はてなキーワード: 自力とは
https://anond.hatelabo.jp/20170629095836
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170628-00000031-mai-soci
「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた。」
とのことで事前に言ってたら奄美行けなかったでしょうね
ハンデを抱えて普通に生きていくためには、イカれたルールの隙間を縫って押し通すしかない。行きではルール違反を承知で乗せていながら、帰りにはルール違反だ危険だと静止して、同乗者の協力を拒否して車椅子の人間が自力で這って登るという危険極まる行為を黙って眺めていたゴミカスがいた。そもそもの問題は同行者なり職員なりが協力すれば簡単に乗れるものを「乗れない」というルールにした人間にあるしそれをルールだからと肯定し悪を許容する、障害者を差別しまっとうに生きることを否定せずにはいられないゴミのような人間たちの側にある。
これだけ燃えているのは、「現場で暴れる活動家は嫌われる」ということなのだろうなぁ、という気持ち。
バニラエアに対して訴訟するとか監督官庁に文句言言うとか日弁連に人権救済求めるなど、現場ではなく法人に対して暴れてくれ、というのがありそう。
あれって事前に乗る電車降りる電車となん両目のどこかっていうのを
事前に通知して計画的にそこに行かなきゃいけないし
気分で車両を移動することも出来ない
それもこれも電車とホームの間に車椅子でも平気なノンステップ設備がないからでさ
というわけで、飛行機なんかより電車の方が殆どの障碍者にも身近じゃん?
山手線の通勤時間帯を狙って電車とホームの間に車椅子の車輪引っ掛けて
「俺が自力で電車に乗り込むのを待て」「お前等手助けするなよ!」って叫びながら
10分20分電車止めてやったらどうなんだろう
そうまでしないと問題に気付けない意識の低い人間たちの蒙を啓く壮挙だし
異を唱える奴は最低な差別主義者だし
増田やブクマで議論が盛り上がっているが、ネットでの議論に付きものの「主題の混迷」が起きているように感じるので、今思いつく範囲で出てきている主題をまとめてみる
(→から先は個人の意見でそこを主張したいわけではないことを分かってほしい)
→これを擁護している人は見たことがない。バニラエアも謝罪の上改善すると言っている
2.車イスの人の当日の動きについて
→あれもダメ、これもダメと言われれば、残っている選択肢は自力でタラップを登るか、諦めるしかないと思う。行動に関して問題はないというか、仕方がなかったかと思う
3.事前連絡のなかったことについて(今回の車イスの人がどういった人物かなどをすべて無視し、介助の必要な障害者が事前連絡なしに搭乗しようとしたことについて)
→事前連絡があればスムーズに乗れる(もしくは事前に搭乗拒否される)など、当日ごたごたすることはなかったと思う。しかし急に移動が必要になったり、障害者の手間などを考えると「事前連絡をしておくのが理想」ぐらいか
4.今回の人物について
→
→バリアフリーというのであれば、事前連絡もバリアになる。どんな人でも分け隔てなくスムーズに移動できるべきである
→5.の意見は理想論であり、障害にも種類があり、重さも人によって違う。それによって必要な対応、道具等も出てくるだろうし、それを当日その場で職員などが対応するのは難しいのではないかと思う
手間ではあるが事前連絡をしてもらうのが現時点では妥協案となるのではないか
多分まだあるだろうが、とりあえず思い浮かぶのはこのくらい。先にも書いたように、→の後は個人の意見で、そこを言いたいわけではない
上の1〜6が同時に話に出てきているので、たとえば事前連絡すればよかった(6)という人に対してそれは障害者の人権を侵害している(5)という意見が出て、それが支持されているのではないだろうか
タラップを自力で登ったことが仮に当人にとって過剰なアピールだった(4)としても、今回の場合において搭乗したければそれ以外の選択はなかった(2)ように思える
事前連絡させた上で搭乗拒否する会社からいくらもらってこの記事を書いてるんですかね。
ハフポスト日本版は、バニラエアの担当者に取材した。担当者は「…。関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には、搭乗をお断りしていた」と説明した。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html
新製品開発しつつ、旧製品のケアしてるみたいな部署にいるんだけど、営業からくる質問が整理されてないのがつらい。
→まず取説読んで。っていうか営業するなら製品一回ちゃんと使って。専門知識持てとはいわないけど、ある程度は使えるようになってから聞いて。
・調べればすぐわかることを質問する
→自力で調べれば分かること(他社の製品の値段とか。その会社のHPに出てる。)を聞くのやめて。まず自分で調べて。
・調べることの内容が明確じゃない
→こういうのってできますか?みたいな曖昧な質問。どういう状況かにもよるからまず定義をちゃんと教えて。
・質問の内容が明確じゃない
→客先で聞いたことをうろ覚えで聞いてくる。営業がわかってないから伝言ゲームの途中でズレがおきて、営業に返事しても結局こっちから連絡しないといけなくなる。わからないなら直でこっちに繋いでくれた方が話が早い。電話番号言ってくれれば直電とるよ…。
・質問に期限がない
→明日必要なのか一週間後に必要なのかを知らせてくれない。こっちもこっちの仕事があるし、調べるのにも時間がかかるから基本長めに期限切って欲しい。期限がないとすぐやらないといけないのかな?って思って対応するからいつまでに欲しいかいってくれ。あと無理な期限を設定してくるのもある。どれくらいの期限にしたらいいかわからないならこっちがちょっとやってから期限決めるから、最大待てる日数を教えてくれ。
→その質問をすることでどれぐらいの実績があがるか、その質問のための資料を作ることでどれくらい今後役に立つかを考えてない。開発の手を止めてまで資料をつくるんだから役に立つものならいいけど、一回使ったら終わる(しかもそのおかげでどれくらい実績が上がるのかわからない)質問には答える必要あるの?
ここでは航空会社側についてのみ書く。
車椅子客について書かないのは、法的に間違いを犯したわけではなく、個人の倫理観の問題になるので客観的に意見を述べるのが難しいからだ。
「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた。」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html
関西国際空港での搭乗時、「奄美空港ではタラップを上り下りできない人は乗れない」と説明された。「同行者の手伝いで乗降する」と話して搭乗し、奄美空港では知人が木島さんを車椅子ごと担いで降りた
行きの便の時点で認めたのにもかかわらず、帰りの便でそれを覆したというわけだ。
当然ながら、空港に車椅子客が降りたことは空港側は知っていたはずだ。
5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。
3日の降機時点で空港側がストレッチャーを用意していれば帰りの搭乗はスムーズだった。なぜそれができなかったのだろうか。
ストレッチャーの準備に時間がかかるから? ならば、規則を遵守した場合この車椅子客は奄美に数日閉じ込められることになる。
この状況では、車椅子客は無理矢理でも登場しなければならなかった。
http://i.imgur.com/LaaNeCR.jpg
上記の画像のような空港専用のものではないが楽天でも売っていて、そちらは15万程度。
規則が「安全上の理由」であるなら搭乗時点で断るべきであったし、特例を認めるならば奄美空港側ときちんと合意を得るべきだった。
上に書いたとおり、ストレッチャーは15万という代物だが、車椅子客だけではなく怪我をして歩けなくなった人の搭乗にも利用されるものだ。いくら格安航空会社だからといって、このレベルの設備すらないのは疑問。この過ちは会社側も認めている。
同社は「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた。搭乗を想定した対応をすべきで専用のストレッチャーを導入して改善した。今後も階段昇降機を導入していく」としている。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/28/vanilla-air_n_17315034.html
また、車椅子客が復路でもバニラ・エアを利用することは事前にわかっていたはずなので、トラブルが起きないよう事前対応をすべきだった。
障害者の人を差別せず扱うべく合理的配慮を求める法律があるので、事前申告があってもなくても搭乗拒否はできない。これはもう必須条件。
例えば米国でも「航空機における障がいに対する差別の禁止」という明確な規則があるが米国就航便がないバニラエアには適用されない。つってもほとんどの先進国共通のコンプライアンスである。
だからバニラエアも即対応しているし、これはこれで解決している話。
現在の奄美空港は車椅子の場合「事前の確認事項がございますので予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます」とあり、車椅子の場合連絡が必須ということになっている。
木島氏も「面倒」と言っているが、本来論としては空港のバリアフリー設備を利用するのに事前連絡が求められるべきではなく、いつでも使える状態(Available)でなければいけない。
階段横のスロープやビルの障害者用トイレや駅の車椅子用エレベーターを使用するのに事前申請が必要だったらそれはAvailableではない。
もちろん個別事情があるので100%すべてのバリアフリー設備が24時間365日使用可能でないといけないとか極論をぶつつもりはない。通常フローで申請が必要な状態はおかしいというだけだ。
各航空会社のサイトを見ると、どこも「特別な補助(介助・サポート)が必要な場合は事前に連絡を」と書いてある。
アレルギー持ちの人が特別食を頼むときと同じで、航空会社側に何か配慮を求める場合は連絡が必要ということだ。
バニラエアのサイト https://www.vanilla-air.com/jp/guide/special-assistance にも全体的に「お手伝いをご希望のお客様は」とある。つまりバニラエア側にお手伝いを求める場合の手続きということ。
航空会社側に補助をお願いしたい場合は事前に連絡。これは双方不合理は感じないと思う。
一方、同ページに「インシュリン・エピペン等の自己注射器を使用する場合」とあり、自分で注射をうつ場合は事前連絡は必要とされていない(針なので保安検査時に申告する必要は当然あるが)。
なので車椅子でも特に手伝いを求めていないならガイド的には事前連絡は不要であると読めるし、そうであるべきだろうという信念で木島氏は行動していると推察される。
言うまでもなく車椅子を使っている人にもいろいろな状況の人がいて、自力での移動がまったく不可能な人もいれば電動車椅子の人もいるし自らの腕で移動できる人もいる。
木島氏は自らの腕で移動できる人。 さらに同伴者もいる。それで何十か何百の国を行き来できていた。
木島氏はもともとバニラエアに特別な補助を求めていたわけではなく、一貫して「自分と同行者でなんとかできるから普通に乗せてくれ」という主張をしている。
もし木島氏が「事前連絡なしでも空港職員は私を手厚くサポートすべきだ」と主張していたら「そらおかしいやろ」と思ったろうが、特別扱いしないでくれと言っている。
例えば目が悪い人にも矯正器具で自力歩行可能な人もいれば付き添いが必要なレベルの人もいるが、仮に「視力が悪い人は全員事前連絡が必要」となったらおかしい。
サポートを求める人には適切にサポートする、自力で対応可能な人には自力でがんばってもらう、それが正しい受容のありかたかと思う。
前段の繰り返しになるが、木島氏は車椅子ではあるが総合的には動けるほうの人だ。
ラグビーをやっていたとかで腕っ節も強そうだし、どこの国にでも出かけていく度胸もあるし財力もある。
自分が理不尽と思ったことと戦う覚悟もあるし、自分の論を強く主張する知恵もある。
こういう人間は普通「弱者」とは呼ばれず「強者」の範疇に入れられると思う。
ノブレスオブリージュなどと言うつもりはないが、バリアフリー研究所所長という肩書きで講演等している人間が障害者全体の代表のような面をして矢面に立つわけだから言動には注意する必要がある。
人格者たれというよりもリスクコントロールの範疇だ。自分の希望する方向に世の中を動かしたいならツッコミどころを作ってはいけない。
子どもでも障害者でも適切な同伴者のサポートは(場合によっては盲導犬等も)「自力」の範疇に含まれるが?
http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/post_15315_b_17326010.html
まず、木島さんが事前連絡をしていた場合、どうなっていたのか。バニラ・エアは適切な対応を取り、木島さんは滞りなく搭乗することができていたのだろうか。答えは、NOである。毎日新聞の取材に、バニラ・エアは「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた」と回答している。何のことはない。事前連絡をしたところで、結局は乗れないのだ。
実際にバニラ・エアは木島さんとのトラブルから二週間以内にストレッチャーを導入していることを考えれば、予算的にも、手続き的にも、そう準備に負担がかかるものではないことが窺える。つまり、バニラ・エアは合理的配慮の範囲内であるストレッチャーさえ用意していなかったのだ。これは、明らかに障害者差別解消法に反する状況だったと言える。
ストレッチャー買えば問題は解決する。安いんだから。って、職員への訓練とかは?
障碍者に優しい世界ってのは良い事だし、目指すべきだけど、法律あるならちゃんとしたルートじゃ駄目なの?人権派弁護士使って企業に文句付けるの方が、今回よりイメージ悪くならない気が。
あと、乙武コメント出た瞬間に元気出る知識人がキモい。俺は知ってたみたいな態度だけど。乙武さんの言ってるレベルは障碍者じゃなくても分かる内容だろ。ビビッて言えなかっただけでしょ、特に橋本徹!
あれから数日。
月曜日の昼にはもう将棋盤が届いたので、以来毎日娘に将棋を教えている。
子供に何かを教えるのはとても大変だというのを痛感する日々だった。日常の習慣や家事などを教えたりしつけをするのも結構難しいが、なんとかかんとか教えて来れたけれど、こういうゲーム的なものを教えるのはどうしてこんなに……こんなに……。
トランプのババ抜きを教えた時もかなり四苦八苦したが将棋はこれの比じゃない。
親が子供に教えようとする事がそもそも間違いなんじゃないかという気もして来た。
ママ友達が言うには、何であれ親が頑張って教えようとすると熱くなりすぎて子供を潰してしまうだけだから、自力で教えるのは諦めて高い授業料払ってプロの講師にお任せするに限る、と。
私の周りでは簡単な読み書きや四則演算も自分で子供には教えない人が大多数。皆、やってて良かった公文式。
なんだか無理ゲーに果敢に挑戦してやっぱり大失敗しようとしているような気がして来た。
なお、うちの娘は既に読み書きが出来るが、これは私が教えたというよりワークブックを買い与えたら娘が自分でやっていつの間にかおぼえてしまった感じ(同じワークを何度か買ってあげた)。幼稚園女子の間でお手紙ブームが起こっていたので、その時流れに上手いこと乗っかっていた。
将棋も、子供向け入門書が自力で読める位の年齢、小学校中~高学年になるまで待てば良かったかもしれない。興味があれば自発的に覚えたんじゃないだろうか。
ともあれ、もう娘はやる気満々で、そう簡単にこちらから手を引く事は出来ない感じになってきた。幼稚園にお迎えに行けば第一声が
で、
と私は項垂れつつ応える。
(つづく、かもしれない)
車いすで飛行機に何度か乗ってますがその時のことを書こうと思います。
・予約時
自分の場合は自力で車いすを乗り降りできないし、機内で必要なものもあるので事前連絡はします。
JALとか大手だと登録しておけば二回目からは大体伝わっているので交渉は楽ですが、初めての航空会社だとけっこう手間です。
・受付時間
受付時間が出発時刻の1時間前なのと、そもそも空港に行くのに人より時間がかかるのでかなり早めに出ないといけないのがちょっと大変です。
積み込みの関係でチェックイン時に乗り替えられる人は乗り替えた方がいいんでしょうが、自分の車いすじゃないと安定して座っていられないので直前まで自分の車いすに乗っています。
ただ、機内に入る時は機内の通路を通れる専用の車いすに乗り替えないといけません。
乗り替えるときは職員の方だと自分の体を扱うのに慣れていないため(当然ですが)、同乗者主導でやってサポートしてもらう感じです。
・乗車時
乗るのに時間がかかるので一番最初に乗せてもらいます。同じ優先順の人がいたら先に行ってもらいます。
機内用車いすは体幹の効かない自分にとっては恐ろしく不安定な乗り物なので、なるべく直前まで自分の車いすで移動させてもらいます。
ボーディングブリッジの場合は飛行機の入口まで行けるのですが、タラップだと特殊なタラップ車に乗らないといけないので早めの乗り替えでちょっと大変です。
特殊なタラップ車だとバスの車体ごと高さが変わる感じなので階段昇降機がなくても入口まで行けるので便利です。
普通のタラップに階段昇降機が付いていても自分だと乗るのも大変だし多分まともに座ってられないのでなるべくなら乗りたくないところです。
階段昇降機すらない場合は自分ならそこに行くのを諦めるレベルですね。
職員の方が乗せてくれるといっても慣れない人が自分の体を扱うのは危ない事が多いので怖いです。
正直そういう場合は信頼できる同行者がいるならその人にお願いするのが一番楽で安心なのは事実かなと思います。
・機内
機内用車いすは機内に入る時にタイヤとアームレストをはずして補助輪だけにするのですが、これは自分にはかなり怖いです。
ちょっと傾いてバランスを崩すと体が横に倒れてそのまま落車してしまいますが、職員の方は割と豪快に動かすことが多いのでいつもヒヤヒヤします。
座席への移動も手伝ってもらいますが、女性の職員さんはやはり非力な方が多いので、男性が一人でもいるとかなりスムーズにできます。
・降車時
怖いのは乗るときと一緒です。
・階段昇降機のない奄美空港に飛行機を飛ばすのにその対応をしていなかった点はバニラに責任があると思います。
・事前連絡しなかった点は、そもそも飛行機なんかのインフラに関する事前連絡は当日にスムーズに事を進めるのに必要なものだと思っているので、事前連絡をしなかったがために飛行機に乗れないということはあってはいけないことだと思います。
急に必要になることもあるわけですし、ニュースの人は比較的に自立度の高い車いすユーザーのようですしそこまで特殊なパターンとは言えないと思います。
・当日の対応はいずれにしても何らかの方法で乗るかしかなかったわけで、なんとかなったなら今回はそれで仕方ないと思います。今後は対応するみたいですし。
正直言って同じ乗せるなら同乗者がやるのが一番手軽だっただろうとは思いますが、自力で上がったって事実がセンセーショナルに扱われ過ぎて議論があらぬ方に言っているなと言う感じがします。
やっぱりあれだ、生きづらい。
小学4年のときクラスの女子からいじめられて、机に「死ぬ」「死なない」なんてあみだくじを作ったことがある。中学2年のとき友人と口論をして、教室の窓から身を乗り出し、飛び降りようとしたことがある。
でも、どちらも本気じゃなかった。その考えはすぐに放棄できた。生きたかったし、死ぬのは怖かった。
それに比べ、ここ3年くらいの死にたさはやっぱり異常だ。
ほぼ毎日死ぬことを考えている。以前は何年かおきに一度「ふと頭によぎる」程度であったのに。
それに、とても具体的に考える。未遂だって何度もしている。いつ実行してもおかしくはない。
死のうとしていなかったときの私を思い出す。通学や入浴や起床などに対し、やらないと…なんて葛藤とともに行っていたことなどない。ごく当たり前に当たり前のことができていた。生きること自体には、困難なことなど皆無だった。
最近、以前に増して「やばい」と思うのは、無気力に死のうとしていることだ。
あまり深く考えていない。死にたくて、もがき苦しむエネルギーもない。生きたくない。もう十分だ。死んでもいいかな…。
通院が苦手だ。
中学3年の時にホルモン系の持病が発覚した。原因はストレスらしい。幸いにも生活で困ることはそれほど多くない。寝るときの呼吸が浅くて、パートナーとの会話のネタになる程度だ。
実家にいたときは、親が病院の予約をしてくれた。当日、私は車に乗りさえすれば、通院は完了していた。まったく苦ではなかった。
しかし、大学入学を機に一人暮らしを始めて2年、発病時よりも数値が荒れた。それまで3か月に一度通っていた病院に、2年もの間全く訪問しなかったのだから当たり前だ。
実際、当時はとても生きづらかった。必死に死のうとしていた。何度も自殺未遂や自傷を行って周囲に迷惑をかけていた。結果、一人暮らしは不可能と判断された。
病院の近所に引っ越して3年が経った。指示された時期よりも訪問が遅くなることはしばしばあった。しかし、通院は続けられていた。
なにより、相性のいい主治医と出会えた。数年かけて、先生とは近況報告をするほど距離が縮まった。
精神面はある程度回復した。自殺未遂も自傷も止めた。社会復帰もした。以前よりはうまく自己を調整できるようになった。
ところが先日、病院の予約をしようと思ったら主治医の名前がない。ホームページには彼女が退職したとのお知らせが掲載されていた。
ここ半年、就活などでバタバタしていた。指定された通院時期の2倍近くも遅れて予約をとろうとしたのだから、主治医は悪くない。適切な時期に訪問していれば、次の医師に引き継いでもらうこともできただろう。
そもそももう7,8年も通院して、未だ同じ薬を服薬し続けている。一回の診療に一万円弱の出費がかさむ。
次の予約時に指定できる数人の医師のことを私は一切知らない。また一から主治医との関係を築くことから始めなければならない。
発病時、一生ものの病とは聞いていた。しかし、もう闘う気力がない。
持病についても深刻だが、心のほうも深刻だ。
一人暮らしをしていたとき、自力で精神科に通っていたことがほんの数か月間だけある。
当時は今にも増して酷い状態だった。自殺未遂や自傷もそうだが、睡眠や食事にまで弊害がでてきた。あまりにも生きづらいので助けられたかった。一度受診してみれば生きづらさは劇的に回復するイメージがあった。
お分かりの通り結果は悲惨だった。
精神科は複数回通うことが必須だ。一度の通院で、病名の診断と、的確な投薬が可能なわけがない。薬には調整が必要である。それに、じっくりと対話を重ねて、医師に己を伝えなければならない。
しかし、私は通院を止めた。薬が合わなかったから。医師が合わなかったから。お金がなかったから。面倒だったから。予約を忘れてしまうから。劇的に生活は変わらなかったから。
当時は、強制的に何もしなくていい時期を作ってひとまず危機を脱した。
もう少し楽に生きられるようになりたい。それだけだ。
何も今更すごい成果をあげたいとか、そのためにすごい人になりたいとか、そんな贅沢は言わない。
ただ、学校や部活や習い事や遊びに、なんの躓きもなく、最低「行くこと」くらいはできていた私に戻りたい。
生きたいと思いたい。楽しいことをしたいと思いたい。死にたいと思いたくない。
まず木島英登さんのサイトを見てみよう。これは過去にあったANAでのトラブルの話である。
http://www.kijikiji.com/self/ana.htm
私が乗りこむ番が来た。
係員は助けるというが、最初に「乗せない」と言われているので、助けなんていらない。
それに、私は一人で乗ると言った。実行してやる。
また、助けるといっても、おんぶして担ぐと予想され、おんぶされる経験豊富な私は
その人が、おんぶで担ぐのは無理で、途中で崩れ落ちたりするだろうとも予想された。
おんぶの場合、途中で崩れ落ちる予想があるから嫌と言っている。
階段に乗り移り、一段ずつお尻を上げて、足を乗せて、登っていく。
過去にも自らの意思で階段を這い上がって上るのはおこなっている。
これらの経緯もあって、余計なトラブルを避けるため、車椅子であることを告げない。
規定を超えた大きな車椅子や電動車椅子がある場合は、航空会社に伝えるべきだと思うが、
どの航空会社でも事前連絡をして欲しいというアナウンスに対しては、要望はアイルチェアーのみであり、過去に伝えたら拒否されたことがあり、現場レベルでの対応は要らないと思っている為、事前連絡はしていない。
伊丹~羽田間は問題ないから、他の便でも同じように利用できる筈だろうということだろう。
この記事で分かる事は、いずれも問題が起きているのは『ボーディングブリッジ』を利用しないケースである。
※伊丹~羽田間はまずボーディングブリッジ使用なので利用できているかと思われる
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/12/120303/05.pdf
http://www.mlit.go.jp/common/001091414.pdf
伊丹~羽田間のPBB利用率はほぼ100%(平成19年10~12月、平成27年1~3月)
http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm
同行者が5人いるので「同行者の手伝いのもと乗降する」というので説得して搭乗しました。
同行者に手伝ってもらって乗降するといって了解を得る。
本来であれば、この時点でバニラエア側はこの行為を止めていなければならなかったと思う。
この行為を認めてしまったため、同様の事を奄美空港でやって、奄美空港では止められた。
空港用意のにするのは、移動により万が一車椅子が破損した場合にその対応処理を楽にする目的もある。
設備はないのはわかっているので、同行者に階段を担いでもらうのには自分の車いすが簡単。
できるなら自分のを使いたいと返答。すると15分ぐらい待たされて、ようやく回答が。
「同行者のお手伝いのもと、階段昇降をできるなら」という条件で、ようやく搭乗が認められる。
ここが今回の件における、一番の問題だと思う。
本人が乗った状態で同行者が車椅子を担ぎ上げるのは違反と告げられている。
それでいて「同行者のお手伝いのもと」で許可を貰ったのに、再び違反と告げられた方法で搭乗しようとしている。
ここで許可された「同行者のお手伝いのもと」というのは肩を貸すとかであり、禁止といわれた『本人が乗った状態で同行者が車椅子を担ぎ上げる』ではない。
木島さんは確信犯とも言えるようなことをしているように見える。
一段一段、階段を這い上がったのは空港側、航空会社側の指示ではなく自ら選んだ方法である。
駄目と指摘受けても無視してのぼっている。
同行者は私の足首をもってお手伝い。途中でキャビン・アテンダントが手伝うと駆け下りてきた。
バニラエア側は何もしていないかというとそうでもなく、CAが手伝おうとしていたり、機内に専用の車椅子を用意している。
ブコメなどで、「事前連絡なんてする必要ないだろ!」と言っている人達が多く見かける。
なぜ「事前連絡」が必要かといえば、それは車椅子利用者が安全に利用できるように準備するからである。
http://www.cilmsa.com/cilmsa/advocacy/advocacy_barrier_lcc.html
・肘掛けが上がらない席があり、そこにあてがわない為
JALやANAなどレガシーなら人材に余裕がありサポート要員も容易に確保は出来る。
しかしLCCといった格安航空会社では人材はギリギリで設定しており、容易に確保が出来ない。
バニラエアの件はバニラエア側の気持ちも車イスで乗ろうとした木島さん側の気持ちも分かるというかどっちが悪いという話じゃないんじゃないかなと思う。
とりあえず朝日新聞の見出しの自力で登らせたというのはまず言い方がおかしい。
安かろう悪かろうだから障害者はLCCに乗るなというのもおかしい。
航空会社側が事前に連絡してほしいというのはそうなんだけど、事前に連絡できない時もあるし障害者が健常者と同じように飛び込みで車イスの人が乗りたい時に乗れるようにするべきだという主張があって今回の行動したんだろうなと思う。これが最善かどうかは分からないけど。
バニラエア側も規則があって手伝えなかったんだろう。もし規則違反であることを認識して手伝って事故でも起こしたら誰が責任をとるのかということを考えたら、手伝え!規則規則おかしいだろ!という人たちこそおかしいと思う。
LCCが障害者も乗れるようにする設備のために運賃が上がったとしてもそれは仕方ないじゃん。障害者が普通には乗れないから運賃が安くて競争に勝てるっていうのはブラック企業が違法残業させて人件費安く抑えてるから競争に勝てるっていうのと同じようなもんだと思うよ。
http://www.asahi.com/articles/ASK6H4HCWK6HPPTB004.html?iref=comtop_8_01
半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。
木島さんは関空の搭乗カウンターでタラップの写真を見せられ、「歩けない人は乗れない」と言われた。木島さんは「同行者の手助けで上り下りする」と伝え、奄美では同行者が車いすの木島さんを担いで、タラップを下りた。
同5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。その後、「同行者の手伝いのもと、自力で階段昇降をできるなら搭乗できる」と説明された。
同行者が往路と同様に車いすごと担ごうとしたが、空港職員が制止。木島さんは車いすを降り、階段を背にして17段のタラップの一番下の段に座り、腕の力を使って一段ずつずり上がった。空港職員が「それもだめです」と言ったが、3~4分かけて上り切ったという。
増田B「いや!規則は規則!ちゃんと新しい規則が出来るまで我々はそれに従うべき!」
でも、そんな沢山あるケースじゃないんだからさ、手伝えばいいと思うけどね。
今日、応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。
できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。
けど、送れた。緊張した。
沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。
けど、それでいいと思う。
それでいい、という事にしたい。
私は、その声優さんに関してはライトなファンでいたいと考えているからだ。
私がその声優さんのファンになってから、まだ1年も経っていない。
中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。
ジャンルはぼかすが、お笑い・舞台・アイドル・バンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。
元々高校生の頃からそのジャンルのファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。
Aの規模は決して大きくない。
「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。
aさんと出会うまでは同じジャンルでももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。
距離の近さだ。
小さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。
Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。
そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手に自分を覚えてもらえる。
自分の存在が相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。
当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。
私は、チケットを取るのが上手かった。
なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。
座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。
そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというものが存在する。
決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。
Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。
本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。
どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである。
そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。
いじわるをされたりしないだろうか。
遮るもののない視界。
手を伸ばせば届きそうな距離。
やっべちょうたのしい。
こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。
それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。
公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。
地方の公演にも行くようになった。
出待ちも毎回するようになった。
そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。
そうなるともうやめられない。
結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。
どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。
1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトのシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。
キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、
地方公演に行った後空港で徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物で大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。
しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格の勉強をする道を選ぶことになる。
名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏で大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。
何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。
よく働いた。そして給料は全てaさんのために。
2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。
なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。
aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。
さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。
理由は色々ある。
誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。
それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。
中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。
それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌いな性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。
むしろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。
テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。
手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)
余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。
今でも実家を掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。
私が100枚買ってもチケットが完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。
おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。
まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。
その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。
「詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。
話を戻す。
私はaさんから、他のaさんファンと比較して1番良い扱いを受けていたと思う。
「相対的に見てまとも」
「他のファンと揉めない」
「毎回来てくれる」
「チケットを沢山買ってくれる」
これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。
当時の私も、その事は理解していた。
やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたからである。
私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。
チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。
差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者達からの評価も下げないように気をつけた。
出待ちで自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。
全部、最初は打算なくやっていたこと。
たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。
たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。
私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。
でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。
それでも、自分が特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。
けれど、
例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。
例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。
例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。
_______辛かった。苦しかった。しんどかった。
Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。
違うか。
私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。
(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からのファンが離れていったから)
自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。
幸いにも、5年間の間にAの他の演者のファンで、私と同じようなスタンスで応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたから孤独ではなかった。
これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。
1人でないことがどれだけ心強かったことか!
けれど、aさんはAで一番人気で一番ファンに問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。
事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果
「みんなはいいよね、私なんか……」
と思う事も一度や二度ではなかった。
その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。
元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。
そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……
「舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」
そう思って走り始めたはずだった。
それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。
けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。
道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。
手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。
同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。
そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。
他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所を理不尽に横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。
普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。
まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。
徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。
完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。
そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。
どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。
特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。
たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。
「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」
と言ったことがある。
しかし、そんなつもりはないと返ってきた。
それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。
最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。
そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。
こうして、私とaさんの5年間は終わった。
随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。
去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。
その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。
なのだが、そのアニメがきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんのキャラに惹かれることが多いことに気付いた。
あまりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものだから、その人の他の出演作を見てみたくなった。
その人本人にも興味が出た。
そんな感じでなんとなくその声優さんを気にかけるようになって、やがて
と思うようになる。
出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、
ついに自分がその声優さんのファンだと認めざるを得なくなった。
(そう、なんとここまで全て前置きなのである)
けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。
aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。
嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。
更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合、時間も費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。
300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。
イベントのチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。
リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。
この先その声優さんのファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。
理解しているのだが。
では、どうやってファンをしたらいいのだろう。
ファンであると自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。
元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである。
正直悩んだ。
イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。
間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。
けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。
悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。
「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」
というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。
その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、
どの程度必死なファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないか、ファンサービスをされているか……など。
つまりは、
「あっ、今あの人わかりやすくファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」
Aを見に行っていた当時は、
見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……
と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。
観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。
aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンがいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである。
そして、観察対象と自分を比較して不安になったり安心したりするのが常であった。
その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。
その声優さんのファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。
けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手に自分を卑下して、勝手に傷ついてしまう。
「好き」という感情を他人と比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。
またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。
こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。
けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんのファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。
そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。
なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。
先日、同じ声優さんのファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。
私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。
私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。
もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。
最近は二回連続イベントで最前列を取ることができたし(これは指定席や抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケットも普通に取れた。
うちの長女(5歳 幼稚園年長)が「将棋を好きになっちゃったー!」とのたまっている。数日前に児童館で中学生にちょっと教えてもらったのがきっかけだ。
横で対局の様子を見ていたが、長女に将棋はまだ早い様だった。
小さい子供は基本的に相手の身になって考えるとか相手の思考を先読みするという事が出来ず、それが出来る様になって来るのは5歳くらいかららしいんだけれど、長女はまだその域に達していないっぽい。
自分が指せば相手も反撃してくる、という事がわからないので、自分の歩と相手の歩が対峙してても取ろうとしない。
そんな感じなので、指せる大人がみていると滅茶苦茶もどかしいことこの上ない状態なのだが、相手をしてくれた中学生が辛抱強くて優しい子だったので、怒ったり急かしたりしないもんだから、長女はなんか楽しかったみたいだ。
長女はすっかり将棋に魅了されており、昨日テレビに藤井聡太君の特番のCMが映る度にはしゃいでいた。
実は私も長女と同じ年頃に父から将棋を教わったのだが、その頃の私には早すぎだったし、父も、私に将棋をやって欲しいとは思っておらず、ただ私の弟に将棋を覚えて欲しくて私をサンドバッグ役に仕立て上げただけだった。
当然だが私は将棋が大嫌いになった。
いくら本人が興味を持ったとしても、与えるのが早すぎれば簡単に挫折するし、教える大人の気質や思惑によっては子供に大層な悪影響を与える、というのを私は身をもってしっている。
長女の将棋への興味には、今は知らんぷりしておいた方が良いのだろうか?
でも、折角だから子の好きなものは伸ばしてやりたい、好きなだけやらせてあげたいという気持ちもある。
だが私自身が長女を潰す原因になるのが怖い。私が直接手を下さずとも、私が長女を将棋教室などに行かせたせいで将棋を嫌いになったら?と考えてしまう。
じっさい、習い事なんて一部の天才の為にあるようなものでありあとの生徒はただの授業料搾取要員だ。よほど何か閃く物を持っていなければマトモに扱われないものである。
……と考えて、長女に将棋を教えるのをやめる、というのも長女を潰す事になるのでは、なんてぐるぐると悩んでしまった。
ちなみに、私は将棋のやら何やらで色々と父から口出しされるのが嫌になったので、大人になってから父が何故か絶対手を出さない囲碁を、自力で覚えて楽しんでいる。たぶん一生涯の趣味になる事だろう。
【追記】
https://anond.hatelabo.jp/20170624075344
「頭の悪いボンクラ」なんてひどい!と思ったけど、まあそう言われてみればそうだし、役に立つかどうかや得るものがあるかどうかというよりも、やりたいかどうか、好きかどうかが大切だろうね。
やりたいっていうんだからやらせてみればいいか、と思って取り敢えず娘を図書館に連れて行った。娘は子供向け入門書を自分で選んでニコニコしていた。
私用にも少し詳しい目の本を借りた。あとスマホにアプリもインストールしてみた。将棋盤と駒のセットも買う。
入門書をパラパラ見てみたが、詰ませ方とか守り方の図を見て、こんな複雑な事を父がやってるの見たことないな、と驚いた。ただ駒をぶつけあって飛車角をぶんぶん動かし玉を逃げまどわせるだけが私の知っている将棋だったが。
入門書を読むだけで父への逆襲が果たせそうだ。
あと詰将棋おもしろいwwwwww囲碁で頭が疲れた時に気分転換にやろう。
ずっと毛嫌いして避けていたけれど、気が少し軽くなった。