はてなキーワード: 実際問題とは
分散化の時代だ!と歌っている方々がどこかの界隈に居りますが分散化時代は「過去既に来ています」。
古くは、封権主義で貴族と平民の時代から共和主義が広まることにより参政権や人権を得られた。
他にも、日本では平民でも金持ちや男性だけが参政権を持てた時代があった。
そこから「20歳以上」が参政権を持てるようになったのも「分散化」である。
物質的には豊かになったが争いも起きるしよりよくなった部分とよりよくなっていない部分がある。
大前提として間違ってしまう大勢の民衆がいるのは民主主義のコストとしてどうしようもない部分であり民主主義の影である。
根本的に、「全ての選択を間違わない正しい選択」を行えるのであれば政治なんて独裁制の方が綺麗に回ります。
某国のような独裁制ばかりを考えると間違ってるんですが、実際問題自分の生活がよりよく暮らせるのであれば
独裁の方が権利について余計な事考えなくって良いから楽でしょ?
分散化が進められるのは別に悪いことではないし、ある意味では正しい。
その意味とは「全ての人間が賢く自らが与えられた権利」について考えてよりよい道を選ぼうとする場合だけ。
なので、全能なる一人に全ての責任を持たせてしまう独裁制の方が「間違う可能性が一人」になるので楽でしょ。
今現在の世界では権利については「影響から知らんよ」とかインフルエンサーがいってるから・・・って流されて思考しない。
本当に何故その法律が作られるのか?を考えないし背景を調べない。
イギリスでのEU離脱でもそうだ、現在の日本の規制についても「日本は規制だらけだ!」と叫ぶが本当かどうか考えた?
全能なる独裁として分散化しているクラウドは「実装された通りに動く」から間違わないので時折発生する障害だけがリスクとなる「分散化」されている。
政治とか規制について分散化の時代だ!って叫んでる奴はそれによって得られる利益があるからであって
数年前からTwitterその他で色々話題になる白饅頭氏が実際問題どういう思想/人格の持ち主なのか、ちゃんと知りたくてしばらく彼のnoteを購読して読んでいた。正直なところ、いわゆる「ツイフェミ」に関する言説などは乱暴過ぎるとはいえ賛同できるところは多々あったものの、どうにも「気持ち悪さ」が拭えない文章が多かった。で、その一番の気持ち悪さを言語化すると「自分は知恵者である」という傲慢さが色々な記事で滲み出ているところなのかなと思った(「表」の記事は多少抑制的だけど)。
1.相手の状況がわかっていないのに相手の人生を変えかねない危険なアドバイスをしたがる
彼のnoteではよくマシュマロ経由で人生を相談をしてきた若者、中年男性、婚活女性などにアドバイスをしている。そのこと自体はいい。ただ、問題なのは相談内容から「白饅頭氏が想像した人物像」をまるで事実かのように話を進めて、ああしましょうこうしましょうとアドバイスしているところ。傍から見てて、なんで情報が不足しているなかで相手の苦悩の原因を断言できるのだろう?と気持ち悪くて仕方なかった。かれは発達障害など弱者の支援をする業種にもいるらしいので、ある程度想像がつくというのはあるかもしれないけど、それにしても「やり過ぎ」なアドバイスが目につく。相談者は白饅頭氏を神のように慕っているだろうし、それを忠実に実行するだろうけど、新興宗教の教祖様ぽい不気味さを感じる。これはマジな意味で。
2.学問的素養がないわりに、進化心理学などについて浅い理解のまま、都合よく曲解して持論の補強に使う
典型的には上方婚などの女性に関わる問題で顕著にみられるのだけど、これははっきり言ってまともに学問やってる人からする目を疑う内容。もちろん、現在の社会的性差の一部は生物学的性差の一部に基づくのはほぼ間違いないけど、男と女のすれ違いをすべてそういう生物学的なもので説明しようとするのは行き過ぎもいいところ。
もう見事なまでに。その時々で色々理屈はつけるけど、大体においてその話題で少数派である側を擁護する言説を展開する傾向がある。彼があえてやってるのか気づいていないのかは定かじゃないけど。
彼のnoteを見ると、まっとうな「他者との議論」が展開されているケースは非常に少ない。まあ、これは彼をやたら嘲笑する側も似たような態度をとることがあるのでどっちもどっちかもだけど、noteの中で批判されない持論をひたすら展開しているうちに、「自分が正しいんだ」と思いこんじゃったタイプじゃないだろうかとすら思える。
5.専門家嫌い
たとえば、コロナ禍で奮闘している専門家について、薄っすら嫌われているだの、アドバイスをするなら相応の品格を見せるべきだのなんだの(この辺りは雑要約)。多くの専門家はそもそも研究者であって、別に政治にしゃしゃり出る必要ないにも関わらず善意でボランティアやってるのに、とにかく見下しているだのなんだの、彼の思い込みに基づいて態度を問題にしたがる。一方で「学問的」な成果は自分の都合のいいように誤用したがる(統計にしろ進化心理学だの)。
他にも色々あるのだけど、白饅頭氏の言説はしばしば部分的には「公には言えないけどそうなんだよなー」というある種同意できるところがあるだけに性質が悪いように感じる。他のところで間違いだらけなんだけど、気づけない人が「俺たちに言えないことを言ってくれた!」とばかりに支持してる感じが。彼の言論を掣肘するつもりは毛頭ないけど、noteを購読して感じた彼の危険性、特に一面の真理を突いているが故に取り込まれやすいそうな面については書き残しておこうと思った。
あと、これは推測に過ぎないけどnoteで有料マガジン始める前の氏はそこまでやばくなかったのかもしれない。批判されない安全地帯でひたすら言論を繰り出す内にどうも変質したんじゃなかろうかとも考えている。これはサロンやってる教祖様にも言えることかもしれないけど、安全地帯で誰にも批判されずに言論を展開できるのが本質的に危険な気がしている。
まず上手く願いを思いつくことが出来なくて1億円下さいとか中途半端な事を言ってしまうパターン。
それで人生損をするわけではないがおそらく一生後悔すると思う。
逆に、1000京円下さい、とかあまりにも途方も無いことを言ってしまって現実世界に悪影響を与えるパターン。
そんな多額の現金が出現したら例え使わなかったとしても日本経済に悪影響を与えることが想像できる。
願いを100個叶えさせて下さい、とか言って神様の不興を買ってキャンセルされるパターン。
まあほどほどに1000億円下さいくらいのことを言えたとしても、
それはそれで現金をもらうなんて願い事で良かったのだろうか?とあとあとまで悩みそう。
ぎりぎり定型発達な俺の成長記録
子供のころから習い事などは続かなかった。そもそもタスクがあること自体がストレスで、いざ始めてしまえばそれほど嫌ではないことも、「習い事に行く」ことが嫌で続かなかった。
これについては、小学生に上がってから習い事を始めさせ、すぐに続けさせることを諦めた両親に感謝しかない。当然塾にもいかなかった。
なお、長じては飲み会嫌い、付き合い嫌いとなって開花し、無事、友人づきあいも交際も消失した。
継続ができないので、低学年の連絡帳などは、ほぼ真っ白だった。人生のやり残した感の端緒は連絡帳に違いない。
根気が無いので暗記もできなかった。例外は百マス計算で、多分自分の(興味ないことへの)集中力の限界がここらへんだったと思う。ミスは多かったが計算ができたことで何とか自我が保たれた。
テストはとにかく第一感で解いて見直ししない事で折り合いをつけた。空いた時間は、問題用紙にひたすら迷路を書いていた。
当然、ケアレスミスで点数は落とすし、漢字の書き取りなどは壊滅しているので満点にはならないが、8割くらいはとれていたので、ほおっておかれた。これも助かった。
すでにある程度分かっていることを繰り返すと激しく集中力が落ちたので、予習も復習もしなかった。小学生の頃はそれでも授業の進行が遅かったので、まだ終わらないのかと時計を凝視している嫌な生徒だったと思う。
待合室で漫画にかじりついていたので、近所のお医者さんに、この子は将来大物になるといわれたが、そんなことはなかった。
真面目に頑張ればなんにでもなれると、無責任に言う親だったが、中学生ぐらいには、医者とかパイロットとか100点をとれる人向けの職業には就けないと確信した。
なお、中学から始まった英語も暗記科目なので死んだ。たまたま近所に、例文の単語を隠してその単語を問う5W1Hの文章を作成するという特訓をしてくれる人がいて、英語の構文に慣れたので、全く筆記ができないにもかかわらずセンター試験でそこそこ点数が取れた。
理科は、とにかく根気が無いので、難しくて(解けなくても恥ずかしくない)薄いということでZ会の問題集にお世話になった。
なお、社会は地図帳にもかじりつくタイプ(鉄)の人間なので地理一択だった。
小さいころから人前が苦手で学習発表会とかは仮病を使ってよく休んだ。実際問題、風邪もよく引くし中耳炎なども一通りやられたが。
布団の中で横になって、NHKラジオの株価とか気象通報を聞きながら窓から雲を見ている時間が、今思えば一番幸せだったかもしれない。
そんなことだから、大学に入る前から卒論発表に怯えていた。後に、卒論発表よりゼミの方がつらいし、終わらない恐怖より恐怖の結末のほうがましだ、と知った。
基本、話ながら考えることができないので、人前に出る前には準備が必要、トラブったら諦める、と自分に言い聞かせているが、社会人になってもいまだにストレスである。
また、字の汚さもなかなかのもので、自分の書いたノートは自分でも読めないので残っていない。
高校の恩師が、教科書という立派なノートがあるからそれを見ればいいと言ってくれたのは、一生の宝物である。
あとは、両親があまりうるさいことを言わない人たちで、17時帰宅21時就寝という簡潔なルールだけを課してくれたので、生活が整いやすかったというのはあるかもしれない。(大学入学まで変わらなかった)
以上
WAIS-Ⅳ受けたらVCI(言語理解)が100くらいしかなくてショックだったけど、考えてみると小学校の読書感想文とか全く書けなくて中学の時に小学校低学年並の文章力と言われたこともあるくらいなので、実際問題言語能力無いんだろうなと思った。勘弁して欲しいけど。
ADHDの診断ではVCIとPSI(処理速度)の差が大きいという基準があるようで、俺は両方100くらいだったので特に診断は出なかった。世の中的には普通なんだけど、変にお勉強に興味が出て頑張っちゃったせいで持って生まれた知能よりだいぶハイレベルな環境に入ってしまったのが生きづらさの原因なんだろうなあと思う。。。
実際問題、葉っぱや果実と動物の命を等価に見ている人なんていないよな
例のゆたか作者さんが結局エセ活動家をやめたとのこと。どうやら満たされたらしいのだが、私としては「やはりな。」としか。
建設的な趣味がない人にとっては破壊することが趣味となるが、傍から見ればただの無趣味論者であり、危険性は高い。
しかし、作者さんは建設的な趣味をしていたからこそ離脱のきっかけが掴めた。
ようグレタ聞いてるか?お前も少しは技術を学んだらどうだ。ついでに日本の火力発電の効率の良さだとかそういうステレオタイプを蹴散らすことも勉強しろ。
乾き蒸気と湿り蒸気の違いもわからない人間に火力発電の事を語らせてはいけない。
ウェイ系と言えば人をイビリ、アルハラパワハラモラハラに勤しむ種族である。これも当たり前の話し。
そんな奴らに活動家思想を触れさせてはいけない。実際問題、そういうことは環境活動でも起きている。もちろんエセの方。
内申をそういう中身はないけど外見はやたら刺々しくてきれいなもので上げようとしているのか、流行りに乗りたいだけなのかはわからない。
まあ、後者だろう。きっと高排気のエゴカーブームがきたらあいつらは旧車を買いあさり、雑に扱って文化財級の車を首都高で暴走させるだろう。
ブームになってしまった界隈をウェイ系から守らなければならない。ブームになったら垣根を一気に高くするなどの対策が必要だろう。
模型であれば、厄介な人間を外周に置いて外から見れば気持ち悪いところまで批評しているが内側にくれば優しいプロがいて沢山褒めてくれるとか。
やはりそういうことをしなければウェイ系は離れない。ノリも最高に悪くしよう。内輪ノリを最大限に発揮しよう。
女性の最大公約数的な感性を想像してどうかみたいな答えを聞きたい
暴力的な男がモテる姿は正直学生時代からずっと見てきて、男からすると正しいように思える
人間と遺伝子の近い動物を見てもやっぱり暴力的なボスにメスが集中するわけで
本能的なところで暴力的な男に魅力を感じる感性が女性には備わってるんじゃないかってのはかなり信憑性ある
実際問題としてどうなの?
もちろん男性経験をつむ中で暴力で支配する男がダメだって分かるようになるってのは当たり前としてだよ
※ふと思い出したけど、中学生のとに男女にそれぞれどんな異性を恋人にしたいかというアンケートで、女性のランキングに喧嘩の強い男というのが入ってたな
なんだろうと原因を漁ったら売掛がズレていたので先輩に「そういえば今月ってなんかキャンセルありましたよね?」って尋ねたら覚えてないの一点ばり
まあ本当に覚えてない可能性もあるので、それはいいんだけど会計ソフトにはばっちり売掛で計上済み
でも実際の取引を確認するとキャンセルされているので「んーやっぱりキャンセル分が計上されてますね。これ取り崩し処理とかやってないですよね」
って聞いたらやってないと言うから「じゃあこれが原因ですね」って伝えたら、そんなわけないの一点ばり
そんなわけないって否定されても、実際問題金額がズレてるわけであって・・・
お前の認識がどうであろうと書類上の金額がキャンセル分だけズレておかしいんだよ、この戯けがぁ!
ってすごい言いたかった。パソコンは処理を間違えないけど、人間が数字打ち間違えたら変な数字が出るのは当たり前なのにな
すっげえどうでもいい部分(英単語は全角じゃないと許さない)は一字一句指摘するのに、金額には無頓着ってやべえだろ普通逆だよ
フェイクあり。長文です。
自己破産することになった。
手続きの詳細なんかはネットに無数転がっているので、自分の所感を残したいのと、もしも自分と似たような境遇の人がいたら参考になればという思いで書きたいと思う。
一番伝えたいのは、どんな人間でも存在している以上は一人の人間であり、生きたいように生きていいはずだということだ。
何を当たり前のことをと思うかもしれないが、自己破産をするまで全く思えなかった。
・30代後半
・手取り15万円
・3社借入300万円
・自己肯定感皆無
想定以上にコロナが続いた。
もし今家族が死んでも火葬代も出せないな?と考えたのがきっかけ。
本とか服とか自分のものもあったけど、ほとんどが家賃や光熱費等の生活費だった。ちりつも。
家族の「正社員なんだから家の支出は支払ってよ」に反論できなかった。
うつ病で休職している間も自分が毎月支払ってる分は支払った、給与ゼロなのに。
そしたら「メールでの相談は、相談先が分からない方の相談窓口です」って返ってきた。恥ずかしい。
法テラスの支援が受けられるか審査が必要とのことで、口頭で収入とか住所とか伝える。
審査が通り、三日後に弁護士さんとの電話予約を入れてもらえた。
緊張しながら電話が鳴るのを待った。
きびきびしてるけど堅苦しくない雰囲気の方だった。
もし別の弁護士に頼みたい場合は、法テラスに相談すれば変えられるとのこと。
手続き完了までは半年前後かかるらしく、つまり結構長い付き合いになるわけだ。
どうしようかと悩んでいたところに、弁護士さんが言った。
「それだけの収入でそれだけ返済や支出もしていたら、生活大変ですよね」
決め手だった。
常套句だろうが心からの言葉じゃなかろうが、本当に嬉しかった。
日本国民として制度を利用して初めて、そうか自分は一人の人間だったんだなと認識した。
まあ普通は他人に経済状況の相談はしないと思う。…いや、するのだろうか、友達がいないから分からない。
法テラスの正式な審査中だが、借入のあったカードは使用不可になるから携帯払い等で設定しているようなら変更してくださいとのこと。
優しい。定型句だろうが感動した。
審査が終わって、署名が必要な書類や委任状を送付すると連絡がきた。
各債権者の詳細も教えてほしいとのこと。
自分はこういうのしっかり管理してなかったので(自分の負債だけど自分の負債ではないため見たくなかった)、慌てて色々調べた。
もうバレてると思うが、自分は家計簿なんてつけたことなかったから慌てた。
領収書とか取っておくの苦手すぎる。
持っている口座の明細が二年分必要とのこと。
お分かりだろうがそんなものないので、各銀行へ発行手続きに行った。
一回も記帳したことがないと言うと大体の銀行員さんは引いてた。
ちなみに、手取りがいい仕事すればいいじゃんって思って転職してうつ病になった。相性とかもあったろうけど。
毎月の支出入を頑張って記入。
裁判所への申し立てについて、来月以降行いましょうかという話になる。
既に提出していた毎月の支出入について、確認事項があるとのことでSkypeで一時間ほど通話した。
すごい緊張した。犯罪をしたわけではないけど、弁護士と対話するって変な気持ちになる。
「これはちょっと気になるだけなんですけど、あなたが家の支出のほとんどを負担されているんですね。
あなたもいつか結婚して家を出ていくのにご家族の方はどう思われているんでしょうね」
なんとか適当に返事をして、通話を切ってから声を出して泣いた。
自分の人生を考えてくれる人がいるということ、それが弁護士さん=ビジネスの相手だということに泣いた。
嬉しいような悲しいような、でもやっぱり生まれて初めて「お前は人間なんだ」って言われたように思った。
やっぱりこれはおかしいんだよなって。
手続きはまだ途中なので、終わったらまた書き込むかもしれない。
自分視点だけなので、かなり自分に寄った所感であり、家族にも色々あるんだろうなとは思っている。
国というものは、赤子だろうが老人だろうが自分みたいな借金まみれのバカ野郎であろうが、一人の人間として扱ってくれる。
それが自分にとっては救いだった。
自分のことを考えて自分ために生きられたらどんなにいいだろう、と思えた。
実際問題、家族を見殺しにしたいわけではないので出ていかないだろうが。
逃げればいいじゃんって思う人もいるかもしれないが、情は残っているのと、結局逃げたところで自分がまともに生きられるわけないという思い込みが強い。
親ガチャなんて言葉が一時期流行っていたが、生まれてきたくなかった本当に。
もしも不本意なのに誰かのために借金が膨らんでしまって困っている人がもしいたら、自己破産を視野にいれることも考えてもいいかもしれない。
という矛盾した要求を無理矢理解決しようとしてそうなったんだろうな。
日本語の複数形概念が英語ほど強固なものでなく曖昧なのが原因だけどどうしようもない。
かっこつけて英語読みを使わず「研究所」と言うくらいしかないけど、それはマーケティング的にいまいちなんだろうし、どうにもならん。
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。