はてなキーワード: 助手とは
なんでアメリカでは実際にやられている代理母とか脳死臓器移植とかにしたのさ
しかもどっかの国で最近男性の大腸に人工子宮だか移植子宮をくっつけて妊娠を維持しようとしてしばらくは成功したというニュースがあったよ。
脳死臓器移植も日本ではかなり導入が遅れたし、脳そのものや生殖器の移植は倫理上みとめられていない。
その倫理をとっぱらうことは、人間をたとえにつかうかぎり、できないよ。
「女性を差別する意図はない」といいながら完全に差別しちゃった(前提が無意識差別こみ)やつにみえるね。
AIだったら?機械だったら?iPS細胞だったら?が夢ではないのになんでわざわざ人間を例に使おうとしてるんだ。
なにをいいわけにしようとしてもそれ自体知ってる人からみたらグロテスクだぞ。
おまえはシンプル化したつもりで乱暴な悪口をいっておいて、他人からの反論を炎上として全く聞き入れる姿勢がないんだもんな。傲慢でアンバランスなふるまいだ。
北大のid覚えてないんだけど同一人物だったらすまんがおまえの意見、差別めちゃくちゃあることにさっさと気づいてくれ。
「たとえばおまえのかあちゃんがでべそだったとして」といっただけで殴られる世の中が不思議か?
まだ「それを知ってるのは浮気しているからとまではいっていない」といっても
昔から身近な人を攻撃されたら守る本能がある人間にとってはしょうがないことなんだよ。
おまえのたとえが全体的にわるい。古くから知られている人間の地雷が「倫理」だ。
それを踏み抜いておいて炎上したってふしぎがるな。
情報系の博士取得者だけど、自分の場合、内定式に出た後に内定を辞退して博士後期課程に進学した。
その身に起きたことを参考までに書く。
とある飲み会で博士に興味があるけれどでもしかで就職するような話を博士の先輩に話していたら、博士に進学することを強く勧められた。
親にそのことを電話で相談したら、応援する旨のことを言われた。
先生に話したら、「博士が100人いる村」のような話をされたが、同期で博士進学者が誰もいなかったからか比較的好意的だった。
学部の就職担当の先生に相談に行ったら、内定辞退をお願いするメールを一字一句指示された。(と言うべきだろうな、意見などを言える雰囲気ではない中、言われたことをそのまま書いて送れ的な感じだったので)
送ったところ、企業の採用担当者から呼び出しを受け、内定辞退したら3時間土下座させられた例もあるらしいと級友から脅されながら戦々恐々として赴く。
老婆心を装った嫌味を言われ、軽く説教されたが、内定式の時に渡された書類をお返しし、割と短い時間で話が終わった。
研究室の先生にも老婆心を装った厭味ったらしいメールが送られてきたらしく、先生はその会社の製品を買わないと憤慨されていた。
博士進学予定者だったからか、海外から来る客員研究員の出迎えなどを任される。
博士進学者は修士論文を英文で書くという不文律があるらしく、慣れない英文を頑張って書く。
修士で卒業する学友たちが卒業旅行に出かける中、ワークショップに論文を提出し、初の海外発表...自分の英会話力のなさを自覚する。
先生の助けもあり、一つ目の論文を査読ありのカンファレンスに出し、採択。
今思えば二つ目はある程度自分で研究を進めてほしいということだったのだろうけれど、自分でいろいろとテーマを考えるも研究が迷走して卒業の見込みが全く立たず、精神的に追い詰められていく。
博士進学を考えている修士の学生から「なんで進学したんですか?」と聞かれたときに「魔が差したから」と答えるほど病んでいた。
そんな夢のない話を聞いて進学する奴なんかいないので、その世代の博士進学者は0だった。
助手の先生ともいろいろと相談して一応別のテーマを設定し、査読付き論文通って最低限の要件を満たせたが、すでに10月を過ぎていて、採用活動はどこも終わっていた。
先生のコネで話をしてみて、とある会社に話を通してもらえることになった。
部長と係長の前で博士の研究でやったことを20分発表し、質疑応答して、その会社に採用された。
国内ワークショップでの発表などの場数を踏んだからか、PhDディフェンスを卒なくこなし、博士号を取得。4月から就職。
就職後は博士を持っている人が珍しく、博士をみんな取りたいと思っている場所だったからかとにかく博士というだけで風当たりが強かった。
職場の先輩にも博士なんだからそれぐらい自分で分かるでしょ?とろくな説明もなく業務をすることになる。
その割には係長からも先輩からも毎日ダメ出しをされるだけの日々でなかなか精神的に追い込まれる。
それを見ていた別の部署に行った主任から主任の部下として来ないかとさそわれて今に至る。
博士は精神を病まないと取れないみたいなことが言われていたけれど、それは割と本当だと思う。
博士を持っているとそれだけで少し下駄をはいた状態からスタートできるのも本当だと思う。
ただ、博士というだけで挑戦してくる人や無駄に突っかかってくる人などがいて、有名税みたいなのがあると思う。
進学するときは自分が楽ではなく快楽を求められるか(オメガトライブの読みすぎか...)、
先生に博士の指導経験があるか、家族のサポートがどうかなどを加味して決めたほうがいいと思う。
その辺がokなら、まあ、いけるでしょ。
【追記】
【縁故採用のこと】
予想外に反応がきていたので
よく内部者が言うのは、国立の機関なのにレベル低いよね、って言ってる。
でも、他の独法は知りませんよ。
https://www.sanspo.com/article/20210624-IOQJULJCVRMBXMZXIDJG6SDUHA/
個人的には、ワクチンを打たない自由はあるべき(疾患や体質、また症例から打つことへの不安をもつことは悪いことではない)とは思う。
しかも、記事本文に下記のことがあると、説得力がなんとなくある気がしてしまう…!
気になるので調べたよ。
高橋徳
ウィスコンシン医科大学名誉教授。統合医療クリニック徳院長。関西の病院で消化器外科を専攻した後、渡米。ミシガン大学助手、デューク大学教授、ウィスコンシン医科大学教授を経て、ウィスコンシン医科大学名誉教授。2016年名古屋市に『統合医療クリニック徳』をオープン
病院サイトを見にいったが、何を治すために伺えばいいのかさっぱりわからなかった。
プロフィールから、渡米した結果、何を学んだのかよくわからなかった。
院長 1名
スピ…?めいそうしどう…??
気を取り直して、参加者を調べよう…!
参加される方のブログみっけ。
・https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/06/21/624は『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書提/
クリニック徳 高橋徳院長が中心になって作成された『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書に対し医師約180名、歯科医約150名、議員約50名の同意が集まり、同意者の名簿を添えて6/24に厚労省に提出する事になり
歯医者さんは医師だけど。尊敬してますが、なんとなく、趣旨違わない…??
6/14現在での発表で新型コロナウイルスで亡くなった方は14132人ですが、60歳未満は450人足らずしか居ませんので働き盛りの60歳未満は無症状であればマスクも不要で自粛せずに仕事をして、どんどん外食もして経済を支えてもらえば良いですし当然、ワクチンなんて不要です。
??感染を広げようみたいなこと言ってて怖くなったのでブログをそっとじ。
(ここで力尽きたサラダ🥗)
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
①「最高レベルの通訳スキルを持った人が、普通の人ならガチガチに専業でやる」わけではなく、多くの同通はエージェント登録で案件請けしてる(だから同通専業で既婚女性という人も結構多い)
②同通の専門性は語学力や領域の語彙だけではなく、同時通訳という特殊な情報処理技術のほうにある
というあたりで、同通のことをよくわかってない気がしました。(そのことは、以下エントリに書きました https://anond.hatelabo.jp/20210607100345 )。北大助手時代はともかく、大学教授になった今もその認識を修正されてないまま、当時の印象の歪みをそのまま維持しているのはちょっとアレだな、と思います。
「セレブバイト」って表現にはやっぱり「有閑階級が片手間で」のニュアンスがあって、オッカム先生は実際そう感じていたと思うし、読み手をそれを読み取ったから、女性だけじゃなくて同通業界の人達が反発してるところもあると思います。
区切り方が逆。地方で、文化に敬意を払わない人がいっぱいいる。だが、文化人たる研究者本人がそれを内面化してどうする。ということ。
もうちょっとくだけたこというと地方で男尊女卑にどっぷり浸ってる人独特の「文化とか学問とか象牙の塔には全く敬意を払わないし、娘は大学にいかせるのはもったいない、というような態度」(+その人たち独特の言葉遣いやいいまわし)をそのまま内面化しちゃっててどうすんだ?何研究してんの?それで批判的になれるのか?ということ。
もしそれでいいとおもっているのなら、北大助手が北大助手として敬意を払われ仕事をまかされているのは、ただたんに「北大からきた薄い給料袋に」であって、「北大助手としてなしとげた仕事に。また北大助手という人物の文化水準のたかさに」ではまったくないですと自ら世間にさらしあげてるわけですよ。毎晩場末のキャバクラにいってフィリピーナに社長さんといわれているうちに自分は社長と呼ばれるに値する人物なのだとおもいはじめちゃったような腐敗臭を感じる。
もちろん古くは文豪たちもそういうのを自嘲的に、ネタとしてやってたけど。これはツイッターで本気でいってるじゃん。通訳して働いてる人が「専業」主婦のわけないじゃん・・・万が一専業主婦を自称したのだったら自嘲こみか、よほどひどい態度(「賃金500円でもいいですか」とか)をすでに北大助手側=雇用主がやっちゃってるからだよ。いわせんなだよな。
頭くさってそう。
探偵とその助手の女が事件を通じて徐々に愛し合うようになるみたいなやつが要らない。
そもそも北大が記憶でしゃべってるので「私専業主婦でございましてほほほ」っていったかまでは記憶が定かでない
「ふだんはどちらでお仕事を?」「ええ、介護もあって家庭で」→「専業主婦だ(と勝手に判断した)」くらいのことだろ
それで記憶をもとに「こんなの飼っとける男性すげえな」みたいな話したのも北大
そもそも妻は飼われるものでもないし「セレブバイト(北大助手が勝手に判断した)」にでてるのも夫がトロフィーとして見せびらかしてるとかいうわけでもないやろ
女性という属性が一つついただけでフリーランスのプロフェッショナル同時通訳者(専門語も予備勉強してくる)にたいする固定概念がひどすぎる