私はインターネットが大好きだ。この世界に溢れる言葉には言祝ぎも呪いもあって、そのどちらの言葉であっても心惹かれるものがある。
私自身も言葉を書くし、それが誰かに届いた実感が容易に得られるこの世界が好きだ。
でも時々思う。この世界に言葉を持たない人が居ないこと、それがとてつもなく大きな問題なんじゃないかって。
実際はそんなに大きな問題でもないのかも知れない。私がインターネットが大好きで仕事もそういうのに関わるものをしていて、私に見えている世界にとってインターネットはとても大きなものだけど、もっと大きな目で世界を俯瞰したらインターネットはそんなに大きくはないのかも知れない。
でも、例えば私が小学校中学校の同級生で大嫌いだったあの子はインターネットにいない気がする。その子は言葉で気持ちを伝えることがとても苦手で、勉強にも全然ついてこれなくて、ことあるごとに気の弱い同級生を殴りつけて、親もおかしいと噂されてて、最終的に学校でカッターナイフを振り回して普通学級には居られなくなって、支援学級に入って知的障害のある子たちと一緒にいたけどそこでも嫌われて、中学校を卒業したあとのことは同級生の誰も知らない。彼女が今インターネットで何か自己表現出来ている気がまるでしない。
私は今でも彼女のことが嫌いなのは変わらない。でも、このインターネットの世界に彼女が居ないことを良いことだとは思えない。
私の知ってる人で一番言葉が苦手だったのが彼女だったから例に出したけど、公立の中学校に通ってた人ならこういう、言葉がとても苦手だった人に心当たりがあるんじゃないかな。
そういう人たちがいないから私はインターネットを好きでいられるのかも知れない。
でも、私にとってインターネットは世界の全てとほぼ等しいくらいの大きさをしていて、だからこそその世界が誰かを排除して出来ているとしたら、それをとても気持ち悪いと思う。
インターネットの中にいる限り、彼女のようなひとの顔は決して見えない。
誰が、どうやったら、そういう人をこの世界に連れて来ることが出来るのだろうか?
それともそれは思い上がりで、そういう人はこの世界を必要としていないのかも知れない。
だけど、だけど、やっぱり私はこの世界がこの先ももっと大きな世界になっていくことを信じているから、この世界にいない人がいることを大変な問題だと思うんだ。
インターネットに居場所が無い人は実世界からも排除されるってこと? 悲しいけれど仕方がない気もする。自分もその内切り捨てられるんだろーなー
実際問題として、品質を上げるためにデータを増やせばレイテンシーと処理性能のトレードオフの問題に遭遇するので、ネット人口が増えてもかならずしも意見を汲み取れるわけではな...
だって言葉が専門じゃない人がカジュアルに他人に本を薦めたりすると豊崎がめちゃくちゃキレてくるし…