はてなキーワード: 科学リテラシーとは
水素水みたいな疑似科学。これまでもあったしこれからもあるだろう。
こういうのは科学的根拠がない、と啓発することも科学者の役割だろう。「科学リテラシーの涵養」ってやつだ。
おい科学者よ。研究ばっかやってんじゃねーぞ。その成果を説得的に人々に示せないと意味ないだろ。
水素水信じてるなんて、頭痛の時に額に梅干し漬けるくらいのあれだぞ。全然世の中科学の世じゃねーじゃねーか。どうなってんだ。
モノばっかり進歩して人間の認識がまだまだうんこのままじゃねーか。
というかこういう疑似科学への心構え的なものは人文科学の範疇なんだろうか。
社会学とかの範疇? 「カルト」に捉われるシチュエーションなんかは大学の授業で習ったけど、疑似科学もそういう分野に近い気がする。
ゴメン、俺は江戸しぐさは正直どうでもいい派です。
科学って、以前はトンデモ認定されてたものが後になって肯定される例はいくらでもあるわけよ。
だから、ある程度科学リテラシーがある人は「~という可能性が高いです」とか「ほぼ~です」とか、「断定を避ける」わけ。
なので「トンデモ扱い」してしまう事でインチキと断定されちゃう事に非常に違和感がある。
イエス・ノーではなく、アグリー・ノットアグリーなはずなのよ。と学会の活動は前者に近く見える。
ただ、これは俺が個人的に思ってるだけで、と学会側は抜け目なくそれに対して色々と予防線を張っているから、ここにコアなと学会擁護者が出てきたら、俺は上記の事を言い争ったら多分負ける。実質はどうであれ論議には負ける。
そういうところ含めて嫌い。
「匂い」を硫黄と呼ぶようになったって、どこにソースがあるんだ。
『和名抄』には「硫黄」に「ユノアワ」の訓があることから、「ユアワ(湯泡)」が転じて「ユワウ」となり、「イオウ」になったといわれる。「硫」は「石」と「流」の略体からなる字で、火山の噴火物が流れて生じる鉱物を表し、漢音では「リュウ」、呉音では「ル」と発音する。これを日本化して「ユ」と発音し、「黄」の呉音「オウ」から「ユワウ」となり、「イオウ」になったとする説もある。(語源由来辞典)
どこに「におい」なんて書いてあるんだ。ちょっと考えれば分かりそうなものだ。
「これは硫化水素の匂いですね」とメディアが繰り返し正しく伝えた方が国民の科学リテラシーが上がる。それだけの話。当たり前の話。
科学に真摯であればあるほど、STAP細胞は存在しないとは言い切れないし、小保方が悪意を持って捏造を行ったとも言い切れない。だから理研の会見はあんな煮え切れないことになったんだよ。
対して小保方のとった戦略は、理研を納得させることじゃなくて、広く一般大衆の情緒に訴えかけるということ。だから「200回作成した」とか「STAP細胞は絶対にあります」とか言い切れる。それで科学リテラシーのない大多数の人間は、「30ちょっとの若手研究者(しかも女)が職を賭してSTAP細胞の存在を訴えるなんて、やはりSTAP細胞はあるんだな」と考える。彼らは小保方の行った捏造が一体何なのか、それがどういう理由で行われて、論文の論旨にどういう影響を及ぼしたのか、科学コミュニティにおける捏造とは何か、とかそういうことに興味はないし、理解しようともしない。だからこれから先論文取り下げ、小保方が理研から免職になったとしても、今小保方を信じてる人間の大多数は小保方を信じ続けるよ。
ゆとり教育世代(1984年(昭和59年、現29歳)生まれ~2004年3月(平成16年、現10歳)生まれ)
★ゆとり教育世代=史上最高の高学歴世代。大学進学率過去最高、難関大卒者過去最多、大学院進率過去最高、
高等教育修了率過去最高、高校進学率過去最高、高校中退率過去最低。
★ゆとり世代が受けている大学教育は戦後最高水準に高度。20年前と比較して講義出席率も圧倒的に上。
★塾・予備校通学率はゆとり世代(過去最高)>氷河期世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代の順。
★数学五輪歴代最高の2位、化学五輪歴代最高の4位、情報五輪歴代最高の6位。ゆとり世代が科学五輪の記録を塗り替える。
★大学生の内向き傾向は嘘。90年の留学者数は2万人、06年の留学者数は7万人。
★センター英語の難易度は過去最難(センター英語に登場する単語数93年2500語、09年5000語)
★TOEICの得点率は過去最高(私大バブル時の早稲田と比較して09年の広大のが上)
★PISAのテスト(国際学力テスト)でゆとり教育歴9年のサラブレット96年生まれが読解力科学リテラシーでOECD1位をたたき出す。
★成人の国際学力調査(PIAAC)によって氷河期世代>ゆとり世代>バブル世代>新人類世代>団塊世代という学力序列が証明される。
http://www.sankeibiz.jp/express/photos/131009/exc1310091059001-p3.htm
★ITIMSSの国際学力テストでは数学と理科でゆとり教育以降で学力の向上が証明されている。
◆ゆとり教育で「円周率は3」の話はウソ http://www.msng.info/archives/2007/03/3.php
◆ゆとり教育で「台形の面積を教えない」もウソだった http://www.msng.info/archives/2007/03/post_444.php
▲そもそもゆとり教育世代でも、私学や塾・予備校通いは指導要領の削減の影響など受けていない。
▲指導要領の簡易化自体は1980年から段階的に始まっていて、今の40代以下も上の世代と比較して400コマ減らされた指導要領だった。
下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/02/26/200540
ちきりんさんの科学教育論をめぐる議論がすれ違ってる気がする - 雪見、月見、花見。
http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2014/02/27/000005
結論から書くが、上記の一連の記事は、議論ではない。科学の素人であるちきりん氏が、ネット上で科学教育について「素人考え」を述べた。これに対し、科学の心得のある人物が、「それは間違いですから信じてはなりませんよ」とネット上の大勢に向けて注意を促した。それだけのことである、というのが私の結論である。
ことの発端はちきりん氏が、氏の考える理想的な科学教育について記事を書いたことである。それがなかなか残念な内容であったことから、この記事に対する反論のような記事がいくつか提示されてきた。これらの記事には、相互に「共通する考え」と「異なる考え」の部分が存在する。
「共通する考え」とは、「社会のより多くの人が、科学リテラシーや科学的考え方を持つようになるのは良いことである」というものである。「画一的な教育ではなく、科学に適性を持つものにはより高度な教育を施し、人材を育成するのは良いことである」というのも恐らく共通している。この共通の考えについては、多くの人が同意できるものかと思う。
一方、「異なる考え」とは、上記の「良いこと」を達成するための方法の部分である。特に、科学がそれほど得意でないと考えている子供に、「何をどのように教えれば科学リテラシーが身につくのか」ということ。これは幅広いコンセンサスを得るのが難しいところだと思う。子供には個性があり、教育資源は有限である。どのような教育が最大限の成果をあげられるのかは、専門家の間でも意見が分かれるかもしれない。
”「あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄!」 ”
” 私に必要だったのは小学校レベルの理科だけであって、中学・高校で、化学、物理、生物、地学などを学ぶ必要は全くなかった ”
と、御自身で仰るほどに、科学には縁遠い人物である。科学に関しては全くの門外漢、ずぶの素人であるといえる。また、教育に関しても(よく知らないが)専門家というわけでもないだろう。そうした人物が提示する「科学教育論」の具体論に、果たして検討に値するものがあるだろうか。
ちきりん氏は、「何をどのように教えれば科学リテラシーが身につくのか」について、かなり具体的な内容を記述している。例えば、「台形の面積を求める公式」など、ググればわかるものについては教える必要は無い、リトマス紙も無駄である。それよりも、「リボ払いを選んだ場合の利子の額」や、「副作用のあるワクチンを接種すべきかどうか」などの「生活に役立つ」知識を教えてほしい、としている。しかし一方では、>>科学的な思考とは何か、ということはしっかりと教えた方がいい<<ということも強調しており、多少の科学リテラシーを持つ者から見れば、全体としては破綻した内容に見えてしまう。
このように破綻して、あるいはお粗末に見えるのはなぜかと言うと、それはちきりん氏が科学に関して「素人同然」であるからに他ならない。
科学リテラシーを現に持っている人物は、それを自分がどのように身につけたのか、また他者がどのように身につけるのかについて、いくらか知っている部分があるが、持たない人物はそれを実感として知ることはできない。このように教えられたら身についたかもしれない、という空想しか語りようがないのである。
ちきりん氏の記事が全くの無意味というわけではない。氏の記事は、「科学リテラシーを身につけることの出来なかった人物はこのように考えているのだな」という一例を知ることができる、貴重な機会であるといえる。
だが、ちきりん氏の記事を「有害」だと考える人も存在する。それはちきりん氏が比較的大きな影響力を持つブロガーだからである。日本は民主主義国家なので、自分の考えとは異なる「間違った考え」を持つ人が増えてしまっては困るのである。科学に明るい者からすれば、ちきりん氏の科学教育に関する具体論が「間違っている」ことは明白なのだが、ちきりん氏の言うような「7割」の人たちが氏の考えを無批判に(あるいは自分で考えたうえでなお)受け入れてしまうと、困ったことになるわけである。中高生が「ちきりんが言ってたから俺もう理科とか数学の勉強しない」と言い出してしまうと親御さんは困るでしょう。
そういうわけで、科学リテラシーのある人物は、半ば義務感にかられながら「ちきりん氏の科学教育論」の間違いを指摘することになるのである。これは議論ではなく、単なる「間違いの指摘」であり、その記事の向けられた相手はちきりん氏ではなく、その他大勢なのである。
鉄道史研究家の原田勝正氏によれば、維新政府の新橋横浜間鉄道開設の目的は、経済的実用性でも軍事的実用性でもなく、
1.「日本は鉄道を走らせる国力があるんだぞ」と列強にアピールして、不平等条約の改訂に繋げたい、
2.国内保守派に陸蒸気を見せ付けて、科学技術の凄さを肌感覚で判らせたかった。
なので、「とにかく陸蒸気が走りさえずれば」、乗客ガラガラでも、経済的にペイしなくても、
目的の大半は達せられる、ということになる。
走りさえずればよかったから、国際標準軌じゃなく狭軌で良かった、となる。
「2位じゃダメなんですか?」と問いかけるのは、維新政府に「馬車鉄道じゃダメなんですか?」と問うようなものだったんだろう。
アメリカのアポロ計画なんかは、まさに「国力、科学力の壮大な可視化」。
科学がよく判らない人でも、「月に人類が行った」と聞けば、「何かワカランけど、兎に角スゴイ」となる。
「総合的な科学技術力を一般人に可視化させる装置が不足」しているのでは?
個人が科学力を見て回るには、大学研究室を巡回したり、つくばを巡回したり、ビッグサイトを巡回したり、
手間ヒマかかるし、そもそも科学リテラシーが不可欠となる。
分野にもよるし、書き手にもよる。
東大の学部最優秀の論文とかだと、そこそこに意味があったりするし、
早慶とかでも、たまに学部生の卒論に手を加えたものが出版されたりすることはある。
まあ、でも大半の学部生が、卒論の単位が必要で書いた論文とかは、まあ、なんだ…あれだよ、
ぶっちゃけ「ああ、論文ってこういうものなんだな」ということを学んでいただくプロセスだというのが正直なとこだろーな。
日本の科学リテラシーを高めるという意味では、非常に有意義だと思うよ。
「有意差」とか「相関」とか「因果」とか「妥当」とかって言葉の意味が多少でもわかってくれる人間が
日本に1人でも増えたら、それはけっこういいことだと思うけどね。おれは。
科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学が跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた
現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端の科学だから間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。
つまりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識であると標榜することだとひとまず僕は理解している。
「科学的」であればすべて正しいと考えてしまう市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。
後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています。
科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科の教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日の科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。
ただ問題なのは、「科学だから正しい」になってしまうことだ。つまりいつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味で科学への信頼の表れでもあるのだが。
実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校の理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である。
しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通の理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実は事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育の宿命かもしれない。
科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討と実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用、反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。
この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるものの認識、に近い。
こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学の高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学的事実は科学的事実として生まれる、みたいなイメージが固定化されたら、"科学のベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ。
教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから。理想論ながら、理科教育は科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程をもっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程、科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。
「科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学が跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学の言葉を使うと、社会は科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。
まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味で重要なのは、ニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在の日本のニセ科学のすべてが、科学者の真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。
もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのときの科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学はクーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。
ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育や科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。
そのためには、たとえば理科教育に科学史や科学哲学や科学社会学のエッセンスを加えてみるだとか、また理科の時間に拘らず、国語、社会科の時間に科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究の前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。
科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046446270
>原子力って結局、お湯沸かすだけなんですか?
>詳しくないんですが、聞いたら原子力発電とかはプルトニウムを核分裂させた熱でお湯を沸かしてるだけだと聞きました。
>これが将来、地球上でエネルギーとして使うなら、核融合炉や反物質炉が出来ても、薪の代わりにお湯を沸かすだけなんでしょうか?
>追加で、鉄腕アトムなんかも体の中でお湯を沸かす設計なんでしょうか?
つくづく思うが、科学議論の場って、極めて専門化・深化して、ともすれば「専門バカ」が進行しがち。
学会とか論文の査読なんかも専門性の極北だし、科学者がわかりやすく市民に伝える、という
「市民科学講座」とか「サイエンスカフェ」なども、市民側は「多少は科学リテラシーが高い市民」が集いがち。
偏差値で例えれば、偏差値80の専門家が、偏差値55の市民に語る、という構図。
そういう場を設けることで、偏差値55の市民が偏差値60に引き上げられる効果は認めるが、
また、偏差値80の専門家も、偏差値55の「扱いやすい市民」を相手にするのだから、
専門バカは解消しない。
偏差値55の、市民講座に参加するような市民は、言ってみればお利口な市民だから、
専門家がびっくりするような斬新な視点は、なかなか出てこない。
一方、知恵袋って、玉石混交とか、質問数が多すぎて回答付かないケースが散発しているとか、
数々の問題点を孕んだフォーマットではあるが、唯一最大に評価できる点は
「リテラシー50未満のド素人が、臆せずに気軽にセミプロに質問できるフォーマット」である点。
「原子力って、お湯沸かすだけなんですか?なんだかがっかり・・」という視点は、
市民講座に集うような原子力偏差値55~60のお利口な市民からは、決して出てこない。
恐らくこの知恵袋の質問者の原子力リテラシー偏差値は50未満だと思うが、
だからこそ、このような斬新な視座で質問がなされたんだと思う。
そして、原子力リテラシー偏差値80の専門家も、この質問は「目からウロコ」だったに相違ない。
こういう偏差値50未満の一般市民とサシでやり取りするようになれば、専門バカも徐々に矯正されていくんじゃないか?と思う。
また、
「原子力リテラシー偏差値50未満の人って、こんな風に原子力見てたんだ」
個々のブログやツイッターでも一部可視化されているのかもしれないが、より鮮明に可視化できているのは、
やはり知恵袋だろう。
「偏差値50未満の人が質問し、偏差値60以上の人が回答する」というフォーマットなので、
上位リテラシーの市民と中下位リテラシーの市民がくっきり対比できる。
そんなのでは萎えないか?感情移入できないんじゃないか?」という問題指摘が
>http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1719416.html
>主人公が戦いの中で強くなる、強さを見せるというのはアニメや漫画における
>爽快なシーンですが、その強さの理由に「キャラクターの血統」といった背景が関係することも
>多いかと思います。中国オタクの中には「強い理由が血統」ということについてちょっと
>考えてしまうこともあるらしく、中国のネットで話題になっていました。
>考えてみると日本の作品の主人公の強さって、結局は血統で決まってない?
>強いキャラはみんな「良い血統」という背景がある。主流な少年漫画を見てみれば、
>ルフィもナルトもゴンも一護もリクオもハッキリと血統による強さとなっているし、
>コナンなんかでも同じ分野で優秀な親の才能を受け継いでいる。
>優秀なキャラには、優秀な血統が背景としてあることが多いね。ここまで多いと、
>この設定が日本人の感覚独自の強い説得力を持っているのではないかと考えてしまう。
>血統か……特に印象的なのは「NARUTO」かな。ロック・リーはどうすればいいんだ……
>ジャンプ系だと、「るろうに剣心」が血統による強いキャラってのが出てないね。
>ただ、あれは時代設定的に明治維新というそれまでの封建体制が崩壊した時代と関係するから
>血統重視のキャラが出ていないのかも。(続く)
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
>少年漫画の範疇ではないけど「ベルセルク」のガッツは血統とか全く無いキャラだね。
>言われてみればああいうのは珍しいかも。日本のアニメは昔からそうだぞ。
>お前ら「一休さん」が単なる片親しかいない子供だと思っているのか?
>一休は南朝系天皇の私生児で、出家しなければ大きな問題になっていた。
>それと単なる寡婦だと思われていることの多い母親も藤原氏の血統だから、
>全てが血統によるものではなくても、本人の努力や師匠的存在、育った環境、過去の
>経験と同じかそれ以上に重要なものだったりすることは多いかも。
>それから血統と背景があると話が作り易いのかもね。伏線にもできるし。
>正直、修行で強くなったりはするけど強くなれた理由が結局は血統による能力ってことだと、
>なんとなく冷める時がある。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
成る程、と思ってよくよく考えると、もっと根の深い話が日本の少年コミックには
あるような気がした。
「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミックが少ない」ということもあるのではないか?
30年以上前、自分が小学生の頃の「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」などは、
もうちょっと「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミック」が多かった気がする。
特に学園モノ・ギャグモノとかは、主人公の血統を問わない設定が大半だし
(有閑倶楽部あたりは違うな、少女漫画だが)、スポーツモノも、
なので、自分が小学生の頃は、それなりに少年マンガを読んでいたと思う。
しかしその後、少年マンガを暫く読まないまま大人になり、たまに散髪屋とかで
こういうマンガでは、そりゃ血統の設定が重要視、当然視される。
自分は元々が「オカルト・擬似科学嫌いな理系チック人間」なので、
「主人公が超能力で対決する」という設定のストーリー、と分かった時点で
「次の頁を一切見たくなくなる、興味が萎える」。
ジャンプ辺りで「安心して読める」のは、せいぜい「こち亀」くらいか?
(あれもハチャメチャなマンガではあるが、一応現代科学の法則を逸脱はしていない)
それ以外は全て超能力系だったりして、腰抜かした。
まあ自分が「今の小学生」だったら、これら3誌は絶対買わないなあ。
「ジャンプ・サンデー・マガジンでこんなに非科学的マンガが横行して、
日本の科学リテラシーは大丈夫か?オカルトに嵌る若者を産みだす下地を作ってないか?」と
心配になる反面、
「少年マンガの売れ行きが減少しているのは、オカルト流行りの連載ばかり
厚遇されている誌面作りに、小学生中学生が飽き飽きしているから、
彼等もバカじゃない」という側面もあるのでは?と思うので、少し安心する。
せめて成人コミック程度に、
その食卓においては、
「(たとえ放射能基準をクリアしていても)福島産・東北産・北関東産を避ける」
こういう家庭で、専業主婦(主人の収入だけで働く必要がない)が、
子供のための食材を選ぶのに、必要以上に東北~北関東の食材を忌避していて、
でもその実態は夫は何も知らない、てな感じ。
「被災地のことを考えて、東日本産を買おうよ」というような説得行為に走らない。
それは多分、「妻への説得行為に時間も掛かるし、精神的ストレスも掛かる」
からであって、もっと言えば「説得に要する時間を時給換算すれば、割りに合わない」
仮に妻の説得に12分間掛かるとする。
年収1,000万円クラスのダンナの場合、勤務時間=250日×8時間=2,000時間だから
夫の収入を時給換算すれば、時給5,000円。
妻の説得に12分間要するということは、「説得費用」は1,000円相当だ。
これだけのコストが掛かるのであれば、
「説得作業を放棄して西日本産を選んだ方が、トク」かもしれない。
東日本と西日本の食材価格差が1,000円以内であれば、高収入ダンナは
説得のような余分なエネルギーを使わない方が、賢い選択だ。
・・・なぜこういう投稿をしたか、といえば、下の子の幼稚園の家庭が、
まあ「旧帝大卒や早慶卒を夫に持つような専業主婦」が多いのだが、
で、ダンナはそれなりに科学リテラシー持っているのに何故・・・と考えたが、
「科学リテラシー発揮のコスト(無駄)を考えて、リテラシーを封印している」
と考えるのが自然かな、と思った次第。
ものごころつくかつかないかの頃にチェルノブイリ事故があった。恐ろしい事故だという話は聞いていた。何千人、何万人、ともかく想像もつかない数の人が命を落としたと聞いた。同じような事故が日本で起こればもう全土が壊滅だと聞いた。
とはいっても、日頃原発にそれほど関心があるわけではなかった。一応理系だし、チェルノブイリと日本の原発が構造が違うことぐらいはわかるつもりだった。だからチェルノブイリと同じような事故が日本で起こるとは思わなかった。自然放射線の存在ぐらいは当然のように知ってたし、放射能と放射線の区別ぐらいは当然ついてた。でまあ、「事故が起これば大変だけれど日本の技術力は高いんだから、冷汗をかくことぐらいはあっても最終的には大丈夫なんだろう」と漠然と信じていた。
そこで、福島の事故があった。最初はタカをくくっていた。安全装置が働いて核反応が止まったと聞いていたからだ。ところが翌日には水素爆発があり、気がついたらレベル7、メルトダウンなんて大騒ぎになっていた。東京に住んでいた自分も、一時は関西の実家に逃げ帰ろうかと考えたし、実際3月19日から21日の連休は帰省していたのだ。
そこまで酷い目に遭ってやっと気づいた。原発のことで、自分はずっとマスメディアの洗脳に騙されていたんだと。ずっとウソを教え込まれてきて、真実でないことを真実だと思いこまされていたんだと。
だって、おかしいじゃないか。今回の事故は「チェルノブイリより何倍もひどい」はずなのにIAEAはチェルノブイリの方が断然深刻だって言ってるし、みんなが恐怖してるプルトニウムやストロンチウムだってチェルノブイリと違って福島ではほとんど放出されてないし、なにより放射線被曝で誰一人死んでないよね。一番恐れられていたヨウ素の内部被曝だって「精密測定は必要ない」レベルでしかないんだもん。外部への健康被害はなかったわけだよね。関西の実家に逃げた俺ってどんだけバカだったのって感じだよね。何が「レベル7事故が日本で起これば日本終了」だよ。バカじゃないのか。理系の俺でも騙されてたんだもん。ひどい話だよね。
「原子力村の隠蔽体質」だってさ、確かに東電も保安院もめちゃくちゃだと思うけど、明らかなウソなんてついてないよね。むしろウソついてんのって反原発派とかマスコミじゃないか。たとえば事故の翌日には東電も保安院も「炉心溶融」の可能性を認めていてそれを国内メディアも報道していたのに「メルトダウンは隠蔽されていた」ってことがいつのまにか事実になってるし。あのさー、「メルトダウン」を日本語で言うとどうなるかわかってる?
そもそも「絶対安全」を喧伝されてきた、とか言われてるけど、そんな覚えなんて全然ないんだよね。原発見学に行ったこともあるけど、むしろ「絶対安全なんてことはあり得ないし、過信が最大の敵です」って向こうに言われたよ。あ、東電じゃなくて関電の原発だったけどね。逆に、事故前に原発に肯定的なことを言おうものなら顰蹙を買ってたんだけどなあ。事故前から反原発情報はあからさまなデマでも絶賛を集める一方で、それに対する反論は「苦情電話」などの圧力で圧殺されるなんてこともあった。
あげくの果ては下らない「もんじゅ」デマだよね。部品を炉内に落っことしたというだけの、外部にとってはなんの影響もない事故がなぜか異常な注目を集め、それを尊師じゃなかった孫氏が拡散するなんてこともあったよね。正直、何が騒がれてるのかまるでわからなかったし、特に担当者が自殺したなんて話について「本当だとすれば反対派に根拠のない誹謗中傷されて精神的に参ったんじゃないのか」と言いたくなるぐらいひどい言われようだったわけだけど、とにかく恐怖を煽れればなんでもよかったわけだよね。
そして、こんな世論のオピニオン・リーダーとなってる京大の先生たちは「迫害されて昇進できなかった」みたいに悲劇のヒーロー扱いされてるわけだけど、実は研究業績なにもないんだから昇進できる理由なんてなんにもなかったりするんだけど。研究室Webページ見ても査読付き論文の一覧がどこにもない。まるで製品・サービス紹介のない企業のWebページみたいな不条理な研究室。ここの人たちが昇進できたらむしろおかしいよね。実は俺も京大卒なんだけど(それで東京から逃げたのかとか、ええそうですよ、笑ってください。学力低下でもゆとりでもなんでも言って下さい。俺の周囲の人間も結構びびってました。名誉のために言うとその中に原子力とちょっとでも近い人間は全くいません)、正直、母校がこんな褒められ方しても全然嬉しくないねえ、の一言ですよ。
ほんと、「反原子力村」の政治宣伝にずっと騙され続けてましたよ。やりきれませんね。
その前にまず一言。このエントリが「皮肉」だってことが読み取れてない人はもう一度読み直して下さいとしか言いようがありません。これはあくまで、ナイーブ系にわか反原発派の言い分をそのままひっくり返して戯画化したものです。あなた達が悪の権化のごとく描き出す「敵」の姿はあなた達自身の姿ではないのですか?とね。言ってみれば「エア改変ネタ」ですね。改変元は存在しないわけですが、ナイーブ系にわか反原発派が言いそうなことを裏返しに書いてみただけです。
それと、私は別に「原発推進派」であるなどと名乗った覚えはありません。原発に関する立場はレッテルの張り合いになるのが嫌なので敢えて名乗ってません。
b:id:kumonopanya この人色々情報を集めているみたいだけど、今回の福島原発事故の恐ろしさを全くわかっていないようです。 ニュースサイトとか見て情報を収集しているようですが国会答弁等を全部聞いてみるべきです。人災という意味 2011/07/09
本文ではバカっぽく書いてますが、一応私はこれでも理系の人間なんで、科学技術の素人たちの議論なんか聞くより直接データを見たりそれを分析してる人(自ら脱原発派だと名乗っており、利害関係などまったくないにもかかわらず理不尽にも「御用学者」認定されている人たちとか)の議論とか読んだ方が早いです。それで世の中の九割方の人よりは事実を正しく理解しているつもりです。
これを「推進派の文章」と読むようなそういう被害妄想敵思考を批判しているんですけどね。ちなみにあなたが事故前から反原発派であることは把握してますが、あなた実際それで「迫害」されてましたか?それに、あなたが反原発派であり得たってことは「洗脳」が完璧だったなんてことはないってことですよね?
b:id:sionsuzukaze こういう見方をしている人も少なくない(とは思うが、恐らくは今言うとフルボッコなのであまり言わない人でもあると思う)。そもそも原発推進vs反原発の構図そのものが問題をややこしくしている側面は否めない。 2011/07/09
そうですね。そもそもエネルギーなんて原子力だろうが自然エネだろうが火力だろうがどれかに一元化されるものじゃないし、そもそも原子力と自然エネって必ずしも競合するものではないのに、そういう技術的な話がなぜか政治闘争に乗っ取られてしまっていることが不幸なわけです。
b:id:Gl17 直に死ななきゃ何兆損失も広域社会打撃も首括った被災者も無視て恒例パターン。手前味噌だが自分の→http://h.hatena.ne.jp/keyword/311%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%82%82%E5%BE%8C%E3%82%82%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%A7%E3%82%82 2011/07/09
あなたの考えはわかりました。で、それはこの記事のどの部分への反論ですか?
b:id:xsinon この人関西帰ったことで見方が変わったんじゃないかな。関西ではまだ東京ほど切迫した空気じゃないからな。逆に関西から東京に行くと恐怖心煽られそうだ 2011/07/09
それはまあありますね。ただ「まだ」ってのが気にかかります。切迫することは今後ともないでしょうし、そもそも東京が「切迫」していたのがまあなんていうか異常というか、私のようなお上りさんを含めた東京人の自己中で醜悪なところなんだよなあと思います。
b:id:tikani_nemuru_M うーん、この文章が「推進派」のものとは思えない。なるべく精確な事実認識を大事にしようという観点と見える。ただし、事故前に【安全神話】の絶対安全刷り込みがあり、反原発派が疎外されてたのは事実だよ。 2011/07/09
では具体的にどういう場でそういうことがあったか教えて頂きましょうか。新聞でもテレビでも原発は「危険なのは前提、必要としても必要悪」以外として語られるのを見た記憶、ほとんどないですよ。特にインテリな人たちの間では「原発賛成」は「イラク戦争賛成」と同じぐらい危険視されてたというのが私の体感です。
b:id:tari-G 反原発風な反反原発文章を書いてみたんだろうが、論理構成の稚拙さと基礎的知識の不備は覆いようがなく、ただの出来損ない。時間の無駄。 2011/07/09
基礎的知識の不備?そりゃまあ素人であることは認めますが、あなたよりははるかに正確に理解してる自信ありますけどね。たとえばある特定の核種の1ベクレルあたりの原子核数ってあなた計算できます?こんなの高校生レベルですけど、あなたの日頃の言動を見る限り、この程度の計算もできないんじゃないですか?
b:id:ftype こういう俺は人と違う見方をしてますという学歴だけの馬鹿でも駄文をかける世界になったのがネットの汚点だと思う。面白くもないし、考えさせるわけでもない。無知を晒しているだけ。部品を落としただけ(笑) 2011/07/09
断じて「だけ」です。そもそも「工学的に無理」なはずの作業があっさり完了したのを見て、まだ自分がデマに乗せられてただけだって気づけないの?
b:id:letterdust 一応理系だし(笑)/いや、科学リテラシーではなくて‘科学リテラシーさえあればなんでもわかるみたいな’のがw 2011/07/09
あなたが理系音痴なのは普段からブクマをみてよく存じてますよ。ま、私より専門分野がずっと原子力に近いような本職の有能な研究者がECRRとかを真に受けてたりするわけで、理系といってもその程度ではあります。あと、「なんでもわかる」なんてどこに書かれてもいないことを読み取られても困ります。「文系」ならそのくらいちゃんと読解してください。
b:id:laislanopira トンデモ, 原発, こころ 最初のチェルノブイリのあたり数行でもう読まなくてもいいと思った 2011/07/09
b:id:enderuku 数年後どうなってるか分からんし今はヒステリックに警戒してもいいよ。安全か危険か、決断を下せない段階なら過剰に警戒していたほうがいいじゃん 2011/07/09
ガラパリの自然放射線量(10mSv/年のオーダー)とか見れば「決断」は十分下せると思いますよ。東京の場合、ガラパリなんて持ち出さなくても西日本で十分ですが。
b:id:okakao 真性キチガイ, さっさと死ね 理系(笑) 2011/07/09
私が「真性キチガイ」で関東がそれほど危険ならそのうち放射線被曝で死ぬはずでしょ。そう焦ってもいいことありませんよ。
b:id:yoko-hirom 君のご自慢の理系の知識で,福島第一を何とかして見せたまえよ。下手糞な皮肉で人を馬鹿にして見せても,ちっともお利巧そうには見えないよ。 2011/07/09
一部反原発派の嘘を批判したことに対してそういう反応が返ってくるという時点で、あなたの「文系」的能力つまり読解力をなんとかした方がよいと思いますよ。
b:id:ext3 安全厨, 福島原発事故 ずいぶん下らないなぁ。そこはチェルノブイリ原発事故はロシア以外のメディアの言うほどひどいものでは無かった。と言うべきだろう。現状見てて大丈夫とか言うのは頭がおかしい 2011/07/09
東京が大丈夫じゃないと思うことが「頭がおかしい」のなら、つまり東京に住んでいる人間ほぼ全員が「頭がおかしい」わけですね、なるほど。チェルノブイリで考えても東京の距離ならば大丈夫でしょうよ。いわんや福島をや。
b:id:kk789we あのさー、原子力に関連する理論には最先端のものが多いから仮説が多いんだよ。仮説がひっくりかえることがあることも考えないと議論にならんよ…。 2011/07/09
最先端?原子力発電所なんて枯れた技術が多いし、特に福島第一の一部原子炉なんてチェルノブイリよりもスリーマイルよりも古いですよ。というか社会インフラ一般に「最先端」の技術は使いませんよ。安全性で問題起こしたら大変ですからね。
b:id:sofa220 さしずめ増田の(仮想)敵は「メディアに流されやすい科学リテラシーのない愚民共」と言った所か。そりゃあ彼の言う技術的なナニカが政治的に弱いのはしょうがないよね。ちなみに僕も理系でした。 2011/07/09
いや「愚民共」ではなく、嘘をつく一部反原発派のデマゴーグですね。
b:id:MxHaltfors 本当の罪は嘘と無知、って主旨には賛同する。でも今回の騒動は「原発は安全です」って嘘と「原発はコントロールできる」って無知が発端。 2011/07/10
「飛行機は安全です」が嘘でないのと同様、「原発は安全です」は現在に至っても嘘ではあり得ない。また、今回の事故は技術的限界に至ったために起こった事故ではなく、必要な技術的対策を手抜きしてきたために起こった事故なのでそこは「無知」という話とは違います。今回の事故の原因は家政府・経営陣の「過信」と「愚昧」です。
b:id:tnishimu メルトダウンを隠してたとか安全神話が云々とか最近繰り返し言われるようになって違和感を感じてたんだが、それが自分だけじゃないと判ってよかった。 2011/07/10
こちらこそ同じ気持ちです。コメントありがとうございます。日本人がこれほど簡単に煽動されるというのは恐ろしいことですね。
b:id:Amw "今回の事故の原因は家政府・経営陣の「過信」と「愚昧」です"これには解決策がない。 2011/07/10
そう、原子力の最大の弱点はそこだと思ってます。もっとも、これは技術全般に言えることですが。良くも悪くも我々はこういう社会に生きてしまっているわけで、リスクの全てを回避することはできない覚悟は決めるべきでしょうね。その前提の元、どうすれば得られる恩恵を最大化しつつリスクを最小化できるか、でしょう。
b:id:CavalleriaRusticana CrisisManagement, idiot 『地層処分します』って、大きな予算でスポット大量に流しておいて、"地球上どこ行っても、地層処分してくれるところなんでありません"っていう現状同様。 放射性廃棄物をさ、どんどん増やせばいいさ、な。 2011/07/11
この記事となんの関係もないことを延々と書いた挙句"idiot"とは、そのタグはあなたご自身に向けて付けられたものですかね?
市民団体が授乳中の母親に対し母乳の提供を求め、放射能検査したところ
微量のヨウ素が検出された。
(首都圏で水道水に放射性ヨウ素が検出された時期に採取した母乳のようである)
で、この値について「高いとも低いともなんとも言えない」と団体は回答した。
これについて「科学リテラシーが高いはてなー」が批判の大合唱を行っていた。
★そもそも団体が信用できない。中核派?
無用の混乱を与えるだけだ。
★1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?
★水道水に若干の放射性ヨウ素が含まれているなら、多少は母乳に出現し、
かつそれは期間を経ると減少していくのはわかりきっている。
しかし、自分は、この市民団体の行動は、多少拙速な面は否めないものの、
検査を行い公表したこと自体は高く評価されるべき、と思料する。
というのは、この種の調査は、本来であれば厚生労働省が率先して行うものだし、
でなければ朝日新聞やNHKが大規模な調査報道で行うものと考えるからだ。
しかし、これら公的機関や大マスコミは、失念していたのか手が回らないのか、
こういう調査を手掛けることを怠っていたのが実情。
であれば、
「ママの不安に答えるために、こういう調査をすべきでは?」と問題提起を投げかけたということ自体を
実際、日経新聞報道によれば、この市民団体の公表の1~2日後に
そういう意味では、厚生労働省から行動を引き出した、という意味で、高く評価すべきである。
団体が信用できない、サンプル数が少ないと言うが、であれば「信頼できる団体」に検査してもらえばいい。
というか、今時点でこの動きを一切報じない朝日新聞はどうかしている。
「値について判断できないのに検査するのは無責任」という批判も的外れ。
批判されるべきは「暫定基準を作成しなかった厚生労働省の側」のはずだ。
「1ヶ月前の結果を今頃公表するのは何事だ。意図的に発表遅らせたのか?」との批判もあるが、
善意に解釈すれば「検査機関が超込み合っていて、市井の団体の検査は後回しにされた」と解釈するのが自然だが・・
「水道水にヨウ素が出たのだから、多少は母乳に含有されているのは当たり前で、
かつ健康に問題ないレベルなのも予想されているのだから、そういう検査自体が無意味」という批判も当っていない。
確かに科学的知見では「多少は検出されるだろうが、健康に影響ないレベルであろうと予想」されるが、
「実際に検出され、かつそれは健康にさほど問題ないレベルだった、という事実が確認された」
「母乳過程で濃縮されない」という「科学的予想」が「(人体実験的に)立証された」というだけでも、
もっとも、あえて厚生労働省を「擁護」するならば、こういう母乳検査で異常値が発生した際に
「あなたの母乳から異常値が検出された」と「残酷な事実を本人に告知する」ことができるのか?、という重い課題がある。
加えて、母乳採取というのは、ある意味でセクシュアルな話なので、男性職員だと対応できない等の問題も生じる。
その面で「必要性はわかっていてもなかなか踏み切れなかった」という可能性はあるので、
その点は同情すべきかもしれないが・・・