はてなキーワード: 実際問題とは
新型コロナ禍で政府に対する不満とかは沢山あったわけで、実際に地方選や補選で与党が議席を失う結果になったのは、やっぱり与党に対する不満が相当あった事を示していると思う。
しかし「政権選択選挙」って言われると、実際問題立憲民主党に政権を任せられるか?みたいな事を少なからず考えることになり、とてもその域には達してないから議席が減る結果になったのではないだろうか。
結局何が問題って、四年前に結党したばかりの立憲民主党で、選挙を経ずに合流や共闘を進めて「大きなかたまり」だけ作り、政権交代を目指したところに全ての無理があると思う。
小沢のいう「政権交代可能な政党が互いに緊張感を持って競い合う政治体制」、要するに二大政党制にしても、自民党に対抗可能な政党を四年前に結党したばかりの党で実現させようとするところが駄目だったと思う。
野党第一党としてそういう事を言わないといけないってのはその通りだけどさ。
2006年に死去した六代目神田伯龍の遺志で「伯龍及び、伯の字のつく名は、止め名とされている。」という事実を無視している事にならないか?と考える。
この事実を踏まえるならば、伯山は自分の弟子に対しては「山」の字の付く名を与える事は出来ても「伯」の字の付く名は一切与えてはならないと解釈するしかない筈。
本人は直接この事に対して見解を述べているわけでは無いが、類似の「7代目圓生襲名問題」等の言及を見るに、「止め名」に対しては批判的なスタンスを取っている。
(代々受け継がれたてきた名跡を当代の勝手な都合で「死蔵」してしまう事は演芸界にとって良くない事...etc)よって、おそらくは「講談師としての伯龍先生は尊重するけど
「止め名」という処しには講談界の行く末に際し責任を持つ立場にある者としては賛同しかねる。」というスタンスだと考えられる。ゆくゆくはこの件について一言及あるやも
知れない注目している次第である。
某声優のスキャンダルで、「一晩で4回中出し」をしたことが話題になっている。
発端となった某声優と浮気相手の流出ラインを見ると、たしかに「一晩に4回した」ことと「中出しした」ことは書いてある。
しかし注意してほしいのだが、「4回中出し」をしたとは書いていないのである。
もちろん少なくとも1回は中出しをしたのだろうけど、それが1~4回のいずれなのか、この情報だけでは言い切れないのであって、「4回中出し」は誇張と言わざるをえない。
なんなら某声優を擁護する人ですら、「4回中出し」うんぬんと書いていたりする。
そういう人は、誤りを指摘したところで「ささいな問題だ」と言い逃れするのかもしれない。
だが、それは間違いだ。
人間は自分のしたことで非難されるいわれはあるけれど、していないことでそうされる筋合いはない。
他人の行為に言及するならば、事実が何であるのかは何よりも重要である。
さておき、実際問題としても、中出しの回数はせいぜい1~2回だと推測するのが妥当だと私は思う。
まず、流出ラインのなかには「なかったときがきもちよすぎた」という表現がある。
4回すべてが生だったのなら、こういう表現になる可能性は低い。
ゴムを使用した回と使用しなかった回が混在していると考えるのが自然だろう。
そもそも、某声優はアフターピルを常用していたわけではなく、少なくとも久しぶりの服用と考えられる。
というのも、流出ラインにはアフターピルの購入に関する会話があるのだが、某声優はその副作用や価格について、あまり知らない様子なのだ。
二人はいつも中出しをしていたわけではなく、今回は例外的であったのだろう。
このときの中出しも計画的ではなく、突発的なものであった可能性が高い。
周知のように、コンビニなどで売っているコンドームには、3個入りのものがある。
これは完全に推測だが、どこかで買った3個入りを使い切り、いざもう一回戦となったとき、もう残数がなかった……ということもあるのではないだろうか。
個人的には性表現の規制はゾーニングさえしっかりしていれば現状維持で良いのではないかと思っている。ただこれはあくまで現在の俺の意見であり、今後外部の意見に触れたりそれらを自分で咀嚼したりして変更される可能性がある。
現行の児童ポルノ禁止法では18歳未満の子供のポルノは製造も所持も禁じているわけだが、これをそのまま2次元をはじめとした創作物等にも拡大適用するってことで良いのだろうか?
散々言われてると思うが、調べればわかる実在する児童の年齢と違って、『絵』だとその辺曖昧になりすぎない? そもそも年齢の設定すらしてない場合も多そうだ。
更にはどう見ても小学生以下の子供なのに「18歳以上(という設定)です」で法の網を抜けられてしまうので、年齢(設定)で児ポかどうかを判断するのは全く現実的ではないだろう。
でも何の見た目で判断する気なのだろう? 例えば中学高校の制服を着ているか否かであればこれは比較的分かりやすいし、製造にしろ所持にしろ避けやすいと思われる。でもそれだけでは私服の小学生のポルノを防げないので、結局はキャラクターの見た目で判断するってことにならないか?
そんなこと出来るのか?
そもそも非実在児童ポルノが禁じられてる海外ではどうやって判断してるんだよ。
教えてくれよ、出羽守ぃ!
先輩が退職するらしい
今いる開発チームは実質2人で、わたしは新卒で入社して3年目の若造である
先輩が辞めそうなことは1年前くらいから薄々は勘づいていて、あぁこの先輩そろそろなんだろうなあとは思っていた
冷静に考えてみたら
なによりコードレビューとか新規開発物のアーキ選定とかは基本先輩に頼りきりだったので
勘づいてから今までの1年弱はそれまでにも増してなんでもできるようになろうと思って頑張っていたし、
先輩に依存してしまっていた部分は自分もできるようにならねばと思って率先して手を出したりしていた
結果1年間で守備範囲も広がって、最低限の部分は自信を持ってできるようになっていた
だからまぁ今回先輩が辞めますって聞いた時はそれ自体はそんなショックでもなくアッハイってくらいだった
自分的にはやれることは全部やっていたし、
客観的にみてもそこそこ変わったように見えている自信があった
先輩が辞めるとなって言われたのは「お前1人になったら無理だな」「わからないところはどこだ、お前にできないことがそんなに少ないわけはないもっとちゃんと考えろ」だった
先輩がいついなくなっても大丈夫なように必死でやってきた今までをなにも見ていなかったのか?
なんでわたしはこんななにもみてない人間、しかも非エンジニアに評価をされなくてはいけないのか
わたしが半年間1人で必死に回してきた案件も「お前1人でリリースさせるのは怖い」という理由でリリースできなくなりそうである
リソース面は1人じゃどう頑張ってもすぐに限界が来るなと思って半年前からベンダー探しもしているし、
新卒配属枠がなかったところを無理に作ってもらって受け入れて育成もしている
そりゃ先輩いた方が安心に決まってるし、若造に全て任せて信じてくださいとは言えないけど、そこまで無能ではないと思っていて欲しかった
見てくれていなかったことを責めるのは間違いで、見てもらえるように、伝わるようにできていなかった自分が悪いこともわかっているけど、
なんかすごく、なんとも言えないもやっとした感情が湧いてきた
でも実際問題、今やゲームの世界はそういうキッズに支配されているんだよ。
めちゃくちゃ作り込まれて誠実堅実な運営をしている原神だって、周年イベで石配布が渋いのにキレた欧米の乞食キッズの大群による★1英語罵詈雑言レビュー爆撃によって、本来は未発売のコンサートCD特典にする予定だったものを急遽全ユーザーへバラマキすることになってしまった。ゲーム業界の風雲児たるmiHoYoですらキッズの圧力には屈さざるを得ない現実があるというわけ。
原神に限らずmiHoYoゲーは国産ソシャゲと違ってバラマキをあまりせず、石セールやフェスなどというものも行わない(数年に一度初回購入ボーナスが復活する程度)ので、課金の価値が時期によって薄まったりすることはない。これは次世代的な健全な課金スタイルであると思うんだが、海外のにわかソシャゲキッズにはそういうことは伝わらない。逆に日本人はソシャゲに慣れすぎてバラマキや無料10連といったCMを打ちまくる運営法に辟易している人が多いので、miHoYoスタイルに不満を持つ人がそもそも少なかった。ただクリエーターや動画・攻略記事などを投稿していける行動的なユーザー向けのキャンペーンが多くてその点は無産ユーザーの劣等感を刺激している側面はあるが、これも一種の健全性への取り組みのように思われて個人的には悪くないと思う。
俺は20代後半のアニメゲーム漫画オタク。オタク差別意識、被差別意識の話を言語化したい。友達にこういう話をするのは俺が面白くないからお前らにするね。
地方の郊外に生まれてあんまりオタクとしての差別みたいなのを実感せずに生きてきたので俺の話から地方の農村部に関しては盲点があるよ。
「特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人」(広辞苑)と
「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人」(デジタル大辞泉)
の二パターンがぱっと出てきた。他にもあったら教えてください。
比較的年齢の高い人は前者の「その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人」を強調して使うし、当時あったコミケに対する偏見のある報道とかを念頭に話をしてる気がする。
また、当時は実際に偏見が社会の大半を覆っていただろうことは想像に難しくなく、いまもその世代における人間関係ではその偏見や差別が保存されていると思う。
だから、差別されていないって話をすると猛烈に反発をする。実際問題、そこに差別があるから。また、当時としてオタクカルチャー(と2021年にくくられる)趣味を楽しむことはすなわち生き方としてオタクであることを強いられてきたと思う。なのでこの定義を強調することは自然だと思う。
それに対して、比較的年齢の低い世代においては後者の「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人」の方を強調して使ってる気がする。少なくとも俺はそう。
インターネットの発達で、絶対的に「詳しい知識をもっていること」へのハードルが下がりソーシャルゲームやVOCALOIDの発展によってコミックマーケットに集まるような趣味(どっかの大学のコラムに書いてあった言い回し)が社会通念上好意的に受け入れられるようになった。
漫画の広告が地元の在来線の中吊り広告に乗ってたりするし、ややガラの悪かった同級生と久しぶりにあったときはマンガアプリの名前がいくつか出てきてソシャゲに熱中してる話をきいた。 無料期間で数十巻全巻読破しちまったぜーとガチャに爆死したみたいなやつ。
つまり、それがコミックマーケットに集まるような趣味であったとしても「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること」に当てはまる人がどの層にも多いように思う。昔であれば数十巻読破してる人はなかなかのもの好きになる情報量じゃない?
それがありふれているからオタクという属性で差別される気がしない。オタクカルチャーを楽しむ人であることとオタクであることはあくまでグラデーションでそこに断絶があるとは思えない。オタクと呼ばれたとき「社会的な常識には欠ける人」の意味を含んでいる気がしない。
「社会的な常識には欠ける人」への差別やその救済の話をオタクカルチャーに対する諸問題への反応に含んでいることが比較的若い世代の困惑の原因かなと思う。
この話に確実にある盲点はwebで参照した辞書の定義の発行年数を確認していないので編纂時期にずれがあるかもしれないこと、上の年代への話があくまで推測であること、社会通念上受け入れられるってなんやねんってこと、そしてn=1をクソでか主語で語ってることなのであくまで俺の意見の言語化にすぎないことだ。ここは何を参照すればいいのかわからんかったから、はてなの長老たちにお任せするよ。
読んでくれてありがとう。俺は満足した。