はてなキーワード: 科学リテラシーとは
自分はホメオパシーは信じないし、「水疱瘡パーティー」には否定的だし、
恐らく科学リテラシーの高い「はてなー」から猛反発を受けるだろうが、それは承知の上の投稿。
水疱瘡に罹患した場合、学校保健法により出席停止の措置が取られる。
勿論、これは「強力な感染力を有する水痘の感染防止」のための措置であるが、
「感染による損害リスク」と「出席停止措置による損害リスク」を両天秤にかけてみた場合、
「出席停止による損害リスク」の方が高いのではないか?
勿論、水疱瘡患者が登校した結果、感染を拡げてしまい、その結果
重篤化、あるいは死亡する児童が発生する確率があることは否定しない。
理想論で「水疱瘡感染拡大リスクは極小化すべき」ということになるのだろう。
しかし、他方で、「出席停止措置」によって、
「一人に置いておけない児童の『チャイルドシッター』役として、親が付きっ切りになる」必要がある。
水疱瘡の場合、「発疹が出ている以外は、熱も無く登校する元気がある」という児童も少なくない。
ありていに言えば、
「学校保健法がなければ、こういう児童は登校できるので、保護者が付きっ切りになる必要はない」のである。
我が家は妻が専業主婦だから、まあ付きっ切りになることはそんなに負担ではない。
しかし共働きの家庭の場合、「かさぶたが取れて登校許可が出るまでの一週間、付きっ切りになる」
ことは即ち「仕事を休む」ことと同義である。
(病児保育が普及していればいいのだが・・・)
つまり、学校保健法により、共働き世帯には過重負担、コストが掛かっているのである。
「出席停止措置によって保護者が抱え込む付き添いコスト」を冷静に比較すれば、
「付き添いコスト」の方が大きいのではないか?
生命にかかわることを、経済評価で切り捨てるべきじゃない、という反論もあるだろう。
しかし、例えば「餅」が高齢者の窒息を招くことは確率論的に確かめられているのに、
「餅」の販売はそのまま継続されている。
生命にかかわるコスト評価より、経済的コスト、あるいは「餅という食文化の維持」を
優先させているのである。
思ってしまう。
まあ、感染させたくない保護者にとっては、感染児が登校してくることは
なかなか容認しがたいことかもしれないが、
3.毎日もそれに絡んで言及する
日経を読んでいると、この問題の扱いはえらく「小さい」。
(取り上げられていない訳ではないのだが、社会面2面に小さく、という感じ)
「ホメオパシー問題の存在自体を認知していない」という日経読者も、
案外いるんじゃないか、と思う。
(そもそも日経読者は、社会面の2面を読み飛ばすような人が多い)
「日経読んで、23時にワールドビジネスサテライト見て・・・」的な生活送っていると、
意外とこのような問題が社会で進行していることに気付かなくなっている。
自分も、はてなブックマークを定期チェックしているので、この問題を知った次第。
で、
「日経の読者だったら、ホメオパシーなんかに騙されない科学リテラシー持っているから、いいじゃん」
という開き直り論もあるが、
「ダンナは科学リテラシーあっても、専業主婦の奥様は、ママ友から変な情報を吹き込まれる」
なんてこともあったりする訳でして。
疑似科学批判とかややこしい専門用語や一部の人しか通じない単語続出でああいうのにだまされやすい科学リテラシーの低い人に余計に通じにくくなってるように思う。
騙される人は科学の知識も論理的思考力も平均以下ということを前提にした運動でないと机上の空論で空回りしそう。
こういうことを言うと「科学教育がたりないから増やせ」みたいな話になるんだろうけど、現状の義務教育レベルの科学知識のない人も少なくないのに教育すれば解決だってのは実効性ないだろうに。
法律とか経済でも同じように「教育が足りないからだ」で済ませようとしてる人がよくいるが、現状の義務教育すら理解できない人は少なくない現実をどうするのかの具体策ないなら意味がない。理解できない人がいるというのをまず出発点にしないと。
こういう人は自然科学も社会科学も全部きっちり理解した上で世の中の人はみんな自分と同様の頭のよさだと思い込んでるのか、自分ができないことを他人に要求してるのかどっちなのか気になるところ。
「はしかに罹患し軽症で済んだ子供の所に遊びに行ってウイルスを貰いにいく」、
で、はてなーは、「不適切なはしかパーティーが執り行われる主因は、
※そもそも「はしかパーティなど野蛮なものは今の日本に存在しない」と
目や耳を塞ぐはてなーもいる。
これに対して自分は、「科学リテラシーの低さもさることながら、
ママ友同士の同調圧力もあるのではないか?」との仮説を以前提示した。
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
※この仮説はHPVワクチン接種を巡っては現実になっている危険性がある。
http://mattn.anond.hatelabo.jp/20100816012719
で、「それ以外に何か理由があるのか?」ということで、
感染症パーティーに参加させた体験者・・・というか、自分の妻だが・・・
に直接聞いてみた。
の質問に対する回答は以下の通り。
理由1:幼稚園のころに感染させておけば軽症で済むと思ったから
理由2:幼稚園のころであれば、感染症で欠席しても支障はあまりないが、
「感染症(はしか・水疱瘡・おたふく)で死亡(OR重篤化)する確率は『無視できる程小さい』」
と捉えており、
それよりは「感染症感染に伴う日常生活への影響の度合の最小化」を重視している
のではないか、と感じる。
(サンプル数=1、の著しく母数の少ない調査ではあるが)
要は「感染症パーティー参加者は、感染症そのものの致死率より、
感染症によるQOL低下を懸念して、あえて影響軽微な幼稚園期に
リスクを取りに行く行動を示すのでは?」という仮説が成立する。
この行動が「正しい」とか「間違っている」とは、自分は主張しない。
ただ一つ言いたいのは、単なる「感染症の致死率・重篤化率」だけの数値で
「予防接種の方が上策」と啓蒙する手法では、ママ友にはリーチしないんじゃないか、と言うこと。
http://ameblo.jp/moonsun3/entry-10618363273.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/moonsun3/entry-10618363273.html
これは良エントリなんだが、なぜか「はてなー」は当エントリ前半部分の
「女性誌がホメオパシー好きな理由」の部分のみクローズアップしている。
こんなもの、「星占い」とか「血液型」とか「幸運の石の通販」とかが紙面を占める女性誌に
おいては「さもありなん」という話で、「今さら驚くに値しない」。
(勿論、問題がない、と思ってませんよ。問題大アリですが、既知の話です)
むしろ、自分が心底「恐ろしい」と感じたのは、殆どのはてなーが取り上げていない、当該エントリ後半部分。
>B氏が語った「母親のコミュニティーでの、医者は信じられないし厚労省も信じられないといった意見」
>について、私とのやりとりでは長くなるので割愛しましたが、
>彼はここで子宮頸ガンワクチン(HPVワクチン)接種の話をしています。
>いま小学生の女の子を持つ母親の間で、HPVワクチンを打つべきか、打たないほうがよいか迷いが生じています。
>母親のコミュニティーで、打つか、打たないかが話題になったとき、ある母親が医師と厚労省から情報を集め、
>安全性と効果が確認できたので接種すると発言しました。すると、多くの母親がワクチンは危険だから
>接種させないと、猛烈に反論の声を上げたというのです。
>危険性の根拠はインターネットの情報と「黄色いチラシ」でした。
>インターネットを検索すると、ホメオパシーなどの団体や個人が発信するワクチン危険論と
>HPVワクチン危険論の記述が多数飛び込んできます。ワクチンの有用性を支持する論調がかき消されているのです。
>次に「黄色いチラシ」とは黄色の紙に黒く大きく「危険」と印刷され、「接種で不妊になる」
>「ワクチンを推進していのは共産党系の団体である」と書かれているものです。
>する派の母親が、「黄色いチラシ」の出所は論調からあきらかに右翼系の団体で、危険を煽ってHPVワクチンの
>問題を政治利用しようとしていると反論しました。しかし、左翼は恐いと声が上がり袋だたき状態になったそうです。
>危険派の母親は自然志向派の人と、自らは情報強者で医療の闇を知っていると自認している人だったということです。
>余談ですがB氏は、30代は何よりもwebの情報を正しいとし、それは雑誌を含むメディア以上の信頼度だと感じています。
>真偽の判定は、検索して出てきたサイトの数の多数決になっている傾向があり、同数だったとしても何かを肯定する
>意見より否定する意見や、陰謀論が好みのようだと言っていました。(すべての30代がそうだという話でありません)
「医学リテラシー豊富なはてなーにはにわかに信じがたい話かもしれないが、
はしかパーティ・水疱瘡パーティは、ママ友ネットワーク内部では、そんなに違和感なく実践されている」と投稿し、
「その中には、ママ友の同調圧力によって、内心疑問に感じながらも参加している母親もいるのでは?」と投稿した。
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
この投稿をした際、自分は「可能性としては、ママ友同調圧力なんてのもあるの『かもしれない』(ないかもしれない)」
ということで投稿した次第。
実際のママ友同調圧力の現場を見聞きした訳ではないし、願望としては「そのような同調圧力が存在しないで欲しい」と願っていた。
しかし、仮に先述のブログのB氏の発言が正しいとすれば、HPVワクチン接種の現場では、
ママ友の同調圧力によって、「本来科学リテラシーが高い側が、バッシングを受け、接種を断念せざるを得なくなっている」
という最悪の状況になっている。
しかも、「お前は新日本婦人の会系・共産党系だ」というネトウヨ的陰湿な党派攻撃で以って。
ホメオパシーの新生児ビタミンK2欠乏問題は、こういう言い方しては何だが、
助産師の実態を調べて、自宅出産を回避すれば防げ得たかもしれない話である。
もっと冷酷に言えば「自らの科学リテラシーを高めることで、防ぎえた」
しかし、今回のHPVワクチン問題は、たとえ自身の科学リテラシーを高めても、
確か先日、宗教的理由による医療ネグレクトに対する執行猶予付き判決があり、
その判決について、科学リテラシーが高いをされる「はてなの会員」
(通称「はてなー」)がさんざん批判していた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100717-OYS1T00247.htm
そもそもこれ、「裁判員裁判」なんですケド。
つまり、裁判員6人の「科学リテラシー」「ホメオパシーへの許容度」によって、
量刑がガラッと変わってしまう、ということになる。
はてなーは「ホメオパシーに対する憎悪がハンパない」人々なので、
結局、「世間一般はホメオパシーに寛容」なのであり、
自分も「はてなーの一員」でもあるのでこの判決は我慢ならないのだが、
なぜはてなー達が
以前
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
の投稿で、
「はてなーの科学リテラシーをスタンダードとする天動説的考えは、
ママ友ワールドには通用しないよ、水疱瘡とか治った子のところに
まああまり小生も科学リテラシーが「はてなー平均ほどは高くない」
(世間一般よりは高いを思うが)ので、そのときはあまり反論しませんでした。
http://6506.teacup.com/0120320354/bbs
にしたところ、
常連で科学リテラシーが自分よりはるかに高い人(東大工学部卒⇒現在私大准教授)から
『治った子供から免疫をおすそ分け』してもらうという行為自体、
それなりに理に適っている(科学リテラシーなしとは言えない)のではないか?」
との意見をいただきました。
>昭和40年代まではごく普通にありました。パーティではなく、はしかになった
>子どもを聞きつけ、「うちの子にもうつしてあげて、小さいうちになった方が
>軽く済むから・・・」、みたいな感じでうつしてもらってたんだそうです。
>はしかパーティのママともグループは、おそらくその母親世代からその慣習を受け継いで
>自分たちで納得して行っているのでしょう。
>これは私は、科学リテラシーがないからだとは思えません。
>はしかワクチンの危険性(副作用、因果関係不明の脳症発症例etc)
>はしかワクチンの有効性(免疫が継続しないので大人になってからかかるリスク)
>vs
>を天秤にかけてるんでしょう。
>もちろん前者のリスクの方が小さいとされるから、予防接種が行われているわけで、
>私も予防接種をする方を選択していますが、予防接種の危険性もよくわからぬ状態なので、
>後者を選ぶのも見識の一つと言っていいと思います。
>はしかのリスク、合併症の確率は統計的に算出されていて、命定めと過去に言われた
>ように丈夫な子は大丈夫なことが多いが、予防接種のリスクははっきりしていません。
>なんかあっても因果関係が不明とされてしまい、泣き寝入りすることが多い。
>私の印象ですが、予防接種の副作用で統計にのっているのは因果関係がはっきりしている
>ものだけのような気がします。
>たとえば、うちの子は、Hibワクチン接種後、翌日に原因不明の高熱を発して、
>2日ほどで下がりましたが、医者を受診すると因果関係不明と言っていました。
>実際、育児ブログなどを検索するとヒブワクチン接種後、原因不明の高熱を
>発したと書いてあるのが結構あるのですが、公式に発表されている高熱発生率とは
>全く違うような印象をもっています。そこらへんは何か不信感をもつ。
>接種後、腕が2倍くらいにはれ上がってましたが、腫れ上がる率もかなり低めの
>データが公表されているようですし。
・・・ということで、「予防接種副作用リスクがキチンと見える化されている」のが
議論の前提だったと思っていたのですが、「統計に出ていない水面下のリスク」も
考慮すると、議論の枠組みががらっと変わってしまう。
要は、ママ友ネットワークの世界の科学リテラシー、医療リテラシーと、
正直、「はてなー」の科学リテラシーが高いとはとても思えないけどね。
たとえば「はしかパーティー」の件にしたって、「なぜはしかパーティーが予防接種に比べて悪手といえるか」ということをメリットとデメリットを挙げて説明できる人がどれだけいる?
それができないんだとしたら、「はてなー」は「はしかパーティーは下策」ということを「聞きかじって知っている」というだけのこと。そしてそれは「ママ友」だって同じこと。「はてなー」と「ママ友」の唯一の違いは「聞きかじった」相手が誰かということだけだ。
無論、それはそんなものだ。専門外の事柄については多かれ少なかれ誰でも、「信頼できる情報源」を見つけてききかじる程度のことしかできない。そして「リテラシー」と呼ぶべきものがあるとしたら「信頼できる情報源」を探し当てる能力、それの情報をどれだけ受け売りしてよいかという判断力、そして自分がどれだけ受け売りをしているかということにどれだけ自覚的であるかということ、その三つぐらいしかないはず。
けれども、「はてなー」はその三つともかなり怪しいというのが俺の素直な実感だ。まず「ネットは真実」とか「ネットは知の高速道路」なんてのを真に受けてる時点で「信頼できる情報源」を探し当てる能力は論外。次に池田信夫や金融日記やちきりんみたいな明らかな扇動家にブクマが集まり続けることから考えて、情報の信頼性に対する判断力も乏しい。そして、自分は経済学の教科書すら読んだことないくせにリフレ派あるいはその反対派の専門家を馬鹿呼ばわりする連中が大量にいることを見ても、自分が受け売りをしているという自覚すら乏しいと言わざるを得ない。
「はてなー」なんて所詮は冷戦期の朝日・岩波信者のなれのはてにすぎんのだよ。テレビの受け売りをしている人間を「愚民」「情弱」と蔑み、過去は朝日・岩波、現在はネットという「真実」のあるメディアを鵜呑みにしていれば知識人ぶれるなどちゃんちゃらおかしい思いこみでしかない。どんなメディアだって情報は多かれ少なかれ玉石混淆だし、受け取った情報をどのように解釈するかという判断力については「はてなー」は「愚民」を見下せるレベルでは少なくともない。むしろ「年功序列」「団塊」を少年漫画の悪役のように敵視している連中の大半は「団塊」に「年の功」で劣っていることは明白だ。
要するにこれは余りにも陳腐といえるほどの「五十歩百歩」の構図に過ぎないんだよ。ご立派でも何でもない「はてなー」をあんまり持ち上げすぎない方がいい。
まず、この投稿が女性蔑視を意図したものでないことをお断りしておく。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/idconsult/e/4568b460df9365ee49ba9a21a2d6cccd?fm=rss
「麻疹パーティーなんてあるんだ!!」「なんて非科学的な!!」という感嘆詞的コメントであふれている。
自分は世間一般よりは科学リテラシー、医療リテラシーが多い方だと思うし、
正直言って、「『はてなー』がビックリしていることに、ビックリしている」。
はてなーの皆様は、奥様とかいらっしゃらないのですか?
奥様がいる「はてなー」は、一度、
「はしかに掛かった子供のところにわざと遊びに行かせて、免疫貰ってきたりするの?」と
質問してみればいい。
これは想像だが、過半数の奥様は
「貰ってくるよ。折角の免疫付けるチャンスじゃん」と回答するのではないか?
「はてなブックマーク・科学」だけ見ていると、「はしかパーティーなんて別世界・異次元の世界」に
見えるのかもしれないが、「ベネッセ・ウイメンズパーク」(女性限定)辺りに行ってごらんなさい。
「はしかパーティー」が、「子供のお古服のオークション・おすそ分けの同レベルの『自然さ』で
要は、ママ友ネットワークの世界の科学リテラシー、医療リテラシーと、
「はてなー」の科学リテラシーの間には「超えられない壁」が存在しているのだ。
というより、「多少科学リテラシーを有している奥様」であっても、
他のママ友から「うちの子はしかになって治ったけど、免疫貰いに来る?」と
「お誘い」を受ければ、
「妙に科学リテラシーを振りかざして「お断り」するのも、オトナゲない」ので、
そのお誘いを(多少は疑問を持ちつつも)受け入れるのではないか?
「ママ友ネットワークの維持」を優先するママが多数派じゃないのか?
「世間の科学リテラシーを高めれば、問題が解決するハズ」と原因&解決策を「単純化」している
「はてなー」は、「なぜ世間のママ達にホメオパシー的なものが流行るのか?」という
本当の理由&対策を正しく解析できないんじゃないか?
要は、「ママ友同士の同調圧力」こそが、原因であり、対策の糸口なのだ。
その辺の「ママ友気質」が理解できないのか?
半分くらい同意だが、もう半分は反対。反対部分について、代案付きで書いとこう。
まず英語ネイティブじゃないなら、小中学校で国語教育は必須。とりわけ、国語読解力が無けりゃ他科目は学べない。また、読解力に加え、文章を論理的に書く力を育てるべき。そのためにはパラグラフの要約練習と、パラグラフライティングの練習が肝。
まず歴史について。近現代史が現在の世界を理解する上で大事なのは分かるが、それだけでは不足。歴史上の大事件がなぜ起こったのか、大国(ローマ、中国、アメリカとか)の興亡の原因は何か、場所も時間も異なるのに繰り返し起こるパターンは何か、あたりは理解しておきたい。こういった知識は、世の中の大きな流れを理解して、自分の身や仲間を滅ぼさないように身を処していくために不可欠。
次ぎ、会計とマーケティング。高校では経済なんか教えるより、高校まで義務教育化した上で、中高一貫で会計とマーケティング教えたほうが、国民のほとんどがビジネスパーソンになる現状を考えると、より実用的。会計とマーケティングが分かれば、経済の仕組みや国の政策を理解する素地にもなる。実習として、中学でプロジェクトマネジメント、高校で事業計画も必須。ミクロ・マクロの経済学は大学からで良い。
あと倫理。いかに能力があってもその能力を反社会的な方向に使うヤツは要らない。ヒトラーとか。だから、高校では、人は何のために生きると皆がまとめて幸せで在れるのかを考えることを目的に、倫理を必修化すべき。その目的のためには、今の倫理の教科書はウンコ。もっと主要な宗教・哲学・心理学の教義のみに内容を絞り込んで、どれが自分に一番しっくりくる信条なのか、生徒一人ひとりが選び取れるようにしたい。
理科で生物学を中心に教えるべきというのは謎すぎ。教えるべきは科学リテラシー。科学リテラシーってのは、観察から因果関係の仮説を思いつき、それを実験あるいは統計で検証する力。科学リテラシーを叩き込んだ上で、余裕があれば、物理、化学、生物の優先順位で教える。物理が分からなければ化学は研究しにくい。化学がわからなければ、生物は研究しにくい。
科学リテラシーが低いことの一番の問題は、こういう短絡的な発想をすぐしちゃうことだと思う。
本当に頭が悪くて迷惑なのは単なるリテラシーを「頭のよさ」と勘違いしてしまう人かなと思う(元増田エントリのブコメに変なのが湧いてるような気がする)。
文脈は無視するが手元の辞書によると literacy とは ability to read and write のことでそれ以上でも以下でもない。
「科学リテラシー」は科学的な文章なり議論なり論理なりをまともに「読み書き」する技術でしかない。だからこそ早い段階の教育に意義があって、自覚がなくともある程度読み書きできるようになれば「まともでない」ものもある程度判別できるようになる。それが知性のレベルを上げる土台になることは確かだが、内容空疎な美文を弄する輩がままいるように、リテラシーはやはり読み書きを遂行する能力に過ぎない。
逆に「科学リテラシー」の高さをもって「頭のよさ」を自負する者は例えば宗教を話題にまともな議論をする「頭のよさ」があるのか。かのアインシュタインもスピノザの神は認めるといったそうだが、理系でも自然観と理神論をめぐる議論くらいは茶飲み話に出てくることもある。その手の議論では、知らず知らずに身に付いたリテラシーや論文を量産するだけのハードなサイエンスの論理や知識だけでは内容のある対話にはならない。要は他者(この言い方は嫌いだが)とか歴史とか(異)文化に対する自分のありようが問題になるわけで、逆にいえば「科学」というものを十分に理解しているか、という問題にもなる。
あくまで個人的な問題として勝手を書かせてもらえば、疑似科学批判の問題は批判者がどれだけ自己を相対化する能力がある(フリをできる)か、というところに説得性の鍵があるような気がする。オカルトを見つけて騒いでいる人々はどうも頭が悪く見えてしかたがない。それはいわゆる「正しさ」に凝集して安堵することとも関係なくて、「センセイ、黒板の式が違ってます!」と声を張り上げて悦にいる「出来のよい子供」のようなものだ。それは間違ってはいないし、「社会」に有益な正しい行いであることは言を俟たない。皆は感謝して彼は尊敬されるだろう。しかし愚かな教師は間違いを繰り返す。そうした指摘は教師にとってまったく恐るるに足らない子供との交流に過ぎないからだ(関係ないが、恐ろしい子供が声を上げるのは得てして国語の時間だ。算数のできない教師はいないが、文章が「読めない」教師は昔から案外多い)。そうした交流(人はそれを戯れとも呼ぶわけだが)にはそれほど読むべき空気もないような気もするが、どうだろう。
そこに空気があるときについていえば、その空気を読まないことは発言権を得るためのひとつの出発点に過ぎないということは自覚しておくべきだ。おそらく同席者が「白ける」のは、発言権を得た人間がまともな芸を披瀝することなく不発に終わるからではないか。技術的にいえば、まずは巧みに美しくこなさねばならない。「イタさ」は内容ではなく技術の問題だ。迷惑な存在は場を白けさせる。批判すべき相手は完膚無きまでに叩きのめすべきだが、公衆の面前での議論というのはひとつの劇であって芸でもある。
つまり説得すべき相手は常に第三者と心得るべきだが、注意すべきなのは初めから第三者に向いて語るというのは病的な転倒と自覚すべきだということだ。「はてブ」界隈の腐臭はその辺に関係があるのではないかという気がする。大槻義彦は確かに「クール」でも「クレバー」でもないが、愚直に相手に対峙する健全さ(のフリ)はあった。あのヒドい議論がショーとして放送に耐えたのはなぜなのかを考えてみてもよいかも知れない。
とりあえず血液型性格判断の話題が出たら、それに自分なりの見解を示しつつ、なおかつ盛り上がっている者たちの玩具を取り上げない方法、あるいはそれに代わる新しいおもちゃを提供する用意が自分にはあるのか、とひと呼吸考えてみるというのはいかがだろうか。それがなぜそんなにいい玩具になっているのか、という話題にスムースに移行できれば大成功だが、とりあえずはその話題について思考しようとしている、ということくらいは伝わる程度の演技が必要だ。そういう時に横にいる人と目で困惑を共有できるとストレスも溜まらず演出性も高いのだが、残念ながらそういう困難な場におかれたことがないのでこれ以上はよくわからない。言うまでもないが、少なくともそういった会話の場での演出だとか、話題の移行とか、それに伴う発話者の責務だとか、そういうのはいわば「会話のリテラシー」であって、「科学リテラシー」とも「頭のよさ」ともまったく関係ない。
以上、外野から。
疑似科学を衰退させなきゃ」という思いが根強い。
しかし、「科学リテラシーが低くても、社会生活上支障ないじゃん?」という
投稿がはてなブックマークを集めている。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090921/1253543117
>世間一般の科学知識って、実は絶望的にレベルが低いんじゃないか、とは、私も過去何度か感じたことがあり。
>でも、逆に考えると、その程度の知識しかなくても、多くの人は幸せに人生を送ることができてるわけですよね?
>それも、そういう人がとりたてて低学歴で社会的地位が低いとかそういうことではなくて。
>……ウチの奥さんだって、明らかに科学リテラシーは私より低いけど、社会人としての適性は私より高いし。
そうそう、ウチの妻も科学リテラシーめちゃ低いケド、世渡りは小生より「上手」だ。
これをもっと直球で言えば、
「理系人間(科学リテラシーを有している人間)は、確かに論理的思考力や知識には
秀でているが、うまいこと世渡りをする術、以前の流行語で言えば「EQ」が低い」
と言えないか?
例えば、科学リテラシーが高い人は、血液型占いについて、基本的に否定的である。
しかし、例えば職場での茶飲み話で、血液型占いの話題になったときに、
真顔で「あれって科学的根拠ないんですよ、皆さん騙されていませんか?」と
言ってしまうと、「場の雰囲気」がぶち壊しになる。
一方で、科学的リテラシーが低い人は、場の雰囲気を壊すことがなく、
会話も弾み人脈も維持する。
どちらがEQが高いか、は明白である。
あるいは女性とのデートの際に、ついつい理系的な受け答えをしてしまうと、
「場の雰囲気を壊してしまい」、女性に逃げられてしまう。
異性獲得という側面においては、なまじ科学リテラシーが高いと
「足を引っ張ってしまう」面がある。
(勿論、「理系的な頭のいい人がいい」という女性もいるだろうから、
科学リテラシーが100%ダメ、ということはないのかもしれないが)
まあ、一番「賢い」のは、
TPOをわきまえて、科学リテラシーを『封印』する」理系人なんだろうが、
その『封印』のタイミングが難しい。
小生も「TPOを察知して封印」という「大人の態度」を取れるのだが、
ビミョーに疑似科学だと、うっかり『封印』し忘れることがある。
以前、職場の話題で「フロッピーディスクはドクター中松が発明したんだってね」
という話題になったときに、「いやいやあれはドクター中松じゃないんですよ」と
うっかり言ってしまって、「場が白けた」という失敗を個人的に経験している。
この場合、変にドクター中松やフロッピーディスクについて「予備知識」を
持たなかった方が、「EQ的には高い」のである。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
結局、その「科学的な説明」が与えるインパクトで判断している気がする。
あとは、その説明を語る人間の立ち位置、なんてのも気にしてる。
「商品を売りたい」とか「情操教育をやりたい」ってのがミエミエだったりすると、途端に嘘臭く見えてしまう。
もちろん、上記に当てはまらないパターンも数多くあるし
「科学的かどうかを見分けるのに、非科学的な方法に頼るのはおかしい」という反論も予想できる。
でも、科学リテラシーを持ちえない一般人には、このレベルでしか見分けがつかないように思う。
言うなれば「雰囲気の暗い路地裏には入るな」と同じようなニュアンス、かな?
ここには理系に強い諸氏が多いと思うので、どのようにして判断しているか興味のあるところ。