はてなキーワード: 東京タラレバ娘とは
https://anond.hatelabo.jp/20170625153549
「やれたかも委員会」自体はキモいし大概やれてねーよと思うエピソードしかないが、要するに「逃がした魚は大きい」っていう話でしょ?
実際、あの場面で女性に迫っていたら拒否されて罵倒されまくる・怖いカレシとかパパが出てくる・レイプ犯になる等の結末は大いにあり得る。
それを、実際には迫らずヒヨって終わったからこそ、「あれはやれたかも、いややれたな~ww」みたいに武勇伝的に話せるという話。
セックス限定で、男が大抵キモめのデザインで、そんな勇気もないのに上から目線で「やれた」っつってるのがキモいのであって(そこが激キモポイントなのだが)、それらのフィルターを外せば似たような話はごまんとある。
例えば、「東京タラレバ娘」とか一巻しか読んだことないので詳しく知らんがそういう話だと思う。
これら二つは私は「キメェ」と思っていた。
でも、もっと言えば、中山美穂の「Love Letter」とかも、話的には同じだと思う。この映画は好きだ。
同棲を始めて半年が過ぎた今、家での暇つぶしを目的に久々に漫画をいくつか買った。
そのうちのひとつが「東京タラレバ娘」だったわけであるが、この漫画、ひどく情緒不安定にさせられる。しかし、中毒性があって、読むのを、考えるのをやめられない。恐ろしい漫画である。
二十代前半の頃、足を使った芸能人の追っかけをしていたわたしは、時折ふと自分の未来に不安を感じて、アラサーの友達と集まるたびに将来どうするのかということを話していた。
とてもかわいくて、若い頃に、そのかわいさを使って当時の推しの関係者と身体を張って繋がり、なんかうっかり付き合ってしまったY子ちゃんから、言われた一言が印象深い。
「わたしも25くらいからすごく悩み出したよ。そういう年なんだよね。もうおたく辞めようと思って現場控えたこともあるし、彼氏も何人か作ったよ。けど結局今ここにいるから、もう諦めてるかな」
Y子ちゃんとは水面下で繋がり、業界人的な芸能人的な人たちの集まりなどにたまに一緒に行ったりする仲だった。
普通にご飯を食べたり家で遊んだりしたこともあるが、当時はお互いに、このコネを使ってなんとかもっと状況を改善できないか(繋がり的な意味で)と必死だったので、どこか浮ついた心でそんな話をしていた。
当時まだ二十代前半だったわたしの漠然とした不安はぽっかりと宙に浮いて、「誰しもそろそろそんな不安を抱える年頃なのだな」という程度に、結論を伴わず据え置きとなった。
ぼんやりと生きている人にも、堅実に生きている人にも、平等に時間は過ぎる。
その頃と状況はうってかわって、わたしはもうレコーディングスタジオやリハーサルスタジオの前で立ち続けることをかなり前に辞めていた。
あまりにも辞められなくて一時期は、当人に「好き過ぎてやめられない、つらい、もう辞めたい」とメンヘラ気味に相談したこともあったが、ふとしたきっかけにダメ男に引っかかり、そのダメ男から立ち直るためにまた別のダメ男に引っかかり、今に至る。
趣味に思い詰め過ぎて、恋愛ごっこ以下の付き合いばかりになっていたわたしにはそれはちょうどいい荒療治で、すっかりほとんどおたくからは足を洗って、澄まし顔で二人暮らしのマンションと職場の往復の毎日を送っている。
けれど、今後の数十年、もとい生きている間の時間の方向性を決定するには、わたしの中身は子供過ぎた。
内申点が足りないから適当な私立高校に進学する、三年先までの未来を決めた。
特に就きたい仕事がないから通える範囲で一番偏差値の高い大学に進学する、四年先までの未来を決めた。
転勤なく関東圏で就職して職歴をつけたいから、とりあえず社会人スタート地点という数年分の未来を決めた。
たまたま就職に関しては特に問題もなかったので定年まで勤めようと考えているが、それは今の日本を考えれば本当に運が良かっただけだと思う。
わたしはたった26年生きてきた人生の中の経験だけでは、どれだけ振り絞っても、結婚するという未来に向かって大ジャンプを決められない。
一方で、この26という数字が28、30、そして、33になったところで、特に何か特記するような経験を得られるわけでもなく、それこそ「タラレバ」のように、26のあのとき決断していれば、28のあのとき、30のあのとき、というふうに、得られるのは、数年先の未来からの後悔だけだということはなんとなくわかっている。
特に彼氏になにか大きな問題があるわけでもないが、特別「このひととなら絶対に幸せになれる」という保証があるわけでもなかった。
そんなの当たり前である。そんな人間はどこにも存在しないのである。
しかし、大義名分のようなものをもって、結婚するカップルもいる。
初恋同士の結婚は、結局旦那に社会的地位や年収がそれほどなくても「やっぱり二人は結婚しなきゃね!」と持て囃される。
当人同士だって、今更別れて条件のいい相手と結婚しても絶対死ぬまでに数えきれないほど「やっぱりあのとき初恋の人と結婚していたら」とタラレバするだろう。
「堅実ね」と親世代から大プッシュな上に「公務員か〜、安定してていいね」と女友達からも絶賛である。
こういう客観的な要素で他人からプッシュしてもらえる結婚を少し羨ましいなと思った。
もう26されど26である。
大卒だとまだあまり結婚している友達は少ない。SNSを見れば飲み歩く女友達に溢れている。みんなきらきらした独身を謳歌している。
幼稚園の頃のように無垢ではないから、「結婚してお嫁さんになる」ということを「幸せ」とまっすぐ結びつけられない。
結婚して、子供を産んで、子供が大人になって、結婚して、孫が産まれてという当たり前の幸せを送ることがどれだけ困難なことか、知識だけでは知り過ぎていた。
何組に1組が離婚する世の中だとか、統計上では、片手で数字を数えられる子供ならわかるような算数なのに、
その原因は十人十色で、こうがこうである、ゆえにこうである、というような明確な条件下に成立する結果ではない。
それなのにまわりは、アラサー女子に「次はあなたの番ね」などと軽々しく声をかける。
二十代前半の頃に、鼻で笑ってかわしていた言葉となんら違いはないはずなのに、もうあの頃のように軽やかにかわせない。
それほどまでにわたしの背中には、知らない間に、生きていくには無駄ないろんなもの(一種の保身のようなもの)が住み着いていた。
最近結婚したアラサーの事務さんに結婚するのか、と聞かれて、「しようって話になってるし、するんだろうと思うんですけど、漠然とこれでいいのかなって不安です」みたいな話をしていたときに、
「結婚ってまわりに言われたからするもんじゃないよ、自分たちで決めてしなきゃ」と言われた。
たしかにきっとその人はまわりに結婚を急かされても大事に大事に愛を育んで、自分たちのタイミングで結婚したに違いなかった。
「どうして結婚しようと思ったんですか」と聞いたときに、「ずっと同棲してたからこの人とするんだろうなと思ってた」と言われた返事がわたしには眩しかった。
わたしは、すぐ結婚してくれない彼氏と同棲し続けていたらメンヘラ拗らせて酒飲んで泣いて吐いてを周期的に繰り返すくらいには弱いだろうし、たぶん別れて婚活する選択をとるだろうと思う。
そのひとはわたしにはない強さを持っていた。
わたしは今、そんな強さを持ち合わせていない。
好きだからずっと一緒にいたい、という気持ちと、結婚するということとの間に乖離があって、その重さの違いに戸惑う。
家族になる、ということはわたし一人が失敗しないようにコントロールできる範囲を超えていて、絶対的な自信を持てない。
けれど、持たなければいけないのだ、きっと。
もしこの人と結婚したら、とか、結婚しなければとか言っている場合ではないのだ。
制服を着ていた頃、「マリッジブルー」という言葉の意味を理解できなかった。
きっとつらつらと書き連ねた言葉たちは、一言でいうと、一種のマリッジブルーなのだろう。
けれど、16の頃のわたしは知らなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20170327002725 の元増田です。
とにかく吐き出したい一心で書き込んだものにさまざまなお言葉をいただき、とても驚いています。
書き込んだときは、一つ二つコメントがあれば御の字、よくて炎上事案だろうと思っておりました。自分が発信したものに、こんなにも多くの方からの方から反応をいただいた経験もなかったため、あまり現実味がなかったのも正直なところです。
しかしながら、増田の皆さんがコメントするという手間を割いてくださったこと、純粋に嬉しく思います。読み初めは恐る恐るでしたが、最後には泣きながらすべてのコメントを拝読しました。
ありがとうございました。
いただいたコメントの中には、はっとしたり、感銘を受けたり、お礼申し上げたいお言葉がたくさんございました。
今後立ち止まったときに読み返したいという思いもあり、誠に勝手ながら覚え書き代わりに再び書き込んだ次第です。
こんなところまでご覧になる方はごく少数かと思いますが、以下、先の書き込みを通してわたしに投げかけられたと思しきコメントを中心に挙げさせていただきました。
わたしの頭が及ばず文脈を読み取ることのできなかったコメント、コメントに対するコメントなどついては割愛させていただきます。本旨を拾うことができていない場合も見受けられるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。
自覚がなかっただけ余計に質の悪い「いけ好かなさ」があったのだろうと思いますし、言い訳以上でも以下でも無い書き込みでしたのでご指摘ごもっともです。貴重なお時間をいただいてしまいすみません。
解決法、相談場所など考えるなり調べるなりすべきだったところ、自分勝手に思い詰めた挙げ句思考停止していました。
- 単なるビビリやん、行動するのに御託を並べてる時点でビビリ卒業できてないわ
- 自分の人生から逃げ続けていると、そのうち人生からしっぺ返しを食らう。
- 傷つくことを恐れて逃げると、もっと傷つくことになる/同世代にだって心を受け止めあえる優しい人がいることをまずは知って欲しい。とにかく探して話していけば、きっと人として愛しあえる。
- 残念、悉く受動的。恋愛に限らず、してもらうことばかり考えている人に惹かれる人は少ないと思うよ。許されたい、愛されたい、と他人に望んでばかりじゃね。
- コンプレックスのせいで受け入れてくれそうな人に甘えているだけでしょ。お洒落やモテる努力をしてコンプレックスを解消してみては?30代は出会いが沢山あるので遅くないよ。今諦めると10年後にもっと後悔する本当に
- 酷い言い方かもだけど、メソメソこんな私を愛して延々言ってたら、一生搾取おじさんの餌食から抜け出せないと思う 自分も自己肯定感低いけど、なんとか脱しようと努力しているから増田さんとは相容れない
コンプレックスの強い部分が性にまつわる事柄に集中していたのでああいった書き込みになりましたが、そもそも人として受動的である、ということをコメントを通して実感しています。
こちらも仰る通りだと思います。
自分と向き合うこと。価値を見出すこと。認め、受け入れること。すべて放棄してしまったがゆえの今のわたしですね。
このあたりも刺さったコメント群の一つでした。
自主性を放棄したのも自分の選択ですが、そのあたりを「放棄せざるを得なかった」と外に責任転嫁。「誰かと恋愛を共有できずとも生きていく」ということに固執し、「私は違う」と言い聞かせながら、どこかでは自分から愛するのでなく選んでもらいたいという望みを抱えていた気がします。
いや、抱えて”いた”というか。現在進行形の方が近いでしょうか。
なので、こちらのご指摘の通り、自尊心の壁を崩して自己開示することは大きな課題だと思います。
不倫は二度とごめんですが、(誰かに迷惑をかけない形で)失敗を恐れず経験を積み重ねることができたら素敵ですね。
自分が傷つきたくない一心で積極的な行動を避けるようになりましたが、はたしてそれで何を守ることができたかと問われると、得心のいく答えが見つかりません。
文化的な背景であったり、そもそも現実的な部分であったり、分かっていなかった部分がたくさんありますね。
少女漫画やドラマのリアリティを疑う頭はあるくせ、夢見がちな自分の頭を自覚する能は皆無だったのだとつくづく思いました。
わたしが選り好みしない人間であれば、何食わぬ顔で件の人との関係を続けていたでしょうし、きっとああいった書き込みもしていません。
いくら年上が好きでも不倫だなんてありえないし、人の旦那に引っかかるような女にはなりたくない。そう思っていた十年前の自分に今回の書き込みとこちらのコメントを突き出してやりたいです。
正直ぐうの音も出ません。
- 老婆心ながら、その欲求は意識してコントロールしないと望まないトラブルとか、心ない人間に騙し討ちされたりしやすくなると思う。
- 欲求がないのに無理して合わせようとしてた自分からすると欲求がある時点で十分に女というかまっとうな人間様に見えるんだけども欲求が先走ると不要なトラブルがついてくるのもまあわかる…運だな~
- 性的欲求が強くて自信がない女性って、不倫狙いのクズ男の格好の餌食だなあ。さっさと次行きましょう
- この悩み非常にわかるんだけど何かしら変わらないとまた同じような不倫おじさんに捕まってしまうと思う、自己肯定感がないと変なのに搾取されてしまう
- 自分も昔は年上命だったな。年を重ねたおかげか、最近は5歳上くらいが限度だな。あんまオッサンだとふとした時に萎えそうだし。性欲については自分で折り合いつけるしかないよねー。妻子持ちになんて騙されちゃダメ
- 悪い男に引っかからないように気を付けてください!!
年齢ばかりが大人の濃度を増すのに比例して、欲求も複雑かつ深くなっていくので、大人として制御の仕方も覚えねばと強く思います。
同じ轍を踏まないための必須スキルが自己肯定であることも忘れずにいたいです。
コメントを受けて自分の文章を読み返したのですが、見てくれからして自分を好きになることができないあまり、中身はおろか包装さえ魅力がない!だから手にとってもらえない!という書き込みになっていましたね。
もちろんそう感じていたのは事実なので、コメント一つ一つから見目に執着していたことを自覚することができました。
書き方が悪かったため「可愛らしい女の子」に内面も含まれることが全く伝わらなかったことと思います。すみません。
わたしが羨んだ親友たちが(自覚的にせよ無自覚にせよ)努力で構築してきた「かわいさ」には、親しみやすさであったり、思いやりであったり、内面の豊かさに表れるものもたくさんありました。わたしが可愛いと感じた外見も、そうした内面から滲み出る表情・仕草が大半を占めていた気がします。
明るく振る舞っていた彼女たちと、マイナスばかり抱えて鬱屈していたわたしとでは、比べるべくもありませんね。
自分の書き込みが外見ばかりに言及した内容であることに気が付かなかったあたり、内面から目を逸らしているというご指摘は的を射ていると思います。
このあたりもすごくはっとしたコメントばかりです。
女として、女になりたい、女、女……と再三嘆いているわりに、わたし自身が劣等感を通じて「女性」という性を蔑み、貶していたのではないか?と感じました。
自尊心にしがみつき、わたしの憧れる「女性」に対して「わたしは違う」とどこかで思っていたのと同時に、女性としての価値も勝手に決めつけていた気がします。これもまた思い上がりですね。
- すごい違和感。増田の中で「女性=選ばれる立場」という認識?選ばれたいという願望で自覚的にそう思ってるならまだしも、増田にだって愛する権利は勿論あるし「人として」愛されるという選択も確実にあると思うけど
- ショーケースなんかに並んでないで、自ら狩りに出れば選びたい放題だよとマジレス。
- この人は「選ばれること」「評価されること」を強調するけれど、自分自身もまた「選ぶ立場」「評価する立場」であることを忘れている。その非対称性が少し気にかかる。
- 受け身は止めてみたらどうか。あなたが主導でも恋愛は成り立つ。
- 既婚者なのに言葉巧みにおいしいとこだけ持ってこうとするやつなんかに選ばれようとしなくていいよ。そんなショーケースに自ら入る必要ないよ。あなたを「選んで」くれる人を、自ら選べるはず。
こうしたご指摘を受けた根底には、上記のような「女性」に対する偏った価値観があったのだと思います。
日常生活の中で無意識に「選択する」ことを繰り返しているはずですが、そのあたりを自覚できていなかったのも問題なような……自己肯定すること、主体性を持つことにも繋がると思いますが、前向きに選ぶことができるようになるのも課題の一つと感じました。
- ショーケースなんかに並ばなくていいじゃないか。
- 男子からしてみれば、女子の考える女子力で女子を選んだり好きになったりはしない。女子の、いい匂いとか可愛い仕草とか胸が鳴るモーションとかは意識するきっかけでしかない。ショーケースに並ぶより選んじゃいなよ
- 愛とはショーケースの外で成立するものです。
- 女としての地位とかショーケースに並ぶ努力ではなくあなたの趣味と同じ一つの楽しみじゃないのかな。たまたまその楽しみが直接自分自身に向かっているので欠点を直視したり自分を大切にすることに繋がったのだと。
- 恋愛もおしゃれも、ショーケースに並んで奴隷になるためのものじゃないよ...。思いつめて不幸に向かって突き進んでいるようでつらい。
前述したコメント群から繋がるものですが、こうしたご指摘は、偏った価値観に縛られて手段が目的になっていたのだと気づかせてくださいました。
ショーケースに並ぶことは女として取り得る手段のひとつにすぎず、それ以外の選択肢があることを理解しようとはしていなかったのかもしれません。
労っていただいてありがとうございました。
上記の通り偏った価値観から好き勝手に嘆いていましたが、「女」になることで何が欲しいのか?という問いに対する明確な答えを持ち合わせていなかったことに気がつき呆然とした次第です。
好みの恋人を得るために可愛い女性になりたかった、というのが当てはまるような気はしつつも、女として生まれた自分が持ちうる一番身近な「愛される形」が「女性」だったのでは、とも思いました。
いまさらながら、東村アキコ氏の『かくかくしかじか』を読んだ。止まらなかった。
東京タラレバ娘のイメージしかなく、正直馬鹿にしてた。ただの軽いストーリーなんだろうって。読む前から決めつけていた自分が恥ずかしくなるくらいに良い漫画だった。三日間で3周くらい読んだ。それでもまだ、得るものがたくさんあった。それは多分、彼女が人生を削って描いた漫画だからだ。テクニックの上で作り込まれたストーリーではなく、その人の人生を削らなければ描けない作品だと素直に思った。
「描け」。漫画の中で繰り返し語られるこの言葉が、この漫画の全てだ。そのことの重要さに、気付いてはいても無視し続けていた自分が情けなくなった。東村アキコ氏の場合は「描け」だったが、この言葉は人によって変わる。「走れ」なのかもしれないし、「書け」なのかもしれないし、「作れ」なのかもしれない。その単純な単語が示すことは、「動け」ということに他ならない。そこから逃げずに、ただそのことをすることの意義。言い訳ばかりの自分が恥ずかしくなった。やれない言い訳を考える前に、やったあとの何かを妄想する前に、その行動をただ行うことの美しさと、それがただ一つの本質であるということの変えられない事実。それを、漫画という形に変えてまざまざと見せつけられた。「描け」ということに対する後悔と、そしてそこからの気付きを持つ彼女が描く漫画は、強いと思った。
ただ「描く」ことがどれだけ難しくて、そしてどれだけ大切なのか。そしてその大切さには、その当時は気付けないという誰もが経験する話。まとめてしまえばそれだけの漫画だし、よくある話だ。ただ、彼女はそれを「描いた」。歳をとればわかるが、自分の後悔と向き合って、それを言葉にして(この場合は絵も含むが)人に伝えることの強さに惚れ惚れした。かっこいいと思った。
かくかくしかじか、こうあって、漫画を描いている。そんなゆるい始まり方をするはずなのに、伝えたいメッセージは重くて、大きくて、そして大事で。多くの大人が逃げてしまったことに強く向き合っていて。そうして生まれたこの作品を、もっと多くの人に読んでほしいなと思ってこんなところに書いてしまった。
読みました、東京タラレバ娘
東京オリンピックを一人で過ごしたくない!ってねアレね
吉高百合子と榮倉奈々と大島優子がアラサー演じるって?オッケーオッケー、とりあえず原作から入ってやるよとね
読みました
処女、この世に生まれて二十二年と約半年が経過してる程度だけどその気持ち分かる~っつってね
上手くいかないことってあるよね~辛いよね~あっこの天狗舞って酒この前呑んだわ~とか思いながらね
読み進めていたら、最後のページで吉高百合子がイケメンモデルとセックスしてて
よ、吉高百合子………………
迷わず「最初のページに戻る」をタップして、5ページ読んで気付いた
吉高百合子も榮倉奈々も大島優子も、現時点で恋人もおらず結婚もしていないというだけで別に全然処女とかモテないとかそういう設定じゃなかった……
何なら数ページめにして告白されてた……
オッケー
これに関してはね、本当にもう、処女の瞳が濁っていたとしか言いようがない
今日、会社休みますの花笑だって一巻一ページ目にして処女捨ててたし
オッケーオッケー
冷静に状況を把握しよう
あらすじなども読みつつね
「あの時付き合い続けていれば」
失ってしまった若さや時間、立場や美しさを嘆きながら、それでも今ある現状で踏ん張ってやっていこうと
そういう話なんだそうです 多分 メイビーね 処女試し読みしかしてないからわかんないんだけど
なるほどねー
そういうはなしねーわかったわかった
一つだけ言うね
苦節二十二年 守り続けたこの下半身
七年前から弟子に入れてる厨房のヒデがね 嫁さんも貰ったってんで
おやっさん、俺そろそろ独立を考えてまして…と申し入れしてくる
嗚呼お前ェもそんな時期かねぇと営業終了後に店のカウンターで飲み交わすわけですよ
割烹で決めたおかみさんに「オイ、天狗舞持ってきな」「あらやだ、見栄張っちゃって」ってね
男二人膝突き合せて、普段は表に出てるおかみさんがカウンターに入って準備してくれるのがタラの白子ポン酢ってなもんでね
分けてほしい
早急に分け入ってほしい
荒々しく繊細に
分け入っても分け入っても青い山ってんでね
山頭火も戸惑ってるわけですよ
「まだ青いの?!」っつってね
こっちも青さには自信があるわけですよ
隣の芝生も青いと聞くがこっちの下半身はどうかな?! っつってね
ほんとね
もう二十二年も青いまま 熟れ切らぬ青い果実っていっても限度がありますからね
性の乱れとか若者の乱れとかね
この青い山と来たら乱れ、皆無 凪の海の如く
周りの荒波に一切の影響を受けない様と来たらまさしく下半身のバミューダトライアングル
大体ね、二十二にもなってくるとね、周りも当然のものとしてくる節がある
「今彼氏居ないのー?」っつってね
「え、でも彼氏居たでしょー?」っつってね
恋人一般が存在していた処女の過去を平然と会話の一端で想定してくる
普通する?
「今はピアノ弾かないのー?」とか
「え、でも昔野球やってたでしょー?」みたいなこと 言う?
やってねぇから!
隣のみっちゃんがポロンポロンアンアンキャンキャンしてる一方でこっちは冒険王ビイト読んでたから!っつって
え、いや、居た事ないですけど……なんて言おうものならね
下手をすると人格を疑われる
どういうことー?っつってね
白と黒、男と女の鍵盤を爪弾かずに冒険王ビイト読んでただけでメンタルがヘルシングー?っつってね
ビイトとポアラの関係とか見てたよー
アラサー女性が恋愛に悩む漫画やドラマを見ると、性的にとても興奮する。
「東京タラレバ娘」とか「いつかティファニーで朝食を」とか、そういうのって最近増えているけど、男からしたらあんなんポルノだ。
美人のアラサーがまだ売れ残っていて、誰と恋愛するかで悩んで、年下とヤッちゃったり、元カレとワンナイトしたりって、それってもうAVじゃん?
しかもそれを「わかるわかる〜」って大勢の女性が共感しているんでしょ?
え? みんなそうなの? そんな簡単にワンナイトしたりしているの? この漫画買っているあいつもこいつも?
タラレバでは既婚者の男と愛人関係になるキャラがいるけど、それも普通なの? 結婚していても独身アラサーとバコバコやっていいってこと?
そういうものがベストセラーになってドラマ化するってことは、そんな人ばっかってこと? エロエロ列島だな、日本!!
内容もそうだけど、あれに共感する人がいっぱいいる、めちゃ人気出ているっていう状況にめちゃくちゃ興奮する。こんな人は多いと思う。
そういうこといきなり聞く上司です。とは流石に言えないので、
「女ともだちがひとりもいないんですよ」と言ってみた。
本当にそうなのだ。
私はいま30で、女の友だちはひとりもいない。
まあ、居酒屋でタラレバ話ができる友人関係なんてユートピアですよねえ、と
女の結託ってすごくすごく大事なの。
といった営みにのぞむような人は
とりあえず話聞くから。飲みましょう。
え、ほんとに? ほんとにそうなの?
女どうしの結託って、そんな必要なのかな。
熱心な飲みのお誘いを熱心に断って、
女どうしの結託って、そんな大事なんだろうか。
結託できない女は生きのびることができない、くらいの真顔だったけれども。
女どうしの結託のなかで、私や、私の旧友は、何度も殺されたけれども。
入口すぐに『東京タラレバ娘』がガン詰みで、
ああ7巻発売日だったなと思いながら、
なんというか、「動物は子孫を残すために生きている」という本能プログラムを発動している気がして、本能的な満足感のようなものを感じる。
子供が嫌いって思ってた人(私の妻)も、なんだかんだ育て始めたら可愛くてしかたなくないとずっと言っている。
子育てが大変だし嫌だかな〜って思ってた人(私の妻)も、(実際大変だけども)満足感のある暮らしが出来ると話している。
そんなことを思いながら、自分の大学時代の女友達を見渡すと、まだ結婚していない人がとても多い。
特に東京でバリバリ働いている女子の未婚率は恐ろしいものがある。
バリバリ働いているといっても、勝ち気なタイプの女性じゃなくて、言葉は悪いがキラキラ感にややかける、真面目系の女性だ。
うちの大学は、トップクラスの大学で、女子でも地方から来ている人が多い。勉強は出来るし、優しいけど、少し垢抜けない感じがずっと残っている。まぁ、私もそうだけど。。
端的に彼女らを説明すると、「妻として優秀になるだろうが、セクシーさ/可愛さに欠ける」といった感じだ。
見た目や雰囲気がやや劣るくらいで、性格はかなりいいし、賢さもある。一緒に学生時代、学園祭とかイベント運営をやったからよくわかる。
何よりの問題は、彼女らには結婚願望があるし、経済的にも余裕があることだ。
あんなに優秀で真面目で、育ちもよく、結婚願望がある女性が30半ばにもなって独身/子無しというのは、社会的に損失としか思えない。
の二つだと思う。
一方男性は、かわいさ/セクシーさがある女性を求めるから、彼女らにはたどり着きにくい。
婚活サービスに登録しても、もはや、34歳を超える女子は、いくら人間的に優秀でも、20代の女子に市場価値で負けてしまう。そうすると、プライドの高い彼女らがどうにか妥協するしかなくなってくる。けど、できない!みたいな。これってまさに東京タラレバ娘か。
彼女らに(言えないけど)いいたいことは、
くらいかなぁ。。とにかく最終的な幸せを手に入れられればそれでいい。大事なのは、性格の裏の裏の見極めだよ、と強くいいたい。
なんじゃないだろうか。
知らぬ間に、自分自身が人をみる目が変わっていくんだよ、そして年も取るんだよと、今の若者には言っておきたい。
読み返すと、何か見下しているような文章になっちゃったけど、彼女らの方が自分より性格もよいし、賢いし(だいたい現役組)、仕事もできるし、いい会社にもいっている。人間的には格上だ。
ほんと、みなに幸せになって欲しい。
残念女・・・見た目は中の下~中の上なのに、恋愛がうまくいってない女。性格が残念なせいで彼氏がなかなかできない女。
セフレ沼・・・本命にしてもらえずずるずるセフレとかセカンドとかに甘んじてる女。
とまず定義したい。アラサー女に多い問題で、東京タラレバ娘を読んで泣いてる女どもはこのどちらかだろう。
年齢を問われて20代にマルするようになってから、なんでそんなアラサーって辛そうなの?????と思うようになった。
確かに、キャリア、結婚、年取ってきた親のこととかいろいろ大変だとは思う。しかし恋愛だけならそんなに難しくもないだろうよ。どうしてそんなに深く考えてしまうんだ。
残念女は恋愛を重く捉えすぎてる。セフレ沼に嵌ってる女はセックスというものをもっと真剣に考えろ。
結婚のことは別として、恋愛とセックスについて思うことを書きたいと思う。
・残念女はどうしてそんなに恋愛で受け身でいられるんだ
残念女は自分から男にアプローチしたがらないことが多い。恋愛というのは男がリードしていくのが当たり前だと思っている。デートでのエスコートが手慣れていなければ文句を言い、誘われなければ女友達に愚痴をこぼす。自分から動かなくても男がホイホイ寄ってくるようなミスコン級の美人なら何もする必要はないだろうが、そうでなければなぜ動かない。「いいな」と思う人がいるならば、何か行動を起こさないと獲物は他の女に取られてしまうのに。デートだって、相手に文句を言うくらいなら「私はこんなデートが一番好きで、楽しいと思うの!」というデートプランを練ったり誘ったりすればいいのに。デートのエスコート、車の運転、ディナーの予約を女がするのもカッコイイと思う。男も女も同じ人間で、平成っていうみんな平等な時代なのに、何にそんなにとらわれているんだろう。家庭を持ったら旅行の計画だとかはお母さんの仕事になることだってあるだろうに。傷つきたくなくて動きたくないなんて甘えたこと言うなら恋愛する資格ないと思う。男だって傷つきたくないはずなのに。
彼氏が欲しいなら、好きとか好きじゃないとかそんなことを考えるのは後回しにしてまずはいろんな人と仲良くなればいいと思う。知人や友人との「付き合い」と、男性と二人で遊ぶことがそんなに違うのだろうか。それが「デート」「交際」みたいな恋愛を匂わす単語になるだけで残念女は気が重くなったり、反対に気合が入りすぎて空回りしたりする。駆け引きのような面倒くさいことはやめて、試しに遊んでみるか~的な気楽さで臨むのが本当の大人の恋愛なのではないかと思う。恋愛に自分をレベルアップさせたり、人生を180°変えてしまうような力なんて無いのに、残念女は夢を見すぎている。自分と同じ部品でできてる動物にそんなことができるわけがない。モテ男は魔法にかけられたと錯覚させる力は持っているけれど。自分を変えてくれることを勝手に期待しておいて、勝手に落胆して、を繰り返すのはなんの生産性もない。
残念女の凝り固まった喪女マインドについて思うことは結構あるが、残念女のおかげで私のような女がそこそこの需要を得られているので感謝はしている。ただ、男の口から「女はさ~・・・」と語られる女像はだいたい残念女で悲しくなる。
ちなみにどうしても彼氏が欲しいならTwitterで出会い厨アカウントを作り、出会い厨男をフォローしオフすれば秒でできる。そうしないのは、そこまで切羽詰まってない≒そんなことしなくても私には男が言い寄ってくれるはず と思っているからだろう。
セフレ沼について書く前に、私に継続2年のセフレがいることと、ワンナイトラブには興味がなく特定の相手と定期的に致すのを楽しんでいることを書いておく。
私は頭と身体、愛と性欲がバラバラなタイプで、むしろ愛と性欲を一緒にすることのほうが難しいという男寄りな考え方だ。セフレのことは勿論好きだが愛情はないからお互いの部屋でしか会わないし食事も一緒にはしたくない。いわゆる「デート」の部分を全部なくして、単純にセックスすることだけを楽しむ関係以外は本当に泥沼だと思う。だから、彼女にしてもらえないけど好きだからセフレ・・・という姿勢ではなく、その男で遊んでやってるくらいの気持ちでセックスすべきだ。セックスは愛を確かめる行為という認識は捨てたほうがいい。それは高校生までの、または少女漫画の中のお話だ。現実はもっと煩悩にまみれている。セフレというのはあくまで「フレンド」で、最後まで「フレンド」だ。セフレから本命に昇格することはまずない。フォルダが別だからだ。すでにセフレ沼に嵌っているのなら、一番の「セックスもするフレンド」を目指したらいいと思う。面倒なゴタゴタを省き、割り切った関係をお互いに楽しむのがセフレで、傍にいたい、いつかは彼女に・・・と悶々としているなら時間の無駄だ。
多分男は「抱けるなら抱いておくか」みたいな気分で抱いている。と思っておいたほうが賢明だろう。そうでない男も、そうでない時もあるだろうけど。女が「特に用はないけど会いたい」というのと同じことだ。深く考えても良いことは無い。男は処女を好む「処女信仰」を持っている人が多いと思うが、女も無意識に処女信仰を持っている気がする。貞淑なほうが好ましいとずっと日本ではされているからだろうか。経験人数はあまり多くないほうがいい、というのは最もだと思うが、処女もそんな大事なものではないと思う。初体験なんてそんな思い出にすべきようなことでもなく、ただのワンシーンだ。セックスはそんな記念のようなものではなく、愛の象徴でもない。生殖か、快楽かの二択なはずなのに。動物の繁殖のための行為と同じ原理で人間も繁殖するのに、そこに愛とか実体のないものを加えてファンタジーにしてうやむやにしてはいけない。生々しいことを直視して、セフレ沼から脱するか、または快楽として楽しんでしまうのか考えて、甘い言葉を並べて沼に沈めようとしてくる男に泣かされないでほしい。
惰性で読み始めた東京タラレバ娘もはやいことに第6巻が発売された。
この漫画を読んだアラサー女は共感するのか反面教師にするのかよくわからないがあーいるいるいるわこんなやつと思いながら読んだよ私は。
とりあえず赤ちゃんできたかもしれないと相談に来る女の大半が避妊してないからね。みんな何考えてるのか知らんが。
あと不倫女は自分のプライド保つのに必死だから「仕事も恋愛もソツなくこなす私」という偶像にたいへんな労力をかけるもんだ。
かたや男なんかは結婚の可能性がない女にかける熱量なんてアルコールランプの底に僅かに溜まるアルコールくらいしかないからね。
読んだ人間がどう思うかという点ではマミちゃんの言動ってかなり面白くて、あれ女だから言ってることが宇宙人みたいな感想になってるけど男ならマミちゃんと同じ考えの奴腐るほどいるからね。異性交遊が仕事の潤滑油になってると思ってるやつ。そんなのただの言い訳で遊んでなくてもいい作品が書ける人は書けるんです!!自分が思っているだけでお前の仕事なんてうんちょこちょこピーだから。遊びの経験がある人間が深みを増すって考え方いい加減やめろ!!
あとマミちゃんみたいなタイプは27、8歳あたりで急に落ち着いて結婚しちゃったりするけどそれは自分の仕事で社会に何かしらの影響を与えたいという思い込みが無理ゲーなことに気づいちゃったからだからまぁあんまり友達にはしないほうがイイぞ☆〜(ゝ。∂)
アラサー女の友情なんていうのは幸せの量を推し量る天秤の様なものなので結婚なんだ仕事かんだと盛り上がって楽しんでるところあるけどアラフォーになって仕事で成功したって結婚できない女に対する偏見は現代もあるある大辞典だからね。しかし結婚して専業主婦してるとあそこの奥さんはろくに働きもせずノンストップばかりみて妄想を膨らましてるんだと陰で言われてまったく女というのはいつの時代も生きづらいと思いますね。