うのは当日だけなので、このイベントが誰によって計画され、どのように運営されてきたのか、詳しくはわからない。
グダグダに最初に気付いたのは、当日ボランティア向けの説明会に参加したときだった。
説明会は、本番の数日前に1回だけ開催される。
説明会の日時は応募時には知らされなかったので、仕事などの都合で参加できないボランティアもいる。
「ボランティア説明会を○月×日にやりますが参加しますか? 参加できない人には、中継用のURLをSlackで通知します」
という内容のメールが来た。
今どきBccかよ! と思ったが、それ以上に気になるのは、Slackだ。
どこのSlackだ。
誘ってくれた人にも聞いたが(彼女も当日ボランティアの一人だった)、よくわからないという。
一方、回答を記入するGoogleフォームは、氏名と参加可否のチェックボックス、コメントだけしか記入項目がなく、メールアドレスを入力できない。
これじゃあフォームに質問を書いても、返事をもらえないじゃないか。
とにかく
「説明会へは参加するが、Slackへの参加方法がわからなくて困っている」
しばらくして、Slackへの招待URLが書かれたメールが来た。またBccだ。
きっとメールの送信者は俺の質問に返信してくれようとしたのだが、返信先のメールアドレスがわからず、ボランティア全員に送ったのだろう。
とりあえずSlackには参加できたが、俺のIDと、フォームで質問してきた人を、運営は(俺自身が申告しない限り)マッチングできない。
このフォームを作った奴は、SELECT文を書いたことがないのだろうか。
そして説明会の当日が来た。
開始時刻の直前にまたBccでメールが来て、「このメールを受信した人の担当部署は××です」という本文と、同じ部署を担当するボランティア全員の名簿が送られてきた。
名簿には、氏名しか記入されていなかった。リーダー格のボランティアにだけ、SlackのIDが併記されていた。
これは本格的にやばい、と思った。
最初のボランティア全員へのメールをBccで送信したのは理解できるが、今回のメールは、名簿に名前が載ってる人だけに送られているはずだ。
というか、ボランティア用のSlackがあるのだから、名前よりSlack IDを書いてくれた方が有難い。
現在は、全員が1つのチャンネルに押し込まれているので、どのIDが何を担当しているのか、俺にはさっぱりわからない。
というか、招待されたときにIDを申告していないのだから運営も俺のIDと氏名を一致できない。
アホだ。運営はどアホだ。
さて説明会の会場に行くと、十数人が集まっていた。誘ってくれた彼女は欠席だった。
名簿の人数とイベントの規模から俺が予想した人数より、ずっと少なかった。運営側は5人くらいだった。
説明会が始まったが、俺と同じ不安を持っていたボランティアがいたようで、運営が設営手順の説明を始めるとすぐに
「この名簿を使って、同じ担当のボランティアにどうやって連絡するんですか?」
と質問していた。まともな神経を持っていれば当然の質問だろう。
質問者と2、3回やりとりをして、質問の意図を悟った瞬間、運営の全員が目を丸くした。
彼らは、こんな質問が来ることを夢にも思っていなかったのだ。
メールアドレスを他のボランティア知らせないという、個人情報保護施策だけを馬鹿正直に、忠実に実行したのだ。
そして、俺の予想通り、説明会は紛糾した。
運営が事前に作ったボランティア向けマニュアルは穴だらけで、不備が大量にあった。
他のボランティアも少しずつ事態に気付いて、次々と運営に質問を浴びせてきた。
「そこは我々が何とかします」
「検討するので後で回答させて下さい」
などとかわしていたが、次第に声が上ずってきた。
テンパっているのが目に見えてきた。
説明会を仕切り直せる日はもうない。
マニュアルの改訂にも膨大な時間がかかるだろうし、事前レビューなどできないだろう。
改訂後も不完全なマニュアルが俺たちボランティアへ渡されることは目に見えている。
説明会が終わると、事態を悟ったボランティア達が勝手にチャンネルを作り出した。
運営が信用できないから、自分達だけで何とかしようと動き出したのだ。
俺も帰る前に同じ担当のボランティアを見つけて、チャンネルを新しく作って一緒に入った。
次の日には、Slackに複数のボランティアから、膨大な量の質問が運営へと投げられていた。
俺はただ見ているしかなかった。
仲間はできたが、今Slackで打ち合わせをしてもマニュアル改訂でひっくり返されそうだ。
ならば何もしないで、ただ待っていた方がいい。
…このイベントに参加しようとしてる人、トラブルに巻き込まれたくなかったら、参加するのやめた方がいいと思うよ。
…って言いたいけど、伝える方法あるのかな。
「この後面接があります」とか言われて合否があります、って登録説明会の時にいきなり言われたんだけど
(ちなみに結果通知は今日までで今のところ全く音沙汰がない)
これ詐欺じゃないの??? 交通費と時間返せよ、合否出すなら行かなかったわ
ふざけんなよ今年の夏休み中ずっとこの繰り返しで気がたってるんだよ。登録しても仕事来なかったり、エントリーメール来て返信しても返事こなかったりでこの1か月すごい疲れたし、もう面接にいける交通費も残ってない。今月もう本気で家から出られないわ。
昨日ましそうなところの面接行ったけど、染めてないのに「茶髪?」とか聞かれて訂正しそびれたから多分まただめだろうな。
・日本語の通じない連中がわんさか応募してくるから、合否制度をつくるしかないねん。
いやその主張はわかるけど、だったらなんで当日行っていきなり「合否制度があります」とかいうのがわかんないって。それなら最初から書いとけばいいのに、登録元の方が情報隠蔽しててどうすんねん、って話。腑に落ちん。
私は今年引っ越してきたばかり。
つい先日、回覧板がまわってきたんだがそれによるとつい先日地元の神社の祭りがあったらしい。
要約すると
・祭りでは山車を引いて町内を練り歩くが、参加人数が少なくて、暑い中人員の交代もままならず参加者の中には気分の悪くなる人もいた
・このような事態を避けるためにも当番以外の方も参加してほしい
・うちの区画も再来年が当番になるんだから、そのあたりのことも考えてとりあえず一度説明会を行うから予定空けてみんな来てくれ
とまあそんなことが書いてあった。
一人暮らしで別に子供もおらず、祭りなんかと無縁な身としてはうわぁー絶対参加したくないでござるって思った。
と思った所でふとオリンピックのボランティアどうこうの話を思い出したんだが、ボランティアにやらせるなちゃんと金を出せとか言ってる人の多いはてなあたりだと、地元の神社の祭りなんて当然ボランティアで参加したりしないんだろうか。
ミーティング中に資格取得の説明会も兼ねて話し合ってたら突然一番若い子(といっても参加者はみんな20代)が「そういうスキルってMAXにしないといけないんですか」なんていうから「MAX?」ってみんな首をかしげて苦笑。
「スキルMAXなんてゲームじゃないんだから…www」とあちこちで聞こえてきたんだけど、そりゃそうだよな…スキルMAXってなんだよって話。
ゲームじゃないんだから、仕事との言葉の使い分けは大事だろう。
その若い子は常日頃からアプリゲーばっかりやってて、一般的な話題などでは話が続かないいわゆるオタク部類の子なんだけど
あぁ普段からゲームにどっぷりハマっているからなのか…?とこちらも困惑。
まぁあれです。
オッス!オラ増田!数日前に二人目の出産を終えたおかあさんだ!!
帝王切開で出産したから入院日数が長くて暇なのと、テーマがそれなりに重くて話す機会もないから顕示欲を満たしたいのと、あと何より原発性無月経症だと診断された時にあんまり体験談がなくて「マジか…」って思ったから、12年前の私に報告する体でめちゃくちゃ長文を書いてくぜ!
同じ病気を抱えている人が、こういうサンプルもいるんだなと思ってくれれば嬉しいぜ!!
大好きなプールの授業を一回も見学することなく参加しきり、なお身長が伸び続けていた17歳の秋。
流石に「まだ生理が来ないのってヤバくないか…?」と思った母に、婦人科の受診を勧められたね。私もヤバいと思ってたよね。友達に休み時間こっそり「ナプキン持ってたら貸して?」って言われても一回も貸せなかったからね。絶対ケチくさいと思われてたよね。
学校休んで、なんか麻布とか六本木とかシャレオツな場所にある産婦人科まで診察に連れられたね。あの頃はわざわざ馴染みのない地域にまで赴いた理由がわからなかったけど、母は万が一にも地元の知り合いの目に触れさせたくなかったんだと思うよ。あらぬ事を吹聴するようなクソ人間がこの世には存在するから。だからシャレオツな場所まで来たことに怯えなくていいよ。
彼氏なんてできたこともないのに(中高女子校だったからって言い訳しとこうな)触診台に載せられて男性医師に股おっぴろげるの本当に嫌だったね。頑張ったね。まあ女性医師に当たることも少ないし、その部分はいずれ慣れるよ。お医者さん、散々女性器見てるから特に何も思われることないし。
ただ、処女ゆえにお腹にエコー当てて診察した時「うーんおしっこ溜まってるみたいでよくわかんないなーハハハ」って言われてクソみたいな思いしたよな!半泣きだったよな!わざわざそんな言い方しなくていいじゃねーかって!
大丈夫。そんなクソ医師のいる病院その一回限りしか行くことなかったから!紹介状書いてもらって大学病院に行くことになるよ。
行った先の大学病院の担当医も男で憂鬱だったけど、すぐにその先生でよかったって思えるし今でもそう思ってるよ。少しフワフワした先生だけどそこが気楽でいいよ。
そしてやっぱり最初の診察医はクソだったって気がついたね。
色々診察してもらった末、原発性無月経症、生まれつき自分で生理が起こせない体で、そのためにカルシウムが溜められなくて骨密度が本当に低いってショックだったね。
大病したことなかったからそんな病名ついた診断下されると思ってなかったし、私は女って定義していいのかなぁって思ったり(女でいいと思うよ)、結婚とか出産とかこの先のライフイベントにおいて不利に働くのかなあなぁって思ったり、牛乳めちゃくちゃ好きだったのに骨密度が小六の女児くらいの数値しかないって言われたりして「何のために牛乳あんなに飲んでたんだ…」って思ったりして帰りのバスの中でぐじゃぐじゃに泣いてしまったりしたね。
でも一番堪えたのは母に「満足に産んであげられなくてごめんね。代わってあげられたらいいのにね」って同じようにぐじゃぐじゃに泣かれたことだったね。辛かったね。そんな事言わせてしまったのが悲しかったよね。そもそも代わられたら私産まれてないかもしれないしさぁ…。
あの時母を責めるつもりもなかったけど責めなくて正解だよ。でも人の親になった今ならわかるんだ。私もその立場だったら負い目を感じるだろうし、我が子に遺伝したらってめちゃくちゃ不安だよ。だから一緒にぐじゃぐじゃに泣ききって、それっきりにして、焼き肉とかおいしいもの食べさせてもらってそれで終わりにしなね。どうしようもできないからさ。
で、定期的に通院・薬使って生理起きるようになったね。君の股から出てくる卵の白身みたいなそれが、よく「なかよし」に広告を出していた生理用品で知った「おりもの」ってやつだよ。「これがおりものか…!」初めて見たときちょっと感動したね。
病気のせいか体質のせいか、血量も少ないし生理痛もなかったのはよかったね。生理起こさないとダメだけど薬で起こすと超ーーーーー不快なのってめんどいもんね?
生理起きても骨密度はガンっと上がらないけど、それは骨折起こらないように気をつけていこう。怪我の少ない文化部でよかったね。私もこれからサプリメントとかでカルシウム補っていくから。
大学に上がって一人で通院するようになったね。その頃にはもう診察も触診も慣れてるじゃん。
ただ、彼氏ができて処女じゃなくなった時、親にもまだ言ってない(いや別にとりたてて報告しないままだったけど…)のに処女喪失報告してエコーで内診から膣に器具挿入に切り替わったの結構気まずかったよな。まあ先生「ハイハイそうなのね」くらいで切り替えてくれるからそれはもう諦めろ。いつかは避けられないことだ。
あと数値的には同じくらいなんだろうけど、二十歳になった瞬間「骨密度が七十代のおばあちゃんと一緒の数値だよー」って言われるようになってゲラゲラ笑うよ。ピチピチの若人から高齢者枠に入れられるのが成人すると言うことなのです。
そうそう彼氏ね。「どうしてもデート時間を長くしたくて産婦人科(だと知っても)に着いてきたい彼氏」vs「どうしても来てほしくない私」でバトって、「私生理が起こせない体なんだよぉ!!!来るなって言ってるのに!!」って言わなくていいこと言ってキレちらかして、それ以外の理由も加えてケンカ別れします。
でも驚くなよ?最終的にその人と復縁して結婚までします。後にも先にもその人しか彼氏はおりませんでした。いい人だから大切にしてあげてね。
平日にしか診療してないから行く時間なかなかとれなくて、外道だから一年強もの間診察をぶっちぎってしまいます。
会社辞めてやっと診察してもらった時に「子宮がカスカスに小さくなっててかわいそう」って言われて「あああごめんなさい」って思うのと同時に「カスカス…」ってちょっと面白くなってる場合じゃねーから!病院サボるなよ!
そう、会社は寿退職。つまり結婚で退職したんだけど、さっき言ったように別れた彼氏と復縁した後結婚するんですね。
「私は子ども産めないかもしれない」って言ったら「子どもは好きだし、色々チャレンジするのもいいと思う。ただ自分自身は子を持つことにものすごいこだわりがあるわけではないから子どもはいなくてもいいし、もしチャレンジしてダメで、それでも育てたい欲があるなら養子でもなんでも方法はあるよ」って言ってくれます。本当に聖人なので大切にしてくれよな!
私もものすごい自分の子を望んでいるわけじゃなかったし(だって産めないかもしれないってわかってるんだもん…とくに希望も持ってなかった)スタンスが同じなのは本当にありがたいことだよ。
夫の両親もいい人だから、本当は何か思ってたかもしれないけど何も言われなかったよ。君は、本当に恵まれているんだ。
さて、結婚したら何か進言されることもなく妊娠に向けての治療が進められます。それはもう自然に。当たり前のようにフェーズが移っていた。
そこら辺は不安であれば不妊治療の方法を調べてくれ。たぶん同じだから。ちなみに私はテキトーなので言われるがままの治療に従っていた。結局数年ゆるゆるやって、できなかった末に最終奥義の体外受精することになるんだけど。
夫と協議した結果、とりあえずさっさと体外受精チャレンジして、失敗してまたどうしても欲しくなった時に再チャレンジすればいいって話になりました。夫婦揃って特に意気込みの強くないチャランポランさである。
ただね、それは体外受精を試みる人たちの中でも圧倒的に若い年齢で取り組んだからだと思う。治療説明会、10歳くらい上でめちゃくちゃ治療内容調べてきてる人達ばかりだった。君達夫婦はね、説明会の帰りに何食べて帰るかしか考えてないし、受精させる用に夫の精子を取る採精室に置いてあるAVが誰チョイスか気になってるチャランポランさです(備品業者チョイスのオムニバス形式らしいよ。好み色々あるもんね)
君は産めないかもしれないことわかってるんだから、その点チャレンジの幅は広いんじゃないかな。やれるならやってみてもいいと思うよ。
でも、そもそもうまいこと作れた受精卵の数は少なかったし、お盆休み前に子宮に入れた受精卵が流れるかもしれないって言われて生理も起きちゃって、でも診察受けられなくて号泣したこともあったし(無事着床してました)、子どもができるまで平坦な道でもなかったよ。
それはもう不妊治療の範囲だから、やっぱり不安であれば不妊治療の体験談を読んでね。よっぽどそちらのが詳しいから。
12年前の私へ。
そういうわけで、君は二児のお母さんになりました。
不安もいっぱいあると思うけど、そう悲観しなくても大丈夫だよ。
もう子を産むことはないけど無月経症の治療はこの先も続いていくし、この先の治療はどういうものかわからないけどまーーーーーもう大したことしないでしょきっと!(調べてない)
別にいなくてもいいと思ってた子どもは大変だけどかわいいし、でも今のご時世無理して作ることもないし。どういう選択をしてもいいんだよ。私はヤな宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃうタイプだから、どこか一つでも躓いていたら、子どもを産んでいなかったでしょう。産めてしまったけど。ただ産まない選択をしても病院は通いなね。子宮がカスカスに縮んちゃうから。
とりあえず私は、これから自分のためにカルシウムのタブレットを食べようと思います。
じゃあ、元気でね。
僕は就活生だ。
これを書いてる時点ではもう内定もらって正確には就活生ではないけど。
この間、ある説明会のグループワークで一緒になった女の子が、その次の週のまた別の会社の説明会にもいたことがあった。東京でしかも小さな会社の説明会だったから並みの偶然じゃなかった。その子も僕に気づいたみたいで、(あっ!私のこと覚えてる?)と懸命にジェスチャーで伝えようとしてくれたのでそれににっこり笑って応えた。それだけならそれで終わりだったけど、その会社は一次選考としてグループ面接も同時にやるところで、偶然にもその女の子と僕は同じグループだった。面接自体はあまりうまくいかなかったが、仰天したのは学生時代に力を入れたことの質問をされた時、彼女がとあるマイナースポーツの部活を挙げたことだった。実は僕も大学で同じスポーツをやっていたのだ。詳しくは言わないけど競技人口は決して多い方ではない。それが今、同じ部屋にその選手が二人もいる。なかなかあることではない。むしろ奇跡。むしろ運命を感じる!僕は面接が終わると、彼女と同じタイミングで荷物を整え出口に向かいエレベーターに乗り込んだ。エレベーターで隣同士にになると、勇気を出して話しかける。おそらく彼女も僕に声をかけたかったのだと思う。
「前、説明会で一緒でしたよね」
「そうです!部活、〇〇やってたんですね。実は僕も…」
しばらく話すと、驚くほど共通点があった。夢や趣味、好きな本(好きな本が一致するってなかなか無いぞ!)など、こんなに自分と方向性が似ている人が存在しているのかと驚愕する。極めつきに共通の友人がいることが判明し、すっかり意気投合し翌日飲みに行くことになった。
彼女の印象としてはふわふわした天然系の女子大生といった感じ。リクルートスーツをきている姿しか見てないけれど、私服だとしたらお嬢様っぽい雰囲気の格好がよく似合うと思う。その頃僕は就活がうまくいかず落胆していたが、同じような状況にあった彼女はいたって楽観的だった。どこからそんな自信が湧き出てくるのだろう。彼女には大きな夢があった。その内容には詳しく触れないけれど、僕も似たような夢を持っていた。ただ彼女の場合、それを周りに公言していた。僕は人に知られるのが少し恥ずかしかった。彼女は小説を読むことが好きだった。僕も好きだったけど、それを語り合う人は周りにいない。彼女はそういった仲間に恵まれているようだった。他にもいろいろ話して時間が過ぎていった。終電前に解散し、僕は少し飲みすぎて山手線で寝過ごしそうになった。彼女は帰りが遅くなって母親にちょっと怒られたらしい。
そんなこんなで今日に至る。普通、男ならこの状況、二回目誘いますよね。こんなに趣味が合うなら、相手も自分に(ある程度でも)好意持ってくれてるって期待しないわけにはいかないですよね。
で、今日やんわりと会わないかと誘ってみました。そしたらやんわりと拒否されました。本当に用事があっただけかもしれないけど、でも僕知ってます。女の人ってある程度好意があれば、代替日をあちらから探ってくるって。それがなかった。僕からしつこくじゃあこの日はどう?なんて一回飲みにいっただけなのに言えるわけないし、実質フラれたと思う。なんで。何か僕がヘマをやらかしたのだろうか。思い返してみても、心当たりが見つからなかった。単に僕がタイプではなかったから? 確かに僕はイケメンではないし、話し上手ではないけれど…でもそういう問題だろうか。彼女も就活に専念したいから?それならそう言ってくれるはずだと思う、たぶん。彼氏がいるとか?ならなぜこの前はサシで飲みにいってくれたのだろう。分からない。そりゃあないぜ。諦めたほうがいいのだろうか。でも、何が悪かったのか全然納得できないんだ。誰か助けて。どうすればいいんだ、どうすればよかったんだ僕は。
給付金付きインターンシップなど実際に働いてみるとわかることもあります。有給の取りやすさや職場の雰囲気、社食の美味しさなど、私はそこが決め手で就職しました。入ったら業務内容が違ったりしましたが、3年間働けています。
説明会に来る人は言ってしまえば演技がうまい人なので、実際に働いている人を見れるのは大きいですよ。
あと、受かろうと思って無理すると、ずっと作った自分で働かなきゃいけなくてしんどくなります。自分が譲れないことはちゃんと主張して、長く働ける会社に就職しましょう。
産休・育休後の離職率が低いところは男性も有給が取得しやすい傾向があるみたいです。世の中ブラックも多いので自分が面接する気持ちで楽に行きましょう。
就活は志望した企業にこのところ全て落ちている。自分で努力して、自分の頭で考えて頑張ってこれだから、なんとなく勉強してた大学受験とは違って弱り果てているし、これほど誰かに泣き言をいいたくなる状況は今までなかった。
だが、僕の就活の方針に反対している両親始め、僕の志望する業界についてあまり詳しくなさそうなのにとりあえず相談に来いとばかり言うゼミの先生(僕が上手くいっていないことを知ると、ほら見ろ相談に来ないからだと言うに違いない。本当に弱っている今、たとえ正論で説教されたとしても、それを前向きなエネルギーに変えてゆくだけの体力はもう残っていない)、「大丈夫だって切り替えていこうぜ」と(嬉しいけれど)無責任な応援をしてくれる友人たち、どこを見ても僕の現状に本当の意味で耳を傾けてくれる人は周りにはいそうにない気がした。孤独の中で深まる悩みほど人の精神を蝕むものはない。今日も行きたかった企業にまた一つ落ちた。死にたいと思った瞬間、自分がどれほど追い詰められている初めて自覚した。
まるで袋小路だ、僕の未来へのイメージは。就活が人生の全てではないし、そういうレールから外れたって、人の中の何かが損なわれるわけでもないと思う。だけど僕自身に関していえば、大学を出たら、絶対に働かねばならない。
理由は明快で、お金がないからだ。奨学金、親への養育費の返済等々、二十歳過ぎにして既に僕はかなりの額の借金を背負っている。なのに今、どこにいっても働かせてくれない。こんなに売り手市場なのに。生きていくだけなら、コンビニバイトだって構わない。職業に貴賎はない。けれど、安定した収入がどうしても必要なのだ。その道が断たれたら、僕はもう誰にも顔向けができない。
志望業界、就活のやり方に見直すところがあるのか、めざしてるのは自分に向いた職なのか、そのほか色々なことは当然考えてはいるけれどもう、そのこまごまとしたことをここに書き出すまでの気力は残っていない。
本気で行きたい企業に向かって本気で努力して、結果叶わず、もはや燃え尽きてしまった。これからも就活を続けるにしても、どこまで気力を保ち続けられるだろう。限界が近い。一回、休ませてほしい。けど面接は、説明会は待ってくれない。明日の選考のために、今日も履歴書を書き上げなくてはならない。壊れたまま回り続ける歯車のように、疲労しきって本当はもうどこにも使われないはずなのに、ただただ動き続けてる。
新卒採用では、会社説明10分、筆記試験60分という学生への自社紹介をほぼしない、先輩紹介なんて絶対やらない説明会が横行している弊社。
しかし、面接の質問事項までは知ることができなかったんだけど、最近中途入社してきた社員から話を聞いて驚いた。
新卒採用では、浪人や留年など空白期間があると間違いなく面接で突っ込まれる。
ただし、しっかりした理由を言うことができればなんの問題もない。
中途採用では、10代や20代前半の空白期間について問われることはほとんどない(と思っている)。気になったとしても、「浪人していました。」の一言で済む話だと思う。
弊社は、その質問の際に志望していた大学名を説明しなければいけないらしい。
新卒ならまだしも、大学卒業から10年以上経過した成人にまでその質問を必ずするという。
また、転職理由についても同上で、家庭環境などを事細かに聞かれるという。
ただ、身内に障害者がいるだの、離婚調停中だの聞出す必要はあるのだろうか。話す方も話す方だ。
身の上話が必要になってくる場面もあるかもしれない。
ただ、40分程度の貴重な面接時間で過去の業務経験をまともに聞かずに身の上話ばかり聞き出す弊社の面接には驚き呆れた。
同じような思いを抱えて氷河期と言われる時代、なんとかちょいブラックなところに引っかかった私に言わせてくれ。
就活は散々で思い出したくもないが、残念ながら人との関わりはずっと続く。
就活が終わった後もだ。
コミュ力に問題があってもすんなり決まるような、抜きん出た能力が無いならばなおさらだ。
「そこそこの大学」であるならば、この売り手市場、まだワンチャンあるはず。
「そこそこの大学」ならリクナビマイナビより精度の高い情報があるのでは。
自分の学部学科の過去の入社実績とか、学校に来てる求人票とか、これから開催予定の説明会とか見ながら
「ランク低め」「聞いたこともないところ」そういった会社をひたすら見つけてみよう。
そういったところを調べることで、今まで目につけてなかった業界とかもわかるし。
相手コミュ障だろうが何だろうが、尻尾振りながらいろいろ話すぞ。そんな会社いくらでもあるはず。
「高い学費を払ってくれた親に申し訳が立たない。」という意味じゃフリーターも無名会社も同等なんだろうが
とりあえず内定取っとく、とりあえず社員として働く、によって増える選択肢は出てくるはず。
フリーターやるのは、やれること全部やり尽くしてからでも遅くない。
以上、自分自身の就活時希望業界全滅後、時期的にももう後がない、となった際の気の持ち方と立ち回りの思い出話な。
10年以上前の話だから現在においては何の役にも立たないだろうし、
私自身こんな大人になってしまっているので最適解ではなかったのは間違いないが。
悩んで立ち止まるよりは、とりあえず今可能なことに飛び込んで状況に身をまかせる方が
結果、物事が先に進んでいった気がする。
>人の話を聞くのは嫌いじゃないし、むしろ好きなくらい
仕事は嫌でも人と関わる。
自分の伝え方が拙くても、相手に対する好意を持ち続けていれば、
多くはないが中には助けてくれる人はいる。
はぁー、クソだね。
年収を書く欄があるんだから、そこで足きりしてくれても構わないわ。
近所にマンションが建つんだけど購入するかどうかの説明会があるのね。
募集ページがクソみたいなやつでさ。何でこんなに使いにくいページ作ってんの?って感じだった。
文章内に「先着順です」とか書いてあって、
「FAX メール WEBサイト」から説明会の予約ができるんだけど
2日前に送ったメールの返事が来ない。本当に先着順な訳?メール見てんの?
「必ず折り返し電話します」とか書いてあるくせに、電話してこないじゃん。
「電話する日程は2,3日遅れる可能性が」とか書いてあるけど、何でだよ。電話するだけじゃん。早くしろよ。
もっとネットのシステム使えよ!予約数で締め切るとか色々できるでしょ!
しかも、ネット上からだとなんで1つしか選べないんだよ意味不明だよ!!
「説明会に参加したら購入できる倍率が上がります」って何だよ!
そもそも説明会に参加するのですら難しいじゃねーか!ふざけてんのかテメェ!!!
ああああああああああああ。購入しないのがベストだろうな。
嫁に思い出話をしたら、そう言われた。
高校時代の部活で顧問による体罰事件があり、顧問の先生が罰されても、なお先生に泣きながら復帰してくださいと懇願する生徒たちの姿を洗脳と言っていた。僕も当時は一種の洗脳だと思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
さて、いきなり嫁との会話を書いてしまったが順を追って書こうと思う。
そもそもこの話を書こうと思ったは、今マスコミを賑わしている日大アメフト部のコーチによる暴力が原因だ。顧問による暴力と聞くと、僕も高校時代に顧問による暴力に多少縁があったからだ。また、このニュース記事の見出しの「盲目」という単語が目についた。僕の顧問の先生も、人を盲目的にさせる天才だったなと。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3380718.html
あれから10年、そろそろ言葉にして残しておきたいと考えたので筆を取ることにした。僕は高校時代に吹奏楽部に所属していた。その吹奏楽部は全国常連の高校で非常に規律が厳しかった。具体的に言うとSNS禁止、買い食い禁止、部内恋愛禁止、登校中の音楽禁止である。僕はほとんど守れてなかったが。そして顧問の先生が猛烈に厳しい人だった。まぁ昭和の熱血先生という感じだ。「お前らに一生の思い出を残してやるから、ついてこい。この部活でやれば人間力が鍛えられる」が口癖だ。僕と全然合わなかった。
部活内のイベントとして月に一回、全校舎大掃除と言うイベントがあった。普段使わせてもらっている校舎に対して感謝の念を込めて学校全体を部員全員で清掃すると言うものだ。僕が3年生の時に、掃除がいい加減だったので、いきなり顧問が女子部長を何回も顔面を平手打ちし始めた。最初は混乱して理解できなかった。人の突然の暴力ほど混乱するものはないと感じている。さすがにやりすぎだと思ったのか、矢継ぎ早に他の部員が止めに入ったが次々顔面を平手打ちされていた。僕は臆病者なので、とても止めに入ることができなかった。もう音楽室の端にすぐ逃げてしまった。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。無抵抗の人に暴力を振るうことが無意識に怖かった。言葉では説明できないが本能的に逃げしまった。顧問が怒って音楽室から出た後、部員達から出たセリフは「自分たちがいけないから平手打ちされたんだ」と言うセリフだ。この時点でちょっと違和感を感じていた。なんで暴力を受けてるのに慕うのか理解できなかった。愛のある暴力をなんて存在しないと思っていたからだ。後日、この1件のことをOBが聞いていて、「男子だったら積極的に女子をかばうように動けよ」と責められた。このお叱りは今でも意味が分からない。生まれつき暴力に耐性のない人だっているのだ。
数日後、先生と3年生部員達と話し合いの場が設けられた。そこでは、主に2つの意見が出た。「頑張って全国大会に出たいのでご指導お願いします。」「暴力を振るう先生なんてついていけません。退部します。」の2つだ。25:5ぐらいの割れ具合だったが。ここまで読んでいる読者はお判りだと思うが、僕はもちろん「退部します」の側だ。退部派の人たちは、合計2~3時間かけて退部を止めるために説得される。推測だが、吹奏楽コンクールの前に部員の退部を防ぎたかったのだろう。必死に止められた。説得のされ方は、顧問が「君は部活に必要な人材だ、Aくんそう思うよな?Bくんはどう思う?」と周りの同調意識を利用した方法だ。一応暴力のことに関しては謝罪はあったが、僕を含めた5人は同調意識に負けて続けざる得なかった。このことは今でも後悔している。当時にやりたいことがあり、その時退部していればできたのではないかと思った。内心、クソみたいな説得方法だと思ったが、退部を撤回するまで部屋から出してくれなさそうな雰囲気だった。僕は顧問に屈してしまったのだった。
それから一週間後、大変なことが起こった。読売新聞の地方面に、顧問の暴力の件が詳細に載っていた。誰かの親が新聞社に告発したのだ。内容も明らかに、その場にいた人しか分からないことが書いてあった。僕は内心、顧問の先生に正当な罰が下されると思った。その次の日に、部活内の保護者を集めた説明会が行われた。顧問は確か2週間ぐらいの停職処分が校長先生から説明された。顧問も謝罪していた。そこで生徒の何人かがいきなり泣き始めた。「顧問の先生は、僕たちを思って平手打ちしたのです。顧問は悪くない。僕たちのことを指導してください。」のようなことを言い始めた。やがてほとんどの部員は賛同し泣き崩れた。泣いていなかったのは、退部派の人たちだけだ。当時は言わなかったが、内心「この人たち大丈夫かな?」と思っていたと思う。少なくとも僕ともう一人は、そう思っていた。ここで冒頭の嫁との会話に戻る。このことを顧問による洗脳だと言ったのだ。全国大会に行かせてやるから俺を信じろと言って部員たちを盲目にして、顧問の意見は絶対に聞かなければならない。ちなみに、保護者の中で誰が新聞社にタレ込んだかプチ犯人探しが始まったのは、想像に難しくない。
そのあと停職になった顧問と、その家族は非常に心を病んでしまったようだ。何せ地方欄とはいえ新聞で報道されたのだ。そこで顧問と家族に向けて手紙を書くことになった。いや、確か部長により半強制的に書かされることになったのだ。ほとんどの人は「先生は悪くありません。私たちはいつまでも待っています。私たちを全国へ導いてください。」と言った旨を真面目に書いていたようだ。僕の中では顧問は信頼できない人となってしまったので、「元気出してください。待ってます。」などと適当に書いたのは覚えている。多分全部員の中で一番短い自信がある。今考えれば顧問に手紙なんておかしいよなと思う。
顧問は、2週間停職のあとは、普通に顧問にとして復帰した。それからもたまに怒ることがあり、その時に「俺をまた新聞に載せたいのか」と怒鳴られたこともあった。全然反省してねーなと思った。時たま「俺の葬式には、歴代の教え子たちがとんでもない数くるから楽しみにしておけ」とも言われた。ここも嫁に話したら、ドン引きしていた。そんなゴタゴタがあったその年のコンクールは、都大会銀賞で残念ながら全国に進めなかった。ほとんどの人が全国に行けなかったと号泣していたが、僕は涙が一滴も出なかった。むしろ終わってくれて嬉しかった。(その後次の年は、全国大会金賞を受賞していた。)気がつけば結局引退までズルズル続けててしまった。
僕は社会に出て何年か経過したが、この部活で学んだ人間力とやらは全く役に立たなかった。会社では、高校の部活より厳しく感じる規律も感じたことがない。こんな部活やめておけばよかったと後悔はある。この後悔があるからこそ、会社で働く原動力になっているところはあるので、そういう意味ではよかったのかもしれない。
ここだけは他人に向けてへの言葉なので、文調を変えます。顧問による暴力というのは、部員の心身を傷つけるものだと思います。ご自身の思い通りにならない行動をされても、そもそも一人の人間である他人に対して、暴力による組織統治を行うのはどうかと思います。勝負の主役は部員であり、顧問ではありません。勝たせてあげたいのば分かりますが、暴力を使わずに言葉で指導して欲しいです。また、きちんと部員達に個人の意思を尊重してあげてください。気持ちが一丸とならないと勝てないとか言う人もいますが、所詮赤の他人の集まりが気持ちを統一することなど不可能です。思考を強要せず、多用的な考えを受け入れてください。会社と同じで、そうしなければ生き残れないと思います。
長文雑文を申し訳ありません。ここまで読んでいただきありがとうございます。ただの高校時代の思い出なので、適当に流してください。
PS.
この日記を多くの方に読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです。正直10ブックマークがせいぜいかなと思っていました。こんなに読まれるのであれば、推敲すべきでした。僕の恥ずかしい記録として、残しておきます。はてぶのコメントもほとんど拝見しています。ポジティブ、ネガティブ両方の意見をいただき、どちらももっともな意見でした。
この日記の趣旨は、はてな匿名ダイヤリーの名の通りパブリックな日記です。その時の自分の気持ちを文字にすることが目的です。ちょっとばかり人に読んでもらいたい気持ちもあります。約10年間、同期同士でも触れるのを避けていた話題で、言語化する機会がなかったので日記という形で残しました。高校の吹奏楽について詳しい人は特定できる内容になっています。最初は高校名を書こうとは思いましたが、なんとなく直接書くのはやめました。
「洗脳」と言う言葉を使いましたが、結局のところ本人の受け取り方により異なります。一方から見た場合はそう見えても、他の人から見たら(この場合は顧問を信じている部員)「洗脳」とは受け取らない場合ももちろんあります。ここでは僕が忘れてしまわないよう、当時に思った気持ちを言葉にしてみました。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。