はてなキーワード: 図書館とは
この動画を見ていると、なぜかとても懐かしいような気がして、胸が締め付けられる。ある夏休みの日、学校の図書館に本を返しにいくような、永遠に失われてしまった時間がどうしてか今近くにあるような気がする。蝉しぐれ、日差し、水路の流れ。失われた時というやつはいつも夏の顔をしていて、時に知りもしない少女の追憶へと私を追いやる。
ちふゆさんはいったい、何県の何中学校に通っていたのだろう。彼女の部屋はどんなのだったのだろう。好きな小説、お気に入りの音楽はなんだったのだろう。メール友達がいたかもしれない。なぜか千葉や埼玉の郊外に住んでいるような感じもする。どれも知る由もないが、たしかにそこにいて、おそらくは今も、今もどこかで暮らしている人を思うと、どうしてか本当にかなしい気持ちになる。
どうしてか永遠に交わることのない人たちが大勢いるという当たり前の事実を前に、胸が空っぽになる。知らない街、知らない学校、知らない校庭、知らない日々を思うと、得体の知れない喪失感に打ちひしがれる。夢の世界で知らない風景を見て起きた時の、あの忘れゆく記憶を辿るようなもどかしい感じがする。ただ一つ確かなことがある。彼女には逢うことができない、永遠に。
小学校6年生の時にミステリを含む犯罪小説を読むのにハマっていて「クラス全員を効率よく殺害する計画書」をガチで考えていた。
そういう小説を読んだのだ(そして粛清の扉を、だったか。最近似たような内容のドラマがあったな)。
町内地図(市営図書館でコピーできた)に4か月ほどかけてクラス全員のおおよその行動パターンを書き込み、
見つかりづらそうな場所を選定し、殺害方法もなるだけ現実的な方法を選んだ。凶器の入手方法までちゃんとシミュレートした。
そして完成した計画書を机の一番下の引き出しの奥(引き出しを一度抜いた裏)に仕舞い、たまに取り出してはニヤニヤ眺めていた。
が、それが親に見つかった。
なぜ母親は子供の部屋の裏の裏まで掃除しようとするのか。俺がもしエロBooksを隠していたら気まずくなるとは思わないのだろうか。
その詳細な内容にドン引きした母親は父親とあろうことか学校に相談した。
どうやら俺が学校内で問題を抱えており、そういう犯行計画を立てていると勘違いしたらしい。
担任も計画書を見てびっくり仰天、校長に相談し俺は校長室に家族ともども呼び出され厳しい尋問を受けた。
それくらい俺が書いた計画書は真に迫っていたようだ。
両親がなんとか懇願し警察への相談だけは免れたが、学校からの希望で俺は9月から卒業まで出席停止(俺都合にされた)。
まぁ、クラスメイト全員をぶっ殺してやろうと考えているような奴を教室に入れるのは怖かっただろう。今では理解できる。
俺は月に2度のカウンセリングの日以外は家にほぼ監禁状態にされた。
そしてどこから漏れたのか(担任に決まってるが)、校区内で俺がクラスメイトの殺害計画を立てていたことが広まり、
地元の公立中学に通うこともできず、中学3年間ほぼ引き籠ることになった。
両親は俺の教育方針で揉めてめちゃくちゃ険悪な雰囲気になって俺が定時制の高校の2年の時に離婚した。
でもさ、誰でも犯罪に憧れて犯行計画を立てたりすることってあるじゃん。普通だろ。
(性加害の話を含みます)
兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在でしかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。
小さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画やCDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。
ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学を留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。
もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分の洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館で時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラでバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。
大学を卒業し、社会人になり、私は自分の人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい。物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。
兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家をバリアフリーに改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。
電車で20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性が20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分は看護や介護の知識がないからその類の行為はプロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかわからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。
兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ、引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪のニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもりの中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。
クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通に仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通の有給をとることにした。1日だけ。
兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通にコミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。
それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分の人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分の心のケアを第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。
補足)
これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族の問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人に相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護の情報にアクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関や支援があります。あなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます。
ゲームと映画と漫画と本が趣味なんだが、今はもうどれもロクに金は使ってない。
ゲームは無料で貰えるのとソシャゲめぐり(どれも最初の3日~2週間ぐらいは普通に楽しいぞ)。
図書館に行けばここ2年で映画になったやつは以外はまず借りれる。
ある意味じゃネットや長風呂が趣味だけど、この辺の光熱費とかまで計算しないよな?
生活必需品じゃないもので金使ってるのはビタミン剤・炭酸水・アイスぐらい。
趣味に使う金が減ったけど仕事であんま休めないからアイスは2回に1度ハーゲンダッツ食ってる。
土日とかだと1日3本飲む日もある。
たまにフレーバーだったりノンカロリーコーラとかにも変えてるから全然飽きねえ。
アイスが2日に1度食ってて平均200円として月3000円で、炭酸水が月40本で1本100円として月4000円か。
うーん……どうなんだこれは。
無趣味で良さそうだなもう
わわわわ~
わわわわ~
クロちゃんです!
わわわわ~!
なんか急に寒くなってきてダウンジャケットを無事実家から持ってきて着込んだところよ。
もう1日遅かったら冬の寒波に乾杯出来なかったところだからパーリーに間に合ったわ。
3つを目標に掲げ頑張っていきたいと思うわ。
季節の順番で言うと夏よりも
秋の次は冬!って感じなのよね。
ゆっくり長期休みの時は温かい鍋でもしっぽりいただきたいところよ。
もうさー
矢野顕子さんの
シチューを食べる歌
ラーメンを食べる歌
ご飯が炊けた歌
お腹が空かないわけないじゃない。
ところでさー
ふと駅の待合室でコーンスープの香り高くコク深く不意に突如漂う
キンモクセイの香りの次にコーンスープの香りだと思うんだけど、
コーンスープどこで売ってるのか私は知らないのよね。
みんなそれどこで調達しているのかしら?って思うほど
パブロンの犬のように
早めのパブロン!って風邪の引き始めに優しくそっと竹下景子さんばりにパブロンを渡してくれない方の
食欲がコーンスープの香りのせいでひしひしと湧いてくるのよね。
そこをガマンして次セントバーナード犬が雪山で救助の時に首から下げていて遭難した人に与える度数の高いお酒が入っている入れ物のそこの中にコーンポタージュスープが入っていたら
きっと遭難した人も温かいコーンポタージュスープをいただいて復活し下山できること請け合いよ!
みんな本当にどこからコーンポタージュスープを持ち込んでくるのか不思議よ。
沸いて出てくるわけでもあるまいし不思議ね。
でもさー
あの冬の雪山遭難救助セントバーナード犬の首からぶら下げている容器の中に何を入れたら面白いか大喜利とかって考えてみるとワクワクするわ。
でもそもそもとして
いまでも雪山遭難救助セントバーナード犬ってスイスとかにいそうな気がするけど本当に存在するのかしら?
あれは都市伝説なのかな?って
雪道で遭難したときにヤマザキパンのトラックがやって来てみんなに物資を配るって幻想ぐらい
その刷り込みは全てアルプスの少女ハイジなのかも知れないわ。
だってなんか大きなセントバーナード犬風な犬って登場してるじゃない。
あの犬種のような気がするけど、
みちょぱのヤギ版とでもいいそうなほど、
ポップなのよね。
そんでいろいろと気になって調べてみたのよ。
よくご飯お茶碗山盛りてんこ盛りフードファイターが食べる並のご飯茶碗の昔話のアニメでも出てくる牛とか馬とか出てくるじゃない。
それで名前が「アオ」って
ネコなら「九十九里浜のミケ」犬なら「大洗海水浴場のポチ」みたいに
それでなんで牛さんとか馬さんが「アオ」って呼ばれているのか
結局見付からなかったわ。
ジッさまが牛さんや馬さんにアオって層読んでる絵本は五万とざっと五万冊ぐらいあるのに、
その由来の文献が意外とないのよね。
それでいろいろな文献を漁っていたけど、
山岳救助隊に所属する犬のセントバーナード犬のことも載ってなかったのよね。
あれもきっとお菓子の家のような絵本の中だけでの話しだったのかしら?
あと、
熊が鮭咥えてる意匠の事も調べてみたけど
あれの由来というか木彫り熊鮭のルーツも知りたいわね。
意外とあれもう見かけないし
そう言った木彫り熊鮭扱ってる民芸品に行って
何か紙切れが飛ばないような文鎮的にも使える
頃合いのいい木彫り熊鮭がないかなーって思うし
きっといつか出会える木彫り熊鮭の事を考えると
すっかりもコーンポタージュスープの香りの出所を探す旅のことも忘れてしまっていたわ。
逆に熊が鮭咥えて持ってきて助けに来てくれても
すかさず寝たふりしてやり過ごすしかないけど
もう寝るのか起きるのかどっちかにして!って感じよね。
そんな北海道からのお土産の木彫り熊鮭クッキーを食べながらそう思ったわ。
木彫り熊鮭クッキーなかなか美味しいわよ!
きっとコーンポタージュスープと一緒にいただいたらもっと美味しいはずよ!
うふふ。
なんか朝だけ突発的に立て込んでいて忙しかったので、
にしました、って言うよりそれしか頂けなかったってところがいただけないわ。
ぺこぺこのぺこだわ。
お昼は食べ損なった朝のおにぎりを頂くわ。
私いいこと思い付いたんだけど、
北海道のキャラクターでマスクメロンとクマのキャラクターってあるじゃない
メロン熊って言うらしいけど、
あれの鮭版シャケ熊を合体させて作っても可愛いかも知れないわよ。
たぶんそれKIRIMIちゃんみたいな熊になりそうだけどね。
可愛いと思うわ。
葛飾北斎の椿と鮭ってあの絵も私グッときてTシャツ買っちゃったぐらいだしね!
やっぱり鮭って可愛くて美味しいのよ。
朝寒いので
とりあえず温かいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そこをクソ汚くしながら暮らしてた
家賃が三万くらいのとこだった
事務って言ってたから入ったけど普通に接客も肉体労働も清掃もさせられる謎の休日出勤がある出退勤の記録が手書きで残業代が一時間単位じゃないと出ないし下っ端にはつかない手当が存在する職場で働いてた
大学の時買った折り畳みベッドを六年くらい使って腰が乗る辺りが陥没してたけど壊れてはいなかったからそのまま寝てた
普通に眠れるし新しいベッドを買う必要はないとその頃は思ってた
冬になると窓から隙間風が入ってくるのがわかるしユニットバスは凄い勢いでカビていくからシャワーを手早く浴びてドアを開けっ放しにする
シャワーの湯が夏でも冬でもたまに突然水になってゆっくり湯に戻る
やたら風通しが悪くて湿気がこもる部屋で夏は蒸すし冬は寒かった
窓が小さくてドアがかなり奥まってたから仕方なかったのかもしれないけど
エアコンとレンジを一緒につけるとブレーカーが落ちてたから多分20Aとかそのくらいのとこだったと思うんだけどそれでも毎月結構かかってた
冬は友達とweb通話する予定がない日はシャワーを浴びたら冷める前にベッドに入ってすぐ寝るようにしてた
エアコンが入ってようと入って無かろうと部屋が全体暖まることなんてなかったから室内でもコートを着て靴下を履いてなんなら手袋もしてた 寒いから
そういうところで三年くらい過ごしてた
食生活も別にどうでも良くなってしまっていて毎日大体同じものを食べてた気がする
朝は前日の夜スーパーで買った半額おにぎりをカップの味噌汁にぶち込んでコンロの前で立ち食いして仕事行って昼はカップ麺 夜は覚えてないけど多分うどんか素麺を茹でて麺つゆ入れて食べてた
シフト制だったから遅めシフトの時は寝れるだけ寝て朝を食わずに昼に半額おにぎりとカップ味噌汁を啜り込み出勤して夜はカップ麺
カップ麺は思い返すと正直毎日買うには高かったんじゃないかと思うんだけどそれをなんとかする精神的余裕がなかったんじゃないだろうか まあ経済的余裕もなかったんだけど一応半月分のボーナスが出るとこだったからそれをやりくりしてたんだと思う
職場環境もあんまり良くなくて周りの人が仕事してるのか居ないやつの陰口叩いてるのか陰口叩くのが仕事なのかわからないようなとこでパソコンできる人があんまり居なくていろんな資料作る役目が大体こっちに回ってきてた
正社員にやらせろよと思ったけど正社員もみんなパソコンうまく使えない人たちだったから基本に毛が生えたくらいの知識でもそこの職場だと「パソコンができる人」だったらしい
覚えるために休憩時間を削ってマニュアル作ってたら「その前に仕事を覚えろ」って怒られるようなとこだったのを今ふと思い出した ちょっとおかしいと思う
なんなら休憩時間も俺以外電話に出なかったから休憩してなかったし外食も苦情が来たとかでだめなとこだったからずっと職場にいた
まあそういうところだったからいよいよきつくなってきてて軽く仕事の愚痴をこぼしたら友達全員に「そこは辞めた方がいいよ」と言われたのでいろいろ考えたり失業保険とか職業訓練のこととか教えてもらったりしてやっとやめた
有給使って休んでたはずなのに「残業代出すから」って言われて出勤することになったりしてたけどまあちゃんと辞めれたと思う
そこから二、三ヶ月起きて飯食って図書館行って飯食って寝てみたいなことを繰り返してやっとそのルーチンにハロワが入り職業訓練が入りなんとか次の仕事を見つけて(ハロワと全然関係ないところで見つかった)そこでしばらく稼いでから引越しした
ベッドはそのまま持って行った
新居に遊びに来た友達にそのまま連れ出されてカーテンと座布団と枕とフライパンを買うことになった
その後怒涛の勢いで比較的安価で良いベッドの商品リンクが送られてきてその辺りで自分は何か変な暮らしをしてたんだなと悟ることになった
「自分ヤバかったんだな」と言ったら「まだヤバいから人間になってくれ」って言われて色々買い足した
正直やかんとポットと鍋 あと電子レンジがあれば生きていけると思ってたし今までがそうだった
そこら辺から自分と友達の認識のずれというか「人間としてのQOLのライン」の違いをちょっとずつ是正していくことになる
うちには炊飯器があって家に帰ったら上着を脱いでエアコンつけてゆっくりしてると暖かくなってきて
ちゃんと座って飯を食って
またユニットバスだから月一くらいになるけど湯船にお湯張って入って
その後部屋にいても手がかじかむこともなくて
ベッドの真ん中を避けて端っこで寝なくても良くて靴下履かなくても暖かくて眠れて
そして来週末友達と飯を食いに行く
この友達にはもう頭が上がらない
この人に人間にしてもらったという感じがする
いつか自分が何かしてこの人の役に立てたらいいなと思う
ただ会う度にちゃんと飯を食ってるか聞かれるのはちょっと恥ずかしい お母さんがもう一人できたような気持ちになる まだ心配されてるようで申し訳ないなとも思っている 今後ともちゃんとします
前こういう感じだったけど今こうですごいって話をする度に「それが普通なんだからね」って念を押される
二度と前みたいな状態には戻りたくないのは確かだけど 部屋にいて(これが当たり前に普通なのか)って思う度に普通ってすごいことだなと思う
正直まだちょっと怖い 普通よりちょっと上なんじゃなかろうかと思う ベッドこんなに柔らかくていいの?本当に?ってふとした瞬間に思うもん
今日の晩飯はキャベツの味噌汁とキャベツとツナのにびたしみたいなやつです キャベツがぐったりしてきたから早めに食ってやらないといけないんだけど明日もキャベツまみれになりそう どうしよう
これを書いてても部屋が暖かくて不思議だなあと思う 引っ越して二年も経つのに
いつか当たり前になっていくんだろうか
>>愛媛県の文書に関する報道は昨日の夕方ごろ行われたため、「図書館で集めてきた」という言い訳もできなくはないものの、残念ながら産経新聞には縮小版がありません。
>>そんな疑問に政治ジャーナリスト・あづみさんが出した答えが「国会図書館分館を使えばたやすい」というもの。
>>国会議事堂の中には国会議員のほか、議員秘書、政党職員、国会職員、国会担当の行政省庁職員などが利用できる国立国会図書館分館があります。
>>愛媛県の文書に関する報道は昨日の夕方ごろ行われたため、「図書館で集めてきた」という言い訳もできなくはないものの、残念ながら産経新聞には縮小版がありません。
>>そんな疑問に政治ジャーナリスト・あづみさんが出した答えが「国会図書館分館を使えばたやすい」というもの。
>>国会議事堂の中には国会議員のほか、議員秘書、政党職員、国会職員、国会担当の行政省庁職員などが利用できる国立国会図書館分館があります。
【新聞社】産経紙面を朝9時50分に撮影できるDAPPIさんってめっちゃすごくない?(追記あり)【党本部】
https://togetter.com/li/1229919
朝9時50分にこれだけの新聞画像用意して投稿できるってかなりすごいことですよね。しかも、デジタル版じゃなく紙の現物か縮刷版の写真を撮ってる。9時開館の図書館では間に合わないと思います。これだけの資料を常備して早朝から閲覧して作業できるといえば、新聞社か党本部か?
半導体っていっても、組み込み用のSoCからメモリ、不揮発性メモリ、プロセッサ、車載用、パワコン用、いろいろ用途や業界が微妙に違う。
入手しやすいものからいうと日経ビジネスとかの経済系の雑誌に時々特集があるから当たってみればどうか。
あとは、富士経済矢野経済とか調査会社のレポート(割合値段が高い。気の利いた図書館にあるかも)
あとは、インテルやAMDやMICRONなどのIRレポート。米国の会社は報告書がきちんとしていて、どこの工場にいくら投資したとか
かなり細かく書いてある。
また俺は見たことないが、台湾や東欧あたりの受託生産会社のIRレポート等突き合わせてみれば大体わかったりするのかも。
物流の伝票や船便・通関の伝票とか集めたりすることもあるみたいだ。
学生時代に教室で誰かが鼻を啜る音が耐えきてなくなって授業中ずっと耳を塞いでいたら、先生になぜ塞いでいるのかを尋ねられてその音について話したら、せせら笑いされたのをよく覚えている。今日図書館行って机がある席に座ったら男の人がコンコンコンコン咳してうるさくて、でも混んでるからここを離れたら机がある席はないかもしれないと思ってヘッドホンで音楽かけながらテキスト読んでたら音漏れがうるさいと注意された。仕方ないので音量を下げたら相変わらずコンコン咳していて、「ああこの音は普通の人たちにとってはうるさくないんだ。」と思った。なぜみんながうるさいと思わない音が私にはこんなにも耐えがたい音なのかわからない。それにしても今はもう教室でおとなしく座っていなければいけない学生ではないのだから、不快な音を聞かないためにどこか別の場所に逃げてよかったんだよなあ…。最悪カバンを机にして座り込めさえすればよかったのだから。頭が悪くて駄目駄目だ。次は逃げよう。
歌唱→ボイチェン通してる状態で歌うとかいう曲芸出来るやつら意味分からん
プログラミング→エクセルマクロマスターとして職場でチヤホヤされて20年ぐらい実質それで食ってるオレより多分凄い
結婚→そもそも他人とコミュニケーションしたりおセックスしようとしたり出来る時点で人間としてオレより正しい
モデリング制作→昔メタセコイア弄って3日で発狂して体験版だか雑誌についてきた入門モデルデータだかのCDをベランダのカラスよけに改造したオレより確実に上
ルックス→イケメンなんだろ?少なくとも手がクリームパンじゃない時点で
うおおおおおおおおおおおおおお
負けが込みすぎているな
負けまくっているけど生きていることに対して「プライドを捨てて生きる術を身に着けた。この適応力にふるえよ」と言うには他社への嫉妬が強すぎるのはこの増田を見れば明らか。
つまり何も勝っていない。
つまりそれって現状に対して満足してないのを他人と比べることで解消しようとしているってこと。
ここまで分析することが出来る程度の学力は社会構造によって身についたのに、そこから解決するための能力を身につけることに失敗してる時点でしょーもない。
オワコン。
最近、雑誌や図書館の本の「オンライン化」「オフライン環境で」「オンライン時代を」みたいなの全部「オワコン化」「オワコン環境」「オワコン時代」に空目する。
疲れた。
もう疲れたんだよな
全く論点違う
交通機関とか図書館とか性別によって区別されるべきでない公共サービスでも女性専用というものがある
地方都市在住、近所にスタバが出来た。満を持して行ってみるとする。
事前にチェックしておいた新作のフラペチーノはとても美味しそうだった
寒い日に温かいお洒落な店内で飲むホワイトチョコレートのフラペチーノ、きっと幸せな時間になるだろう。
店のドアにはマスク着用と消毒を要するという表示。
感染症対策の認証店にもなっているらしく安心してドアを開けた。
満員である。
舌打ちが出そうになる。
正確にいえば1,2席は空いているが、前に並ぶ彼らが座ればもう席はなくなるだろう。
どこか空かないか観察しながら並ぶが、いっこうに空きそうにもない。
レジカウンター前の対面の長テーブルをアクリル板で1席ずつ区切った10席ほど。
しゃれたソファ席に座らせてくれとはもう言わない、一人客だしその固そうな椅子でいいから空かないか。
空かないのである。
高校生か大学生か知らないが教科書やら参考書やらを広げ、ノートの広げ、蛍光ペンを放り出し、狭い個人用スペースの端に申し訳程度に飲みかけのラテが置いてある。
ノートPCで作業している奴1名、ただスマホをいじっているやつ1名、
友達同士で来ているのかアクリル板をよけてたまに会話している奴もいる
なんなら教科書を広げながらたまにLINE漫画開いてるい奴もいる。せめて勉強しろ
長テーブルだけでない、カウンターやソファ席にもちらほらいる、「勉強するヤツ」。
少なくとも1時間以上はそこにいる、ひどければ3~4時間我が物顔で勉強するヤツ、あれ
だってどう見ても店内は満員じゃん、レジには長い列じゃん、でも「おっと混んできたなそろそろ帰るか」とはならないじゃん、そこが自分ちのように勉強し続けるじゃん。マジで頭に入るの?満員のスタバでザワザワしてて時に私のような客に憎悪を向けられながらする勉強は身につくのか?その一杯で何時間粘るんだ?店員さんはどう思ってるの?家じゃダメなの?塾とか学校の自習室とか図書館とかダメ?コワーキングスペースとかもあるじゃん?スタバでしかダメなの?なんで?
ノパソパチパチとかスマホいじるとか打ち合わせらしきものをしてるとか、
そういうものにはあまり感じないのになぜか勉強しているヤツには腹が立つ。
私の前の人が店内利用か持ち帰りか聞かれている。
「店内無理ですよね?持ち帰りにします」
店員さんが頭を下げる。
私の後ろに並んだおばちゃん二人組が会話している。
「これは…座れないね」
「私、席とっておこうかな」
「じゃあ私が注文しておくね。何にする?」
「えーっと、カフェオレの中くらいのやつ?」
「うんうん、わかった」
スターバックスラテのトールではない、カフェオレの中くらいのやつと言ってしまう。
そんなおばちゃんを、冷えのつらい年齢のおばちゃんを外に座らせてまでスタバでする勉強は君たちのためになるのか?
レジで私の番が来た。
「今、店内利用厳しいですよね…」
「申し訳ございません、テラス席ならご利用になれるかもしれませんが…」
楽しみにしていた気持ちはすっかりしぼんでしまったが、コーヒーくらいは飲みたかった。
さっきのおばちゃん二人組が前の席に座っている。
夫婦の夫のほうが上着を脱いでベビーカーの赤ちゃんにかけてやる。
私はガラス張りの店内を見つめる。
https://booksanta.charity-santa.com/
「ブックサンタ」の対象店の本屋に行き、絵本の棚を見ているうちに、絵本は寄贈が多そうと思い至る。
本屋に掲示してあった「ブックサンタ」のチラシには、「高校生まで」「どんな本でも」と書いてあった。
なら、中学生から高校生ぐらいまでの女の子へ本を贈ろうと思った。
わたしは中学生まで週一図書館に通い、10冊借りては借りてきた本を読み耽る日々を送っていた。
読んでいたのは推理小説と少女小説。当時は「かつくら」という雑誌があり、講談社の本格派ミステリー小説と集英社のコバルト文庫の最盛期だった。
本を読むことは読んでいたが、名作文学なんてものは読まなかったし、ノンフィクションは苦手意識が強かった。真面目な本なんて読まなかった。
本を贈るならあの頃の自分がわくわくしながらページをめくっていたあの体験を、と本屋の書棚を見ながら数冊選んだ。中高生に人気作と聞いたことがあるものだ。
本は娯楽でエンターテイメント。本を読んで楽しい!と思ってくれたら嬉しいな、とレジに向かった。
家に帰ってきて大反省した。
続編があるのに読めない。
1冊かせめて2〜3冊で完結するものを選べば良かった。
中高生ぐらいの女の子向きの、1冊完結か2〜3巻で終わる少女小説やジュニア小説。どちらも死語な気もするが、何があったのだろう。
リサーチ不足だった。